ピカソと藤野の自己認識
前回からの続きをどうぞ
ちょっと、ちょっと前に作品を購入してくださった方が
僕のキューブの光の標本、DMくださって
めちゃくちゃありがたいメッセージだったものの
なんか、こんな綺麗な作品を作れるなんて、藤野さんの心が澄み渡ってるんですよみたいな
バカを言うなと
ストレス抱えてる人間じゃないとこんなもの作るわけないじゃないですか
なるほど
バカを言うんじゃないと思いました
いいですね、そのエピソードいいですね
何を言ってるんですかって
いや、いいですね、でも
だからこそこういう場でね、ちょっと補うというか
バランスをとっていくというか
つまり、あれじゃない?みんな二股は知ってるんじゃない?
知ってきてるんじゃない?
そうだよね
メタファーとしてね
実際に二股を知っているかどうかだけではなくて
二股は知っているよ
僕、最近京都の
京都時代のというか、京都に僕8年ぐらい暮らしてたんですけど
その時の知人とか友人に久しぶりにこの間会って
言われたのがなんかすごい
ナチュラルなオーガニックな感じの雰囲気になったねみたいな
そうかもですね
で、なんかすごい
あのQRコードとか書いてた時の真珠はもういないんだなって言われて
たぶんそう、確かにそうなんだけど
なんか、そのなんかこうちょっと何か荒んでいた自分というか
なんかその、もう自分の一側面だし
別人になったと言われるとそうでもないんだけどなって思ったり
なんかありません?そういうのって
昔の友達に会ったりすると
当時の自分の話とかされるとすごいなんか別人の話聞いてるみたいなんだけど
でも、でもなんかよくよく見るとそれも自分だしみたいな
まあね、当然それがあったから今の自分があるみたいな
因果が続いているわけだからね
むしろ僕に関して言うとそのオーガニックに
より自然派になったねというよりは
いや、もともと僕は大分の田舎もんで
それが一回都会的な憧れでいろんなものを身につけたものの
もう一回そこに戻っていったみたいなことなんだと思うんですよね
お前オーガニック志向になったねみたいな言われると
ピカソとマティスの関係
それはそれで違うなみたいな
それも人間の複雑性だと思うんですよね
確かにね、今日藤野さんの顔久しぶりに見ましたけど
若い頃のキレッキレの時よりは
やっぱねカリスマ性があったので
恥ずかしい恥ずかしいやめてやめて
カリスマ性いらないから
そういう話したからさっき
そういう服を着てたのもあるんだと思うんですよね
服を着て似合ってたみたいな
似合ってたから私はいいと思うんですけど
今は割とおじいちゃん的なまろやかさ出てきましたね
石拾ってるしね
石拾ってるしな確かに
いいおじいちゃんってめっちゃほっぺツヤツヤじゃないですか
笑った時にまるってなる
そんな感じになってきたなと思って
なるほどね
いいなと思いました
結局ちょっと無理していた時期があったからこそ
これあれですねだから石ですね
最初尖っていた石も経験して丸くなっていくわけですね
ほっぺたの上に丸くなっていく
水に流されて他の人ぶつかってね
でも元々尖っていた石だったことは変わりないわけで
そうだね
海に落ちているツルツルの石も元々は尖っていたわけです
確かにそうか
でもそういうことですよね
変わったと言えば変わったけど
元々そうだったと言えばそうだったというか
一周回って帰ってきただけ
石の話
やっぱり石の話に回帰してしまった
いやそうだねそうですわ
ピカソーもそういう話が聞きたいですわ
最初的に丸くなったのかとかね
尖ってた時代もあっただろうけど
元々があってそれがどうなっていったのか
変化も含めてね見たいわ
マチスとの関係とかもね
僕はもっと知りたいなと思いますけどねピカソーは
同世代の画家で
美術史の中ではピカソーはキュビズムっていう形の改革をやって
マチスは色の改革をやったから
正確に写実的に物を描くっていうことが必ずしも真実ではないという
スタイルは違えどその信念は共通してたんですよね
結構ピカソーはパクる天才でもあったから
マチスに急接近してマチス風の絵画を描いてた時もあって
ライバル的な感じでよく比較もされてたんだけども
マチスが先に亡くなるんだったかな確か
た時にすごくピカソーが悲しんでたっていう話で
結局自分には彼しかいなかったみたいなことをポツンと言ったらしいんですよね
孤独というか
面白いですねそれ
そういう孤独の中にいて
でも唯一あれだけ多くの女性と暮らしていても
満たされなかったものが
全然違うスタイルの画家のマチスに何かを感じていて
ライバルだったんだけど
彼が亡くなった瞬間にそういう寂しさを口にしたみたいな
人間じゃないですか
マティスの芸術表現
人間っぽいですよね
それいいですね
私の中でピカソーって男性性ゴリゴリの絵を描く人で
マチスは対照的に
たまにいるんですけど男性だけどもはやこの人魔女だなっていう絵を描く人が
私の中でいるんですけど
マチスは魔女タイプの人で
かなり女性性が発展した画家と思ってるんですけど
そのマチスにそういう思いを抱いていたピカソーっていうのは
いいねって思いますね
いいなと思いました
ちょっと前に上野でやってたマチスの展示見に行ったんですけど
人多すぎて北海道の人口密に慣れてる僕にとっては
死にかかったんですけど上野で
キリエの作品って
色彩を純粋化した作品というか
色彩をもっと純粋に表すためにやった表現だとばっかり思ってたんですけど
キリエに本格的に行く前にブロンズめっちゃ作ってんですね彫刻
そうなんや
めちゃくちゃその彫刻的質量とか
重たさみたいな形の重たさみたいなことをすごくやって
それを平面に置き換えた時に必要だったのが
ハサミで色紙をザクって形を切り落とすみたいな
っていう行為だったからあのキリエってかなり彫刻的な行為というか
意識で作られてたんだっていうのが分かってそれは良かった
なるほどね
それであんなに勢いがあるんですね
本人もなんか筆を使いさずに形を直接
色と形を直接こう切り落とすというかポンと生み出すのに
絶対ハサミじゃないとダメだったみたいなことを
僕なんか体がヨボヨボになって筆が持てなくなったから
キリエになったんだとばっかり思ってたんですけど
もちろんそれもあるんだけど割と彼の思考の流れがそうだったんだと思って
結構それは新しい発見でしたね
いいですね
地図の流れも面白いですね
なんか物事の見え方ってそういう情報量によって
やっぱり変わりますよね
マジスが超ひどいやつだったかもしれないですね
そうですね
今度ちょっとそっち側気になってきますね
めっちゃ悪口ノート書いてたかもしれないですね
いい質だ
でもそれで発散することで表面的にはあれだったかもしれないですね
人間の複雑さ
それはだから人それぞれのなんかやっぱり教室の仕方っていうのもあるし
実際どうだろうか全然わかんないけど
でもなんかあのすごく喋って
自分が囚われていたところが喋ってこうやって話を聞いたことで
救われたというか
もつれてた部分が解消してこっち行けばいいんだなっていうのが
見えました
ありがとう
いやーなんか矛盾しますよね自分単体でも
めっちゃしますよ
ね
なんか僕も割とその自分の活動の中でこういうことをしたいって
こういうことを伝えたいとかって考えてる時はすごくこう
うん
自分の中ではすごく素晴らしいことというか
これ価値だと思っていることを発信している一方で
なんかこう
家の中で奥さんと喧嘩している時の自分の人間性の小ささ
とかすごいやっぱりなんかそこの触れ幅とギャップ
凄まじいギャップを感じるけどでもどっちも僕っていうか
あるじゃないですか
それ同じようにやっぱなんか人間って複雑なものを一面で評価しようとしすぎると
やっぱりいろんなものを見落とすと思うんですよね
結局素晴らしいこと言ってるあいつもなんか別の場面では
すごいなんか全然ダメな奴だったみたいなことって
僕そっちの方がなんかリアリティを感じるというか
それはなんか単純に嘘をついているとかっていうことじゃなくて
自分の中でやっぱり自分の人間性の小ささとか
リアリティを感じるというか
それはなんか単純に嘘をついているとかっていうことじゃなくて
なんか多面的に全部事実というか
っていうことなんだろうなって思うんですよね
だからいい人そうに見えたあいつが
なんかそんなクズなことしてたのとかって聞いても
そういう意味ではあんまり驚かないというかね
ああそういう側面があった
そういう多面性の中でその面が出ちゃったんだねっていう思うだけで
芸能人の炎上を一生懸命叩いている人たちって
そういうことを理解がないわけですよね
一面で理解していたから
そこのギャップに驚いてショックを受けていかってっていう
でもそれはなんか全然リアリティじゃないんだと思うんですけどね
でもなんかそれは叩かれてしまう芸能人の方も
その前に一側面
ポジティブな面しか表現していなくて
そしてそれを受け取っていた人が
期待が募っていきなり見せられたから
怒ってしまうみたいな部分もあるのかなと
だから表現者側の責任もあるのかなとは思いますね
ピカソとアートの受け取り方
確かにピカソのお話で言うと
権威っていうのによく無自覚だったとしても乗っかってしまっていたからこそ
そこのギャップがすごいことになっちゃっているっていうことはあるよね
確かに
多面的なものを見ていきたいですね
そうですね
だからピカソが結局絵画で追求していたものの見方みたいなのは
そういうことだったわけだろうし
その目に見えている部分だけを描くわけではなくて
そうじゃんキュビズのね
だからそういうのも含めて考えるとむしろより深みがあるよね
何を考えて描いてたんだろうなみたいな
そうか
なんか僕すごい好きな言い回しがあって
友人で美術解説する像さんって美術さんが言ってたんですけど
なんかアートを受け取るとか表現を受け取るのって
虫眼鏡を手渡されるようなものっていうふうに言い表してて
彼はアートの見え方がより深まるような解説とか
そういうワークショップとかをやってますけど
それはなんか自分はこれはこうなんだって正解を教えるみたいな立場ではなく
もっとよく見えるようになる虫眼鏡を手渡して
それを使って細かく観察するのはその人の能動的な主体的な部分で
だからある一つの作家はそういう考え方を提示してるし
別の作家はまたそういう自分なりの世界の見え方を提示してるしみたいな
その虫眼鏡を受け取ることでその後の世界の見え方が変わる変容するっていうような
それがアートに触れることの面白さですみたいなことをおっしゃってて
と思いました
だんだん処理できないくらい
時間があれだね
情報が頭の中にパンクしてきた
話しましたね
よかったですね
あとは話したいことないですか?
始まってしまうね
また終われなかった
今日は満足したかな
人間性の話から
多面的に世界を捉えるということを
面白かったね
意外とピカソがやりたかったことができてたのかもね
みたいに思いました
こんなとこですかね
じゃあまた話したいことがたまってきたら連絡しますね
お疲れ様でした
ありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました