00:00
私が最近読んだ本や、見た映画やアニメ、ドラマなどを紹介するコーナーです。
今日ご紹介するのは、愛坂東馬さんによる小説
同士少女よ、敵を撃て、です。 この同士少女を敵を撃てっていう本、実は
去年、おととし、2022年の年末に、その年、良かったものを何でも私に教えてください、お勧めしてくださいっていうメッセージを募集したんですけど、
その中でリスナーさんにお勧めしてもらった本なんですよ。 その時お勧めしてもらってすぐ図書館で予約したんですけど、
約1年経って、やっとその本の順番が回ってきて、今回読むことができました。
そう、というわけでね、もう図書館の本、一年待ちっていうぐらい人気の本で知ってる人も多いかなと思うんですけど、
私はこんな感想を持ったよっていうお話が今日はできたらいいかなと思います。
まず、感想の前にどんな本かっていうと、
ざっくり言うと、戦争小説。
実際にあった第二次世界大戦のドイツ対ソ連の戦争中、
ソ連軍に実在していた女性狙撃部隊をモデルにしたお話になってます。
主人公は18歳の女の子、セラフィマ。
ソ連側なんですね、セラフィマは。ドイツ対ソ連。
ソ連側の女の子で、ソ連の田舎、小さな村でお母さんと2人つつましく過ごしてた。
セラフィマの家は狩人。
で、お母さんから銃の扱い方を教えてもらって、イノシシとかを飼って生計を立てていたんですけど、
ある日、ドイツ軍が村にやってきて。
で、その場にいたセラフィマ以外の村人が全員殺されちゃうんです。
セラフィマのお母さんも。
目の前で殺されちゃう。
で、セラフィマは運良くソ連軍がこうやってきて助けられるんですけど、
やってきたソ連軍の隊長も、大丈夫か、怖かったね、みたいな感じで慰めてくれるわけじゃなくて、
03:00
村がね、もうめちゃくちゃにされて、お母さんも死んじゃってっていう状況のセラフィマに、
お前は戦うのか死ぬのかって究極の二択を突きつけるんですよ。
この戦争は戦うか死ぬかどっちかだぞ。お前はどっちだっていうふうに言われるんですね。
で、セラフィマはそこで戦います。戦うことを選択して、
じゃあって言うので、そこから女性のスナイパーを育てる訓練所に連れてかれるんです。
で、その訓練所でスナイパーとしてのイロハをかなり厳しく叩き込まれたり、
同じ境遇でセラフィマと同じように家族を殺された、村が故郷がなくなってしまった、
みたいな同い年の女の子たちと仲良くなって、
で、その訓練所をついに卒業して、戦争に行って、
で、そこでの壮絶な戦争描写から、戦争終結までのお話になってます。
で、私、2024年、小通しに入って一番最初に読んだのが、この同志少女適応手で、
正月明けのぼーっとした頭、体にカツを入れられたような背筋が伸びるのをすごく感じました。
それぐらいね、こう、強烈な本でした。
映画とかドラマで見る、なんかこう映像、フィクションの映像より文章での、なんていうの、の方がこんなにひどいんだ、エグいんだ、みたいなのを思って、
そう、すごいね、文章ってすごいなっていうのを思ったり、
その、死ぬか戦うかっていう二択の状況で生きるって、ないじゃないですか、私たち。
生きてて、死ぬか戦うかどっちかなんていう状況はね、ないんですけども、そのギリギリというか、
その状況のリアルさが伝わってきて、
正月明け、あーなんか眠いなぁ、もうちょっとダラダラしたいなぁ、スマホを見て、たらたら温かい布団でもうちょっと、みたいな、自分をハッとさせてくれるような本でした。
06:09
で、この本の本筋というか、たぶん、おそらく作者の意図としては、戦争の悲惨さを伝えることだったり、
こう、生きるのに必要なものってなんだろう、この、戦うか死ぬかっていう究極の戦争が終わった時に、
戦わなくていい。で、戦うか死ぬかだから、戦わなくて良くなって、そしたらね、死ぬ、死ぬこともできないじゃないですか、もう戦争が終わっちゃったら。
だから戦いが終わったら、何のために、何をして生きていけばいいんだろうとか、
そういう問いだったり、戦争があって、ソ連の敵は、セラフィマの敵はドイツ軍、ずっとドイツ軍だったけど、本当の敵って何だろうねっていうのが、結構この物語の肝になっているかなと思うんですけど、
私が一番この本から感じたのは、その自分の感情が判断を鈍らせる時ってあるじゃないですか。
この小説の中で言ったら、訓練所ですごい優秀な成績を収めていたスナイパーが、実際に戦争の場に出て行って、人を殺した時、その時に自分の感情に飲み込まれてしまって、我を忘れてしまって、一番優秀だった。
一番成績が良かったけど、基本を忘れた結果、撃ち殺されてしまうとかっていう、そういうシーンがあるんですけど、私たちの日常でも、そういう感情によって判断を誤ることってすごいあると思うんですよ。
前に、成績とか結果に一気に治癒してしまう性格とどうやって向き合ったらいいですかっていう、商談を一気に落としちゃったり、動機の方が良い成績を取っているとすごく落ち込んでしまいますっていうお便りをいただいて、
そういう時って、頭の中では次うまくやろうとか、切り替えようって思ってるけど、実際には失敗を引きずって、うまくいかないよねとか。
後で振り返る余裕ができた時に、あの時もっとこうすればよかったなとか、こうするべきだったなって思うけど、その過虫にいる時はそれができないんだよねみたいな話をしてたじゃないですか。
09:05
そういうのが日常の中でいっぱいあるなーっていうふうに思っていて、恋愛とかでも失恋した時、もう男の子とは引きずらないで、次に行こうとか、次に行かなきゃいけないと思ってるけど、どうしてもその感情を引きずってしまって前に進めなかったりとか。
学校とか勉強とか部活の中でも、本当はこうした方がいいんだろうけど、でもなんか不安があったり、周りと比べて自信を失ったりとか、疲れてるとかのそういういろんな感情があって、まっすぐ努力するのが難しい時とかあって、
そういう時に自分の感情と判断、自分の感情に引きずられずに正しい判断や行動ができるかっていうのが最近私のテーマになってるんですけど、
ネットフェリックスの本を読んだ時に、ネットフェリックスの社長のすごいところは感情と判断を別にできるところだなっていう話をしてたじゃないですか。
自分の感情に飲み込まれそうになった時、そのかっちゅう、振り返った時にああすればよかったなぁじゃなくて、あの時、あの場所でどうやったら正しい判断、行動が取れるだろうかっていうのを私はねすごい考えてるんですけど、
この本を読んで、ああ、経験だなっていう一つの答えを見つけた気がします。
戦争っていうね、すごい恐怖とか憎しみとか、大切な人を守りたいとか、すごい大きい感情がある中で、その自分の感情のまま行動して、その場でパッと行動して死んでいく人もたくさんいて、
で、逆に生き残っている人を見た時、何が違うかっていうと、そういう感情が爆発する場面でも、我を忘れない冷静さがあって、で、なんでその時に我を忘れずにいられるか、冷静でいられるかっていうと、経験かもなーって思いました。
今まで経験したこと、今まで見てきたことを思い出して、自分がね、こう、実際に友達が目の前で死んでしまったとか、そういう苦い思いをしたからこそ、胸に刻み込まれることってあって、何があってもここは一旦絶対引かなきゃいけないとかって、それで判断できるようになったりして、
12:14
で、私たちの生活に置き換えても、まあ経験って、やっぱ結構強いのかもなーっていうのを改めて感じて、そう、まあその経験ってね、なんか答えになり得ないというか、今悩んでいることに対して経験すればわかるようになるとか言われても、あんまピンとこないじゃないですか。
時間が解決してくれるよって言われるのと同じぐらいピンとこないと思う。そう、そんなこと言われても、今自分ができる行動がないし、なんだかなーって思っちゃうんですけど、経験すること、経験から学ぶこと、経験を活かせるかどうかっていうのが大事なのかもなーっていうのを、ちょっとね、この本から感じました。
結構お便りいただく中で、一回恋愛でつまづくと、もうそこで恋愛するのが怖くなっちゃったり、自分に恋愛は向いていないって思ったり、次に進めなくなっちゃう人が多いなーって思うんですよ。
で、そこでね、もう自分恋愛できないって、そこの自分のネガティブな感情の中に閉じ込まるんじゃなくて、ネガティブ感情を突き破って次に行けるかどうか。
で、その次に行けた時に、今までの経験がその時、次に役に立ってくるというか、なんかちょっとうまく言えないですね。
うまく言えないんですけどまだ。
でも私はね、すごい、何度も何度も経験していけばいいんだっていうのをすごい思ったんですよ。
私も本当に失敗とかうまくいかないことだらけなんですけど、一回失敗して、自分ダメだとか、自分才能ないとか、自分これ向いてないとか、そういうふうに思う必要ないなーって。
何回もやって、どっかで次うまくいけばいいんだとかっていう気持ちで生きてみてもいいのかもなーとか。
なんかうまく言えないですけど。
今まで結構経験って結果だと思ってたんですよ。
あんまり経験っていうのを意識したことがなくって、結果としてこういう経験をしたっていう感じで、経験を重要視したことがなかったんですけど、
15:07
その経験するって大事だなって。
経験ってものすごい自分の糧となるものだなっていうのをね、まあすごい当たり前のこと言ってますけど、経験は財産だじゃないですけど、大事なことだなっていうのを今回すごく感じました。
自分が感情に飲まれそうになって、判断がブレる時、こう、自分の平常心じゃない時って、やっぱり判断を迷う時とかってあると思うんですけど、その時に自分を助けるのは経験だなーって、自分を助ける一つは経験だなっていうふうに思いました。
で、今回自分はその経験が足りてないんだっていうのがわかりました。
で、その経験を増やすには苦い経験をすることもいっぱいあるだろうし、何回も自分ダメだって思うこともいっぱいあって、
で、ダメだったなーって反省して、次はこうしようって思うことこそ大事だなって、それを何回も繰り返して、ちょっとずつそういう自分の感情に飲まれずに正しい判断ができるようになるのかもしれないなっていうのを思いました。
私はね、本当、ダメだなーって反省することだらけなんですけど、でもそれも間違ってないな、無駄じゃないなっていうふうに思いました。
何回も失敗したりして、そこから学んで経験を積んで、
で、やっとね、正しい判断ができるようになっていくのかもと思って、自分はまだまだこれからたくさん経験を積んでいかないとなと思いました。