恋人がいない前提で将来を考えるのは悲観ですか?
2026-05-05 16:46

恋人がいない前提で将来を考えるのは悲観ですか?

恋人がいない前提で将来を考えるのって、悲観なんでしょうか。


第2回は、「恋人がいない前提で将来を考えるのは悲観ですか」をテーマに話しました。

恋愛したい気持ちはある。いい出会いがあれば普通に嬉しい。

でも一方で、「誰かが現れるかもしれない」に人生設計を全部預けるのは、ちょっと怖い。

それって悲観というより、準備なのかもしれない。そんな話をしています。


今回話したこと

・恋人がいない前提で将来を考えると、自分で自分に冷たく感じる理由

・“まだ出会いがあるかも”に人生設計を全部預けることの怖さ

・「誰かと生きる前提」の説明書は多いのに、「ひとり前提」の説明書は薄いという話

・悲観と準備は別ものかもしれない、ということ

・「誰かが現れたら嬉しい」と「ひとりでも回る形にしたい」は両立していいのでは、という話


この番組では、恋愛・家族・将来にまつわる、まだ答えの出ていない本音を募集しています。

まとまってなくて大丈夫。結論がなくても大丈夫。

愚痴でも、相談でも、ぼやきでも大丈夫です。

未定のままで、結構です。


タイムスタンプ

冒頭フック

オープニング|前回からの続きとしての第2回

恋人がいない前提で考えると、感じる切なさ

しんどい理由は、“諦めた人”に見えそうなこと 恋愛は大事。でも、全部を背負わせるには重すぎる 誰かと生きる前提の世の中に思うこと

これは悲観じゃなく準備

一人で生きる覚悟と誰かと生きたい気持ち

この番組で伝えたいこと

締め|おたより募集


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サマリー

このエピソードでは、「恋人がいない前提で将来を考えるのは悲観なのか」というテーマについて語られています。話者は、将来設計を「誰かが現れるかもしれない」という可能性に委ねることへの不安と、一人で生きるための準備をすることの違いについて考察します。恋愛は大切にしつつも、人生の全てを恋愛に依存させるのではなく、自分で人生の計画を立てることの重要性を説いています。これは悲観ではなく、自分の人生を大切にするための「準備」であると結論づけています。

将来を考えることへの切なさ
恋人がいない前提で将来を考えると、たまにちょっと切なくなるんですよね。 なんか自分の中の失礼な司会者が出てきて、「さあ東風亭!ここで早くも現実的な動きです!」みたいなことを言ってくるんですよ。
いや、そういうことじゃないやん!とかって思うんですけど、別に恋愛したい気持ちがなくなったわけじゃないんです。 いい人がおったら普通に嬉しいし、ちゃんとときめく機能も今のところまだ機能している。
でも、その一方で、いつか誰かが現れる前提で人生設計を全部組んでしまうのって、ちょっと怖くないかというふうに思うんですよね。
なんかそれって、希望を大事にしているというより、人生を誰か来るかもっていう画面表示にしたまま、保留にして待っているような感じがするんですよ。
希望は持っていたいんです。でも、希望を生活設計の担当者にはできへんくない?って思うんですよね。
今日は、恋人がおらへん前提で将来を考えるのは悲観なのか。 この話をしていきたいと思います。
番組紹介とテーマの深掘り
ハオー! あなただけのゲイ友、豆腐邸ウルフです。
この番組は中途半端なままが苦手で、何でも白黒つけては完璧を求めすぎて自分を追い込んできた僕が、恋愛、家族、将来、などなど、生きていく中で、まだ答えが出ていないこととか、名前のないモヤモヤを皆さんからのお便りや反応と一緒に、未定のまま少しずつ言葉にしていくラジオ。
未定で結構。うまくまとまってなくて大丈夫。結論が出てなくても大丈夫。未定のままで結構です。
改めまして、第2回目です。前回は自由なのに不安です。 自由が怖いんじゃない。
未来への地図がないのが怖い。というようなお話をしました。 で、今回はその続き延長戦にあるようなお話です。
前回はどちらかというとちょっと感覚的な話に近かったんですけど、今回はその中でもかなり具体的なお話になるかと思います。
多分、なんかこういう話って、みんな1回は頭のどっかで考えたことあると思うんですけど、
友達とお茶してる時とかにちょっと口にすると、なぜか少し空気が重くなるようなやつです。
一人前提の将来設計と社会
なんででしょうね。というわけでね、恋人がいない前提で将来を考えるのは悲観なのか。
今日はこれをテーマにしてお話をしていきます。 まず最初に言いたいんですけど、このテーマって自分の中でこう考えてるだけでちょっとだけね、
なんていうのか居心地が悪いというか、なんかモヤモヤするというか、不安を煽るようなお話なんですよね。
っていうのも、恋人がいない前提で将来を考えるって、その地面だけ見てしまうとものすごい寂しい将来のことを考えてるじゃないですか。
なんかね、例えるなら自分で先回りをして、じゃああなたの人生この先一人前提のパターンで先に書類を用意しておきますねっていう風にやってるような感じがするんですよ。
で、そういうことを考えてる自分を見た心の中の失礼な司会者が言うんですよ。
おっとここで頭風邸だいぶ現実寄りですとか実況してくるんですよ。 うるさいって黙っててくれって思うんですね。
本音を言えば、そんなことを考えて済むような恋人ができたら普通にめっちゃ嬉しいし、誰かといい関係になれたらいいなって思う気持ちはちゃんとあるんですよね。
でもその一方で現実もちゃんと見てるんですよ。 もし期待通りの恋人ができなかった場合も人生というのは普通に続いていくよね。
その人と出会えたとしても一寸先は闇とは言わんけど、死ぬまで一緒に添い遂げられるかはわからへんよね。
でもいずれの場合も人生は続いていくよね。 だからここから先は多分大事なのって恋愛を諦めるかとか今パートナーがおるからどうとかじゃなくて、
自分の人生を保留にしないかどうか、ちゃんと責任を持てるかどうかっていうところなんじゃないかなというふうに思うんですね。
「諦めた人」と見られることへの違和感
でね、こういうお話を友達とお茶しながらたまにしたりとかすると人によるんですけど、
なんか僕のことをもう全部恋愛は諦めた人みたいに見る人がたまにおるんですよ。
わかります?老後の住まいのことを考えるとか、老後のお金を気にするとか、一人のまま病気になったらどうしようとか、そういうことをたまに考えるんやねんっていう話をすると、
いやいやいやいやいや、まだわからへんやん、若いんやし大丈夫?とかさ、これからきっといい出会いあるよとか言ってくる人おるんですよ。
あの、なんていうんやろ、親切心理多分言ってくれてるんやと思うし、もちろんそれはそうなんですよ。
まだ36やし、50代60代70代でも出会ってる人はおる。土日の早稲田のサイゼリア行ってみてください。
おじいちゃんおばあちゃんが合コンしてるっていう噂があります。
だからね、いくつになっても出会いってきっとあるんですよ。ほんまにそうそれは。いい出会いはきっとある。
でも、あるかもしれへんっていう可能性に人生の設計をすべて、こうなんていうの、預けてしまうっていうのかな、はちょっと怖いと思うんですよね。
それって、なんか、なんていうのかな、まだ着るかもしれへん服をずっと部屋干してるみたいな。クローゼットの手前でずっと部屋干してかけてるみたいな。
でもその分だけ部屋が少し狭くなって生活しづらくなってるみたいな感じですね。希望はある。
だけど出しっぱなしにしてるせいで生活がちょっとしづらくなってる。生活動線悪くなってるみたいな感じです。
希望を持つこと自体はとても良い。でもそれに全別として待つことと泊まることって違うよっていう風に、僕個人としては最近すごく思うんですね。
で、さらに思うのが、恋愛ってもちろん大切なんですけど、人生の全部を支えてもらう柱として使うにはちょっと荷が重すぎるんじゃないですかっていうことなんですよね。
というのは、恋愛って本来は気持ちの話じゃないですか。相手との関係の話でもあるし、相性の話でもあるし、タイミングの話でもある。
やのにそこに老後の不安も病気の時の不安も住まいの問題も孤独の問題も全部よろしくみたいな感じで乗っけるとだいぶ重くないですかと。
恋愛に総務と経理と老後相談窓口まで兼務させるのはだいぶブラック運用やと僕は思うんですよ。
恋愛はあったら嬉しいよ。めちゃくちゃ嬉しい。でも、自分の人生の全部の責任者にはできへんよねっていうところ。
「誰かと生きる前提」の社会と説明書の不足
この感覚が僕の中では最近かなり大事やなというふうに感じております。で、そもそもなんでこんなことを考えるのかっていうと、やっぱりね、こんなこと言いたくないんですけど、世の中がまだまだ誰かと生きる前提で設計されてるからと思うんですよ。
結婚して家族になって二人で支え合ってみたいな。もちろんね、世の中がそういう前提で設計されてることを悪いというふうに言いたいわけでもないし、そういうふうに思ってるわけでもないです。必要なことやと思うし、むしろいいなと思うことだって普通にあります。
でもね、問題なのは、そのルートに乗ってない人生を歩んでる人たちの説明書って、急にIKEAの家具みたいになるんですよ。絵しかないんですよ。文字がないんですよ。しかも、この板ほんまにここで合ってるみたいな、ここで使ってええの?みたいな不安がずっとあるんです。
家どうすんの?親のことどうすんの?病気の時どうなりすんの?お金はどうなりすんの?老後どうなりして生きていく?
パートナーがいる前提やったら、こういった疑問に対してなんとなく書くことができる?埋めることができるんですよね。でも、一人前提になると、それを急に全部自分で書いていかなあかんくなる。
やのに、その話をすると、なぜかちょっと空気が重くなるというか、いやいや、また大丈夫ですよ、みたいな謎のフォローを入れられる。いやいやいや、待って、と。そちらさんは最初から、人生の見本、いっぱいあるからええよね?って思っちゃうんですよ、僕も。
でもこちとら、余白だらけのノート渡されてるから、早めに計画立てとかなあ、後で自分が困るねん、って思っちゃうんですよね。
しばらく未定のままでお待ちください。
悲観と準備は別物
で、今回の僕の中の結論?みたいなところにここからなってくる、一番言いたいところになってくるんですけど、僕自身は悲観と準備というのはもう全くの別物というふうに思っております。
悲観というのは、どうせ無理だとか、もう終わりだとか、期待してても無駄みたいな、そういう感じの感情やと思うんですね。
でも恋人がおらへん前提で将来を考えるって、そうなってしまった場合でも、自分の人生、自分で困りすぎへんようにするっていう準備に近い気がするんです。
傘を持って出かけるのだって、空に絶望してるわけじゃないじゃないですか。
終電を調べるのだって、夜に不安を抱いてるわけじゃないじゃないですか。
保険に入るのだって、不幸を願ってるからじゃないじゃないですか。
ただ、全部それをミスった時に困ると面倒やからっていうだけなんですよ。
もうシンプル、それだけ。
恋人がおらへん前提で将来を考えるのも、多分全く同じやと思うんですよね。
もちろんね、そこに寂しさという感情がゼロなわけじゃない。
こういう時、もし一人やったら、僕どないなるんやろって不安になる日もある。
でも、その不安があるからこそ、少し整えておきたい。
少し考えておきたい。
それって夢を捨てたというより、自分の人生を雑に扱わないということなんじゃないかなと思うんです。
両立する二つの気持ち
この恋愛したいなっていう気持ちと、一人でも回る形にしておきたいっていう気持ちは、
全然両立していいよねというふうに思うんですよね。
誰かが自分の人生の中で現れて関与してくれる人、素敵な人が現れたらめっちゃ嬉しい。
今後も恋愛もしたい。いい関係も欲しい。
こういう気持ちは普通にある。
でも、同時に一人でもある程度ちゃんと回せる生活にしておきたい。
誰か死ぬまでに出会えると思うから大丈夫みたいなふうに、将来を全部預けない形にしておきたい。
この気持ちももちろんある。
で、この2つの気持ちって別に喧嘩しないくないっていうふうに思うんですよね。
むしろ希望は持つ。全然持つ。
でも、どんなに希望を持ってたとしても、自分の人生の段取りは人任せにしない。
そのくらいがちょうどいいんじゃないっていうふうに思うんですよね。
恋愛は大歓迎。どんと来て。いつでもウェルカム。
でも、僕はそのお相手の方に全部乗っかる?寄りかかるつもりはないし、寄りかかられても困るみたいな。
恋愛をインフラにはしない。人生のインフラにはしない。
この言葉が今のところ僕の中でかなりしっくりきています。
番組で伝えたいこととリスナーへの問いかけ
この番組でお話ししていきたいのは、こういう話でもあるんですよ。
大げさに不幸を語りたいというわけではない。
でも、明るい前向きワードだけで流していきたいとも思っていない。
恋愛もしたい。希望も捨ててない。
でも、その一方で、自分の人生この先一生一人で生きていくかもしれへんっていう可能性のある未来を考えへんのは、なんか変じゃない?っていうふうに僕は思う。
こういう希望的観測と現実の間で揺れる話って、意外とちゃんと話せる場所が少ない。
さっきも言ったように、ちょっと不安かもみたいなこと言うと、いやまだ大丈夫やってって言われる、謎のフォローされる。
その時点でもちゃんと話せなくなっちゃうじゃないですか。
だから、この番組では答えの出ていないことを出ていないまま持ち寄れたらいいなというふうに思ってるんです。
いや、それ私もたまに考えるわとか、分かる、でもそれ口にするとなんか縁起悪い気がして言われへんとか、そういうね、ちょっと複雑な気持ちがある人たちと一緒に。
エンディングと次回予告
本日の未定は終了いたしました。続きはまた次回で結構です。
というわけで第2回は恋人がいない前提で将来を考えるのは悲観ですかというテーマでお話をしてみました。
今のところ僕の答えとしては悲観というより準備かもしれへんねというところですね。
誰かが現れたら嬉しい、恋愛もしていきたい、いい関係も欲しい。でも同時に誰かが現れるまで自分の人生を保留画面のままにしておくのはちょっと怖い。
希望は持ってる。でも段取りを人任せにはしない。 そのくらいが今の僕にはちょうどいいのかもしれません。
ほんでですねここで少しだけお礼を言わせてください。 第1話を配信してから想像していた以上にたくさんの感想や反応をいただいております。
Xのポストでも引用ポストもコメントもDMもお便りフォームもちゃんと全部目を通しております。
ほんまにありがとうございます。実はですねこの番組第1話をリリースした時点でですね第3話くらいまでは先に収録しておりまして
いただいたお便りや感想というのをですねまだ本編の中でちゃんとご紹介できておりません。 が、が、読んでます。めちゃくちゃ読んでます。
自由は親切じゃないよねとかこれは悲観じゃなくて準備だと思うとか幸せなロールモデルが見え
へんのは不安よねとか皆さんの言葉を読んで僕の中でもこの番組の輪郭というのが少しずつ少しずつはっきりしてきています。
この番組は僕が一人で正解を淡々と話していく場所正解を追求していく場所というよりかは未定のままの気持ちを
皆さんと少しずつ少しずつ持ち寄れる場所にしていきたいなというふうに改めて思いました。 だから綺麗にまとまってなくて大丈夫なんです。
わかるだけでもいいし僕はちょっとちゃうかもでもいいしうまく言われへんけど引っかかりましたでも大丈夫です。
その声はちゃんと全部僕のところに届いております。 あとですねノートでは配信工期も更新しております。
本編で話したことを文章で振り返ったりだとかいただいた感想から考えたことをさらに記述してみたりだとか
第1話についてもですねとある感想をピックアップしてノートにまとめてあるのでまあ音声の後にもう少し余韻に浸りたいよという方は良かったらノートもフォローして覗いてみてください。
そして次回はこんなテーマでお話をいたします。
言えたでも全部は分かち合えないカミングアウトのその後の話。
こんなテーマでお話をする予定です。 そこで今日は最後に皆さんにこれを聞かせてください。
あなたには言えたけど全部は分かち合えなかったことはありますか? 家族に言えた。友達に話せた。誰かに本音を打ち明けられた。
でも言えたからといって全部が伝わったわけではなかった。 少し楽になったけど少しだけ寂しさも残った。
そんな経験があればコメントでもお便りでもDMでも何でも大丈夫です。 一言でもまとまっていなくても大丈夫です。
先ほど申し上げたように3話はもう撮ってしまっているのでご紹介できるのはノートなのか第4話なのかちょっとわかんないですけどどっかしらで取り上げる予定ではおります。
かつ一言でもまとまっていなくても大丈夫です。 そしてもし今日の話に一つでもそれなーって思うところがあればぜひ番組をフォローしておいてください。
この番組は未定のままでも生きている人の声をこれからも少しずつ集めていきたいと思っております。
未定のままでも考えることはできる。ちゃんと決まってなくても人生は進む。 だったらせめてその途中の声をおいていけたらいい。
その続きはまた次回。 今回のお相手はあなただけのゲイトも豆腐でウルフでした。
さいちぇーん
16:46

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