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#4 行は自由をひらくか?
2025-03-12 27:16

#4 行は自由をひらくか?

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【今回の内容】

行とは何か?/行と仏教・西田哲学/行とPERFECT DAYS/行は何をひらいている? /行の時間軸は今だけ/今を充実させること/身体からの解放/行とLAP/行と無明の質/行としての掃除・瞑想・自己実現 etc.


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【出演&Twitter】

岡田裕介

沐舎 代表|文化資本研究所 理事|国際コーチング連盟認定コーチ(PCC)

新卒でパーソルキャリアに入社、オルタナティブスクールの設立・運営、ポスト資本主義の具現化を目指すNext Commons Labでの活動、THE COACHにてカリキュラムやコーチングモデルの研究開発を管掌、代表取締役を歴任。その後、沐舎を創業。文化資本研究所を共同設立。茶道裏千家にて稽古中。

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長井雅史

沐舎 共同開発者|SFC研究所上席研究員|国際コーチング連盟認定コーチ(PCC)

対話の研究を経て独立。コーチングや対話を通じて個人・組織の変化に関わることやパターン・ランゲージを通じて経験則の言語化・体系化などを行う。感じることを大切にする文化や考え方、場所をつなぐことが人生のテーマ。共著書に『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』(2018年)

Twitter → ⁠⁠⁠https://twitter.com/NagaiMasafumi

感想

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00:04
はい、それでは久しぶりの沐舎ラジオということで、 まささん、今日もよろしくお願いします。
お願いします。 お願いします。
はい、えーっと、そうですね、ちょっとこのしばらく沐舎ラジオを撮らない間に、いろいろとラジオテーマにしたいことも湧いてきてたんですけれど、
今日は行について喋ってみたいなと思ってます。
行について。 はい。
修行の行、書いて行ですね。 行う、はい。
最近ちょっと行の、 なんでしょうね。
行ってなんか、いいなっていう、 そういうことを思うことが多々増えてきまして。
本当にどうでしょうね、でも一昔前っていうか、 一昔前でもないけど、行なんて、
自分の人生の中に全くなかったんですけど、
うん。 なんかじわじわと、
日常が豊かになっていく、 一つのプラクティスというか、実践としての行っていうのがあるなーっていうのを感じてきて、
今日はちょっと、まささんと行について語り合いたいと思ってます。
お願いします。 ラジオを始めておきながら、申し訳ありませんが、
イヤホンを変えたいなと思います。 イヤホンを変えてください。
音声どうでしょうか。 はい、クリアです。
クリアですか。 そもそも行とは何かってところから入っていきたいなと思いますけれども、
まささんはどうですか? 行と聞いてどんなイメージ湧いてまいりますか?
うーん、確かに、行と聞くと、 まあ、なんか大きなとこで言うと、
たち行とか、
なんか、みそぎとか、お坊さんが日々やってる、
礼台の掃除とか、
まあ、瞑想、座禅とか、なんかそんな感じですかね。
03:01
ありがとうございます。
そうですね。 もともとの語源をたどると、
まあ、いろんな説があるらしいんですけどね。
行とは多くの文脈で用いられる概念ですが、一般的には意識的な実践や修行を指します。
特に仏教や哲学、武道、芸術などの領域で重要な意味を持ちます。
そうですね。 仏教では行は修行や実践的な努力を意味し悟りに至るための道とされます。
日本哲学や禅の文脈での行。
そうですね。西田貴太郎は行為のうちに事故を見出すという考えを持っており、行を単なる動作ではなく、事故を深く見つめるプロセスと考えました。
そうですね。あとはまあ、ちょっと仏教的な話での行をもう少し言葉にしてみると、
仏教では行はサンスクリプト語のカルマに対応し、意識的な行為、修行、実践を意味します。
どうですか?いきなり振ってしまいますが、今の話を聞いてみて感じることや、思えてくることありますか?
そうですね。意識的な実践とか、あと西田の行為的直感の話かな、行為が単なる動作じゃなくて、行為の中に
事故を深く見出すみたいな、なんかそれが印象に残っているなって
思いますかね。
だから、なんて言うんだろうな、
なんかそこに現れている自分に対して、その動作に現れている自分に対して、自覚を持ちながら
行うものが行になり得るのかなっていうのを
思ったり、そう思うと、日常にある何でも、量として行おうと思えば、量として行えるっていう、
なんかそんな感じがするなって 思えましたかね。
06:04
なんかあの、パーフェクト・デイズっていう映画がありますけど、
まあ全、あれですね、パーフェクト・デイズの監督はこの全の、
あの全じゃない、あの東京のトイレがめちゃめちゃ綺麗なことに感動して、
それは何なんだっていうところから、あの始まってた作品、楽シーンですけどね、映画の。
で、まあ描かれているのは本当に平山っていうおじさん、
まあ平山っておじさんがもうずっとトイレ掃除するだけの映画なんですけど、
やっぱそこにすごい行を、行を感じるっていうんですかね。
何か目的があって、それの達成のためにトイレ掃除をするとか、
じゃなく、まあこれちょっと僕が見た解釈ですけどね、
なんでしょうね、例えばお金を稼ぐため、生活するためにトイレ掃除をするって、
まあその文脈、理由ももしかするとあるのかもしれないんですけど、
なんか、何でしょうね、
そのトイレ掃除という行為そのものを淡々とずっと続けている、
それそのものに何か、何でしょうね、豊かさが開かれていくような、
なんかそんな感じありそうだなあっていうのはちょっと思ったんですよね。
やっぱり僕自身も皿洗いとか、まあ家の掃除、生活する上での掃除やりますけど、
何でしょうね、それそのものの行為、
それはただ掃除をしているに過ぎないんですけど、
なんかすごい癒されるっていうか、癒しが起きてくる感じで、
掃除なんだけど掃除じゃないなっていう、
掃除を通して何かをやっている気がするわけですね。
そのニュアンスめっちゃ大事だなと思って、
まあちょっとね既存の概念だとマインドフルネスとかそういう概念も連想されながら、
09:06
けどちょっとそれを当ててしまうと見えなくなるものがありそうなので一旦保留するんですけど、
なんかそのそれそのものを淡々とやるところから開かれていく世界って言ったかな、
なんかその感じ、そこから開かれていく高さって言ったかな、
なんかその淡々とやるところ、その行為そのものを淡々とやるところから開かれていく何かがあるっていうのって、
なんか結構重要な感じがしたっていうか、
そこからしか入れない地平がある感じがしたっていうか、
なんかそんな受け取りをします。
そうですね。
そうですね。これはなんかちょっと言語化しがたい感覚ですけど、
確かにある感覚だなって思いますし、
これちょっと極論言っちゃうと、僕の中で皿を洗うことも、家を掃除することも、
あとはあの瞑想、朝瞑想するんですけど、瞑想したり座禅するような精神的な修養、精神修養ですかね、
それも、あとは仕事ですね。
まあこの牧舎でやってるLAPだったりコーチングだったり、
なんかすべては行な感じって言うんですかね。
かつなんか、何でしょう、何でしょう、なんかちょっと言語化しがたいですけど、
そんな、そう捉えるとじゃあ何なんだっていう話なんですけど、
なんかすごい、何だろう、味わい深い時間なんですよね。
12:05
なんかありますよね、なんかそこに含まれてる大事なエッセンスがあるなって感じてて、
なんかちょっと受け取る感覚だけ出してみると、
なんかこう静けさみたいな、なんか何か時が静止しているような、
なんかそういう感覚になったりとか、あとは何だろうな、
まあ超平たく言っちゃうと今ここみたいな感じだけど、
けどまあちょっとそれも保留すると、
なんかこう、何だろうな、
そのやってることと自分っていうものが一致してるっていうぐらいのかな、
なんか一如な感じっていうんですかね。
なんかそういうような質感とか、
なんかそんなニュアンスが漂ってる感じがしましたかね。
なんか言葉にしてみて、あとマスターの話も聞いてみて、
何でしょうね、
まあ全ての行為、
全ての行為に意味があるのか意味がないのか、
っていうまあ極論、
何だろう、何だろうな、
全ての行為を行と捉えるとすごいなんか、
それそのものに充実感を感じてくるんですよね。
これもなんかちょっと不思議な感覚で、
例えば僕、あのサボンで今働いてるますけど、
まあほぼサラーライなわけですよね。
下っ端なんで、サラーライなんですけど、
それをお金稼ぎの手段と捉えるとめちゃめちゃ辛いんですよ。
15:02
あとは、そのサボンでの働く時間を茶人としての、
何だろう、ステップアップと捉えると、
それまた辛いんですよね。
なぜならやっぱお茶入れたいわけですよ。
お茶の修行をするので。
まあ講義の意味ではサラーライってすごい修行なんですけど、
茶人にとっても。
けどまあワンシーン切り取るとお茶入れたほうが上達するわけですよ。
けどこのサラーライそのものに行政を感じてくると、
なんかサラーライにめちゃめちゃ充実感を感じて、
ずっとサラー洗ってたいなって気持ちになることがあるんですけど、
今日ってすごいなってつくづく思うわけですね、その時。
その姿勢で、その姿勢でなのかな、ちょっとわかんないけど、
そういう捉え方ができるととか、その姿勢で取り組めると、
なんか何かから解放される感じっていうか、
何かから解き放たれてる感じもするなって思いました。
うんうんうん、確かにです確かに。
いや確かに。
そうですね、何かから解き放たれてる感じもするし、
あとはまあ行ちょっと禅の修行したことないんで、
行の苦労が、まあちょっといるかもしれないですけど、
行の本場からするとちょっと解釈ずれてるのかわかんないですけど、
ただなんかやっぱ行は今、今、行の時間軸って今だけなのかなってそういう感じで、
何かを、何でしょう、
例えば悟りを開きたい、そのために行をする、
と思った途端行じゃなくなる感じがするんです、それが。
あとは何か在り方を育てるとか、
何か体制するためにその行為をやり続ける、
まあそういう目的もあると思うんですけどね。
ただその瞬間から何か、今ここ、行を通じて感じるこの充実感が何かちょっと質感変わってくる感じで。
うんうん。
18:09
で、今やってるその行為そのものにじわーっと入ってく感じがあるっていうか、
ちょっと行拡大解釈してるかもなと思いつつ。
うん。
で、まあそれは目的ではなく結果論として、
まさに解き放たれていく感じでやっていく何かが、何かからの解放がある。
うん。
まあそう言ってちょっと出てくるのは何ですか、
身体からの、身体からの解放なのか、
そう言ってる身体ってのは何でしょうね。
何でしょうね。やっぱ人間ってこの地球上で体を持って生まれてきますけど、
その結果生まれてくる苦しみがあると思いますけど、
うん。
何かそういう苦しみですよね。苦からの解放があるっていうか、
だんだん不思議な話になってきたかもしれませんが。
そんなことを感じております。
うん。大事な何かニュアンスがある感じがしますね。
何か本当にこう今とか、その時間軸、過去から未来に流れる時間軸とは違う今に溶け入ることができる感じとか、
うん。
まあそのマインドフルネス的なのとか、
まあ心身事業な感じとか、
うんうん。
何かちょっとこうひも付く依存概念っていうかみたいなのが色々あるなって思いながら、
うん。
何でしょうね。
21:01
何かああいうふうにそこにひも付けることをちょっとこうそこに留まる感じの自分もいながらみたいな。
うん。
何かそんな感じだなっていう。
何かまあ今回はその情っていう言葉を何て言うんですかね、
はしごにこの何と言えばいいのか分からないこの感じを今に迫っていこうとしてますけど、
何かこの感じが何て言うかな、この感じのここの感覚や体験っていうものがやっぱり何て言うの生きる中にあるよなとか、
うんうん。
まあその今回の話で言うと行というふうに取り組んでみるとそこに至れるような感じがあるよなとか、
うん。
何かそれがすごい重要な部分だなと思いましたね。
ありがとうございます。
なかなか良い、良い頃合いになってまいりました。
良い頃合いですね。
ちょっとチェックアウトして閉じてまいりますか。
はい。
じゃあ僕からいくと、
うん。
そうですね、ちょっと行、行って何か良いなーっていうのがやっぱ最近このしばらくずっと続いてる感じがあって、
うん。
まあ手のありつつ、何かこう表現するっていうことについてはあんまり、
何だろう、そこにテンションがかかることもなく今に至るって感じなんですけど、
いやー何かちょっとすごいこの言葉にならないけど感じてる感覚をちょっとよくわからない表現でしたが、
何かちょっとこの場に出せて良かったなーっていうのを今思っておりますっていうのと、
まあそうですね、やっぱりこの目者やLAPっていうのは本当にこの行、行と通ずるものをすごい感じてて、
うん。
何かこれをもう少し捉えて世の中に届けていけると、そういう場を届けていけるとすごい良いなと、
24:02
うん。
はい、思っております。
うん。
ありがとうございました。
いやーありがとうございます。
そうですね、僕もチェックアウトすると、
いやーけど、そうですよね、ここら辺、ここら辺だなーっていう感じで、
まあ別の文脈で言うと、そのパターンランゲージの世界で言われる無名の質、名付けの質っていうのも、
その感覚な感じだと僕は捉えていて、
なんて言えばいいんですかねー、
けどなんか割とここら辺ってその、まあその名付けの質、名付けのじゃないけど、
なんかこの感覚を実情だ、まあ要はなんか説明可能な形で実情立てていくっていうことと、
この感覚っていうものがやっぱりちょっとこう、相性がするといいわけではなくて、
やっぱなんか、なんて言うんですかねー、
なんかどちらかというとやっぱなんて言うんですかねー、
さっきの過去未来の先継的なもの、世界観の方がなんかこう、
実情立てるとか説明する的なことと相性がいい話だから、
けどなんか我々はLAPとか目視者を通じて、
この感覚をちょっとこう、もう少しトライドコロのあるものとして置こうとしてたりとか、
まあもう少しこう、そこの体験に織り立ちやすい梯子を作ろうとしてるみたいな感じがあると思うので、
なんかすごい、そうですね今日はすごいなんか、
超微細なニュアンスを捉えに行こうとした時間だった気がするんですけど、
すごいなんか大事な感覚を囲んだ時間だったなと思いました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
27:04
はい、それでは今日はこんな感じでしていければと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
27:16

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