My life. My way. 自分を大切に暮らす、Kazuです。
Mayaです。こんにちは。
はい。どんどん青いようになってきたんじゃない?
はい。さすが。何回かやってると。
今回は、第5回。
5回。はい。
5回。
いよいよ5回。
ほんとだよね。
5回まで、5回までいけるのかなって。
だって、いけないポッドキャストの人たち多いって聞くけど。
そうだね。よかったですね。そこを乗り越えた。
乗り越えたというか。
はい。
というわけで、最初から言うと、第1回が自己紹介をして、第2回が番組を始めたきっかけ。
はい。
で、第3回から子育ての総括ということで、最初長男編、次男編をしました。
今回は、3兄弟最後の産男編ということで、産男について話そうかと思ってます。
ラスボス。
産男についてちょっと違うのが、まだ大学生というところで、
長男、次男は社会人になったので、ちょっと手が離れてるかなと思っていますけれども、
今、現役の大学、美大に通っています。
なぜか美大。
東京の美大に通っているので、大学生で子育て中ですと。
そうですね。
長男、次男と違うところはそういうところかな。
最初は、次男と産男一緒に住んでもらってたんですけど、1年だけ。
そうだね。
ちょっと産男の大学が、次男の下宿からは遠いということで、
次男は東京都の23区内、文京区に住んでたけども、そこからだとちょっと遠いよということで、
一人暮らしをしたんよね。去年の終わりぐらいからかな。
東京都の西の方になりますかね。
今住んでますというところで、
ちょっと思い起こすと、やっぱりなるべくしてなったというか、
めちゃくちゃ小っちゃい時から絵はすごい好きだったよね、彼はね。
そうですね。それは感じてました。
空中に絵を描く?
そう、指でね。何か描いてるような素振りとか、
あとはご飯食べてても、テーブルに何か絵描いてるとかですね。
まあそういうのもあって、
絵が好きなんやろうなーって。
スケッチブックはだからもうめちゃくちゃ買ったよな。
あれ全部置いてたら、
置いてると思う?何回も言うけど。
何回も言う?
でも何か捨ててなかったっけ?ないか?
まあまあ、それはあるかもしれないか。
それがまたさ、落書き帳とかは気に食わないような感じやったんよね。
なんかそれは本人に言うと、そんなことないと言うかもしれないけど。
紙がちょっと薄いとか?落書き帳が。
落書き帳の、それこそ100円とかで売ってるようなさ、
いくらでもあるねんけども、贅沢に要は、
そうそう、画材屋さんでスケッチブックを買ってきて、
で、買い与えてたとね。
で、またピカソバリのさ、
もう2、3秒でささっと描いて終わりみたいな使い方やったから、
もったいなかったけども、
まあ彼の作品というか、小っちゃい時に。
そうですね。
いっぱい買ったよね。
まああのね、たくさん入った色鉛筆とか、
色のいっぱい入ったクレヨンとかね、クーピーとかね、
私が自身がその、画材屋さんでその色がブワーって並んでるのを見るのがすごい好きで、
はい、なので、
さんなんとか、ゆださん兄弟にそういうのを与えたい方だったので。
なんかクーピーペンセルとか昔な、あれ憧れたわ、そのめちゃくちゃいっぱい。
いっぱいあるやつね。
そういう色鉛筆もね。
あったよね。
ありましたね。
うんうんうん、そうか。
ね、スケッチブック。
で、その後、絵画教室、小っちゃい時は、まだあの、幼稚園の時か。
はいはい。
絵画教室とか。
そうですね。
お習字も習ってたもんな。
せっかくやからまあその描く経験というか、描く時間を、絵描く時間をたくさん持ってほしいなと思っていたので、
幼稚園のその課外教室じゃないですけど、
あの、幼稚園のカリキュラムが終わってから、あとちょっと残って、
あの、ちょっと別の絵の専門の先生に教えて。
あ、そうだね。
幼稚園がだからあれだったよね。
ま、院長先生が、そんな感じでその、芸術が好きなというか。
そうですね、どっちかというとね、ほんまにあの、どっちか。
あの、院長先生は音楽の方に、こう造形が深いというか、の方やったんですけど。
なんか、だからイベントとかでな、なんかあの、本当のというか、オーケストラ。
生のオーケストラね。
来てもらって、生演奏、コンサートというか。
ありましたね。
ホールでな、やってもらったりとか。
はい。もうあの、文字覚えるよりも、楽譜の音符読めるようになってほしいみたいなことを言う先生やったんで。
そうだね。
だからその、ほんまに幼稚園で文字を勉強するとか、そういうのはほんまにやってなかったですよね。
どっちかというと、楽器を触らして、好きに叩いてごらんみたいなとかをやってはったなと思いますね。
自由やったよね、意外とね。
だから3人さ、同じ幼稚園に行ったけど、3人とも自由陣なところがもしかするとあるなと思うからさ。
あの幼稚園に行ったから、ああいう子になったんかなっていう気がしなくもないけど。
すごいなんか自由に遊ばせてる感じやからさ。
それこそ小学校行ったら、遊んでる子とかがいたらさ、
あの子はあそこの幼稚園の子や。
出身みたいなね、言われて。
椅子に座れないのは、あそこの幼稚園の出身の子みたいなね。
半分冗談で言われてたじゃん。
最初のうちはなんかそんな言われてたような気がしますね。
言われてたよね。
で、絵を習いに行って。
あと習字も行ってたもんね。
習字はですね、そうそう。
3難は左利きだったんですね。
なので字きれいになるのと、ついでに言ったらちょっと右利きに文字だけでもとか思ったりもしたんですけど、
そこはちょっと右利きには強制まではできなかったですけど、
ただ3難は字はすごいきれいになりましたね。
そうだね。うち意外と左利き多いからな。
多いですね。もう変人に言うとあかんのですけど。
左利きでなおかつAB型っていう。
しかもな、AB型な。
あなたがまずそうですね。
そうだね。
俺なんか両利きないよね。
ほんまは左利きないよな。
だから鉛筆とか箸とかは右なんだけど、
ラケットを持つとかは左。
だから父親と始めてるスポーツ、野球とかキャッチボールとかは右なわけよ。
でも変わってるのが、難級は右でなるんだけど、ソフトボール以上大きいボールは左なんでね。
バスケットボールとか。
バスケットボール、ドリブルは左のほうがやりやすい。
ただ初めてやるようなバレーボールとか体育でやるようなとか、
バレーボールはスパイクとかは左で打てない。
右でしか打てない。
不思議な感じ。
どっちかわからん。
ラケット競技は左。
両利きみたいなところがあるんですね。
だからほんまは左なんやけど、
強制されてる分というか、
強制というか、やり始めた時期によるというか。
そうそう。だからちょっとまあまあ左なんかな。
で、前の父親も。
でも、物を描くのは右じゃなかった?
いや、そうなんかもしれないな。
でも左利きですね。
左利きでエビ型。
左利きでエビ型。みんな一緒だね。
で、絵も上手かったんですよね。うちの父は。
美術部やったりとかして。
美術部。
そうそうそうそう。
で、小学校の時に、
何やったっけ。
写生大会みたいなのがあって、写生ね。
絵描いて、近所の絵を描いてみたいな。
で、私も妹も、私妹がいるんですけど、
近所の小学校とか近所のお寺とか描いて、
あ、神社か。出して。
で、父も何かそれに出したらいきなり、
一番いい視聴賞とか、もらってましたね。
あ、そうなの。
もう上手さがちょっと、
私たちはめっちゃ下手なんですけど、
父は視聴賞もあって。
さすが美術部。
そうですね。
美術部部長じゃないの?
そうやろうな。
すごい。
ちなみに言うと、うちの祖父も絵を描く人やったから、
ちょっと遺伝されてる、あるかもね。三男はね。
そうですね。
左利きのAV型っていうところでですね。
そういうとこもあるし。
うちの父と本当に、誕生日もほとんど一緒やし、
で、羊、おひつ、あ、違う違う。
えっと?
羊どし?羊どし。
えっとね。
えっとも一緒なんですよね。
で、顔も似てると。
まあ私の子なんでね。
生まれ変わりって言ったら怒れるな。
生まれる前もまだ生きてるからね。
で、性格もすごい、うちの父もどっちかというと穏やかな人やったんですけど、
三男も超穏やか。
穏やかですね。
意外と、実は違うっていう噂が流れてるけど、
そうですね。
寡黙な感じを漂わしてるよね。
そうですね。
意外と喋るよっていろんな人から聞くけどさ、
ほんま?と思ってまうもんな、親も。
そうですね。小っちゃい時はまあ、よく喋ってた。
よく喋ってたと思う。
だけど、小学校ぐらいからなんかそんなにほんま大人しくて、
大人しい感じがするよね。
優しくて、人の悪口とかも絶対聞いたことがないよね。
悪口は言わないね。いいとこだね。
あとあの、無理とかバカとかアホとか、そういう言葉ほんま聞いたことないよね。
聞いたことない。言わない言わない。
すごいよな。
うん、素晴らしい。
親がこんなんやのに。
いやいや、俺も言わへんよ、そんなの。
ねえ。いやいやいやいやいやいや、そんなことないやろ。
うそうそう、言わへん言わへん、そんなの。悪口言わへん。
いやいやいやいやいやいや。
まあ、ちょっとさんなんはそういう穏やか系な子なんですけど。
そうだね。
あの、まあ、Aをやって、中二をやって、その後、
彼も小学校3年から野球をすることになるんだけど、
そうですね、もうそれはほんまにもう、こんなん言うとあかんのですけど、
まあ長男で私は相当ちょっともう疲れましてですね、野球部の生活に。
さんなんにはもうちょっとやめといてほしいと思って。
でまあその、ねえ、さんなんが2年生の時に今の、こちらの今住んでる家に引っ越してきたんですけど、
そうだね。
まあなんかさんなんやっぱある程度体も大きいし、で男の子でまあここらへん野球すごい盛んなんで、
めちゃめちゃスカウトというか、うちの野球部入りませんかみたいな。
そうやったそうやった。
もうなんか毎日のようにお手紙がポストに入っているみたいな。
いっぱいチームあるからな、野球チームがここは。
もうそれを見て私はもう震え上がるというか、これを見られたら、
あのまたさんなん、また野球かと思って、それはさすがに避けたいと思ってなるべくそれをもうなかったことにしてですね。
でもうあの一切野球部の方とは連絡も取らずですね、その手紙をいただいてももうスルーで来てたんですけど、
まあ結局のところお友達に誘われてですね。
そうだね。
入ったと。
入ったと。
小学校3年の時な。
入ったと。
はい、もうその時はもうでもさすがにね、私もやめといてとはさすがに言わんからまあそれはもう良かったと言って。
前のチームとちょっとでも経路が違ったよな。
そうですね。
なんかこう自主というかさ、監督もお父さんがするチームだったしな。
そうですね、監督もお父さんがするし、一応まあお茶当番っていうのも夏の暑い時だけっていう感じで、
そのお母さんらはもう最低限のでいいですよという感じだったんですけど、
はい、あとは何かそうですね、まあいろいろあの前の野球部よりは全然行事も全然少なくて。
そうやな。
はい、お餅つきとかは新しいんですけど、お餅つきもなんかあの母たちでなんか潰しみたいな、
潰しじゃないけど、もうやめとこっか。
あのお餅のやつどっかから借りてこなあかんし、それも大変やからなんとなくやめとこっかみたいな。
だからまあ長男の時のチームとはやっぱり全然違ったと思った。
長男の時はもう地域の方で監督さんがきちんとおられて、
そうだね。
でコーチの方も割とそのお父さんたちじゃなくてもコーチの方もおられて、
ピッチングコーチとかな、いたもんな。
でもまあ昼帰って産卵のところはお父さんたちがまあ自分たちでやってくださった。
そうだね、専属コーチって感じじゃなかったよね。
あのまああのOBのその卒業生の方のお父さんが一部残ってくださって、
その方が見てくださったりとか、
そういうのはあったけども、その何十年もやってるって感じではないよね。
そうですね、順番にまあ回っていくというか、毎年変わるみたいなところがあったかな。
うんうん、そうだよな。ちょっと違ったよね体制がね。
あとその試合行く時とかも選手を乗っけていくのは、
お父さんたちがもう自分たちで車を出して乗っけて行ってくださってたんですよね。
だからもう母たちはですね、言ったら後から追いかけて母号で応援号みたいな感じで連れて行けばよかった。
まあちょっと今はな、そのそうやって連れて行くというのも問題になってるけど、
あとあのまあお母さんがもしかしたら楽やったなと思うのが、
おにぎりとかさ、コーヒーとかさ、
監督コーチのお昼の用意がさ、産卵の時はなかったからさ。
産卵の時はありました。
産卵の時は誰々さんのおにぎりの具材がどうとかさ、
コーヒーもこの人はホットでこの人はアイスとかさ、
そうそうそう。
いろいろあったじゃん、細かいのが。
そんな、監督コーチはそこまで単に言ってないかもわからんけど、
やりだしてるのはね、母たちがやりだしてるんですよ。
そうやね。
監督コーチが。
こっち側が勝手に言ってるだけかもしれないけども、
勝手にこっちでルール決めちゃってやってたっていうのもあるけど、
まあそういうのはあったよな。
あった。で、試合行く時も監督コーチも母たちが乗せ、
選手も母たちが乗せ、
お父さんたちはなんかどっかかやの外の感じだったんですよね、どっちかというと。
そうだね。
だから車出しも母たち。
もうね、はい。
車出しもせなあかんし、お茶当番の用意もしなあかんし、
監督コーチのお昼も持って行ってみたいなね。
まあね、それが毎週のように今試合があったらですね、
毎週のように誰かが車出して、
で、そんなに車出せる人もね、そんな山ほどいるわけじゃないんで。
出す人が決まってくるんでね。
そうだね。
毎週のように出すと。
俺は3男の小学校の時のチームですごい良かったなと思うのはさ、
おとなしみやったやん。
一応おとなしくないのかもしれないけど、
おとなしみな感じがしてたわけよ。
彼の性格が。
そんなに喋らへんし、
静かな感じやったけども、
彼が左利きということで、
ある日コーチからピッチャー投げてみろと言われて、
で、ピッチャーやり始めたんよね。
で、背も大きいし、
ボールがそんなに体幹も強くないから、
ボールが速いってわけじゃないけども、
左投げで、
で、一応ストライクが入るわけよ。
そのキャッチャーが構えたとこに、
きれいにストライクがいくから、
これは、だって小学校の野球って、
フォアボールガンガン出しまくって自滅して終わるみたいな試合が多い中で、
ストライクが入るからさ、
一応試合になるっていうところで、
重宝されて、
で、ピッチャーをお前やれと。
そうですね。
背番号、なぜか入った時は背番号6っていうさ、
お前左投げでショートやるんかって感じだったけど、
ピッチャーをやれっていうことで、
やらせてもらった。あれが大きかったよな。
そうですね。
すごい自信をつけるようになったというか。
そうですね。
ほんまほんま。
で、結構ね、
小学校の時から割とコツコツと、
角さんも責任を感じてというか、
チームのね、命運を握っているのでやっぱりピッチャーってね、
ピッチャーが進歩できなかったら、
試合にならんっていうのがあるので。
意外とだから、今考えたら彼に申し訳ないところも一部あるけど、
すごい練習を。
そうですね。毎晩毎晩ね。
僕がだから在宅っていうのもあって、
帰ってきたら、
バッティング練習させたり、
ちょうど上手い具合に長男が使ってた、
ケージがあったんよね。
もらったね。
もらったバッティング練習用の。
庭にね。
だからそれ庭に設置してやったりとか、
バッティングもできるし。
バッティングマシーンも買ってね、
ボールが上にポンって上がるやつ。
あれはでもさ、遊びみたらおもちゃみたいなもんや。
でもあれやってたで。
やってたやってた。小っちゃい時はな。
あれやったりとか、
あと庭にマウンド作って、
意外と本気ボードでやってたよ。
で、外でさ、玄関前で素振りとかやって、
みんなに見られながら。
そう、近所の人だから、
毎日素振りしてんなみたいな。
ワンちゃんの散歩とかやってると。
お父さん結構厳しいなみたいな。
で、ちょうど高橋よしのぶかな、
長尺の長い物押し竿みたいなさ、
長い竿で振ってたら、
体幹が鍛えられるよって言ってて、
ちょうど長い竿みたいなのあったから、
それにビニールテープ巻いてさ、
作って、これフレーみたいな。
ほんまに人に当たらんでよかったわ。
そこはちょっと俺が見てるとこしかないよ。
で、それ振らして、意外と体幹鍛えられたなとか。
あと家の周りをさ、何週もさ。
走ってたね。
一応一応一緒に走って。
すごい坂なんですよ、家の周り。
意外とね、なんか。
もうあれはね、心臓破裂の坂くらい。
そう、坂、アップダウンがあるから、家の周り。
あれは意外と練習になって。
で、意外とさ、走ってたら、
チームのコーチに会うわけよ。
夕方とか帰ってくるコーチに。
また、さんなん走ってるなみたいな。
そうですね。
アピールをしながら。
頑張ってますよ、アピールして。
野球部ってね、野球部の練習のときはそれはもう疲労の場なんで。
そこまでにどんだけ実習練習するかっていう世界なのでね。
実習練習はだから意外と頑張ってるで。
そうですね。頑張りましたね。
でも、そのおかげでな、
もう5年ぐらいから、
ピッチャー、エースピッチャー鳴らしてもらってやったよね。
そうだね。
左が1人しかおらんかったっていうのもあるかもしれないけど。
あのピッチャー2枚でな、
合則球の子と、で、うちの左。
そうそう。
で、っていう感じでやってたよね。
そうですね。
だからね、
うちのチームは、なんていうのかな、
ちょっと後続でできたチームというか、
地域の中では、
歴史が浅いよね。
歴史の浅いチームだったので、
そんなにね、連盟にもきちんと入りでないというか、
ちょっと振興チームで集まって作った連盟みたいなところに入ってたので。
なんかな、墨分けみたいなのがあるよね。
そうですね。
野球ってな。
入れてもらえないというかね、古いところにはね。
で、そのチームの中で、
そんなに強いチームっていう感じではなかったけど、
その連盟の中でも。
でもまあね、3男がいたときのチームは強かったですよね。
まとまりがあったよね。
そうそう。
チームワークも。
ちょっとあのキャプテンの子がすごかったね。
ああ、そうですね。
いいキャプテンシーでね。
すごいキャプテンシー。
まあ恵まれましたね。
恵まれた。
はい。
そのキャプテンの子がキャッチャーやからな。
その子とだから。
違うやろ。
あ、ごめん。キャプテンじゃないや。
キャプテンの子はまたキャプテンで。
キャプテンはキャプテンシーや。
で、キャッチャーの子がまたすごい。
キャッチャーの子はすごいんだ。
ああ、そうだ。その子はキャプテンじゃないか。
野球のことをすごいよく知っていたので、
まあだからその子に導かれて、
3男はピッチングしてた感じなんで。
そうだね。
それが良かったよね。リードが素晴らしい。
リードがすごい。
だからもうその子には逆らわずに投げると。
まあその子はまたね、やっぱり大学までずっと野球を続け張って、
すごい成績ね、いい成績残しているような。
そうだね。大学野球でもな、意外とな。
意外と怒れる。
いやいや。
大学野球でもな、すごい名前の。
だってなんか最優秀選手とかとってたんかな。
そうそうそうそう。
なんか、打つ方でも守る方でももうなんか最優秀みたいなね。
すごかったよね。
うんうんうん。
まあ前に恵まれましたね。
そうだね。
で、小学校が、3男もちょっと野球の話になっちゃうけど、
小学校その野球チームで中学になって、中学のまた野球。
そうですね。バッテリーまたその同じ校と組ませていただいて。
そうだね。だから長男の後輩ならな、3男も。
そうですね。
小学校の時はチームがだから、長男は前の小学校の時だから。
そうですね。別のチーム。
別のチーム。
中学校はもう同じ中学校なんで。
同じ中学の同じ野球部だね。
はい。
入って、で。
ずっとピッチャーでね。
そうそうそう。いろんなチームの子が入ってくると。
だから。
そうそうそうそう。
外野球行く子もおるけども、
その2倍看板やった合足球の男の子は外野球行ったからな。
そうですね。
その子とは中学は野球一緒にやってないけど。
はい。
で、ピッチャー続けて。
はい。まあ頑張りましたね。中学時代が一番活躍したというか。
頑張った。もうあれは。
はい。
自習練も頑張ってたから。
そうですね。
で、背も大きくなったし。
うん。で、もう、カズさんの食え食え攻撃と言うかね。
まあ、食え食え食え食え。常にあの、食べろ食べろ食べろ食べろ食べて体を作れる。
食べないんだよね。
まあね。何回かに分けても、帰ってきたらすぐ食べて。
まあ怒られるけどな。
怒られちゃうけど。
まあ、比べてもあれやけど、俺がちっちゃい時はめちゃくちゃ食べてて。
なんでこのご飯、おかわりがない生活ができるの?と思って野球でさ。
ああ、そうやな。
お茶碗いっぱいで終わりやんか。
まあでもおかずがいっぱいあったと思うで。こういうんじゃないけど。
まあでもそれと3人ともおかわりせえへんもんな。
うん。食べ放題みたいな。
おかず。
作り方をしてたから。
唐揚げとかね。
そう思う。
大量に。
ほんまに何キロっていうね。
大量やったもんな。
ハンバーグのミンチ肉2キロとかさ、唐揚げとかも2キロ。
ハンバーグも4個5個食べれるぐらいやったもんな。
そうそう。どんだけずっとご飯を作り続けて、一緒にご飯食べれるなんてなかったですからね。
そうだね。
みんなが食べ終わってから、私がちょこっと食べるみたいな。
でもまあその自習練もやり、ピッチャーもまあ、ストレークが入ったからよかったって感じやな。
球はそこまで早くないかもしれないけど。
コントロールで勝負したからね。
コントロールで勝負ですね。
で、他の子がさ、上手な子いっぱいいたし。
そうそうそう。
で、そのキャプテンシーすごい子が練習メニュー作ってさ。
先生じゃなくて彼が作ってたっていうね。
練習メニュー作ってさ。
すごいですよ。
で、だから視聴期も優勝できたし、視聴期?視聴杯?どっちか優勝できたし、
あと最後の3年の夏も大阪府3位か。
そうですね。
惜しかったけどな、準決勝な。
そうですね。
一転差で負けたな。
一転差。1-0?
1-0やったかな。
1-0か、最後な。
そうですね。
その時、だからそれもそこまでずっとさ、めちゃくちゃ暑い中ほぼほぼバウンドで。
ほぼ全部投げましたね。
めっちゃ暑かったやん。
そうですね。
もう最後のあれ夏バテ屋で打てなくなった。
そうだね。
でも最後の夏はホームランも打ったしね。
そう、最初の試合の、最初の打席の初球をホームランしたんだよね。
確か。
ちょうどギリギリ打った瞬間についた感じだったよね。
そうそう、遅くなってね。
もうめちゃ虹のような綺麗な。
誰か打ったと思ったら三難やったみたいな。
でもあの光景は忘れません。
忘れられんよね。フェンスオーバーやもんな。
グランドルールのホームランちゃうもんな。
もう高々とフェンスの上を。
あれは大きかったよね。すごかった。すごいホームランやった。
試合終わった後に相手のキャプテン君かピッチャー君か忘れたけど、
三難のとこに来てね、すごかったですって言って、
これからも頑張ってくださいみたいな、
言ってんのを見てですね。
なんかね、ほほーって。
青春だね。
そうだね。
長男が最後の夏野球負けたあの最後のシーンもすごい印象に残ってるけど、
みんな静かに泣いて。
そうですね、めっちゃ泣いてましたね。
声かけられへんかったシーンもあったけど。
ベスト8に行けなかったんですよね、その時は。
16で終わってたんかな、確か。
めっちゃあの時な、強かったから。
優勝するぐらいの思ってたんで。
優勝するぐらいの勢いでやってたけど、いきなりほんとあっけなくな。
そうだね。
負けてしまったから。
あっけなくではなかったけどね、最後まで粘ってたで。
めちゃめちゃ粘って。
そういう意味じゃなくて、決勝まで行くと思ってたけど、
そこまで行かんと、すんなり負けちゃったからさ。
そうですね。
だって2年の空きかなんか優勝したわけだからさ、大阪府。
そうだね。
最後のベスト8以降の試合は、万博でやるんだっけ、万博球場やったんかな。
で、その万博に帰ってこれなかったんだよね。
それがちょっと残念やったな。
万博ってうちの近くの?
そうそうそうそう。
その都市だけなんかな。
どの都市もそうなんかな。最後の方万博でやってないなって。
そうなんかな。
だから3年の時は準決決勝が万博やったけど。
万博やったよ。
まあまあまあ、そうだね。
で、高校入ってからも、小中は長男と同じく難式で、高校からは公式になるんだけども、
で、高校もピッチャーとして行って。
で、高2の時にコロナが始まるんですよね。
そうだね。
だから今から自分らの代になって、頑張っていこうっていう感じの時に。
自分らの代っていうか、まだ自分らの代ではないか。
まあ良いか悪いかすごい天気だよね、彼にとってはコロナが。
そうですね、コロナがね。
部活は休みになり、学校ももう休みになり、家で結構待機みたいな時期があったんですけど、
そこでね、もうこれやったら勉強したらいいやんっていう。
受験勉強したらいいやんって思って。
その前を言うと、産男は、その高校も言ったら産男のその同じ学年で、
ピッチャーが専業、ピッチャーだけっていう子が産男しかおらんかったよな。
だからもう言ったらもう、産年になったら産男がエースピッチャーみたいなもんやったよね、核役。
そうですね。
感じの中で、コロナになったと。
そうですね。
で、コロナになったら、学校休学、ステイホームになり、しかももちろん部活もないと。
家でひたすら過ごしなさいと。
そんなんなかったからね、小学校3年からさ、野球がないっていう生活がないから。
で、
何をするの?っていうときに、勉強せずにやってたのが、
絵を描いてた。
そうそう、絵を描いてたんだよね。自分の部屋にいてな。
勉強してるかなと思ったら、絵を描いてたと。
そうですね。
で、絵を描いて、そこがさ、俺のちっちゃいときと違うのがさ、絵を描いて、ツイッターXに上げてたりして、自分の描いた絵を。
っていうことをやってたんやな。
そんなん全然知らんかったよな、最初。知ってた?
いや、どういうタイミングで知ったか忘れたな。
なんか覚えてないけど、もしかしたらブログ読んだら、描いてんのかもしれないけど。
そしたら、それもさ、今日日の、今日日言ったら俺らが都知んやけど、
いろんな人から、それこそ国内持つより海外の人からとかも反応があったりとかしたのかな。
あんまり詳しいとこ知らないけど。
で、それでちょっと目覚めちゃったところがあるんよね。おそらく。彼の中で。
そうですね。
て感じかな。
そうですね。で、私がですね、そういう彼を見てですね、美大っていう道もあるよ、みたいなことを言ったんですよ。
うんうん。
んならなんか、我前が本気になったというか、
まあどっちかというと、お勉強はよりもそらそっちの方が彼にとっては良かった、目指したいって思ったんでしょうね。
うんうんうん。
で、ちょっとそっちの方やってみようかなと。
そうそうそう。
でも彼は野球部で。
そうそう、ピッチャーで。
ピッチャーで。
チーム背負ってる。
そうそう、チーム背負っておそらく一番というか、背番号1なわけじゃん。
そうですね。
で、な、まあでもそれいつのタイミングで言ったのかな、先生に。
古門の先生にその美大を目指すことにしましたと。
で。
12月とかじゃない?12月にわたってなんかその。
うん、冬季公衆みたいな。
冬季公衆みたいな最終的に行くことになったじゃん。
うん。
もう秋大、秋大は行われたんだよね、コロナだったんですけど、応援はなしみたいな感じで。
うんうん。
あの秋大が行われて、しかも秋大でベスト16になったんですよね。
うん。
あの公立高校では割と珍しいことないけど、な、その時はピッチャーやってあったのは一個上の先輩がやってくださってて、
まあでもベスト16になって、すごいなっていう感じでね、いい感じで終わって。
ん?
ちゃうわちゃうわ、え?そうか。
ちゃうちゃうちゃうちゃう、ベスト16になったのはどういうため?
でも16は2回か3回なってるから。
終わってるよね。
うん。ベスト8のカフェがすご、あのあったっていう感じで終わってね、彼らの大は。
でもそれ高2やもんな。え?高2あったから?
違う。
もう、あ、産男の大か。
ん?わからない。
あ、そうかそうか。だから産男がベスト16になって、生きたんか。その前の年もベスト16やったな。
産男の大、産男の大も、だから2年連続はなんかじゃない?
あ、だからそれは1個親の先輩じゃなくて産男がやったんか。
産男の、産男の秋でやってんのか。
そうやな、そうやそう。
そうじゃない?
でしょ。
やって、で。
産男後?
まあいいよ、そんな細かい話。
忘れたな。
うん。で、あの、やって、ここ、これからっていう時に、言ったら監督に、
そうそう。
アビを入れに行ってるわけよ。
そうやな。
美大目指したいって言ってますと。
うんうん。
で、美大、なんや、あの、美大目指すには、美術、美大予備校に行かないといけませんと。
で、到底もちろんその現役で受かる大田がそんなさ、甘い話ではないっていうのはわかってるけれども、
まあ、行かなあかんなあっていう気になったんだよね、あれな。
だから今から考えると、もしかするとさ、3年引退してからでもいいのかなって、もしかするとやで。
そうだね。
可能性があるかもしれないけど、いや、生かしたいですって話になって。
家に行きました。
おそろおそろ家に行ってるんよね。
産男と一緒に。
監督に怒られるかはなと思いながら。
うん。
でもすんなりもう全然、頑張って、頑張ってみたいな感じで、背中を押してくださいましたね。
すごい理解のある先生だよね。
そうだね。
もともとその高校を選んだのは、野球がしっかり指導してくれる、その先生がしてくれる。
その先生自身が、まあ、某競合高校出身で、で、まあちょっとプロっていう感じの先生やったから。
で、ピッチャーでね、頑張られるみたいな。
っていう、あんまり詳しいことは言わんほうがいいと思うけど、の先生やったから。
まあまあそれもあって、その高校を選んで行ってるんだけども、
まあそういう先生やから、すごいこう、野球野球って感じかなと思ったら、そこまで、な。
そうですね。
って感じやったよね。3年間ずっとそんな感じやったかもな。
そんなスパルタでもなかったよね。
たぶんね。
うん。
まあ私らにはあんまりわからんけど、そうだね。優しい先生でしたね。
そうよね。で、長男の時も喋ったけど、長男の時のその高校の野球の先生とまた違った感じでな。
うんうんうん。
うん。まあ時代やけど、そのLINEで僕と、僕がだから、その時は、また保護社会会長をやらせてもらってる。
そうですね。
そんな中でさ、
最後の使命ですね。
そんな時に美大行きたいから、
はい。ほんまですよ。
ちょっと配慮してほしいみたいな。
ほんまですよ。
もう、なめてんのかって言われてもしょうがないですけどね。
まあでもね、天気でしたね、ほんとに。
そう。
コロナね。
そうそう。だからもうあの、な、コロナがなかったらそんなことなってへんし、おそらく土日はそんな、な、土日野球。
うん。
で、朝も早から行って、で、夕方まで野球みたいな、野球付けの毎日になってたやろうに、
うん。
それがなくて。
ほんとですね。
野球できない。絵を描こう。美大行きたい。
いかし、あの、予備校行きますみたいな。
すごい展開が、
すごい展開ですね。
すごい展開が待ってる感じ。
うん。
で、な、
うん。
そうそう、ストライクがあんま入らなくなったんですね。
そう、一発になっちゃったんだよね。
うん。
で、だからまあ精神的な、
うん。
もうもうあんのかなあ。
そうだ、責任があったんじゃない?自分が、
うん。ちょっと中途半端な感じ?
自分で、うん、それもあるやろうし、
うん。
まあ自分ピッチャーで、
そうだね。
自分で負けたらどうしようみたいな、
うんうんうん。
感じがあったんかもしれないよね。
そうですね。
うん。
でもまあ、
IPSでどうなるかわからんけど、
うん。
ちょっとその直前な、
ちょっと調整とかさせてもらいながら、
うん。
うん。
あの最後の本番は、
うん。
あの3難デーっていうことでさ、
そうですね。
本番をね、一番。
エースナンバーもらって、で試合も先発、
そうですね。
させてもらって、
うんうんうん。
うん。
ほんまにね。
って感じやったじゃん、最後な。
人生にはほんとにね。
そうそうそうそう。
まあみんな、チームのみんなにもね、
そうだね。
うん、なんか申し訳ないというか。
うんうん。
はい。
でな、
なんかまあ小学校の、
何?
あの左投げやからピッチャーやれって言ってくれた、
うんうん。
あのコーチから始まって、
そうだね。
うん。
高校3年の夏まで、
うん。
ずっとピッチャー、
そうですね。
やり。
はい、私ももうね、いろいろ震えがあるような試合がいっぱいありましたけど、
ここでストライク入らんかったらもう、負けやんとかね、いろいろ。
あったよな。
ありました。
でも意外と入ったよね。
そうだね。
入った入った。
うん。
そんな時にさよならとか、フォアボールとか、
そうですね。
押し出しみたいなのもなかったし、
はい。
そこは、
まあまあね。
よっぽど肝が育ってるよね。
俺だってあの、何?
うん。
最後3年のさ、
うん。
あの3年じゃない、あれ卒業した後か。
うんうん。
なんか、保護社会の会長をしたら、
うん。
特権で、
うん。
なんか、最後の日に、
うん。
あー。
至急式みたいなのやらせてもらえるわけよ。
そうやな。
で、初めてさ、
高校のその、
高校のグランドのバウンドに立ってさ、
はいはいはい。
投げた。
で、あの、3男バッターでさ、
うん。
で、投げんねんけど、めっちゃ緊張したよさ。
笑
あー。
すごいよね。
すごい。
あんなとこからよく投げてんなと思って。
ほんまやな。
うん。
思った覚えがあるからさ、
はい。
そういうプレッシャーに、
はい。
うん。
あー、打ち勝ってきた。
打ち勝ってきて、
うん。
うん。
そうそう。チームメイトにも恵まれ。
そうですね。ほんまに恵まれましたね。
うん。
って感じやったじゃん。
あー、野球やってくれてよかったですわ。
笑
最初はもう、どうやって回避しようかと思ってましたけど。
うん。
はい。
で、その後の、
そのー、何?
はい。
というわけで、
はい。
お疲れさまでした。
お疲れさまでした。
はい。
3人分。
3人分というか、はい。
はい。
しゃべりましたけれども、
はい。
はい。
どうでしたか。
そうですね。
うん。
思ってたよりもですね、いろいろ思い出してですね、どんどん喋れてしまったというかですね。
そうやな。
思い浮かんだことを喋ってるだけっていう。
もっとまとめてから喋るよっていう話もあるけど。
まあでもね、まとまらないですね。さすがにね、それぞれ20何年間、ちっちゃい時からね、育ててますんで。
そうやな。
まあ子育てのその事情というかさ、こういう3人の人生でしたというか、今までの振り返ってこうでしたみたいなのは言えたよね。
言えたかな。
この3人がほぼ同時進行で流れていっていたというね。
年齢差で言うと長男の3つ下が次男。
はい。で2つ下が三男。
そうだね。長男と三男の間は5歳。
そうですね。
そうやな。だから三男が小学校1年の時に長男が6年生やったっていう。
そういうことですね。
そういう形だね。
なのでまあちょっと長男は一つこう抜けてるというかですね、ちょっと長男と次男三男セットみたいななんとなくそういう感じもあります。
長男はだから意外と次男三男にとってのヒーローみたいな感じかなと思ったよ。
そうですね。
だからそれこそだね、あの給食の時さ。
小学校のね。
小学校の給食の時にさ、長男縄跳びがすごい得意だったから、縄跳びのお手本みたいなビデオみたいな、動画みたいなに長男が登場してる。
全校生徒にそれが流れる。
テレビ、教室のテレビで長男が縄跳びしてるところが流れて、次男三男が見てるみたいな。
あれなんとかの兄ちゃんやんな。
ヒーローじゃん、めっちゃヒーローじゃん。
縄跳びのヒーロー。
小学校で縄跳びできたらヒーローだから。
そうなの。それは分からんけど。
二重跳び、三重跳びできたらヒーローじゃない。X跳びとかできたらヒーローじゃない。
そうですね。縄跳びのヒーロー。
意外とそこら辺、みんな上手やったよな。コマ回しとかな。縄跳びとかさ。
そうやな。
そういうやつな。
まあ、いろいろね。話はつけないですね。
そうそう、懐かしい。ほんとや。めちゃくちゃ。どんどん思い出してきたからいろいろ喋りたいけども、時間ないから。
時間がね、経ちすぎてしまいました。
またなんかおいおいこのちょくちょく三人の話を入れ持って。
だって、俺らが小僧出てこんな大変やったから、きっかけのところがあんまり喋れてないもんな。
ああ、そうですね。
こういうことが大変やったから、反省込めてというかさ。
まあ、大変大変って言っちゃいましたけど、やっぱりでも楽しかったっていうのはね。
楽しかったね。
ほんとにありますね。
楽しかった。
あとその三人が三人ともさ、全然違う方向を向いて、今さ、生活してる感じがするんだよね。
そうですね。
その長男学校の先生、二男は理系の大学行って、で、社会人、会社員、で、三男は美大じゃん。アーティストやん。
全然違うよね。
全然違うやん。
まあよくぞ、ほんとに。
そうそう、同じ兄弟でさ、三者三様になってくれて。
で、またしかも、これブログにも書いたけど、
俺とかが全然知らんような世界を見せてくれてるっていうのがさ、
そうですね。
すごい嬉しい。
本当にね、楽しいですよね。
楽しい嬉しい。大好きって感じで。
ほんとほんと、そんな感じ。
だからさ、そこが今後また、
そうですね。
どんな感じの世界を見せてくれるのかがちょっと楽しみで。
それぞれまたね、展開があると思うので。
展開あるからな、それが面白いなっていうのがちょっと今後の。
楽しみですね。
そうそうそう、楽しみだね。
そんなところで。
そんなところかな。
はい。
次回はどんな感じかというと、
マヤの好きな作家とか?
そうですね。
そんな話かなと思ってるけど。
まあ皆さんご存知の本家ということで。
じゃあ今回はこのへんでということで。
はい。今回もお聞きいただきましてありがとうございました。
はい、ではまた。
はい、ではまた。
はい、失礼します。
はい、失礼します。