1. 沐舎ラジオ〜自由をひらく人文学〜
  2. #5 自由をひらく問いを、ふた..
2026-10-16 14:38

#5 自由をひらく問いを、ふたたび

しばらく冬眠していた沐舎ラジオを、ふたたび。
沐舎が大切にする「自由をひらく」とは、どんなことなのか。ユング心理学、述語性、主体と文脈への関心を持ち寄り、これからふたりで探究していきたい問いを話します。
「選べる自由」だけでなく、「選ばされている」ところからひらく自由はあるのか。答えを急がず、ニッチなまま深まっていく対話を始めます。

出演:岡田裕介・長井雅史
収録日:2026-09-24

チャプター
再開の挨拶
沐舎と「自由をひらく」
このラジオで探究したいこと
ユング心理学から自由を問う
述語性と、自由を体験する主体
行為は文脈から立ち現れる?
選べる自由、選ばされる自由
ニッチなまま、深めていく

感想

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再開の挨拶
はい、では、まささん、よろしくお願いします。 お願いします。
えーと、ではですね、改めて沐舎ラジオを再開したいと考えておりまして、 沐舎ラジオ、いつぶりでしょうか?
どんぐらいですかね? 1年、1年以上ぶりですかね?
1年以上ぶりかもしれないですね。
はい、そうですね、沐舎ラジオ、しばらく冬眠してたんですけれども、
再び命を吹き返しまして、はい、またちょっと命が灯火のようになるかもしれませんが、
ちょっと、あのー、情熱の続く限り、続けていきたいなと思っています。
はい、えーと、今日はですね、沐舎ラジオを再開して、今後どんなものを皆さんにお届けしていきたいかっていうところについて、今日はちょっと触れてみたいなと思っております。
沐舎と「自由をひらく」
そうですね、沐舎ラジオの前に、まあ初めて聞く方もいらっしゃるかもしれないんで、
沐舎っていうところから話してみると、沐舎はですね、もともとサンスクリット語で沐舎という概念があるんですけども、自由とか解放っていうことをですね、
そこから、まあ音をとって、それに沐浴の沐に、学舎の舎、
ね、なのでまあ自由をひらいていく、学び屋として沐舎というものを、あの今、構えてやっています。
で、まあ一つ大目的としておいているのは、自由をひらくということをですね、この現代を生きる我々において自由とは何か、そしてその自由が開かれていくとはどういうことかというものを
探求し、あとは自由が開かれていく、そんな場を提供しています。
このラジオで探究したいこと
はい、まあ沐舎ラジオではですね、この自由をひらくっていう文脈のもと、いろんなまあこれまで我々が出会ってきた概念であったり考え方であったり、理論、人物ですね、
そういったものをですね、テーマに取り上げていきながら、そこについてちょっと我々で、あの、
湧いてくるままに対話して、結果的に自由が開いていくということに対して、何かひとつでもヒントやつながりがあればいいなと思ってるんですけど、
そんなことをこれからやっていこうかなと思っています。どうですか、まささん。それにあたって浮かんできていることはありますか。
はい、そうですね、まあ自由をひらくっていう、なんか言葉がありましたけど、
なんかそれ自体が大きなテーマだなあというふうに、まあ自由って何だろうとか、
まあそれが開かれていくって、
なんかそういったことを、結構、
なんて言うんですかね、岡ちゃんとは共有しているテーマとか思想とかもあるので、なんかそれらを
場に出し合いながら研究していけるというのは。
どんな道が始まるかなあという。
確かにですね。
ちなみに前回はですね、
2025年3月ですね。
2025年、1年、エピソード4。
行は自由をひらくかっていうテーマでしたね。
[聞き取り要確認]。
はい、ですね。なかなかいいテーマですが、エピソード4で
冬眠し始めたということですね。
できれば5までは行きたいなと。
どうですか、ちょっと今日は概念なり理論なり、今の我々の目下の関心をちょっとこの場に
バラバラと出し合ってみたいなと思ってまして。
どうですか、まささん。
今僕らが持っていて興味、興味テーマみたいな。
興味テーマ。
ユング心理学から自由を問う
いやー、1個はあれありましたよね。
先月講座ありましたけど。
改めてユング心理学。
ユング心理学を[聞き取り要確認:たらしめているのは]
集合無意識っていう概念をそこに入れ込んだ、心のレイヤーに入れ込んだということって言われてます。
集合無意識のこととか
元型のこととか
そこら辺は興味のあるテーマですね。
確かに。
そうですね。ユングは1個やっぱり
焦点当てたいところ、テーマですよね。
ユングの言う個性化、ユングの言う自己の実現傾向とか
あの辺は興味深いですし。
あとはそうですね、元型ってそもそも何だろうかですね。
そこと自由っていうのはどう繋がってくるのかっていうのはありますけど。
そういう心理学的な視点を通して自由とは何かを考えていくっていうのは
いいテーマです。
そうですね。
述語性と、自由を体験する主体
述語性に引き続き関心はありまして。
述語性というか、
述語性ってそもそも何だっていう話でもあると思うけど。
言語学的立場から
そういうわけでもないんでしょうね。
そもそもこの自由とは何か、自由が開かれていくとはどういうことかを考えていく上で
そもそもそれを体現するというか体験する
自由というものを体験する本体ですよね。
それは私っていうことなんですけど。
私であり人間である私なんですけど。
そもそもその私とか人間とか、体験している主体となるものに対する捉え方ですよね。
この辺やっぱすごい興味深いなと思ったりして。
だからここについて、述語性言語構造を研究している方々のところからちょっと存在論
探求してみたいなというか、そもそもなところなんですけど。
行為は文脈から立ち現れる?
そんな感じでしょうか。
なんか、まあその主体って何だろうか。
あとは、自分がこう能動的にやっていると思っていることも実は
文脈の要請からその行為が起こってたりとか
その文脈っていうのはその瞬間においている環境とか文脈もあるかもしれないし
前後関係、過去未来の前後関係みたいなのもあるかもしれないし
なんかそういうところから立ち現れているっていう風にも見えることもできるよなと思った時に
なんかそもそもそういう主体って何だろうとか、行為するって何だろうとか
なんかそういう問いは浮かんでくるよなと思います。
なんか思っている以上に人は能動的に動いてないんじゃないかなみたいな
なんかそんな気もしてくるなっていうことを思いました。
そうですね。
だからまあ本当ここについてはどうでしょうね。
選べる自由、選ばされる自由
一般的にやっぱ自由と聞くと選べるっていうことが選択できる自由っていうのがまず浮かんでくるのかなと思うんですけど
本当に選択できるっていうのはもちろん現実では起こるんですけど
まささんが今言ったように選ばされているっていうところに立つことで開かれてくる自由っていうか
なんかもうちょっと探索してみたい場所だなと思います。
そう思ったときに自由とは何なんだろうかっていう
なんかすごい一般に持っている自由っていう言葉へのイメージが変わっていく感覚とか
そこに伴う体感覚みたいな
なんかちょっと違う感じがしてきたりとかしますね。
そうですね。
ニッチなまま、深めていく
心理学、哲学、文学、言語学
いろんなところからちょっと自由について深めていけたらいいかなと。
ちょっと問いつつ我々の関心大体
なんでしょうね。そんな幅広いわけではないので
ちょっとニッチなとこから
ニッチなまま広がらずそのまま深まっていくかもしれない。
そんな感じでしょうかね。
まずは再開の
再開の宣言だけしておこうかなと思いますので
ぜひ皆さん気長にお待ちいただけたらと思います。
ありがとうございました。
こちらこそ今日もありがとうございました。
14:38

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