#1 沐舎ラジオって?
2024-10-27 31:09

#1 沐舎ラジオって?

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【今回の内容】

沐舎とは?|自由とは何か|デカルトとスピノザの自由論|封建制度の廃止と人生哲学・個人神話の必要性|西田幾多郎の哲学|バガボンドから捉える自由|Uncontrollableなものに観念することの可能性|ユングと意識の構造・EgoとSelf|沐舎ラジオでこれから語られていくこと etc.

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【出演&Twitter】

岡田裕介

沐舎 代表|文化資本研究所 理事|国際コーチング連盟認定コーチ(PCC)

新卒でパーソルキャリアに入社、オルタナティブスクールの設立・運営、ポスト資本主義の具現化を目指すNext Commons Labでの活動、THE COACHにてカリキュラムやコーチングモデルの研究開発を管掌、代表取締役を歴任。その後、沐舎を創業。文化資本研究所を共同設立。茶道裏千家にて稽古中。

Twitter → https://twitter.com/YusukeOkada_07

長井雅史

沐舎 共同開発者|SFC研究所上席研究員|国際コーチング連盟認定コーチ(PCC)

対話の研究を経て独立。コーチングや対話を通じて個人・組織の変化に関わることやパターン・ランゲージを通じて経験則の言語化・体系化などを行う。感じることを大切にする文化や考え方、場所をつなぐことが人生のテーマ。共著書に『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』(2018年)

Twitter → https://twitter.com/NagaiMasafumi

感想

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00:04
はい、では本日は記念すべき、第1回目なのか第0回目なのか、沐舎ラジオの番組ですね、ラジオ番組をお送りしていきます。
お願いします。
はい、よろしくお願いします。
岡田とマサさん2人で。
岡ちゃんとマサで。
岡ちゃんとマサさんでお送りしていきたいなと思います。
そうですね、今日は第1回なのか第0回なのかっていう、そういう話も今させてもらいましたけど、そもそも沐舎ラジオとは何なのかっていう、ちょっとその辺について今日は焦点当てて語ってみたいなと思っております。
これまたそうですね、我々今沐舎ラジオとは何なのかっていうところをここまであんまり打ち合わせもせず、でもなんかちょっと我々の中で立ち上がってくるものがあって、なので今回沐舎ラジオというものをやってみようということで始まっております。
なのでそうですね、この時間は改めて沐舎ラジオって何なんでしょうっていうのをちょっと探究的に対話しながら、沐舎ラジオの輪郭を我々も掴んでいくっていうそんな時間を過ごしていきたいなと思っています。
マサさん今日はよろしくお願いします。
お願いします。
じゃあ、どうぞ。
いいですか、いいですか。
いいですよ。
牧舎とは何ですか、まずは。
牧舎とは何ですかっていうところからですよね。
まとめて何なんでしょうね、牧舎。
牧舎自体はですね、今年の1月、さらにとほうがはもっと昔からあるんですが、芽生えはもっと昔からあるんですが、今年の1月から始まってきているもので、
牧舎とは、サンスクリトで自由とか開放とかそういうものを意味する、もともと牧舎ってところから来てるんですよね。
そこに牧欲の牧と学者の舎をあて字として牧舎っていう名前がつけられております。
03:03
今やってるのはライフアウェアネスプラクティスという人が純粋にその人の本来ある、その人の本来の自分を生きられるようになる、その人の純粋性が開放されていく、そんなプロセスを支援する3ヶ月間の実践型プログラムを提供している。
のがどちらかというと具体的な側面としてはありますけど、そんな牧舎の中心とは何なのかっていう、この辺は改めて思ってみてもいいかもしれない。
いや、そうですよね。
改めて聞きながら、自由とか開放っていうのを意味する言葉っていうのが、一つ端緒先にあるっていうところで、なんかこの自由っていう言葉一つもそうだし、開放っていう言葉一つもすごいこう、探究しがいがある。
感覚だなあと思って、自由っていうのも、何でしたっけ、自らに寄るみたいな、なんかそういうニュアンスの自由もあれば、なんかね、新自由主義的な、なんかそういうニュアンスの自由みたいなのもあって、
自由っていう言葉を、なんていうんですかね、どういうベクトルが向いた言葉として捉えるかっていうのもそうだし、この開放っていうのも、何に縛られているんだろうみたいな、裏を返すと。
みたいなところもそうですし、まあ、別にこの自由と開放、自由と開放っていうのを並べたらすごいフランス革命みたいな感じがしてきちゃいますけど、
その言葉にこだわる必要はないんだけど、けど、そこの言葉で言わんとしているニュアンスみたいなのはすごい僕らにとって大事なものだよなっていうのも思いましたね。
いや、ほんとそうですね。自由っていう概念であり現象ですね、それもどんなまなざしで捉えるかっていうのはすごい結構重要なことかなと思いますし、これはちょっと僕が好きな比較として、
06:09
哲学者のデカルトとスピノザっていうのがいますけど、デカルトは人は選択できる、ゆえに自由であるという言葉を残していて、それに対応される形でスピノザは人は選択できない、ゆえに自由であるっていう言葉を残していて、
この企画が個人的には好きなんですけど、自由っていうものを同じ言葉で自由っていうものを捉えているんですけど、そこのニュアンスとか全くある種真逆なことを同じ現象として捉えている。
ちょっと探究しがえるなと思っております。
いや、そうですよね。
結構これちょっと分かるんですけどね、先ほどまさかのフランス革命みたいな感じの言葉もあって、僕もフランス革命そこまで深くちょっと見つめられてないところでありますけど、そんな立場から見えるフランス革命ってもうちょっとなんか何ですかね、何か
あのしたかね、ちょっと封建制度とちょっと影響してるんでしたっけ。
封建制度でね、なんか身分階級みたいなところからの自由、自由の獲得みたいな。確かそんなニュアンスがあった気がして、すいません、これはちょっと分かりませんのですが。
そうですね、こういう封建制度、身分制とか領主制とか、そういったなんか自分個人というよりは身分で自分の人生とか、自分の職業とか分からないですけど、そういったものがあったところからなんかそこから解放の運動が起きてくるみたいな。
で、結構最近ちょっと、あのこれすいません、ニッチの話にあったようにしてるんですけど、西田喜太郎いますよね、日本哲学、日本の哲学の祖と言われてる西田喜太郎が、まあちょうど明治維新、明治時代を生きたような時代と被る哲学者だなというのなんですけど、
ちょうど封建制度って日本で平安時代初期、後期ぐらいから始まって、で鎌倉時代、要は明治維新が始まる前まで封建制度があったところから、ちょうど明治維新の、すごいちょっと日本誌っぽくなりますけど、廃藩治憲つって、
09:21
まあ要は、そういう封建制度廃止したわけですよね。
その時に西田が、もともと将来こうなるとか、そういうことを考えなくても、要は自分の人生ってある種決まってたようなところから、個人一人一人がこの世界における事故というものをしっかり位置づけて、
見出していかなければならない。そこから私とは何者なのかとか、アイデンティティを個人が確立していかないといけないみたいな、そういう流れになってきて、そこによる苦悩みたいなものが生まれてきてるみたいな、そういう話をちょっと最近聞いたことがあったんですけど。
なんか自由っていうところから、そういう何か覆われてるところからの物理的なものからの自由の獲得運動みたいな捉え方も自由の一つですし、でもなんか目者が捉えようとしてる自由ってちょっとまたニュアンスが変わってるような感じもあって、はい、そういうことを思いました。
うん、なんかそうですよね。
今それを聞きながら、我々が過去に文献を読みながら、響くところ抜粋した表みたいなのを見てたんですけど、
なんか今、宮本武蔵が描いたバガボンドっていう漫画と、あと河合俳夫さんの話を思い出してて、
河合俳夫さんの話からすると、確か何の本だったかは忘れちゃったけど、今はその神話がもう崩れてるから、それぞれが個人神話を紡ぐ必要がありますみたいな、なんかそういう話どっかで知ってましたよね。
知ってましたね。
ちょっとどの本だったか忘れちゃったんだけど。
今の西田の問題意識、なんかちょっとこの個人神話が必要になってくるっていう話と近しいものを感じたなっていうのを思ったり。
12:13
あとは、
そうね、その自由っていうのを捉える、あれとしてバガボンドで、にある言葉としてちょっと読んでみると、
それぞれの生きる道は天によって完璧に決められていて、それでいて完全に自由だ。
このところを天に預けている限りは。
っていう言葉があって。
これもちょっとしさに飛ぶなっていう感じがしますね。
そうですね。
そうですよね。だから今のバガボンドで言われているようなその自由っていうものは、なんか選択できるゆえに自由であるっていう
ものとはまたちょっとニュアンスがかつて、もう天によってあらかじめ決められていて、それでいて完全に自由であるっていう。
なんか一見矛盾するようで、決められているっていうことと自由であるっていうことが、ある種同種のものって言うんですかね。
そうですね。
なんかすごい中心的なものとして重要な気がしております。
そうですよね。
なんか聞いてみたいんですけど、
なんかもう、自分がこれやりたいとか、そういうのではなくて、なんかちょっとこの道はもう、なんか受け入れざるを得ないなみたいな。
例えば僕の場合、大学院の時、就職どうしようかって時に、
いやーけど、コーチングと出会っちゃって。
で、とりあえずそのコーチングっていうものからは、
いやー、どう足掻いても離れられない人生なんだろうなーっていう感覚とか。
15:09
あとは今、研究の道にまた戻ろうとしている中で、
いやー、どうしても研究の道に自分は戻らされるんだろうなーっていう感じ?みたいな。
なんかそういう感覚って僕はまああるなって思ってて、どうですか?
さっき言ってたものと近いもの、通ずるものがありますよね。
なんかそのマサさんのプロセスっていうのは。
マサさん的にどうですか?ある意味さっきの出てきた言葉から、
そういう静から見ると、なんかまあ、ある種なんかそれがもう導かれていてっていう話だと思うんですけど、
何をそこに感じるんですか?
まあ、なんですかね。
まず一個は興味深いなっていう、なんかこの感覚とか体感覚って僕は人生の中で何度かあって、
で、この感覚によって重要な選択をしてきている。重要な議論において重要な選択をしてきているんですけど、
ただこれってなんかこう、やりたい!これをやりたい!みたいな、
なんかそういう感覚っていうかは、もちろんやりたいんだけど、
なんかそういうなんか、もちろんなんか深度が、気持ちの深度が違う感じ?みたいなのがあって、
まあやりたいっていう気持ちはもちろんある、
ただもっと奥で、いやもうこれはなんか自分の人生において避けれないみたいな、
もう、なんていうの、まあ運命って言葉はフワッとしてるからあれなんですけど、
なんかもう、表面的なべき論みたいな話じゃなくて、
もうそうあるべきな感じがする。みたいな、自分の生きる道が。
そうあって叱るべきな気がする。
なんかそういう感覚なんですけど、
18:05
これがもしかしたらそのさっき引用したようなワガモンの言葉の感覚と近いのかもわかんないですけど、
とりあえずなんかこういう感覚って何なんだろうっていう、そんな問いですね。
それ聞いてて、
まあ要はコントロール不可能なものに
まあ、ある種観念してて、
なんか、何でしょう。
なんか自由に選べるっていうよりは、もうなんか自由に選べるという、
あの幻想、言い切ってしまうと、幻想に気づいてる気づいてないに関わらず、
なんかそういう何でしょうね、幻想というのか、
なんかちょっと言語化しづらいですけど、
なんか黙々と浮かんできてるなんか雲みたいな、
そういうものがもう現れて、
マサさんという本体に入ってる、
なんか真実が解放されてるみたいな、
なんかそんなイメージが出てきて、
もう自由自在、マサさんという、その瞬間においてですね、
マサさんさっき描写したその瞬間においては、
マサさんという実体がもうこの世界を自由自在に、
みたいななんか、そんな、すいません、抽象的すぎる、
あの、なんかイメージが湧いてきてました。
いや、そうですね。
ちょっとなんか今話しながら聞きながら思ったのは、
なんかやっぱこの、まあ例えばライフアガヤネスプラクティスでは、
意識の中心のエゴと、意識と無意識の、
意識を含んだ、意識と無意識を含んだ全体の中心としてのセルフっていう、
まあそういう、なんていうんですかね、
21:01
ヨングの、ヨングや、
まあそれを参照して川上隼さんが言ってるような、
考え方もベースにしてますけど、
なんかやっぱどのレイヤーで感じてるかによって、
あの、
一つの現象の捉え方とか、
切り取り方も変わるなと思って、
なんか、
セルフみたいな中心から見ると、
なんていうかな、自由に、
自由にっていうかなんか、
なんでも好きなことを選べる、
なんでも好きなことを選べるっていう、
ものってなんか、
割とちょっとなんか、
意識、意識のレベル感の言葉な感じがするっていうか、
うん、
まあそんな感じがするなと思って、
まあだから、
まああれですね、なんていうかな、
なんかもう少しやっぱり深い、
感覚から、
何かが選ばれていくっていうのが、
あるんだろうなと思うし、
なんかそれがこう、
本来の意味での自己実現っていうプロセスなのかなとも思うし、
まあ我々がLAPで届けている、
プロセスの伴奏でもあるんだろうなっていう、
なんかそんなことを改めて思いましたかね、
そうですね、
あの、聞いてくださる方にもちょっと、
軽く解説しておくと、
マスさんが今言った意識、
英語とセルフみたいな、
まあここで出る意識っていうのはどちらかというと、
これマジで伝えてもらいたいですけど、
なんか言い訳するなら、
まあ分かりやすく、
頭、心、体、
みたいな、
そういう分け方をするとしたらなんか、
より頭寄りっていうんですかね、
っていう捉え方、
っていうよりはもうちょっと深い、
なんかより無意識的な、
けどなんか、
よりその人の手の源にあるような、
なんか、
意識、
解説しようとして解説できてるか、
わかんない。
ちょっと難しいですね、これ。
24:01
でもそうですね、はい。
そういうことを言っているんだ。
そうですね。
いやー、
全然なんか、
はいはい。
いや、ちょっとすごいザックバランに今日話してますけど、
はい。
改めてやっぱ牧舎とか牧舎ラジオは、
牧舎なのか?
あれ牧舎ラジオなの?
牧舎か。
牧舎っていうのは、
やっぱ問い、
問いそのものだなっていうのは改めて思って、
うん。
なんか、
なんていうんですか、
まあそれを自由という意味合いにするのか、
解放という意味合いにするのか、
わかんないけど、
うん。
なんかその、
それが問いとしてあるからこそ、
なんか自分の人生がこう、
なんていうんですかね、
ちょっとこう、
その問いが怒りとなって、
なんか自分の人生がこう、
なんていうんだろう、
お支えるものになるっていうか、
うん。
なんかそんな感じがするなと思って、
うん。
なんか牧舎や牧舎ラジオは問いそのものだなと思ったし、
うん。
ある意味僕らがそういう問いを生きるっていうことにおいて、
感じたこと、気づいたことがこの場で開かれていくことによって、
そこに触発されて、
うん。
聞いてくれてる人たちの中でも問いが生まれたりとか、
うん。
するといいなっていうのは思いましたかね。
うん。
そうですね。牧舎ラジオとは何を話されていくんでしょうね。
いや本当ですよね。
なんか結構、今頭の中にあるのは、
僕とマサさんが今まさに探求中の人物なり、
理論なり、考え方なり、
それは哲学もあれば心理学もあれば宗教、
もっと大きな括りで人文知っていう、
うん。
あとは文化人類学とか、
いろんな、何でしょうね、解明されているというか解き明かされていたり、
概念として結晶化されているようなものを入り口にしながら、
そこがこの場で対話され、
27:03
やっぱり僕は何ですかね、そういう探求していくプロセス自体が、
ある種僕にとっては解放されていくプロセスあるなってすごい感じてて、
うん。
何か自分の中にある自由になりたがっているエネルギーというか、
衝動というか、そういったものがなんか、
表現されて解放されていくようなプロセスを感じますし、
同時にこの聞いてくださる方々にとっても、
ちょっとこれから我々何をこの回で話されていくかはちょっと分からないんですけど、
うん。
聞きながら、結果的にこういう、
自由になっていくって言ったら大げさなかもしれなくて、
ある種抗議の意味ですね。
抗議の意味での、
何かそういうプロセスがたどられるといいなと、
そういうのを感じましたね。
いやー、確かに。
それは何か本当そうだなって思いました。
なんか多分、
これはもう予想というか直感ですけど、
何て言うんだろうな。
多分なんかこう聞いてる人たちにとって、
何だろう、なんか、
何かにやっぱ問いが立つ体験になると思うんですよね。
うん。
で、何かに問いが立つことで何て言うかな、
何かちょっとこう、
普段の見方とか、
ちょっとこう抱いていた前提との間にスペースが生まれるような、
何かそんな体験がもたらされる感じがしていて、
そのスペースがもたらされることによって、
もしかしたら今お母ちゃんが言ったような、
自由みたいな何かがそこに生まれるのかもしれないし、
なんかスペースが生まれることで、
普段の自分との間にスペースが生まれることで、
何かちょっとこう何かがチューニングされるような、
何かそんな入り口となる体験が、
この木下ラジオがもたらす影響として何かあるような、
何かそんな気がしたなと思っていて。
話題はいろいろさっき言ってくれたようなこともそうだし、
30:00
僕らが実際の生活者として生きている人生の中で体験したこととか、
何かそういうのから入ることもあるし、
話題はいろいろ先に渡ると思うけど、
何かそんなインパクトを持つラジオになる気がするなと思いました。
ありがとうございます。
今日はちょっとそんな木下ラジオの片鱗をちょっと掴んでいただけたか、
我々も掴めてるかはちょっと分かりませんが、
そんな感じでちょっと配信していきたいなと思っておりますので、
ぜひお聞きいただけたら嬉しいなと思っております。
いやー楽しみです。僕自身も。
はい、じゃあ今日はこんな感じで続いていければと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
31:09

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