ポロローグとの出会い
のみさん、ミライラジオがもう半年迎えたじゃないですか。
のみ いや、ついに行きましたね。
だからね、今回特別企画やろうかなと思ってて。
のみ お、特別。
この番組って、正式名称はミライラジオ 技術と文化の未来を楽しむなわけじゃないですか。
のみ そうですね、そうですね。
だから、技術と文化を語るにふさわしい人みたいなと思ってまして。
のみ すげえ、ハードル上げるけど大丈夫ですか?
めちゃくちゃ今ゲストのハードル上がったかもしれないですけど。
ずっとね、話したいと思ってる人がいたんですよ。
もう技術と文化、この人話したいみたいな。
のみ でも横田さん、結構なんか呼びたいんだよねってずっと言った人が。
いやそうですよ。もう数ヶ月、半年くらい行ってたかな。
最初に声かけるか迷った時期もあって。
のみ はいはいはい。
いやーちょっと失礼じゃないから突然声かけても大丈夫かなみたいな、恐れ多すぎてちょっと。
のみ だって記念すべき10回で呼ぼうかっていう話してね。
あーそうそうそうそう。
のみ 結構ね、あっためたからね。
そうそうそう、あっためてたんですけれど。いやー今日ついに叶えましたよ。
のみ お。
お呼びいたします。ご紹介いたしましょう、特別ゲストのフォロローグさんです。
学生時代の取り組み
フォロローグ よろしくお願いします。
のみ 上げるだけハードル上げて紹介するっていう。
フォロローグ フォロローグです。お願いします。
フォロローグさんはモグラゲームスでライターとか、あとモグラVRでもだいぶライターをされていらっしゃって、
フリーゲームも詳しければVRとかVTuberにもめちゃくちゃ詳しいっていう方で、
まさに今ってインディーゲームもすごいエンタメとして流行ってるじゃないですか。
インディーゲームとかVR、VTuberが流行ってる中で、まさに技術と文化の人だって私は思ってて。
昔、フリーゲームの二次創作オンリーの同人即売会があって、そこで私がサークルとしてハンプしてるときにお会いして、
どんなフリーゲームの話をしても帰ってくるんですよ。
おだしょー すごい。懐かしいですね、突然の遭遇があり。
フォロロー そうなんですよ。それがすごい印象的で、どうやったらこんなにいっぱいフリーゲーム知ってる人が生まれるんだっていうのが、
いっぱい気になってて、でも調べても出てこないんですよ。
世の中大抵のライターさんって、そのライターさんにインタビューされてる記事ってほとんどないんですよね。
おだしょー 確かにインタビューする側はあるけどされる側はないんだよね。
フォロロー そう、せいぜい対談があるんだけど、そのライターさんがどういう人生を歩んできたかっていうインタビューって、
大体されてるの見たことないんだよね。
これ多分ライターさんあるあるかもしれないけど。
おだしょー はいはいはい、そうですね。
フォロロー なんで今日はね、そのポロローグさん自身がどういう生い立ちで育ってきたのかっていうのを深掘りしながら、
今のポロローグさんが形作られてきた流れについて話していければなっていうところを思っています。
おだしょー いやーちょっと普通の人生のあれで恐縮ですが。
フォロロー いやいやいや、普通の人生じゃない。
おだしょー 普通の人生でフリーゲーム何本やったかわかんないけど、たぶん100本くらいやってる人だからっていう。
実際起こんないんで。
っていうところで、だから今日はおおむね3本立てぐらい。
おおむね3人のそれぞれの出会いの話とか、共通点の話から始めて、
で次にポロローグさんの幼少期とか大学生時代の研究のお話とか話した上で、
で今のその後モグラゲームズがどうやって立ち上がってきたかとか、
あと話せる範囲内で話してもらった後で今後やってみたいこととか、
今興味あることなどのお話ができればなと思ってます。
おだしょー お願いします。
おだしょー 農民と横井のミライラジオ、今週はスペシャルゲストのポロローグさんにタイトルコールをお願いしております。
それではどうぞ。
ポロロー 新しい技術と文化を楽しむミライラジオ。
家庭環境と影響
おだしょー ということでまずね、出会いなんですけど、
ここら辺の流れがちょっと今日組めるように、
フリーゲームとVRとVTuberに関してっていうすごい内容で、
昨日10時間くらいかけてめちゃくちゃ頑張って年表作ってきたんですけれど、
びっくりしたんですけれど、まず3人とプログラマー経験があるっていうのが共通点として一つあるのと、
まとめて驚いたのが、3人とも大学生時代にゲームに関してめちゃくちゃ真剣に向き合ってるっていう。
実はね。
経験があるっていうのが結構驚いたことで、
私は実は大学3年生くらいの時、私大学生の時って基本引きこもりでうつ病引きこもりだったんですけど、
ちょっとなんか音楽を作ってたっていうのもあって、
曲作りをするにはテーマがあったほうがいいなって思って、
それで北海道大学のゲーム制作サークルカワズっていうのが、今頑張って名前にあってるんですけど、
そこに3年生くらいかな。正しくは単位取ってないんで、3回生って言ったほうが正しいかもしれない。
その3年生くらいの時に、音楽作るためにそのカワズってところに入って、1年くらい創作活動に携わって、
GGJ、グローバルゲームジャムっていうのにも、2013年に参加したっていうのもあったりしましたし。
えー、でも実際なんかフリーゲームとかも、なんかやっぱりすごい流行りまくるゲームって、
音楽がいいとかめちゃくちゃあるから、そこの相性すごいいいよね。
ああ、そうですね。で、あとのみさんもあれだよね、なんかそのゲーム、ファミスタのちって言われる人?
そうそうそう、岸本先生が偶然、大学生の時に横浜の学生向けに、
セデック無料で招待しますっていうのがあって。
ああ、ヤバいですね。
マジでみたいな、あれを無料で行けるの?って。
しかも、でも無料で行くからにはちょっと勉強してもらうんで、それこそ岸本さんとかなんとかとか、
ゲーム業界の重鎮の人たちの指導というかね、講義受けてもらいますって書いてあって、
え、いいことしかないじゃんって思って、もう速攻行こうと思って行って、その後にも、
いややっぱりちょっとこれ真剣に勉強しなきゃいけないと思って、岸本先生に電話して、
ちょっとあのいろいろ教えてもらえませんかって。
あ、じゃああの火曜日の6時とか18時とかにうちの学校来てくれたらちょっと教えるよみたいな感じで呼んでくれて、
それでもう1年ぐらいとか勉強を教えてもらいに行くみたいな。
すごいですね。
そうが、その大学時代のゲームですね。
ああ、なるほど。で、その後あれですね、ゲーミフィケーションとか学んで、
それを活かした地域アプリ、スマホアプリを作ったりとかね。
でもそれで言うと、この今回の文脈で言うと、実はウルフエディターっていうフェームのエンジンがあって、
俺がプログラミングっぽいのに触った一番最初、実はウルフエディターなんですよ。
ああ、そっちなんですね。
最初ウルフエディターでやってて、変数とか関数の概念を学んで、
もっとややこしいのやりたいとか、あれでシューティングゲームとか一人で作ってたんだけど、
あれと思って、これ実はプログラミングっていうのでやった方が早いんじゃないっていうところに気づき、
これ実はRPG作るゲームのエンジンだと気づいて、
そっからプログラミング触り始めるっていうのが俺のプログラミングの流れだから、
実はこっから始まってる、ウルフエディターから。
ウルフはRPGエディター、これも多分いつ作られたかどっかに書いてある。
2008年ですね、2008年にウルフエディターが初公開されたっていうのが今、年表にも書いてありますけれど、
そこが最初だったんですね。
そっからですね、この後に僕Unity触り始めたんで、
ウルフエディターUnityからのスマホアプリっていう。
はいはいはい、理想的なコースじゃないですか。
あとあれですよね、RPG作るとかがあって、
ウルフエディターってやっぱりそれと、ある種二大装壁みたいな、
ゲーム制作闘龍門みたいなエンジンがあって、
そっからUnity開発みたいな感じで、すごく理想的なファンルートがあって。
全然ゲーム制作者の方に行っててもおかしくなかったよな。
確かに確かに。
わかり方をしましたね。
それの後に岸本先生に教えてもらってるのに、
なぜゲーム行かなかったってくらいなのかね。
そっちからスマホアプリの方に行ったっていうのが面白いところでしたね。
確かに確かに。
私スクール系で言うと最初あれだったな、
プレステのRPGスクール3が最初だったな。
渋いですね。
それで最初ゲーム作ったのが、
一番最初だったらアクションパズルゲームみたいなのを、
ちっちゃいのを作ったのが。
はいはいはい。
一番最初だったのは何歳だろう。
RPGスクールでパズルゲームを作ったんですね。
そうですね。
みんなRPG作ってないな。
RPG作ってない。
そろそろ最初何でしたスクールとかは。
最初はですね、スクール数ハミのRPGスクール2でしたね。
すごい。
すごい。やっぱみんな触っててちゃんと。
結構やっぱみんな多分スクール系触ってるんですよね。
やっぱ慣れめくしてなってんだみんな。
そうですね。誰しもゲーム作りたいけどどうしようみたいな感じになった子供は
だいたいスクールにはまるみたいな。
間違いない。
すごいな。
今ではユニティみたいな感じですね。
確かに。
Prologueと当時ちゃんと作れましたゲーム。
当時はもうめっちゃ作りまして、もう20作ぐらいエターなりましたね。
すごいなでも。アイディアはそんなわけない。
もう序盤を作ってもう終わるみたいな。
エターなりまくってますねちょっともう。
スーパーAの頃ってことは小学生ぐらいですかそれは。
そうですね。小学校の低学年ぐらいで初めてやって。
早いですね。
エターナル経験も早い。
エターナル経験も早い。失敗は早めにいってのがセオリーですかね。
早いな。
すごいな。じゃあ結構あれですね。だいぶ早い時期にね、
ゲーム制作ってものに興味持ち出してるんですね。
そうですね。もともとやっぱゲームが結構全般的に好きで、
作りたいなってちょうどスクールがあってやってみようみたいなのがきっかけでしたね。
そうなんですね。せっかくだからちょっと幼少期でどんな家庭で育てられたのかも流れで聞きたいんですけど、
プロローグさんの家庭って子供の時親御さんとか家の周りにあったものとかってどういうものが振り返ると印象的でした。
本当に普通のサラリーマン家庭みたいな感じで、そんな特殊なことはなかった感じで、
ただ割とやりたいことはスピンさせてくれたみたいな感じで、もちろんゲームも1日何時間というルールはあるんですけど、
学生時代の影響
基本的にそれを守っていれば干渉されないみたいな感じで、割と好き勝手できたかなっていう感じですね。
あと福田が結構近所の子とかも結構多かったんで、外で遊びつつゲームやりつつみたいな感じで、
割といろいろやりたいことやるみたいな感じの本当にここみたいな感じで。
そうなんですね。ゲーム何時間までだったんですか。
1日確か2時間までで、正直ながらだんだん破って、中学に上がって3時間。
守れないな中学の3時間は。
でも2時間も結構長いけどね。
欲望がなんかこうね、すでにハマるみたいな感じで、今に至るみたいな感じですねずっと。
そうなんですね。
あと家だと猫を昔飼ってまして、意外とゲーム制作者とかそういう関連って意外と猫飼いが多いなってのが最近。
意外と何だっけ、カービィの桜井さんも飼ってらっしゃいます。
ゲーム制作者として飼ってらっしゃるかなって。結構そういう猫飼いの人が多いなって思いますね。
おだしょー 不確定要素の塊ですからね猫を。
確かに確かに。
おだしょー 面白いですからね。
確かに確かに見てて面白いみたいな感じですかね。
でも情緒育ちやすいのかもしれないですね。やっぱり猫がいるっていうのは。
ああかもしんないですね。それが確かに影響あったかもしれないですね。
感情が豊かになりやすいとかあるのかもしれないですね。
確かに友人猫ゲームとかで本当にいろんな情緒のフルコースみたいな感じが集中できた感じがありますね。
おだしょー 素晴らしい。
やっぱりその情緒が育ったのも結構大事だったのかもしれないですね。ただのゲーマーだけじゃなくて。
音楽との出会い
ゲームの作りとかも、ゲームの紹介とかも情緒みたいな部分で結構大事だった気がする。
そこは確かに子供の頃に作ってよかったなって思いましたね。
そうなんですね。面白いな。
おだしょー でもそんなガッツリゲームハマる、その環境で最初の方にやって、ゲーム面白いってなるきっかけとかってなんだったんですか。このゲームでみたいな。
自分の世代って結構小学生低学年頃からスーパーミーがあってプレステがあって、みんなハマってる中で。
一番ゲームヤバいなって思ったのが、女神転生とか作ってるアトラスの作品があって。
女神転生の外伝みたいな作品で、ラストバイブルっていうゲームがありまして。
それにめちゃくちゃハマって以来、さらにゲーム好きになったみたいな感じですね。
最初にやったゲーム覚えてます?今、子供の時に一番触れたのって何だったの。
あー結構、あれですね。たぶん幼稚園の子にサガ2ですね。ゲームボーイの。
あーそうなんですね。ゲームボーイなんですね、最初。
ゲームボーイですね、ゲームボーイですね。
さっかー。
たぶんマリオとか、あとサガとかでしたね。初めて触れたのは。
あー。
ちゃんとRPGなんだな。
そうなんですよ。RPGもなんかね、昔から増えたっていう。
そうですね。そっか。意外と自分RPGじゃないんだよな、たぶんな、あんまり。
はいはい、そうなんですね。なるほど。
たぶん友達の家でやったボンバーマンとか、そっちの方の印象の方が強い。
いやーでもボンバーマンハマりますよね、子供の頃は。
そうですね。
ずっとできるからな。
最初はね、家に中なくて、友達の家にファミコンがあって、みたいな感じが最初だったんで。
はいはい。
その後スーハメになっても、家にスーパーボンバーマンが来たのちょっと後の方なんですよね。
はいはいはいはい。
だから友達の家でやってるスーパーボンバーマンのルーイがいるやつとか、印象が強いな、自分だからと。
はいはいはい、ありますね。ボンバーマン、でもそうですね、その時結構出てましたもんね、シリウとかもかなり。
そうですね。
うーん。
そうだな、それが最初だな。それでだんだんとゲームにハマって。
でもよくそれで机に手で出ますよね、あんまりそこにつながんないなって気持ちで。
確かに、何だろうな、たぶん欲しくて買ってもらってみたいな感じな気がしますね。
そうですね、親も買わないですよね、机を。
そうですね、ゲーム好きで作ってみたいからみたいな感じで買って、そっからどっぷりみたいな感じな気がしますね。
笑
結構なんか制作ツール系結構好きだった気がしますね。
マリオペイントとかってあったじゃないですか。
ああ、マリオペイント。
確かあれとかもやってた気がしますね。
へえ。
しかもマリオペイントはペイントじゃなくて、音楽作るモードがあって、そればっかりやってました。
そうなんですね。音楽はいつ学ばれたんですか、最初。
音楽、そうですね、自分が結構高校とかからDTMやってて。
なんと。
ただ学んだのは本当に画流みたいな感じでしたね。
家にあったキーボードとかを弾くために適当な楽譜買って、画流で弾いてみたりして、そこから面白いなってなって、DTMの作曲のほうに確か中高で走ったみたいな感じでしたね。
早いですね、それも。
中学頃、ちょうどガンダムシーズンとかがすごい流行ってて、あれで劇館が結構かっこよくて、あれを耳コピしたのが確か初めてだった気がしますね。
すごいな、なんか、謎に自分自身で英才教育を施してる。
勝手に実装してやるみたいな感じですね。
そうですね。
特に習い事が強制されなかったんですけど、得たことは自分でやっちゃったみたいな感じですね。
すごいですね、習い事そんなに活かされてたタイプじゃないんですね。
そうですね、小学校でサッカーやってたぐらいみたいな感じでしたね。
そうなんですね、それなのにマリオペイントで自分で曲作るところを。
ゲームとかDTMにして。
すごい子供だ。
自分は横江さんともしかしたら似てるかもしれないですけど、ゲームと音楽って結構切り離せない要素が一つになるかなと思ってて。
プログラミングとインターネット
そうですね。
音楽が、すごい良いシーンで音楽も良いと相乗効果で燃えるみたいなのもあると思うんですけど、
そういう要素要素の掛け算がすごいゲームの特色だと思って。
ゲームには良い音楽が必要だなと思って、じゃあ音楽も作るようになろうみたいな感じになった気がして。
そうなんですね。
すごい、それをその年齢でやってることがビビりますけどね。
中学生か考えてみたら、中2、3くらいか。私はゲーム音楽なんですよね、やっぱりスタートが。
当時ナムコのモジピッタンっていうゲームがあって、それがベストバーガリストで安いから親に買ってもらえたんですよ。
当時2000円くらいで買えたのかな。クリスマスの頃に買ってもらって、それでホームページも見て、
当時ホームページで音楽が配布されてたんで、ダウンロードしてよく聴いてたんですよね。
配布があったんだ。
そうなんですよ、たぶんWMAファイルを。
良いやつが。
時代を感じたもんね。
時代を感じた、確かに。
配布してて、それで遊んで、それでこの曲をたぶんどっかの年齢になってからチャックベロにしたいなって思い始めて、それでチェリーかドミノかで。
いやもうめっちゃ懐かしいですね、チェリーとかドミノって言われると。
そうそうそう。最初通る道ですからね。
自分の中のミノ式っていうシーケンサーがあって、それで確か入門した気がしますね。
すごいなあ、そうなんだ。そういう感じで2人とも大体中学生くらいでDTMを始め。
そうっすね、そうっすね。
え、ホロログさんいつでした?家にパソコンが来たのって。
ちょうどたぶん中学2年くらいが初めて来て、確かその時がまさにネットがすごい盛り上がりつつあるみたいな。
第2次ブームみたいな感じで、確かハンゲームにずっと指立ってましたね。
ああ懐かしい。ずっといた僕も。
まずかね。
ハンゲームは楽しかったなあ。
ハンゲームは楽しかった。
ハンゲームのなんだっけ、エスコンのしょぼいやつ。
ああ好きだった。
キャットだけでも普通に楽しいみたいなのがあったり、ビリビリときましたね。
それこそVTuberで、ちょっと最近とは言い難いけど流行ったお絵かきの森とかも、あの時代からずっとやってたよみたいな。
やっと広めを出たかみたいな気持ちになって。
そうっすね、そうっすね。
ああそうなんだ。
でもパソコンで言うと横江さんは早かったんです?
私は小6のときに家にWindows 98 SEが来たのが最初でしたね。
最初は触らせてもらえなかったんだけど、だんだん隠れて触ったりとか。深夜に隠れて触ったりとか。
ところから始まり、もう一つ触ってましたね。
ちなみに僕はパソコンだけだったら死ぬほど早いんで。
そうですよね、のみさんは早い確かに。
幼稚園の頃にはもう教養パソコンを触らせてもらって。
小学生に上がるときには自分専用のパソコン用意されてたんで、1年生のときは。
英才教育だ。
最初触ったのはWindows 95くらいから触って、98とかで自分のパソコン。
もうちょい後のやつか、2000とかになるのか、さすがに。
とかになったときには、小学生は2000か。
なんで小学生のときに2000を当てがわれと遊んでるっていう。
すごいなあ。
じゃあプログラミングをしたのはもう小学生のとき?ではないんだっけ?
なんでそう、ウリターで入ったから実は僕、中学3年か高校かぐらいでちゃんとプログラミング入って、
それまではずっと柔道で親を倒すためだけのことしか考えてなかったから。
おお。
パソコンあるけど、パソコンで調べたりとか、それこそポストペットっていうのにハマってて。
ああ、ポストペット。何かわかんないわ、私、あれ。
ポストペットってメールを送る仕組みがかわいいっていうのがベースなんだけど、
でもやっぱり一番最初メールが発展したのは俺、ポストペットのおかげだと勝手に思ってて。
メールの送信の概念って難しいんだけど、パソコンの中にキャラクターがいて、その子に手紙を渡すとデジタル上で持っててくれるっていう、
メールの可視化をしたのが結構画期的で。
しっかりそうか。
だからそのあたりのメール回りのところだったりとか、関連したゲームだったりとか、
それこそペットにあげるためのアイテムを作りましょうとか、いろんなサブコンテンツがあったから、
提供されているコンテンツをいじり倒して遊ぶみたいなのが小学生の最初の頃。
いろんなプロダクト触ってみたりとかやって、やっと売りたでプログラミングに気づくっていう。
中学時代ずっと柔道しかしてなかったからね。気づくの遅れてしまった。
でもあれだね、その前まではインターネット楽しい日を過ごしてたんだね。
そうそうそう。だからスカイプとかすごい仲良かったね。
懐かしいスカイプ。
喋ってた?スカイプ。
スカイプとハンゲームがあれば大体楽しかったからな。
確かに。無限に友達の輪が広がるみたいな。
中学高校のゲーム体験
すごかったですよね。知らない人とチャットで喋るのが当たり前だった時代って。
すごいですね。
あれ独特でしたよね。
じゃあポトバグさんの中学高校の時代って、もうそればっかりだったんですか?ゲームの世界。
ポトバグ 中学は結構まさにPC来て、音ゲーがハンゲームとか音ゲーとか。
ポトバグ あとファンタシースターオンラインが確か中学の。
あれ、あれもめっちゃCIとハマっててやってましたね。
ポトバグ あれは沼流。
あれ沼流でしたね。あれが結構音ゲーの多分、自分としてはかなり初めてに近い。
初めて彼がハマったので初めてに近いみたいな感じでしたね。
そうだったんですね。部活はやってたんですか?中学高校って。
部活確かどうだったっけな。中学は確かあれかな。
卓球とパソコンがちょうど学校に入ったのでPCもなかったみたいな感じでした。
パソコン部みたいなのがあったんですか?
そうです。そこはプログラミングっていうよりか遊びの延長線みたいな感じだったので。
そんなに激しくプログラムしてるとか全然なかったですね。
楽しそうだな。いいですね。高校も似たような形だったんですかね?
高校は逆に、高1から逆にリアルにかなり寄って。
高校時代は実はゲーム少し抜けた時期があって。
そうなんですか?その流れで?
高校は逆に知り合い、当時の友達の紹介でテニス部に入って。
すごい。アクティブな方に急にアクティブになりました。
高校の部活って毎日クラスと日試合とかだからひたすらそれでやって、3年後受験でみたいな感じで。
すごい。だいぶ真面目になってテニス部に入って。
高校は2年、3年最初までずっと部活やってて、変差値やべえってなって1年で万々回して大学に行く。
ただあれですね、DTMとかの経験とかあったんで、クラスで合唱コンとかあるじゃないですか。
これの練習用のアカペラのシェイプをDTMで作って、夢みたいな感じでやって優勝まで持っていくみたいな。
クラスに貢献してる。いいですね。すごい。
高校は昔で言うリア充的な感じになって、リアルに決まりをつけてきましたね。
逆にそこからちゃんとこっち側に戻ってきましたね。
戻ってきましたね。重力があったんですね。
高校生徒にリアルリトルバスターズみたいな高校生活みたいな。野球とか普通にやってましたしね。
青春をしてる。
青春をして、そこから再び重力でゲームの方に。
理想的かもしれない。一番青春だけとりあえずやって戻ってくる。
綺麗な青年期を過ごしている。
多分一本筋やってる人がすると怒られちゃうかもしれない。
でもいろんな経験がないと作れないですからね。
陰キャと陽キャってちゃんと行き来できるんだなって。
陰キャと陽キャをシャトルランで行ってくる。
それだとまさに高校DTMとか部活とか。
うちの高校特殊で文化祭の出し物を演劇にしなくちゃいけないという縛りが全くあって。
3年ずっと演劇みたいな感じでした。
厳しいというか不思議な気持ちで。
アニメの世界みたいだね。
そうだね。ラノベの高校会みたいな感じで。
なぜか演劇をするみたいな。
めっちゃいいな。
なぜか生徒会は毎回演劇をする決まりがあるみたいな。
そうだったんですね。
高校はいろんな幅広みたいなのがまた広くなって、今に結構つながってる気がしますね。
確かに大事な経験だ、そこ。
面白いですね。家に帰ってPSをやってみたいな感じだったんですよね、高校も。
高校は結構抜けてましたね。家に帰って普通に知り合いと遊ぶみたいな感じ。
ゲームはちょっとやったぐらいから。
インタビューの展開
そんなに抜けられるもんなんだ。
高校2年ぐらいは本当に抜けてました。
テニス部っていう新しいゲームがね、大容量ゲームが目の前に。
大容量ゲームがオープンワールドが急に出てきてしまったり、どのスキルを伸ばしてみたいなところにハマってたり。
いくらやってても親に怒られないしな。
そうですね。大概的には健全だから無限にやってみたら、そのゲームがみたいな。
すごいですね。高校が一番不思議だな。
すごい不思議ですね。中学、大学でサンドイッチで高校なぜかなんか弱気になるみたいな。
想像いない人生を送ってる。
というわけでポロローグさんへのインタビュー、第1回目いかがだったでしょうか。収録後の横江です。
本当にね、インタビューに応じていただけて大変嬉しかったですね。
もともとXとか繋がってなくて、まずめちゃくちゃ話しかけて大丈夫かなみたいなところですごい緊張してたんですけど、それでもめちゃくちゃポロローグさんへのインタビューしたかったんですよ。
これでもなんだろうな、この気持ち表現すっごい難しいんですけど、自分すごい同時文化とか大好きで、
そういういろんなアイディアで思いついたものを公開するっていう文化がやっぱり面白いなって思ってる中で、このすごくフリーゲームに詳しいポロローグさんに一回話してみたかったんですよ。
ポロローグさん自身がどうしてこんなにフリーゲームに愛を持ってやり続けられるのかもそうですし、どういうふうに出来上がったんだろうみたいな。
そういう元々はみたいなところも伺いたかったんで、今回インタビューをしていただけて本当に嬉しかったです。話してみるとね、やっぱり全員作り触ってんだなみたいなのもすごい面白かったです。
誰もゲームクリエイターになってないですけど、こうやって作り触ってるっていうのはゲームへの愛なのかな。やっぱり作りたいっていう欲求とかもあるんでしょうね。だから、そういう集まるべきとして集まった3人だったかなと思いますし。
あとポロローグさんもDTM、コンピューターで音楽作るのやってて、そこにね親近感湧いたりもしました。なので、ここからもぜひ聴いてほしいです。
新しい技術と文化を楽しむミライラジオ。次回も引き続きポロローグさんへのインタビューをお送りいたします。
ポッドキャストのフォローもぜひよろしくお願いします。それではまた次回お会いしましょう。バイバイ。