漫画と正義の考察
8月6日の声日記をアップしようと思います。
今日は、8月6日ですね。
漫画に、アニメ、漫画、どっちや、漫画かな?
漫画にまつわる話をいくつか思うんですけども、
わし、ベタベースが、ワンピースが大好きで、
モンキーディーフィ、ロフィーのやつね。ゴムゴムの実のやつ。
あれがめっちゃ好きなんですけども、
そこのね、海賊、オオカシブカイっていう、
強い海賊7つあるんですけど、
その中の一人のね、
ドンキフォーテッドフラミンゴっていう、
本当にね、嫌なやつがいるんですが、
そいつのね、名台詞がございまして、
正義が勝つ?
そりゃそうさ。
勝った者だけが正義だっていうね、
あのセリフがあるんですね。
勝った者が正義という、
原子爆弾の認識の変化
非常に残酷も正しい真理がございまして、
なんでそんな話かっていう話は、
ちょっとそこに横に置いといてね。
戦慄、これも一つ最近というか、
そこをずっと見ております、
プロジェクトXというNHKの番組があって、
名もなき人々にスポットライトを当てるね、
番組なんですけども、
そこで出てきたのが、
先週かな、最新回。
皆さん漫画の裸足の源ってご存知ですよね。
原子爆弾の、
広島に落ちた原子爆弾の被爆した少年が、
息抜いていく漫画ですけど、
これをね、全世界に発信しようと。
当時、何十年も前ですから、
まだ認識が厳しい時代ですけども、
原子爆弾についての、
そういう時代に語訳をして、
アメリカにこの漫画を置こうというふうに、
放送した人々の話ですね。
それが全世界に今広まって、
全世界で訳されて、
私の原画が読まれているというようなお話で、
私もこの漫画は小学校の時に読みましたし、
うちの娘なんかも何回も読んだかわからないので、
家に置いてありますけども、
この話のいいところというのが、
要するに、
どちらが被害者でか害者だという話じゃなくて、
人間というものはね、
お父ちゃんのセリフが一番いいかな、
原のお父ちゃんがいつも言う、
原の麦になれ、
踏まれても踏まれても立ち上がっていく、
麦になれという、
名セリフがあって、
本当に悲惨な愛ながら、
歯を食いしばって、
それでもね、
アートは世界共通のもんやということで、
原はね、希望を持って生き抜いていくというところに、
本当にこの漫画の救いをというか、
人間のありをというかな、
というようなものを、
戦争の悲惨さというようなことをね、
描いている作品なんでございますけども、
それが描かれていました。
印象的なのはね、
自分たちが死んでも、
原はこの先100年も200年も生き続けると、
漫画としてね。
で、戦争の悲惨さということとかをね、
人に問い続けるという作品だということでね、
確かになと思ったんですけども、
本日8月6日の日経新聞に載ってました、
アメリカ人の意識調査というのがね、
今日載ってたんですけども、
一発でも当時原子爆弾を落とすべきでなかったという
認識がね、1945年の11月に取られた
アメリカ国内での意識調査では、
わずか4%だったんですかね。
それが今年、去年かな、取った意識調査では、
36%だったかな、8%だったかな。
要するに3分の1の人は、
あれは一発も落とすべきでなかったという認識になってきた。
若者を中心にね、原子の原なんかを読んだような、
図書館で借りて読んだような、
若い人たちが一発も落とすべきじゃなかったという認識になったというような
形の話だったんですけども、
いわゆるまだ3分の1なのか、
もうそこまで3分の1もそうなったのか。
当時アメリカはもう、戦争を終わらすために
たくさんのアメリカ人の兵士をこれ以上死なさないためにね、
正義の二発やったんや、みたいなことを献殿し、
ものが正義と、そういう時代だったわけですね。
そういう記事が今日、8月6日の日経新聞に載っていたというようなことでございます。
変わらない正義の探求
どういうデータを取ったのかわからないから、どこまでの信憑性ってあるか、
間違いなく増えているは増えているということが書いてあったということでした。
あったものが正義とかなんですけども、
また漫画の話になりますが、今度はアンパンマンの話やね。
今、朝のレンドラでね、アンパンマンの作者、柳瀬隆さんの奥さんか、正確に言うと。
そこにスポットライト当てた、やってますけども、そこに出てくる話ね。
正義というのはその場その場で塗り替えられるので、
普遍的な正義、変わらない正義というのは何なんだということを見つけたいというふうに、
それを主人公が、主人公というか柳瀬隆さんが言うと。
それでアンパンマンを書き始めるんでしょうけどね。
変わらない正義というようなことを漫画で問うているという、
本当にアンパンマンという名作ですね。
それをちょうどまさに思い出したというか、
正義だと疑わず軍国主義を応援したのに間違っていたという話でもって、
変わらない正義を探し続け探求したいというお話なんですけども。
変わらない正義というのはね、数少ない変わらない正義。
みんな気づいているというか、要するにね、
戦争なんかでたくさんの人が死ぬというよりは、
人が死ぬということについて、
間違いなく罰なんだということはここで知っている。
これはまあまあでも間違いない。
これは人類にとったら、
これこそ本当はみんなが知っている変わらない正義なんだよね、
っていうようなことをね。
勝ったものが正義という真理の一方で、
変わらない正義というのがね、
戦争で人を殺めてはいけないという原子爆弾の一発も落とすべきじゃなかったという認識。
本当はみんな持てるんだというようなことを今日記事として認識して、
そうなんかと。
アメリカもね、正しい教育って別に何が勝った負けた、
ダメなものはダメなんだって。
若い子中心に自分のやってきたことをね、
どっちが悪いとかなんとかじゃなくて、
正しく、正しくというかね、
人として理解が深まっていっているなというふうに思った記事を
今日読んだということを漫画になぞらえて、
それから裸足の原はこれからもそれを伝えていくというようなことをね、
ちょっと思った朝の通勤時の新聞を読んでそう思ったって話なんですが、
一方でね、みんな分かっていながら、
集団心理とか、自分が間違っていると思いたくないとか、
自分だけが違う行動を取りたくないという集団心理というものは、
本当に人間というのは弱いもので、
本当は分かっていても、そう信じ切ってその流れに乗ってしまうというのは、
今も昔も人は変わらないので、
いつ自分がそういう当事者になって、
それに上がろうことができるのか試される、来てほしくないけどね、
そういう習慣も常にいつだって、
今もどこか世界各国で起こっているんだということを思いつつ、
今日8月6日ということで、
広島に原子爆弾が落ちた日ということで、
新聞を読みながらちょっとしみしみ思ったという話でした。
安全になくなったとは言いませんけどもね、
広島の街も復興しましてね、
放射能は消えましたが、
裏腹にね、36%か8%か、
型が一発でもダメだというふうな認識になるまで、
80年、80年経っても、
人の心の放射能は消えきっていないというのが現実ですね。
ということで今日はこのへんで、それではまた。