母のコンプレックス
こんにちは、ねぎらいチャンネル、みゆりんです。 前回の配信は7月の16日でしたので、ちょうど半月ぐらい経ってしまいました。
皆さんお変わりありませんか? 暑い日が続いてますね。
私はどうしてこんなに間が空いてしまったんだろうと思って、自分の手帳を見て振り返ってたんですけども、
理由が一つあります。それは、姪っ子が泊まりに来たり、悩みの相談に来たり、忘れ物を取りに来たりと、かなり私の暮らしの中に出没していたからなんです。
そう、悩みの相談というのがなかなか重たいものでしたので、ちょっと私もいろいろと心を奪われたり、なんかしちゃったりして、
週末もいろいろ予定があったりして、あんまり落ち着いた時間が取れませんでした。
今日はどうして収録しようとしているかというと、ちょっと昨日あったことをお話ししたいなと思ったわけなんです。
昨日はですね、8月1日ということで、月に1回母の通院につき添っているんですけども、それのつき添いに行く日ということで実家に行ったわけです。
実家に行くや否やですね、ちょっとこれ読んでよと言って、とある新聞を渡してきました。
それは町内の老人会で発行している小さな新聞なんですけども、
でももう病院に行かないといけないからって言ったら、じゃあ病院で待っている間に読んで、みたいな感じで持たされて病院に行ったわけです。
その母が読んでほしいといった新聞には何が書かれてあったかというと、
町内で俳句を楽しんでいる人たちの活動の説明とかが書かれてあったんですね、結構なエリアを割いて。
それだけ読んでいると、すごく頑張っていらっしゃるんだなって感じでいいんじゃないって感じなんですけども、
母は単価を作っているんですね、月に1回大体3区作ってそれを提出してその新聞に掲載してもらっていると。
一方で俳句を楽しんでいる人たちは俳句を載せてもらっているという感じなんですけども、
母が気にしているのは、その俳句の方が書かれている文章の中に参加している人たちがどういうこれまで経歴であったかとか、
どういう先生に習っているかとか、あとたくさん本とかを読んでいるというか参考にしたり勉強しておられるみたいなことを書かれてたんですけども、
母に言わせると、自分は全然単価について誰かにしっかりと習ったわけでもないし、自分の作った単価を添削してもらっているわけでもないし、
本当に素人がただ思いつきで作っただけのを出しているだけだから、こんなのをもう出さない方がいいんじゃないかというふうに思ったらしいんですね。
私はいやいやそんな単価、別に素人でもいいじゃない、単価作れてそれが出せるんだったらそれでいいじゃないって言ったんですけども、
どうも母の、私はちゃんとやってない、教えてもらってないし、添削されてないし、みたいなところがコンプレックスだったみたいで、もう出さない、もう来月からは出さないって言ってすごく怒っているというか嘆いているというか、ちょっと感情的になっていました。
母は今80代前半ですけども、70代ぐらいの時ですね、単価のクラスに習いに行こうかなとか、誰か勉強したいなみたいなことを言っていたので、
例えば通信教育、通信講座みたいなのがあるよとか言ったりはしたんですけど、いやもうそんな今更ねとか言って、その時々でそこまでせんでもいいかみたいな感じで諦めてたんですよね。
でもまたこの80代になって、自分なりに単価作っているんだけど、やっぱりそういう単価と俳句っていう違いはあるけども、そういうちゃんと勉強してきている人たちを目の当たりにすると、自分はとてもダメだみたいなふうに思っちゃうみたいで。
私的にはですね、そんなことを考えるのもったいないし、そもそも別に誰かにあなたはダメだとかわかってないとか言われたわけでもないんですよね。
認知症と記憶
勝手に母が自分のことをダメだって思っているわけで、そんなことを気にせんかったらいいやって何回も何回も言ったんですけども、
それでも母の気は収まらなくて、こういうのってこんなに歳を重ねても、こういうこと、特に自分が好きでやっていることなんだけど、ちょっと気にかかっていることをほじくり出されているような気持ちになるんだなと思って。
聞こえない人の噂が聞こえるっていうか、そういうのってこういう歳になってもあるんだなと思って、ちょっと切なかったんですよね。
そんなに言うんやったら、もう出すのやめたらいいやんかって言って、作るのは作るって言ってたので、作って私がGPTにレビューしてもらって褒めてもらったげるからって言ってたんですよね。
それでその日の夜に、私は自分の家に帰ろうとした時に、このタンクは見てって言って、見てっていうのは新聞に出すために変なとこないか見てっていうのが毎月言われているので原稿を持ってきたんですね。
あれ出さへんの、もう来月から出さへんのちゃうのって言ったんですけど、私はそこで気がつきました。
そうだ母は認知症でしたと、もう今日の午前中に散々お昼ご飯も途中で手を止めて散々母が言っていた、もう来月から出さないって言ってたことを母は覚えてないんですね。
あ、それならまあいいかと、この時ほど認知症にならはってよかったなって思ったのは初めてでしたね。
もう何回も何回も言っても同じこと聞いてきたりとかするのめんどくさいなってやっぱり私も思ってしまうことがあって、なんて冷たい娘やろって思ったりするんですけど、
この母にとっての嫌な記憶、嫌な感情をまあ今日はどうかわかりませんけど少なくとも昨日の夜は一回忘れていると。
こうやってもう嫌な記憶、嫌な感情はもう認知症のせいにして忘れてしまおうと、私たちも認知症じゃなくても嫌な記憶はもうさっさと忘れてしまおう、手放してしまおうと思いました。
本当に嫌なことほど心の中に棘になって、ちょっとシクシク、気がついたらシクシク思い出して、ちょっと雨玉みたいにああでもない、こうでもない、ああしたらよかったんちゃうか、こうしたらよかったんちゃうかって反省したり後悔したり、
もうこれからでもどうしよう、もうできへんし、ああみたいなふうな回想をすることあると思うんですけど、そんな嫌な記憶はもう忘れてしまいましょう。忘れることって本当に便利だなって思いました。
あとやっぱりやりたいなって思ってたことは早め、もう今すぐにでもやり始めるのがいいなって思いました。
私の母だったら単価の勉強、もう通信講座、あの時は近くに住んでなかったので、通信講座始めてもなんか母がうまいこと封筒に入れて出したりできへんかなと思ったりして諦めたけど、
いや、今からでもやってもいいかもしれへんなーって思いました。母がいつまで自分で単価を自作できるかわからないけれど、今の母にとっては単価を作ること、あと植物に水をやることぐらいが、
あと日記を書いてるのかな、ぐらいが自分から進んでやってることなんで、それの参考になるなら通信講座申し込んでみようかな。
チャットGPTには見てもらって、すごい彼らは褒めてくれるんで、ここがいいですね、すごい上手な言葉に褒めてくれるんで、それを画面で見せて、わー嬉しいとかってすごい嬉しそうな顔をして読んでるんですよね。
そう、私もちょっと諦めないで、母にちょっと内緒で単価の通信講座申し込んでみようと思います。
もし母がやらなくても、私がやってもいいしね。
はい、ということで、嫌な記憶はさっさと忘れようっていうことと、やりたいことはもう今すぐにでもやろうと、将来後悔しないようにね、っていうことでした。
はい、聞いてくださりありがとうございます。ではまたね、バイバイ。