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2020-10-09 24:01

ながらcast086 あなた、靴脱ぎっぱなし派?揃えて脱ぐ派?

「脚下照顧」という言葉に出会って、ちょっと前から「揃えて脱ぐ」ようになりました。自宅と職場で靴を揃える毎日です。
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この番組は、温暖な地方都市、静岡に住む私、50代後半のsasayukiが、日常のことを話したり、考えたり、コツしたり、考えたり、あるいは仕事で出会ったことを台本なしでざっくばらんに喋る番組です。
今日もよろしくお願いします。
今日は雨ですね。台風14号が来ているということで、これからだんだん雨、風が強くなるということです。
今日はですね、この世界を真っ二つに分けている大問題の一つですね。
靴を揃えて脱ぐのか、揃えないのか、という2つの勢力のことについてお話ししたいと思います。
私はですね、金がね、持っているんですけど、人には大きく分けて2種類あると思うんですね。
一つは、靴やスリッパを揃えて脱ぐ人たち、もう一つは、そうでない人たちがいると思います。
その揃えて脱ぐ人は、さらに2つに分けられるんですが、それはですね、自分は揃えて脱ぐけど、他の人はほっとくという人と、自分も揃えて脱ぐけど、他の人の分も揃えちゃうというタイプですね。
ちょっと話をシンプルにするために、揃えないのがA、自分だけは揃えるのがB、自分も他の人も揃えるのはCとしましょうか。
ちょっとつまらないですね、このネーミング。まあいいや。
でですね、どうでもいい話でお付き合いいただきたいんですけども、もともと人はAじゃないかなと思うんですけども、例えば親のしつけとかで、自分の分はちゃんと揃えるとBになる。
で、これがですね、年をとってくるにしたがって、やっぱり全体が整ってないと気持ち悪いということで、Cになっていくんじゃないかなと、なんかすごいシンプルに言っちゃいますけども、少なくとも僕がそうだったという話ですね。
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私は今はCなんですよ。で、実際は今どういう状況かというと、自分の家の場合は、お恥ずかしい話なんですが、僕も夜帰ってきたときは、もうそのままぬじギチラしたまま、もう家に入っちゃうんですね。
まあなんだろう、ちょっと例えば、昨日は、昨日は雨降ってたんで、妻が自分の使った傘を玄関の靴を脱ぐ場所に、傘を広げたまま置いといて乾かしてるんですね。
だから、狭い玄関がほぼそれで埋まっちゃってるので、そこでなんかあれこれ、動けないっていうのがあるもんですから、もうそのまま脱いで入って、まあよしという感じですね。
で、まあそういうのがなければ、自分だけは縫い揃えて、Bという形でね、家に入るんですけども、大抵は翌朝、私が朝、家庭菜園の野菜に水をやったり、あと収穫したり、あと長寒を取りに行ったりするので、
一回玄関から出るのでね、その時にまあ大体揃えますね。
なので今、家に行ってですね、揃える派は私一人、他の家族は基本脱ぎっぱなし、これだと妻が怒るかな。
妻は揃えたりもしますが、僕もかなり毎朝揃えたりする感じですかね。
まあ自分の家に関しては、子供の質系はね、やっぱり難しかったなぁとは思いますね。
これはまた回を改めてお話ししたいと思うんですけども、なかなか揃えて脱ぐことができないっていうのはちょっと残念ですね。
とはいえ、僕自身も結局は揃えてきたかというとそうでもなくて、この年50代後半だから50歳を超えてからかな、こうやって揃えるようになったのは、
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なんかめちゃくちゃ大器晩成なのか、遅咲きなのかわかりませんけども、
まあ、なんだろう、そうやってちょっときちっとしておく方が気持ちがいいかなっていうことでやってるだけなんですけどね。
それがまあ我が家の現状で、
職場ですね、次は。
職場はね、店舗なんですけども、そっちはね、一応お客さんは靴で入ってくる、毛の短いカーペット、毛が短いというよりはいわゆるカーペットですよね、が敷いてあって、
僕たちは自分の靴は下駄箱に入れて、店の中用のスリッパ系ですよね。
スリッパ、あ、違う、サンダルか。
パッて脱いだり履いたりできるようにしてて、
で、バックヤード、オフィス側というか、仕事をするパソコンとか置いてある側は一段上がってるんですね。
そっちはスリッパで、店に出るときはサンダルを履いて店に出るっていうやり方をしてます。
で、そのサンダルを脱ぐ場所があって、レジから実は見えちゃう場所なんですよね。
ここがね、昔はかなりごちゃごちゃで、お子さんにね、ここは汚いねなんて無邪気なお子さんが言ったりして、恥ずかしい思いをしたこともあるんですけども、
もう一つ、僕の戦場というと、別に戦っているわけじゃないんですけども、活動をしているのはそこですよ。
で、どうだろう、サンダルが7足ぐらいがあるかな。
だから7人とかのサンダルがあるんですけども、狭いスペースなので、みんな揃えて脱がないので、基本的にはみんな反対側を向いて、しかもぐちゃぐちゃに脱いであるっていう状況なんですけども、
ちっちゃい子供に指摘されたのが、僕の中ではちょっときっかけになって揃えるようにしてます。
で、自分も揃えて脱ぐんだけど、他の人も気がついたら、自分が上がる時に揃えるようにしてます。
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で、そのことに対して、何の感情も実はなくて、何で揃えてくれないんだよ、みたいな思いはほとんどないですね。
ただ、そこが乱れているから直すっていうだけなので、逆に精神的には楽ですね。
そこでね、いちいち腹を立てたり、むかむかしたり、もやもやしてたら、なんか余計疲れちゃうと思うんですよね。
なので、ただ揃えるっていうのを、1日4,5回やってるかな、そういうところ上がるときにね、ほぼ必ずやるようにしてるので、
やっぱりそれをやると、自分的には気持ちがいいっていうのはあるので、それがやる理由というか、原動力になっているように思います。
なので、僕の主な活動、活動と名付けるならですけどもね、活動は店のサンダル脱ぎ場と自宅の玄関、この2カ所で活動を続けてます。
まあ、そんなわけでですね、靴を揃える派と揃えない派の血で血を争う戦いかと思いきや、全然そうでもないという現状なんですが、
えーとですね、ちょっとこの間なんかポッドキャストを聞いてて、結構若い人たちが3人くらいで話してたのかな、そのときに、例えばトイレの扉を閉めるかどうかみたいな話をしてたときに、
閉めないのが普通って感じだったんですよ。で、僕は若干ジェネレーションギャップを感じたわけなんですけども、彼らの論理で言うと、閉めなくても誰も困らない、そういうことに尽きるみたいですね。
で、その、あ、今から乗る電車が行ってしまった。いや確かにそれはそれで、論としては成り立ちますよね。
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どうせまた開けるんだし、いちいち閉める必要なんてないっていう立場ですね。まあだから靴も別に、どうせまた履くんだからっていうことですよね。
じゃあまあどうせまた着るんだからって言って、洗濯物も畳まずにその辺に作れとけばいいし、どうせまた何かするんだからって言って、あらゆるものがこう、何だろう、エントロピーがひたすら増大していくんじゃないかなとも思うんですけどね。
で、僕もそれを聞いてやっぱり考えましたね。なんで私はこうやって片付けるのかなと、靴を揃えるのかな、あるいはトイレの扉を閉めるのか。
これね、答えなかなか難しいんですよね。
その秩序だっていることを良しとするかどうかっていうのは価値観の違いだと言ってしまえるような気もします。
それはあなたの価値観であって、私はそうは思わないから出しっぱなしにしておくんだっていうことがまあ成り立つような気もするんですね。
これはね、僕もまだ未だに結論が出ないというか、明快にこうだとは言えないです。
だから、子供に言う時も、そうしてもらうと俺が気持ちいいから、あるいはすぐ使えるから。
ここのスペースは公共の場所だから、ここには置かないでくれっていうような話は一応できますよね。
あとは、もし話をするとしたら、逆にですね、実はうちの子供もトイレの扉がいつもちょっと開いたままになっているんですよ。
で、俺に言わせると、なんでそのひと手間を省くんだと言いたいわけですね。
ちょっと力を入れてカチャって閉めればいいのに、数センチ常に開いているっていうのが不思議なんですよ。
そこに何があるんでしょうね、その差が。
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これは俺にもよくわからない。
その手間が惜しいのか。
ただ、もしそういう考えの人と論戦したら、勝てる自信はないんですけどね。
ただ逆に本当に聞きたいのは、なぜそれをしないのかっていうところですね。
することによって、要は家の中が秩序だってくることによって、空間として快適になるっていう基本的な考え方ですよね。
家の中が片付いている方がいいとかですね。
結局はどういうふうに生活したいか、どういうふうに生きたいかっていう、本当に価値観の問題なので、そこはどうでもいいって考えるのであれば、本当に好きにやってくださいね。
ただ、私が心配しているのは、世代から世代へ、親から子へ引き継がれていくものがある一方で、失われていくものがある一方で、どういうふうに生きていくのかっていうところが、本当に心配です。
例えばそういう生活習慣、生活態度において、自分の親はそれなりにうるさく、私や兄弟に言ってきたわけですけども、それを全部やれているわけじゃなくて、
やっぱり言われたけどやれなかったっていうことがそこそこあるんですよ。
となると、親にできて自分にできないことがあるんですね。
で、それと同じ現象が自分とこの自分の子供の間にも起きていくんですね。
そこでまた何か抜け落ちていく。
まあ、仕事みたいにマニュアルがあるわけじゃないので、その価値観とか生活の仕方みたいなものが、もちろん100%いくわけじゃないのは当たり前だし、
僕も多分そうやって生きてきたんだなと思うので、それはそれでいいと思うんですが、今言ったような、
たぶん靴を揃えるとか、戸をちゃんと閉めるとかっていった部分がね、
やっぱり自分の人生の中で一番大事なことは、
自分の人生の中で一番大事なことは、
自分の人生の中で一番大事なことは、
今言ったような、たぶん靴を揃えるとか、
たぶん戸をちゃんと閉めるとかっていった部分がね、
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仮に抜け落ちていくと、その次の世代はどうなるんだろうという心配はあります。
ただ、そうなった時に、うちの子供が自分の子供を持った時に変化はあるのかもしれないですね。
それはあるでしょう。
それがどこに出るかはまた別の話なんですけれども、
それは間違いなくあるでしょうね。
僕もさっき言ったように、50歳過ぎてからそういう風になってきた部分もあるわけで、
年をとってからでも変われるっていうのは希望ですよね。
いいことだなとは思いますのでね。
そんなことで、今何を話したんだっけ。
揃えない派対揃える派の戦いとは、
戦いというレベルではないんですけどね。
粛々と揃えるというやり方で、これからもやっていきたいと思っています。
最後のセクションですね。
今帰りの電車を降りて駅から出たところですけど、ちょっと風が強くなってきましたね。
台風が近づいているんだと思います。
今日もしょうもないことをだらだら話してしまいましたが、
ただ一つ言えるなと思うのは、きちんとしている方が得なことが多いということは言えるかなと思います。
ちゃんとしなければいけない場とか、きちんとしなければいけないシチュエーションっていうのが人生にはあると思うんですけど、
そういう時にね、普段からそういうのが身についている人っていうのは、それがそのまま出すだけなので、
結構ハードルは低いんですけど、
エントロピーの高い系の生活をしている人は、そういう時に無理して頑張って取り繕うのかもしれないんですけど、
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でも、つけ焼き刃って剥がれちゃうんですからね、分かっちゃうかなとは思います。
だから、ある種の処制術とも言えるかもしれないですね。
そういう態度を身につけておくと、何かと楽だし得だよっていうことでしょうかね。
例えば、誰かと一緒に暮らすようになった時も、相手がそういうことを気にするような人だと、相手にはストレスを与える可能性はありますよね。
まあ、それも気にしない人なら全くいいんですけどね。
でも結局、俺の中でもまだわだかまりがあるのかな。
そういうだらしないものを誰かが回収しているというか、その部分を引き受けているところはありますよね。
まあ、トイレの扉を閉めるぐらいは別にいいんですけども、それ以外の部分でね、
洗濯物の出し方とか、食べた後の食器の処理とか、いろんな部分で他の人間が尻を拭っているということは考えられるので、
自立した一人の大人として生きていくという風に考えた場合は、そういった処理がそんなに苦労なくできるという方が望ましいのかなとも思いますけどね。
まあ、でもこれは結論が出ないような話ですね。毎度のことながら。
はい、すみません。だらだら喋りすぎました。
今日はこんなところにしたいと思います。
今日も最後まで聞いていただきましてありがとうございました。
ではまた!
Auf Wiedersehen!
Tschüss!
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