2020-04-12 12:38

#032 - 10代の頃のはなし

今回は「質問です、ナギコさんは10代の頃はどんな若者だったんでしょうか?どんな子どもでどんなことに興味があったのか気になります……」というレターにお答えしました。

トークの中で触れたNECのCM動画はこれ👇
https://youtu.be/fqf_PzXGBis
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https://stand.fm/channels/5e60e6796f309ff1354ad2e5
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こんにちは、nagikoの質問に淡々と答えるチャンネル第32回
このチャンネルでは、nagikokoと私、いちかわなぎさが、皆さんからいただいたご質問のレターにお答えしていくというコンセプトの番組です。
はい
日曜日ですね。
昨日は、そうだ、えっと、原稿をやらなきゃいけなかったので、原稿を書いたりとか、ちょっと珍しく土日にしては仕事をしてたんですけど、
あとは何をしていたかというと、
えーと、あつまれどうぶつの森、どうしてもあつまれが出てこなくなる。
あつまれどうぶつの森と、あとyoutubeを見てたんですが、
youtubeで、NECの70年代から、
97年ぐらいのNECのCMをまとめた動画を見つけてしまって、
それをあの夜はずっと見てました。
たぶんこのスタンドFMを聞いてくださっている方って、20代か30代の人が多いのかなと思うので、
たぶんNECってご存知だと思うんですが、
うち、我が家は、我が家というのは実家は、
あの初めて家に来たパソコンが98のノートだったんですよね。
たぶん小学校5年とか6年とかだったと思うんですけど、
その前も文豪っていうワープロ、NECのワープロがあって、
それでいろいろ遊んでた時期もあったんですけど、
私が、私がというか、
そもそもは父方のおじさんがすごい昔からMacを持っていて、
MacというかAppleというかマッキン都市というか、
母方のおじさんが98だったりとか、
昔はなんかDOSV機って言われてたような、
今で言うとWindows VS Macみたいな感じで、
どっちに我が家は行くのやらっていうところで、
その98のノートを買う時も結構秋葉原で、
あの兄と父と私みたいな感じで結構戦いがあったのを覚えてますね。
あの、兄は98がいい。
私はマッキン都市がいい。
っていうので、まあ戦いに負けて我が家に来たのは一旦98のノートになったんですけど、
その後iMacが発売されて、
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私はもうこれじゃっていうことで、
買わないわけないでしょぐらいの圧をかけて、
ありがたいながら買ってもらったっていうのが多分中2とかだったなぁって。
そうですね、98年なんで私が中学2年の時ですね。
懐かしいです。
ちょっとNECの話からずれちゃったんですけど、
まあとはいえ、あのNECのPC使ってたので、
当時あのバザールでござるっていう猿のキャラクターがCMやってたんですけど、
それが私は結構好きで、
なんかカレンダーとかもらってきてましたね。
ほんと懐かしいと思いながら。
でももうバブル期だから、ほんとねキラキラしてて、なんか楽しい気持ちになりますよ。
昔のCM動画とか、
なんかMr.PC、なんだっけな、六本木PCと呼ばれているみたいな、
なんかそんなキャッチコピーがあったりとか、なんじゃこれみたいな感じもありつつ、
ねえ、なんか日本が一番イケイケドンドンだった時代ですもんね。
はい、そんなんで、今日のレターです。
えーっと、
なぎこさんのチャンネルいつも楽しみに聞いています。
次のチャンネルへゲスト出演していただいていたのも聞かせていただきました。
普段の一人喋りとはまた違って会話だからがいつもより元気そうに話していたのが印象的でした。
にこ。
ありがとうございます。
ちょっと前にあの、友人のMr.ノーバイトくんのチャンネルに出演させていただいた時のお話ですね。
また誰かとのトークを楽しみにしています。
質問です。なぎこさんは10代の頃はどんな若者だったんでしょうか?
どんな子供でどんなことに興味があったのか気になります。
そうですね。
先ほどからお話ししているのは割と10、10歳とかぐらいのエピソード。
10歳から14歳ぐらいのエピソードで。
そうですね、パソコンが我が家に来てしまったその小5、6ぐらいの時、
小5、6ぐらいが私のある意味人生を変えてしまったのではないかっていう感じも今振り返ればしますし、
その、まあ当時のパソコンってインターネットに繋がってなかったので、何やってたかっていうと、
まあなんかワープロソフトとかで、なんかよくわかんない文章作ってひたすらプリントして遊んでみるとか、
あとは何だろうな、ワープロの時代とかはドット絵を描ける機能があって、
なんかそれで、キティちゃんのアイコン自分で描いて、それをなんかテープ、テプラみたいなテープに印刷してひたすら自分のなんか目の回りに貼るとかやってましたね、そういえば。
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あとはもう多分、その後インターネットが我が家にやってきたのが多分小6の後半か中1ぐらいだったと思うんですけど、
そっからはもう、兄と取り合いでずっとインターネットやってましたね。 ホームページ作り。
で、その頃からウェブサイト作って、公開して、掲示板とかチャットとかに人が集まってきて、
そこでコミュニケーション取るみたいなことを中2ぐらいによくやってましたね。
なんか私は、中学生ぐらいの時にすっごいラルクが好きで、
作ってたウェブサイトもラルクアンシエルのファンサイトだったんですけど、
当時は結構、その界隈ではそこそこ有名だったサイトで、
そこに結構、集まってきてくれた人たちとは、実は今も飲みに行ったりするぐらい、普通に友達として仲良くしてたり。
当時って、やっぱりインターネットがあるっていうご家庭自体がそこまで多くなかったので、
なんかこう、その同世代の子に会うだけで結構こう、メンタル構造が同じというか、
結構なんかこう、学校で会うよ友達とかよりは、なんか話が合うなぁみたいな部分もあって、
結構インターネットに実は生きてましたね。
とはいえ、あの
ファッションというかオシャレするのも好きで、
なんか頑張ってましたね。毎日同じ髪型をしないで学校に行くみたいなチャレンジをなんかやってましたね。
とんでもな髪型だったと思いますけど、今考えると。
そうですね、そんなんでド派手だったので、まあ原宿とか遊びに行ってたら、
まあなんかそういう雑誌のスナップとかに声かけていただくようになったりとか、
今で言うそのサロンモデルみたいな撮影の美容院の撮影のモデルとかをやるようになって、
高校生の時は結構ずっともう学校行って撮影行ってっていうのを繰り返す日々でしたね。
ただ夜はもうひたすらインターネットやってましたけどね。
なんか二面性ですよね。
で結構、
まあなんか表に出ると出る杭は打たれるみたいなことっていつの時代でもあるので、
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当時もなんかこう、2chとかにあることないこといろいろ書かれたりとかしてたのもあって、
なんか結構そういうところで、
なんかあんまり知らない人にああだこうだ言われても、すごくあの傷はつく、心に傷はつくんだけど、
なんか、まあなんか言ってるなーぐらいで、すごく遠くから自分を自分で見てるみたいな
あのマインドを身についたのはそういうことのおかげかなっていう感じもしつつ、
まあ10代の頃でも10倍ぐらい暗かったですね、今より一言言えるのは。
もう人見知りがひどすぎて誰とも喋れないし誰のことも信じていないから本当に相性がないし最悪な感じだったと思います。
もう撮影とかすごい辛くて、キラキラしてる人たちがいっぱいいて辛いみたいなふうに思ってましたね。
まあもちろん仲良い子たちも何人かいて、今もあのキューティーとかって言ってた時の宮島さくらとかはすごい仲良くてちょくちょく遊びに行ったりカラオケ行ったりしてますけど、
なんか暗かったですね、とにかく。何だったんだろうかっていうぐらい暗かったです。
と、なんか尖ったナイフみたいなことを言われましたね。なんか誰だったかな、友達に。尖った、尖ったナイフだったかな。
なんか近づくと傷つけられる、なんか切りつけられそうなぐらいこう、うん、だったって言われた覚えもありますし。
まあそんな頃があるから今がある感じですね、はい。
あとそうだ、なんか、興味、どんなことに興味があったのか。
高校生、そうだな、まあ相変わらずずっと
インターネット人が好きだみたいなウェブサイト作ってみたいなことはやってた気がするし、
あとは結構、高校生の後半、17歳とかぐらいの時は、なんかあのタワーレコードの一番上の階とかに
あの洋書とか、ちょっとマニアックな音楽のCDが並んでるフロアがあって、そこにすごい行ってましたね。
まあ洋書のコーナーとかは、それこそ海外のファッション誌見るとか、写真集見るとか、
あとは結構コンテンポラリーミュージックというか、真ん中、
そうですね、電子音がピーピーピーピー言ってるのとかを聞いて、えつに入ってる時代がありましたね。
まあでもそういう、ね、10代ってそういうのありがちだと思うんですけど、
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なんかそういうことを聞いている自分がかっこいいみたいな時代もあったなぁって、今思い出しました。
そんな感じで、何も脈々なくお話ししてしまいましたが、
そうですね、インターネットとファッションが同時進行で一緒に走ってるっていうのは、今も昔も変わらない部分かなと思います。
はい、ちょっと長くなっちゃいましたが、今日はこのくらいで、また次回お会いしましょう。
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