これね、背景を見てみると、ちょうどね、フランスっていうのが第三共和制のフランスの社会構造だった時期なんですよね。
なので、女性の選択肢としては、まあ、過政府であったりとか、
まあ、近代化し始めている頃の工場労働ですよね。であったりとか、こちら、あのシャネルがやってたハリコさんですよね。
裁縫をして日々稼いでいくって、これ1日12時間労働とかだったらしいんですけども、
そういったところの生活で、もしくは愛人っていうところなんですよね。はい、結構ここ重要なんですけども、
つまり、まあ、労働か男性に選ばれるかの二択に近い社会イメージっていうところだったかと想像できますよね。
はい、そして彼女は昼はハリコ、夜はカフェ、カフェって言ってますけども、カフェ、あのコンセールっていうカフェなんですけども、
それ実際にはね、キャバレーみたいなところだったんですよね。で、そこで歌うようになり、生活が始まっていきます。
はい、これ結構かなり重要なポイントなんですけども、全く別の形でダブルワークしてるんですよね。はい。
つまりは、結構ね、ハリコの給料っていうのが少なくて、まあ収入のためっていう風にも読み取れるように感じるんですけども、
まあ僕はね、ちょっと2つ理由があると思ってて、それぞれね、はい。
ハリコをやってた理由っていうのが、やっぱ服飾スキル向上っていうところ。で、そこで服飾で上流階級への道をもしかしたら知っていたんじゃないかなーっていうことですよね。
まあデザイナーだったりとかそういったところの仕事があるっていうのを、当時にある程度わかっていたんじゃないかなーって思うんですよね。
まあもしくはそのイメージができていたっていうところですよね。
はい、服を作ったら作る人ですよね。それで上流階級の人に選ばれる人になれば、まあ自分もそういった地に入れるんじゃないかみたいなところですよね。
で、キャバレーで働いた理由っていうのが名前を得るためですね。名前っていうのはね、例えば今で言うとね、あの
源氏名みたいなところですよね。 まあそしたらあの
ここシャネルなるんですけども、個人として知られることができるっていうことが、あの大きなポイントだったんじゃないかなーっていうふうに思います。
で、もう一つが上流階級とつながりを作るためっていうところですよね。
シャネル自身がですね、やっぱりその 個人の出身ですよね。修道院って言ってますけど、そういうところの出身なので、どうしてもね
あの上流階級の人とかとの接点が全くなかった状況だったんじゃないかなっていうふうに思います。
で、それを作るきっかけとして唯一の接点だったのがこのキャバレーだったんではないかなーっていうふうに思いますね。
で、1話で話したように彼女っていうのはロマンス小説の影響で結構その変身するだったりとか
なり上がったりすることにすごい夢を抱いてた人だったんですよね。 なので
そのためのプロセスとして、まあ最適だと考えていたんではないかなーっていうふうに僕は思います。
はい。 で、ここから運命は動き出すわけなんですけども、
ガブリエルシャネルはカフェコンセールでココっていう相性で呼ばれることになります。 これがね、ココシャネルの由来になってくるんですけども、この相性はもう自分でつけたわけではなくて
そのキャバレーに来てた観客だったりとか軍人だったり男性たちの視線の中でね、発生した呼び名だったわけなんですけども、
まあガブリエルシャネルこの時期にですね、名前とは自分の内側から生まれるわけでなく 他人の視線、噂、欲望、記憶によって作られるものでもある
っていうようなことを語っています。 というふうに後にブランドを考えていくことにつながることをかなり早い段階で体感したい
ね、体感していたのではないかなーっていうふうに考察できますね。 またその由来として彼女が歌っていた歌ですよね
ココリコーってこれあの日本の感覚で言うとコケコッコーですよね あの鶏の鳴く声みたいな感じなんですけども
とまあもう一つあのトロカゼロでココを見たのは誰っていうこれフランス語なんでなかなか 読めないんですけども
まあその曲のココ、ココを見たのは誰のココっていうところがまあ由来だったんじゃないかな っていうふうにされているんですよね
であの彼女が舞台に立つと観客はね あのコッコーと鶏の鳴き声を真似で声援を送ったっていうふうにも言われています
はい ただこれ結構重要なのはこれあの確定史実っていうのも有力説になるんですよね
シャネルの公式もあの噂によるとっていうような慎重な表現を使っているので まあ曲名由来である可能性は高いんですけども断定はちょっとしない方がいいんじゃないかな
っていうところなんですよね でしかしその一方でまあ後年の解説ではねココがあのココってつまり愛人とか
囲われた女性っていうのを連想させたっていうふうにも言われています はいなのでね
あのそのココっていう呼び名は可愛い感じの呼び名ではあるんですけども ちょっと少し危うい呼び名だったわけなんですよね
で彼女自身もそのことさえもちょっとブランドのストーリーの背景として持っていたように 僕は思うんですよね
まあ彼のことをね原点として捉えているっていうふうに考えられる人物なんです よね
で彼はねあのイギリス人の実業家でシャネルの人生でも結構ね最も重要な男性とも 言われています
で経済的にもまあ精神的にも支援したっていうふうに言われてますね はいこれ1910年にその帽子屋さんを出すんですけどもそのお店を出すきっかけを
作ってそのあのお店を出す資金のねあの 投資も行ってくれてたっていう人なんですよね
はいなんでバックや服よりも結構ね彼との出会いだったりっていうのが先だったんです けども
まあ実際ねそのシャネルのブランドを作ったっていうよりはまあそのシャネルが 自分自身の考え方だったりとかそのシャネルというブランドにするための
あの自分の精神だったり考え方のあり方みたいなものをね 作るために必要だった関係だったんじゃないかなというふうに考えられますね
はい であのカペル自身がどんな人物だったかっていうとね
まあのさっき言ったのにイギリス人のあの実業家で ポロ文化っていうねスポーツだったりとか機能性とかが好きな
人だったっていうところですねであとね洗練された音服職感覚を持つっていうところで おしゃれだったんですよね
はいで知的でビジネスセンスがある社交会の人間っていうね あのバルダンとはかなり違う好評化をあのいろんな各種でされているんですけども
端的に言うと結構ねお金を出してくれた愛人なので あの本当に気持ちの問題なんじゃねえかなっていうふうにも捉えられるんですけども
あの実際のね彼の行動としてもかなりそのバルダンとは違う 共同してるんですよね
はいシャネルに対してこの一番違うのが投資をしているっていう部分ですね これがねさっきも言ったように1910年
パリ看板通り21番地っていうところにね シャネルモードっていう帽子専門店を出すんですよね
これだって帽子専門店なのかって言うとね当時はね あの服飾のお店を出すハードルよりもその帽子を出す
あの帽子でお店を出すハードルが結構低かったからっていうふうに言われています ねはいで
まあそのバルザンはお金を出してくれてはいたんですけども 彼女に対して投資をするっていうことはなかったんですよね
あのなのであのイメージとしてはあの ひどい言い方で言うとそういう夜の飲み屋のお姉ちゃんにいろんな高級バッグを送って
あげるだったりとか あのマンション買ってあげようかとかっていうおっちゃんみたいな感じのイメージですよね
はいでもカペルはビジネスとして対等な目線で投資してくれたっていうところですね なのでシャネルがこういうことをしたいっていうふうに言ってることに対して