就職氷河期世代の経験
さて今回はですね、ある個人の非常にリアルな経験について深く掘り下げていきたいと思います。
昭和56年生まれのある女性から提供いただいた音声記録が元になっています。
ご自身のキャリア、特に就職氷河期世代の同僚とかお友達との比較を通してですね、当時の社会の状況ですとか、女性の働き方について語ってくださっています。
なるほど、非常に興味深いテーマですね。個人の視点から時代が見える。
そうなんです。この方の具体的な経験を通してですね、当時の女性が直面したキャリアの壁。そこでどういう選択をして、それがどう繋がっていったのか。
特にその、正社員として働き続けることの現実的な難しさ。
そのためにどんな個人的な選択とか葛藤があったのか。ここにあなたと一緒に光を当てていきたいなと。
よろしくお願いします。
まず語り手の方は、昭和56年生まれで短大を卒業してすぐに就職されたんですね。
はい。
なので新卒で一緒に入った同期の多くは、四年制大学を出た昭和54年生まれだったと。
ああ、なるほど。少し年上の四大卒の方が多かったわけですね。
そうなんです。この世代間のちょっとした違いと、時代背景。ここがまずポイントになりそうです。
まさに就職氷河期その真っ只中ですよね。
ですよね。
同僚の方々は、それこそ100社以上受けて、もうようやくないて、みたいな。
うわあ。
そういうかなり厳しい時代だったと。
ええ。
そんな中で、彼女はキャリア指導の先生のアドバイスもあったらしいんですが、多くの女性がちょっと敬遠しがちな営業職をあえて選ぶんですね。
ほう。営業ですか。
これが最初の、そしてかなり重要なキャリアの分岐点だったと言えそうですね。
周囲の同じ短大卒のお友達、特に事務職を選んだ方々は、20代で結婚を機にキャリアを中断するケースが多かったと。
それは当時よく聞く話ではありましたね。
そうみたいですね。一度辞めてしまうと、正社員としての復帰っていうのはすごく難しくて。
そうなんですよね。
パートタイムで働くっていうのがほとんどだったという話は、当時の状況をすごく表してるなと。
そうですね。一方で、この語り手御自身は、結婚それから出産を経ても、正社員として働き続ける道を選ぶわけです。
はい。
ただ、これも決して簡単な道ではなかった。
うーん。
ときに、育児休業、育休からの復職のときに、会社側に十分な制度が整っていなかったりとか。
あー。
あるいは、復帰に難職を示されたみたいな。
そうなんですか?
ええ。これはちょっと驚きなんですけど、労働基準監督署に相談して、それでようやく元の待遇、つまり給与水準は維持されるっていう形で復職できたと。
いや、そこまでする必要があったんですね。
そういう時代だったのかもしれないですね。
キャリアの選択と継続
給与は維持されたとはいえ、望んでいないインサイドセールス、つまり内勤の営業部門への移動とか。
はい。
その後の昇進とか昇格が見送られるみたいな、いわゆるマミートラック的な状況に置かれたということなんですね。
まさに、基本給もなかなか上がらずに、その分成果に応じたインセンティブでなんとかかわしていた時期が長かったとも語っていますね。
うーん。
管理職への道も事実上閉ざされていたと。
その背景には、やはり当時の多くの企業で育児中の女性社員に対する理解とかサポート体制が圧倒的に足りなかったこと。
それから、家事育児は女性が中心でやるもんだ、みたいな、そういう社会の考え方、通念が根強くあったと、彼女はそう分析されてますね。
なるほど。彼女は経験した不遇っていうのは、個人の問題というよりももっと大きな当時の構造的な課題だったと。
そういう側面が強いでしょうね。
ここですごく興味深いのが、彼女自身がキャリアを続けるために我を通したっていうふうに振り返ってる点なんですよ。
ほう、我を通した。
ええ。性社員っていう地位はなんとか守り抜いて、営業っていう職種で、しかも残業せずに成果を出すっていう、そういうスタイルで結果を出し続けたと。
それはすごいですね。才能もあったのかもしれないですね。
かもしれませんね。
で、短大卒っていう学歴に対するちょっとした意識もあった中で、あえて他の女性があまり選ばない道?
ええ。
特に音には、男性が多い法人営業の世界で専門性を磨いていった。この選択とその粘り強さ、これがたならぬ彼女自身の強みになったっていうことなんですね。
まさにその専門性があったからこそ、結果的に5年前に転職もできたんだと、そういうふうに考えてるようです。
なるほど。
対照的にキャリアを一旦中断した同世代の友人たちが、再就職の壁にぶつかって個人で事業を起こす、いわゆる自分業みたいなことに関心を持つ。
はい。
その気持ちにはすごく共感すると。でも同時に、その成功の難しさっていうのも非常に冷静に見ていますね。
つまり彼女の自己分析をまとめると、最初のキャリアで女性がちょっと嫌がるような職種を選んで、困難な状況でも正社員っていう立場を維持し続けたこと。
そして男性中心の環境の中で専門性を高めていったこと。
そうですね。
これらが結果的にキャリアの継続と、より良い条件での再構築を可能にしたっていうことなんですね。
そういうことになりますね。決して恵まれた環境でもなかったけれども、諦めずに状況に適応して、自分で道を切り開いてきたと。
その通りです。
彼女の経験っていうのは、単なる個人のサクセスストーリーっていうだけじゃなくて、その特定の時代の制約の中で、一個人がどう戦略的に立ち回ってキャリアを繋いできたか。それを示すすごく貴重なケーススタディーと言えるんじゃないでしょうか。
本当にそうですね。今回の記録はまさに個人の語りを通して、ある時代の女性のキャリアにおけるその構造的な課題と、それを乗り越えようとした個人のすごくリアルな戦略と葛藤を見事に浮き彫りにしてくれたと思います。
そう思います。最後にですね、あなたに一つちょっと考えていただきたい問いがあるんです。
はい。
個人の努力とか、我を通すみたいな強さ、これはもちろん大事なんですけど、それだけに頼るのではなくて、社会とか企業がですね、誰もが、例えばライフステージの変化に応じてキャリアを中断したり、方向を変えたりした後でも、再びその人らしく活躍できるような、もっと柔軟で多様な道をどうすれば用意できるんでしょうか。
うーん、重要な問いですね。
彼女が経験したようなあの不遇を、これからの時代に繰り返さないためには、一体何が必要だとあなたは考えますか。