両方、前回も今回も。
そうなんだ。
本当に人の原骨入ってるんじゃないかなぐらい。
結構すごいですよね。
健康な歯を抜いちゃうんで。
僕も1回だけ抜いたことあるんですけど、本当に晴れますよね。
晴れましたか?
晴れましたね。何日か晴れて、そっち側を押したりして寝れないかったですね。
そうですよね。人によるみたいですけどね。
そうでしたか。
アンパンマンみたい。片方アンパンマンみたいになって、まだ痛いなって思いながら。
清さんはどうでした?
そうですね。暑い暑いと言いながら過ごしてましたけども、
後で出るんですけど、最近面白かったことの話の中で、海外に行くこともありまして、
暑くてぼーっとしてるのか、ぜさぼけでぼーっとしてるのか、最後の方はよくわからない。
両方なのか。
そんな状態で過ごしてましたね。
海外、後で楽しみにしてます。
今日も順番にお話ししましょうか。
そうですね。
今日もいっぱいいろんなトピックスがあるんですけど、新しいニュースなんかもあるので、後でぜひ聞いてほしいんですけど、
いつものごとく皆さんのお手紙紹介。
お手紙紹介いきましょうか。
毎回皆さんがお手紙くださって嬉しいですね。
そうですね。
今日は、どこからいきましょう。その中から2つぐらい。DMとかストーリーズでいただいているものと、
あとはメールでいただいているものと、いろいろあるんですが。
DM。
そうですね。いきましょうか。
いいですかね。
Like the Windの日本版の零6号というのを夏に出しまして、ちょうど1ヶ月ぐらいですね。
8月の末頃に出したので、みんないろいろ読んでくれたり、手に取ってくれたりしてるんですが、いろんな感想をいただいておりまして、そのうちの1つということで。
はい、いきましょう。
ではまず三島の方からいただいた感想を読みたいと思います。
普段は気恥ずかしかったり、わざわざ言わなかったりするけれど、人は皆いろいろ思いながら走ったり、走ったり、走ったりしている。そんな話をずっと読んでいたい。
走る夢というのがいいなぁ。
情報が流れやすい時代に雑誌を作ってくださって、ありがとうな気持ちということでいただきました。
ありがとうございます。
走る夢っていうテーマなんですよね。最新号が。いろんな人がいろんな夢を見て、夏だから夏の夜の夢という言葉もありますし、いろんな人がいろんな夢を引き続き追いかけたり楽しんだりしているという、そういうお話がいっぱい入っているんですけど、この方もいろいろと走ったり走ったり走ったりしているということで。
そこはやっぱり気になっちゃいますよね。
何か感じてくれたんだろうなと思います。この方の妹の方がいらっしゃって、姉妹なんですね。京都の成功者で、夏の8月の4日だったっけな、トークセッションをやったりした時に、妹さんの方が京都の方に来てくれて、いつも姉がお世話になってますというようなお話をしてくれたんですけど、
その方のお姉さんが三島に住まれていて、今のストーリーズでそういうことを書いてくれてたという、そんなお二人ですね。いつも木星社の本とかポッドキャストも聞いてくれているということで、ありがとうございますという。
三島 ありがとうございます。
吉田 そうですね。きっといろんなことを思ったり感じたり考えながら日々を過ごされているんだろうなというのがなんとなく伝わる言葉かなというふうに思いましたね。
三島 そうですね。
吉田 ありがとうございます。
三島 ありがとうございます。
吉田 で、続いていきますか。
三島 続いてもう1件DMでいただいてます。
吉田 はい。
三島 こんにちは。Like the Wind06号の感想を送ります。
ワインは唇を流れ落ちたの話は、今回掲載されていたどの文章よりも難解で理解できなくて読み飛ばそうかと思いましたが喰らいつきました。
このおとぎ話の最後の結びで急に時間が止まるというか、今まで自分は何の物語を読んでいたんだろうと混乱させられる感じが、眠っている間に見る夢の世界のようで不思議な感覚でした。
考えても考えても解けない何かに向かい合っていることは、実は夢を見ている状態に近いのかも?ということで吉麦さんからいただきました。
吉田 はい。ありがとうございます。
三島 ありがとうございます。
吉田 前も感想をいただいた方で、南端市の読書会に自転車で来てくれていた方ですね。
三島 はい。キャンプしながら。
吉田 読んでくれて、実はこの書いていただいているストーリーが一番、僕も06号の中では読むのが難しいなと思ったストーリーで、英語でもすごく難しい英語だったんですけど、
翻訳の近藤さんがうまく訳してくださいまして、日本語になりました。結構いろんな文学的なお話が入ってたりして、
なんて言うんですかね、すごく難しいと言えば難しい。
三島 食らいつきましたって書いてますね。
吉田 そうですね。みんな食らいついて読んだんじゃないかなと思います。読んでもわからないところも、僕もあったんですけど最初。
それはそれでいいかなという、こういうことなんだろうなって感じられればいいかなぐらいで読み終えましたけどね。
三島 そういうふうにちょっと分かろうとしないで読むことって多いですか。
吉田 そうですね。どうしても読んで分かんないものとかもあるときは、その雰囲気だけ感じるっていうことぐらいでいいかなと思いますね。
無理に理解を無理にしようとしないという。理解には限界があるんだということで。
三島 そうですよね。
吉田 そのうち後で思い出してこういうことだったんだって分かるようなこともあったりするので、それはそれでいいかなと思ってやってますね。
だからあんまり真面目に読みすぎないと。
三島 真面目に読むな。アドバイスは。Like the Windは真面目に読むな。
吉田 そうですね。何を言ってるんだか分かんなくなってきましたけども、無理に分かんないということも、それはそれでいいかもしれないですね。
三島 そうですね。夢もそんな感じちょっと近いですよね。夢を分かろうとするとなんかすごい変な方向に行っちゃうというか。
吉田 そうですね。分かろうとしてうまく自分でストーリーがつながると面白いけど、つながらなくてもそれはそれで夢だったから、そういうもんかっていう。
つじつまがってなくてもそういうもんかとか、不思議だけどそういうもんかって思ってられればまあいいかなと思いますので。
このストーリーに関する新解釈が出てきたらまた皆さん教えてもらえるといいですね。
三島 DMください。
吉田 ワインは唇を流れ落ちたというお話ですね。ありがとうございます。
弱いとか強いっていうんじゃなくて
全体として成り立っているっていうふうに
捉える方が正しいっていうような
それは世界の捉え方と一緒で
誰かが一番偉いとか誰かが足りてないとかって
ある尺度で物を言うことっていうだけではなくて
その尺度がないところでは別に
主従関係がなくなったりとか
多様な見方がいろんな側面でできるはずなので
音楽もそういう表現として成り立っているのではないか
というようなことが書いてあったりするんですけど
結構それもまた似てる話かなと思って
そうですね
聞いてましたね
で、若林さんは相変わらず天の弱というか
あれで
いやもう俺たちはさとかって言って
なんかあるととにかくそうじゃねえ
そうじゃねえって思い続けて
って言ってて
やっぱりある経済とか社会の仕組みの中で
それだけの仕組みの中でこれが正しいって言うよりは
その仕組み自体とか尺度自体がそうじゃないって思いながら
孤独に作り続けてる時もあるんだよみたいなことを
スパゲティを食べながら言ってましたね
だからやっぱりそこも自分が考えてる何かの
尺度が正しいっていう側にあるというか
やっぱり世界の側にいるっていうような視点を持とうとしてるんだなっていう風に
すごく思いましたね
それってなんか自分が話している時とか
あとはその表現
その文章を書くとか
っていうことについても確かに
なんかその自分自身が中心に出ているのか
世界をただ観察している側にいるのかって
分かりやすいなって思うんですけど
ランニングとかもあるんですか
ランナーの中でとかランニングしていく上で
その今の話にランニングを置き換えて観察する側にいることとかって感じることもあるんですか
そうですね
単純にやっぱり人が走っているのを見るのって
好きでいいなと思いますし
人がどんな表情して走っているんだろうとかって
やっぱり見るだけで結構感動したりもするので
それっていいなっていうのは単純に思いますね
あとは自分が走っていて楽しいとか
自分の中のテーマを乗り換えて楽しいとか
そういうのはもちろんすごくあるんですけど
全然思っても見ないような
ランニングっていうのがいっぱいあるなっていうのはすごく思うので
世界陸上もそうですし
見てるとやっぱり本当にトップアスリートすげえなって思う
こんな走り方するんだって思うこともあるし
そうじゃなくても本当にその辺の道を走っている人たちを
ぼーっと見てるだけでも美しいなって思うことはいっぱいありますね
他人のランニングを観察するとかそういうことですね
そうですね
だから本当にすごくそれは思いますね
柴崎智子さんの話も大阪さんが書いてて
柴崎さんの100年と1日の話をポッドキャストでしたかもしれないんですけど
あれもすごく世界とか時間とか1日の様子をすごくつぶさに書いているっていう
短編集なんですけど
あんまり自分のことを書いてもしょうがないんだろうなって思いますね
そういうのを読んでいると
世界を見続けることの方が多分面白いというか
思いますね
好きなことを見つけなさいとか
自分らしさが大事とか色々あると思うんですけど
世間的には
例えば美しくなろうとか
こうなろうよとか
頑張らなきゃいけないことって日々いっぱいあることが多いんだけど
頑張らなくていいんだろうなって思います
頑張ってもしょうがないから
ニヒルな皮肉として言ってるんではなくて
自分なりにやっぱりベストを尽くして謙虚に進んでいくっていうことはすごく大事なんですけど
その上で
外側がどうなってるのかっていうのを見ると
そのギャップとか違いがものすごく鮮明に分かって面白いっていう
そういう話なのかなって
頑張らなくていいなって今聞いてるとすごい難しいなって思っちゃいます
観察してるだけでも別に何もできやしないじゃないですか
一文字も進まないというか
だからやるが前提にあって
その上での
世界の味方なのかなとかもなんかすごい
今の実践していくって考えたときに難しいなって思っちゃいました
すごい頑張らなくていいんだよっていうのは分かるじゃないですか
言われて納得もする
でも何もしなかったら
何も起こらない
一文字も生まれないっていう
だからそれはありますよね
そこのバランスは難しいですけどね
だから何もしなくていいっていう意味では決してないんだろうなと思うんですけどね
そうですね
頑張らなくていいの反対が何もしなくていいってことではないんでしょうね
だから世界はこうなってるはずだ
こうなってて面白い
すごいなって思うっていうこと自体がすごく自分の
モチベーションにまたすごくなると思うんですね
そうすると多分これをやらなきゃって思ってたはずのことを
その勢いでやれればもちろんいいし
いや違うぞと
その結果自分は多分こっち側をやったほうがいいんじゃないかって
とかこういうことを別なことをやりたいと思い始めるとかっていう