ジーザス・クライスト・スーパースターの熱狂
はい、えっと今日はですね、あなたがシェアしてくださった資料、特に話題になっている2つのミュージカル公演の記事、これをちょっと深く見ていきたいなと思ってます。
はい。 ロスでのジーザス・クライスト・スーパースター、それからブロードウェイのコーラスラインの50周年記念コンサート、どっちもなんかものすごい反響だったみたいですね。
みたいですね。関連でレミゼラブルの40周年ツアー日本公演なんて話もありますけど、今日はまずそのJCSとACL、この熱狂の理由、その中身ですかね、それをじっくりと。
いきましょう。資料から特にこうグッとくるようなポイントを引き出されたらなと。
ええ、資料を読むだけでもなんかこう熱気がすごい伝わってきますよね。単なる再演じゃないぞっていう。
ですよね。じゃあまずJCSからハリウッドボールでたった3日間。しかも完売って。これただの夏の野外公演じゃないですよね、明らかに。
そうなんですよ。レビュー見ても刑事的とか神がかかってるとか、もう言葉がすごいじゃないですか。
すごいですよね。
アンドリュー・ロイドウェーバーとティム・ライスの名作ロックオペラですけど、今回の演出がすごく現代的だったみたいで、なんかアリーナロックコンサートみたいなエネルギーがあったと。LEDパネルとか照明とかを駆使してて、ガガみたいだって評もあったらしいですね。
へー、ガガみたい。
ええ、でもそれが単に派手ってことじゃなくて、ちゃんと物語の感情のコアな部分を増幅させてたっていうのがポイントみたいです。
なるほど。で、やっぱりキャスト。これが大きかったですよね。ジーザス役にシンシア・エリボ、ユダ役にアダム・ランバート。特にエリボがクイアナ黒人女性としてジーザスを演じたっていうのは、かなり大胆なキャスティングだなと。
まさに。でもそのパフォーマンスがもう圧倒的だったらしくて。特にゲッセマニー。ここで数分間のスタンディングオベーションが起きて泣いてる人も多いぜ。
うわー、それはすごい。
ええ。単にジェンダーを超えたっていうだけじゃなくて、レビューによると力強い女性の声のためにもともと書かれてたんじゃないかって思えるほどだったと。
なるほどね。
うん。だから彼女が演じたのが、いわゆる救世主っていうよりは、もっと深く葛藤する一人の人間としてのジーザス。その姿が鮮明になったのかもしれないですね。すごく現代的な解釈だなと。
ジェンダーとランバートンのユダも相当評判良かったんですよね。神がかった二人なんて書かれ方もしてましたけど。
ああ、そうらしいですね。ランバートンも元々ロックスターとしてのカリスマがありますけど、それだけじゃなくてユダが抱える苦悩とか裏切りに至るまでの葛藤とか、そういうのをすごく見事に表現してたみたいです。
うんうん。
だから彼のハイトーンボイスとエリボンの力強い歌声がぶつかることで、二人の関係の悲劇性みたいなものがよりキワだったんじゃないかなと。
ああ、なるほど。
この二人のまさに科学反応が今回の公演を特別なものにした大きな理由の一つでしょうね、きっと。
他のキャストもフィリッパスーのマリアとか、ラウルエスパルサのピラトとか、豪華でしたよね。
ええ。
ヘロデオ役のジョッシュ・ガッドがコロナで一時的に出られなくなって、ジョン・ステイモスが大役した日もあったとか、それはちょっと賛否あったみたいですけど。
大役の日はまたちょっと違う空気だったみたいな話はありますね。でもガッドが戻ってきたらまた彼らしいコミカルさが戻ったとか。
なるほど。
まあ、そういうハプニングも含めてライブの良さですけど、でも全体としては本当にすごい成功体験だったからこそ、もっと長くやってほしいとか、ツアーすべきだという声がこんなに出てるんでしょうね。
うーん、この熱狂の革新って、やっぱりスターの力量、それから大胆なキャスティング、そして現代的な演出力。
これが古典の持つ普遍的なテーマ、名声とか裏切りとか政治とか、そういうものとうまく結びついて、観客に強烈な体験を与えたっていうことなんですかね。
そう、まとめていいと思いますね。特にエリボが演じたジーザス像っていうのは、現代の社会が抱える多様性とかアイデンティティの問題とも響き合う部分があって、それで多くの観客にとってより自分事として、パーソナルな物語として受け止められたのかもしれません。
コーラスラインの50周年記念コンサート
なるほどな。じゃあ次はコーラスライン。50周年記念コンサート。これもまた特別な一夜だったと。
ええ、これも記事読むとその場の熱気が伝わってくるようですよ。
オリジナルキャストが集まったんですってね。
そうなんです。オリジナルの劇場シューベルトシアターンにドナマッケーニーとかケリービショップ、バイオルクリーといったオリジナルキャスト。それに歴代のキャストもたくさん。
うわー。
それだけで感動的ですけど、エンターテインメントコミュニティ基金への寄付金も100万ドル超えたっていうのも、なんかこのイベントの意義深さを示してますよね。
コーラスラインって、もともとダンサーたちの実話がベースになってるじゃないですか。
ええ、そうですそうです。
だからこそ、オリジナルキャスト本人が自分の役のセリフとか歌とかダンスを披露するっていうのは、なんか特別な重みがありますよねきっと。
まさにドナマッケーニーのミュージック&ミラーとか、プリシラロペスのナッシング、ケリービショップのシーラのモノローグとか、記事によるともう圧巻だったみたいで。
へー。
単なる再現じゃなくて、50年っていう時間が経って、彼女たちの人生そのものがそこに投影されてるような、そんなパフォーマンスだったんじゃないかなと。
観客もその瞬間の重みに、なんか息を呑んだみたいな様子が描かれてました。
作品のテーマそのものですね。自分をさらけ出すっていう。
そうなんですよね。それが体現された瞬間だったんでしょうね。
あとオリジナルのオーケストレーションが復活したっていうのも、ファンにはたまらないポイントだったみたいですね。
へー。70年代のあのファンキーなギターサウンドとかがよみがえって、作品本来のエネルギーを再確認できたって。
だからこのコンサートって単なるノスタルジーだけじゃなくて、コーラスダンサーっていう存在への敬意とか、亡くなったクリエイターとかキャストへの追悼とか、
そして何より何かを強く求めて、そのために自分をさらけ出すっていう、普遍的な人間の姿を祝福するような、すごく多層的なイベントだったと言えるんじゃないでしょうか。
50年経っても全然色褪せないコーラスラインの魅力と、今回の記念コンサートがこれほどまでに心を打つ理由って何だと思われますか?
やっぱりパフォーマー自身の物語に根差したリアリティかな。あとは、世代を超えてダンサーたちに影響を与え続けてきたっていう影響力。
もちろんマイケル・ベネットの革新的な演出と、マーヴィン・ハムリッシュの音楽、その素晴らしさも。
でも根本にあるのは、観客一人一人が、舞台上の誰かしらに自分を重ね合わせられる共感の力じゃないかなって思うんですよ。
夢とか不安とか、自己肯定感とか、誰もが持ってる感情が描かれてるからこそ、時代を超えて愛されるんじゃないですかね。
演劇の新たな価値観
なるほど。ジーザス・クライスとスーパースターの、あの大胆な再解釈とコーラスラインの歴史的遺産の祝福。
どっちも古典なのに、現代の観客に強烈なインパクトを与えている。まさにイベントとしての演劇の力を見せつけた感じですね。
そうですね。大胆な挑戦で現代性を獲得したJCASと、歴史とか記憶を感動的に紡ぎ上げたACL。
どっちも他では絶対に得られないような特別な体験を提供したわけですよね。
うん。
これって、今日本でやってるレミゼラブルの40周年記念コンサート版にも、どこか通じるものがあるかもしれませんね。
演劇のライブ性とか限定性に対する求める気持ちの表れというか。
確かに。こういう短期間の特別な公演がこれだけ大成功しているのを見ると、なんかこれまでのロングラン公演とはまた違う価値観が求められているのかな、なんて考えさせられますね。
そうかもしれませんね。標準化されたいつもの公演だけじゃなくて、一度きりとか期間限定のもっと凝縮された質の高い演劇体験、そういうものへの需要が高まっているのかもしれない。
うん。
演劇のイベント化っていう流れは今後もっと強くなっていく可能性ありそうですよね。
さて、こういう情報を受けてあなたが次に探求してみたいなって感じるテーマって何かありますか?