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#4 【1-1】シャネルはどの様に生まれたのか?
2026-05-02 20:23

#4 【1-1】シャネルはどの様に生まれたのか?

ブランド紹介の本編1号はシャネルからはじめたいとおもいます!


数々のファッションの価値観を塗り替えて来たシャネル。


彼女の作ったブランドの本質は、

幼少期の経験や体験が反映された物だった。


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サマリー

このエピソードでは、ファッション界の巨匠ココ・シャネルの幼少期とその後の人生に大きな影響を与えた経験に焦点を当てています。貧しい孤児院での生活、修道院での厳格な教育、そしてロマンス小説への憧れが、彼女の独自の美学と「変身」というブランドの本質をどのように形作ったのかを掘り下げています。

はじめに:ブランドの歴史を深掘りする
はい、本日も始まりました。 物と価値のリベラルアーツパーソナリティのきのです。 今まではね、自己紹介を兼ねて簡単にブランドを紹介してきた形になったんですけども、今回からは本編といっても過言ではないブランドの歴史だったり、そういったものに触れていくような深掘りを話していきたいと思います。
はい、早速なんですけども、今回はシャネルについて話していきます。 結構ね、このブランドの歴史とかをね、やってみて思ったんですけども、ブランドの歴史っていうのはね、かなり曖昧な部分がすごく多いなっていうのがすごい印象でした。
で、ほとんどのブランドはね、大体ね、企業のね、サイトがやっぱり一番情報を持ってたりするんですよね。で、そんな中、シャネルだったりとか、エルメスだったりロレックスとか、結構有名なところ、本当に一流どころみたいなところになってくると、やっぱり映画だったり雑誌だったりとか、そういうので取り上げられることも多かったりとかするので、
まあそういったところの情報であったりとか、あのブランド紙みたいな部分ですよね。で、あったりとか、その主要人物の名言みたいな本だったりするのは意外とあったりするので、まあそういったところからいろいろと調べてみました。
はい。ただね、大体はですね、その、まあそのアパレルだったりブランドだったりっていう風にところで働いているとですね、その飲み会だったりとかね、あのプライベートというか普段のあの仕事の休憩時間だったりとかで、ブランドの話とかもすることあるんですけども、まあそういったところで話される内容からヒントを得て調べに進めるということが、
結構ね、できたのかなっていうふうには思います。はい。なのでまあそういったところを中心に話していければと思います。はい。で、ココシャネルもとにガブリエル・ボヌール・シャネルというのは比較的情報量の多い方なんですよね。
ココ・シャネルの神話と真実
なんですけども、そのシャネルを調べてすごくポイントだったのは、彼女自身が自分の過去をね、かなり語りかかえているんですよね。あの、電気作家のね、ジャスティン・ピカーティーっていう人が、あのココシャネル、The Legend and the Lifeっていう本を出されているんですけども、まあそういったところで調べてくれたことでわかったことなんですけども、
彼自身、彼女がね、神話を作り直していて、あの実際に真実を調べていくのがかなり難しかったっていう形で語っています。
まあ例えばですね、彼女は孤児院という言葉を避けていたりとか、あの父に預けられた場所っていうところを、まあおばたちの家って言ったように語っていたことがあるみたいに、本当にね、あのその実生活というかね、あのプライベートの部分もブランディングしていたんではないかなっていうふうに思います。
ただね、一通り調べててすごい思ったのは、僕的にはね、やっぱりシャネルって戦う女性みたいなイメージがすごいあったんですけども、意外とね、あの生々しい女の子みたいな部分もあって、まあ本質としてはね、自分の思春期の女の子の憧れみたいなものを守るために、どんどんとああいう強い女性になっていったんではないかなっていうふうに思います。
はい。なので、そういった本質につながっていく部分っていうのはね、彼女の育った環境であったりすることもあって、まあその幼少期の部分から話していきたいと思います。
ガブリエル・シャネルの誕生と両親
はい。ガブリエル・ボヌール・シャネル。彼女が生まれたのは、1883年、フランス西部、メーヌエ・ロワール県のソミュールにあるセリオインで生まれました。
はい。母はウジェニー・ジャンヌ・ドボル、洗濯婦っていうちょっとね、変わった仕事なんですけども、はい。それと父はアルベール・シャネルっていう方で、業承認で、まあ作業着や下着など、まあ市場、町で売り歩く、まあ移動承認ですよね。業承認なので移動承認をされていたっていうところですよね。
このね、父と母でね、その作業着とか下着っていうところから洗濯婦っていうね、あの夫婦っていうのがね、すごくつながっているのがちょっと面白いですよね。はい。
セリオインっていうのはね、当時の貧困者を支える無料の病院、まあ個人だったり、貧困者の収容施設っていったような包括的な社会施設だったんですよね。つまり貧しい人のための施設で、まあ彼女が生まれた際には、母は体調不良で届けにも出れずに、父も不在で、また記録では旅行中とされていたんですけども、旅行中って何だろうっていう。
感じなんですけども、そのおかげでですね、彼女の出生地の姓はシャネルではなくて、役所の登録ではシャスネルみたいな、CHASNELみたいな感じで、誤記されていたっていうのが残っていました。
はい。まあそのエレガンスのね、象徴みたいな彼女からはね、想像できないですよね。実際はね、名前すらまともに登録されていないところからのスタートっていうところと考えるとね、すごい感化深いというか、感慨深いですよね。はい。
母の死と孤児院での生活
そして彼女はガブリエル・ボヌール・シャネルっていう名前なんですけども、ガブリエルは天使の名前から、これね、フランスとかだと基本的にね、天使だったりそういったところの名前からつけるみたいですね。
ボヌールはフランス語で幸福っていう漢字でつけられているんですけども、貧困の人生の始まりに幸福っていう名前が入っていたっていうね、もうエピソードとしては盛りだくさんですよね。
さらにね、母ジャンヌはね、1895年に亡くなってしまうんですよね。ガブリエルはもう11歳、または12歳目前とも言われてますね。死因はね、結核と説明されることが多いんですけども、資料とかによっては肺炎だったり妊娠したことだったりとかね、貧困だったり過労っていうのがどんどん積み重なってきた結果、死んでしまった。
っていうふうに、複合的な要因という形で紹介する部分もありました。単純にね、病気で亡くなったというよりはね、本当にそういう貧困とかで病気になってそのまま亡くなってしまったっていうのがね、なんかイメージしやすいのかなっていうふうに思います。
で、彼女のね、生まれたソミュール、ロワール流域の街で、馬術学校だったりね、ワインでも知られているんですよね。ただ、シャネルの彼女、シャネルの家族はね、地域の名刺ではないので、父は定住しない業承人で、田舎町をね、移動しながら暮らしていたっていうところ。
で、資料でも、彼女の家族がフランスの田園部を移動しながら貧しく暮らしていたっていう形で書かれています。つまりね、彼女の求めていた自由っていうのはね、家がない人間が自分の居場所を作るための自由だったっていうふうに言えるかもしれないっていうところですね。
だからね、本当その自由にはね、彼女の自由っていうものには、本当にどこか冷たさであったり強さであったりね、緊張感みたいなものがあったではないかなっていうふうに思いますね。
オーバージーヌ修道院での経験
で、そこからですね、彼女のエピソードに本当に欠かせないのが、オーバージーヌ修道院での生活っていうね、よく言われる修道院にいたっていうところがこの部分になるんですけども、この修道院はですね、12世紀期限の修道院なのでかなり古いんですよね。
でもね、もともとその修道院として、しっかりね、宗教建築みたいな形でしっかり作られていたので、すごくきれいなというかね、建物、きれいというよりは芸術的なというか、そういう建物ではあるんですよね。
で、後に古寺院になったっていうふうに言われています。
で、オーバージーヌはね、フランス中南部、コレーズ県、ブリブとチュールの間にある岩山の村。
で、12世紀に酒場を昇る修道院協会修道士の水路などを持つ場所なんですよね。
これ、12世紀の期限っていうのとつながってきてますよね。
それがね、19世紀には修道院が古寺院として利用されるようになって、マリア修道会の修道女たちが子供たちの世話をしていたというふうに言われています。
で、彼女はね、母が死んだ後、父によって妹たちとともに、そんなオーバージーヌの修道院の古寺院に預けられたっていうふうに言われてますね。
ここで姉なのか妹なのかっていうところがね、ちょっとね、情報によって違うんですけども、そういうふうに言われてます。
これかなり重要なんですけども、彼女が預けられたところっていうのがね、ただの学校じゃなくて、本当に中世の修道院的秩序が残っている空間だったんですよね。
古寺院って言われるとね、学校みたいなイメージがあるかもしれないんですけども、どちらかっていうと修道院に近いっていうような空間だったっていうところですね。
なので、その中ね、彼女はどのような生活をしていたのかっていうところなんですけども、タイムの記事ではですね、オーバージーヌでの生活をね、かなり具体的に書いています。
白く塗られた壁、黒く塗られた扉、白いブラウスと黒いスカート、修道女の白いウィンブルと黒いスカート。
少女たちは早朝のミサから就寝前の祈りまで厳格な日課に従い、週6日授業を受け、夜には将来の嫁入り道具となるシーツの裾縫いなどを学びました。
っていう風に書かれています。で、結構ね、これ上下関係のある厳格な縦社会の中でですね、そこで張り子として縫うことも学んでいったっていう風に言われてますね。
これはね、本当その後、あのシャネルっていうブランドをね、経営していく中でのね、あの秩序を作る概念みたいな部分にもつながっているのではないかなという風に僕は思うんですよね。
で、またね、タイムではね、あの修道院の清潔な理念、黄色い設計の匂い、白黒の空間が彼女に残ったっていう風に紹介してるんですよね。
そのなんか清潔さみたいなものがね、まず下から抜け出すための最初のラグジュアリーだったんではないかなっていう風にも思うんですよね。
で、そんなシャネルの美学っていうのはね、あの華やかなサロンではなく、白黒の沈黙の中っていうところで始まったっていうところなんで、後にね、シャネルといえば白と黒ですよね。
でね、黄色い石鹸の匂い、シャネル5番ですよね。ここすごくつながってくるっていうのがね、すごくエモいなっていう風に思いますね。
修道院での人間関係と少女時代の憧れ
はい。で、そんな中、修道院で彼女は周囲からどのように見られていたかっていうところなんですけども、直接的な同級生の証言っていうのはね、結構限られているんですけども、
彼女自身はね、今年この場所を愛のある家庭としては語ってはいないんですよね。
あのタイムではね、彼女は後に、おばたちは善良だったが全く優しさがなかった。私はその家で愛されなかったっていう風に語ったと紹介されています。
なのでね、結構その、まあいい人なんだけども、優しさがないっていうところですよね。すごい表現ですよね。でもなんとなくわかりませんかねっていう。
あの、悪いことをしないっていう良さ。で、いいことをするっていう良さ。でもね、優しいとはそこ繋がらないっていう感じ。
っていうのがね、この一言でね、すごく伝わってきますよね。で、愛を感じていないっていうところもあり、やっぱりそこがね、あの全部繋がっているんじゃないかなっていう風に思います。
でね、ここからがね、ちょっとすごく可愛いエピソードなんですけども、少女時代のシャネルっていうのはね、こっそり持ち込まれた連載のロマンス小説を読み、
貧しい少女が優雅な女性変わる物語に惹かれていたとされていますっていうところなんですよね。で、これちょっと調べてみたんですけども、シャネルが少女だった1890年代っていうところに流行していたのはね、
新聞で連載されていた大衆ロマンス小説っていうやつとですね、女性向けの教養恋愛小説っていうのと、シンデレラ的な上昇物語っていうのが流行ってたみたいなんですよね。
なので、実際奴隷とは語られてはいないんですけども、こういった小説ですよね、変身の物語ですよね。シンデレラが一番イメージしやすいのかなって思いますよね。
なんかスッと入ってきますよね。で、その中で描かれる貧しい少女が主人公っていうところがね、本当に自分と重なる部分があったんじゃないかなっていうところ。
で、そのシンデレラとちょっと違うのが、美しさや知性で上流階級に入るであったりとか、運命的な恋愛はシンデレラですよね。
で、最終的に選ばれる女性もシンデレラなんですけども、今で言ったナロー小説みたいな感じで、このテンプレートの中に入っていて、そこの一部の部分がちょっと違うみたいな感じになるんじゃないかなっていう風にイメージしてるんですけどね。
ただ、この物語っていうのはまさにそのシャネルがね、ブランドとしてね、体現していたものにつながっていくと思うんですよね。
変身するというか、シャネルのスーツを着れば変身できるみたいなところのイメージとかもね、あるんじゃないかなと思うんですけども、そういった変身を求めていたっていう感じは、ちょっとね、エピソードからすごく感じてしまいましたよねーっていう感じはします。
はい。またね、彼女は個人の少女たちに、父はアメリカに行って罪を成し迎えに来てくれると話していたっていう風に言われてるんですけども、実際にね、キスとは再会してないんですよね。
なのでね、そういうロマンス小説に憧れていたっていうところもあって、ちょっとね、小説のね、あの感じにかなり影響を受けているんじゃないかなっていう風に思うんですよね。
なので、物語を作ることで、そうやって自分を守っていたのか、それともね、本当に父親に会いたいとかっていうのが成り上がっていく、有名になるための動機になっていたのかなっていうのはね、本当に推測の意境は出ることはないんですけども、そういった感情があったんじゃないかなっていう風に想像ができますよねーっていうところです。
記憶の反映と美学の源泉
はい、またね、その彼女ってね、結構本当に修道院時代を語りたがらなかったっていうのはね、すごく有名なんですけども、あの意外にもね、成功した後ですよね、1920年末ぐらいに建てられた南フランスのね、別荘ラパウザっていうのがあるんですけども、そこではね、そのオーバージーヌ修道院の記憶が反映されてるって言われています。
まあ、記述ではですね、その幼少期のオーバージーヌの記憶を建築に織り込んだっていう風に紹介しているので、これは間違いないんじゃないかなっていう風に思うんですよね。
で、またね、アクセサリーとして作っていた、そのガラスを使った、イロトリドリのガラスを使うグリポアっていうモデルがあったりするんですけども、それもね、その修道院のステンドグラスからインスピレーションを受けてるって言われていて、見てもらったらわかるんですけども、確かにね、あのステンドグラスっぽいデザインなんですよね。
まあ、つまりね、彼女はね、成功してからも、その幼少期の空間を捨て切っていないんですよね。
で、その中でやっぱりその、どのような思いかは計り知れないんですけども、むしろそれをね、自分の城とするぐらいに大切にしていたり、大切な記憶にしていたんだと思うんですね。
シャネルの本質:理想と現実
で、まあ、このことからね、ほんと全体的にまとめてみるとですね、あのシャネルはね、個人で現実を生きながら、そのロメンス小説の中でですね、理想をどんどん育てていったと。
そしてね、その理想をね、自分自身と服を使って現実に下ろしていったんじゃないかなっていう。だから、彼女は本当に強く見えるんですけども、本質的にはずっとね、理想を信じる少女のままだったっていう風に言えるんではないかなっていう風にまとめたいかなと思います。
まあ、第1回シャネルの回としてはこんな感じでまとめてみようかなと思います。今回はね、ガブリエルシャネル幼少期を中心に語ってみました。あえてね、この時代はまだ個々になっていないので、ガブリエルシャネルっていう形で話させてもらったんですけども、僕としてはね、かなり彼女の解像度が上がった内容だったりするんですけど、皆さんいかがだったでしょうかっていうところですね。
次回予告
はい。で、引き続きね、あの次回ね、シャネルをやっていきたいと思うんですけども、まあ次回はね、その修道院を出た彼女はどのようにしてブランドを作り上げていくのかっていうところを語っていきたいかなと思います。
なのでね、もしよかったらフォローしていただいて、はい、次回も聞いてください。ではまた。
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