2024-11-13 48:04

【Season12】#12 J・S バッハをアサボリする〜西洋音楽の礎・大「小川」先生〜

シーズン12の千秋楽は、珍しくちょっと真面目に大バッハ!名曲アルバム付となっております。ゲスト:バブさん

本編で再三触れられている、無伴奏ヴァイオリン パルティータ2番 シャコンヌは音源がなかったため、こちらに貼っておきます

https://youtu.be/JQ2ul9wg_Tc?si=42tn0_mjI1RiH5UA


お便りは

X(旧Twitter) 

https://twitter.com/Mitsurow?t=RxhPMddvG6TPiz_XKLtAIQ&s=09

にDMください!


ミツローからの物体X(ミツロー単体番組)

https://podcasters.spotify.com/pod/show/ot9ti5imvg8

00:00
空前絶後の、超絶怒涛の音楽家、そう我こそは。 音楽を愛し、音楽に愛された男、そうこの俺は。
練習曲、宗教曲、超絶技巧曲、 オペラを除く全てのジャンルの神曲の生みの親、そう我こそは。
創作曲数1000曲を超え、西洋音楽の礎を築き、音楽の父と呼ばれた男、そう俺の名は。
ヨハン・クリストフ・バッハの弟、そう全てのバッハの頂点に立つ、この俺は。
ヨハン・セバスティアン・バッハ
ジャスティス
ありがとうございました。
ちょっと締めっぽい空気になってしまいましたけどね。
こんな始まりも、僕は誰も望んでないんですけど。
ちょっととんでもない空気で始まりましたね。
おかしいなあ。
ミサロでございます。今晩のお相手は、この方。
今晩のお相手って言ったらなんかヨトギみたいで嫌だね。
この方です。
バブさんです。どうも。
このトゥエルビも千秋楽になりました。
千秋楽になっちゃったんだね。
バッハ。バッハやりたい。
いいね。興味あるね。
ちょっと出だしこそあれだったかもしれませんが。
出だしこそあれでしたけど。
だってこれ、空前実行とかやってるよりはいいでしょ?
いや、やってほしかったな。
ただ、ご近所の迷惑を考えるとね。
あと、女子たちが速攻イヤホンを置くんじゃないかなと思って、ちょっと抑え目でやった。
今ので置かないって保証もないけどね。
まあまあ、バッハ。いいですね。
バッハね。
バッハ、息子も言うようになったりするもんね。
そうそうそうそう。
バッハ一問がいるんだよね。
あのね、そういう話を聞こうかなと思って。
今日はなのでバッハやります。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
あの、そもそもね、僕、育ちだけはいいんで。
両親がコーラス、合唱団とかで知り合ってるんですよ。
いやー、ブルジョージでござんさん。
別に普通のサラリーマンの車宅に住んでた息子ですけど。
でも、バブさんのお父さんお母さん、ちょろっとしか会ったことないけど、品のあるもんね。
あ、本当ですか。
お父さんなんかかっこいいじゃん。
マミアで会ったことあるもんね。
品のあるご両親でした。
2人とも音楽好きなもんで、日常的にクラシカルな音楽が流れてたんですよ。
後は別にいきなりクラシックにはまったわけじゃないけど、
03:02
お兄ちゃんはロケンドーなギター弾いて、
それこそつっぺりんとかばっかり家にあったし、それももちろん僕は聴いてたんですけど。
でも、なんか当たり前のこととして、家でクラシック音楽が流れてたんですよ。
子供の時からね。
だから何の抵抗もなく、いろんな音楽聴きながら、好きなものは好きでね。
ジャンルを問わず僕は好きなほうなんで。
確かにバブさんって変だよね。ジャンルレスだよね。
うんうんうん。
そうですね。平気松とかにはまった時もあるしね。
サダマサシも好きだし、ニンゲーズも好きだし。
ニンゲーズとサダマサシが同じ人間が好きってことあんのかね。
ニンゲーズなんか知らない人も多いかもしれないですね。
文学性の高い歌詞という意味で。
ああ、そうか。それで三鶴さんも好きなんだね。
緊張とかね。
好きっていうか、だって一緒に映画見に行ったもんね。ニンゲーズのね。
行ったね。
ライブ映画。
懐かしい。
まあまあそんなの聴いて育ちながら、
初めて自分のお金でチケット取って行ったコンサートってね、
クライズランドカンパニーなんですよ。
よく出てくるね。
博世太郎さんがヴァイオリンやって、
あとベースと鍵盤の三人組。
クライズランドカンパニー。
クライズラの話をよくするね。
あれ?そんな話したことあったっけ?
まあいいでしょう。今回は。
いいんですよ。
例の話はいいでしょう、別に。
なんで?もうちょっといじられるかな?
いやいや、家庭をお持ちの方。
クライズラが導入になって、
改めてクラシックを聴くようになってたんですよね。
で、行き着いたのがね、初めなんだっけな、
そうだ、ヴィヴァルディの式だ。
ヴィヴァルディの式をまたいい具合にアレンジした
ヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルさんっていう
ハゲたおっちゃんなんですけど、
その人のヴァイオリンがとても好きになって、
CD買って、今度はギドン・クレーメルに
ハマっていくわけですね。
そこでギドン・クレーメルが弾いてたのが、
バッハの無伴奏のヴァイオリンのためのパルティータ。
わからないけどね。
っていう超名曲がありまして、
そこでズドンとバッハにハマったんです。
ああ、なにこれ、最高。
基本的に気楽曲が好きなんで、
どちらかというと壮大なオーケストラとかも
別にいいんですけど、室内楽曲的な
ちょっとちゃんとヴァイオリンだとか
楽器のちゃんと音色をしっかり
ハーモニーももちろん好きなんだけど
っていう感じでなった時期だったんで、
無伴奏でヴァイオリン本で弾いてるパルティータってのが
06:00
もうドハマりしちゃって、
そのハマってた時期は20代の後半ぐらいだったんですけど、
とにかく何にもうまくいかなくて、
だいたい夜中に一人で焼酎飲みながら
パルティータ聴いてました。
うまくいってないね。
そうなのかな、いいことだけどね。
本当にね、仕事も恋愛もとにかく
何一つうまくいかなくて、
夜中の唯一の慰めがバッハだったんですね。
そういう20代後半を結構長い間過ごしまして、
バッハ好きにどんどんなってたんです。
今もバッハはとても大好きだし。
バッハの旋律を夜に聴いたせいです。こんな心ですね。
坂中賞のね。
僕はあの曲から坂中賞入りました。
確かにあれは一つの有名な曲だもんね。
あれで本当に坂中賞好きになっちゃったもんね。
こんな素敵な。
ちなみにバッハの旋律を夜に聴いたせいで
その途中で流れるピアノソロは
やはりバッハのペンバロ競奏曲という
一節をやっているんですよね。
いい曲ですよね。
まずはバッハの時代からいきましょう。
バロック期と呼ばれるような時代。
バッハは1685年生まれ、1750年に亡くなります。
僕もバッハは好きだったけど全然知らなかったから
今回いろいろ調べたんですけど
だいたいバロック期とされているのが
1750年に終わっているんですよ。
そこからはもうちょい後
ベートーベンとかモーサルドたちの時代になるわけですね。
バッハが死んだ年にバロックは終わっているんですよ。
バッハとともにバロックは終わった。
だからバッハはバロック後期の大作曲家という
位置づけにされているんですね。
それだけバッハが偉大だったという話です。
ベートーベン先生とかの先輩ですね。
ベートーベンのセリフもあります。
バッハというのはドイツ語で
いわゆる小川のことなんですね。
直訳すると
違うよバッハは大海だよ、大きな海だよ
それくらいベートーベン先生はバッハに神聖していた。
小川さんなんだ。
じゃあ小川さんって呼ぼう。
すごく親しみやすいよ。
小川先生が
まあ小川先生いいじゃないですか。
小川先生がね
すごいんだよなんだかんだ言って
ちょっとまた時代の話に戻るけど
バロック期
それくらいの1600年後半から1700年前半にかけての時ってのは
音楽家とはいっても
実際バッハってどんな人だと思います?
09:02
小川さんの勝手なイメージでいいんで。
ズラかぶったおっさんですよね。
難しい顔した。
難しい顔した。
頑固な職人なんですよ。
小川先生は宮廷音楽家ではない?
宮廷音楽家です。
やっぱりあの時代はそうじゃなきゃ食えない。
そうそうそういうこと。
結局時代的には
例えばヘンデル
とかビバルディとかが同じ時代の
ヘンデルってのはメサイアを書いた人ですね。
僕は調子の良いカジアって曲が好きだったな。
チェンバロですよ。
ピアノの前の
その時代はまだピアノができてないんで
チェンバロの時期ですね。
あとビバルディは
さっき言ったシキですね。
シキですね。
日清名職人ね。
そうそうそう。
クラシックの名曲たちは
使われてるからね。
そういう人たちの華やかな
作曲家たちと同時代なんだけど
バッハはずっと固い中で
職人のような感じで
もちろん宮廷の音楽家として
雇われてはいるんだけど
田舎の公爵の土地で雇われたり
教会のオルガンやったりとか
あとは聖火隊の監督やったりとか
ずっとね、もちろん偉大だから
すごくちゃんと働けていたんだけど
基本的には田舎でずっとね
音楽の教育に勤しんでいた人なんですよ。
なるほど。
そんな感じの職人なんですね。
だから頑固。
とにかく音楽が最優先だし
でも家族には優しかったらしいです。
家族人、家庭人、職人気質な
土天才。
この3つかな。
バッハってそんな人らしいですよ。
天才でしょうね。
三沢さんも知ってた通り
バッハは音楽一家です。
もうお父さんもずっと音楽やってたし
当然のように息子たちは全員音楽家になるんですよ。
だからヘンデルがそうなんですけど
父の反対を押し切って
音楽家になりたいと立志して
そういうタイプじゃないです。
音楽家になる以外の道は何もなかった
その家庭に育って
ひたすら音楽に囲まれて育った中での
土天才。
JSバッハさんですよね。
12:01
JSバッハ、ヨハン、セバスティアン、バッハ。
息子もさっきも言ったけど
息子バッハと区別しないといけないぐらい
息子も結構作品を残してるよね。
有名なとこだとCPEバッハとか
カールフィリプス、エマニエルバッハだったかな
そこら辺とかもいろいろいるんですけど
4人ぐらい有名なバッハがいるらしいです。
小川さん多いね。
小川先生一族はすげーのよ。
まあでもバッハは大バッハと呼ばれる。
そことの区別をして大バッハと呼ばれることがあります。
さっき家庭人バッハという話が出ましたが
家庭人としての一面も見ていきましょう。
バッハは結構有名な話なんですけど
子たくさんで
20人子供がいました。
それに対してね、結構あの
勢力旺盛的な言い方をする人がいるんですが
そういうんじゃないんですよ。やっぱ時代なんです。
20人子供生まれたけど
成人したのは半分です。
やっぱりなくなっちゃうんですよ。
だから音楽一家として
どんどん子供を育てて
やっぱり音楽をとにかく教育する
っていうのがもうバッハの一つの
そのために来てるようなものなんですよね。
教育者なんですね。
何かそのバッハ家の音楽の道を
どんどん
途絶させないようにするっていうのと
プラスやっぱり逆宗教なんですね。
音楽は基本的に
神に対する捧げものだと
そういう観点で仕事に精進でるわけです。
めちゃくちゃ経験な
クリスチャンなわけですね。
教会で使うような曲をよく書いてたのかね。
切磋教はよく歌いますもんね。
それのためにやってる。
バッハの一番の理想としたら
神のためにやってるんです。
自己表現ではない。
でもその中でも溢れる才能と
音楽への追求とかも織り混ざってるのがバッハなんです。
だからいろんなジャンルが
ベートフォーフェン先生とかとはちょっと違うね。
ベートフォーフェン先生ね。
すみません。
原中読みで言っちゃう可能性があるんで。
ベートフォーフェン先生とはちょっと違いますね。
神に捧げたって感じじゃない?
あまり神楽は絡んでこない感じがしますね。
アマデウスとかもね。
アマデウスって呼んでる癖がある。
普段アマデウスって呼んでるの?
呼びたいじゃんアマデウスって。
アマデウスって口が痛いからさ。
15:01
でもやっぱり下の世代とはまたちょっと違う。
まだ神教会の音楽ですよね。
そうですね。
とにかくそういう人なんでバッハが。
お友達の芸大での
性学科の方なんかは
僕も知ってる。
これはバブさんのお父さんの話?
小川先生じゃなくてね。
バッハが好きすぎて
小川先生がラブが漕じて
クリスチャンになりましたね。
とにかく目覚めたと。
でも小川先生の音楽を理解するためには
キリスト教にならないとね。
音楽とかって追求していくと
そういうことになるらしいんですよね。
主要?
人の望みの喜びを。
いい曲ですね。
初代のメロディーが最高ですよね。
あれも教会でしょ?
あれ?
カンタータの一部とか。
宗教音楽?
もちろん色んな曲の中の一部分なんですが
冒頭部分が
メロディーが良すぎて
電話の着信音とか
ありますよね。
保留の音とかね。
保留の音でもありますよね。
ああいうのに使われがち。
ハリキューの
大先生のところで修行している時代
一番不遇の時代があったんですけど
先生を送らなくてね。
そこがあってから今あるからいいんですけど
そこの電話の着信音が
主要人の望みの喜びを
だったんですよ。
だから僕はあの曲苦手なんですよ。
あれかかるとゾワッとなっちゃうの。
あの厳しい時代があんな良い曲なのにさ。
あんな良い曲なのにさ。
っていうのもあったりするんですよね。
さすが三沢さん。
バッハにも造形が。
本当に有名な曲が
それこそキラボシのごとくですよね。
いっぱいあるんですよね。
ということでバッハの時代
バッハが生きてた時代ってのはそんな感じなんですが
ちょっと簡単にバッハの年表を見てみましょう。
1685年生まれていましたね。
音楽一家に囲まれて
育ち
お父さんもお兄さんもみんな音楽家
良い環境でひたすら
18:02
音楽の勉強をしながら育ち
俺らのちょうど300年前くらいの人だね。
そうだね。
結構前だね。
1685年生まれ。
関ヶ原の80年後くらい。
大体関ヶ原で考えるとね。
だから三大将軍くらいか?
家光あたりですかね。
そこらへんの時の人。
いろいろありながらも
音楽教育を受けて育つんですが
9歳の時にお母さん亡くなって
10歳の時にお父さん亡くなりました。
どうすんだよ。
音楽一家に囲まれてはいるんだけど
結構不遇の時代を過ごしてるんですよ。
お兄さんヨハン・クリストフバッハに
引き取られて
その時自立してたんで
教会のオルガニストとかやってて
その人に引き取られて
音楽まみれで行くわけです。
その間、学校には通ってるんですよ。
ただド天才バッハ。
ずっと特大生。
勉強もできます。
音楽ももちろんだけど
プラスアルファで
お金までもらえるレベルの特大生を
ずっとやりながら
なんとかやってます。
バッハ一族でも
これだけ教育を長年受けてた
バッハはいないんだって。
大体そんなに教育なんて受けられるもんじゃないんですよ。
基本的には。
音楽家の一家なんてそんなに恵まれてるわけではないんで
お給金も大したことないし。
だけどド天才だから。
頭良すぎてずっと特大生。
なるほどね。
理系の頭持ってる感じするよね。
バッハの曲を突き詰めていくと
やっぱり数学との関わりも深い
なんて言ってる人がいましたね。
精緻なハーモニーの構築
すごい理系の頭っぽい感じ。
とにかく優秀だったみたいです。
特大生のお金打ち切られて
転校せざるを得なくなったみたいなこととかもあって
基本だから
特大生頼みでずっと学校行ってたんだって。
苦労人ですね。
頭はめちゃくちゃ良い。
学年でトップかせいぜい2位とか
そんな感じでずっと生きながら
自立したのも17歳とか18歳ぐらい
もうその頃には自分で
21:00
宮廷の飯使いから始まったらしいですね。
飯使いっていうのは
音楽だけじゃなくて
いろんな人の目の前に座るとか
雑用とかやらなきゃいけないんだけど
小川先生はプライドも高いんで
飯使いとして入ったのに
俺は宮廷音楽家だと
言ってたらしいです。
音楽もやってもらうけど
あなた飯使いよっていうレベルの時でも
僕は宮廷音楽家
小川先生に雑巾掛けさせられますか?
実際に音楽以外の仕事は
なんとか他の人に任せてやろうって
ずっとやってたんですよ。
そんな仕事やりたくない。
大小川はそんなことしなくていいです。
小川先生はそういうところがあるんです。
職人気質というか頑固なところが
天才なんだから見えますね。
翌年18歳には宮廷楽団に
ちゃんと就職して
公会で少年聖歌隊の指導をしながら
ここで成形立てている。
この18歳くらいから作曲始まったらしくて
この頃にはいろんな名だたる曲を
今にも残る曲を作ってるらしいですね。
天才やの。
20歳の時、勉強のために
400キロ離れたところまで
いい演奏してる奴いるよっていうのを
勉強のために400キロ離れたところまで
徒歩で行きます。
江戸時代だからね。
どこの方?
ドイツ。
アイゼナ八方というところの人で
ドイツ人かい。
ドイツの片田舎の人。
さっきチラッと言った
華やかな都会で
活躍してた作曲家とか
ヴィバルディとかヘンデルとか
そこら辺はフランスとかイタリアとか
そっちの方だったんだったかな。
でもバッハはずっと
ドイツの片田舎で
ベートフォーヘン先生も浸水されるわけだ。
ベートフォーヘン先生はそういうところあるかもしれない。
ドイツ人ね。
意外と意外だった。
オーストリアとかなのかなと思ってた。
なるほど。確かに。
でもドイツの人です。
頑固ってドイツの職人って感じじゃん。
土手制度があって
職人っていうものを
音楽でも靴でも楽器でも
土手制度が根強く残ってるらしいですよ。
24:00
ドイツのフードですね。
20歳の時に
100キロ歩いて勉強に行って
向こうで夢中になっちゃって
職務放棄して
音楽のことで行ったんだけど
向こうの勉強は夢中になりすぎて
4ヶ月くらい行って帰ってきたら
4ヶ月でめちゃくちゃ怒られたっていう。
音楽以外の勉強もしてた?
とにかくいいオルガニストいるから
来たいってだけで400キロ歩いて行ったんですよ。
で、夢中になっちゃって
なかなか帰ってこねえと。
ガー先生ですかね。
同じくらいの時期は
聖火隊の指導とかもしてるんだけど
ガー先生が指導してたら
襲われるとかね。
パワハラだね。
で、それに逆切れしたオガワ先生
剣を持って立ち向かう。
パワハラ上等ガー先生。
素晴らしい。
武闘派なの。
で、結局上に怒られる。
そんなことを繰り返してたそうです。
そんなこんなで
ただ音楽に寄与していた
オガワ先生、1707年
23歳の時に結婚します。
マリアバルバラさんと結婚します。
マリアバルバラバッハさんのうちの。
これは東円の人みたいですね。
基本的に音楽一家だし
そこら辺から相手を取る
みたいなところは元々あったらしいです。
そんなに近しいところからは取らないのかもしれないけど
まあでも恋愛結婚みたいですよ。
幸せな結婚生活を続けるのも
やっぱり仕事が頑固すぎて
転職を繰り返し
トラブル続きだったそうです。
だいたい公釈ですよね。
公釈というのが都市の公釈がいて
そこに召し掛けられる形になるんですけど
音楽のことになったら平気で意見言っちゃうもんで
公釈にこれやれって言ったことをやらないで
じゃあもう僕やめますって言って
お前ふざけんなって言って
2週間拘留されます。
統獄されます。だって身分違うんだもん。
そんなのやりたくないです。
やりたくないから僕やめます。
俺の音楽性と違うんですけど。
やめようとしたけど
お前何様だって統獄されます。
まあしょうがないですね。
ただ統獄されても
いややらないって言ったらやらないですって言って
27:00
いいよって2週間で釈放されます。
ロッカーだね。パンクだね。
小川先生そういうとこなんですよ。
まあそんなことをやりながらも
結局小川先生やっぱりすげえっていう
評判は徐々に広まり
転職先で
旧邸学長に次になります。
旧邸学長。
普通の雇われてるよりも学長になっちゃって
ヘッドハンティングですよ。
立新出世物語。順調にいきますよ。
この時か作曲にもすごく精を出して
名曲たちをいっぱい作ったそうです。
この辺が1717年。
だがこの後悲劇が襲います。
1720年ってことは
35歳の時ですね。
マリアバルバラさんが
急に亡くなってしまいます。
仕事で公爵のお供で
温泉に行ってたらしいんですよ。
帰ってきたら亡くなって
葬儀まで詰まってたんです。
もうその時の馬鹿の絶望をたるや
すごかったらしいです。
基本的に家族思いの馬鹿さんなんで。
20人の子はその人と作ったのかな?
いやいや、前半だから
1年半後には再婚します。
ちょっと軽いように聞こえますけど
その時代的には
これは慰霊な遅さなんですって。
もっと早い?
男やもめで、その時にも4,5人
子供はいる中で
できないと。
早く結婚しなさいっていうのを
悲しみに暮れながらも1年半経って
結構悲しいんだね。
ただ、再婚相手は
恋愛結婚だったらしいですね。
16歳下だそうです。
小川先生、そういうとこがあるんですよ。
あるね。
英雄、色を好むと言いますからね。
そういう話にはなってきたくないんだけどな。
調べてて分かったんですけど
その時、1720年くらいに
作った曲が
僕が一番初めにドハンマリした
無伴奏バイオリンのためのパルティータだったんです。
再婚の時期くらい?
奥さん亡くした。
悲しみの時期に聖書された。
実際に作ったのはもうちょっと前かもしれないんですけど
その時に聖書して発表したのが
あの無伴奏のバイオリンのパルティータって
ちょっと悲しいんですよ。
30:01
悲哀に満ちた曲なの。
ダイナミックな曲なんだけど。
そんな曲があって、僕がドハンマリして
夜中に慰めのように聴いてた曲は
実はそんな経緯で作られた曲だったってのを知って
僕はね、ああそうなんだー
となった。
300年前の小川先生の悲しみで癒されてたんですね。
偉大だな、ダイオガーは。
ダイオガーは偉大なんだよ。
オーカーではないか。
オーカーじゃないです。ダイオガー。
まあいいや。
1年半後にアンナ・マグダレーナさんと
再婚します。
嫁思いのバッハの一面が出られて
アンナ・マグダレーナのためにっていう曲とかも作られていた。
基本ハイサイ歌なんですね。
しかもピアノ、オルガンの鍵盤の練習曲なんですよ。
練習曲って文化あるよね。
そんな感じでいろいろやってきて
いろんな作曲をしていく中で
ものすごい時期が来ますね。
1736年くらいに
ザクセンの宮廷作曲家を任命されました。
宮廷音楽会の重鎮になります。
この時期の作曲数が
異常なんですよ。
だいたい5年くらいに渡って
20分くらいの教会の未作曲を
週に1曲
これを5年続けてたんですよ。
作曲だけじゃないんですよ。
全部指導してるから
例えば月曜日と火曜日に曲作って
水曜日に練習して
水木に練習して
日曜日にミサでかける
これを5年やってるんですよ。
ある人が
今の漫画の週刊連載レベルだと思って
言い方をしてて
なるほど!
それくらい精力的に
5年くらい活動してたらしいです。
爆発したんですね。
そんな感じで名曲を生み出しつつ
1749年
目も患い
目の手術
なんとかしたんだけど
失敗してよくならず
不遇の中脳卒中で倒れてしまいます。
1750年没
65歳
早く亡くなる時代にしては
33:01
長生きだったんじゃないでしょうか。
65年間で数々の
名曲たちを生みました。
ここからはバブさんの
名曲アルバムのコーナーです。
練習曲
一番有名なのが
平均率クラビア
鍵盤弾きの人たちからしたら
聖典と呼ばれる
バイブルです。
すごいね。
なんでそんなにすごいのかというと
それを説明するのは難しいんですけど
長生ですね。
今の調律とかの
元となるものを
小川先生が
作ったみたいなところがあるらしいです。
だって十二音階先生でしょ。
ドレミファソラシドって先生じゃない?
ドレミファソラシドが
バッハなの?
平均何とか音階みたいな。
それが平均率って言うんですよ。
それまでは
単調とか長調とかもちろんあったんだけど
これに調律の仕方がちょっと違ったらしいんですよ。
調律の基礎を作った。
この平均率っていうのは
それを基にちゃんと全24
長調12、単調12
全ての調で曲を作った。
またこの12、12、24っていうのも
数学的にすごく
24時間とかとも絡まるし
っていうものすごい曲がクラビア。
平均率クラビア。
と長調と単調を全部やったんだ。
全部やったの。
それを同じ調律で
初めてやったのが小川先生。
同じ調律で全部弾けますねと。
小川先生がそれ初めてやったの。
先生すげーよ。
数学だな。
平均率クラビアは本当に
ショパンとかもそれを
チョピン先生が真似て
12、14の前奏曲とかね。
チョピンに真似つながっていく。
あとはグノー先生とかも
平均率の
第一番丸パクリしてアベマリア作りました。
アベマリア?
平均率の一番丸パクリですから。
パクった。
36:02
あれに歌乗せてアベマリア。
小川先生っぽいメロディーだもんね。
そう考えて聞くとそのまんまでしょ。
俺は小川先生だと思ってた。
グノーのアベマリアは
平均率から来てるんです。
ゲーセン上のアリア。
あれも小川先生だけど
還元楽曲の一部分だったんじゃないかな。
ただあのメロディーがあまりにも素晴らしい。
独立して有名になって
それこそ着信音だったり
オフローが湧きましたとかになりそうですよね。
現代においても
売れる曲のコード進行はあれなんですよね。
すごいんだよ。
ゲーセン上のアリア?
コード進行を使えば売れるんです。
一番人がグッとくるコード進行も小川先生がやってるので。
曲作ったことがあるし
どうあれを避けるかってことがあるんですよね。
同じになっちゃうじゃん。
当たり前じゃんってなっちゃうから。
どうそれをかわすかが。
そうなんですか。面白い。
ただそれをバッチリやれば売れます。
結局
エンゲンディスクラビアってのは
それでの練習曲なんです。
後人のためにこれを使って練習しなさい
みたいなメモまで残されてるんだって。
これから音楽を学ぶ人たち
もうちょっと勉強した人たちでも
これを使って研鑽を積みなさい
ちょっとニュアンス違うかもしれないけど。
そういうもののための曲なんだって。
あとは有名なところで言うと
ゴールドベルク変装曲。
ゴールドベルク変装曲ってのは
これを話さなきゃいけないことがあって
グレングールという化け物のピアリストがいます。
これは結構有名な人ですよね。
1955年にデビューするくらいの人でも
亡くなられてるんですけど
坂本隆一曰くバッハの化身みたいな人ですよね。
コンサート嫌いで
途中からコンサートやらなくなって
とにかく音楽を追求して
良い録音を良い録音をってボンとするような
変人天才ピアニストがいたんですけど
その人のライフワークは
ほとんどバッハがメインだったんですよ。
39:01
小川先生も行ったり。
小川先生も行ったり。
ピアニストって言ったら大体ショパンなんですよ。
ショパンは1曲くらいしか録音しなかったんだって。
その大天才。
やっぱり原理主義なんだな。
チョピンさんは煌びやかで華麗な感じするもんね。
もちろん素晴らしいんですけど
もうちょっと古い時代の方が
古典に目を向けた
偉大なグレングールド。
坂本隆一教授はドビュッシーだよね。
バッハも大好きなんだけど
一番好きなのはドビュッシーだしですね。
グレングールドの話をもうちょっとだけすると
1955年にゴールドウェルクエンソ曲というので
デビューしたんです。
その時の一番の
これはね、一回止めましょう。
はいすいません。
強引に止めてもらいましたけど
三郎さんにゴールドウェルクエンソ曲聞き比べをしてもらいました。
すごかったですね。
グレングールドが
これすごく有名な話で知ってる人はいっぱいいるとは思うんですけど
55年デビューの時に発表した
ゴールドウェルクエンソ曲の第一番
アリアは1分52秒で
終わってしまう。
これを表して
ジェットコースターのような
きらめいた音楽だって
表してる人がいます。
同じそうですよグレングールド。
晩年の81年
これがグレングールド最後のアルバムになっちゃうんですけど
またゴールドウェルクを出しました。
アリア
3分2秒かかっております。
倍から2.5倍くらいの長さになってる。
テンポが全然違う。
だから晩年は本当に丸みを帯びたというか
すごく優しい
クリーなメロディーになってるんですよね。
若い時の
エネルギーあふれる感じ
との対比がすごくて
どっちもファンがいて
だからグレングールドは
バカな曲いっぱい出してるんですけど
これが特に語り草になってるので
皆さん余裕があったらゴールドウェルクエンソ曲
どっちも聴いてみてください。
クラシックってテンポの指定がないので
BPM120とかないので
それこそカンタービルとかで
言われるわけじゃないですか。
歌うようにってやつですよね。
42:02
歌うようにって言われた時に
解釈が一人で違うわけだから
どんなテンポでやってもそいつの解釈で
指揮者の味が出るっていういい世界じゃないですか。
なんとなくふんわり書いてある雰囲気で
演奏しなきゃいけないから面白いんだよね。
全員解釈が違うからね。
この解釈はこうだ、この解釈はこうだってやって
突き詰めていくのがクラシックの人達ですもんね。
この人の解釈が好きだってファンが出てくるわけじゃない。
そこが面白いとこだし
バカに関して言えば
どうやってもいい曲になっちゃうのよ。
今聴いたけど
天井的なメロディーですね。
そんな難しいことやってないんだけど
きれいなメロディーだわ。
これは結局位置付けとしたら
練習曲なんですよ。
ゴールドウェルク編奏曲っていろいろ逸話があって
ゴールドウェルク公爵って人が
不眠症で悩んでるからおばあさんに
いらしたんですって。
上奏したっていうのはあるそうなんだけど
基本的には練習曲として書いたものなんです。
ちょっと寝れそうだったよ。
いい曲ですよね、単調なメロディーなんですけどね。
さすがおばあ先生。
名曲を言ってきゃキリがないんですけど
もう一曲くらいいいですか?
一番初めにハマった
無伴奏バイオリンのためのパルティタ。
クラビアが弦外弾きのためのバイブルだったら
これはバイオリン弾きのためのバイブルなんです。
バイオリンのためのパルティタ。
ちなみに無伴奏曲って
フルートとチェロとバイオリンこの3つでバッハを出してます。
無伴奏チェロ組曲は
有名なのがありますね。
これもいいんだよね。
これ確かエヴァンゲリオンに使われてた気がします。
使われそう。
ラーメンズも使ってました。
ライソー。
いい曲なんですがこれもやっぱり
チェロ弾きのバイブルと呼ばれてます。
相当難しそうだよ最後の方。
基本的に無伴奏全部単一でやるから
技術的にはめちゃくちゃ難しいんですよ。
今聴いてもかっこいいメロディーなんですよ。
それで
無伴奏パルティタ
パルティタってのはシャコンヌ。
シャコンヌ?
45:00
無伴奏のバイオリンのためのパルティタの
第2楽章の第5番が
第2楽章の第5番?
シャコンヌってのは
曲の形式の1つ
例えばアリアだとかフーガだとかと
一緒の形式の1つなんですけど
楽章の中にそんなにいっぱいあるんだ。
だけどシャコンヌってのは
いろんな人がシャコンヌ書いてるんですよ。
でもあまりにも小川先生偉大すぎて
シャコンヌって言ったらバッハのシャコンヌねって
レゲエって言ったらボグマリーみたいなことだ。
ってなっちゃうぐらいバッハのシャコンヌ
偉大な小川先生なんですね。
12分とか
単一のメロディー
無伴奏のテーマ全部そうだけど
単調なメロディーラインしか弾けないバイオリンで
和音とか
ハーモニーをここまでできるの?
これマジでバイオリンだけでやってんの?
っていうのの究極が
無伴奏バイオリンのためのパルティータ
あとソナタもあるんです。無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータが
対になって交互に発表されてるんですけど
それの中の
もうここってのがシャコンヌ
シャコンヌだけ覚えてくれたら
僕は今日この回
嬉しいです。シャコンヌ聴いて
一番ハマって
焼酎のロック飲みながら
たまに泣いてたんじゃないかなって
聞きたくなくなってきたな
なんでよ急に
基本的にやっぱりね
悲哀の曲なんですよね
奥さん亡くなった時のやつだっけ?
思ったより時間経っちゃった
ごめんなさいね
掘ったら切れねーけど朝掘り番組ですから
いいんじゃないですか
気になった方は独自に調べていただいて
シャコンヌは酷いな
寿司のネタみたいな名前でございますけど
小川先生の偉大さの少しで
皆さんに届けば
大小川先生
お聞きになったらいかがでしょうか?
いずれベトフォーフェン先生もやります
ありがとうございました
じゃーんかー
こいつが僕ね
48:04

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