はい、本日は企画会となっております。科学系ポッドキャストの日ですね。
久しぶりに参加しますね。毎月10日は科学系ポッドキャストの日という催しが開催されております。
2026年2月の科学系ポッドキャストの日は、きよっこ研究者のサヴェイバル・ニッキーさんがホストを務めて、テーマはバリアですね。
2月11日、科学における女性と女児の国際デーに連動。科学における障壁、バリアの解像度を上げましょう。
女性研究者の方だけでなく、あなたのキャリア、人生においてアイデンティティが要因でぶつかった障壁をお教えていただけませんか。
性別、家庭、国籍など、自分では変えられないことで起こったことを思い出してみてください。
とのことです。
スプタン男のっ!
みんな違ってみんないい!
はーい、ごきげんよう。スプタン男のっつんです。
この番組はみんな違ってみんないいを言い訳に私が自由に話す番組です。
こんな人もいるんだなぁ程度に聞いてください。
バリア、バリアか障壁、アイデンティティにおいての障壁。
まずね、このバリア、科学的な話ではないかもしれないけど、このバリアっていうテーマを聞いたときにふと思ったのってバリアフリーってさ、
なんか特に俺の世代、1990年生まれの、今年36歳なんだけど平成2年組ですね。
なんだけどバリアフリーって言葉とかさ、とても重視されて世の中がバリアフリーに向かっていったみたいなのを見ていった時代だと思うんですよ。
多分本当、音竹さんの五体不満足みたいなのも流行ったのも要因だったりするのかなとか思うんですけど、
学校のね美術の授業でユニバーサルデザインなんていう単語を勉強したことを思い出しますね。
うん、俺はなんだろうな、外国人、国籍の問題だとどうしても在日朝鮮人の友達が多くて、多くてっていうかいてさ、在日朝鮮人、まあ3世だけどの友達がいて、
そいつとめちゃくちゃ仲良かったんだけど、そいつの家の方向に行くとやっぱり朝鮮人街というか部落というか、朝鮮人部落みたいな街並みでさ、
そこら辺で俺が遊んでいると、俺のねお袋と親父は別にそういうの気にしないで、好きにしろ好きにしろって感じだったんだけど、
なんかその他の友達の親御さんとか、その他の友達とかがあんまりいい顔しなかったというか、
あんまりそっち側に行っちゃいけないとか、あいつらとそんなに仲良くしなくてもいいんじゃない?みたいなのって、
うっすらやっぱりね、子供心ながらにあったなっていうのは今振り返っても思うんですよね。
まあそんなもんはね、別に俺はあんまり気にしてなかったんだけどっていうか、気にしてない親だったから、
全然俺はそこに問題心っていうのはあんまなかったんだけどさ、そこにね問題がある、差別感があるっていうものを感じたのは、
もっと高校生とかになってからで、そうかって感じだったんだけど、
まあそう、そんなこんなで、あんまりね俺、朝鮮人と中国人に対して、あんまりなんだろうな、どうこうっていうのってないんですよ。
今、仲良しの中国人、中国人じゃねえか、日本人なんだけどね、
中国で生まれて、韓国で育って、今、大学生から日本にいて、で、もう日本国籍を取得しているという友達がいるんですよ。
まあ中国人じゃないですか、日本的に言うと、日本はルーツで人間を区別するみたいなところがあるから中国人なんだけど、まあ国籍は日本人なんですよ。
名前は井上くんと言うんですけど。
まあまあ、そいつが本当日本国籍を取得する以前にも知り合ってるから、
中国人として出会って、で、今日本人になってって感じなんだけど、そいつとめちゃくちゃ仲いいんだけど、
で、そいつも、なんだろう、気質がやっぱり日本人ではないってばないのよ。
でも、仲良くて、面白いなって思ってさ、ただそいつは、なんだろうな、やっぱり差別されるみたいな意識がちょっぴり強くて、
俺にはわからないようなところなんだろうなって思うけど、気にするとき気にするし、結構日本人の友達も多くはないんですよ。
どうしてもね、なんか、
まあでもその日本人の友達がいないのは別にお前が中国人だからじゃない、お前が嫌なやつだからだよって俺はしょっちゅう言ってるんだけど、
そう、なんか、でも本当にマジでどうでもいいんですよ、俺とそいつの関係性の中では。
でも、本当のバリアフリー、本当に差別がないのって、なんだろうな、冗談半分でそういう差別用語が飛び交うことが、実はバリアフリーなんじゃないかって俺は思うんだよね。
目が見えないやつにめくらって言っちゃいけないとかさ、つんぼって言っちゃいけないとか、差別用語を発してはいけないとかっていう言葉狩りの意味じゃなくて、
差別的な意味でその人を詐欺すんで言葉を使う気持ちが差別なわけじゃん。
だから言葉が強くても、俺はそいつにしか言わないよ、友達だからね。
友達になってないとか、まだそこまで距離が近くない中国人の友達とかには言わないよ。
言わないけど、本当なんだろうな、赤い国の労働者の国なんだから、お前裸足で歩け、神の首、日本じゃ馬鹿野郎みたいなことをふざけて言ったりするんですよ。
そうするとね、本当は島国の猿が平和を消しやがってぶっ殺すぞみたいなね、会話をギラギラ笑いながら二人でやってるんですよ。
それってね、本当にバリアフリーだなって思うの俺、自分では。
他人がどう思うかはわからないし、世間がどう表するかは知らんけど、
俺とそいつの中、俺対そいつの中ね、二人称の関係性の中では完全に差別意識っていうのはないのよ。
ただ、そいつは中国で生まれ、韓国で育ちっていうね、俺は日本で生まれて日本で育ってるから、
今同じ時間を共有してても、文化感とかは違うわけじゃん。考え方や価値観みたいなものが違うわけだ。
それを、なんだろうな、ふざけて言い合えるって、本当のバリアフリーなんじゃない?って思うんだよね。
別に詐欺すんでるわけでもないし、詐欺すんでいるように聞こえる言葉を言ったり単語を使ったりするけど、
それって冗談だから。その冗談をお互いに言える関係性ってマジバリアフリーだなって思う。
でも難しいよね、国際問題もね。
例えば、Fワードを言っちゃいけないとかさ、俺はそのFワードを言うことはないけど、絶対言っちゃいけないって言われてたし、
あとは、黒人同士だと苦って結構使うじゃん。けど俺らが絶対に使ってはいけない単語なわけじゃん。
あとはなんだろうな、使ったことはないけど、本気とか、チンクとか、レッドネックとか、そういう言葉っていうのはあるわけでさ。
でもそれってさ、冗談半分で仲いい友達、それを許諾できる友達の内輪で使う分には差別にはならないわけじゃん、たぶん。
それがそうだね、中学生の時だったね。
で、もう嫌われるとか省かれるとか気持ち悪いみたいなことを言われるのがめんどくさくなっちゃって、
もう最初から言っちゃえば、気持ち悪いって思う人間は最初から近寄ってこねえし、
友達にならなくていいっていう方向に俺は転換しちゃったんですよ、頭の中で。
で、これは本当俺の話ね、カミングアウトが正しいとか、
生きやすくなるなんていうふうに強制するつもりもないし、
それが正しいとも思ってないけど、俺は高校生の頃から、
もう自己紹介で、バイセクションなんだって、今彼氏がいるんだって言って、
今は彼女がいるんだとか、そういうふうにもう結構言うようにしてたんですよ。
でもそうなってくると、やっぱりセックスどうするのとか、どんな男がいいのとか、
女装したいとか思うのとか、春な愛いけるみたいなさ、
そういうほうな、やっぱり思春期の男だから下世話の話にはなってくるんだけど、
全然それにいじられるっていう体制もついたし、
まあしゃーねーなって思ってもいたけど、それなりに受け入れてくれる子もいて、
で、俺が爆発的にカミングアウトしてる中で、
実は俺もゲーなんだって打ち明けてくれる友達がいたり、
え、私ヴィアンだよっていう先輩の女がいたり、
すごく自分が打ち明けたら案外世の中にいるなって、
そう、カミングアウトはしてないけど、おっぴらには言ってないけど、実はそうだよっていう人も結構いたりして、
あ、案外いるんだなって高校生の時に気づいたんですよね。
ただ、すごく女の先輩で、レズヴィアンの先輩がいたんだけど、
そのレズヴィアンの先輩のカップルと、俺と彼氏のカップルでダブルデートしようみたいなことで、
よく結構一時期一緒にいたんですよ。
その時にレズヴィアンの先輩の彼女が、ちょ、死んじゃって。
ちょっとピーピー死んじゃったんですよ。
そしたら、死んじゃった方の彼女さんの葬式に、私は行けないみたいな。
付き合ってることも言ってないし、知らないし、親と仲悪いのも知ってたしみたいな。
すごくそれが、でも高校生だからさ、所詮。
そう、だからどうしようもできなくて、めっちゃグルグルして泣いてたのを覚えていて、
すごく苦しいなっていうのを思ってましたね。
ちょうどさ、性同一性障害、金鉢先生で鶴本直がやってて性同一性障害みたいな。
FTMとかMTFとか、そういうものの認知度が世の中に留守した時代のゲイとビアンって誤解もされるし、
ごっちゃにされるし、まだレインボーの色分けがさ、本当にぐちゃぐちゃだったから、
今だってぐちゃぐちゃだけど、もっともっとね、好奇の目で見られてというか、不快な感じだったじゃん。
それはなんかね、それでもなんだろう、その女の先輩は言えないみたいな、
友達に言えない、言える友達一人しかいないみたいな。
ワンワン泣いてたりして、すごくそれは切なかったのは覚えてるよね。
普通に男として、私が生まれて普通にカップルだったらきっと家族にも会えたんじゃないかとかさ、
そういう方向にも行っちゃってて、難しいなって思うところではあるよね。
でも今、今でも難しいんじゃないかな。
世の中で受け入れられてきたとか認知度が上がってきたけど、
同性愛ってさ、他人ごとだから許容しているっていう側面が強いじゃん、ぶっちゃけ。
自分の家族が同性愛者だったら受け入れられるって言ったら、受け入れられないっていう人間たちがやっぱりまだ多いと思うのよ。
友達でいる分にはいいし、他人でいる分にはいいし、同性愛カップルを見ても別に何も思わないけど、
自分の身内でいたらそれはちょっと困るとか嫌だとか、そういう風に思っちゃう人が多いんじゃないかなって俺は勝手にそういう風に思うのよ。
だから難しいよね。
自分の家族を持ち上げるわけじゃないけど、全員お袋みたいになればいいのになってすごく思ってたのを覚えてる。
その女の先輩のことをね、うちのお袋は抱きしめて一緒に泣いていたよ。
大丈夫、大丈夫だからって言って、本当にね、お袋は偉大だなって思ってましたね。
そんなところでね、そんな母親に育てられて、私は姉と妹という環境で育って、
結構なフェミニズムというか、レディーファーストというような文化で育ったんですよ。
もう女の子とデートするってなったら、もうご飯代ぐらいあなたが出しなさいって言われて、多めにお金持たせてくれたりとか、
こういうことはしちゃいけない、嫌がることはしちゃいけない、もうなんか痣になったりすぐ痛くなったりするから乱暴に扱ってはいけないとか、
とかね、本当に否認とか整理とかそういうものもきっちり説明してくれるお袋だったんですよ。
だから、すげえなって本当に今振り返っても思うんだよね。
まあまあまあまあまあ、なんかちょっとズレだけど、そう。
もう今ね、俺は結婚しましたからね、10年経つわけですよ。
奥さんがいるわけです。妻がいるわけですよ。
でも妻もね、パンセクシャルなんですよ。
そこの議論はめちゃくちゃ最初の方で喧嘩になったんですよ。
喧嘩になったっていうかね、なんか受け入れられない。
共感ができないんだよね。理解ができるけど、マジで共感できなくて。
感覚がね、全然違うのよ。
パンセクシャルとバイセクシャルって結構性質も違うし、感覚が違うから、
結構そこの男女感とか恋愛感みたいなのってすり合わせるのがね、
普通に男性女性のカップルなのにすり合わせがなかなか大変だったんですよね。
なんか普通のカップルじゃしないだろうなって思うようなところもあったりしたけど。