ミモリラジオ。このポッドキャストは、自然界の中から一つのテーマをピックアップして、その面白さを深ぶるトーク番組です。
パーソナリティを務めます、ミモリのアンディです。 ミモリの野田和樹です。
クジラという森編第7回でございます。 だいぶ大長編になってしまったね。
ね、一番長いに思われるね。 そうだね、ダントツで長い。
で、前回までは、クジラを資源と見ていた18世紀19世紀の動き、
そして、加熱を極める捕鯨の動きが、とうとう最後のフロンティアとして、南極の海、南氷海にまでやってきます。
続きでございます。 そのモチベーションがね、クジラの油に革命が起きたっていうことで、
マーガリンとダイナマイト。 火薬ですね。
しかも、そのノルウェー捕鯨の銃ですね。捕鯨銃の爆薬の原料。
それもクジラの油か。 クジラの油から取って、クジラを取るっていう。
溜まったものじゃないね、クジラからしたら。 すごいひどい話ですよ。
そういう感じで、食料にも油にも、そして爆弾にもなる、火薬にもなる、クジラの油をめぐる熾烈な戦いが南極の海を襲います。
じゃあそこから話していきたいと思います。 南氷洋捕鯨の今回主役となる国、ノルウェーとイギリスですね。
北氷洋の時と、北氷洋の時はイギリスとオランダだったんだけど、今回はイギリスとノルウェーですね。
ノルウェーは1890年代からこの南極捕鯨の可能性を探り始めてたんですよ。
1904年にカール・ラルセンという人がアルゼンチンで出資を募って、アルゼンチンに会社を作ります。
南米で南極は比較的近い場所だね。 南極捕鯨に備えてね。
彼がこのサウスジョージア島っていう南極の島に捕鯨基地を作って、そこで史上初の南氷洋捕鯨がスタートします。
始まってしまいましたね。 始まってしまいました。
1年で198頭。 多くはないよね。
そうだね。 これまでの捕鯨の規模からすると少ないかな。
何万とか獲るからね。 ただこれ獲ってた鯨が白流す鯨なんですよ。
それは多いですね。
北極の鯨よりも効率よく減油が取れることの証明になったんですよね。
鯨の中で一番でかい種類で30メートルを超える最大種類。
油が効率的に取れるんだろうね。
だし泳ぐスピードが速かったけれども、ノルウェー式の捕鯨だと老仏のついた森を火薬で飛ばして取ることができるようになったっていう、そういう鯨だったよね。
技術革新もあって、その結果南平洋にいろんな捕鯨船がやってきて、1908年南平洋捕鯨開始から4年後ですね、
この南半球捕鯨の減油産出量が北半球を上回ります。
早くない?
めっちゃ早い。 たった4年で世界一の捕鯨場になるんですよ。
しかも南極というか南半球で捕鯨を積極的にやっている場所が大体南平洋。
日本人はずっと鯨肉を利用してきたということで、
処理とか流通などは日本式でやってて、
取る部分だけノルウェー式でいこうと。
そう。心の大いさは日本のままに捕鯨していきましょうっていうのが、
この日本の現代捕鯨の始まりですね。
なるほど。
ただ僕がすごい思ったのは、
この時冷凍技術の開発とか、缶詰の技術があるので可能だっただけで、
遠くの海に行く大航海、捕鯨も冷凍技術とかがあれば、
肉を捨てずに済んだのかなと思ったりしてますね。
確かに。昔の日本の捕鯨館がヨーロッパと違って、
余すとこなく食べていたりしてたのって、
それこそ食べれる場所に鯨が来てたからできていたことってことだよね。
本当にそうだと思う。
沿岸まで鯨がわざわざ来ていたからできてたってことだよね。
そう。というのが日本の捕鯨の特徴なんだけど、地形がそういう風に決定しているっていう。
確かに確かに。
今回の現代捕鯨では、缶詰技術とか冷凍技術のおかげで、
食べる鯨を遠くに取りに行けるようになったからこそ、できたことなんじゃないかっていう。
っていう風に分析はいろんな本でされてました。
なるほどね。面白い。
ただこの明治のノルウェー式捕鯨は資本主義的構造をすごい含んでいるので、
例えば地元密着の捕鯨だったのが、日本のいろんな国内の漁業場に入ってやっているのね、会社が。
これで地元民対立だったりとか。
あと朝鮮でこの時鯨を捕鯨してたんだけど、朝鮮の海域に対して不平等な条約を結んだりとか、
そういう時代背景もあると思うけど、資本主義と帝国主義の悪い部分が出ちゃってるよね、みたいな感じですね。
確かに。わざわざ取りに行くようになった結果をきている側面ではあるよね。
この岡次郎の会社がどんどん大きくなっていくんだけど、日露戦争で勝ち取ったロシアの捕鯨船をもらったりとかしたりして、どんどん大きくなっていきます。
1909年に大きないろんな会社が合併して東洋捕鯨株式会社というのが設立されますね。
これが後の日本水産になっていきます。
もともと捕鯨からスタートしたんだね。
捕鯨からスタートします。この時代の鯨に対する認識。
それは日本の?
岡次郎の認識だね。
その時は鯨は餌さえあればどんだけ捕っても枯渇しない無限の資源だということを本気で言ってた。
もうヨーロッパの人たちはあまり変わらないね。
この頃から遠くに鯨を大量に取りに行くという、西洋の捕鯨のスタイルになっているよね。
鯨の回遊ルートで網を仕掛けて待っているというのは、鯨の絶滅のさせようがないから。
そういう考え方で捕鯨を始めていきますね。
近くにやってくる生物から枯渇するリスクのない資源という捕鯨に変わっちゃってるんだね。
だから日本式で流通させよう、お肉とかも使っていこうとは言いつつも、考え方としては完全にヨーロッパ型になってるね。
ずっと捕鯨っていうのは拡大の歴史なんですよ。北極から北極全部取り尽くした。
大西洋、次取り尽くした。
取り尽くした。
大平洋取り尽くした。
そうだね。
この銃の開発によって、クジラの種類が拡大していきます。
そっかそっか。早くて泳げるクジラも取れるようになったっていう、そういうお話だったよね。
そう。かつ油を取れる効率が良い大型のクジラから狙われるようになってきますね。
ああ、そっか。効率が良い。
なのでね、シロナガスクジラが最初狙われて、あれいなくなったぞみたいな。
次ナガスクジラが狙われて、あれいなくなったぞみたいな。
次ザトウクジラ、イワシクジラみたいな感じで、効率の良い順に捕獲対象が広がっていくっていう。
なので、この南平洋捕鯨は、場所も地理的に拡大するのと、クジラの種類が拡大するっていう二重の拡大。
資源の枯渇、エリア自体の拡大がこれ以上できなくなったから、枯渇していった資源を見限って次の資源に切り替えていくっていう、そういう動きだね。
そういう動きですね。
なるほど。
っていうのがありますね。
この時代に初めて、クジラの絶滅論とかが出てきますね。
1910年に国際動物会議で、クジラが絶滅するんじゃないかっていう風に言われてたりとか。
1930年、国際連盟がベルリンで捕鯨の規制に関する会議を開いたんですよ。
その翌年に、ジュネーブでジュネーブ会議っていうのが開かれるんだけど、ここでできた捕鯨のガイドラインがあって、
セミクジラは捕ってはいけませんとか、子持ちの母クジラは捕ってはいけませんとか、っていう風なことが決められていくんだよね。
この時期に日本は南平洋捕鯨に参戦しています。
それでバッシング受けると。
バッシング。この頃から始まってるね。日本の捕鯨に対する。
風あたりの強さ。
風あたりがね。
この時はノルウェーとイギリスもブイブイ捕ってたので、日本と3カ国、主に3カ国がこのジュネーブ会議で出てきた条約を先延ばしにするんですよ。
認めないぞっていうことで。これで条約の決定が1936年に決定されます。
ただね、この頃のこの条約、全く意味ないですね。
罰則とかないよね。
ない。マジで機能してなくて。唯一規制が成功した例があるんですよ。
これが国家機関、国連とかそういう国際連盟とかじゃなくて、捕鯨会社の間で結ばれた協定だったんですよ。
この時にもう取りすぎって、鯨の油を。市場で余っちゃうんですよ。
そういう現象が起きるの?逆に?
ちょっと違うでしょ。1870年からどんどん取りに行って、1930年に市場最高に取るんですよ。360万バレルぐらい。