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#2 茶器を洗えば述語性がひらく?
2024-11-01 21:48

#2 茶器を洗えば述語性がひらく?

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【今回の内容】

皿洗いってすごいかもしれない件/アリストテレスの主語の論理・西田哲学の述語の論理/私がお茶をいれているのか・お茶に私はいれられているのか/モノの名前を知ることで力を解き放つ/歴史的世界の自己表現/建築家は空間をつくり秩序を生み出す/作られたものから作るものへ/大量生産・均質化される時代・自分から抜け出すことが難しくなった時代/モノとヒトが解放しあう相補性 etc.

(引用書籍①:今を生きる思想 西田幾多郎 分断された世界を乗り越える/櫻井歓/2023)

(引用書籍②:哲学する日本/山本哲士/2021)

(引用書籍③:ザ・ネイチャー・オブ・オーダー/クリストファー アレグザンダー/2013)

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【出演&Twitter】

岡田裕介

沐舎 代表|文化資本研究所 理事|国際コーチング連盟認定コーチ(PCC)

新卒でパーソルキャリアに入社、オルタナティブスクールの設立・運営、ポスト資本主義の具現化を目指すNext Commons Labでの活動、THE COACHにてカリキュラムやコーチングモデルの研究開発を管掌、代表取締役を歴任。その後、沐舎を創業。文化資本研究所を共同設立。茶道裏千家にて稽古中。

Twitter → ⁠https://twitter.com/YusukeOkada_07⁠

長井雅史

沐舎 共同開発者|SFC研究所上席研究員|国際コーチング連盟認定コーチ(PCC)

対話の研究を経て独立。コーチングや対話を通じて個人・組織の変化に関わることやパターン・ランゲージを通じて経験則の言語化・体系化などを行う。感じることを大切にする文化や考え方、場所をつなぐことが人生のテーマ。共著書に『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』(2018年)

Twitter → ⁠https://twitter.com/NagaiMasafumi

感想

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00:03
はい、えーと、じゃあ本日もどうぞよろしくお願いします。 お願いします。お願いします。
えー、今日も沐舎ラジオを配信していきますが、 そうですね。
どうでしょう? 麻生さん。 はい。 今日のテーマですけども。
今日のテーマですか?はい。 今日のテーマ、岡ちゃん一押しのやつがあるじゃないですか。 あ、一押しのやつ。
そうですね、あのー、ちょっと我々の身近なところからっていう感じですけど、
ちょっと最近皿洗い、皿洗いってすごいなーっていうのをちょっと感じる体験があって、
ちょっとうまく喋れるかわかんないんですけど、そこちょっと扱ってみたいなと思いました。
うんうん。 あのー、そうですね、もうちょっと話してみるとですね、ちょっとこれ、
どうでしょうね。あのー、要は今、あのお茶、
お茶の砂棒でちょっと働かせてもらってるんですけどね。
うん。
その時にあのー、皿洗いを制するものは茶を制すって、あのー、ちょっとこれ、
本気なのかちょっとわかんないですけど、そういう言葉をお耳に挟んでですね。
まあなんか言ってること確からしいなって、その瞬間確からしいけど、あまり腑に落ちてない自分もいたんですけど、
なんか、1、2ヶ月経ってその言葉がちょっとじわじわと染み込んでくる感じもあってですね。
ちょっとそれについて、なんか話してみたいなと思いました。
うんうん。
ちょっともうちょっと話してみると、
なんでしょうね。
あーで、これなんで話したいなって思ったかって言うと、
これまたこの哲学者の三階太郎の言葉というか、あの捉えているものをちょっと仮にさせてもらうと、
術語の論理っていう、あのー、そういう言葉があってですね。
で、まあ術語の論理って何かっていうと、あのー、
アリストテレスが、要は哲学者のアリストテレスが、術語の論理っていう言葉を使ってて、
それに対応する形で術語の論理っていうものを使い始めたっていうふうに、あのー、
えっと、ちょっと引用は今を生きる西田喜太郎っていう、なんかそういう書籍があるんですけどね、そこから引用しているものなんですけど、
03:07
要は私っていうものがあって、
私が主語ですよね。
で、あのー、例えばじゃあ私は、
私は人間であると。
で、なんか人間であるという術語で、
で、あのー、主語の論理っていうのは私っていうものが、まあ、
この世界に対して、まあ、働きかけられるっていう、まあそういうふうな、なんか前提がありますけど、術語の論理っていうのはむしろ、
なんか逆なところでこの、むしろこの術語であり、
私っていうものを、まあ含んでいる、あのー、もうちょっと大元の部分っていうものから、なんか働きかけられるみたいな、
ちょっとそういう論理だったりするんですけど、
なんかあのー、ちょっとこれ若干話が長くなりますけど、
なんかこの、皿洗いしていると、
要はこの茶器、ありますよね。
この茶器の形とか、あのー、手のなじみ感とか、なんかちょっと変わってくる部分あるんですよね。
あとはこの茶器自体をこう洗ってると、だんだん、なんか茶器と仲良くなってくる感じがあったり、
その茶器に愛着が湧いてきたり、
なんですかね、なんかちょっと茶器との関係性が変わってくるみたいな、
その体験が、あのー、なんでしょうね、出てきて。
で、かつ、やっぱ茶器っていうのは一つ一つやっぱ形も変われば、その茶器それぞれに個性があって、
このお茶の入れ方とか、もう茶器の形状とか深さとかいろんなもので変わってくるんですよね。
なのでこの捉え方によっては、僕がお茶を入れているっていうよりは、この茶器が僕を通してお茶を入れている、
みたいな、なんか、
そんな捉え方もできるなっていう。
なので、皿洗いをしているっていうのは、言ったらなんかその、茶器と仲良くなって、茶器が僕を通して、このお茶を入れるみたいなところの、
そういうプロセスを育んでいるような、なんかそんな体験になってきて、
うん。
はい。
ちょっと何言ってるかわかんない可能性があるんですけど、なんかそういうのがちょっと、はい、
浮かんできたことですかね。
いや、大事です。
06:05
はい、大事です。
いや、大事ですね、っていうのは。
なんか、あの、別の文脈で、おかっちゃんやおかっちゃん以外の人たちとの探求の中で、
あの、何だっけ、山本哲次さんの、何だっけ、術語性の話?何だっけ、合ってます?
はい、術語性。
で、その文脈で、茶器の話、の文脈で捉えた話を聞いて、
本当に今言ってくれたように、茶器一つ一つ、形が違うと。
で、逆にその、むしろ大量生産されているコップとかマグカップは、
全部同じ形で、ある種人間の都合に合わせる形で形が決まってるから、
別にその一つ一つのマグカップの形に対して、
その、まあ、なんかその形に合わせるけど、何て言うかな、
でもその形そのものがそもそも均一化してるから、人間が合わせにいくってことはなくて、
でもその茶器、一つ一つ形の違う茶器っていうものに対しては、
自分がこう掴みたいからこう掴むっていうのがある種不可能で、
茶器の形に合わせて自分の動きを変えていく必要があるっていう話を、
術語性の文脈である人から聞いた話を今思い出したんですよね。
で、その皿洗いっていうプロセスが、まあ、いろいろな捉え方できると思うんですけど、
確かになんかすごく丁寧に、
食洗機に出るとかじゃないじゃないですか、
自分の手で一つ一つの道具に対して自分の手で洗うっていう、
でその洗うっていう行為の中で、
その形、その道具や茶器の形っていうものを、
なんとなく感じ取れるようになっていくっていう、
それがもしかしたら仲良くなっていくっていうプロセスなのかもしれないなと思って、
なんかすごい大事な感じがしましたね。
09:02
そうですね、あの、
うちの1個思い出したのが、
僕少年ジャンプ、少年ジャンプ派だったんですよ。
はい。
あの子供時代。
はい。
読んでました?少年ジャンプ。
他に何派がありましたっけ?
あのマガジンとかいっぱい。
マガジン派かね。少年ジャンプ派でしたよ。
あ、少年ジャンプ派。
ブリーチとか読んでました?
いや、ブリーチ読んでないですよね。
読んでないですか。
ちょっとあの、軽く視聴、聞いてくださってる方にも解説ちょっと。
まあ死神の映画なんですけどね。
映画じゃなくて死神の漫画なんですけどね。
あの黒崎一吾っていう死神。
もともと人間なんですけど、
そこからちょっとなんだっけな、死んだかちょっとエピソード忘れてたんですけど、
まあ死神なんですよ。
で、そのブリーチの世界での死神と現実の世界があって、
で、ちょっといろいろ端折りますけど、
その死神は一人一人剣を持ってるんですけど、
その剣、刀ですね、には名前があるんですよ。
でもその名前に気づかないと、
その刀本来の力を解放することはできなくて、
で、ザラキケンパチっていう、
まあめっちゃ強い死神がいるんですけど、
そのザラキケンパチは刀の名前を、
えーと、まあちょっといいか、
まあマニアックなんでちょっとあれなんですけど、
まあ要は言いたかったのは、
刀の名前に気づき、
そことの関係性を育って、
それを解放していくっていう、
まあそういうプロセスなんですけど、
穴がち、この、
その差別をしてて、
で、茶器にもやっぱ一つずつ名前があるんですよ。
なんか一文字急須とか大法薄品とか、
はい。
大薄法品とかもいっぱいあって、
その名前を知ることで、
なんかより、
なんかその茶器が入れたがっている、
入れ方、方向性、
なんとなくなんか感じられてないんですよ、まだ。
感じられてないんですけど、
この先に何か感じられていくようになっていく気がするっていう、
なんかそういう兆しを感じて、
うんうん。
えー、
これもちょっと西田の言葉を引用しちゃいますけど、
西田は作られたものから作るものへっていう、
そういう言葉を残してて、
あのー、
要は何を言ってるかというと、
えーと、ちょっと言葉を抜いてみると、
あのー、
12:02
あれですね。
ちょっとこれどうだ。
要はあの、
作られたものっていうのは、
私たちが何かを作ったっていう作られたものですけど、
そこからそのものが、
私を通して、
この世界に表現し始める。
なんかこれを歴史的世界の自己表現っていう言葉でしたわ、
語っていますけど。
なんかこれすごい面白いな、
この作られたものから作るもの。
なので、この茶器っていうものは、
誰かによって作られたものなんですけど、
その茶器との関係性が僕の中で育ってくると、
茶器が僕を通して、
この世界に、
茶器自身が自己表現し始めるような、
そんな感覚が訪れてくるのかなっていう。
うん。
はい。
面白いなと。
あ、ごめんなさい。
いやあ、
いやあ、
そうですね。
ていうか、面白いですね、
その視点の
転換っていうか。
なんかちょっと、
完全に重なるわけではないですけど、
近い感覚として、
建築、
クリストファー・アレグザンナって方がいるんですけど、
彼の持っている一つの視点として、
建築家って、
僕の意訳で話すと、
結構なんか、
自覚している以上に、
大きなインパクトをこの世界に与えていて、
要は、
この世界、
建造物を作るとか空間を作るってことは、
ある種、
この世界に秩序。
秩序を生み出しているっていうこと。
単に建物を作ってるっていうか、
そこに、
なんていうんだろうな、
秩序を生み出しているみたいな。
で、なんかこう、
あ、そうそう、だからそれも、
まあ、そうですね。
15:01
で、まあそれも、
全く同じことが言えると思うんですけど、
作られたものから作るものへっていう視点をかませたときに、
なんていうんですかね、
その空間とか、
その建造物、建物が、
作るものになっていくんだよなと思って、
作られた後からは作るものになっていく。
この世界を作るものになっていくし、
この社会を作るものになっていくんだけど、
そこまで、
そのなんか、
作られた後に、
それが作るものになっていくという未来まで、
含めて、
作られたものフェーズのときに、
ぶってるのだろうかみたいな、
なんかそういうのも、
すごく、
今ちょっと視点としてもらった感じがするなーっていうのを、
思いましたね。
そうだね。
たらあらいっていう、
たらあらいってところからちょっと、
マニアックな話に発展していきましたけど、
どうですか?まささん。
ここまで話してみて。
ここまでね。
どうなんでしょうね。
いろいろ感じましたね。
単純にやっぱり、
なんていうかな、
すごい摩擦がない世界っていうか、
その要は、マグカップも金質化していくとか、
大量生産で金質化されるとか、
なんか、
私使ってるこのパソコンも、
基本的に同じ型だったら形一緒だし、
まぁわかんないですけど、
わかんないけど、
道路とかも整備されたらあれだし、
現代建築も、
それこそ同じような、
図面で作られたら、
コミン化と比べると、
金質化されてるし、
っていう時にやっぱり、
どうしても、
18:00
物に自分の動きを合わせていくっていうよりも、
ある程度人間にとって都合のいい、
愛の中で物が形成されていくっていうのが起きた時に、
今日お母ちゃんが言ってくれたような感覚っていうのは、
やっぱ失われがちだし、
そこが失われるっていうのはどういうことかっていうと、
自分っていう視点から抜け出せ、
抜け出すことが難しい環境がどんどん、
世の中に生まれているっていうことでもある気がしてて、
今日の話はある種、
自分っていう視点から抜けられる行為の話をしていた気がするし、
それが人が生きるっていうことにおいて、
どのように大切なのかっていうところまではまだ言語化されてないですけど、
すごい大事なことだよなっていうのも、
思った時間でしたかね。
ありがとうございます。
思ったことそのまま生にえで出してみると、
人と自由みたいなところに引き寄せて考えてみると、
僕は茶器との皿洗いを入り口にしながら、
茶器がこの世界に、茶器自身が自己表現する、
つまり開放されていくプロセスを橋渡ししたような気がしますし、
同時に茶器が僕を通して世界に自己表現する、
それをニアリー・イコール、自由になって開放されていくプロセスだと捉えてみたときに、
茶器がそういう開放のプロセスを辿っていく、
それを支える僕がそのプロセスを通じて、
この世界に自己表現できていくっていう、
そういう相互作用的なプロセスあるなって感じて、
これはやっぱり詰まるところ、
人は自分だけで自由になれないんじゃないかっていうか、
人を通して自由になっていくし、物を通して自由になっていくし、
みたいな、はい、そんなことを最後感じましたかね。
いやー、これ次のテーマにしたいです。
21:04
次のテーマ。
それって僕らの中のこと。
僕らの中のそれが、次もなんか意気込みしてから、
いやー、けど自分一人では自由になれないんじゃないかっていうのは、
確かにそうかもしれない。
そうかもしれない。
そうな気がするな。
いやー、ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
じゃあ今日はこれまでと出ていきたいと思います。
はい、今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
21:48

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