言えた。でも全部は分かち合えない
2026-05-12 25:26

言えた。でも全部は分かち合えない

今回のテーマは、

「言えた。でも全部は分かち合えない。カミングアウトの“その後”の話」。


カミングアウトはどうしても「言うか、言わないか」の話として語られがちです。

でも実際には、言えたあとにも普通に続きがある。

受け入れてもらえているはずなのに、全部は共有できない。

分かってもらえているはずなのに、どこか寂しい。

今回はそんな、“その後”に残る静かな切なさについて話しました。


今回話したこと

・カミングアウトは「合否」のように語られがちだけど、その後にも続きがあるという話

・姉には話せるのに、両親には恋愛の話ができない感覚

・カミングアウトしていても、大切な人が家族の景色に自然に入れるとは限らないこと

・「受け入れられる」と「分かち合える」は違うのかもしれない、ということ

・カミングアウトは解決ではなく、人生の条件が少し変わることに近いのかもしれない、という話


この番組では、恋愛・家族・将来にまつわる、まだ答えの出ていない本音を募集しています。

まとまってなくて大丈夫。結論がなくても大丈夫。

愚痴でも、相談でも、ぼやきでも大丈夫です。

未定のままで、結構です。


タイムスタンプ

冒頭フック| 言えた後にも残るもの

オープニング|カミングアウトの"その後"

言えた=解決、ではない

話せる相手、話せない相手

家族の景色に入れない恋人

受け入れることと、分かち合うこと

人には人の容量がある

カミングアウトは"条件変更"

ミニコーナー:未定区だより

聴く側にも、生活がある

"こういう番組を待ってた"

締め|全部を一人に預けなくていい


おたよりはこちら

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSd9IuhP534v8mujO9N7c_XWR-4hNJVpv3l2p5YROW5lF6OCLg/viewform


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東風亭ウルフのnote

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サマリー

カミングアウトは、言った後の人生の方が長いにも関わらず、「言うか言わないか」という合否のように語られがちです。しかし、カミングアウト後も、受け入れられてはいても全てを分かち合えないという静かな切なさや寂しさが残ることがあります。本音では話せる相手と話せない相手がいたり、大切な人が家族の風景に自然に入れない現実があったりします。これは、受け入れられることと分かち合えることは違うという、人と人との間の避けられない距離感を示しています。この番組では、カミングアウト後の「その後」に残るモヤモヤや、人生の条件が少し変わるという感覚について、未定のまま言葉にしていきます。

カミングアウトの「その後」にこそ続く人生
みたいな結構。 Coming outって、言えたらちょっと楽になるものやと思ってたんですよ。
もちろん楽になる部分はあります。 それはマジである。
でも、言えたから全部スッキリというわけでは全然ないんですよね。 むしろ、言えたからこそ見えてくる切なさとか、
分かってもらえたはずやのに、全部は分かち合われへん感じとか、 そういったものが普通に残ってたりします。
カミングアウトって言うまでの話はよく聞くんですけど、 実際は言えた後の生活の方が多分長く続くんですよね。
今日は、そんな言えた後にも残るもののお話をしたいと思います。
「言えた」はゴールではない
ハオー! あなただけのゲイ友、東風亭ウルフです。
この番組は中途半端なままが苦手で、何でもかんでも白黒をつけては完璧を求めすぎて自分を追い込んできた僕が、恋愛、家族、将来などなどを生きていく中でまだ答えが出ていないこととか、
名前のないモヤモヤを、皆さんからのお便りや反応と一緒に、未定のまま少しずつ言葉にしていくラジオ。 未定で結構。
うまくまとまってなくて大丈夫。結論が出てなくても大丈夫。 未定のままで結構です。
というわけで第3回です。 第1回では自由なのに不安ですという話をしました。
第2回では恋人がいない前提で将来を考えるのは悲観なのかという話をしました。
で、今回はさらにその2つに少しつながるお話となっております。 自由に生きたい。自分の将来もちゃんと考えておきたい。
大事な人にも分かってほしい。 でもじゃあ家族や友達や恋人と自分の人生を全部同じ温度で分かち合えるかと言うと、
多分そんな簡単な話ではないんですよね。 今日はカミングアウトの話ではあるんですけれど、それだけじゃなくて、分かってもらえたはずやのに、
全部は分かち合われへんってどういうことなんやろう という話として聞いてもらえたらと思います。
カミングアウトの「合否」という捉え方
カミングアウトって一つの大きな山場として語られがちじゃないですか。 言うか言わへんか、勇気を出すか出さへんか、受け入れてもらえるかもらわれへんか、
なんかあれやね、受験の合格発表みたいになりがちなんですよね。 もちろんそれぐらい大きなことなんです本人にとってはね。
言う前の怖さもあるし、言えた時の安心感&もあります。 僕は家族や仲の良い友人にはみんなカミングアウトしてます。
だから誰にも言えてないっていうような状態ではないです。 それはもうめちゃくちゃありがたいことなんです。
でも、だからといって自分の恋愛とか生活とか将来のことを全部同じ温度で家族や友人その他の人たちと共有できているかというと、全然そんなことはないんですよね。
言えた、知ってもらえた、提言もされなかった。 でも全部が何も変わらず続いていくというわけではない。
カミングアウトって扉を開けることではあるんですけれど、 その先の部屋にみんなが同じように入ってこられるわけではないんやと思います。
話せる相手、話せない相手
例えばなんですけれども、僕は姉とは恋愛の話が割と普通にできるんですよ。 最近どうなんとか、彼氏とはどうなんとか、そういう話が普通にできるんです。
それはね、ほんまにありがたいし、めっちゃ救われてます。 でも、その一方で両親にはあまり恋人の話ができないんですよね。
できへんというよりかは、物理的にはできるんですけど、話そうと思えば話せるし、たぶん聞いてやっつったら聞いてくれるんです、二人ともね。
でも、僕はしないんです。 なんでかっていうと、僕がどこかで両親にこれ以上は見せへん方がいいのかもしれへん、というふうに思っているからなんですね。
息子がゲイであるということを知ることと、その息子に恋人がおって、生活があって、現実として他の人たちと同じように人生が続いているのを目の当たりにするっていうのは、
たぶんまた別なんじゃないかなというふうに思ってしまってるんですね。 もちろん、これは僕が勝手に感じているだけの話なので、もしかすると両親はそこまで考えてない、思ってないという可能性は全然あります。
だからなおさら難しいんですよ。 拒絶されたわけではない。受け入れてもらえていないとも言い切れない。
でも、全部を自然に共有できるわけではない。 この微妙な差っていうのが地味に切なりし、この微妙な段差に何度も何度もつまずくんです。
なんかね、玄関までは入れてもらえてるんやけど、リビングまでは通されてない感じというか、それって例えとしてどうなんていうところではあるんですけど、
ちょっと近いかなって僕は思っていて、家の中には入らせてもらえてる。 でも、一生玄関で立ち話してて、中入りたいな、お茶でも出してくれへんかな、みたいな感じ。
家族の風景に恋人が入れない現実
そんなイメージが近いかもしれないですね。 あとですね、これはですね、ちょっとまあ今でも思い出すと僕切なくなっちゃう話なんですけど、
僕、元パートナーとは5年間同棲をしてたんです。一緒に住んでたんです。 その彼とは、姉の結婚式の時なんかは一緒に東京から大阪まで行ったんですよ。
前乗りして一緒にユニバに行ったりもして、すごい楽しい思い出なんですね。 でもね、まあさすがに、さすがに当たり前やけど、姉の結婚式には出席はできませんでしたと。
もちろん元Pは出席できなかったんですよ。 それはね、もちろんね、僕から見たら義琳の兄に当たるんですけど、義兄のね、家族のこともあるし、
さすがにそれはね、仕方ないよねって僕も思ってます。 それはね、分かってるんです。分かってるんですけどっていうところなんよ。
例えばなんですけど、式の前後とかに一緒にご飯を食べるだとか、軽く対面で挨拶をする。
両親にこの人が僕の好きな人ですっていう紹介をするとか。 そういうのくらいはできたらよかったなって思ってしまう気持ちが僕の中にあったんですよね。
でもね、それができなかったんですよ。 その時にちょっとだけね、僕思ってしまったんですね。
カミングアウトしてるからって自分が一番大切に思う人が自分の家族当たり前の風景の中に自然に入ってこられるわけじゃないんやって思っちゃったんです。
受け入れることと分かち合うことの違い
これはね、誰かに酷いことを言われたとか、分かりやすい拒絶があったとか、そういう話ではないんです。
だからね、余計に説明がしづらいんですよ。 誰も悪くないんですもん。
仕方のないことって分かってるんですもん。 どうすることもできへんことってちゃんと理解もしてるんです。
でもね、めっちゃ悲しいんですよ。 切ないんですよ。
今でも思い出すと悲しくなって切なくなって、ちょっとやるせない気持ちがこみ上げるんです。
と同時に、彼は僕が寂しいって思った以上に、もっと寂しく思ったんじゃないかなって思うと、誰も悪くないのにごめんねって、彼に対してごめんねっていう気持ちがこみ上げてくるんですね。
これがたぶんカミングアウトしているからこそ抱える新しい悲しみみたいなものなのかなっていうふうに思うんです。
言えたからこそここまで共有できるようになったけど、ここから先は入ってきてくれへんのや、入ってこられへんのやっていう境界線みたいなものがはっきりと見えちゃうんです。
それがね、結構寂しいんですよ。
人と人との分かり合える限界
で、ここが今日一番言いたいところなんですけど、受け入れられることと分かち合えることって全然違うんですよね。
知っているっていう事実とその現実を一緒に生きられるっていうことも全然違うんです。
でもこの違いの中に割と多くの人がいる気がする、取り残されてる気がするんですよね。
これは僕がゲイだから特別そう感じるとかではなくて、人が人と分かり合う時の限界みたいな話でもあると思ってるんですよ。
親子でもそう、夫婦でもそう、友達でもそう。
分かってるつもり、応援してるつもり、受け入れてるつもり、でも相手の現実を一緒に持つところまではなかなかいけない現実として。
だから言えたのに切ないっていうことが発生する。
受け入れてもらえたはずやのに、どこか寂しいって感じる。
それって別にわがままでも贅沢でも全然なくって、普通に起こり得ることなんじゃないかなというふうに思います。
僕がわがままを言ってるんじゃない。元パートナーが無理なんだよ言ってるんじゃない。
家族がなんやおかしなことを言ってるわけでもない。
全部仕方のないことってわかってるんです。
人と人って全部は混ざれないし、分け合えないんですよね。
どれだけ大事な人でも、どれだけわかってほしい、理解してほしいって思っても、
全部同じ温度で共有、持ってもらうっていうことはできない。
難しい。
受け止める側の生活と容量
でも、それって必ずしもその人と自分の中に愛情がないからではないんですよね。
これがね、またややこしいんですよ。
ほんでね、最近ね、皆さんから感想やお便りをいただいた中で、もう一つ思ったことがあります。
それは、受け止める側にも生活があるということですね。
話す側には話す側の不安がある。
わかってほしい、理解してほしいっていう気持ちがある。
聞いてほしい時もある。
でも、受け止める側にもその人の生活があって、疲れもある。
容量だってある。
これは冷たい話ではなくて、かなり現実的な話やと思うんです。
家族やから全部聞けるというわけではない。
友達やから全部受け止められるというわけでもない。
恋人やから全部分かち合えるなんてこともない。
人には人の容量があるんです。
これかなり大事なことやと思いますね。
だから分け合えない、分かち合えないことって、必ずしも誰かが悪いから起きてる事象ではないんです。
嫌いだからじゃない。見捨てたいとも思ってない。
でも、全部は背負ってあげられない。
その限界が見えた時に、僕らは少しだけ寂しいって感じちゃうんやと思います。
一人に預けすぎない、抱えすぎない
でも同時にね、その限界があるからこそ、逆に一人の相手、一つのものに自分の気持ちを全部は預けなくていいのかなって思ったんです。
家族に少しだけ持ってもらう。
友達に少しだけ持ってもらう。
恋人にも少し。
そして自分の中に少し。
さらにこういう未定で結婚みたいな場所にも少し。
そうやって分けておいていけると、話す側も聞いてる側も少しだけ楽になれるのかもしれません。
カミングアウトは人生ゲームの設定変更
最近ね、カミングアウトって、カミングアウトする側とカミングアウトされる側が一緒にプレイをしている人生ゲームの設定項目が一つ変更されるようなものなのかなっていう風に思うんですね。
これはね、もうかなり大きな設定変更ですよ。
もう言語設定ぐらい大きな変更。
日本語と英語ぐらい違うと思いますね。
でも、それでゲームをクリアしたことにはならない。
いえ。
で、この先どう一緒にプレイしていく?
どう攻略していく?
ってことなんですよ。
どこまで共有する?
設定変更後はどのように距離を取る?
カミングアウトした側に恋人がいたとき、それをどこまで自分の現実として置ける?
恋人が僕の家族や友人みたいな大切な人たちに自分は受け入れられていないと感じた場合、僕は彼に何をしてあげられる?
そういうもっと静かで長い問題が続いてしまう。
でも、その後、カミングアウトしたその後ってあんまり語られないんですよね。
ドラマになるのはその告白の瞬間、その後の地味な運用っていうのはだいだいすっとばされるんですよ。
人生っていつもそうなんですよ。
クライマックスより事務処理の方が圧倒的に長いんです。
しかもその事務処理の方が後々面倒でしんどかったりするんですよ。
ほんまにいい加減にして。
カミングアウトも恋愛も家族も将来の不安も多分全部そうなんです。
何かを言えた瞬間よりその後どう運用していくかの方がずっと長く続くんです。
だからこの番組ではそういうその後の話もちゃんと置いていきたいと思っています。
ミニコーナー: 未定区だより(1)
そしてまさにその全部を誰か一人一つのものに預けきれない感じについて考えさせられるお便りが届いております。
ここからは見ていくだよりの時間です。
答えの出ていない気持ちを一度置いておく番組の中にだけ存在する仮初めの街見ていくに届いたお便りを紹介するコーナーです。
今回は2通紹介させてください。
まず1通目です。
ラジオネームは匿名希望の方です。
第1回の自由だけど不安ですを聞いてまさに今息子がそんなドツボにはまっています。
私はアドバイスを求められるので考えずに聞いたままを思った通りに言うようにしています。
考えてしまうとこっちがしんどくなるしきっと聞いてほしいだけなんだと割り切って言うようにしています。
でもそれが毎日で顔を合わせていると愚痴のようにクドクドと自由なのに不安だ不安だと言ってきます。
今同居の義母の手伝いをしているのですが大学を卒業してやっと自由を勝ち得たはずの息子が顔を合わせるたびに不安だと言ってくるので正直めんどくさいです。
彼は憧れ意識だけでやりたいことをやっているのではないというのは十分理解してやってごらんと言っておりますが彼自身が自信がない。
でも私の時間は?私今ネットフリ見てんだけどお願いだから邪魔しないで。
でも彼が真面目すぎるからこれが言えない。これからもモヤモヤを吐きに来てもいいですか?
ではではまた。お便りほんまにありがとうございます。
これねめっちゃ正直なお便りやなって思いました。
すごくいいお便りやなって思ったんですよこれ。
まず息子さんの感じている不安もたぶんほんまなんです。
大学を卒業して自由になったはずやのに自由になったからこそこれからどうしていくのかっていうのを自分で決めなきゃいけない。
それってめっちゃしんどいと思うんです。
でも同時に聞いてあげる側の特命希望さんの方の私の時間は?私今ネットフリ見てんだけどお願いだから邪魔しないで。
っていうこの気持ちもめちゃくちゃ本番やと思うしわかるんですよね。
ネットフリはね大事です。ほんまに大事。
というかねここで言ってるネットフリっていうのはただの動画配信サービスじゃなくって特命希望さんが自分に戻るための時間なんやと思うんですよ。
誰かを大事に思っていることとその人の不安を毎日全部受け止められるっていうことはまた別物なんですよね。
だから息子さんが悪いわけでもないし特命希望さんが冷たいというわけではないんです。
ただ両方ともその事実としてその2つの気持ちちょっとすれ違っちゃうような気持ちっていうのかなが同時に存在しているだけなんやと思いますね。
息子さんの不安だって本当やし聞いている側のしんどさってほんまなんですよ。
だから難しいんですよね。
そしてだからこそ不安って一箇所に全部流し込む必要はないのかなっていうふうに思ったんです。
家族に少しだけ渡す。
友達にも少しだけ預かってもらう。
こういう未定で結婚みたいな番組にも少しだけ持たせる。
ノートに書いてみる。
散歩中に思いにおはせる。
ネットフリ中に少し自分に変える。
そうやって少しずつ少しずつ置いていける場所が増えると話す側も聞く側も少しだけ楽になれるのかもしれません。
もやもやまたいつでも置きに来てください。
気軽に答えが出る前の気持ちもやもやを少し置きに来る場所くらいに思っていただいて結構です。
見ていくはいつでも空き地をご用意しております。
匿名希望さんお便りありがとうございました。
ミニコーナー: 未定区だより(2)
続いて2通目です。
ラジオネームまーらかおさんです。
ウルフさんお帰りなさいませ。
以前のポッドキャストでは何でもズバズバ言うのが印象的やったんですがこういうスタンスのポッドキャストもめっちゃ待ってました。
ウルフさんより一つ下のアラサー独身女で最近の悩みにこういったことをなんとなく考える時間が時々生まれることがありこういうポッドキャストを待ってました。
配信してくれてありがとうございます。
いやいやいやこちらこそありがとうございますよ。
ほんまにありがとうございます。
めっちゃ嬉しかったです。
ズバズバ言ってた時代の自分も自分なんですよ。
確かに僕なんですよ。
その自分が消えたかって言われたらそういうわけでもないんでいつかまたズバズバUFOもやるんですけど。
でも今のこうやって自分の中にもやもやしてる気持ちをすぐにスパーンって切らんと少し手のひらに乗せてこうやって転がしてこう眺めてる自分っていうのも今の僕なんです。
この番組では答えを急がずに未定のものを未定のまま皆さんから届いた声と一緒に少しずつほどいていけたらなというふうに思っております。
お便り感想ほんまに皆さんありがとうございます。
カミングアウト後の新しい悲しみ
というわけで今回は言えたでも全部は分かち合われへんカミングアウトのその後の話をしてみました。
カミングアウトって確かに大きなことです。
でもそれで人生がまるごと解決するようなわけではないんですね。
むしろその後に言えたからこそ見えてくる寂しさとか共有できなさとかそういう新しい悲しみが待ってたりもすることはあります。
でもそういうものっていきなり生まれてきたやるせなさみたいなものではなくて人と人との間その人との関係性の間に最初からあった距離が少しだけ見えやすくなるだけなのかなというふうに今は思いますね。
全部を分かち合われへんことは絶望というわけではないと思います。
個人的にですけどね。
全部を一人の人に預けなくていい。だからといって全部を一人で抱えなくてもいい。
少しずつ少しずつ置いていける場所を増やしていく。
そしてこの未定で結構という番組もそういった場所の一つになれたら嬉しいなというふうに思います。
次回予告と番組のスタンス
今これを聞いているあなたにも分かってもらえているはずやのにどこか寂しいとか受け入れてもらえてるはずやのに全部は見せられへんとかそういうその後の話ってありますか。
まとまってなくても大丈夫です。
結論がなくても大丈夫です。
その後の話っていうのはもうだいたいまとまらないので。
このフェイクちょっと裏話なんですけどこれなんやかんやで5,6回撮り直せるんです。
途中泣いたりとかして。
いろいろ配信トラブルみたいなのがいろいろあったりして5,6回撮り直せるんです。
そのぐらいまとまってないんです。
なのでね、未定のままで結構です。
次回は一人でも大丈夫と誰もいらないは多分違うよねっていう話をする予定です。
一人でも大丈夫でいたいでも誰も来なくていいわけじゃない。
この2つって似ているようで全然違うと思うんですよね。
なのでまあこれはね言うたら第2話のさらに深掘りしていくお話というか。
第2話を受けてのお話になるので事前に第2話の苦襲を皆さんしっかりしてから聞いていただけたらなと思います。
ではその辺をねまた来週は未定のまま考えていきます。
それではまた次回。
今回のお相手はあなただけのゲートも豆腐でウルフでした。
さいちぇーん。
25:26

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