会食の思い出
おっすおっす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
今日はライブ配信できないかなと思ったんですが、
この夜遅く22時30分になろうとしているところで、
ライブ配信をすることができました。
今、ぼくはですね、友人と会食って言うんでしょうかね、させていただきまして、
まあ、持ち寄りのね、パーティーだったんですけれども、
友人の家にお邪魔をしてですね、
で、みんな1品ずつというか、お料理を持ち寄ってご飯を食べるということで、
もおちゃんもやりましたよ。
でさ、この会食の時ってさ、
何を持ってくのかってのは結構難しくってね、
まあ、悩みますよね。
結構悩むよねって思います。
もおちゃんは今回、鍋を作っていきました。
え?鍋?料理なの?みたいなところがあるかもしれませんけれども、
みんながね、小さく、小さくというかおかずをちょっとずつこう持ち寄って、
で、1つのテーブルを作っていくっていうのが、このね、ホームパーティーですけれども、
このホームパーティーの中で、
まあ、もおちゃんは鍋をドーンと持ってって、
そして、お米をあと持ってって、
でですね、お米と鍋で一緒に食べられるような感じにしていきました。
で、何の鍋を作ったのかっていうと、
カレーの薬膳鍋ですね。
今日はですね、様々なスパイスをそこに入れて、
あとは畑で採れたですね、お野菜をふんだんに入れて、
あと、レシピとかを見るとですね、
こういったカレー鍋みたいなものは、
だいたい豚肉が入るんですけれど、
もおちゃんの一応心情的に、
やっぱりお肉を入れたくないなっていうのがあってって、
別にこれで語弊があるかもしれませんけれども、
もおちゃんはですね、
今、そのお肉をあまりこう自分で買うっていうことはしないんですね。
いただいたら食べるし、
そういうことになったらいただくんですけど、
もおちゃん自身がお肉を買うということはしないっていうことになった時に、
シーフードをしようということで、
エビとか、あとホタテとかを入れてね、
まあそんな感じでですね、
カレーの薬膳鍋を作りました。
これがね、結構ね、喜ばれました。
あーそらにゃん、こんばんは。
ありがとうございます。
こんな夜遅くにも来てくださって嬉しいです。
ゆっくりしていってくださいね。
ありがとうございます。
はい、まあ今日はね、
そんな会食をしてきたよというお話から始まっているんですけれどもね、
遊びの変化
まあ今日集まってきたね、
人たちって田舎出身の方々も多くてですね、
みんなどこかしらでね、
野山を駆け回って遊んできたことの経験のある人たちだったんですよ。
これをですね、普通のことだと思わない、
思えないような時代に来たなって思っているのが僕でございます。
今この令和の時代にさ、
まああんまりそうですね、
外でさ、野原を駆け回って遊んでましたとか、
山を駆け回ってましたとかさ、
川で遊んでました、
海で遊んでましたなんていう人は、
ほとんどいないと思うんですよね。
で、もーちゃんは、
僕これ経験あるんですよね。
外でとにかく暗くなるまで、
鬼ごっことか、あと軽泥?泥系?どっち?
こういうのをさ、
しまくって遊びまくっていたっていう、
まあ経験があってさ、
で、それはまあ都会の中だったにせよ、
それから田舎だったにせよ、
もーちゃんはいろんなところを住んで、
引っ越しをしてきたので、
まあいろんなところだったにせよ、
もーちゃんには、
まあ外で駆け回って遊んだっていう、
経験があるなーって思ったんです。
でですよ、
今高知県の片田舎に引っ越しをしてきてですね、
移住をしてもう4年目になるんですけど、
川がめちゃくちゃ綺麗なんです。
ほんとに綺麗で、
いつ見ても心を安らぐというか、
まあ心が澄んでいくような、
まあそんな青さをしている川なんですよね。
全然飽きない。
4年間ずっと見ていても飽きないような、
そんな川なんですけれど、
じゃあそんな綺麗な川であれば、
さぞかしいたくさんの人たちが、
遊んでいるんじゃないかなーってね、
思うんですけど、
これね、
もーちゃんね、
ほとんど川で遊んでいる子を見たことがないんですよね。
ほんとにとんと見たことがなくて、
ゼロではないですよ。
もちろん遊んでいる人たちもいるんですけど、
それから土曜日や日曜日になれば、
遠くから来てですね、
わざわざ県外からこの場所にやってきて、
川で遊ぶ、川で落ち着いて、
暖欄をするという方々もいらっしゃるんですけど、
それにしても地元の人たちが、
この川で遊ばないなぁ、
なんていうことをね、
思ってですね、
不思議に感じておりました。
すごく年配の方々ですね、
今まあ温都市70歳、80歳、90歳、
こういった方々に、
もーちゃんはインタビューを取っていったことがあるんですね。
子供の頃好きだった遊びは何ですかって、
一人一人に聞いていったんですよ。
そしたらですよ、
まあもう川でずっと遊んでたね、
みたいなこと言うんですよ。
好きだった遊びは何ですかで、
もーちゃんの期待していた答えっていうのは、
なんかこう遊びの名前ですよね。
例えばさゴム飛びをして遊んでましたとか、
マリツキをして遊んでましたとか、
ケンダマをして遊んでましたとか、
そういうことかなって思ってたらですね、
まあもうちゃんの予想を遥かに全て裏切ってですね、
川でずっと暗くなるまで遊んでたよって、
川で何してたんだよって思ったんですけど、
聞いてもですね、
いや川に入って遊ぶんだよぐらいしか来ないと、
いうことですね。
まああとはもうちゃんがすごく仲良くさせていただいている、
お豆腐屋さんのご主人がいまして、
そのお豆腐屋さんのご主人はですね、
まあちっちゃかった頃はさ、
山の中に入ってさ、
もう遊んでたよ、やんちゃしてたよって、
いや山の中で何してたのって、
でもその何してたのっていうの、
何っていうのは出てこないんですよね。
とにかく山の中に入って遊んでたよ、
みたいなことを言われるわけですね。
いま子供たちを取り巻く環境でどうなっているのかっていうと、
とにかく禁止されるっていうことが多いそうなんですね。
この川、かたい中の川がすごく綺麗な田舎であってもですね、
川には子供だけでは入ってはいけないという指導がなされます。
まあね、川がいつ氾濫をするかとか、
ダムもあるのでね、
そのダムが放流をしたら一気にこうね、
流れてきて流されてしまうなんていうこともあるからさ、
まあそれはわかります。
本当に大事なことだなと、
大人と一緒に泳ぐんだよとか遊ぶんだよってことはわかるんですけども、
まあそれにしてもですね、
じゃあ大人の人が子供たちについて遊んでくれるかと言われたら、
そうではないことが多いんでしょうね。
まあ大人の人たちもみんな共働きで働いたりしているから、
川遊びを一緒にやるなんていう人はいなくって、
ついぞですね、川遊びというのをせずに、
川が近くにあるにもかかわらず、
川遊びをせずに終わってしまうなんていうことが、
往々にしてあるんだそうですね。
川垣の絶滅
でさ、実はその都会の方々の方が土曜日や日曜日は、
森の中に入ろうとか、自然の中に入ろうとかって言って、
意識して遊びに来たり行ったりしているぐらいですよ。
こちらの片田舎の方では、
じゃあ土曜日や日曜日何するってなった時に、
逆にですね、都会の方に出てくるんですよね。
買い物しに行こうとかって言ってるとかですね。
ゲームセンターに行こうとかカラオケに行こうみたいな感じで、
町へ繰り出すみたいなことがあってさ、
もう全然田舎の子たちが田舎で遊ぶっていうことって、
なくなってくるんですよね。
あ、そらちゃんそうです。
何かあった時にどこかの責任にしちゃう時代ですしね。
おっしゃる通りです。
まさにこういう時代が訪れております。
昔ですね、こういう言葉があるとか、
昔とか今なのかな?
でも、昔は川垣っていうのがいたもんだよって言ってたらしいんですね。
川垣っていうのはさ、川で遊んでいる人たち、
子供たちのことを川垣って言ってたそうなんですけど、
今川垣が絶滅したんだっていうことをね、
絶滅しつつあるみたいなことが誠しやかに言われている。
川垣たちは昔はどんな遊びをしていたのかというと、
虫を捕まえるとかですね、石を剥ぐっていうのがね、
河原の石をですね、こう掴んでグッと持ち上げて裏返しにするとですね、
そこの裏側には虫がいっぱいついてたりするんですよね。
その虫、水性昆虫なんていうふうに言いますけど、
それをですね、つまみます。
そしてつまんで針に刺してですね、
そしてそれを川の中にですね浮かべるんですね。
糸をつけて、そうすると魚が釣れちゃったりするんですよね。
こういう遊びをですね、うんとしていたのが川垣なんだそうですね。
だからさ、インタビューをしてきた6、70、80、90のおじいちゃんおばあちゃんの今の暮らしを見てるとですね、
もうちゃんが思っていたような施設に入っている暮らしとかでさ、
あと家でさ、本当に動けなくなってしまってとかさ、そういうことじゃなくて、
6、70、80、90のおじいちゃんおばあちゃんは外に出て遊んでるようにしか見えないんですよね。
もうアユ釣りに行くよとかって言って、ボートを漕ぎ出してですね、川に行ってさ、
そこでアユを釣る、アユ漁をしたりとかさ、
山の中に入ってってさ、サンサイドイをしたりとかさ、
なんかそれが彼らはさ、皆さんは仕事として暮らしのためにやってるようにも思うんですけども、
でもそれがどこかもうちゃんには遊んでいるようにも見えてですね、
そのおじいちゃんやおばあちゃんが小さい時からこうやって遊びながら暮らしてたんだっていうのを、
なんかこう透けて見せてくれているような感じがするんですよね。
今川描きの話をさせていただきましたけど、同じように海描きとか山描きっていう言葉もあるんですよね。
海描きも山描きもどんどんいなくなってきます。
山描きっていうのはさ、まあ森の中に入っていくとかっていうこともそうだと思うし、
自分たちで山を登っていってね、秘密基地を作るとかさ、
それから散歳を取るなんていうこともそうかもしれませんけれども、
ライフセービングの活動
そんな風にして山の中で遊ぶ人たち、そして海描きっていうのはさ、
海の近くでね、もう海で泳いで遊ぶっていう子たちですよね。
本当にいないよねと。
もうちゃんはですね、かつてライフセービングっていうのをやってたというか、今もやってるんですよね。
人命救助の活動っていうのを実はやらせていただいております。
日本のですね、いろんなビーチでもうちゃんはそこに行って、
安全管理っていうのをしてきたんですね。
もうちゃんの一番大きなお仕事というか、まあ印象に残っているお仕事の一つは、
東京オリンピックでしたね。
東京オリンピックでその選手たちが安全に、
その水上での競技をできるように、
その大会の会場に張り込んでですね、
安全を守るというオリンピックのスタッフをさせていただいたことがありました。
そんな時のですね、経験から今もですね、
大会の時には国体の予選とかですね、
そういう時には海の競技が行われる時にはそこに現地に赴いて、
そしてですね、その上でね、1日7、8時間海の上にいるんですよね。
とんでもないよね。
で、海の上でさ、ずっと浮いていて、
何かあったら浮き輪とか浮き具をですね、
選手に差し出すなんていう仕事を今もなおさせていただいております。
そのライフセービングってね、
日本のライフセービングってこんな感じなんですよ。
熱中症気をつけてくださいとか、
今日は海が荒れてるので中で遊ばないでくださいとかですね、
そうやって指示をバンバン出してですね、
皆さんの自由には遊べないかもしれないけど、
安全に遊ぶんだよみたいな、遊んでくださいねみたいな、
この限られた制限の中で遊んでくださいねみたいなことをすることが、
結構この日本のライフセービングの主流になっておりました。
しかしですね、しかしオーストラリアの方ってそういうものじゃないらしいんですよね。
オーストラリアってライフセービングの本場なんですよね。
で、さらにですね、海でのアクティビティ、
海での大会とかイベントとかっていうのがものすごく多く開かれるということで、
もうね、ノウハウがたっぷりあるんですよね。
そんなオーストラリアではですね、
日本のようにあれダメ、これダメみたいなね、禁止で制限をして縛っていくような、
安全管理ではない安全管理をしているんだということなんですね。
どんなものかっていうと、これね、もうちゃん最初に聞いた時に、
すごく目から鱗が落ちるような思いでした。
でも今となっては、小学校教育とかもですね、
主体的に学ぶんだっていうような言葉があって、
その1個がですね、自分自身でやりたいから学ぶ、
楽しいから学ぶっていうような感じがあるんですけれど、
自分の意思で決めていくとかね、あるんですけれども、
こういうことができるような海での遊びかなというか、
海での付き合い方をできるようになろうよっていうのが、
日本のライフセービングじゃない、オーストラリアのライフセービングの考え方なんですよ。
例えばですね、ライフセーバーと一緒にお客さんが遊ぶんですよね。
どうやって海の中で遊ぶのか、
海との付き合い方
その遊び方ってすごい色々あってさ、
例えばさ、海の波を越えていくやり方、
波を越えるっていうのはさ、
岸辺から沖の方にどんどんどんどん海の方にですね、
行くにつれて深くなっていきますよね。
でもそこまで深いところまで早く移動をしていきたいというふうになった時にはですね、
ウェーディングという技術を使うんですよね。
なんてことはないんですけれども、
波を跨いで行くような、
そういうような走り方です。
ももをですね、高く上げてですね、
膝を高く上げて、
後ろから前に足をですね、持ってくる。
後ろから前に持ってくる、後ろから前に持ってくるっていうのを繰り返すような感じで、
そうすると、そのですね、波とか海、
ここに足を引っ掛けずにですね、
どんどん前に行くことができるんですね。
で、もう足がですね、つかないというか、
もうそうですね、一定の高さまで来たよってなったら、
そこからドレフィンススルーって言って、地面を蹴ってですね、
そして波の中にですね、潜っていくんですね。
波がですね、ぐわーっと来た時には、
その波に突っ込んでいくんですけど、
上の方からね、突っ込んでいくんじゃなくって、
波のですね、根元にめがけて自分が突っ込んでいくんですね。
そうするとですね、波の影響を受けにくくなってですね、
それで、そこの波をやり過ごして、
無人島での体験
また、そこから再スタートができると。
そうじゃないと、波で押し戻されてしまうから、
みたいな、こういう技術があるんですよね。
こんな風にして、波の中でですね、
海の中でいかにして遊ぶか、
海の中でいかにして動くかっていうことを、
一緒にやりながら学んでいくというスタイルです。
波の乗り方とかね、
波乗りにはですね、
別にサーフボードが必要なわけじゃないんですよ。
この体一つだけで、波に押し出されるようにしてですね、
スーッと進む泳ぎ方っていうのができるんですけど、
こういうことをですね、一緒にやりながら、
あ、海ってこうやって遊んでいけばいいんだね、
海って楽しいんだね、
自然の力を借りて、
自分たちが移動するとかっていうのも、
こんなに楽しいことなんだね、
気持ちがいいことなんだねっていうことを、
一緒に体験をしていく。
そうすることでですね、
一緒にですね、遊びの中で、
海との付き合い方っていうのを、
覚えていくということなんですね。
こういうことがオーストラリアではあって、
モーちゃんは熱海、静岡県の熱海でですね、
ここでライフセービングを、
自分のホームビーチとしてやってたんですけど、
この熱海もですね、
こういう思想を持ってたんですよね。
代表がオーストラリアで、
活躍されてきたというか、
積んできた経験があったようなので、
そういうプログラムっていうのを、
たくさん僕に任せてくれました。
そんな泳ぎ方知らなかった。
アストラニアありがとうございます。
これでプールの中で泳ぐだけだと、
到底たどり着けない泳ぎ方ですよね。
海には海の泳ぎ方がある。
海ってコースロープがないからさ、
もうね、人ってね、
まっすぐ泳ぐことってできないんですよ。
やっぱりね、プールって下を見ればさ、
なんかタイルだとか、
線だとかが引いてあるから、
だからそれを見てですね、
無意識のうちにまっすぐ泳ぐことができるんですけれど、
海ってまっすぐ泳ぐことすらもできないから、
じゃあどうやって泳げばまっすぐ泳ぐのかとか、
行きたい方向に行きたい場所に、
体を持っていくことができるのか、
なんていうことをですね、
まあ永遠とやっていくんですけれども、
そういう技術を一緒に磨きながらですね、
海との付き合い方っていうのを、
海テクって言うんですかね。
海テクを身につけながら、
海との付き合い方っていうのを、
学んでいくっていうことがあります。
まあまあありがとうございます。
こうやって反応してくださって嬉しい限りです。
本当にありがとうね。
そうやってやっていくんですよ。
もーちゃん自身、
その海の活動がすごく長くなってですね、
無人島で生活をするなんていうこともありました。
そらにゃんは海はよく行ったけど、
そういえばあまり泳いだことなかったなーって。
海は行くけど、
海の中に入るっていう経験が、
少なかったってことですか。
なるほど。
そういうことあるかもしれないですよね。
川には行くけど、
川の中には入らない。
山は眺めるものであって、
山には登らない。
なんていうことって、
結構あるかもしれませんよね。
またまた山なんていうのはさ、
車でどんどん道路で移動していって、
山を登っているんだけど、
それは車の中なんです。
結局過ごしているのは、
みたいなことだったりとかね。
すると、
ゆっくりと自然を眺める時間なんていうのも、
なかなかないかもしれませんよね。
そうそうそう。
まあそれでですね、
今も川がきとか、
山がきとか、
それから海がきというものが、
いなくなっているよねっていうことですね。
あ、浮き輪で浮かんでたんかなって。
それね、それすっごくいいですよね。
浮き輪でぷかぷか泳いでいるだけでも、
すごく気持ちいいし楽しい。
ねえ、泳がなくてもいいんだよねっていうことがありますよね。
それがさ、
やっぱこう海での過ごし方の一つですよ。
いいと思います。
すごく素敵だと思います。
そうだね。
僕、無人島で生活をしたことがあって、
どうして無人島で暮らすことになったのかっていうと、
その1週間ですね、
全国の子どもたちを無人島に連れて行くっていう、
そういうキャンペーンというか、
プログラムがあって参加をしたんですね。
これ、お菓子の森永成果ってあるじゃないですか。
お菓子の森永ですよ。
この森永が1年に1回ですね、
CSRっていうんでしょうかね。
この社会への果たすべき責任の1つとして、
ボランティアというかですね、
なんかこう事前活動をしてたんですよね。
その1つが森永のですね、
リトルエンゼル隊っていうやつだったんですよ。
すごい名前ですよね。
森永と言ったらさ、
あのあれですよね、
エンゼルマークありますよね。
だからそうなんだと思うんですけど、
リトルエンゼル隊っていうのがあって、
それ何かっていうと、
1週間くらい無人島に行きましょうってなるんです。
で、50人くらいの子どもたちがですね、
全国からですね、
選ばれていくんですけども、
みんな行きたいから履歴書とかいっぱい書くわけですね。
応募用紙とかいっぱい書いて作文とかするんですよね。
50人に絞られちゃうんですけど、
その50人の子たちが一気に集まる。
そしてそこで、
初めましてなんですけど、
その人たちとグループになって、
グループになるんですね。
50人が一気に一緒に動くってことは難しいので、
自然体験の重要性
その中で確か4,5人くらいのグループになってですね、
そのグループで1週間過ごすなんていうことがあってね。
もーちゃんもそのグループの一つを任せていただいたんですよね。
あの子たち今何してるのかなって思うんですけども、
その時にすごいね、
歓声が上がったんですよね。
この無人島は奄美大島のはずれにある無人島だったんです。
鹿児島県ですよね。
ここのですね、無人島めちゃくちゃ海が綺麗なんですよ。
どれくらい綺麗なのかっていうと、
プールの水よりも綺麗なんですよ。
水道水よりも透き通って見えるんですよ。
っていうぐらい綺麗なんです。
で、もう海の中の方が、
実は遠くまで見渡せることができてしまうんじゃないかって錯覚するほど、
空気中よりもですよ。
地上よりもくらいもうすごく綺麗で、
魚がいっぱい見えるんですよね。
そこの中を覗いた瞬間、
もう無口だった子がですね、
うわぁこんな綺麗なのっていうことをね、
もう歓声を上げて言ってくれたのがもう忘れられません。
こういう経験をしている、
つまりうみがきな経験をしているから、
海の綺麗さに感動しち、
海ってそもそもこれくらい綺麗なものだよねっていうのはさ、
自分の中に取り入れられるわけですよね。
だから大人になってからもさ、
きっとあの海の綺麗さっていうのは、
その子の心の中に残っていて、
やっぱり海をさ、汚すようなことはしないとか、
汚れた海は綺麗にしたいとか、
そういう活動に結びついてくるのかなって思ったりもするんですけど、
とにかくそんな大それた目標があったり、
目的があったりしなくてもいいんですが、
ただ単に自然の中で遊んだことが楽しかったとか、
綺麗だったっていう、
この心が震えるような、
揺れ動くようなその体験、経験が、
どれくらい積むことができているかっていうことが、
実はこれからの地球とか、
これからの自分の生き方とか、
なんだろうね、
暮らしづくりっていうのに、
すごく関わってくるんじゃないかなって、
ももちゃんは思いました。
次世代へのメッセージ
もう最後がちょっと説教っぽくなってしまいましたけど、
とにかくももちゃんは思うのは、
外で遊ぶことって、
今ほんと少なくなってしまったんだなって、
いうことを思うんですよね。
外遊びができなくなってしまったのは、
3つの間がないからって言います。
サンマがないってね、
食べるサンマ、魚のサンマみたいな感じですけども、
3つの間と書いてサンマと言うんですけど、
まずですね、
遊ぶ時間がない、
あと遊ぶ空間がない、
それから遊ぶ仲間がいない、
なんていうことで、
時間、空間、仲間、
これでサンマがない。
だから遊ぶ人たちが、
外で遊ぶ人たちがどんどん減っていってるんだっていうことですね。
外書きすらなくなってると、
山書きもいない、川書きもいない、
それから海書きもいない、
どころか外書きすらもいなくなっているっていうのが、
もしかしたら今の現状なんだろうなと思うんですね。
だからあらゆる環境問題の、
根本的な解決っていうことになっていくとですね、
一人一人がこの自然の文化に興味を持つっていうか、
勉強していくっていうことも去ることながらですね、
子供の頃にたくさん遊ぼうぜっていう感じですよね。
これは別に大人になってからでも、
手遅れなことは全くなくって、
外で遊ぶ、外で何かやってみたいと思うことをやるっていうことって、
すごく大事なことかなって思っておりまして、
環境問題に取り組む上での何よりの方策、
一つの指針になるんじゃないかななんて思ったりもしております。
ということでいかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなた、
ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今日はですね、多分僕たちは脳を駆け抜ける最後の世代みたいな話をさせていただきました。
実はこの外遊びを思いっきりやってきた最後の世代になってきているのかなっていうのが、
このももちゃんの感じていることなんですね。
今の30代とか、もう20代の後半の方々はまだ外遊びをしてきましたか?
教えていただけたらと思うんですけどね。
でももう多分それよりも下の世代っていうのは、
あれだめこれだめの禁止禁止の世代にもなってきているので、
実は今僕たちこのスタンドFMを聞いてくださっているくらいの世代の方々、
色々な地域によっても違うだろうし状況によっても違うと思うんですけれども、
僕たちは自然の原風景とか自然の原体験というものを知っている、
知っているということだと思いますので、
ももちゃんたちが次の世代に伝えていくべきことってあるなーっていうことを感じた時代でございます。
ということで最後にお知らせをさせてください。
こだまこまちプロジェクトのメールマガジン大好評配信中でございます。
もしよろしければこのこだまこまちプロジェクトのメールマガジンを是非受け取っていただけたらと思います。
番組の概要欄にリンクを貼り付けておきますね。
ということで今日はこの辺にしたいと思います。
最後にまつりかさんをこの放送では応援をしております。
色鉛筆作家のまつりかさんを応援しております。
まつりかさん本当にいつもありがとうございます。
最後になってしまってすいませんでした。
はいということでお時間をいただきありがとうございました。
お相手はこだまこまちプロジェクトのももちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご家族が訪れますように。
そらにゃんありがとうございましたということでこちらこそありがとうございました。
また最後まで聞いてくださった皆様本当に本当にありがとうございました。
そらにゃんてるてる坊主をプレゼントしました。
ありがとうございます。
嬉しいです初めてです。
このてるてる坊主って初めて見ました。
嬉しいです。
先ほどまで雨が降っておりましたけれども
このてるてる坊主で明日は晴れることを祈っております。
ありがとうございます。
それではおやすみなさいませ。