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こんばんは、港町レイドへようこそ。つるたです。むらたです。この番組は荒沢になって生まれ故郷の横浜に帰ってきた二人が、アルコールを片手に浜凪や趣味の話に花を咲かせるレイドです。
苦手だねー。はい、ということで、えーと、今回も引き続き横浜中華街シリーズやっていきます。お酒もね、引き続きジンタープレミアムでやってまいりましょう。
ということで、前回は1950年代、60年代くらいのブラッドタウン、横浜中華街の話をして、あと学校が分離していく話ね。はいはい、謎がありましたけど、今日は1970年代くらいから80、90くらいまでにかけて、中華街を話していこうと思います。
日本はちなみに70年代の頃と言いますと、高度経済成長期後半くらいですかね。ベビーブーム第二次かな、銀座にマクドナルド一号店ができたり、マック大阪万博とか、オイルショック、沖縄返還とかあったのが70年代くらいですね。まあそこそこ激動よね。激動の、この後にバブルがやってくると。
今のが日本の状態です。前回最後にちらっと話したんだけど、1972年9月30日に日中共同声明によって、日本と中華人民共和国の国交正常化がなされます。
田中核英と、中国の習恩来首相が日中の平和友好関係を確立します。ちなみにその前はどんな感じだったのかというと、台湾とはさらに昔の1952年、戦後ちょっとくらいに平和条約を結んでいました。
学校事件の時じゃない?
そうだね、学校事件の時。
この72年の日中共同声明によって、日本は中華人民共和国を中国の唯一の合法政府と承認したので、台湾との平和条約を終了したものと認められています。
事実上の国交断絶。台湾と?
今もちなみにないです。
ないんだ?
ないです。
ない?
今もない。
台湾大使館を閉鎖して、今まであったんだけど、今は台北駐日経済文化代表省横浜文書という建物として、事実上の大使館として機能しています。
大使館は設けないんだけど、事実上のビザ発行したりとか。
台湾。
ちなみに場所は浜須田と日本大通駅の際間の間ぐらいにあるスタバ。
03:00
横浜公園のすぐ隣のスタバ?
そうそう、あの建物にあります。
日本大通駅はもうちょっと離れたイメージでいたわ。
そっか、ちょっと離れた。
国庫が断絶するんだけど、
1972年の9月30日に中華街の方では何が起こっていたかというと、
同日の深夜に若い男30名ぐらいが横浜中華学校に侵入して、
中華学校。
中華学校山手の方じゃないね。
警備員とコーラになって殴り合いとか喧嘩になって、
元校長で赴任してきた大圭人さん。
事件起こして突撃してきて赴任した人?
赴任した人。
大圭さんが駆けつけると暴行とか刀で顔切られたりとかした。
全日数か月目の襲擊事件が起こったりしました。
その数年後の1976年頃には、
台湾派の横浜河境総会事務所に横浜山手中華学校大陸科と言われているのを教員とかの人たちが
30人ぐらい乱入して牢状とかする。
もともとこの事務所は大陸科の側のものだから、台湾開放って言ってたりとかして、
神奈川県警の機動隊とか香川町警察とかがまた出てきて、武力行使で逮捕とか、
そういう訴訟みたいな。事務所開け渡せみたいな。
そこもバチバチやります。
国交正常化みたいな後ろ盾ができたことを川切にめっちゃ動き始めた。
台陸科としては、当然我らが正当だと。
ちなみに太気になってたんだけど、台湾開放って大陸側が言うじゃん。
開放って個人的なイメージって自由に向けたプラスイメージみたいなのが強いんだけど、
台陸側が発言してるその開放はどちらかというと、
出てけというか、
一つの中華になるためには最後台湾を自分たちに取り戻さなきゃみたいな。
だから開放しろっていう感じのニュアンス。
開放して我々に
一つの中華になりましょうっていうのが台陸側の言ってる感じ。
だから台湾開放開放。
開放ってのは国民党側に開放してくれっていう風に言ってる感じ。
ちょっとニュアンス難しいよね。
なんとなく開放って言ったときには、
当事者側が開放しようみたいな。
自由に向けてみたいなイメージが強い。
不法選挙してる台湾開放しろって感じ。
なるほどね。
でですね、台湾派の方はどうなったかっていうのがすごいこれポイント。
国籍の問題がすごい起きるんですよ。
国籍の問題。
台湾と国交断絶するんで、
06:00
要はパスポート発行とかさ、
自分のパスポート有効なのかみたいな風にすごいみんな戸惑うんだよね。
中華民国の人は、台湾の人は。
またまたビザを持って日本に入ってきてるわけ。
もちろん。台湾国籍の人とかさ。
でも自分が住んでる外国の国が、
自国と国交結んでないって言ったらさ、
急に追い出されるかもしれないし、
無効になるかもしれないし、
怖いじゃん、怖い。
っていうことが起きて、
横浜中華街の下京は、台湾の人は、
国籍の選択を結構迫られる人が出ます。
えー。
結局国交が断絶しちゃったので、台湾の大使が亡くなったぞと。
自分たちは台湾国籍だけど退去させられちゃうんじゃないかとか、
一回海外に出たらもう日本に入国できなくなっちゃうんじゃないかとか。
国交結んでないからね。
っていう、日本で暮らしていくためには、
これからどうしたらいいのかってすごく悩む人たちが増えて、
でも、中華人民共和国の国籍を取るか、
日本に帰化するか、
それか、このまますごく不安定だけど台湾国籍を維持するか、
っていう結構選択に悩む人もいて、
人によっては、まだ日本との戦争もずっと日中戦争とか、
もっとまで日中戦争とかすごいやってたし、
中国共産党と戦ってたって人もいたから、
どちらの中華人民共和国も日本の機関を国籍取ることもやっぱ気持ち的に辛くて、
嫌だって言って、最終的に無国籍になるみたいな。
台湾国籍を維持することは難しい?
台湾国籍はもちろん持っていると思うんだけど、
日本上はというか、
例えば、そのままそこで日本とかで子供できて生まれたら、
その子は無国籍となるのって言うと、
多分無国籍とかになったりするんだよ。
へー。
っていう選択した人もいましたと。
ちなみに人口の推移で、この話の後を見てみると、
71年ぐらいには、
日本全体で5.2万人ぐらいの在留中国人が、中華系の人がいました。
だいたい2年ぐらいで、1万ぐらいが日本に帰化します。
あ、そんなにいけたの?
日本国籍を取る。
7、8千人ぐらいが無国籍になったというか、
中華民国の国籍を維持するみたいな感じになったと言われてて、
一つのエピソードで、無国籍を選択した家族の、
ここで生まれた娘さんの陳天寿さんという人のエピソードがあるんだけど、
日本生まれてこの人は。
親が台湾から来て、無国籍で日本で生活します。
無国籍の人って、
09:00
参入国許可証っていうのを発行してもらって、
それ持って海外に行くの。
海外に行くときは。
それがないと日本にもう帰ってこれない。
そうなんだ。
国籍がないから。
で、それ持って海外に行ったときに、家族で。
台湾に寄ろうとしたの。
台湾に寄ろうとしたら、
お父さんとかは台湾に戸籍があるから入国できたんだけど、
娘さん、陳さんは台湾に戸籍がないから、
自分は台湾人のつもりなんだけど、台湾に入国できなかった。
ビザが必要になる人ってことなのか。
ビザの発行さえも許可されないというか。
無国籍だから。
で、陳さんは入れなくて、
でも日本に帰ってくると。
日本に帰ったの。
日本に帰ったら、入国許可証が切れてるって言われて、
日本にも入国できなくて、台湾に帰ってくると。
日本に言われたの。
ターミナルっていう映画が、トム・ハンクスの映画。
まさにトム・ハンクス状態に一瞬なりかけたっていう、
そういう目にあってしまった人もいたり。
最終的にその陳さんは、
日本から出国する時に送り出してくれた職員さんを、
陳さんのことを覚えてて、
日本から出てきましたって。
その再入国許可証にちょっと不備があったのは、
ちゃんと調べてもらって分かって、
なんとか日本に戻れた。
でもこの人は日本に国籍取って、
どっかの大学で教授をやられてる。
みたいなエピソードがあったりして、
台湾側からすると、
国籍問題みたいな感じですごく悩んだ人が多かった。
70年代の話ですかね。
これ難しいね。
難しい。
国籍周りの話が興味深くなっちゃったね。
何を持って国は国籍をベースに何かを管理してるんだろうか。
無国籍の人があり得るということは、
人類全員何かしら自分の国籍を持っているとも限らない。
生まれもって日本国籍を持ってるけど、
日本国籍を持っているおかげでできてる行為は何なんだろうか。
気にならない。
日本国籍を持っているおかげでできることは、
日本国籍をと言うか国籍があるから、
ビザとかはそうなのかな。
ビザなんかも間違いなくそうでしょうね。
日本国籍のパスポートかなり強いからさ、世界でも。
いろんなところに日本人だから、
すごく手続きをしなくても入れるし入国できるし、
めちゃくちゃいいクレジットカードを持っている。
それはよく言われるね。
人に紐づく情報としての国籍。
信用みたいなところだよね。
そうそう。
そこら辺なんかもう仕組みが気になっちゃった。
日本人の僕らからすると、
いいステータスのものを持っているから、
12:01
全然意識する気がないと思うけど、
国によってはさ、
信用とか低い国とかって、
そもそも他の国に行けない、
お店降りないとかしょっちゅうありそうだもんね。
敵対している国があったりすると、
当然スパイダーつって入れないし。
というような日中の共同生命によって、
国籍で悩むような人が
ヨガンも中華街にもいたという話なんですけど、
この頃の中華街の支持層というか、
大陸派、台湾派みたいな支持層の話も
ちょっと参考になる話をしていく前提に、
中華街のお祭りの話の紹介を
先にしようと思うんだけど、
10月に2つでかいお祭りがあります。
10月。
まず10月1日、国慶節。
国慶節、聞いたことはある。
これは中華人民共和国の
設立日を祝うパレードです。
1949年の10月1日にできたのかな。
特にやるのは四肢舞とか爆竹とか。
中国の旗、赤い腰の旗が出たりしてる。
もう一個は10月10日。
10日すぐなんだ、1日から。
10日は操縦節。
双子に十二節って書くんだけど、
これ10月10日。
十が二つっていうことからなんだけど、
操縦国慶節とかって言うんだけど、
国慶節と一緒になっちゃうから
操縦節と紹介すると、
これは中華民国が成立した記念の式典です。
中華民国はさらにもっと昔の
1800年代後半かなに
秦が亡くなって始めできたのは中華民国。
それが10月10日でした。
だからこっちの方で祝うのは
台湾とかができたとか
革命を起こした孫文さんとか
紹介関さんみたいな人たちを祝う系。
こっちのパレードでは
四姉妹とか
また爆竹とか
同じだね。
リーの前が中華園で歩いたりね。
結構台湾の旗が出たりとか
僕らからすると
同じことやってる。
旗以外に違いが見えなくなる。
10月頃よく祭りやってるなみたいな。
だって1日と10日でしょ。
そんなキンキンでやってるんだね。
やってるなって意味なんだけど
2つの国側からすると大事な国を祝う。
それぞれ別の意味合いを持ってるもんね。
全然意味合いが違う。
だからもちろん
操縦説の方は
横浜中華学院の人たちは中心になったりとか
やったりしてるんだけど
この時に
これ1977年の調査で
イントロの時かな
イントロ回の時話した
結構参考にしましたっていう文献の
横浜中華学院世界に誇るチャイナタウンの地理歴史
15:02
山下清美さんが
結構この人フィールドワークしまくってたよ。
77年に国境説と操縦説に
お店の前に掲げる旗が
どっちの旗なのかみたいなのをカウントしたんだよ。
その店の前に
中華人民教育の国旗が出てたのさ。
きっとあっちは大陸支離派なんだろうなみたいな。
カウントしたら
国境説の時に
中華人民教育の旗揚げさんは38
38?
お店とか建物とか
操縦説の時に台湾の国旗揚げさんは36
数としては同じくらい
別々のお店とか
全然別々
だけどいずれの旗も揚げてない店舗もたくさん
そうね
だって30いくつって
38と36
店舗数もっとでしょ?
店舗数も全然もっと
建物もたくさんあったけど
何十何年の調査だと
そんな感じだったと
支持層というか
敵には
みたいな参考情報がちょっとあったりします
でですね
こんな感じで国籍の問題があったり
なかなか折り合いがうまくつかない状態ではあるんですけど
だんだんここから歩み寄りが始まっていくことが起きていくんだけど
前回のエピソードで最後にちょっと話した
55年に前鱗門作ったりとか
宇宙具合をもっと盛り上げていこうよと
いうような動きがあったりとか
72年の日中国交正常化で
パンダが来るんですよ
パンダ?
パンダが
パンダブームが来るんですよ
はい
僕らの親世代とかは知ってるかもしれんけど
2頭のパンダが
めっちゃ可愛いパンダが来るんですよ
カンカンと
リンリンかランラン
リンリン、ランラン、シャンシャン
なんかいろいろ2人来るの
あのパンダ相当選び抜かれたパンダらしい
僕ちょっと余談だけど
上海の最高の動物園の最高のパンダを選ぶやつ
パンダもやっぱ可愛いとか性格上みたいなのあるので
あるな
国の主作として最高級のパンダ
へー
71年のさ
アメリカと中国が海南諸域とかも
結構アメリカ人が中国人に対しての
嫌な気持ちとかあったけど
パンダ送ってる
パンダ可愛い
パンダ外交とか
パンダ外交か
有名な
正しく機能してるねそれ
相当機能してる
日本にもパンダが来ます
一気にこっから中華ブームが
っていうのもパンダもあるし
それまで国交結んでなかったから
中華自民教育と
あんま中華のこと日本人は知らなかったんだね
あそっかそっか
竹のカーテンって呼ばれてた
これ世界教科書館によく出てるんだけど
18:02
カーテンがあってあんま向こうの情報がわからない
竹は中国を表してるんだけど
とかあんまなくなって
テレビとかでもね
中華の情報とか
あげたりとか
中華街ブームになってきますと
中華街も
これチャンスだから盛り上げていこうじゃないか
住んでる日本人とかも協力して
横浜中華街発展会みたいな
組合とかできたりとかして
ちなみに横浜中華街発展会の初代会長
理事長はさ
中華街に江戸生って
ブタマンの
あれの社長さんとか
理事長になったりとかして
全体で盛り上げていこうと
でかいさ駐車場パーキング
中華街にあったりするんだけど
ああいうのも作ったりとか
中華料理屋もどんどん増えていく
そのタイミングなんだ
お店の割合も
60年代の中華街って
数で言うとバーとかキャバレー
喫茶店が82店舗
中華料理屋さんが61店舗なんだけど
76年代は
バーとかが25
中華料理屋95と
一気に逆転するんだよ
すごいね
でも80年代はもう100超えるぐらい
になっていって
どんどんどんどん
中華料理が増えていきます
でその80年代に突入して
今度グルメブームで
さらに中華ブームも促進されます
連日テレビで
中華街を紹介するような番組やったりとか
あと80年代になると
バブルが
バボ
バボ来るね
バボ来ます
バブルの時は
東京からわざわざ
仙台の会食で
会社の人たちが来たりとか
あとはもう当時は
漢民族と満州民族の豪華な料理
スペシャルコースみたいな
10名80万みたいな
80万
10名セットみたいな
ができたりとか
あとはあの
禅林門に続く
他の門で
ファイルが4本さらに追加されたりとか
してどんどんどんどん
中華街は盛り上がって
ビジネス的にも盛り上がってきて
景気良くなってくるんだよね
バブルで
それまで結構日本の銀行ってあんまり
中華の人たちに融資とかしなかったんだけど
融資めちゃくちゃして
お店でかくしませんかと
それまでの中華街って
基本2階建てで
2階に住んで
1階でお店するみたいな
今もそんなスタイルかなと思ってたけど
そうじゃないんだよね
でもビル建てましょうと
ちゃんとビル建ってるイメージが
バブルの時に銀行融資して
2階建ての建物がどんどんビルができたりする
例えばこの時に
ちょっと昨年コロナで
残念ながら閉店しちゃったけど
高級中華の新生の平陳郎
21:00
7階建てのビルになったりします
2階に住んで1階でお店ってスタイルが変わってって
2階とかに住んでた人たちは
山下町かもしくは中区の別の場所に住んで
中華街に働いてくるとか
あとは国境は正常化で
中国人留学生がめちゃくちゃ日本に来る
バイトとかして
出稼ぎでやってくる
いわゆる新加強の人たちが
どんどんどんどん増えていく
70年代って中国と日本の経済格差ってすごく激しくて
参考的に日本の工事現場で
1日働いて1万円の日給は
中国だと月給5ヶ月分くらい
月給か日給が
日給1万が中国だと月給5ヶ月分
1日働いてたよね
2日か3日働いたのも1年分
でもそれでもそれじゃ働かなくていい
相当やっぱ中国側からすると
ドリームというか
来たよね
というふうに
新加強がすごく増えて
中国語もより飛び交うようになる
横浜中華街
アルバイトとか増えて
なんで
弊害とかで
めっちゃ天栗強引に売ってくる人とか
そういうマナー的な問題とかもできたり
特に新加強は
福建省あたりから来る人が
多かったらしい
生活スタイルは
昔から中華街にいた
加強の人たちは
中華街の外とかに住んで
中華街に通うし
来日してきた
新しい加強の人たちは
中華街高いじゃん
山下町とか
ご存知
住むのマンションとかあるけど
高い
周りのエリアも高いから
山手とともに住めないから
南区とかの横浜橋商店街
万能橋
あっち側に住んだりする
そこから働きに来る
そうそう
近いから
っていう風な感じで
そっち側にも
中華街の人口増えてる
だから今も
横浜橋商店街とか行くと
中華街の人とか
関係の人とかも多いけど
多かったりとかしてる感じですかね
人口の推移だと
横浜に在留する中国人は
1980年代末で5000人ぐらい
どんどん増えてって
90年の時には8500人
2000年だと1.5万人
今2020年4.2万人ぐらい
横浜に中華街の人がいて
国籍で言うと
4.2万人中
3.9万人ぐらいが中国国籍
台湾国籍は2600人ぐらいですかね
割合はそんな感じか
というような割合で
人口推移今の時まで
24:00
飛んじゃったけど
80年末
90年頭ぐらいのバブル
崩壊後は
高級コースとか食べる接待とか
なくなってきて
ちょっと稼ぎも減ってきて
だんだん中華街来る人たちは
ファミリーとか
若者の人たちが来てて
肉まんとかさ
食べ歩きスタイル
今の感じだよね
徐々にこうなってきます
というのが
大体バブル崩壊後ぐらい
今にだんだん近づいていく感じです
最後にずっと戦ってた
台湾派
大陸派の
一つの
和解のエピソードを
紹介したいと思うんですけど
鑑定廟
関羽を祀った神社というか
の再建のエピソードがあります
関羽
やっぱ中国の人めちゃめちゃ好きなんだよね
関羽
三国志の関羽
やっぱ弱い者
民衆のヒーローだし
あの人結構
勉強とかもしてた
商売の神様としても
言われて
ほんと昔から
開港当時ぐらいから
ずっと関羽を祀る
小さな神社とかあって
横浜に住む家居の人たちは
関羽のことすごい大事にしてた
震災とか空襲とかで
何度も崩れたんだけど
何度も何度も直してた
だけど
1986年に
不審備で
全焼をしてしまいました
鑑定病が
で
家居の人たちは
再建しようとしたんだけど
資金とか
建てる場所とか建物とかも
大陸とか
台湾派で
訴訟問題とか
やったりとかしてて
全然うまくいかなかったんだけど
だけど
いろいろ話し合いをした結果
横浜家居の大事な
鑑定病の再建には
政治や思想の問題を
持ち込むべきじゃないと
家居の創意を集結して
伝統に則って
立派な平等を作ろうじゃないかと
関羽は仲直りのきっかけを
作ったといわれて
再建にあたっては
お互いにお金も出すし
北京と台湾から
それぞれ専門技術者とか招いて
一緒に
中国伝統建築工芸の息を凝らして
新たな中華街のシンボルを作りました
ついに1990年
訴告費5億8千万ぐらいかけて
新しい鑑定病を完成します
その式典とかをやって
大陸か台湾派の両派の
最高責任者の人たちが
一緒にその式典に同席して
祝辞を述べたと
52年の学校事件以来から
結構信じ難い光景が
そこにはあったと
歴史的
90年の鑑定病再建
その後に春節って
お祝いの時とか
関羽の生誕祭のお祭りとか
あったりするんだけど
27:00
八王子に旗袋あったかな
一緒にやったりとか
イベント一緒にやったりとか
主体に協調に向けて
これがきっかけで動き出していきます
それまでさっきちょっと紹介した
横浜河峡総会の台湾の事務所を
大陸派が選挙したみたいな
あったね
あの後
秋葉田選手って大陸派が
横浜地裁にずっと訴訟を起こしたんだけど
94年に訴訟を取り下げます
大陸派が
法廷での結論は
双方にしこりが残るから
日常の対話とか共同採用で
問題解決に向かいたいなと
いうようなことを言っていて
当時のね
大陸派の横浜河峡総会の
老会長さんって人がいて
訴訟を取り下げた時に
テイストを取り下げると
対話の場を失うんじゃないですか
という質問をあって
それに対してこう答えました
河峡同胞の間には
地理的な台湾環境は
存在しないのであります
心理的な台湾海峡を乗り越えれば
いつでもどこでも対話は可能なのです
というコメント
かっこいい
台湾海峡というものがそこで
韓国のではないか
そこで対立してるんだけど
横浜に住む我々河峡の間の中には
地理的な台湾環境というのは
存在しません
ないね
という風に言ってます
かっこいい
最近だと
10月のさっき冒頭で紹介した
お祭りね
国慶節と宗授節の日が近づくと
両方のポスターを貼ってあるっていう
お店がよく見かけられるようになってきました
だから
どっちもお祝いしようじゃないか
いうのが増えてきてるので
ちょうど10月もね
あと1ヶ月くらいですかね
近いんで
ぜひちょっと
どっちも
覗いてみてほしいと
国慶節、宗授節
忙しいねその時期ね
両方やるんだから
忙しい
確かになんかこの時期よくやってるなー
とは何年も思ってたんだよね
お祝いを
今年もやっていきますので
楽しみだ
ここまで2つやってんだとか
それぞれがこう
異なるっていうことを理解しなかったから
面白いね
ありがとうございます
興味深いよ普通
という感じで
70年代の日中国交正常化のところから
徐々に若いに向かっていったという
話をさせてもらいましたけど
次回がラストぐらいかな
今の中華衣に
バブル崩壊後から
今の2000年代とかの中華衣の話を
最後さらっとして
締めようかなと
今回の時点で結構なんかその
和解の兆しみたいなのがさ
見え始めててさ
これあとなんかあるみたいな
そうね
対立系のエピソードというよりかは
中華衣の歴史って感じかな
30:00
どうやって今に至るかみたいな
2000年代元町中華衣とか
駅ができたりするじゃないですか
それまでちなみに
全然ちょっと忘れがちだけど
ずっと石川町しかないからね
入り口は
ちなみに
石川町駅だけだから
きづらいね
元町ができたり
ちょっと最近の最後
石川のエピソードしたりとか
あとバーの話とかね
バーの話はもう
バーだけで多分
エピソードいきそうだけど
ぐらい掘り下げちゃうかもしれない
村田くんのために調べます
調べます
ってことで
今回満開で
はい
満開です
はい
じゃあ港町レイディオでは
皆さんからのお便りを募集しています
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さようなら