1. なかよしインターネッツ
  2. 58. ここらで一発固有結界を立..
2022-06-29 40:26

58. ここらで一発固有結界を立てよう

ブランディングとかPRはn次創作 n次創作が難しくなってきたらもう固有結界しかないんや

00:01
ここらで一発固有結界を作ろう!
ということで、やっぱり魔術の到達点といえば固有結界。
呪術回戦でいうところの両撃展開でしょうか。
最近ですね、ザサツバクトがめちゃめちゃ面白い。
呪術回戦を読んでいる人だったらわかると思うんですけど、
ザサツバクトが出た瞬間の盛り上がりを好きですね。
なんでこういう結界の話をいきなりし始めたかっていう理由なんですけれども、
最近色々なものを作っていてですね、
基本的にはプロダクトのPRになるようなものを作ったりとか、
コンテンツですね、みたいなものを作ってるんですけれども、
なんだろうな、最近二次創作がすごいハマりづらいなっていう感覚がありましてですね、
これどういうことかというと、昔って言っても結構最近までだと思うんですけれども、
いわゆる何か一つ大きなストーリーとか、源流となるものがあって、
それを派生して、なんだろうな、想像力を補完して、
見る人と作る人が補完し合って、みたいな、
そういうものがですね、なんかちょっとハマりづらいなと思っていて、
N次創作時代がちょっと終わりつつあるんじゃないかなっていうのを感じていますと。
どういうことかというと、シンプルにそういうものを楽しむ心の余裕がないんじゃないかっていう、
小説を読んでいるような感覚だと思っていて、その二次創作みたいなものというのは。
結構時間があって他に何も見なくて、いろいろなことを思い出したりもせず、
その人の脳内で再生させて補完させる、小説を読む体験でそういうものだと思うんですけれども、
映画とはまたちょっと違うよね。
その没入するのも映画の場合は、例えば映画館でもネットフリックスでも何でもいいんだけど、
とりあえず目を引きつけるっていうものがあるんだけど、
小説に関しては読者が能動的に介入していく感覚というか、大きく違いがあると思っていて、
音楽ともまた違う、小説だけちょっと特殊だよね、漫画とも全然違うしみたいな。
ある二次創作、N次創作みたいな作品というのは小説体験と結構近いところがあるなと、
その能動的に補完していくという意味で。
でも今の人たちが小説みたいなものをきちんと読むか、きちんと読むかというとちょっと言い方に語弊があるかもしれないんですけれども、
多分そういうテンションじゃないんだろうなと。
03:01
他にいっぱいいろんなものあるしみたいなものもあるし、映像がここまでたくさんいろんなディスプレイで流れて
簡単に見られる時代になった時に、小説みたいな時間がかかって、かつのめり込むまでにちょっと意識が必要なというか、
時間と意識が必要な媒体っていうのはちょっとやりづらいんじゃないかっていうのはもちろんありますよね。
もともとの小説みたいなものがあって、携帯小説が出た時にはやれこれは小説じゃないとか何とか言ってたけど、
少なくとも自分でスクロールをしてめくってどんどんどんどん見ていって、
行間がめっちゃ空いててそれで能動的に想像を働かせるという意味では、やっぱりあれも大きく小説だった。
とにかくやっぱり映像とそれ以外っていうのの差がものすごくでかい。
ビジュアライズされたものとそうじゃないものっていうのの差というのはもう断絶があるぐらいにでかいなっていうのを感じていて、
あまりにもビジュアル編集であると最近はってなった時、
N字創作的なものを作ってもハマらないんじゃないかというなんとなく直感が最近出てきてですね、
昔はもうちょっとあった、なんか結構みんな楽しんでたんじゃないかなと思うんですけれども、
今それよりも一時創作的なものの方がいいんだろうなと。
すなわちですね、文脈が必要ないっていう意味なんですよ。
めっちゃシンプルに言うと、文脈とあとは能動的にこれってこういうことだからみたいな補完が必要ないっていう、
好きなものがあってそれを理解してその上で文脈として腹落ちさせ、
そのフィルターを通してその展開作品みたいに見るっていうのは、
結構、記号性を学んでないと難しいなと。
こんだけ大量に映像コンテンツというかコンテンツが大量にある中で、
そういうのって今ちょっとハマりづらいんじゃないかというのを、
少なくとも作っていてめちゃくちゃ感じてしまうんですよ。
PRコンテンツなんていうのは、PRの仕事なんてぶっちゃけ二次創作みたいなもんなんですよ。
そのコンテンツじゃなかったとしても、例えば一つの何だろうな、
ナイトポイドは観光文脈、分野が好きだから観光なんて例えにしますか。
例えば一つの旅行サービスみたいなのがあるとして、
その旅行サービスをPRするってなった時に、
その旅行サービスストレートにこれができます、あれができますって言ってもみんな食いついてくれないから、
ちょっと視点を変えて、こういうような生活を約束しますとか、
こういう体験であなたの人生が鮮烈に変わりますとか、
そういうちょっとひねるんですよね。
逆に言うとちょっと脚色するんですよ、言ってしまえば。
06:01
ちょっと誇張するんですよね。
視点を変えて表現の仕方を変えるだけだとチラシ付くのとあんま変わんねえじゃんって話なんですけど、
でも基本PRとか広告の仕事そういうのがメインではあるよ。
一つの源流のいわゆる原作に対してですね、
ちょっとその原作の文脈を継承した上でまた別のものを作るっていう。
別のものを見てたらそれって原作ってここだったんだみたいな。
例えば緊張率のCMとかなんでもいいんですけど、
夏でGはGはミンミンミンってなってて、
で、夏は緊張率最後に出てこれ緊張率だったんだみたいなそういう話ですよね。
CMとかまさにそうなんだけど、
だからこのCMの映像だからね、ちょっとまたこんがらがっちゃうから
CMの話はまた別の機会に置いておくんですけれども、
なんかね、そんなみんな見ないでしょっていう感覚がすごくあって、
で、結論だけ言っちゃうと、
今までクリエイターっていうのは結構そういう展開させる力というのが
主に求められてきたと思うんですよね。
例えばクライアントというのが原作ですから言ってしまえば、
原作があってそれをうまく本課取りというか、
うまく使いつつよりプラスアルファをやったりとか、
その魅力を拡張したりとか、その魅力を伝えやすくするために何かを作ったりって話があってですね。
でも、なんか最近そういうものをちゃんと伝わるのかっていう、
むしろそういうNG創作的であればあるほど、
なんかそういうのはもういいよみたいな感じに捉えられた瞬間があって、
なんかそういうのはもういいよみたいな感じに捉えられてしまってるんじゃないかという直感的な気配、これが一つ。
あと、シリーズ物語全く受けないみたいな感覚がちょっとあって、
毎回違うものをやらなきゃいけないっていう感覚ですよね。
これ2ですって言われた時に、1見てないからいいやと思っちゃうというか。
というよりも、これレコメンド環境だと思ってて、
2って書いてあると、基本的に前編後編とかこれは3部作ですみたいな感じになると、
ユーザーって基本的には、いわゆる1、2、3ってなったとしたら、
2見る人は1見てないとダメじゃん。
で、3見てる人は1と2見てないとダメじゃん。
逆に言うと、3にアクセスした人はこれ続きもんだってなって、
よほど見たい人だったら1から見るんですよ。
っていうことは、ここのユーザーのアクセスコードのデータが残るわけですよね。
ってなると、この3つって連関してるんだっていうふうに機械は捉えるわけですよ。
ってなると、じゃあ1、3だけオススメでもしゃあないなって。
09:02
みんな基本的に1に帰っていくから、じゃあ1だけでいいやっていうふうになるんですよね。
1、1回オススメで刺さらなかったらもうやめようって思うんですよ。
ってことは、2、3ってレコメンドされないんですよ。
みたいなのがいろんなところにあるから、
そもそもシリーズものが受けないよね。
だから原作があってこれの続きですよみたいなやつはすごい難しい。
プラットフォームに依存してる限りすっごく難しくて、
だから自分たちでお客さん捕まえて、確実に2も3も絶対届けられる。
直接ダイレクトメッセージかな、普通メールでも何でもいいんだけど、
ユーザーの手元に通知していいから見ろっていうふうに、
お前絶対好きだからっていう、お前の好きな続きも出たぞっていうふうに
思わせなきゃいけないっていうのがあるじゃないですか。
でも言うてやっぱり、それって結構難しいんですよね。
そういうようなプラットフォームを自分たちで作るかっていうと、
それはすごく難しい。
どうするかというと、もう作り手のファンにさせるしかないんですよ。
この人が作ったものは何でも好きっていう状態にするしか、
2と3を見てもらう方法ってないんですよ。
っていうのをいろいろ考えると、いろいろ考えるとですね、
人ベースにもどんどんなってきてしまってるんですよ。
言ってしまえば、かっこいい言葉で言うとクリエイターベースですね。
昔と今のクリエイター像のゴールというか、
調子いいクリエイターの像っていうのがかなり変わってきてしまっていて、
魅力を引き出すプロから、
どっちかっていうと結構アーティストに近いんじゃないかなっていう方向に
環境からそうならざるを得ないっていう風になってしまっていて、
美容師さんとか、いわゆるサロン、美容院の髪切る人いるでしょ。
あの人ってクリエイターかって言われるとどっちかっていうと、
もちろんクリエイターではあるんだけど、
アーティストというよりは元々人がいるじゃん。
人をより生かす方でしょ。
メイクアップアーティストというかの方じゃないですか。
ゼロベースで人間を作る人じゃないですよね、言ってしまえば。
もちろん髪型だけで見るっていう場合はそうだけど、
演出家に近いじゃないですか。
演出家じゃない気配がすごくあって、今って。
ゼロベースでアーティストってなってて、
商業でももはやその演出家、
演出家で演出したとしても、
演出する元のものがそもそも見られない。
源流をわざわざ見に来てくれる人ってそんなにいないんじゃないか。
という説がちょっとあって、PRが聞きづらいとか、
いろいろ本当にいろいろ複合してるんだけど、
いろいろ複合した結果、意図っぽいのに直感的に、
クリエイター像が変わったなっていう感覚があって。
いくつかポイントっていうふうに言ってたけど、
あともう一つ感じてるのが、
クリエイターと一緒に仕事をするのがすごく難しいっていう感じがあるんですよね。
12:01
これは自分もそうなんですよ。
自分がクリエイターとして、
企業とかクライアントさんとかと仕事をするときに、
これハマりづらいんじゃないかって感じるところが、
発注側でも受注側でも結構思ってしまうんですよね。
それはそもそも、
人ベースでお客を連れてこないといけないっていうのは
もう分かってるんです、お互いに。
そうなった場合に、
その原作を結構尊重したものを作ると、
その人ベース、いわゆる意図っぽいの世界観と原作の世界観っていうのが
完全に一致してるわけではないですよね。
原作の世界観をパンフェクトトレースして作った瞬間に、
新しいものじゃないっていう感じに捉えられる可能性がある。
だけれども、意図っぽい世界観で作ってしまうと、
原作と乖離してるんですよね。
すごい合わせるのが難しい。
難しいってなったときに、
合わせた結果、上手い具合にバランス取れて
結果出せる人がやっぱり強いではあるんですけれども、
漫画と編集さんの話とかも知ってると思うんですけど、
編集さんがつかないとそもそも成立しないような作品ジャンルとか、
あとは残念ながら、クリエイターの方に力不足で
編集さんががっつりカバーしないと、そも成立させることがまず、
大前提に、最初の課題としてあるみたいな状況だと、
結構、原作サイドに寄せないといけない。
そうしないと成立が難しいって風になってしまうんですよね。
ってなったときに、クリエイター側が自分の世界観も
尊重したいのも分かるし、そうしないと
発注側としても、クリエイターのお客さんが見てもらわないと
そもそも発注した意味ないから、だってそしたら自分でやるわって話だからね。
そうなんですよ。お客さんを連れてきてくれない限り、
今って新しく物を作る意義って全くないんですよ。
本当にないんですよね。これちょっと歪なんですけどね。
歪だけど、正しいと思うんですよ。人ベース、人ベースだっていう。
江戸時代とかにすごい近いなと思ってて、
何につけても江戸時代っぽすぎるっていうのがね、
すごいあるんだよね。その口コンベースで、
どこどこの誰がこういうのやったんだよ、みたいな。
なになにやー、なんとかやー、みたいな感じですよね。
なんとかやーってワンピースのやつじゃないですけども、
なんとかやーみたいな感じ。なんとかやーになってないといけない。
なんだろうな、御服屋がブランディングするわけではない
っていう感じなんだよね。
そういうのも含めて、ちょっと今までのやり方だと
ハマりづらいなと思ってて、
作ってて多分違和感があるなと思ってて、
15:02
実際に伊藤ぽいどもいろんなものを成立させるっていう仕事を
めちゃくちゃやってるんだけど、これ成立させるっていうので
やってたら、そもそもちょっとあれだなと思って、
クリーンにクリーンにいった方向なんですよ、成立させるっていうのは。
企業が何か出すものだから、何かこう
味噌がついてるといけないよねとか、ちゃんとしてないといけないよね
っていうのが大前提で商業のものっていうのはやっぱあるんですよ。
どうしても企業の核というのがあるから
なぜかというとその企業に勤めてる皆さんの人生も背負ってるわけですから。
他のいろんなものを作ったりとかいろんなことを
動かしてる人が合わさって仕事ができてるわけですから
それを代表するものを作るっていうふうになると
眠いからとかそういうの許されないわけですよ。
これ基本ですけれども、こんなこと今更言う必要もないと思うんだけど
それはそうとして、きれいにきれいにってやっていくと
なんだろうな、かなり透明に近くなっていってしまうっていう感じがあって
なんか色物の方が臭いものの方が浮ける感じというか
これってどういうことかというと
ドンキホーテの店内とか楽天のめっちゃ長い縦スクロールの長いページとかの話に
どんどんどんどん行ってしまうんですけれども
いわゆる渋谷の街並みという話なんですよね。
渋谷の街並みってあれが例えばきれいかって言われると
全然きれいではないと思うんですよ。
あれめちゃくちゃに詰め込んでる街だと思っていて
なんだろうな、結構特殊な街ですよね。
あれがエンターテインメントの正しい世界かって言われると
結構ヤバめだとは思うんですよ。
ぐちゃぐちゃだしみたいな、全部ぶち込んでるしみたいな
でもああいう世界観なんだよね、今ってものすごく
そういうのがないよみたいなところって
本当にそれこそ展覧会とか美術館とか行かないと難しいんじゃないの?
一切の自動販売機とか課金ポイントとかそういうのが一切なくて
しかも入り口もちゃんとお金取ってハードルを設けるみたいな
そういう結界の中じゃないと渋谷化というのを防げないんじゃないか
っていうすごい感じ出てですね。
渋谷のストリートで生きてるとそれはなんだろうな
あれこいものしか食べれないよみたいな話なんですよね。
よく噛んで食べるっていうものが
なんか今みんなやれてない生活にどんどん行っちゃってる気がしていて
18:01
これに関してはもう人間どもはよく噛んで食べないから
しょうがないんですよ。
そこでよく噛むっていう選択をすると
食べ物の味のおいしさに気付けて
いろいろ選択肢が増えて楽しいよっていう感じだと思うんですけど
選択肢が増えたことを認識して選べるっていうのは
結構心に余裕を持とうとしてる人
より良くなることをしてる人しか無理じゃないですか。
よく噛んで食べるなんてまさにそうですよね。
よく噛んで食べれない世界
よく噛んで食べない
食べづらい
ストレートに言うとみんなちょっとアホになってきてるんで
みんなめちゃくちゃアホになってきてるんで
もうしょうがないですよね。
本当にそうだと思うんですよ。
別にそのアホなのが悪いってわけじゃないんですよ。
そんなこと言ったらスマホが出てきてみんな
あと携帯ゲーム機が出てきてみんなアホになってるって
たぶん言ったと思うんですよ。
今までの時代みんな言ってきたと思う。
もう本当に何がナンバントライのザンギリ頭だ
あんなの本当にアホの髪型やんけって言ってたと思うんですよ。
それと同じだとは思うんだけど
少なくとも時代が変わってるから
今までのやり方だとうまくいかなくて
ちょっとムムムって思ってしまう可能性もある。
時代の流れに乗ってやるっていうのが
ある種ビジネス的な面では重要なので
自流を捉えるという話ですよね。
なのでそういうようなマインドがある人は
ザンギリ頭アホらしいって言わずに
ちょっとザンギってみるかって言った方がいいって
そういう話なんですよね。
よしよしの話ではないですよ。
こういうゲームルールでいくんだったら
そっちに対応した方がちょっとポイント数が増えるよね
っていう話を今しています。
というエクスキューズを入れてみました。
でね、固有結界の話に
ここまでが背景説明で
なんで固有結界って言ったかというと
作風とかそういう話でもないんですよ。
作風ってちょっと古い言葉だと思ってて
あとブランディングっていうのも
ちょっともう違うなと思ってて
作風もブランディングも
どのアウトプットも全部見てもらえる前提なんですよね。
そう、見ねえから。
見ないから。
積み上がっていかないから
もうとにかくすべてのものが
積み上がっていかない前提で
考えた方がいいなと思ってて
単品単品でやってった方がいいと。
ただ、そのお客さんに保管してもらうための
ブランディングではなくて
自分の中の制作
なんかこう意思決定の指針として
自分だけのブランディングを
指針として
自分だけが持っている
作風であったりブランディングであったり
これがいいと思うものみたいなのは
21:01
持ってた方がいいなと。
いわゆるこういうのがいいんですよ
っていうのを伝えようとしてでも
無駄であるという話ですね。
今ちょっと強い言葉を使ってしまったんですけど
でも無駄という一言で言っていいと思います。
それをちゃんと分かってくれる人は
1%ぐらいだと思うんですよ。
でも人間どもがたくさんいて
人間どもの1%って言ったら結構な数なので
グローバルニッチを狙うんだったら
それでも別にいいと思うし
普通に暮らしてたら別に1%の人を
共感してくれたらいいじゃないですか。
というかめちゃくちゃ近しい人と
一緒に笑い合えれば別に幸せじゃないですか。
それって多分1%未満な話してますよね。
だから別にいいんですよ。
別にいいんだけど
よりたくさんの人に届けたいとか
何か見てもらいたいということを
ちょっとでも考えるんだったら
この1%ぐらいだろうなっていうのを
置いておいた方がいいと思っていて
ほとんどの人が初見っていうことを考えて
作るっていう時に
より強固な
何か他とは違うやつというか
何かこれは強くあるなっていう
その在り方ですよね。
何かこれはビビッとくるなみたいなのを
出すためには
ブレてちゃダメだろうなと思ってて
そのブレなさみたいな
ものを
自分の中に持つためには
やはりこういう結界を
ちょっと持つしかないんじゃないかなと
こういう結界といえば
アレキサンダー大王の
あらららららいのやつがありますけれども
フェイトゼロ
皆さんもうフェイトゼロの話
説明しなくてもいいですよね。
中吉インターネッツを聞いてる人は
聞かないと思うんですけど
フェイトジョジョとネキマトブリーチ
話は説明いらないですよね。
こういう結界を
心象風景の具現化という
魔術の到達点なんですけれども
これを持っておいた方がいいな
っていうのをなんとなく思うんですよ。
今まで一個一個作品作るときは
作風とかブランディングみたいのがあって
いろんなクライアントと
コラボレーションするみたいな形で
作るので
ある種その
単品単品でこういう結界を作る
毎回作るというのが
今までの作り方だったと思うんですよ。
だけれども
今ずらずらと説明した通り
そういう感じだと
ちょっと足りない気がしていて
なんで一発こういう結界立ててしまって
もうそれで作ったほうが
たぶんウィンウィンになるんじゃないかな
うまく回るんじゃないかなっていうのを
思っています。
なんで
自分の
24:01
理想の心象風景みたいなものを
改めてちょっと持ち直さないとな
っていうのをちょっと思ったんですよね。
結局結論これだなと
今ずっとここ1ヶ月間
悩んでたんだけど
いろんなものを作りながら
何でかなと思ったときに
一緒にあるプロジェクトの
動画みたいなのを作ってて
そこに挟むキャッチコピーみたいなことを
考えてたんですよね。
何にしようかっていう風に言ってて
結局結論としては
これに関しては
でっかく言いたいみたいな話じゃなくて
完全にトップオイドプロジェクトなので
別にいいんだけど
また物語が始まるみたいな
感じの文章にしたんですよ。
そのときに自分が
お前また同じこと言ってんじゃねーかよ
こいつ無限に同じこと言うなって
言ったんですよ。
自分に対してね。
なんだけど
なんか結構ハマったんですよね。
それはピタッと映像にハマったというよりも
自分の中で腹落ちしたんですよ。
そう言ったんですよ。
ああそうかこれだなみたいな。
なんかいろいろコネクに回して
いろんなものにアジャストさせようと
してたんですよ。
今作ってるものっていうのは。
なんだけど
結論最終的に
なんだろうな
結局自分から出た企画だし
なんかいろんなステークホルダーとか
いろんな人がね
合わさってこうやって作ってるから
忘れがちになるんだけど
そもそもやり始めようとしたの
自分だし
ってなると
原液最初の
最初の1音目が
自分だから
ああ最後も
同じ音の方が
多分いいんだろうな
っていう感じがちょっとやっぱあって
しまったなと思ったんですよね。
もうちょっと
その色強く出してもよかったな
っていうのはやっぱり感じて
それで
それですごく悩んだのが
所属先の
イメージだったりとか
情報と
自分のアウトプットみたいなものが
クライアントだからね
どうしても結びついてしまう
そこのイメージを引きずってしまう可能性もある
っていうのが
もっかの最近のものすごく悩みというか
ああってちょっと
グロッキーの色背になってる理由でもあるんだけど
それから脱却するためにも
普通に
ちょっと
あんまりこの一人称を使うことって
人っぽい人の人生でそんなないんだけど
いやこれ俺のやつだから
っていう
その感じ
私のやつ
私が作ったやつ
とか僕とか
27:01
そういう感じでもなく
俺のっていう感じ
なんかその結構閉じた感じというか
別に誰からも分かってもらわなくてもいいんだけど
みたいなその感じ
がいいなと
俺のってほら
ちょっと前流行ったじゃん
俺のハンバーグとかさ
俺のフレンチとかあったじゃん
でもあれそういうことだなと思って
俺のっていう単語で表現して
感じるこの
なんか気持ちって
別にみんなは何か言ってるけど
俺は一番これがうまいと思う
というか
それに対して
ええやんって自分から入ってくれる
そこのお前しか
この皿は出さないよ
でもうまいっしょ
それでいいんで
お前分かってんな
俺のフレンチだからさこれは
でこの俺のフレンチっていうのを
今度はお前が自分で
俺のって言っていいよ
っていうその感じなんですよ
そう10年前ぐらいだよね
俺のシリーズって結構あったのって
でもね
今はねいきなりステーキよりも
俺のステーキだなって
思うんですよね
俺の
俺のマインドみたいな
そう
それがすごいあるなと思った
そのね
共感って単語使っちゃったんですけど
共感って単語も古いなと
なんか俺のっていうものを見たい
っていう感じがね
みんなあるよね
そのそれは何でかっていうと
その何だろうな
文脈とか背景とか
そういうのをやるんじゃなくて
いいから
そういうのを見てる人が
でこれどういうマインドかっていうと
面接感のマインドなんですよ
そう
はいじゃあ次の人みたいな
はい君は
何誰死亡理由は
何みたいな
しかも大量にやってる面接感ね
オーディションの担当者でもいいよ
あー君ははいそうなんだはいはいはい
次みたいな
っていう気持ちなんですよみんな
だからこの私はこういうような
背景があって何とか何とか何とかで
あーもういいいいいい
はい次みたいな
気持ちになっちゃってるんですよね
それに対して俺のフレンチで
どんどん出てきたら
そっちのほうが楽じゃん
疲れないじゃん頭も
そういう感覚なんだなと思って
そうだから今までは
私はこういう人間で
こういう作品があって
わわわって感じだったんだけど
もうなんか
俺のフレンチ
俺のフレンチという
フレンチの
こういう結界っていうのを
作ることをすごく意識したほうが
いいんだろうなっていうのに
はっと気づいて
これ今気づけてよかった
って思ったんですよね
これ気づかずに
2020年
22年全部終わらしちゃってたら
あまりにももったいなかったなと思って
30:00
でねなんでもったいなかったかって
感じたかというと
その俺のみたいなのって
やっぱり今までの考え方だと
それどうなのって感じなのよ
いやお前とかじゃねえからっていう
最低限
源流をちゃんと尊重して
成立させた上で
プラスアルファで
俺のっていうのをやるんだったらいいけど
それができてないのに
俺のじゃねえよと
お前ふざけんなよと
それはあまりにも
あまりにもきっつすぎやしせんか
っていうのが
今までの
プロの現場のマインド
ではあると思うんですよ
ちょっと昭和的かもしれないんですけれども
ただ
最終的にそうなればいい
っていう話で
家庭はどうでもいいなと
そう
今まではやっぱそのね
結構その
なんだろうな
家庭もやっぱそういうマインドじゃないと
っていうのがあって
それこそが職人だみたいな
気持ちに
酔ってた自分もいるんだろうね
やっぱりその
若い頃に
やっぱ憧れてた人たちというか
憧れた現場とかは
結構そういう感じだったから
でも
たまかすが多い
時代に
そんなこと
言ってる場合じゃねえぞ
みたいなところもやっぱ
あって
環境が変わったから
一発やっぱりこういう結果
心象風景の具現化
一発
一発やらないとなと
いろんなスクリプトが
いろんな好きなものが
いっぱいあって
叱るべきなんだけど
それを全部内包するような
起源
原点みたいなのを
ちょっと見つけないとな
っていうのは思った
起源というのはほら
エミヤ切り継ぐが
切って繋ぐという起源があって
それのエミヤ切り継ぐの
肋骨を
砕いて
弾丸に詰めた
起源弾というのが
あって
起源弾というものを打つと
ケイネス
ケイネスエルメロイ
アーチボルトが
死ぬって
フェイトゼルトの話なんですけど
起源ですよね
切り継ぐ
お前の起源は
切って繋ぐ
この起源弾に
打たれると
魔術師は
自分の魔術回路を
ズタズタに
切って
めちゃくちゃに
結ばれる
普通の魔術師だったら
二度と
魔術が使えない体になる
っていうシーンがありましたけど
あれですよね
エミヤ切り
エミヤ切り継ぐ
って名前で
切り継ぐだから
切って継ぐみたいな
コトミネキレイだから
なんだっけ
キレイ
あれなんだっけ
コトミネキレイの
コトミネキレイが
浄化する
ノリトみたいなのあるじゃん
教会の上で
あれなんだっけ
なんとかキレイソンだっけ
なんか言うよね
あれキャラクターだから
名前と
起源が
繋がってる感じで
33:00
いいよね
いいなぁと思って
なんか自分の
名前の
漢字とか
名前とかで
それが起源になるんだったら
いいなぁと思って
そうなんだよね
皆さんの本名の
意味とか考えたことありますか
ちなみに伊藤っぽいのは
伊藤って名字
全然好きじゃなくて
なんでかっていうと
伊藤って
あだ名つけづらいし
とう
とうって感じが
あんまり可愛い絵が
ないんですよね
とう
あと
もう伊藤園しかないのよ
多いお茶でしかないじゃん
っていう
伊藤って名字あんまり
好きじゃないから
名字
名字変えても
いいかなと思ってて
伊藤っぽいどっていう
ハンドルネームが
残ってれば別に
伊藤じゃなくてもいいな
っていうのは
結構思うんだけど
下の名前も
あんまり面白くないから
自分の名前
の音とか
自体に
あまりその
なんだろうな
好きな漢字じゃなくて
うん
漢字は好きだけどね
自分の下の名前の
一文字目の漢字は
なんか
それだけはまあ
いいかなという
漢字だけど
他はね
微妙
なんかうーんって感じなんだよね
それはそうとして
やはりね
やっぱ一発
固有結界でしょ
それを
ちょっとやっていかないとな
と思いました
うん
いろんな
インプットしたので
もうそろそろ
それを組んで
新しいことを
仕掛けていくかな
っていう気持ちになっています
できることが
とにかく増えたので
大量に
それの上で
昔はやっぱりできることが
少なかったから
その上で何とか
ひねらせてやり方で
できたんだけど
選択肢がいっぱいあってしまうと
場合の
組み合わせの場合の数も多いので
やっぱり一発
固有結界を立てないと
うまくいかないもんだな
ということに
このタイミングで
気づけてよかったな
と思いました
はい
ということで
6月29日なんですけれども
今日と来週と
ちょっとね
リリースものが
いろいろあるので
今までだったら
なんかさらっと
まるで自分は
やってませんよ
みたいな顔して
やりました
みたいな感じで
やる予定だったんですけど
こういう結界ということなので
ちょっとね
いろいろ
裏話とかも
できたらいいなと思うので
なかしインターネットリスナーの
聞いてくださってる
そこのあなたに関しては
ぜひね
お楽しみいただければ
と思います
あと一緒にね
一緒に
一緒に
一緒に
一緒に
一緒に
一緒に
遊びましょう
一緒に遊ぶ系のものがね
多いので
実践
イトポイラーは基本的には
その
なんだろうな
まだちょっとうまく
言葉にできてないんだけど
その
自分
現実世界に
反映するというか
その現実に
絶対に現実にする
という
あの
のが多分
作風というか
起源の
その
絶対に
絶対に
絶対に
絶対に
絶対に
絶対に
作風というか
起源というか
だろうなと思っていて
あの
何かその
36:00
現実
自分
自分たち
まあ自分
まあユーザーでも
何でもいいんですけど
その人間が
取り
実際に
やったりとか
取り入れたりとか
あの
自分ごとにできたり
とか
っていうもの
じゃないと
嫌だと思っていて
うん
なんか
それぞれが
それぞれの主人公
誰やと
主人公
になるガッツのない人は
知らん
知らん
知らん
知らんというか
絶対に主人公
にさせるので
あの
あの
それが
しないっていう人は
多分人間じゃないじゃないですか
みたいな感じですね
あの
人間じゃないってことは
あの
知らん
知らん
知らないですね
はい
人間じゃないのは
さすがにちょっと
フォローできないので
はい
って感じなので
あの
少なくとも
選択肢は
与えますと
それをやるかやらないかは
えー
皆さん次第
という感じですね
やらないんだったら
あの
まあ
それはその人の選択
だろうし
まあ知らん
人間じゃないんだろうな
というか
ハハハハ
感じですね
あの
そこはね
あのちょっと残酷だなと
自分でも思うんですけれども
あの
何だろうな
こう
こう
した方が
多分いいであろう
ということを
えっと
分かった上で
やらない
とか
やれないとか
だったらいいんだけど
それを
あんまり
認識しない
っていう風になると
もうそれはもう
救いようがない
から
あの
それは知らん
っていうね
そういう
スタンスが
昔から作品の中には
結構やっぱりあって
でもどこかで
その
でも絶対に
やってほしい
みたいな
もう絶対に
絶対に
主人公になるか
幸せになるか
優勝か
してほしい
っていう気持ちは
あって
そのジレンマ
みたいなところが
面白さになるんだろうな
その
めっちゃ突き放して
感じなんだけれども
全然突き放せてなくて
すっごい
その
甘さというか
優しさというか
その
なんか
半泣きになっている
感じ
みたいなところが
そのギャップとして
なんか面白さ
みたいなの
生んでるんだろうな
っていうのは
やっぱり感じ
るので
今まで
なんだろうな
って
今までのアウトプット
振り返ってくると
それがやっぱり
なくなってきちゃって
なんか
綺麗な感じになっていくと
ちょっと
つるっとして
面白みがないんだろうな
っていうのは
反省点として
すごく
感じてるので
なんか
もうちょっと
出していきたいな
という
気持ちがありますね
出していきたいというか
出していかないと
いいものにならないから
それはその
プルじゃないよな
と思って
はい
きちんと
やっていきたいな
と思って
おりやす
はい
ということでね
まあ
ちょっとね
いろんな
全てが
自分の
個人政策というわけでは
ないのでですね
あの
39:00
その
なんでしょうね
悪の強さというのは
それぞれ
まちまちだと
思うんですけれども
まあ
みんなで一緒に
楽しめたらいいな
という感じですね
そうなんだよな
なんか全員が
各々で
各々幸せになって
欲しいな
これはなんか
綺麗事じゃなくて
そう思いますね
はい
ということでね
頼むみんな
幸せになってくれ
という感じでございます
えー
こういう結界をね
ちょっと考えていく
予定なので
まあやっぱ
夏近いし
もう油断してたら
夏が来てしまった
7月の中旬ぐらいから
夏ということでね
やっぱり
まあ伊藤ぽいです
夏は切っても
切り離せないというか
かなり
密接に結びついた
季節
最高の夏
というやつですよね
はい
なんでね
ただ
こんなにも早く
夏が来てしまうと
めちゃめちゃ
今焦ってて
うわマジかよみたいな
やばい
夏の準備はしていないみたいな
夏を迎え入れる
その
精神
世界をまだ
自分の中に
築けてないっていう
ところに対して
その
めちゃくちゃ
罪悪感と焦りと
もう
なんか
もうダメかもしれない
みたいな気持ちがあるんだけど
いやまだ大丈夫
まだね
6月29日なんですよ
まだ行けます
えー
3日合わされば
鴨目してみよう
ということで
3日もあれば
基本的に世界も
皆さんも
夏に備えて
こういう結界
作っていきましょう
ではまた次回
40:26

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