続いても、多くの方が気になるであろうお金に関するお話です。
トイレ掃除を楽しんですると、なぜかお金に困らなくなるというテーマです。
トイレ掃除をすると、なぜかお金に困らなくなるらしいという宇宙法則があり、
トイレ掃除をしたら、人事収入があったという事例が、いくつも報告されているそうです。
身に覚えのない100万円がタンスから出てきた。
身に覚えのない銀行口座が見つかり800万円が入っていたなど、
覚えのない大金が出てきたという報告が何件もあったと言います。
世のため人のために喜ばれる存在として生きている人には、
どうやら本当に困った時にお金が湧いてくることがあるようです。
どうしてトイレ掃除が宇宙法則と結びついているのか、
正観さんはずっと考えていたそうですが、
ようやくそのメカニズムが分かったような気がしたそうです。
宇宙はあらゆる情報やエネルギーが蓄えられているダムであり、
私たちはそのエネルギーを通す管に例えることができるようです。
ダムにはお金を含めたたくさんのエネルギーがあるんですから、
あとは流してあげるだけでいい。
けれど管の中にゴミが溜まっていると、せっかくの流れが止まってしまいます。
お金もエネルギーの一部です。
ところがお金を自分の贅沢のために使ったり、
ギャンブルに使ったり、貯め込んだり、
ああしたい、こうしたい、ああなりたい、こうなりたい、
あれが欲しい、これが欲しいといった自我を持ち始めた途端、
この自我がゴミとなり、管を詰まらせ、
エネルギーであるお金の流れを悪くするみたいなんです。
では、たまった自我をなくすにはどうしたらいいのか。
その一番の方法がトイレ掃除をすることのようです。
トイレ掃除をすると自我がたまらなくなります。
するとエネルギーの流れが良くなって、お金にも困らなくなるようです。
たとえお金が入ってきても、このお金を自分の中に貯め込んではいけません。
お金は喜んでもらうために使うこと。
そうするとお金はどんどん入ってくるようになっているようです。
政官さんがトイレ掃除をするとお金に困らないらしいと話した後で、
半年間トイレ掃除をしているのに臨時収入がありません。
どうしてですか?と質問をしてきた人がいます。
要するにこの人は神様に対して、
トイレ掃除をしているのだからお金をください。
自分にだけ臨時収入がないのはおかしいと不平不満を言っているんです。
神様であればこの人は半年後に不平を言い始めることは見抜いていますから、
エネルギーの一部であるお金を流そうとはしないでしょう。
けれどトイレ掃除を楽しんでやっている人のところには、
そんなに楽しいのならもっと楽しくさせてあげようと考え、
お金を流してくれるようなんです。
私たちはただ宇宙とつながればいい。
そして宇宙とつながるためには、
人がやりたがらないトイレ掃除が最も効率がいいようです。
お金に関するお話が続きます。
次はお金に仲間を連れてあの人のところに戻りたいと思ってもらう方法です。
こういう面白い話があるそうです。
神戸に南千坪という大邸宅を構えている方がいらっしゃいます。
この方は50年間同じことをやり続けたそうです。
それは特別なことではありません。
自分の家に来た1万円札、5000円札、1000円札に対して、
今度帰ってくるときは仲間をたくさん連れて帰ってくるんだよと言い聞かせることでした。
すると本当にお金の仲間をたくさん連れ帰ってきてくれたそうです。
その方はお金そのものに罪はないのに、
お金を嫌っている人が多い気がしますとおっしゃっていました。
日本はお金に関する教育が乏しいですし、
テレビでも脱税や詐欺といったお金にまつわるニュースがたくさん流れていますから、
お金は汚いもの、お金を稼ぐ人はいやしい人というイメージが強くなっているのかもしれません。
ですが、集め方が汚いとか使い方が汚いことはあっても、
お金そのものが汚いわけではありません。
自分の身を律してお金の使い方や集め方を美しくするのはいいですけれど、
お金そのものを嫌いしたり汚いものと考える必要はないというのがこの方の意見です。
この方は親しみと愛情を込めて、
いい仲間を連れてくるんだよ、たくさん仲間を連れて帰ってくるんだよとお札に声をかけています。
この声かけを50年続けていたら、大邸宅に住めるほどお金に困らなくなったそうです。
SEIKANさんの本業は旅行作家ですが、
2001年からはデザイナーとして商品のデザインやコンセプトを考えています。
SKP SEIKAN KOBAYASHI PRESENTSというご自身のブランドを持っています。
冗談で始めたブランドですが、
本気になって冗談を楽しんでいるそうです。
SEIKANさんが作った財布には、
たくさんの仲間を呼んでくれてありがとう、おはよう、おかえりと書いてあります。
お札を入れるところにもありがとうの文字がびっしり書いてあります。
たくさんの仲間を呼んでくれてありがとうと書いてあるので、
本当にたくさんの仲間を呼んでくれたと言われることがよくあるそうです。
この財布を作っているのは経済的な問題からではありません。
面白いからです。
この財布を作っていると楽しくて嬉しいからやっているだけです。
物にはどうやら意識があるようです。
そう考えると、お金に温かい言葉をかけてくれる人と、
お金なんか汚いものだと思っている人のどちらのところにお金は戻りたいでしょうか。
お金は温かい言葉をかけてくれる人のところに戻りたいと思うようです。
ついていると考えている人は一生お金に困らないらしい。
続いてはついているという考え方の力についてです。
銀座マルカンの創設者斉藤ひとりさんは、
1994年以来、全国工学納税者番付の総合10位以内に連続でランクインし、
日本一になっていると聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。
ずいぶん前ですが国道沿いの食堂で手にした雑誌に、
斉藤ひとりさんのインタビュー記事が掲載されていました。
斉藤ひとりさんは、自分はとってもついていると考える人物であり、
例えば頭上から植木鉢が落っこちてきて足の甲を骨折しても、
ついていると思えるタイプの人間なのだそうです。
骨折しているのになぜついているのでしょう。
普通の人ならついてないと思うところですよね。
斉藤ひとりさんはこう考えるそうです。
あと30センチずれてたら、頭を直撃して死んでいたかもしれない。
だから足に押した自分はついている。
もし朝家を出るときに下駄の花尾が切れたとしたら、
不吉だと思う人は多いでしょう。
けれど斉藤ひとりさんは家を出る前だから、
花尾をすげ替えることも靴に履き替えることもできる。
今切れてよかった。ついている。と考えるそうです。
そういうふうに自分は何でもついていると考えるタイプなので、
これからもきっとついている。と言うんです。
神様は宝くじが当たる人を選んでいるらしいというお話です。
ずいぶん以前の話ですが、ある計算によると、
1億円以上の宝くじは1000万本に1本当たるという確率だそうです。
ところがある年に佐賀県だけは2倍の確率だったと聞きました。
どうして佐賀県に限って確率が高かったのでしょうか。
当時テレビ番組に出ていた宝くじ研究家が言っていたそうなんですが、
その理由はこの年は佐賀県がついていたからだ、だそうです。
佐賀県のことを歌った歌がヒットしたのも偶然ではないような気がします。
47都道府県のうち佐賀県が脚光を浴びることになったのは、
ついていたからだと思います。
佐賀県の高島という小さな島に宝刀神社があります。
宝が当たると書いて宝刀神社です。
近年、島の勇士でこの神社を中心として島起こしをしようということになりました。
神社の宝刀の文字にあやかって宝くじが当たる神社という触れ込みでPRしたところ、
全国からたくさんの人が来るようになったそうです。
この島起こし計画にあたって島のおばあちゃんたちが手作りしたお土産である宝刀袋を売ろうということになりました。
宝刀神社に行く前に事前に宝刀袋のお土産を買って、
その袋の中に買った宝くじを入れて宝刀神社をお参りするとご利益がありますよというわけです。
ところが宝刀袋を塗っていたおばあちゃんたち2人が、
せっかくだからと買った宝くじがなんと10万円当たりました。
わずか人口300人の島でこのことがあってから宝刀神社のご利益はさらに全国に広がり、
お参りをした人の中からも当選者が出て宝くじが当たる神社として一躍有名になりました。
現在では高島を訪れる観光客は年間20万人。
佐賀県の宝くじ売り場では行列ができるといいます。
取材に来たテレビ局が行列に並ぶ人たち、
どこからおいでですか?と尋ねると、
熊本県です。大分県です。と県外からやってきた人たちも非常に多いとのことです。
この話のポイントは、高島を訪れる人が幸せになってくれますように、
と心を込めて袋を塗っていたおばあちゃんに10万円が当たったということでしょう。
高島のおばあちゃんたちは、自分に幸運が舞い込みますようにと思って塗っていたわけではないと思います。
人の幸せを願っていたら、自分が先に幸せになってしまったと捉えることができるでしょう。
別の見方をすれば、宝くじは自分のためにお金を使うことしか考えていない人には、
当たりにくいようだということかもしれません。
宝くじは偶然に当たるのではなく、ある意思が働いているのかもしれません。
人の幸せを願う気持ちを持っている人だけにお金が運ばれてくる仕組みらしい。
宝くじが当たった場合は、自分のエゴを満たすためではなく、喜ばれるように使うという決意をすることです。
自分のために使うのでなければ、当たってもつまらないと思っている人には宝くじは当たらないと思います。
自分の生き方の問題として喜ばれる存在になるという決心ができた人には、
どうも必要なだけお金が来るようになっているようです。