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2020-02-08 30:09

ながらcast031 電車で席をゆずるのは難しい

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今回は、「何となく思ったことを話してみた」系の日常ネタです。
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はい、ながらcastです。
今日は、今朝テレビでやっていた、電車の中で席を譲りますプレートというのが紹介されていたので、
電車の中での席を譲る問題について考えたいと思います。
テレビでやっていたのは、妊婦さんの席を譲ってくださいという意思表示のプレートみたいなものがすでにあるようなんですけれども、
逆に席を譲りますという意思表示をする、ちょっとした小さな、ぶら下げるようなものができたという話が紹介されていたんですね。
考えた、作った人は男の人で、奥さんが妊娠していて、そういうものがあった方がいいなと思って作ってみたところ、反響があったというような紹介でした。
電車の中で席を譲るというのは、かなり難しいというかデリケートな問題で、譲りたくない人は基本いないと思うんですよね。
これは譲った方がいいなという人から、例えば譲ってくださいと直接言われればどうぞという形になるのがほとんどのケースで、
その譲ってくださいと言われた方が、やはり体調の問題とか、いろんな問題でちょっと私も立てないのでごめんなさいということもあるとはもちろん思うんですけどね。
それでもそういうふうにお願いされればどうぞということになるのはほとんどのケースで考えられるんですね。
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いくつか問題を切り分けなきゃいけないと思うんですけども、
まず最初にその人を譲った方がいいかどうか判断しかねるという問題がありますよね。
妊婦さんに関して言うと、その人が妊婦さんなのか、妊婦さんじゃなくて、実はちょっとぽっちゃりした人だった。
というケースも想定されるので、そういった場合は失礼にあたるんじゃないかと思うわけですよね。
例えばこれがご高齢の方だった場合は、見た感じでわかるので、僕は今回その妊婦さんだけに限らず話をしたいなとは思っています。
高齢の方で明らかに立っているのが大変そうだな、しんどそうだなという方も乗ってみえるわけですからね。
見た感じで判断するということに対しての、さっき申し上げたようなリスクがあるわけで、
譲りましょうかという声をかけたときに、何が起こるかわからない。
私はそうじゃないんですとか、極端な話。
高齢者の人でも、いいえいいえ、結構ですと言われる可能性もあるんですよね。
そうするとせっかく勇気を振り絞って声をかけたとしても、
ただただ恥をかくだけになってしまう。
特に高齢者の方の場合は、そういうケースが時々実際に見かけますね。
僕なんかは、そこは逆に譲ってもらったんだから、座ってほしいなって思いますけどね。
たとえその人が、いや俺はまだ元気だから、そんな譲られるって欲しくないっていう自負があったとしても、
その譲ってくれた人のことを思いやって、おもんばかってほしいなとは思います。
そんなことを偉そうに言ったんですが、実は僕自身も苦い思い出があります。
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もう5年以上前ですとね、電車に乗っていて、小学生の集団がワーって乗ってきたんですね。
乗ってきた途中からかな。
よくあるんですよね、遠足やら社会見学やらよくわからないんですけども、
先生がついてて子供たちがワーって、一車両丸々乗っちゃうぐらいの数で乗ってくることが。
そういう小学生たちがワーっていたときに、僕に席を譲ってくれた子がいたんですよ。
そのときに私ね、譲ってもらえばよかったのに、いいよって断っちゃったことがあったんですね。
で、別に不機嫌に言ったわけでもなく、ありがとうっていう感じで言ったんですが、
後から結構自分なりに後悔して、せっかくその子も勇気を出して、
勇気を出したかどうかわからないんですけども、明るく言ってくれたような気がするんですけども、
そういう子に対して断っちゃったっていうのは、これは良くないな。
譲ったり譲られたりするっていう行為自体が、僕は日常的にあってほしいと思っているんですね。
そういうやりとりが普段あっていいんじゃないかと思う側の人間なので、
そういう人間がせっかくの子どもにもそういうことを体験するチャンスを与えたいと思うんですね。
そういう体験をして大きくなってほしいって思っているわけなので、
そういうせっかくのチャンスを不意にしちゃったっていうのは悪かったなって思います。
なのでそれから後はですね、その当時僕は50歳前後だったし、全然元気だったし、
普段立っていることも多いぐらいだったので、自分はどちらかというと譲られるんじゃなくて譲る側の立場でいたので、
ちょっと念喰らったというか戸惑ったっていうところもあって、
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そういう愛よった、譲らなくても大丈夫っていう感じになっちゃったと思うんですけどね。
でもまあ、小学生から見ればね、おじさんだったりおじいさんに近いふうに見えたのかもしれないんでね、
その譲ってくれた子には悪かったなと今でも思っています。
そういうことがあったら今度は必ず譲られようと心に決めているわけですね。
それはちょっと話がずれちゃいましたね。
譲る側の方としてその人に譲っていいかどうかっていう問題が一つ。
その判断をどうするかっていう問題がまずありました。
2番目に今言った譲られた側のリアクションの問題があって、
まあ先ほど言ったように、譲ったけど座ってもらえないっていうパターンがあったり、
下手すると怒られたり、そんなことは滅多にないと思いますけどね。
まあそういったことも考えられるので、その子が予測できない、
つまり相手は譲ってくださいとは言ってないわけですよね。
他によくあるパターンはね、次でおりますからって言って断られちゃうこともあります。
そういった時に罰の悪い思いをしたり恥ずかしい思いをしたりということもあって、
それも一つ問題になりますよね。
さらに言うとですね、譲って譲られてが成功した場合、その後がですね、
若干恥ずかしいっていうモードに入ります。
相手の方は感謝しながら席変わって座られるんですけども、
こちらは立つわけですよね。
その場に近くにいるとちょっと気まずくなるので、
離れた場所にちょっと歩いていって立っているという形になるんですが、
なんとなく意識しちゃうんですよね。
人から見られているんじゃないかとか、
譲った方がこっち見てたらどうしようとかね。
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結構そういう気持ちになっちゃうので、
譲った後の過ごし方がちょっと難しいというのはありますね。
さらに4つ目、自分が先に降りるか、あるいは譲った座っていた方が先に降りるか、
2パターンあるんですけども、
座っていた方が降りるときにちょっと愛着していくということはよくあって、
僕も愛着で返せばそれでOKなんですが、
自分が先に降りるときになんていうのかな、結構そこも迷うんですよ。
そのままスーッと気にせず降りていくというパターンと、
譲った方に目を合わせるようなことをして、
軽く愛着して自分が先に降りるというのもあるんですが、
今言った後者はちょっとハードルが高いんですよね。
その方をもう一回見て、こっち見て目が合えばいいけど、
見てなきゃもうそのまま微妙な自分の中で、
ちょっと照れる恥ずかしい感じになっちゃいます。
その辺の譲った方との距離感が難しいという話です。
降りるときにものすごい感謝されるときもあるんですけど、
そこまで感謝しなくてもいいかなと思うこともあって、
そこもちょっと難しいところですね。
さらにもう一つ5番目になりますけども、
僕の性格もあるんですけど、譲りが成功した、変な話ですけど、
譲って上手に上手く座ってもらえたとした場合に、
他の人への嫌味な感じになっても嫌だなというのもあるんですよね。
そこを変に気を使っちゃうというのもあるんですけども、
自分だけいい子を演じているような気になっちゃうと、
そこで逆に他のお客さんに気を使うというのも若干あるんですよね。
それも嫌なんですよね。
そういったいろんな精神的な葛藤を乗り越えて、
初めて譲りが成功して、普通でいられて、
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最終的にまた譲った人が降りたときにまたそこに自分が座るみたいな、
そこでやっとはーって一息つくという、
心の中ですごいいろんな葛藤が起こるというのが、
咳を譲るということに付随して起こってくるんですね。
そんな難しい電車の中での咳譲りなんですが、
個人的に僕がどうしているか、私がどうしているかという話をしますと、
基本は疲れているとき以外は立ってしまうという選択肢もあります。
最近疲れているもので座ることが多いんですけれども、
立っていると譲るかどうかという選択をしなくてもいいという、
結構楽なポジションに立てるので、
立つというのがまず第一ですね。
座るときはですね、
優先席に座るということはまずこれもしないですね。
普通の座席に座ります。
普通の座席に座っている場合、もしくは優先席でも基本は同じなんですけれども、
疲れちゃっているときはもうほんと寝ちゃう感じになるんですが、
疲れちゃえるけどそれほどでもない、
つまり席譲れるようなときはですね、
スマホを触ったり本を読んだりしていることが多いんですけれども、
駅に着いて自分の周りの出入口から
人が入ってきたときに、いちいち見ることはないんですけれども、
気配はちょっと感じています。
ご老人が持ってきたりしたときはちょっと注意しています。
例えば離れた場所に席を見つけたりされれば何もしないんですけれども、
ちょっと探して諦めて立つような場合があれば、
そのタイミングを見計らってどうぞと言って立ちます。
そこで気をつけているのは早くやるということですね。
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その状況になった瞬間というか、
なってすぐですね、ご高齢の方が立とうというふうになった直後かなる前ぐらいですね。
僕自身もさっき言ったような難しい状態になるのが嫌なので、
行動した方がむしろ楽なんですよ。
なので、えいやでパッと立ってどうぞと言います。
あちらさんが何と言うかにもよるんですけれども、
素直にありがとうと言って座ってくれればもちろんOKですし、
いいんですと言われても、僕もすぐ降りるんでとか、
あるいは私も立ってた方がいいんでとか適当なことを言って、
そこの適当なことを言うのがちょっと難しいんですけれども、
本当にすぐ降りるんだったらもうそうやって言いますね。
あと二駅とか、もうちょっとしたら降りますんでって言っちゃうのはいいと思いますし、
立ってた方がいいっていうニュアンスを言う時もあります。
立った後ですね、僕としては近くにやっぱりいるのはちょっと気まずいので、
離れた場所に行くことの方が多いですね。
お互いに分かりづらいぐらいの、
例えば隣の車両に行っちゃうっていうのもありですし、
僕が乗っている電車は2両編成の短い車両なんで、
隣に行って一番端っこの先頭とか一番後ろの広いエリアに行っちゃうことも多いですからね。
ただ人がいっぱいいるとその移動がしづらいんで、
わりと近くの出入口のとこに立っちゃうこともよくあります。
でもそれで、あんまりそのことは意味を返しないフリをして、
通常の自分がやっているような電車の中でのことで時間を過ごして、
降りる時、自分が先に降りることが多いんですよね、僕の場合。
終点の1個前とか2個前とかで降りることが多いんで、
そうするとね、こちらさんは終点まで乗っているって言うと先に降りるんですけども、
何も見ずにスーッて行く場合と、
ちょっとひとつ何かえしゃくして降りる場合もありますが、
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それは何だろう、譲られた時ですね、その瞬間の雰囲気で何となく判断することが多いですかね。
結構その場その場の雰囲気ですよね。
もう一個ですね、自分がすでに立っていて譲れない状態になっている時に、
そういう高齢者の方が立っている時は結構なストレスで、
誰も譲らないという状況なので、
ただ今はだいぶ慣れたというか、何とも思わないようにはしてますね。
それぞれみんな事情があるでしょうからね。
わざわざ座っている人に譲ってあげなさいよなんてことは決して言えないので、
その場をただ受け入れるしかないとは思います。
それでまたね、いちいち腹立てていると精神的にも疲れちゃうので、
そのままスルーですかね。
でも仮に自分がそこで座っている立場だとしたら、ものすごい嫌ですね。
譲ろうか譲らないか的な感じで悩んでたりしたら、
ちょっと精神的に耐えられないですね。
そうやって考えると、僕が高齢者の方に席を譲る理由は、
自分のためっていうのもすごくありますね。
精神的に葛藤するとかっていうのが嫌なので、
もうさっさと譲って楽になった方がいい。
立ってたって別に大したことないんでね、僕にとっては。
もちろん多少は座りたい気持ちもあるんですけども、
座れなくて立つっていうのは当たり前なので、
そうやって考えればね、そこで席にしがみつくよりは、
譲っちゃって生成したいっていう感じになります。
子供って自分の息子たちにもそうやって言ってはいるんですけど、
彼らが実践しているかどうかはちょっと謎ですけどね。
つまり席に座っているときに、
自分のおばあちゃん、自分のおじいちゃん、ばあちゃんが
乗ってきたときにどうするっていうようなことですよね。
実際に電車に乗ってくる人は自分の祖父母ではないわけだけど、
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そうやって考えたときに自然に譲ってあげるんじゃないの?
っていうようなことは言いますが、
さっき言ったようにいろんな席を譲るに関しては、
いろんなハードル、障害があるので、やれるかどうか。
だからやれなかったとしても、しょうがないなとは思います。
翌日になっちゃってるんですけどね、
テレビで放映してたときに面白かったのは、
席譲りますっていうプレートも別に悪くはないんですけども、
どこかの鉄道会社が開発中のアプリがあって、
それは面白いなって思いましたね。
そこの鉄道会社は限定だと思うんですけども、
電車の中でそのアプリで席譲ってほしいっていう意思表示をするらしいんですよ。
席を譲りたい人がそれに答える形で何かをすると、
その席の場所が相手方に表示されるみたいで、
例えば左側とかの列の3番目の人が席を譲ってくれるっていうのは分かるので、
その時点で当事者同士がアイコンタクトするみたいな感じで、
無事に席が譲れるっていう仕組みを作って開発中だったのかならしいんですよ。
これはいいなって思いましたね。
他の周りの人から見たときにどうなのか分からないんですけども、
この人は譲ってほしいのかっていう最初の疑問がまずクリアになるし、
譲ってほしい人に譲る、譲りたい人は譲るっていう本当に自然な関係がそこでできるので、
さっき言ったようなリスクというか心配事みたいなものもないですね。
なのでぜひこれは僕が利用している静岡鉄道さんにも導入してもらいたいですね。
そこの鉄道会社が導入して販売みたいな感じになれば、
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他の鉄道会社さんにも広がる可能性があるので、静鉄さんにはぜひ頑張ってほしいです。
エンディングです。
今日は電車の中での席を譲るっていう話でした。
実はちょっと前、優先席側に私座ってたことがあって、そこそこ立っている人もいたんですけども、
そこにやっぱりご高齢の方が乗ってらしたんですね。
割と僕はすかさず立って席を譲ろうとしたら、
向かい側の優先席に座ってた男性も、同じタイミングでどうぞって言って、
シンクロのように2人同時に立ち上がったことがありました。
僕も割と早めに動いたつもりだったので、
同じタイミングで来るとはお主やるなって感じで、
ちょっと驚いたと同時にちょっと嬉しい、
どうしですよね、気持ちになりました。
その時は結局、向こうの方の方が席を譲る形になって、
そちらにご高齢の方は座られて、
自分は結局また席に戻っちゃって、
ちょっと若干恥ずかしい思いもしたんですけども、
それはそれで悪くないんですよね、この雰囲気は。
そんなことで、皆さんやれと言っているわけでは決してないので、
そこはご勘違いされないようにお願いします。
僕自身のストレスを減らすための処生術の一つなんですけどね。
でもそういう方が1人でも2人でも列車の中にいれば、
ずいぶん列車の中も高齢者にとって優しくなるんじゃないかなとは思います。
ちょっと説教臭くなっちゃってすいません。
じゃあ今日はここまでです。
最後までご視聴いただきありがとうございました。
また会いましょう。
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さようなら。
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