1. 沐舎ラジオ〜自由をひらく人文学〜
  2. #6 創造は才能なのか?——「創..
2026-10-20 28:03

#6 創造は才能なのか?——「創造システム理論」から考える

創造は、特別な才能を持つ人だけに起こるものなのでしょうか。
井庭崇さんの創造システム理論を手がかりに、創造を「発見の連鎖」として捉える見方を話します。研究が行き詰まるとき、アイデアがふと浮かぶとき、人は何に関わっているのか。
動き続ければよい、という結論には急がず、「待つこと」も含めて考え直す対話です。茶器やマグカップの身近な感覚から、人生と創造の問いへ。理論を学んでいる途中のふたりが、まだつかみきれていない感覚も残して話します。

出演:岡田裕介・長井雅史
収録日:2026-10-12

チャプター
「創造とは何か」から始める
人の能力ではなく、創造の現象を見る
創造を「発見の連鎖」として捉える
茶器の感覚と、創造を見る立場
個人の創造性を高める理論なのか?
研究が行き詰まるとき
動くこと、待つこと、関わること
アイデアと、創造につながること
会話が続くことと、創造が起こること
茶器・マグカップ・人生への余韻

参考
井庭崇「創造性(クリエイティビティ)の新しい捉え方」
https://web.sfc.keio.ac.jp/~iba/sb/log/eid368.html

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

創造を人の才能やセンスではなく、現象そのものとして捉える「創造システム理論」について話します。創造とは、アイデアが取り組みの文脈に関連づけられたと見いだされる「発見」の生成連鎖であり、行き詰まりは能力の限界ではなく連鎖が止まった状態として考えられます。研究が進まないときに関連書籍を読む、AIと対話するなど、連鎖が動き出すきっかけが語られますが、理論自体は「動いた方がよい」とは述べず、待つことも含めて創造との関わり方を考えます。後半では、ルーマンの社会システム理論との類似や、茶器とマグカップの違いを手がかりに、対象や現象の側から人の動きや人生を捉え直す可能性に触れます。

「創造とは何か」から始める
岡田裕介
はい、では今日もマサさんよろしくお願いします。
長井雅史
お願いします。
岡田裕介
お願いします。
今日はですね、話題提供マサさんからということで。
長井雅史
そうですね。
岡田裕介
じゃあちょっと最近の出会ったやつを教えていただいてもいいでしょうか。
長井雅史
はい。
そうですね
今日は
創造とは何かっていう
創造は
イマジネーションっていうか
クリエーションの方ですけど
創造とは何かっていう話を
ちょっと深められるといいかなと思っていて
そのはしごとして
慶應義塾大学の
井庭崇教授が提唱している
創造システム理論っていうのがあって
なんかちょっとそれを
はしごに深めたらいいかなっていう感じですね
僕もまだ勉強中なので
本当に正確に
説明できる
という感じではありますけど
まあ
えっとですね
まあその創造っていうものを
その
とか創造性とかを
語ろうとするときに
なんていうかな
往々にしてそれってこう
なんか
人のセンスの
問題だったりとか
あるいは
外部評価っていうか
あれはすごい創造的だよねとか
あるいは似たような言葉で革新的だよねとか
あの人すごい創造性ありよねとか
創造的だよねとか
そういう
別のものと比べて何か新しさとか特別さがあるみたいな感じで
創造性があるねみたいなのが語られることとかが
しばしばあるかなと思ったり
センス観点では
創造的な人かどうかとか
自分に創造性があるかどうかとか
人の能力ではなく、創造の現象を見る
長井雅史
そういう感じで見ることもできるんですけど
創造システム理論の背後にある
そのなんていうかな
意識としては
創造とか創造性っていうものを
人の何か働きとして
これまで説明されることが多かったけど
そのものを人とは切り離して
現象としてそれが何なのかを捉えにいくみたいなのを
試みようとするっていうのがあるんですよね
岡田裕介
なるほど
長井雅史
なので人がどうこう
もちろん人は絡むんですけど
それは人を主語にして創造を見ていくんじゃなくて
創造という現象そのものを主語にして
物事を見たときに
どう創造というものは説明できるのかっていう
そういう話なんですね
話者切替・未確定
なるほど
長井雅史
で、概要としては
創造を「発見の連鎖」として捉える
長井雅史
概要というか結論の概要としては
創造っていうのは何かというと
発見の連鎖であると
発見の生成連鎖が創造であると
岡田裕介
発見の生成連鎖
長井雅史
そう
発見という出来事があって
うん
で、けどそれって
あの、なんていうの
一つだけだとすぐ
すぐ消滅するような出来事なんだけど
それが生成し続き連鎖し続けることで
創造というシステムが成り立っている
その発見という出来事が起こるための要件としては
あるアイデアが
今取り組まれている
起こっている創造のプロセスの文脈に
関連づけれるってことが見出されたとき
アイデア関連づけ見出し
ファインディング
ファインディングっていう
3つの要素が成立したときに
発見という出来事は生じて
っていう出来事の発見が
生成連鎖していくと
創造システム
創造っていう現象が成り立ってる
っていう風に見るんですよね
こういう風に見てみると
例えば何かに取り組んでて
行き詰まったりした時も
そういう時って往々にしては
自分
なんか
やっぱこんぐらい
こんぐらいが自分の限界かなとか
岡田裕介
なんか
長井雅史
いやーちょっとやっぱり
ここまでのセンスは自分にないかもなとか
なんかその人の
なんかの能力
の話が持ち出されて
創造のプロセスが止まっちゃう
みたいなことっていうのが
あったりする
僕はあるなと思うんですけど
今の見方で見るとそういう話ではなくて
単純に発見の連鎖が止まってるだけっていう
もちろんその人の経験とか能力とか
そういったものも大事な外部要因なので
環境にある大事な要素なので
それがすごく発見の連鎖が回りやすくなることに
寄与するっていう話はあるんですけど
あくまでもそっちが主じゃなくて発見の連鎖が主なので
それは単に発見の連鎖が回ってないで止まっちゃってるだけだよねっていう見方になると
じゃあまた発見の連鎖を回していけばいいじゃんっていう話になるので
そういうなんか
意味で創造っていうもの
創造というプロセスに対しての向き合い方も変わる感じが
自分の中にはあって
それもすごくいいなと思ったりするんですけど
みたいな感じで
人の側から創造を語るんじゃなくて
創造の側から創造そのものを語った時に
どう言えるのかっていう話で
創造とは発見の連鎖であるというのが
創造システム理論の結論部分の概要という
茶器の感覚と、創造を見る立場
岡田裕介
なんですね
長井雅史
我々なんでここで話したいと思ったかというと
我々的には対象の側から世界を見るみたいな
お茶の文脈だと茶器の側から世界を捉えようとするとか
茶器の側に応答してこちら側の動きが変わるとか
そういう対象の側から
人間の動きが変わっていくみたいな
発想だと思うのが
割と沐舎にもあると思うので
そういったところと親和性がかなりあるなっていう
話者切替・未確定
感じですね
岡田裕介
ちなみに
あれですか
個人の創造性を高める理論なのか?
岡田裕介
先ほどおっしゃってた
創造というのは発見の連鎖
発見の生成連鎖
ってことだったんですけど
これは
ちょっと素朴くな
疑問ですけど
例えば創造というのもどういう
創造を
言うのかによるかも
ですけど
仮に自分が創造性を
もっと高めたい
って時に
でも自分には
あんまりちょっとアイディアとか
そういうセンスはないなという
アイデンティティがあったとして
でもなんか
その発見の連鎖の
仕組みを
しっかりと実践したら
創造性は増してくる
っていうそういうことでしょうか
長井雅史
えっと
まあ
創造
システム理論
の観点では
なんかあんまその
個人の創造性
高まる高まらない
みたいな話
岡田裕介
は
長井雅史
範疇に
入ってないっていうか入れてない
話者切替・未確定
と思うんですけど
長井雅史
うん
とにかく発見の生成連鎖なので
なんていうかな
その発見
もしかしたら
ちょっと分かんない
子育てしたことないから分かんない
今岡ちゃんの近くに赤ちゃんがいるとして
赤ちゃんに起こっている
赤ちゃんっていう自分とは別の生命に
起こっていることを感じてそこに応答して
やってると思うんですけど
みたいな感じですね
例えばスライドを作るでもいいし
いい感じのホームページを作ろうとかでもいいし
何か自分が目の前に起こっている創造プロセスみたいな
があった時に
それが発見の生成連鎖で成り立っている
一つの自分とは切り離された
一つの生命っていうと
メタファー的には生命みたいな感じで
捉えた上で
発見の生成連鎖というのはある種その生命が維持されていく栄養みたいな
栄養ってか大事な要素みたいなもんだから
それが回っていくことに対して
それに対しては環境側に我々はいるんですけど
そこから
発見の生成連鎖が回るために
できることをしていくみたいな
岡田裕介
感じかな
なるほどですね
研究が行き詰まるとき
長井雅史
そうなんですよ
僕とかも
これは僕にとって
創造システム理論がどう
機能してるかっていう話なんですけど
例えば
いろいろ取り組んでるものが
新しくあると思うんですけど
その中で例えば
ある研究
この1ヶ月全然進まなかったな
みたいな
のがあった時に
なんて言ったのかな
まあ
あそうそうなんか
あそのねあわかったなんか
何かと行き詰まった時に
話者未確定
うーん
長井雅史
なんか僕の場合往々にして起こることは
ちょっとなんか
またひらめく瞬間を待つ
待とうとするとか
また
それが動き出すタイミング
を待つかみたいな
時間の問題
に片付けて
来月余裕出るから
そこでやろうかとか
そういう感じの発想になって
それはそれでそれも間違ってないんですけど
この今の話から
捉えると
何が起こってたかというと
単純に発見の連鎖が
止まってただけっていう
じゃあ発見の連鎖
じゃあ発見の連鎖が
少しでも動き出せばいいのか
またって思うと
例えばちょっと関連書籍
ちょっと読み始めるだけでも
少しまたなんか
回り始める感じ
発見の連鎖が回り始める感じがあるとか
ちょっと今
まずは
AIとディスカッションしながら
考えを
なんかちょっと深めるとこから
始めてみるかみたいな感じで
また回り始めるとか
岡田裕介
確かに
長井雅史
そういう風に
捉えれるので
そういう不確実なひらめきみたいな話も結構創造性っていう話題には絡んだりするんですけど
ひらめきが創造性ではないっていうことですね
動くこと、待つこと、関わること
岡田裕介
なるほど
確かにアイデアが湧いてくる時ってのは
湧いてこさせようと思って湧いてこないですもんね
インスピレーションでやってくるっていうか
ただそのやってくるってのも
やってくるまで待つってのが一つだと思うんですけど
そこに対して何かこの一つ
一つっていうか
こちら側から何かのアクションによって
それが回りやすくなるということでもある
うん
長井雅史
あれって
岡田裕介
あれなんですか
考え方として
どちらかというと
動いてた方がいいみたいな
創造性という観点
長井雅史
発見の連鎖が
話者切替・未確定
そうですね
長井雅史
いや
話者切替・未確定
そうでもないですね
長井雅史
いやそこに
理論自体に
動いてた方がいいかどうか
みたいな話は含まれてはないですね
別に
単純に
創造が成り立つ
っていうのはつまりは
発見が生成連鎖していることである
っていう
っていうのは
説明している
のみですかね
岡田裕介
あくまで現象としては
長井雅史
そうそう
話者切替・未確定
ってことですね
岡田裕介
確かにここまで言えると思ったのは
パッと見この
じゃあ動いた方がいいかもなって思ったんですけど
じゃあ
なんですかね
じゃあマラソンばっかしてたらいいかってわけだ
でもなくて
例えば今悪かったんですけど
マサさんのさっきの何でしたっけ
論文書くでしたっけ
論文書くに対して
ずっと走ってたらいいか
って言うと
手よりは
応じるっていう
のが大事なのかなと思って
だからこの
さらに言うと
待つっていうこと自体も
ある意味
応じてることで
その創造されてくる
ものは
あって
それに対して
多分何かしら
何かこの
あって
というか
自分に
働きかけてくるものがあるのか
わからないですけど
そういうものに対して
応じるっていうことが
待つってことでもあるかもですし
ChatGPTで対話するってことでもあるかもですし
なのかなと思いました
話者切替・未確定
どうですか
アイデアと、創造につながること
岡田裕介
そうですね
長井雅史
人間側がどういう行為をしてるかみたいな
それはなんか
AIと話してる人と話してる
あるいは何もせず待ってる寝てるとか
散歩してるちょっと分かんないけど
人間側がどういう行為をしてるかは
創造システムから見ると
創造から見ると関係ないっていう感じではありますね
ここに何だとしても別に
創造側から見ると
何も影響としては
それのみでは変わらない話で
単純にあるアイデアが
創造プロセスに関連づけられることが
見出されるという発見が
生じたらそれはその創造にとっての一つの要素になるし
何かアイデアがあったとしても
それが別にその創造に関連づけられなかったら
それは別に創造側から見たら関係ないアイデアだし
このなんか創造を
人と創造を切り分けるとか
人の行為と創造を切り分けて
考えるっていうこの感覚自体が
ちょっと新しいかもしれないですね
岡田裕介
確かにそうですよね
なんか一般的には
人に創造がちょっとひも付いてるっていうか
創造力っていうのは
ちょっと属人的な感じします
長井雅史
まさにまさに
人に属するものとして
語られやすいんで
岡田裕介
それはでもあれですか
ちょっとわからないですけど
いわゆるアイデアマンの人たち
っていうのは
そういう発見の
生成
サイクルでしたっけ
長井雅史
生成連鎖
岡田裕介
生成連鎖が起こりやすいってことなんですか
現象として
長井雅史
起こりやすいというか
そこに
起こることに
会話が続くことと、創造が起こること
長井雅史
関わるのが上手かどうかっていうのはあるかもしれないですね
だからなんかちょっと角度を変えてみると
またちょっとこう
面白いのが
例えば2人で会話してるシーンがあったとして
別に井庭先生じゃない
社会学者のルーマンって人が
社会システム理論っていうのを
言ってて
それは社会はコミュニケーションの連鎖だっていう風に捉えてるんですね
なので人で構成されてるんじゃなくて
コミュニケーションの連鎖によって社会は成り立ってるっていう風に見るんですけど
岡田裕介
なるほど
長井雅史
だから例えば2人で会話してても
コミュニケーションの連鎖が起こって
ここに一つの社会が現れているわけなんですけど
創造システムの話も含めると面白いのは
創造システムが回っている会話と回ってない会話ってあると思うんですよね
コミュニケーションの連鎖されていて社会はここに成り立っているが
創造システムは成り立っていない
話者未確定
みたいな
長井雅史
そういう見方もできるようになってくるから
なんか面白いなって
最近思ってますね
岡田裕介
面白いですね
さっきのコミュニケーションの連鎖が社会を形成していくっていうのも
なんか共通するのはやっぱり人っていうものに
やっぱ注目しがちだと思うんですけど
人もまた
そういうコミュニケーションの
連鎖により構成される
社会の中の
一部でそこに
紐づいてくるので
ある意味逆転
っていうか
人があって
コミュニケーションがあって
社会が成立するって
それはそれでそういう見方もできると思うんですけど
長井雅史
本当にそうなんですよ
岡田裕介
コミュニケーションから
捉えていく
創造から捉えていくという発想です
長井雅史
そうそう
現象の側から捉えるっていう
茶器・マグカップ・人生への余韻
岡田裕介
なるほど
ありがとうございます
長井雅史
ありがとうございます
話者切替・未確定
ありがとうございます
岡田裕介
ちょっとどうでしょう
ここまで話してみてのチェックアウトとして
[聞き取り不確か]
長井雅史
思いますね
じゃあ僕は
改めて対象の側から世界を見るっていう
その感覚の持ち方が
自分にとっては興味深いものなんだなっていうのを
話者切替・未確定
思いましたかね
長井雅史
なんかね
茶器の話も含めて
めっちゃ印象に残ってるんですよね
マグカップと茶器の違いの話みたいな
あるミーティングで
ある茶人が言ってたことだと思うんですけど
確かに人間の行為に
器側の形を合わせると
取っ手をつけたマグカップだけど
茶器はそれぞれの形があるから
そこに人の動きが合わさっていくみたいな
いわゆる述語性的な感じですけど
そういう現象の側からとか対象の側から
人側の視点じゃない側から見るみたいな
なんかやっぱ面白いなと思いましたね
岡田裕介
ありがとうございます
そうですね
僕も出してみる確かにその観点で
面白いなと思いましたね
述語的な
捉え方っていうか
なんかやっぱそこには
通ずるものがあるなと思いましたし
そうですね
なんかちょっと
まだ自分の中で掴みきれてないものもあるんですけど
なんか
その創造が起きている
その現象から
なんか
捉えられることとか
なんか自分たちの人生とか
生き方という意味でも
解釈できることが
いろいろありそうな気配だけ
今感じているところでしょうかね
長井雅史
そうですね
人生もね
一つの創造プロセスとも言えるからね
岡田裕介
そうですね
確かに
そうですね
創造システム理論
ってことになってましたか
長井雅史
創造システム理論
岡田裕介
創造システム理論から
確かに拡大解釈して
人生
いろんなところで
捉え直してみたら面白いかもしれない
長井雅史
いやまさに
ちなみにそんな授業を
大学で
11月の一週とかにやるんで
それをやった後にまたラジオを撮りますか
岡田裕介
確かにぜひ続編やりましょう
はいではマサさん改めて今日はありがとうございました
長井雅史
ありがとうございました
28:03

コメント

このエピソードのトピック

すべてのトピック →

それぞれのトピックから、ほかの番組の会話も探せます。

スクロール