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おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
1月18日土曜日の夜に収録をしております。いかがお過ごしでしょうか。
本日、僕はですね、この3年間の一つ区切りとなる、そんなお仕事をさせていただいてきました。
今、あなたの画面に映っております、ゆるキャラ祭り、いや、ちゃんと言いますね、ゆるキャラ祭りなんですよね。
僕は今、高知県の法務院をちょっとさせていただいておりまして、
その町のね、PRということで、その町がですね、手掛けているキャラクターを掲げて、イベントに出展をするっていうことがあるんです。
この仕事はね、めちゃくちゃ面白いんですよ。面白そうでしょ、この背景の写真を見ると。
もうね、サンリオピューロランドなのここはっていうぐらい、キャラクターであふれかえるんです。
そして、ステージの上でですね、ご当地キャラクターたちが、もうワンワンワンワン踊ったり、パフォーマンスをしたり、
それから、ステージを降りてお客さんとね、握手をしたり、一緒に写真を撮ったりするんですよね。
僕ね、キャラクターの持つ力ってものすごいなって思いましたよ。
これ毎回思うんですけど、このゆるキャラに会うために、イベントのたんびに遠くからですね、やってくる方がいるんです。
今回はですね、高知県にいたわけですけど、一番遠いところは兵庫県から来ました、なんていう方がいらっしゃいました。
いやーすごいよね、朝6時半に家を出ました、みたいなことを言ってですね、来てくださるわけですよ。
昔ですね、埼玉でこのイベントをさせていただいた時には、秋田とか東北の方から来ました、なんていう方もいらっしゃってですね、
すごくゆるキャラ、キャラクターっていうのは、人に生き甲斐と夢と力を与える、そんなお仕事なんだなっていうことを思ったんです。
こんなこと言ってました。めっちゃ面白いなと思ったので、ちょっと紹介しますけど、ゆるキャラをもし好きになったら裏切られることはもうないんだって言うんですね。
どういうことなのかって聞いてみたらですね、その女性の方だったんですけれども、こんな話をしていました。
反流アイドルが大好きだったんです。でも反流アイドルにはちょっと裏切られることがあるんですって。
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ちょっとこの話はね、言葉が尖ってますけれども、要はですね、自分の期待通りにはならないっていうことがあると。
もちろん生身の人だとですね、いろんな考え方とか思いとか、そういったことが変わっていて、あの時のあなたが良かったのに、なんていうことってありそうですよね。
いや、あると思います。でもこれって、要はその人の応援にはならないので、そのありのままのその人を応援してあげてって思うんですけどね。
まあいいや、これは置いといてですね。反流のアイドルたちっていうのは、僕も友達がいるのでね、経験があるんですけど、兵役があるんですよね。
で、軍隊に入って、そこでね、まあお勤めをされると。で、出てきたところにはですね、ムキムキのマッスルになってるんですよね。
反流のスターのアイドルの子たちっていうのは、すごく細かったりしますよね。確かに今テレビに出ている方々は細いなって思うんですよ。
それがムキムキのマッスルになって出てきたって言うと、細い子が時には好きだったのに、みたいなことになるということなんです。
だから、ゆるキャラたちっていうのは体型も変わらないからそのままでいいよね、みたいな話なんですね。
確かに兵役とかがあると、その間、活動を休止しなくてはならないっていうこともあるし、出てきたら出てきたで、また変化があってですね、僕はそれが人間っぽくていいなと。
人生じゃないですか、いいなと思うんですけども、そうではないっていうこともあるんだなっていうのをね、感じているところです。
これはもう国際的な問題がどうだか、そういうことではなくてですね、ただゆるキャラの押す理由っていうのを語るためにちょっとお話しさせていただいただけでございますので、取り違いのないようにお願いいたします。
そんな話を聞いてて、面白いな、興味深いなって思っていたんですね。このゆるキャラのお仕事をですね、僕は3年間やらせていただいておりました。
わがまちが掲げるですね、ゆるキャラを押すためにですね、広報するためにいろんなところ、日本全国各地に行ってPRをさせていただいてきました。でもその仕事も今日が最後でした。
僕は今ですね、3年間の人気のある地域おこし協力隊という制度を使って移住をさせていただいているんですけど、この地域おこし協力隊というのがまあ3年までなんですよね。
その後もここには住み続けるんですけど、このお仕事をさせていただくのは今回が最後だということでですね、ちょっと感慨深くもあり、でもこの活動に出させていただいたからこそですね、こだまこまちプロジェクトっていうのが生まれたんですよね。
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キャラクターにかける思い、熱、夢、力、こういったものが人にはあるんだ。そしてそれを追いかける。これはすごく生きがいにつながるんだって思ったら、このキャラクターの活動を自分でもやってみたいと思ってこだまこまちプロジェクトというものが生まれた。そんな理由も一つあるんですよね。
本日はですね、これで一つ仕事が終わるかっていうことがこれからいくつもいくつも出てくるんですよ。僕は今度の4月にすべてを仕事を終えます。
そんな時に向けて、そこに向けて今毎日の活動をね、一日一日仕上げているんですけれど、一つ終わるたんびになんかこう寂しさもあるんですけれどもね、自分の中がちょっと楽になっていくようなそんな気もしております。
ということでね、今日はこのままモウちゃんが一日一日を過ごしていくと、そうですね、4月ぐらいには本当に予定がなくなるんじゃないかっていうことで、ゼロになることのなんか勇気というか、そうですね、意味みたいなものをちょっと僕が今感じていることをお伝えできたらいいなって思っています。
なんやねん、その意味わかんないバクッとした、漠然としたテーマは。またそんなこと聞かされるんかいって思うかもしれませんが、もしよろしければ今回初めて話すこともあると思いますのでお付き合いいただけたらと思います。さて始めていきましょう。
この番組は日本人全員を植木屋にする男、オーガニックパーソナル庭トレーナーのもぎまこさんを応援させていただいております。もぎまこさんいつもいつもありがとうございます。もぎまこさんとの第2回コラボ対談はあさって20日月曜日の夜21時からこのチャンネルにて始めますので、よろしければお聞きいただけたら嬉しいです。
もうちゃんは今限りなくゼロに向かって進んでいるように思うんです。これが僕の今の物語なんですね。ゼロになるっていうことは厳密に言えばね、僕は生きているし、命もあるし、食べるものもあるし、家もあるし、
それから畑だってやっているし、自然だっていっぱい身の回りにあるし、何かがゼロになる。厳密に言えばそういうわけではないのかもしれません。でも僕は今ゼロに近づくっていうことをしているのかなって思っているんですね。
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なんて詩的な表現でしょうかね。ポエムじゃねえんだよって感じがしますが、まずですね、この話を聞いていただく前にですね、僕最近感じていることがあって、よくラジオの配信とかは結論を先に言われることが多いですよね。僕もそういう配信をしてきました。
最初に結論をバンと出して、そしてそこをめがけて論理を組み立てて、このリスナーのあなたにお伝えしていく。そんな番組を僕自身も作っていたし、これがあたかも一つの形のような気がしております。
けど、僕はこうも思っております。それはね、美しいんですよ。すごく美しい配信だなって思っているんですが、その配信の形というのは、枠を最初に作ってしまうんですよ。
つまり、その配信の伝えようとしているもの以上のことが、もしかしたらこの話している中で思い浮かんで出てきちゃうかもしれないけど、それを発信できなくなってしまうことがあるかもしれないんです。
それに最近ようやく気がつきました。
もうちゃんは、YouTubeのセミナーの動画だったりとか、スタンドFMなどの音声配信のこの一つの型っていうものが、なんだかもうちゃんは自分の中でモヤモヤとし始めていたんですよね。
それがなぜなのかってことがわからなかったんですが、最近ようやくわかりました。それは作っている中で、やっている中で、どんどんどんどん形が変わっていくものもあるかもしれないと。
だから、皆様のお時間を使わせていただいているわけですけども、最初に結論ありきではない、そんな配信をしております。
もうちゃんの物語、今日も聞いていただけたらと思います。
僕もどこに向かっているのかっていうことは、配信をしながら、この話をしながら考えているところでございます。
だから台本ももちろんないですよ。
ゼロに向かっていくっていうこと、そう厳密に言うならば、仕事もあるし、住むところもあるし、食べ物もあるし、家族もいるし、友達もいるし、なんらゼロというものを体現できるわけではないんです。
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でも、僕は今、卒業に向けて、この仕事の卒業に向けて、1日1日を過ごしています。
あと、そうですね、3ヶ月もすれば、今、僕が月に160時間から180時間くらいかな、使っているこの時間がまるっと空くんです。
1日に8時間くらいお仕事をさせていただいていますけれど、その時間がまるっと空くんですね。
ということは、何を意味するのかというと、入ってくる収入がなくなります。
これも実はゼロに向かっているっていうことです。
厳密に言うならば、仕事をすべてなくすわけではないので、何かしら入ってくるし、生活する上で必要な金額っていうものはあるんですけど、
でも、今、人生の中の多くを占めている、間違いなく多くを占めている、その容量がぽっかり空くんです。
まず、スケジュールがゼロに近づきます。そして、収入もゼロに近づきます。ゼロになるわけじゃないですよ。
そしてですね、これはモーちゃんが今回味わうのは2回目なんですけれど、肩書きをなくします。ゼロになります。
モーちゃんは小学校の教員をしていたので、いまだにね、小学校の教員をしてましたなんてことを言いますけど、これを本当はやめたいんですよね。
だけど、先生と呼ばれなくなったんですよ。所属がなくなって先生と呼ばれなくなったあの時から、僕は肩書きがなくなるっていうことの、なんかその怖さっていうものを感じました。
それから僕はこの仕事に就いて、3年間公務員として活動もさせていただいてきたんですね。その公務員という肩書きすらもなくなります。
いよいよモーちゃんを包むものがなくなってきたんですね。これはまさにですね、これは自然に関するラジオですから、うまくこじつけますとね。こじつけるとか言うなよって感じですけども。
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ありのままの自然な姿に近づくっていうことなんだと思います。僕たちは赤ちゃんとしてこの世の中に生まれた時に、何にも持ってなかったはず、だけど全てを持っていたようにも思います。
なんのことやねんって感じですけど、今の言葉でなんとなくわかっていただけましたか?赤ちゃんって何も持ってないように思うんですよ。ギュッと握っているあの手を指を一本一本ほぐしてあげて広げても何も持ってないんですよね。
でも赤ちゃんは全てを持っているっていうくらいしっかりと手のひらを握っていますよね。僕たちはどんどん学ぶにつれて赤ちゃんの時とは全然違う存在になっているように思います。
幼稚園や保育園や小学校や中学校や高校、大学に行った人もいますかね。それから社会人になって毎日毎日いろんなことを経験していって何にも持ってなかったところにいろんなものが入ってきますよね。
しかしあの時全てを持っていたようなあの時完全体であったようなあの赤ちゃんの時の感じとは今全く違っている自分にも気が付くわけです。
いろんなものを持っているはずなのにね何が変わったんでしょうか。変わってないっていう見方もあるけど僕は今仕事を一つ一つ仕上げて手放していく中で肩書きを取っ払っていく中で
そしてだんだんこう様々な経験をして怖さとか寂しさとか辛さとかを乗り越えていく中でまあ乗り越えていくというかそういった感情たちと和解していく中で一つ一つ赤ちゃんに近づいているような気もするんですよね。
もちろん自分でね歩くことだってできるし自分で本も読むことができるしお仕事をしてお金を稼ぐことだってできるんですけどね。
でもなぜか自分の中で感じるのは赤ちゃんに近づいているなあっていう感覚です。
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なんなんでしょうかねこの感覚ね。すごく今日ねなんていうかきっちりとした論理的な話をしているんじゃないんですよ。
だからちょっと文学チックな話をしているかもしれないんですけどこのラジオを毎日聴いてくださっているあなたであればもうちゃんが今んとしていることはわかってくださるんじゃないかなって思っています。
僕がすごく自分の中に残っている一節のエピソードがあるんです。
これはですねもうちゃんが経験をしてきたことではなく本からいただいたエピソードなんですがその本はねすごかった。
何度もこのラジオで話をしているんですがフィリピンのあたりの話でした。
収入を臨時収入があって1ヶ月働く金額の3倍1一晩で稼いでしまったということがあったんだそうです。
家族がいるんですよ。
そんなですね人が取った行動は何だったのか3ヶ月食料十分に買うことができます。
素晴らしいじゃないですか。
その人が取った行動は仕事を1週間休んだんだそうです。
そして3ヶ月分のそのお給料をほぼすべてお寺に寄信したんですね。
お寺に寄信するっていうのはお寺に寄付をするということです。
するとそのお寺が1週間その人たちを止めてくれるんだそうです。
1週間お寺なので修行させてくれるんですね。
決して豪華な食事ではないんですが質素な食事を1週間分用意してくださって
そして座禅を組ませてくれるとつまり瞑想させてくれると
たくさんあったお金を一気にお寺に渡して
ゼロになった状態で瞑想をする。
これが何よりの贅沢なんだって言っていました。
すごくないですか。
僕はこの境地に憧れるんですよね。
蓄えたら蓄えただけ嬉しいんだ楽しいんだ安心なんだっていうあの境地ではなく
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その反対あるものをすべて手放して
そして座禅を組んで瞑想して心からの静寂を味わう。
こんな贅沢があるでしょうかって言うんですね。
僕はですねそれを今すぐできるわけじゃないです。
でも僕は今目指しているのそこなんですよね。
自分が持っているものこれを一つ一つ手放していく。
手放すって言ったらありきたりな言葉ですね。
どこかに置いてくるんですね。
そしてそれはもう自分で取り返そうとは思っても
同じものは手に入らないっていうことなんでしょうかね。
そして僕の場合はね仕事も肩書きも
それから収入もだんだんこうゼロに近づけていくっていうことなんです。
もーちゃん変わってねーって感じですよね。
ただ味わってみたくないですか?
そして僕のお世話になっていた
メンターと呼べるのかわからないんですけど
すごく一時教えをいただいていた人がいたんです。
僕はね今その人とは会うことができないというか
もう会わないよ別々の道を行こうって言われたので
連絡を取ることができなくなってしまった人がいるんです。
その人が僕に教えてくれたことを今日ちょっと話をしたいと思います残りの時間で。
その人はね仕事を持っていませんでした。
やっている仕事は定職に就くのではなく
こうやって話をしてそしてその知見を共有することでお金をいただく
今はコンサルタントのようなコーチのようなそんな方でした。
僕にとってはメンタリングメンターみたいな人だったんです。
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メンターという人たちっていろんな方々がいらっしゃると思うんですよ
社会的にすごく成功した人
巨満の富を築いた人
いろんな方がいらっしゃると思います。
事業を成功させた人
それも地方の方で成功させた人とか様々な人がいると思うんです。
子育てのメンターもいらっしゃるかもしれませんしね
それから最近僕がラジオで聞いているのは
女性のメンターの方々がかなり周りにいらっしゃるなってことに気がついた
恋愛のメンターとかね
僕はゼロのメンターでした。
限りなく自分の持っているものをなくすそんな人だったんです。
僕はその人にメンターのお金をお支払いしたことも何度もあるんですけど
彼は一晩でまた1週間でそのお金をすべて使うんですね。
そして自分はまた一文なしになって
日本中や世界を歩き回るんです。
世界ですよ。お金なしで歩くんですよ。
また自分がお金を持ってても誰かに取られちゃったりするんだそうですね。
その人は親切に人助けだと思ってお金を貸したりもするんですよ。
でもそのお金も帰ってこなくて
しばらく海外から帰ってくることができなかったなんていうことも話を聞きました。
でもその人が歩くんですよね。
無一文なんだけど歩くんですよね。
そうすると何にも持ってないからこそ
誰かからご飯をもらえたりする
それがすごくありがたいなって思ったり
誰かからの誘いとか応援がすごく力になったり
何も持たないでただただ歩くその旅っていうものは
全て体で感じることができるのかな
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何のベールもなくフィルターもなく
全てを感じることができるのかなって思ったりします。
こんな話をすると
僕ね言われちゃいそうですけどね
それは危なすぎるよとか
お金は蓄えておくものだよとか
言われそうな気がするんですけど
そんなゼロの境地に立った彼が見ていたものっていうのは
今の僕には計り知れないものなんですよね。
僕は彼のように全てをゼロにすることは
多分生涯今はできないと思うんですよ。
だけどそれに限りなく近くなるっていうのは何かっていうと
僕自身の今目指しているライフスタイルっていうのは
今ガスとか水道とか電気とか
様々なものを使わせていただいて生きているけど
極限まで自分自身が作り出すっていうことです。
おそらく日本中どこに行っても
そこから逃れることができないんだけど
やっぱり電気のお世話になるし
ガスのお世話にもなるんですけど
できれば自分で炭を作って調理をしたいし
自分で明かりを灯すし
自分で育てたお野菜とかを使いたいし
限りなくですよ。限りなくできる限り
そういう感じで暮らしていってみたいなって思っています。
それがいつまで続くのかなって分かんないけど
でも一回やってみたいんだよね。
ということでですね
もうそろそろ30分お話をするところになっておりますけど
ゼロに近づく物語を
今日はお話をさせていただいております。
僕はこの前まで何か一つ手放すこと
どこか自分の手元に届かないところに置いてくることっていうのは
すごく怖いことだったんですね。
不安がいっぱいでした。
先生と呼ばれなくなった時すごく怖かったし
教員をやっていた時と比べると収入は3分の1くらいに減りました。
だけどこの田舎は生きていけます。
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全然生きていけます。
だけどその収入が3分の2減った時の
あの不安っていうのももちろんあった。
でもそれも今なくなったんですよ。
ついこの前まで来年度から仕事どうしようって
何か仕事つかなきゃやばいよって
だけど一個一個仕事が終わっていっちゃうんですよ。
どうしようどうしようって
あたふたあたふたしてたんですけど
それに対する不安感というものもなくなってきました。
どっしり構えられているのかな。
ちょっとそこまで言い切れるかは微妙なんですけど
ただ僕自身は後悔が全くないし
肩書きが外れることによって仕事がなくなることによって
何かこう見える世界っていうのがあるなって思っているんですよね。
ゼロに近づくけど絶対ゼロにはならないっていう話ではございますけど
家族もいるし自分の命もあるし
だけどももちゃんはいわゆる
そう稼ぎましょうどんどんとか
たくさんの人を助けましょうとか
もちろん救いたいっていう思いはないわ
なんかやってやるぞっていうところからは
ちょっと今違う世界線を生きているんだなっていうことを思います。
それが今のありのまま自然体のもちゃんなのかなと思っているんですね。
そんな怖い思いしなくてもいいんじゃないのって何度言われたことが
取り留めのないお話になってしまいましたけれども
最後まで聞いてくださったあなたありがとうございました。
もしこの物語聞いていただいて
どんなふうに解釈をしたのかっていうことは
あなた次第で大丈夫なんですけれども
どうかもちゃんの人生のアドバイスをするとかは
別に僕は求めてありません。
でも僕が聞きたい話があります
それは今のあなたの人生観と照らし合わせて
僕のもちゃんの今の目指していること
目指しているっていうかゼロに近づく物語っていうのは
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どんなところで結びついたのかっていうことです。
おそらくここまで聞いてくださったっていうことは
何かしらもちゃんのこの話に共感をしていただいたのか
共鳴をしていただいたのか
あなたの物語の中にもちゃんのストーリーを
登場させていただいたっていうのは
何かご縁や深い意味があるんだと思うんですよね。
ですから少しそんなことも
あなたが見えている世界
あなたが感じている世界を共有していただけたら
嬉しいなって思います。
レターでもいいですしコメントでも構いません。
ということでお時間をいただきありがとうございました。
今日は33分もお話をしているんですね。
長いですね。授業みたいですね。
大変失礼いたしました。
お相手はこだまこまちプロジェクトのもちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護がございますように。