1. お気楽主婦ですけどなにか?笑
  2. 16, 目の前で人が転びそうにな..
2025-11-11 31:05

16, 目の前で人が転びそうになったらどうしますか?

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サマリー

目の前で人が転びそうになったとき、どのように行動すべきかを考えます。社会における効率性の求められ方や、他者を助けることの重要性について深く掘り下げます。また、ヘラルボニーの取り組みを通じて支援の方法についても触れられています。このエピソードでは、他者を助けることや無視することに関する個人的な経験が紹介され、成長や社会性の影響について探ります。特に、困っている人を見かけた際の行動や子供時代の思い出が共有され、周囲との関係性がどのように人間の行動に影響を与えるかについて考察します。エピソードでは、人々が他者を助けたいと思う心のあり方についても考えます。目の前で人が転びそうになったときの行動や日常の中での観察の面白さについても語られています。

困っている人への気持ち
おはようございます、Moです。こんにちは、こんばんは。皆さんお元気ですか。私はおかげさまで元気です。
えーと、今日16日目になりまして、ちょっと明日明後日以降、緊張していますね。
いつも17日、18日目でギブアップしていたことがあるので、ここからあと数日間は、18、19日、20日、あ、20日っていうふうに続けられるように、ちょっと今準備を、心の準備をしています。
まあ本当は遊びなんですけど、でもね、すごい遊びといっても、なんかやっぱりこうやって、ちょっと時間が空いたときというかあるときに、
あれ、今日は何話そうかなーとかって思う瞬間とかに、まあちょっとその時の、まあ状況にもよりますけど、
なんか、あ、この話はちょっと自分でもとっておきたいなーみたいなのが思いついたときは、すごく気持ちがいいですね。
で、今日はね、ちょっとやっぱりなんとなくいい感じの話、思いついたので、あの自分もすっごい考えてきたことなので、残しといていきたいと思います。
えっと、目の前で人が転びそうになったときどうしますかっていう話なんですけど、これ結構いろんな話聞いた中で、
これを覚えておくと自分の中で、あのいいなーとかって思っていて、あの本当人がたくさん生きていく中で、やっぱりこう世の中って、
本当にまあしょうがないんだけど、資本主義で経済が成り立たないと、やっぱりこう私たちが受けている恩恵とかだよね。
今だってもう私が今こうやってインターネットでこうやって話させてもらっているのとか、電気がここに通っていることとか、
もうすべてのことがね、経済が成り立たないと回っていかないわけで、そういうのがちゃんとしていない国とかにまあ私も行ったことがあるから、
それを目の前で見ているので、自分はやっぱりこういうところには住めないなーとかって思ったりしていることがあるので、
見たことがない人に比べればすごいちょっとその辺の思いは強いのかなとかって思ったりするんですけど、
本当感謝なんですよね。だからそういう中で生きていくっていうことを決めてるというか、それが自分に合ってるなと思っているから、
こういったいろんな本当に資本主義の恩恵を受けた経済が回っている世の中に住ませてもらっているってことなんですけど、
それでもやっぱりその社会で一般的にやっぱり効率とかがすごく求められてばかりいると、そこに乗れない人たちっていうのももちろんいるわけですよね。
今日バックグラウンドに入りつけてあるのは後から見ていただく方はサムネになっているんですけど、
もうみんなよくご存知のヘラルボニーさんのTシャツなんですけれども、
これもコテンラジオに出会ってからそこにヘラルボニーの双子の2人が出たということで、
あの時にすごく普段自分がボランティアなどに力を貸せないし、
お金とかもどこに寄付とかすればいいのかもわからないし、
昔からお友達のお母さんとかでずっとアフリカの方に食糧支援ということで毎月お金を送ってらっしゃる方がいたんですけど、
その方今でもそれをされてるということでもうだからもう50年ぐらいとかずっと。
その方とかはやっぱりインターネットとかない時代だったので、
ちゃんと毎月送金する、封筒にそれを入れてきちんと送金する、
まとめて送ってくれる、会社じゃなくてそういう財団法人のようなものですかね。
そういうところに送って、そこから送ってもらうアフリカに。
それを受け取った子どもたちから手紙が来たりとか、それも英語だったりとかするわけで、
その英語が読めるからそのお母さんはずっとされてたわけですけど、
そういうのも私なんかだったら親とか英語読めないし、
そんな毎月お金を包んで郵便局に行ってっていうお金も余裕がなかったし、
郵便局に行くっていうそういう時間の余裕もなかったと思うんですね。
うちの母や父にしてみれば。
だから私はそういう家庭では育ってないんだけど、
友達のうちは多分ちょっとその時で言ったら裕福だったからそういうことができて、
だからそのつながりでそのご家庭にはよく海外からのお客様も来ているようだったし、
だから子どもたち、私の友達たちももうやっぱり私なんかよりも今思えば視野がすごい。
視野というかいろんなことを外にいることとかを知っているので、
自分の痛みとかっていうものは大したことないよってよく言ってたのを覚え、
今思い出すと思い返すんですよね。
それでそういうことを考えてたときに、
でも私としてはやっぱりお金もないし時間もないし、
そういう知識も何にもないんだけど、
でもやっぱり目の前で誰かが困っていたら何か手を差し伸べたくなるじゃないですか。
それが例えば目の前で人が転びそうになっているときに手を差し伸べませんかっていうことなんだけど、
社会と教育の影響
そういう気持ちってみんな持ってると思うんですよ。
あと自分が転んだときに、誰か私を助けてみたいに一瞬思うとか、
そういうのって最近深井さんがよく、別の意味で言ってるかわかんないけどよく使われますけど、
それがホモサピだよねっていうことあるけど、
私はそれは全然後からついてきたと思わないくって本当に元々持ってるもので、
でも残念ながら私とかはそういう教育をきちんと家の中で受けてなかったりとかして、
困ってる人全員に手助けとかできるわけじゃないけどないから、
だから親としてあって多分周りの人だって大人だって、
私が見てきた人たちがみんなを助けてるとは思えないわけですよ。
効率的に動けない人たちに対してとか、
すごい力を注いでる人とかっていうのがなかなか周りにいなかったんですよね。
でもやっぱり私もちょっと子育てしてるときとかでも、
やっぱりこの子供たちを育てるときにこういった思いですね、
なんか自分たちだけこんなんでいいのかなみたいなのはずっとどっかにあったんですけど、
ポッドキャストとかを始めるまではそれをなかなか話す相手もいなかったし、
でも結局私の心の中にはいつも、
自分たちだけこうやってしてていいのかなみたいなのがずっとあったんですよね。
それでいろんなご縁でいろんな話を聞かせていただいて、
例えばひとつこうやって、
ヘラロボニーさんがいなければ、
収入とか自力でなんかできるような感じはないんだけど、
それを手助けというか仕組みを作ることによって、
その才能を持っている方たちがそれが作品になったりとか、
製品、プロダクトになって、
このマーケットに出せることができて、
それでそのご本人たち皆さんが、
こちらでは異彩って言われているけど、
その異彩のアーティストさんたちが、
確定申告までできるようになるみたいなインカムができるからね、
企業家として一人の人としてというか、
会社として会社というか自営業になるのかなアーティストだから、
アーティストとして確定申告ができるようになる。
この前なんかちょっとその辺詳しく知らないんですけど、
確定申告は本人が行かなければいけない、
本人がしなければいけないという決まりになっているらしくて、
でもそこにぶつかったときに、
またヘラルボニーさんがこうやっていろんな仕組みを変えられるように、
今されてると思うんですよね。そういうのも聞いて。
ヘラルボニーの取り組み
そういった仕組みことを私は実際にはできないんだけど、
ヘラルボニーさんたちがやってること。
だけど私がじゃあできることって言ったら、
やっぱりめっちゃ応援することかなと思って、
本当なんか最近はバッグとかTシャツとか、
なんか自分で買うもので、
なんかあのヘラルボニーさんが出してるもので、
なんかちょうどいいものがあったらなるべくそちらを買うようにしたりとかしていて、
で、使ってると素敵だねって言ってくださる方がいるので、
なるべくそれでなんかいろいろ、
今私が今言ってるようなことを付け加えるようにしたり、
すごいんだよみたいなことを言って付け加えるようにしたり、
どういうことになってるのかとか、
でコテンラジオを進めたりとか、
そういうことってまあ私ができることなので、
もう転びそうになってる人に手を差し伸べるっていう気持ちがね、
自分の中では少しずつそういうことができない人間だとずっと思ってたんだけど、
本当まだまだ足りないかもしれないけど、
少しなんかやれてるなっていう風な、
なんか安心感というかに変わってるんですよね。
それ以外にもやっぱり、
ポッドキャストとかを配信しながら、
あの私が結構本当にフェイストフェイスで実際にお会いしてきた、
今までね出会ってきた方の中でも、
なんか話聞くとすごい元気が出ましたとかって、
おっしゃってくれる人が結構今までもいたので、
もしかしたらせっかくこのオンラインがあるから、
なんか私が話していることとか、
私が言ってる、
言ってるじゃなくて、
考え方みたいのがもしかしたら、
誰かに届いた時に、
その手を差し伸べている状態になれるのではないかみたいな、
ちょっとした期待もあったりするんですよね。
これあんまり今までも話してないんですけど、
私本当にいつも言うけど、
苦しんでる人たちとかを想像するだけでも、
もう心が痛んでしまうので、
自分だけが楽しくしてても、
その裏腹に、
なんか自分だけこんな楽しくしてていいのかなっていう気持ちが、
いつもいつもあったんですよね。
それは多分、
私がもともと思っているものだから、
本当仕方ないんですよね。
多分本当、
それが分かってきたのは、
5歳ぐらいの時だったと思うんですけど、
5、6歳?
そうだな、5歳ぐらいかな。
前も1回ぐらい思い出した時に話したことがあるかもしれないんですけど、
昔の番組、自分がやってた番組で、
そうだよね。
幼稚園の時に、
自分よりも、
ちょっと言葉難しいんですけど、
弱いというか、
自分で助けられてない子がいたわけですよ。
お友達、
お友達じゃないよね、
クラスメイトなんですけど、
いつも先生に怒られちゃう人がいて、
なんか知らないけど、
怒られちゃう子のことを、
私は助けに行っちゃったんですよね。
それを今でも覚えてるんだけど。
それは大人にとっては、
何、ももちゃん、やっちゃってんの、みたいな。
この子は悪い子だからしょうがないのよ、みたいな感じで言われた時に、
その時、私は泣きたくなってギャン泣きをした覚えがあるんですけど。
それって、
他人事みたいに思い返すわけなんですけど、
全然ピュアなことだと思うんですよ。
自分がその子の立場だったらどうなるだろうとかって、
思いますよねとか思いませんで、
私がちょっとおかしいってよく言われるから、
あんまり人に同じことを思ってますよねとかって期待はしないわけなんですけど、
私はその時に、その子の立場だったらめちゃくちゃ悲しいし、
今でも覚えてるのは、その子はあんまり、
わざと先生に怒られるようなことをしてるのではなくて、
ついつい本人がやりたいことをやると、
ちょっと場違いなことをしてるみたいな感じで、
私とかは結構その頃から、
先生とかに話したりとか、
うちの親とかにも自分がこうしたいとかいうことを言える人だったんですけど、
その子は全然言えない子だったのはわかるんですよ。
他者を助けることの重要性
やっぱり言葉がすぐ出てこないタイプだったんですよね。
だから言い訳とかできないわけですよ。
自分がこういうことやってるっていうこと説明できないの。
それは私は5歳の時にそれ見てわかってたから、
その気持ちもなんとなく、
あの子の立場だったらやばいよね。
ちょっとネズミ部屋に入れられそうになってるけどって思って、
私はかわいそうだって言って、
止めに入ってギャン泣きしたわけですよね。
そういうことが結構何回かあって、
いじめられてたっぽい子、
これは先生から後から教えてもらったんだけど、
あんな時があったのよね、もーちゃんにはっていうのは、
男の子たちが一人の女の子をめっちゃいじめてたみたいで、
それが私は助けなきゃいけないと思ったらしくて、
男の子たちにすごい文句バーって言って、
でも泣きながらバーって言ってたみたいな。
何それって感じだけど。
でもそれと反面、本当に本能的にそういうことをする反面、
逆にやっぱり周りに合わせるっていうことも私は多分できちゃってて、
だから誰かが人をちょっといじめっていうか、
無視するとかっていうときに、
やっぱりこの雰囲気の中で私も無視しなかったら、
こっちがいじめられる子になるんだなとかってなっちゃうから、
子供の時やっぱりそういう経験も、
いじめられた経験もあるし、
無視しちゃったりとか、
いじめということは私はちょっと、
本当に具体的にしたことはちょっと覚えて、
記憶の中では全くないんですけど、
話をこの人としないっていうことをしないと、
自分もそうなっちゃうということで、
育児のない人間ですけど、
その人とは話さないみたいなことをやっちゃって、
成長と社会性の影響
そういうふうに周りと多少合わせるってことができちゃう人間だったんですよね。
だから、
そういうことの後悔もありますね。
でもあそこで、
なんか、
絶対とか言ってそうに、
なんか、
無視する、無視しないで、
こっちの人たちに、
私が、
私の方にそれが来ちゃったら嫌だなとかって思ってたのは本当にありますよね。
でもその年はそうかもしれないけど、
他の年には結局、
なんか私も、
なんか無視される、
なんか対象になって、
とかね、
修学旅行の時よく覚えてるけど、
あの無視されてる、
2人かな、
私たちが無視されてる2人で仲良くして、
もう本当に写真とか見ると、
なんかちょっと離れてるみたいな、
みんなから。
でも私は本当あの時も強かったなと思う、
強さ出てたなと思ったんだけど、
なんかその2人でいて良かったよねーとか言って、
言ってたっていうか、
で、2人でいる時の写真見るとニコニコ2人ともしてるので、
で、あとバスの席とかもね、
今前ちょっと思い出して、
思い出しててか写真見て思い出したのは、
なんか先になんか団体の人たちが、
そのみんなグループになってる子たちが先にバーって、
バスの席も取っちゃって、
私たちはなんか端っこ、端っこってか、
みんなが嫌がる前の方に座るみたいな感じのことをしてたなーとか、
と思って、
まあその子とも中学ぐらいまで仲良かったですけど、
だからね、
そういう思いとかあるんで、
だから何て言うのかな、
何を言いたかったかっていうと、
感情的に誰かをこう、
逆の立場も経験してますけど、
人を無視しちゃうとかっていうことも経験してますけど、
ちっちゃい時からは自然に、
なんかこう、なんか、
助けちゃうみたいな気持ちがあったっていうことはね、
すごくあって、
それがやっぱりね、
最近になって、
もうまだね、
なんか、
ずっとあるんですよね。
それで申し訳ない私がその社会に、
順応性があってしまったがために、
そんな良くない、
良いことか悪いことかっていうことをきちんと判断しないで、
これがね、
小学校の高学年なんですよね。
小学校の低学年の時は本当に、
正義感あふれる子だったと思うんだけど、
その後に社会性がどんどん出てきて、
人に対してそうやって無視するとかが出てきて、
で、まあ小学校を告げれば、
社会的な余裕とコミュニケーション
もう、
なんかね、
それぞれなんか別に、
なんか、
それぞれなんで、
まあ、
人をどうのこうのなんていうことはしなかったわけですし、
しなくなるわけです、
なったわけですけど、
私たちの頃はね、
私の頃はね、
だから、
その、
そうだな、
だからみんなどうかなと思うんですよね。
本当大人になっても、
実は自分に余力があれば、
手を差し伸べられたりとかするんだけど、
いっぱいいっぱいだから、
日本に帰ると本当に思うんですよね。
なんか、
あの、
あの電車の中とかね、
すごいでも、
心温まることを見ることも多くなったので、
すごくいいなと思うんですけど、
なんか、
あの、
席を譲り合いすぎて、
結局席が空いてるみたいなね、
電車の中とかでね、
みんな、
だからちょっとコミュニケーション取れば、
座りたい人が座ればいいのになとかって思うんですけど、
そういうのって結構やっぱ、
本当、
まあ私もね、
そんないろんな国行ったことがあるわけじゃないけど、
アメリカとか行けば、
まあ、
あの、
話すんですよね、
みんな結構全然知らない人とかでも、
だから、
あの、
で、そこで挨拶とかもね、
なんか顔が、
目と目があったら挨拶とかとかするけど、
するし、
するけどじゃなくてしたりするし、
だから、
なんかその譲り合いみたいのももっとうまく、
日本ももっと、
全然関係ない人でも一応みんな人間だからみたいな感じで、
できればいいなとかっていつも思って、
私は一人で、
なんか全然知らない人にも、
結構笑いかけて話したりとかする方なので、
ちょっと変わってる人だと思うんですけど、
あの、
それもね、
なんか、
私も勉強不足ですけど、
今、
あの、
またコテンラジオの話になっちゃうけど、
そこでなんかアメリカの、
なんか、
あのね、
アメリカがどうに建国されてみたいなことから、
ずっと話してますけど、
そのバックグラウンドにあるのが、
やっぱりクリスチャン、
キリスト教で、
みたいなことで、
その辺でやっぱりだから、
譲り合うとかっていうことが、
もう本当に、
その宗教のその教えと、
すごいつながってるのはあるんですよね。
だから、
あの本当の心が、
心からこうしたいと思ってるのかどうかっていうのは、
どうやって分かるのか、
ため、
えっと、
測ればいいのかよく分かんないけど、
みんなそういう譲り合いだとか、
まあ自分が、
なんか、
助ける側になれるときは、
いつでも助けるみたいな、
感じを、
なんです、
感じなんですよね。
だから、
そういうのってやっぱり宗教に関係するのかなとかって、
まだまだこれからも勉強したいんですけど、
まあ今日言いたかったことは、
とにかく、
本当にほとんどの人がみんな、
なんか、
自分よりも例えば弱い、
もの、
例えば子供とかもそうだけど、
あの、
体の不自由な方たちを見たら、
ついつい手を差し伸べたくなっちゃうっていうのが、
なんか自然なことなんだけど、
まあ例えば、
急ぎすぎてたりとか、
あの、
急いでどっかに行かなきゃいけないとか、
あのやっぱりそちらの方を優先しなきゃいけないときは、
やっぱり、
例えばゆっくり歩いてる、
エスカレーターとかもそうだけどさ、
あの、
ゆっくりになってたりとかすると、
まあ焦りますよね、
自分が焦ってるから、
次にね、
やることがあったりしたらやっぱり困るし、
だから、
そういうこと、
本当は気持ちがあるけど、
やっぱり、
今の社会、
社会というかね、
構造が、
あの人を、
そういうところに気持ちを持っていけるだけの余裕を持っていないってこと、
持たせてもらえてないってことなんだろうな、
って思ったりしています。
で、
このねTシャツのこの、
ペラロボニーさんのプロダクトって、
必ずこういう、
これはTシャツの中にはこういうポストカードっぽい大きさのものが入ってるんですけど、
あのバッグの中とかだと、
ちっちゃいタグになってその、
アーティストさんの、
作品のアーティストさんの、
ちょっとコメントが載ってたりするんですよ。
で、これねすごく良かったので、
えっと、
これ井口直人さんという方の作品なんですけど、
あの、
町のコンビニ、
ちょっと読んでみますね。
町のコンビニと施設のコピー機を使って、
自分の顔とその時々に気に入ったものを写し取ることを、
毎日の日課としている。
ガラス面に顔を押し付け、
自分でボタン操作し、
センサー光、
光のね、
動きとともに体を動かすことで、
画面に独特の歪みを作り出す。
作品の中に多用されるシールは、
施設でのアルミ缶作業中に剥がした、
景品応募シールで、
これまで何度も当選している。
すごいね。
応募シール集めるんだね。
で、近所のコンビニには、
20年余り、
毎日通っており、
終わると店員さんが、
手際よく、
ガラス面についた顔の油を拭いてくれる。
なんかめっちゃよくないですか?
このさ、
近所のコンビニに20年とか通ってて、
毎日ちゃんとなんか、
あ、また来たね、
みたいになるんだと思うんですよね。
で、また来たねって言った時に、
なんかこのコンビニの人が、
なんかその作業効率とか、
なんか店のね、
なんか、
なんていうの、
営業防具ガイダーみたいなことを言ったりとかしたら、
なんか全然これは成立しないわけなんですけど、
なんか、
あ、来たね、
なんか多分尚人さんだから、
あ、尚人くん、
今日も来たの?って言って、
今日は何するの?みたいな感じで、
ちょっとそのコンビニの方にも余裕があったりすると、
もしかしたら余裕がなくても、
この子来たから、
他者を助ける心
もうVABだってか思って、
なんか、
他の仕事の、
してるのの手を止めて、
なんか、
そこの油を拭いてたりくれたり、
顔の油を拭いててくれたりとかするっていうのを、
ちょっと想像したりすると、
めっちゃ楽しそうじゃないですか。
それで、
それっていいよね、
みたいな、
思うんですよね。
私すごい思うんです。
そういうのって、
もし、
私もちゃんと余裕があってたら、
そういうふうには、
コンビニの店員さんみたいにちゃんとしたいな、
とかって思ったりするんですよね。
で、
私もそんな20年も毎日通ったことはないですけど、
やっぱり一つのところに通うのが好きなので、
なんかついつい、
こういうお話を聞くと、
私もね、
実は、
この前もこれ話してて笑ったんですけど、
東京行くと、
東京、
シンガポールからは行ってるわけですけど、
他にもたくさんいろんな場所あるけど、
東中野の、
クラフトビールバーですね、
ポートキャストのスタジオ設置されてる。
そこに、
必ず行っちゃうんですよね。
だから、
それと似てるかも、
とか、
ついついそこに行っちゃうみたいな。
そういう習性なんですよ、
多分ね、
私なんかも。
だから、
そこで、
もしね、
また来たの?
みたいな感じで、
嫌な顔されたりしたら、
もう私、
めっちゃ泣きそうになるんですけど、
居心地がいいから行っちゃうので、
多分、
この直人さんも、
このコンビニさんが、
めちゃくちゃいい感じなんでしょうね、
とかね、
そういうことを想像して、
えっと、
なんか、
このTシャツに、
私3枚持って、
今ここに写真には2枚ですけど、
3枚持ってて、
なんか色が好きなんでね、
私、
あの、
気に入ったものがあると、
結構何枚も買っちゃう方で、
いつもなんか、
前も思い出すとね、
同じの毎日着てたんですよ、
違う、
今日洗ってるんだよ、
だけど、
そういえば亡くなった父がね、
それさ、
君はさ、
なんか、
毎日着てるけど、
ちゃんと洗ってたって、
言ったのを覚えてますけど、
いや、
これ大丈夫、
なんか3枚あるから、
みたいな感じで、
そういう感じですね、
はい、
だから、
まあ、
なんていうのかな、
人の、
うーん、
まあ、
なんか、
こう言葉にすると綺麗事みたいなんですけど、
一人一人の人の営みがね、
なんか、
こう、
誰かが、
それを見ている、
誰かずっと観察してたりしたら、
一人の人、
自分のこともそうですけど、
まあ、
考えてみて、
もうなんか、
あの、
観察してみたら、
めっちゃ面白いですよね、
朝から、
なんか、
うちとかは、
なんか例えば、
なんか、
おならしただけでも面白いじゃないですか、
自分がおならしたって、
あら、
あの、
ほら、
なんていうの、
えっと、
自動的に、
自動的にじゃない、
不意に出ちゃったのとかって、
笑っちゃうじゃないですか、
なんか、
全然、
あの、
それ、
でも、
なんていうの、
意識してなくて、
あ、
出ちゃった、
みたいなって、
おかしいじゃないですか、
そう、
だから、
そういう、
そういうことなんじゃないかなと思って、
人間の営みって、
別におならはずっとしてなくてもいいんですけど、
なんか、
私は一つ一つの動きとかも、
結構、
面白いなとか思ってて、
もう、
自分にも笑っちゃうし、
だから、
周りにいる人たちが、
面白いところあったらすぐ、
ちゃちゃ入れちゃうんで、
まあ、
そういうことやられたくない人、
めっちゃ、
嫌われてると思うんですけど、
そんな感じでね、
あの、
結構、
自分がやってることって、
面白いので、
でも、
その面白さとかが、
えっと、
この世の中のね、
なんか、
この、
効率的にするとか、
なんか、
誰かが決めてる、
ちゃんとする、
みたいなものに、
そぐわない場合があるわけですよ、
そういうときに、
みんなが、
かっこいい、
かっこいい、
かっこいい、
かっこいい、
かっこいい、
そういうときに、
みんながっかりしたりとか、
まあ、
あの、
やってることが、
なんか、
ちぐはぐになっちゃうとか、
なんか、
私もそうなんですけど、
例えば、
なんか、
ずっと同じ作業して、
してられないとか、
なんか、
いろいろ、
いろいろ、
ね、
あの、
話が、
なかなかうまくできないとか、
なんか、
できないこと、
いっぱいあるはずなのに、
なんか、
できる人とかが、
なんか、
自分がちょっとできるからって、
なんか、
偉そうに言ったりされると、
こっちって恐縮しちゃうじゃないですか、
で、
その恐縮するのが、
毎日、
毎日、
毎日、
まあ、
例えば、
会社行ったりとかすると、
あるんだと思うんですけど、
もうその、
できる人とか、
もう、
えら、
えららない、
えばらないで、
と思って、
せっかくできるんだから、
なんか、
できる人の方が、
ちょっと、
まあ、
自分でできると思ってる人っていうか、
あの、
いけてるなって思う人は、
もうちょっとさ、
なんか、
それが誰かのことできてないなと思っても、
もうあなたとは違うんだから、
あなたとは違うんだから、
あなたとは違うんだから、
たぶん、
そうだったら、
友達っていうか、
友達じゃない、
周りにいるね、
一緒に仕事してる人なのかなから、
教えてあげなさいよ、
とか思うんだけど、
まあね、
全員に余裕があるわけじゃないからね、
とは思ったりするんですけど、
まあ、
こういうことです。
じゃあ、
何も解決しませんが、
えと、
みんな、
目の前で人が転びそうになったりしたら、
あの、
自分がどんな状況でも心の中では、
助けてあげたいなって思ってると思いますっていう話でした。
日常の面白さ
どんな状況でも心の中では助けてあげたいなって思っていると思いますっていう話でした
ありがとうございました今日も聞いていただいてまた明日またねバイバイ
あ一言皆さんもいい感じの一日をお過ごしくださいませ
ではではバイバイ
31:05

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