おはよう、こんにちは、こんばんは。漫画について喋るラジオ、略して漫画寺のうっちーです。
この番組では、通勤時間、片道2時間を、漫画とポッドケースに捧げる30代男性である私、うっちーが、大好きな漫画について、自分なりの解釈を入れたり、感想やあらすじなど、好き勝手に話して、毎週土曜日に配信していくという番組です。どうぞよろしくお願い致しま〜す。
今回、漫画について話すラジオと言っておいて、漫画についての話ではございません。また、毎週土曜日と言っておきながら、土曜日の配信でもございません。
まずその2点、誠に申し訳ございません。今日は10月11日、毎月11時のソロポッドキャストの日でございます。
このソロポッドキャストの日は、普段主に一人で配信をしているソロポッドキャスターのための日でありまして、様々なポッドキャスターがこの日に特別配信をするようといった日でございます。
僕も過去にソロポッドキャストの日では、ゲームの話をしたりといった、いつもとちょっと違うようで特別編の話をしたりもします。
前回は薬剤師、歴史好きの薬剤師から見る薬屋の独り言について話をさせていただいたりもしました。
今回、その特別編で話すのに非常に良いテーマをいただきました。誠にありがとうございます。
今回テーマをいただきましたのは、30代男性B型ラジオを押されております田山さんでございます。いつも誠にありがとうございます。
田山さんから、僕のもう一つの番組であるクスケンラジオの方でも過去にもいくつものテーマをいただいておりますし、
またこちらのマンラジにおきましても、過去に1対1で話をさせていただいたこともあるんですけども、それだけではなくて、
マンラジでスペースを押した際には、田山さん必ずと言っていい方出席していただきます。
なので、マンラジ聞いてるよという方であれば、田山さん知ってるよという方も多いんじゃないかと思います。いつも誠にありがとうございます。
そんなマンラジにおいて偉大なる方である田山さん。
マンラジ聞いていれば、田山さん知ってるよというか、30代男性B型ラジオも知ってるよという方も多いと思うんですけども、
ただあえて30代男性B型ラジオ、この番組を紹介させていただきますと、
こちらの番組、以前は妄想癖の田山さんとパッチプロンWさんによる30代B型男性の2人で様々なテーマで楽しく掛け合いを押された番組なんですけども、
今現在、第100回おきに、田山さんがソロで話すようになっております。
でも田山さん、ソロで話すようになってから、本当ね、田山さんワールドと言いますか、田山さん独特の切り口のように様々な話が展開されております。
コンビニのイートインスペースって、もっと楽しみが生まれるような配置とかあるよね、妄想の余地あるよね、といった話であるとか、
エクストリームアイロニングの話をしておりまして、様々なエクストリームについて話を展開したりなど、本当田山さんワールドが溢れております。
どの話も面白いので、まだ田山さんの話、そういえば聞いたことないなという方がいらっしゃったら、是非とも聞いていただければと思います。
今回、田山さんからいただきましたテーマなんですけども、先日、僕のもう一つの番組であるクスケンラジオの方で第200回配信させていただきました。誠にありがとうございます。
その感想コメントをいただきまして、そちら読ませていただきますと、昔の番組とマンラジオを含めたら、うっちーさんはもう何回配信しているのか、
今後は変わらず、ためになる濃厚なクスケン知識と、コアな漫画ネタと、Kindleでの出版と、面白い戦国武将を紹介するラジオ、武将ラジのスタートを期待しております。
というコメントをいただきました。誠にありがとうございます。
ということで、本当に素晴らしいテーマをいただきましたね。今回、戦国武将について語る武将ラジオ、本当これ始めようかと思っていたぐらいなんですけども、
今現時点で僕ちょっといろいろバタバタしてるともありまして、せっかくなので特別編という形で今回、マンラジオの方で戦国武将について話してみようかなと思います。
戦国武将、僕は三国志とか春秋戦国時代とか中国志好きですし、他にもヨーロッパの戦争もちょっとかじったりしてるんですけども、
やっぱり戦国時代、戦国武将となるとやっぱり日本のね、織田信長とか徳川家康、豊臣秀吉なんてあたりのその時代の戦国時代の武将の話がやっぱりいいかなと思いまして、
このよく言う日本の戦国時代の話で、この武将はという話をさせていただこうかなと思っております。
あとは僕のバタバタ加減が落ち着いたりとか、あとはこの戦国武将について話、武将ラジ、マンラジにおける特別編の武将ラジが好評だったりしたら、
本当に新しい番組立ち上げるか、マンラジの特別編で今後も喋っていこうかなと思ったりもしております。
ということで新企画、もしかしたら新番組の走りになるかもしれないんですけども、今回まず話をさせていただこうと思います。
でもやっぱり歴史の話をするとなったら、一番よくパッとくるのがタイガドラマじゃないかなと思うんですけども、
2025年がね、ツタヤ・ジュウダブロっていう方なんですよね。
この方戦国武将ではないんですよね。この方はこの方ですごい人なんですよ。葛飾北斎とか北川宇多丸とかね、様々な方を見出したということで、
日本の美術界におけてすごい偉人ではあるんですけども、他にも喋ることあるんですよ。
例えば漫画とかね、DVDのレンタルとかで有名なツタヤ書店、ツタヤですね。
ツタヤは別にこのツタヤ・ジュウダブロの子孫ではないんですけども、
ただ創始者の方がこのツタヤ・ジュウダブロの偉大さに惚れ込んでと言いますか、
ツタヤというね、天命にしたっていうね、そういった逸話もあるぐらいなんで本当に素晴らしい方なんですけども、
さすがに戦国武将じゃないしっていうので、今回ツタヤ・ジュウダブロの話は控えさせていただこうかなと思います。
ということで、今回2025年ではなくて、2026年のタイガドラマの主役を張る方で話をさせていただきます。
ということで、今回のタイトルはこちら。
めっちゃケチ、でも超優のトヨトミ・ヒデナガってどんな人?
ということで、今回2026年のタイガドラマに決まりました。
トヨトミ兄弟、その特に弟の方であるトヨトミ・ヒデナガ。
橋場小一郎、豊臣小一郎、木下小一郎なんていうね、さまざまな呼び方されてるんですけども、
このトヨトミ・ヒデナガで話をさせていただこうかなと思います。
歴史とかがピンとこない方で言いますと、トヨトミ・ヒデヨシの弟でございます。
この方で話をします。
ただ今回のね、一応タイトルも通りですけども、この人で何話すのかって言いますと、
この人ね、結構金に汚いとかなんですよ。でもめちゃくちゃ有能なんですよ。
っていう話をさせていただきます。
ただ話し始める前にあらかじめ、注釈という形を入れさせていただきますと、
トヨトミ・ヒデナガっていう表現、おかしいだろって思う方絶対いらっしゃるんですよ。
これ僕も正直思ってます。
トヨトミ・ウジに関しては、これ扱い方っていうのが結構難しいところもありまして、
実際にはヒデヨシも、トヨトミ・ヒデヨシって名乗ってる機会が少ないんですよ。
橋場ヒデヨシだって名乗ってることが多いんですよ。
その橋場ヒデヨシになる前だったら木下だったとか、木下東吉郎とかね、そういった風に
トヨトミ制ってあんまり使ってないんで、
でまた、その子供にあたるヒデオリ。
トヨトミ・ヒデオリにね、徳川家康と大阪城の時に決戦をした、
トヨトミ家のね、総大将であるヒデオリも、
実はトヨトミ・ヒデオリって名乗ってることが少ないって言われてるんですよね。
橋場ヒデオリの方が名乗ってる機会が多かったって言われるんで、
歴史の好きな方ですと、あれ、トヨトミって名乗るのおかしいよね。
使うのおかしいよねって絶対言われると思うんですけど、
まぁでもなんか、やっぱりトヨトミって入れた方が
やっぱりヒデオシとかとの関連性も浮かびやすいっていうのがあるのと、
まぁあと、確か呪楽大興行の時に、
ヒデナガは、トヨトミ・ヒデナガっていうことで、
まぁ初代名の不正文に、確かその名前書いてたはずなんですよ。
だからまぁ本人的にもトヨトミ・ヒデナガって名乗ってる時はあるんで、
今回、トヨトミ・ヒデナガということで話をさせていただきます。申し訳ございません。
まぁだから、話の中で僕もトヨトミ・ヒデナガってあんまり言い慣れてない時あるんで、
橋場ヒデナガっていう時も多分出ると思うんですけども、
その点に関しては同一人物でございます。
で、このトヨトミ・ヒデナガ、まぁヒデオシの弟なんですけども、
ヒデオシとお父さんは違うんですよね。
まぁお母さんは一緒であるんですよ。
まぁよく表現的に、まぁあんまり言うと悪い表現になるかもしれませんけれども、
種違いの同じ腹なんて言われるんですけども、
で、実はここら辺結構戦国時代好きな方では有名だったりするんですけども、
あるエピソードって、戦場で味方がやられてしまったと。
味方がやられた時は本来は、自分たちがその味方がやられた分奮起して、
やられたあいつの仇を取ってやるぜ!っていう風に奮起してなきゃいけない、
頑張んなきゃいけないっていうのがまぁまぁ戦場における常識みたいなところがあるんですけども、
ある戦場で秀永が味方がやられた時に奮起しなかったんですよね。
で、それに対して秀吉がその秀永をすごい怒りつけたんですね。
お前なんであそこでそんな奮起しなかったんだっていうので怒った時に、
まぁその時に秀吉は秀永に対して、
まぁ俺とお前は違うよな、だって種が違うからなっていう表現をしたっていうね。
これ結構有名なエピソードなんですけども、
まぁそういうのもありまして、まぁ秀吉は秀永に対して、
お母さんは一緒だけど、まぁどこかお前とは違うよなっていう感覚を持てたんじゃないかって言われてるところもあったりはします。
ただこのエピソード、秀吉が秀永に対して戦闘を頑張らなかったことで怒りつけたということがエピソード強すぎて、
豊臣秀永って戦争が上手くないって思われてるところが多いんですよ。
実際信長の野望とか戦国時代のゲームにおきまして、低くはないんですけども、
秀永の戦闘における数値ってそこまで高くないですよね。
平均以上ではあるんですけども、
じゃあ例えば強い武将たちで軍団作って敵を攻めようと思った時には、
まぁ一軍には入らんなっていうぐらいの微妙な能力だったりするんですよ。
兄貴の豊臣秀氏にもそこまで高い数値じゃないんですけども、
ここらへんに関しては多分小牧成田とかのイエスとの結成とかが関係してくるとは思うんですけども、
でも実際のところなんですけども、豊臣秀永って本来戦闘がすっごい上手いんですよ。
基本的にはなんですけども、秀氏は長浜城主、長浜城っていうところの城の主になった時なんですけども、
長浜あたりをそこらへんを治めたよって時期があるんですけども、
ここらへんから秀氏ってすっげー忙しくなるんですよ。
長浜城主であるんですけども、信長の配下っていう形なので、
信長の今いる意見を聞いて、それを部下たちに伝えなきゃいけないってのもありますし、
また城主としてそこらへん一帯の豪族とかとうまくやらなきゃいけないとか、
そういうのもあったりとか、他の敵地域の人たちとの戦闘とかの指揮を取らなきゃいけないとか、
外交面、相手を調略する、相手を味方に引き入れたりとかね、
そういう外交手腕とかで結構秀氏が忙しくなってしまったんですよ。
そうなってくると、実際戦闘しますよって時になると秀氏がなかなか動けなかったりするんですね。
じゃあそういった時に誰が主に戦闘やってたかっていう時は秀永なんですよ。
秀永と秀氏の他の配下たちで主に戦闘してたんですね。
実際よく戦国武将のデータとかで見ると秀氏ってめちゃくちゃ戦闘してるんですよ。
それなりに勝率も高いんで、秀氏って結構戦闘上手いなっていう風に近年では見直されてるところではあるんですけども、
でも実は秀氏が実際には戦場で主に指揮を取ってなかった。
指揮を主に取ってたのは秀永。
またこの秀永なんですけども、他にもやっぱり秀氏から信頼されたんですよね。
秀氏が中国方面軍というのに任命された時、小田家において中国地方を主に攻めなさいよということで、
毛利家とか戦わなきゃいけない。
毛利家というのがすごい強大な敵なんですけども、それと戦うっていうすごい責任があるところなんですけども、
その時に主に秀氏は2方面作戦なんですよね。
参院側と参用側みたいなイメージでいいんですけども、主に2方向から毛利家を攻めようとしたんですよ。
その時の一方は秀氏が主に指揮を取ったんですけども、
もう一方の方は秀永が主に指揮を取ったりするんですよ。
そういう意味でやっぱり戦闘面でもかなり信頼されたのが、とりあえず秀永だったりするんですね。
その後、いろいろ本能寺の編とかもありまして、秀氏がかなり力をつけましたってなった時に、
その後、九州征伐、九州遠征とか九州平定なんて言われ方もするんですけども、
秀氏としましてはなかなか氾濫をしているというね、島づけを抑えてしまう。
九州を自分の領土にしてしまおうというのがそのために動いたというものなんですけども、
これに自体は結果的に九州征伐成功するんですけども、
理由の一つとしてはかなりの兵力が費用されたと思うんですね。
日本全国がもうほとんど秀氏のものになってきたということで、
今後はもう戦争が起きないよということで、ここで頑張らないと、
秀氏に自分頑張っているとアピールする場がないということで、
結構日本全国から頑張って九州にやってきたっていうのもあったりするんで、
かなりの兵力とか士気が高かったっていうのもあったりするんですけども、
ただその軍をしっかりと率いて九州を平定にまで導いたんですから、
秀氏というのは戦闘面においても有力なところがあるかなと思います。
実際秀吉・秀氏が戦闘であまりピリッとしない中で、
小牧永っていう戦の影響もあると思うんですね。
これに関しては秀吉軍と徳川家康の軍で戦うことになったというものなんですけども、
これもちょっと追いや争いの一環とかであるんですけども、
この時に結果的に見れば秀吉が勝ったって言っちゃってもいいですし、
この後長期的にやればやるほど兵力とか物資で押し通せる秀吉が勝ったと思えるんですけども、
ただ手打ちみたいな感じになるんですけども、
この時に少ない兵力で秀吉と互角のところまで持ってこれた家康様すげえみたいな、
そういったところもあったりするので、家康の方が戦闘が上手いっていうイメージがあるんですけども、
基本的に秀吉って物量で押し込むっていうところがあるんで、
あれが長期続いてはどうなったかっていうのもイフの世界になってしまうんだけども、
全然負けてはないと思うんですけども、戦略では秀吉が上手かったか、
確かに戦闘では家康の方が上だったかと言われると、確かにそこは納得するところもあるかなっていう。
そういった意味で家康が戦闘が上手いからこそ、その比較として、
豊臣兄弟、秀吉とか秀長はちょっと戦闘下手だよねっていう風に描かれることが多いのが事実だったりもします。
ただ秀長としては九州征伐の時には始末イエスタとかの軍を破ってもいますし、
中国方面軍の時にもキッカー大人の軍を倒したりもしているところもあるので、
戦闘面が下手っていうわけでない、むしろ優秀な部類に入るのが豊臣秀長という方だったりもします。
ただこの豊臣秀長なんですけども、戦闘面は優秀ではあるんですけども、
もっと優秀な面があったりします。それは外交面ですね。
外交面、例えば敵大名と上手いことで交渉をするとか、
あとは敵の戦国武将を自分の味方に引き入れる、調略をするっていうね、
そういうのが非常に上手いんですよ。
その一例としましては、先ほども触れましたけども、中国方面軍。
この時にはさっさと中国方面軍に任命されたということで、長浜を離れて、秀吉が主に指揮を取ったんですね、最初。
ただ秀吉が指揮を取った頃に猛力が強すぎて、中国方面軍はなかなか成果を出せないという時期があったんですよ。
この時に秀吉は、その時長浜城で留守を守っていた秀長を呼び寄せるんですね、中国方面軍まで。
呼び寄せて、お前も前線で何とか戦ってくれということで、秀吉から秀長が任命された時に、
その時に秀長がやったところとしては、例えば戦闘の中で自分たち、小田川が押されているというところをうまいこと訂正に持ち込みつつ、
敵の武将を自分の味方に引き入れる、そしてそこで勢力を逆転させるというのを繰り出したんですね。
そういったこともありまして、当初は苦戦していた中国方面軍も、だんだんだんだんと小田川、秀吉とか秀長の軍が、
毛利家の勢力を上回っていくようになったんですね。
なので秀吉の中国方面軍の成功は、結構秀長の手腕が大きかったりするんですよ。
秀長の策略とか外交部門で、この中国方面軍は成功をしていったというところが本当に強いです。
なので実際のところ、やっぱり戦闘もうまいんですけども、この策略とか外交が非常にうまいんですよ。
でまた、この秀長の外交のうまさは、後の豊臣家においてすごい重要な役割を担うんですよ。
本能寺の辺がありました。小田家の中のお家等々がありました。秀吉がうまいこと権力を握りました。
ということで、日本全国を結局秀吉のものにしていくよっていうふうに動いていった時、
そうなってくると、大体の他の大名家ってどういう対応をとるかというと、秀吉に対してよく服従をしたりするんですよ。
すいませんって、秀吉様さすがですという感じでますったりとかして、秀吉のご機嫌疑いをして、
なので、うちのお家は守ってくださいよとかそういうふうに持ってくるんですよ。
その時には、単純に言葉だけじゃなくて、お酒飲みに来たとかだけじゃなくて、
様々なお土産物を持ってとか、そういった各大名家がどれぐらいのお土産を持ってきたかとか、
そういうのにカウントとかもしなきゃいけないんですけども、結構そういった各大名との付き合いをするってめんどくさいんですよね。
で、また弱いね、弱小大名であれば、多少ね、豊臣側がね、秀吉側が弱小大名を無惨に扱いましたってなって、
弱小大名側が怒って、「うわ、なんて嫌な奴なんだ。じゃあ反乱起こしてやる!」ってなっても、
そういった弱小大名であれば、豊臣家とかね、擦り潰してしまって、お家断絶なんてこともできるんですけども、
大きい大名家相手だとこれから難しくなってくるところなんですよ。
例えば、茂利家とか徳川家との対応ってのはすごい難しくなってくるんですよ。
茂利家とか徳川家みたいに大きいところが反旗翻してしまいますと、
それに同調して、「あ、じゃあ一緒に豊臣家倒しますよ!」っていうね、他の大名家とかもどんどんどんどんついてきちゃうおそれがあるんですね。
で、まあそうなってくると、秀吉の政権というのが、ほんと足元からグラグラグラグラと揺るがすことになりかねないんですよ。
なので秀吉サイドとしても、秀吉の方が確かに日の元一の大名だってなってはいるんですけども、
大きい大名家に対しての同盟関係とか外交っていうのはかなり気をつかなきゃいけないんですよ。
むしろ家康とかが来た時には、秀吉側の方がこのご機嫌うかがいに家康に対してしなきゃいけない、そんな場面も出たりしたんですね。
で、基本的には確かにそういった大きい大名家との接待というのは秀吉本人ができればいいんですけども、
秀吉本人が結構こういう大きい大名家、毛利、徳川とか植杉とか、大きい大名家との接待ができなかったって時が多いんですよ。
そもそもになりますけども、豊臣家っていうのは朝廷とか天皇とかからいただいたっていうのもありまして、
どちらかというと秀吉っていうのは朝廷との付き合いをしなければいけないんですね。
そっちの方に集中したいんですよ。
なのでどんなにすごい大名が来たとしても秀吉が朝廷と大名だったら朝廷の方優先しなきゃって場面が絶対出てきたんですね。
だから実際のところ外交において満足に秀吉が動けてなかったって言われてるんですね。
じゃあそういった日本全国の特に有力な大名との接待を誰がやったかっていうとこれ秀長なんですよ。
正確に言うと秀長と千利休なんですよ。
まず千利休、当時の文化として千利休のようなお茶会、これはもう最先端のブームでして、
毛利家とかは特に千利休の大ファンだったりもしたので、
毛利家秀吉のところに来ましたってなったら千利休が対応するよとなったら毛利休はありがとうございますという感じで本当に喜ぶんですよ。
でまた千利休とか、千利休がこのお茶はいいんじゃないとか今のお茶のブームこんなだよっていう風に様々なことをブランド化するんですね。
まず信長がやってたことでこれを延長したのが秀吉なんですけども、
そういったブランディングをして千利休自身の価値を高めたりとか千利休が持っている茶碗とかの価値を高めるんですね。
そうしたことで挨拶に来た毛利家とかがせっかく来てもらったんでじゃあ私の茶碗あげましょうかっていうね。
利休が持っている茶碗をあげたりするともうとてつもない価値のあるものになってるんで、
毛利家とか大大名でもありがとうございます本当にすみませんこんなものいただいてっていう感じになって喜んで、
じゃあこれのお礼に豊臣家八幡家に忠誠尽くしますよっていう風になったりするんですね。
そういった感じで千利休ってすごい外交面で大活躍をされたんですよ。
でも実際千利休のお茶会って言ってもお茶会でもねすごい準備が必要ですし、
しかもそのお茶会のスペースでも何人も何十人も入れるわけじゃないんですよ。
そんな利休は利休で他の様々な人との交渉とかもあったりするんで、
利休も全部対応できるわけじゃないんですよ。
さっき何度かも出ていますが、毛利家が秀吉のところに挨拶来ましたってなったら何泊かは撮影するんですよ。
3泊4日とかするんですけども、その間に利休に会えるのって言ったら本当数時間程度なんですよ。
3泊4日で数時間程度が利休と会える。これだけでも毛利家としては嬉しいんですけども、
じゃあ残りの大体の3日4日をどうするのかっていうと、ここらへん主に接待するのが秀永なんですよ。
例えば朝の食事の時から秀永がいろいろ話をして、
事前に聞いた大名の毛利家のこれを見てみたいなとか、
そういうのをなるべく願いを叶えるようなセッティングをして、
例えば舞台を見たいとかやれば舞台をセッティングしましょうねとか、
見れるようにしましょうねとかそういうのを考えたりとか、
夜は夜で他の大名家の方と一緒にご飯の時間を作りましょうかとか、
それはいらないのであれば誰かと会うんじゃないよという時で、
静かに食べたいかな飲みたいかなという時でも、
一人でさすがにせっかく来ていただいて何もおもてなしできないとまずいので、
じゃあ私秀永が主に毛利様と一緒に食事しますよとか、
そういった感じで有力な大名とかともつきっきり外交業務をするのが秀永だったんですよ。
そういったこともありまして、いろんな大名との外交とのバランスを取ってたのが、
秀吉よりも秀永の方が多かったということもありまして、
これ秀永の別名とか相性でよく言われる天下の調整役というのは、
本当に天下の様々な外交バランスを取ってたというのもありまして、
秀永は天下の調整役と言われておりました。
実際その効果もあるのか、豊臣家には忠誠を尽くすよ、
でも秀吉じゃなくて秀永の方に忠誠尽くしてますよという部署も多かったりしました。
例えばこれ関係性とかもあってちょっと変わってくるところではあるんですけども、
有名な方ですと東道高虎という方ですね。
この東道高虎には何回も宿運を変えてるっていうんで、
その宿運を変えるたびに今に自分の領土が増えるということで、
まず給料が増えるっていうイメージでいいんですけども、
転職を繰り返すたびに自分の給料が増えていくっていう方だったりするんだけども、
結構でも最終的に何回か宿運を変えた状態で秀永のところに来たんですけども、
さらにそこを引き立てて、すでにある程度の地位にいたとはいえ、
ただそれをさらに引き立ててあげたのが秀永だったりしたんですね。
そういうところもありまして、東道高虎としては豊臣家に忠誠を尽くす、
特に秀永に忠誠を尽くすという面があったりしました。
実際、秀永が秀吉に比べて早辞任するんですけども、
その後、東道高虎というのは、秀永の後であれば豊臣家ではないな、忠誠を尽くすのはということで、
その後は徳川家に忠誠を尽くすことになります。
実際、東道高虎はその後は徳川家の使える大名の一派として活躍をしまして、
かなり課働をされるという、給料が増えるというところもあったりしました。
そういう意味で、有力な戦国武将が豊臣家に仕えていたのも、
秀永のおかげだったという面は本当にありました。
そういった意味でも、天下の平穏を保っていた、
天下のバランスを取っていたのが秀永という人でした。
上乗せした分を自分の懐に入れたいとか、
豊臣秀永の金にしたりしたんですよ。
ただ、これがバレまして結構問題になった時には、
秀永がめちゃくちゃ怒ったという逸話があるんですよ。
おい、何してくれてるんだよっていう形で。
おい、なんでそこまでして金貯めるのっていう風に怒ったという逸話があるんですけども、
ただ、このエピソード自体が、
これ本当は秀吉が秀永に支持してたんじゃないかという説もあったりするんですよ。
秀吉が秀永に支持してたんだけど、
これバレちゃった。で、これバレたら豊臣政権として、
これまずいよねっていうことで、
泥をかぶったのが秀永だって言われたりするんで、
あれのエピソードに関しては、
実は悪者は秀吉だったんだ。
秀永は悪くないという話をする人もいるんですけども、
ただ正直ね、結構他のエピソードを見ても、
豊臣秀永ってケチなところあるんで、
あれやっぱ財務区関係も秀永だったんじゃないかなと思うところがあるんですよね。
他の豊臣秀永のケチなエピソードとしましては、
有名なところですと九州生活、九州平定という言い方でもいいんですけども、
この時、先ほどちょっと触れさせていただきましたけども、
かなり日本の領土は秀吉のものになってました。
なので、今後戦闘って起こる回数はどんどんどんどん減っていくよという状態でした。
なのでこの九州平定っていうのは、
かなり他のね、特に後々に秀吉に仲間になった人からすると、
アピールする場になったんですね。
ここでアピールしておかないと秀吉の覚えが悪いぞということで、
結構みんな頑張るよって感じだったんですよ。
だから日本全国からこの九州平定協力しますって人も多かったんですけども、
多かったからでしょうね。
問題だったものとして、食料なんてなかったんですよ。
結構みんな無理して兵を持ってきたっていうのもありまして、
その兵に食わせる分の食料までが持っていけなかったとかでありまして、
なんとかそこで現地調達しなきゃいけないとかだったんですけども、
もうみんな湾坂来ちゃってるんで、
その現地調達するものもないっていうことで、
もう本当食料なんていうのが起きてるところもあったんですよ。
ただそれでも秀吉の配下っていうのは、
そういった物流とかを管理するのが非常にうまかったんですね。
石田水成とかの部隊がそういったのを管理するのが非常にうまかったんで、
基本的には本当に気が回ればいかないんですよ。
しっかりと食料とかも送られてくるんですけども、
まあでも言ってしまえば、
それは豊臣家の食料が送られてくるって状態だったんですよ。
で、秀吉がしたことっていうのは、
それを現地で他の大名に高値で売り付けたんですよ。
これ本当にいろんなところから半巻買ったっていうね、
逸話もあったりするんですよ。
基本的には併定したいのは橋場家なんですよ。
橋場秀吉とか、弟の秀吉が頑張りたいんですよ。
で、実際総大将も秀吉ですし、
なのでむしろその時に他の大名に頑張っていただきありがとうございましたで、
ちょっと食料を分けなきゃいけないぐらい立場だったんですよ。
にも変わらず秀吉がやったっていうのは高値で売り付けたんですよ。
で、向こうとしてはもう食料がないから買うしかないということで、
渋々お金払ったってのがあったんですけども、
これに対しては秀吉も知った時にめちゃくちゃ怒ったそうです。
お前何してんの?なんで配らんの?っていう風にめちゃくちゃ怒ったっていうことです。
配ることで、それでみんなからありがとうございますって言って感謝されて、
忠誠心高めるのが普通だろうね。
なんでそこでみんなが買うしかないって状態で高値で売り付けてるの?って。
それ半巻買うよねっていうことで秀吉も怒ったそうです。
で、その後は渋々秀長はお金、渋々秀長は食料配るようにしたっていう話なんですけども、
そういった意味で結構秀長はケチなエピソードが多いんですよ。
これちなみになんですけども、九州の時に家康は色んな大名に食料を分け合わないってそうです。
それもあって、家康はいろんな大名からの有効度が高まったって言われてます。
実際、ただで配ったかっていうのはあれなんですけども、
そんな高くない値段で売ってたとかね、問題ないぐらいのことをしたんだけども、
それに比べて秀長がやったのは、かなり値段を上げて売ってたっていうのはエピソードが残っております。
その他にも、結構秀長ってちょっとケチくせえなっていうところがあるんですけども、
これは確かに神社物価が怒らせるエピソードの一つであるんですけども、
基本的に秀長って料金の時に神社とかがやりたいイベントとかを結構邪魔する時なんですよ。
当時ってのは神社稼ぐお金とか力を持っている傾向だったので、神社の力を削ぎたいというのもありまして、
神社がなんかやりますよーって言って、
いろんな人来てくださいねーとかやる時に、
そうすると人が来るっていうのはお金が集まるってことなんで、
それを嫌がった秀長は神社物価に対して、
あなたのところでやるイベント今年はないしねーとかそういうのをやったんですよ。
そうするとお金が集まらないから神社とかからすると、
え、あいつ何なの?っていうふうに反感を買ってたっていうのがあります。
これもエピソードの一つなんですけども、
秀長、自分の領地で城を建てようと思いました。
領地を建てようと思った時に石垣の石が足りなくなったんですね。
石垣っていうのはよく石で作る城壁、防壁みたいなものですね。
それを作るための石が足りなくなってしまったってなって、
本来であればその石が取れるところとかから輸送して、
石を集めてきて作ればいいんですけども、
その時に秀長が考えたのは神社とか物価とかお寺とかめちゃくちゃ多いよねってなって、
当時っていうのはそういった宗教系のところは、
行ってしまえばもう金集まってて、
その金を守るためにめちゃくちゃの領地がガードされてるんですよ。
神社とかお寺が高いところにあるのも敵から攻められにくくするためでし、
しっかりと石垣とかでガッチリ固められてるのも、
敵から攻められにくくするためなんですけども、
そこで秀長は自分の領地の神社物価からの石を奪いました。
で、自分の城にそれをつけました。
っていうことをしてたんですね。
本当だったら他のところから金持ってくりゃいいだけなのに、
そんで自分の地域をね、
しかも反感買うようなことをするんですよ、平気で。
で、それもやっぱお金を浮かせたかったとか、
ただこの秀長がケチだったって言われるのも、
これ仕方なかったって言われるところがあると言われてるんですね。
これちょっとフォローをさせていただきますと、
豊臣家っていうのは基本的には成り上がりなんですよ。
下級ではなかったよ、普通の農民の子ではなかったよ、
今いろいろ研究で言われたりはしてますけども、
大きい商人の家の子だったんだよとかいろいろ言われたりはしてますけども、
他にもそこら辺の農村地一帯の町長とか村長の子供だったとか、
いろいろ言われたりはしてるんですけども、
よく言う大きい武将のね、秩父じゃないところから天下人になった、
成り上がったっていうのはそれは間違いないところであるんですけども、
成り上がるためにはとてもお金が必要だったんですよ。
実際天下統一をしようと思った時でも、
その拍を取るためにはやっぱり秀吉っていうのは武将の血筋じゃないっていうことで、
いろんなところから、各大名家から、
いやでもあいつどんな力を持ってても結局武将の血筋じゃないじゃんっていうのをね、
結構バカにされてるところがあったりさ、そういったところもありまして、
秀吉としては今の自分が天下統一して、
各大名を従えるにはいろんなものが足りなさすぎるって時に、
何を求めたかというと朝廷とか天皇家からの威厳が欲しかったんですね。
実際それで豊臣家という姓をもらうことによって威厳を与えられた。
その威厳によって各大名も従うしかないという状況に持ってったんですよ。
でもこのやっぱり威厳をもらうためには朝廷とか天皇家に対して多大なる寄付をしてるんですね。
多大なお金を使って、お金を配り回って、それで自分たちの地位を得たってところがあるんですよ。
また、もともと戦国武将の血筋じゃないってことがこれ結構大きいんですけども、
豊臣と藩主の徳川家っていうのは三河武士団なんて言われますけども、
もともとも徳川家に使えてる、形成されてる三河武士団なんて言われますけども、
確かに血筋、いいところの血筋であれば、そういう風に自然と自分の輩家、
自分に忠誠を尽くしてくれる輩家ってのが集まりやすいんですよ。
でも、そういった血筋じゃなかったっていうことで豊臣家としては、
なかなか忠誠を誓ってくれるっていう武将が少なかったんですよ。
忠誠を誓ってもらうにはどうするしかなかったかっていうと、
お金とかそういったものを配るしかなかったんですね。
中にはお金がない時から秀吉と共に戦ってくれた仲間もいましたよ。
例えば有名な方ですと八駿家ですね。
これは一夜城っていう秀吉が一夜で城を建てたっていう有名なエピソードの協力をしてくれたっていう方達なんですけども、
八駿家に関しては秀吉と秀長のこの二人のね、
熱意のある交渉によって、じゃあ協力しようと言われていたと思います。
秀吉が対抗地、八駿家さん素晴らしいですねっていうふうに秀吉が挙げて挙げて、
さらにそこで真面目な秀長が、こういうところがあるから手伝ってくれたらあなたにも絶対メリットはありますよっていうね。
二人のね、二人の全然違うよっていう外交手段を駆使して八駿家家とは協力してもらったっていう面もあって、
そういったふうに人柄で仲間になってくれた人も絶対はいるはいるんですけども、
とはいえそれでもやっぱりお金とかでつなぎ止めていないと仲間になっていけないっていう戦国時代は多かったと言われております。
本来であれば確かに朝廷とかから威厳を与えられているとはいえ、でもやっぱり武将の執事じゃない人が小バカにしているところもある。
でもそんなうまく自分の心の中では小バカにしている人にも、
つきしたがうにはやっぱり何かしらのメリットがないとつきしたがうのは難しかったっていうのはやっぱり非常に多かったと言われております。
それがやっぱりお金とかですね。
千利休とかのブランディングもやっぱりその延長線上なんですよね。
千利休という人が例えばこれは良いものだと言って価値が上がる。
価値が上がったものを上げるっていうのはお金の代わりとしてはやっぱり非常に有効な手段だったんですよね。
でもみんなが茶碗が好きだったかっていうと茶碗にはまってない大名だって言いました。
そういった時には茶碗の代わりに何かあげなきゃいけないよねっていうこともあったりしました。
それがお金であるとか他の豪華な珍しいものだったりもしましたよね。
そういったものをやっぱり与えるにもお金が必要だったってのがあります。
確かにいろんな大名からは秀吉様よろしくお願いしますっていうふうに様々な外交で
秀吉に対して日本各地からいろんな珍しいものが送られてきたっていうのは最終的にあったとはいえ
でも本当の意味でじゃあ自分の敗家たちに何を与えるか
自分のために戦ってくれる仲間たちには結果的にはどういったものをメリットを与えられるかっていうと
優勝の血が流れてない豊臣兄弟にとってはお金が重要だったって面があります。
そういったところもありまして自分たちの豊臣政権を守るためにもお金が非常に必要だった。
でまた上に立つべき秀吉がそういったケチ臭い態度を見せると人ってなかなかついてこない。
であれば弟の秀吉がケチな対応をしてみんなからの反感を買ってでもお金をかき集めなきゃいけなかったっていう面もあったりするんではないかと言われております。
確かにめちゃくちゃケチだよねということで有名ではあるんですけども
戦闘外交内政そして様々な意味での天下のバランスを取っていた秀吉という方
2026年の対ガジラマ豊臣兄弟ご期待くださいませ。
ここからはアフタートークです。
今回トヨトミ兄弟ってことで話し始めましたけども僕実は原作まだ読んでないんですよね。
対ガドラマって大体原作の小説が元だと思うんですけどもまだ原作読んでない上に
しかもなんだったら僕今回話をする内容っていうのも
これ話を始める20分前にあじゃあ秀永で行こうって決めたんですね。
だからもう本当ノープランで話してるんで内容的に絶対スカスカなんですよね。
自分で今話しててうわあのワードが出ないわとかいくらでもあるんですよ。
なのでもしもこれ武将ラジ今回ね面白かったよとか言っていただけると
今後も続けていこうかなと思うんですけども
あのこれが武将ラジが好評を得て続けられるのであれば
来年の今頃にもっかいちょっと秀永チャレンジしたいなと思います。
いやもうマジ全然もう覚えてない。
そもそもね豊臣秀永がそこまで好きな武将かっていうと微妙なんですよね。
好きは好きなんですけども
あなたの好きな戦国武将は誰ですかって言われた時に
秀永の名前僕ベスト10に上げる自信がないですね。
20に入るか?ぐらいなんですよね。
好きな方ではあるんですけどもすごい好きかっていうとちょっとうんってなるところがあるんですよね。
なのでもしもねこの武将ラジ企画が続行した場合は
マジでタイガドラマの前にもっかいリベンジしたいなと思います。
それ前に豊臣兄弟の原作は読んでおこうと思います。
今回タヤマさんから改めまして本当にテーマいただきまして本当にありがとうございます。
やっぱり戦国武将好きですね。
戦国武将以外でも三国志の武将とかでも全然話せるんですけど
一応なんかちょっとタヤマさんのメッセージ的には
本当の本流ねすごい有名だとか織田信長とか秀吉とか家康とか
そこは外した方がいいだろうなと思ったのと
僕が本当に好きな武将で話せって言ったら
多分真田信行になってくるんですし
真田信行にはね誰だよって言われる可能性もありますけども
以前あった真田丸で大泉洋がやった役ですって言うと
あーってわかる方いると思うんですけども
真田幸村。本当は真田幸村って人はいないんですけどね。
真田信繁ですね。正確に言わせていただきますけども
真田幸村のお兄ちゃんですね。
実際には真田信行の幸って
実は幸せっていう字じゃないって言われてるのは
割れて幸せっていう字を外すことで
本当の真田信行のそこの字格を外します
その代わり中性を使いますよっていうエピソードもあったりとか
言われますけども実際のところは本当
長男の信行の幸は幸せっていう字なんで
幸高、正幸の後に幸村が
着男みたいに思われてるかもしれませんけども
本当の着男は信行ですよとかね
そこら辺の話がしたいなどがありまして
あとは誰ですかね
橘群重ですかね。橘群重はめちゃくちゃ面白いですよね
二人のお父さんとの逸話とかクッソ面白いんですけども
ただね、絵画ドラマとかでやるやつやっぱされてんだろうなと思いますね
やっぱり今のご時世ね
奥さんとのふなかエピソードが多い武将っていうのは
扱いにくいなっていうのがありますしね
他にも戦国武将って面白いなっていうエピソードある方は
大変多いんですよね。なんかそれでね
本当話ができればなと思うんですけども
改めてね、この武将ラジができるから
またね、もしよろしければ田山さん一緒に武将ラジやりましょう
というね、本当にオファーさせていただきまして
そこでね、まずは今回話を終えさせていただこうかなと思います
今日11日は金曜日なんですけども
明日の12日はまた別の話をしております
ので、またマンラジの方も
また僕の別番組クスケンラジオの方も
皆様どうぞ今後ともよろしくお願いいたします
今回も最後までお聞きいただきまして
誠にありがとうございました
また次回も聞いていただけると大変嬉しいです
それではまたお会いしましょう