水俣病公式確認から70年
2026-04-30 16:09

水俣病公式確認から70年

科学環境分野を中心に、テレビ番組のコメンテーターとしてもおなじみの毎日新聞客員論説委員・元村有希子が毎週気になるニュースを分かりやすく解説します。

田畑竜介
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サマリー

水俣病の公式確認から70年を迎えた今年、被害は終わっておらず、今も多くの人々が苦しんでいる現状が語られます。原因物質であるメチル水銀の排出から被害が拡大し、公式確認までに12年を要した経緯や、認定患者、療養手当給付対象者、潜在患者といった様々な立場の被害者が分断されている問題が指摘されます。未だ解決していないという認識が68%に上り、救済されていない被害者が多数存在することが示唆されています。公害の原点である水俣病から得られる教訓として、国家の繁栄の名の下に個人が犠牲になることの不当性が強調され、国には責任ある対応と、被害の実態解明に向けた取り組みが求められています。

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この時間はズームアップ。毎週木曜日は科学です。
水俣病公式確認から70年
70年前、1956年の5月1日、熊本県水俣市の漁村に暮らす幼い姉妹らの原因不明の病が保健所に届けられて、
これが後に公式確認されたということで、水俣病の公式確認から今年、明日、5月1日で70年ということになります。
今日はこの水俣病にズームアップしていきます。
毎日新聞客員編集委員の本村幸子さんです。
本村さん、おはようございます。
おはようございます。
さて、その水俣病の公式確認から明日で丸70年ということになりますね。
授業でも教えるんですけれども、割と学生の多くは水俣病を知ってるんです。
教科書で習いましたという形で知ってます。
だけど、今も続いているっていうことを知らないっていうことに私は驚かされます。
まだ終わってないです、ということを今日はちょっと強調したいと思います。
水俣市を中心として、白渚海を囲む鹿児島県とか天草も含めたところで起きたのが水俣病の被害でした。
窒素が水俣工場でアセトアルデヒドっていう物質を作ってたんですけれども、
その生成過程で水銀を使うんですね。
その水銀を含んだ排水を当時は垂れ流していました、白渚海にね。
その排出されたメチル水銀が魚に、いわゆる生物濃縮っていうんですけど、魚の体内で濃縮されて、
その魚を食事として取り込んでいた人々が水銀中毒に見舞われたというのが水俣病の概略なんですね。
1956年に公式確認されたと言いますけれども、実際には被害はその前から起きていました。
猫が踊るように死んでいく、それから飛んでいたカラスが突然落ちて死ぬ、こういった現象は地元ではよく観察されていましたし、
猫がいなくなってネズミが増えたなんていうことが報じられたりもしていたんですね。
ですがその原因がわからない時期が長くあって、例えば風土病ではないかとか言われて、それがまた今度は差別を生んだりもしていたんですね。
何かおかしいぞということが分かってきて、例えば湾内で捕れた魚を猫に投与したら2ヶ月ぐらいで発病したということも確認されていたんですが、
そうした報告が窒素種内で封じられていたりとして、被害が公になるのが遅れてしまいました。
さらにいわゆる厚生省ですね、当時の国がこの原因物質が窒素ミナマタ工場から排出されたんだと認めるのが公式確認から12年後なんですね。
なので12年の間に被害は広がりましたし、胎児性ミナマタ病の患者さんも生まれてしまったというのが現実です。
被害者の呼称と分断
患者と言いましたけれども、実はミナマタ病の被害者の方々には複数の呼び方があります。
その1、認定患者。
認定患者というのは政府が決めた認定基準、この基準を満たしていたらミナマタ病患者です、という政府の基準に照らして認定された人々。
この方々を認定患者さんと呼んだりします。
当然それに漏れた人たちというのはいるわけですよね。
過去には裁判を繰り返して、いわゆる救済、政治的解決による救済というのが図られたんですけれども、
そうした救済の網にかかって療養手当をもらっている人、いわゆる呼び方としては療養手当給付対象者と呼ばれたりします。
この方々は対象者ではあるけれども患者さんではないという変な立場というか、曖昧な身分で呼ばれています。
もちろん様々な症状に苦しんで仕事を制限されたり、様々な不条理に苦しんでいる人たちでも患者さんではないということですね。
その3、潜在患者です。
例えば認定を申請していない、それから療養手当の給付を求めていない人たちでも症状がある。
症状があるんだけれども、例えば差別や偏見を恐れたり、
これぐらいの症状だったらミナマタ病って認められないんじゃないかと思って救済を受けることをためらっている人たちです。
こうしたいろんな呼び方があるということは、同じミナマタの被害者なのに、
待遇が違って分断されているということになってしまいますよね。
この分断がミナマタ病の全面解決を複雑にしたり遅らせていたりするというふうに私は考えています。
未解決の現状と健康調査の遅延
今月27日の朝日新聞長官が報じているのですが、
朝日新聞や地元のテレビ局、熊本学園大学などが共同で行ったアンケート調査ですが、
1,175人が回答して、そのうちの68%の方がミナマタ病は解決していないと回答しています。
ちなみにどちらとも言えない、わからないが29%。
解決したと答えた人は3.5%でした。
その理由を複数回答で聞いたところ、一番多かった理由が救済されていない被害者がいるというものでした。
この救済されていない被害者というのは、先ほど少し言いましたが、
認定患者さん以外に、その周囲にたくさんの被害者の人がいるのです。
でも、いろんな理由で救済にたどり着けていない人たちがいるということです。
ちなみに、認定患者さんが何人くらいいるかということですが、
新潟で起きた別のミナマタ病は除いて、熊本と鹿児島だけに限ると、
認定患者さんは今年の3月現在で2284人です。
しかも2284人のうち、今もご存命の方、生きていらっしゃる方がだいたい200人くらい。
過去に遡って、そういう方々もおられたけれども、奇跡に入られた。
今、生きて、そういう認定患者として救済をされている方は200人くらいと考えてください。
でも、その周囲に何人いるか、いわゆる潜在患者さんが何人いるかというのが、分かっていないのです。
分かっていない。
分かっていない。
分かっていないなら、全容把握しましょうという話になりますよね。
そうですよね。
当然。
実際、政治的解決が図られたことを、裁判が国の責任です、ミナマタ病は、と言った後、
全容解明しましょうという機運が出てきました。
出てきて、熊本県が2004年に健康調査を企画したのです。
その時は、健康調査を受けるべき対象者というのは、本当に幅広く熊本、甘草、熊本、ミナマタ、足北辺りの合計47万人を対象に、
具合を調べて、あなたがひょっとしたらミナマタ病かもしれませんということを調べ、掘り起こしたいという企画をしたのですが、
政府が5ネタ。
ネタこう起こすな的な。
結局、この健康調査なるものは、今年度始まることになりました。
20年かかったのです。
しかも、本当にこれ、とても時間のかかる、そしてたくさんのMRIとかいう機械をいっぱい使うということで、
対象者が、さっき47万人を対象にしようと言った熊本県の構想とは全然違う。
めっちゃ絞られて、1000人。
え?
何でそうなるんですかね。
1000人。
たったの?
1000人を複数年かけて調べるって言うんですよ。
でも、70年、公式確認から70年、胎児性ミナマタ病の方を入れても、どんどん高齢化が進む中で、
これをイエスと言ったら、被害の前容はわからないままになっちゃうんじゃないかという声が上がっています。
結局、ミナマタ病の前容はわからないまま、歴史の中に封印されていくんじゃないかということが、地元の人たち、支援者の危機感ですよね。
水俣病から学ぶ教訓と現代への示唆
私たち、この公害の原点と呼ばれたミナマタ病を生んだ国に住んでいますので、
少なくとも、このミナマタ病の実態、それからそこから得られる教訓というのは、きちんと学んで、二度と繰り返してはいけないんですね。
その教訓で一番私が言いたいのは、
国家の繁栄という認識の御旗のもとに、個人が犠牲になって耐えしのぶことを強いられるということは、あってはならないんですよ、本来。
それって、例えば太平洋戦争末期の空襲の被害者の人たち。
この人たちも、いわゆる軍人の遺族の人たちは、いろいろ恩求とかがあるのに、空襲の被害者の人たちは何も保障がないということで、住人、耐えしのんでくださいと言われていますよね。
それから、2011年の東日本大震災の時に起きた福島の第一原発の事故。
この時もたくさんの人が、自主的にあるいは強制的に避難をさせられて、そこの避難先でいろんな生活の再建を余儀なくされたんですけれども、ここにもやっぱりいろんな身分の分断が起きて、救済がきちんと図られていませんよね。
結局、こういうことを繰り返している日本で、南多病が70年を迎えるということの意味を、もう一回きちんとかみしめないといけないんですね。
2年前に南多病患者の方々と厚労省の人が向き合った場でマイクオフするということがあったじゃないですか。
ああいうところにも、そういう態度にも出てたじゃないですか。本当に向き合ってないんだなということをね。形だけっていうね。
国にはもう少しね、しっかりと責任を取ってもらいたいんですよね。
被害者の訴えと今後の課題
大地製南多病の患者さんの坂本忍さん、この方は1956年に生まれたので、今年9月に70歳になるんですけれども、今も南多病の現実を世界に訴えていて、こんなふうにおっしゃっているので、その言葉を紹介したいです。
お願いします。
南多病は終わっておりません。公害を起こさないでください。女の子と子どもを守ってください。何遍も何遍も言わなければ伝わらない。私が元気な間はみんなに分かってもらえるまで話していく。若い人たちに自分の問題として考えてほしい。
そうですね。70年たって今もこうやって終わっていない。苦しみが続いている人もいるっていうことをね、我々もしっかり知った上で、じゃあどう解決ができるのかっていうところまでね、しっかり見届けていかなきゃいけないなと思いました。
本森さんありがとうございました。
ありがとうございました。
この時間はズームアップ。木曜日は科学をテーマに、元森幸子さんに解説してもらいました。
16:09

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