スマホなら、1%になっても充電できる。
でも、人生の残り時間は増えない。
もし自分の残量が見えたら、
僕たちは今と同じように時間を使うんだろうか。
傷つかないこと。
失敗しないこと。
消耗しないこと。
それだけが、本当に「いい人生」なんだろうか。
前回の「充電7%」から、もう一歩先へ。
今回は、人生という“充電できないバッテリー”を何に使うのかを考えます。
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サマリー
人生の残り時間を、充電できないバッテリーにたとえて考える。残量が見えなくても時間は有限であり、効率や安全だけを優先して、好きなことや挑戦を削り続ける必要はないと語る。心理学の社会情動的選択性理論や自己決定理論、ノージックの「経験機械」に触れながら、誰かのために時間を使う場合も、自分で選んだという感覚が重要だと整理する。人生の使い方に正解はないが、本当は望んでいない期待や他人の正解に残量を使い続けることは怖い。最後に、傷や失敗を避けて新品のまま終えるのではなく、自分が選んだと思える時間に使いたいと締めくくる。
充電できない人生のバッテリー
前回、僕は充電10%以下という話をしました。 疲れているとき、僕たちは何を最初に削ってるんやろう。
仕事は削られへん。 約束も削られへん。
やらなきゃいけないことも削られへん。 だから好きなこととか、何もせえへん時間とか、自分のために使う時間から削っていく。
そうやって気づいたら、削っていたのがずっと自分でした。 そんな話をしました。
でね、収録が終わってからも、僕はずっと充電という言葉が頭に残ってたんです。 それで、ふと思ったんですよ。
前回の話には、ものすごく都合のいい前提条件があったなと。 スマホの充電って、なくなってもまた充電ができるんですよね。
10%以下になったとしても、コンセントにさせば、1%、7%、20%、50%、100%というふうにまた戻っていく。
でも、僕たちが持っているバッテリーの中に、一つだけ、どうやっても充電できないものがあるんです。
それが、人生そのものです。
今日は、充電できへんバッテリーの話をしてみようと思います。
改めまして、あなただけのゲートも豆腐手ウルフです。
この番組、未定で結構は、まだ答えが出ていないこと、誰かに話すにはちょっと早いこと、でも本物はずっと気になっていることを、僕、豆腐手ウルフが少しずつ言葉にしていくポッドキャストです。
今回も結論が出るかどうかは分かりませんが、よかったら最後までお付き合いください。
残量が見えたら大切なものは変わるのか
ちょっと想像してみてください。
明日の朝、目を覚ましたら、スマホみたいに自分の右上にも数字が表示されるようになっています。
73%。
ただし、これは疲労度とかじゃありません。
あなたに残されている、人生の残りの時間です。
しかも、これは充電はできません。
寝ても増えへん。
温泉に行っても増えへん。
好きなものを食べても増えません。
ただ、少しずつ少しずつ減っていく。
もし、そんな数字が見えたら、僕たちは今日と同じように生きていくんでしょうか?
73%やったら、多分みんなまだ普通に会社へ行く気がします。
まあ、まだあるし。
でも、これが残り20%やったら?
10%やったら?
3%やったら?
もう1%しかなかったら?
その日も、あなたは気が進まない飲み会に行くんでしょうか?
嫌われないためだけに愛想笑いをするんでしょうか?
別に見たくもないSNSをなんとなくスクロールするんでしょうか?
本間はもうどうでもいい人からの評価をまだ気にしてしまうんでしょうか?
実は、これただの妄想というわけでもないみたいなんですよね。
心理学には、社会浄土的選択性理論という考え方があります。
人は、自分に残された時間を長いと感じている時には、
未来のための知識や新しい可能性を広げることにも価値を置く。
一方で、時間が限られていると感じると、
今ある大切な人間関係やったり、
感情的に意味のある経験やったりを、より優先するようになると考えられています。
つまり、人生の残量が見えたら、僕らの大事なものは変わる可能性があるんです。
でも、ここでね、僕はちょっとおかしくない?変やな?と思うんです。
だって、僕たちは全員漏れなく人生が有限やって、時間には限りがあるって知ってるんですよね。
その残量表示がないだけで、僕も死ぬし、これを聞いているあなたもいつかは死ぬ。
これは別に病んでるとか暗い話とかそういうことでもなんでもなくて、ただのそういう仕様なんです。人生ってそういう設計なんです。
なのに、数字が見えない、残量が見えないだけで、僕たちはバッテリーがついつい無限にあるみたいに扱ってしまう。
そうなってしまうと、ここから急に僕は、人生は短い!時間を無駄にするな!夢を追え!みたいな。
昔の僕だったらそういう話しそうじゃないですか。でも、僕それもちょっと違うかなと思うんですよ。
だってね、ぼーっとする時間も昼寝もゲームも友達とのどうでもいい会話も、全部人生の残りの時間を使ってやってるんですよ。
好きな人とソファに座って、二人とも別々のスマホを見ている時の夜だってバッテリーは減っていきます。
でも、その時間って無駄なんですかね。人生の残量が1%やったら、映画なんて見ない方がいい?昼寝なんてもったいないと思う?ゲームなんてせん方がいい?
多分そういうことじゃないんじゃないかなーって僕は思うんです。
時間を効率よく使うことと、人生をちゃんと生きるということは同じではないと思うんですよ。
傷つかないバッテリーと経験機械
ここでもう一つ試行実験をしてみます。
あなたの目の前には、新品のバッテリーがあります。
このバッテリーには、あなたが傷つくたび、失敗をするたび、恥をかくたび、ダメージが入ります。
誰かを好きになったら、傷つくかもしれへん。
夢を追えば、失敗するかもしれへん。
新しい場所に飛び込んだら、恥をかくかもしれへん。
でも、何もしなければ、バッテリーはものすごく綺麗な状態を保つことができます。
誰も好きにならない。挑戦もしない。誰にも本音を言わない。できるだけ安全な場所から出ない。
そうすると、最後の日まで、ほとんど傷のないバッテリーを持っていられる。
そんなバッテリーを欲しいと思いますか?
僕は正直、いらないなと思うんです。
だって、バッテリーを守ることが目的になってしまったら、そもそも何のためのバッテリーなんやろって話しちゃいます?
哲学者ロバート・ノージックに、経験機械と呼ばれる有名な試行実験があります。
これはものすごく簡単に言えば、あなたが望む素晴らしい経験を本物やと思えるほどリアルに体験させてくれる機械があるVRみたいなもんかな?
そこに繋がれば幸せな経験をし続けられる。
では、一生そこに繋がっていたいですか?という問いなんです。
この試行実験は、気分が良いことだけで良い人生を全部説明できるのか?という疑問を投げかけているんです。
これをバッテリーで考えるなら、一生100%。
痛くない。怖くない。失敗しない。誰にも振られない。夢にも破れることもない。ずっと安全。
でも、その代わり、ほんまに誰かを愛することはない。ほんまに何かに挑戦することもない。
ほんまに自分で選んで何かを掴んだ経験もない。
それでも、100%であることが幸せなんでしょうか?
誰のために人生の残量を使うのか
ここで、前回の充電10%以下の話ともう一度繋がってくるんです。
前回僕は、その100%のバッテリーは誰にとって都合が良いかなって考えたんでしょう。
仕事ができる自分。
LINEの返信が早い自分。
機嫌の良い自分。
人に迷惑をかけへん自分。
100%になったら、また社会にとって使いやすい自分に戻る。
だから、元気になることっていうのと、自分に戻ることっていうのは同じじゃないのかもしれへん。
って今回考えていて、さらに怖いことに気づいちゃったんです。
100%になった後のバッテリーは、僕は誰のために使うんやろうと。
自分の時間やのに、自分の人生やのに、気づいたら誰かに認められるため、
誰にも嫌われへんため、
ちゃんとした大人に見えるため、
人より遅れを取らへんため、
この歳やったらこうしておくべき、に追いつくため、
そんなものに人生の残量を使っていることがある。
心理学の自己決定理論では、
人がよりよく機能する上で重要な心理的欲求として、
自分の行動を自分で選んでいると感じる自立性、
何かをできる、成長できると感じる有能感、
そして誰かと繋がっていると感じる関係性が挙げられています。
これを聞いて僕が面白いと思ったのは、
一人で好き勝手に生きればええやん、
一人で好き勝手に生きろ、
ということではないところなんですよね。
誰かのために時間を使ったっていい、
恋人のためでも家族のためでも友達のためでもいい、
仕事に全部ぶっこむ時期があってもいい、
ただ、僕自身がそれを選んだと、
そういう感覚があるかどうか、
同じ1時間でも奪われた1時間と渡した1時間というのは、
全然違いますよね。
自分で選んだ時間として使う
ここまで話すと、
じゃあ結局人生のバッテリーは何に使うのが正解なの?
というふうに思うと思うんですけど、
多分そんな正解は存在しないんですよね。
哲学でも意味のある人生とは何かについて、
1つの答えが決着しているというわけではありません。
幸福なのか、
価値あることを成し遂げることなのか、
誰かと深く関わることなのか、
自分が心から価値を感じるものを追うことなのか、
今もいろんな立場があります。
だから僕は今日、
人生はこれに使いなさい、
なんていうふうには言えないし、
言われたくもない。
旅行に行かへんかったっていい。
大きな夢なんてなくてもいい。
何者になれなくてもいい。
1日中ゲームして終わってもいい。
好きな人と何時間もくだらない話をしててもいい。
何にも生産しない日があってもいい。
だってそれらを無駄やというふうに決める権利まで
誰かに渡さなくていいと思うからですね。
でも、そんな僕でも
一つだけ怖いなと思う使い方があるんです。
それは、自分では本当は望んでいないことに
自分の人生を使い続けること。
嫌われないためだけに、期待に応えるためだけに、
もう欲しくもないものをここまで頑張ったから
っていう理由だけで追い続けること。
誰かが作った正解を自分の正解やという風に思い込んで
残量を使い続けること。
僕にとっては何もしない1日より
こういうことたちの方がずっと怖いなと思うんです。
バッテリーは使うためにある
今日起きても僕の右上には当然数字なんて出ていませんでした。
おそらくあなたにも多分出ていないことでしょう。
だから僕が今自分の人生の何パーセントぐらいにいるのかわからない。
もしかしたらまだ残り80%あるかもしれへん。
もしかしたらもう40%ぐらいかもしれへん。
ひょっとしたらもう7%ぐらいなんかもしれへん。
そんなんわかれへん。
でも、わからへんからといって無限になったわけではない。
前回、僕は10%以下になった自分に
ちゃんと充電をしてあげようという話をしたつもりです。
今もそれは変わりません。
疲れたら休みたいし、しんどい時は好きなものまで削りたくないし、
自分らしく戻る時間をちゃんと持っていたい。
でも、今日その続きを考えていて、もう一つ思ったことがあります。
僕はただ100%に戻るために休みたいわけではない。
また使いたいんです。
誰かを好きになるために、くだらないことをして笑うために、
やってみたいことをやってみるために、
失敗するために、恥をかくために、
大切な人のために、そして何より僕自身のために。
バッテリーって減らさないためにあるわけじゃないんですよ。
使うためにあるんですよね。
新品のまま終わることが人生の成功というわけじゃない。
傷だらけでもいい。最大容量が減ってしまってもいい。
使い方を間違えた日があってもいい。
あれに使わへんかったらよかったのになって思う夜があってもいい。
それでも最後に0%になった時、バッテリーがきれいだったかどうかじゃなくて、
全部正しく使えたかでもなくて、
僕は一つでも多く、
あ、これは僕がこういうふうに使いたくて使った時間やってん。
って思えたらそれでいいんですよ。
人生の残量は充電できません。
だからって焦って全部使い切らんでもいいんです。
ムラをなくそうとか考えなくていいんです。
ただ、たまには確認したいんです。
今減ってるこの1%は誰の人生を生きてるんやろうって。
誰のために、何のために使ってるんやろう。
そして、もしその答えが僕が選んだっていうことならば、
たとえそれが何の役にも立たへんかったとしても、
誰にも褒められへんことやったとしても、
遠回りでも失敗でも、僕はそれでいいと思うんです。
だってこのバッテリーは僕の人生そのものですから。
今日の1%を何に使うか
さて、ここまで聞いてくださった皆さん。
あなたは今日の1%を何に使いますか?
答えが出てなくても大丈夫です。
僕だってまだわかんないです。
だってこの番組は未定で結構ですから。
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