カウンセリングの体験
私ね、以前ちょっと体調を崩した時に、一度ね、カウンセリングを受けたことがあったんですよ。
で、それは、なんかカウンセラーとしてデビューされるからって言って、なんかモニタリングをしてほしいっていうのを知り合いの知り合いの紹介から、
まあそういった話があって、1、2回だったかな、カウンセリングを受けたんですよ。で、それは、えっとね、HSP カウンセラーとかいうね、
もので、みなさんHSPって知ってますか?あれはなんかこう、精神科医の方からだと病気じゃないっていうことで、なんか判断がつかないんですよね。
で、私もあのHSPかなとか診断して思ってたんですけど、ぶっちゃけ違うなーって今思ってるんですよね。
要素があるだけであって、別に名前までは言う必要ないんじゃないみたいな。ただですね、ちょっとHSPにすごい興味があった時期があったんで、
それらしいそのコミュニティとか入ったり、まあそのそれらしい本をね、いくつか読んだりとかね、してたんですけど、
その私が入ったコミュニティのね、そういったあのHSPを研究されている方は必ず言ってたんですよ。
他の人に私HSPなんですって絶対に言わないでくださいねって。そういうふうに言うのは本当にみんなから敬遠されるから、そうだと分かっていても自分の中で留めておいてくださいっていうのは強く言ってたんですけど、
やっぱりね、いらっしゃる方結構メヘラ多かったんですよね。で、HSPのなんかHSS型とかね、HSEとかね、いろんな方があるんですけど、私の場合はHSS型が強いっていうな、なんかこう自分でね、自己判断ですよ。あれは自分で調べるだけですけど、そういうのが出てきてふーんと思ってたんですけど、
今思えばね、何でもなかったんじゃないかなと思うんですが、その当時にちょっとその知り合いの知り合いを通して、HSPカウンセラーみたいな人にカウンセリングを受けたんですね。で、今どういう状況かとか、そんなことを聞かれていろいろ話をして、経調はもちろんね、上手にされてたんですけど、その時にね、ちょっと言われたのがアダルトチルドレンだって言われたんですよ。
でね、このアダルトチルドレンっていうのは、例えばね、お医者さんとかね、精神科医の人がね、そういうふうに断定してくれるんだったらね、そうかと思うんですけど、カウンセラーって結局ね、資格がないわけですよ。資格がない、私たちパンピーとほぼほぼ同じなんですよね、状況としては。
で、そういう人にアダルトチルドレンですって言われてもね、なんかピンとこなくてね、まあもちろん毒屋と言えば毒屋かもしれない、でも毒屋のレベルもいろいろあるじゃないですか。中村さん書かれてる、あの私毒屋に育てられましたみたいな、あんなひどい毒屋ではなかったので、まあいろんなケースがあると思うんですけど、なんかそれをね、一括りにしてしまうのはちょっと恐ろしいなと思ったってことと、
あとそのHSP関連でちょっと知り合った方で、私アダルトチルドレンなんですって言って、AACって言うんですかね、ACなんですって自分で言ってくるんですよ。なんかね、やっぱり自分でそういうことを言うっていうのはね、聞いてじゃあ私に何をしてほしいのってなっちゃうんですよね。
だからですね、2,3年ぐらいちょっと心理学とか興味があって本読んだり動画見たりとかいろいろやってたんですけど、その中で感じたのがね、自分の病状を私なんとかなんですって言う人は相手に期待してるんですよね。やっぱりそれを分かってほしい、自分を知ってほしい、自分を早朝されたいとか、それが前に出る人っていうのはほとんどの方ですね、これ厳しい方かもしれないですけど、コミュニケーションコストが上がるし、いいことが1ミリもないんですよ。
だから、他人に対して自分の病状とかをね、あんまり会ったことのない人とかに明けつけにするっていうのは、なんか私はちょっと違うなと思っているんですよね。
だからですね、こういったSNSの方でも、自分が発作障害ですとかね、ADです、ACですとか言う人いるじゃないですか。それをその内容に対して配信されてるんだったらいいんですけど、それじゃない人っていうのは何が言いたいのっていう、だから優しくしてくれってことなのっていうふうになっちゃうんですよね。
って思った時に、私は自分でHSPとかACとかアダルトチュードレンとかは、なんかね、ちょっと違うなと思ったんですよ。もちろんね、その普通の家庭で育ってません。育ってません、本当に。育ってないんですけれども、育ってなかったとしても、別に今生きてるわけじゃないですか、普通に。だからね、別にそういうことはいいんじゃないかなっていう感じなんですよね。
それと、やっぱりこういったちょっとメンヘラというか、メンタルヘルス的な、ちょっとメンタルが病んでる人とか弱ってる人の大半の特徴ですよね。私も自分がちょっと経験してるので、特徴として挙げられるのが、やっぱりね、人に期待してるんですよね、常に。常に期待してる。もうここは鉄板だと思います。
だからですね、自分が拒否されたりとか自分のことを否定されたりすると、怒りに変わるんですよ。怒りをぶちまける人もいれば、溜め込んで自分の体を傷つける人もいるんですよね。そして自分の体を傷つけなかったとしても、自分を責めるので体調を崩す人がいるんですよね。
で、これって本当に良くないことだと私は思っているので、他人に対して期待しないってことから、まず始めない限りは1ミリも前に進まないっていうふうに思っているんですよ。これに気づいたのは、私は本当に遅かったんですよ。30代後半かな。後半に人に期待してはいけないっていうのを強く思ったんですよね。それだけちょっと嫌なことがやっぱりあったので。
それまでは多分そんなにね、あんまり考えてなかったんですよ。そんな深く深く考えてなくて。だからこそですね、自分が嫌なことがあったとしても、私の場合は結構言えちゃうんで、そこで発散してたかもしれないんですけど、ちょっと言えなくて嫌な思いをしたっていう場面が出てきたんですよね。30代後半で。
その時にやっぱり気づいたんですよね。やっぱり人に期待しすぎてこうなってしまったんだと。だからですね、全て期待してはいけないっていうことに気づいてからが、やっぱりめちゃめちゃ生きやすくなったんですよ。やっぱりこういうことなんだろうなっていうふうに感じたので、例えば私は自分に対して敬意を持って対応してほしいとかね、尊重してほしいとかね、認めてほしいっていう気はね、もうないんですよ。年齢も年齢ですし、今頃認めてもらってどうするんだって話なので、
あんまりなくて、もちろん褒められたら嬉しいですよ。嬉しいんですけれども、強くは思っていないんですよ。でもこれが何かの表紙でポロッと口に出る人っていません?そういう人はもう他人に対して過大な期待をしているわけですよね。だから期待をしてしまっているから、何か質問されてもポロッと出ちゃうんですよね。
自己肯定感の重要性
っていうことは、結局問題があるのは自分自身だってことに早めに気づいた方がいいと思う。私は。気づいたら多分見える世界とか考え方が一変するんですよ。これも私が経験したことなんですよね。だから全てに対して期待をなくしてしまったら、自分にしか期待しなくなるんですよ。
だから自分はまだいけるかもしれない。でもまあいけなかったらいけなくてもいいかなとかね。こういうふうに自分にしか向かなくなるので、人に対しての興味を失せるんですよ。そういうのがいいんじゃないかなと思ってるんですよ。そこが改善のポイントかなと思ってるんですが、カウンセラーとかはお金稼ぎなんで、そういうことは言ってくれません。
結局カウンセラーとかは聞くっていうところがメインじゃないですか。だからアドバイスっていうのはアドバイスらしいアドバイスっていうのは基本的にはしてもらえないし、結局アドバイスをしてもらったとしても最終的に自分を変えるか変えないかは自分自身しかないんですよ。自分自身以外いないんですよね。そこになかなか気づけない人がすごく多いなって私は思う。
これは自分の子もそうなんですよ。自分の上の子は結構そういうところがあって、私がこの間少し話をしたんですね。他人に対して期待してはいけないってことと、自分のことを他の人に対して好きになってほしいとかね。自分をもっと見てほしいとかね。そういうふうに思ってもいけないっていうことを話をしたら結構腑に落ちてたんですよね。
だから今いろんなことに悩んでる人いると思います。私だって悩んだこともあるし、そういう人の大半の答えっていうのは結局他人に期待してるってことですね。そこに尽きるかなと思います。あと人によっては他の人のせいにする。これも期待してるから他の人のせいにするっていう多席思考ってことですよね。
なので、そこが根本なんですよね。誰に相談しても結局多席思考だったり、他人に期待してる人っていうのはどんなに人に相談しても、そこが解決されない限り何も変わらないんですよ。根本的なものは。結局変えるのは自分なんだけど、ここを基準にどういうふうにしていったらいいのか。今の現状、自分の現状でできることは何なのか。ここから考えていくってことですよね。
それでないと、諦められるところ、まだいけるなっていう部分の判別もできない気がしますね。私の場合はいつもいけるだろう、いけるだろうと思ってたんですけど、ここに来て、もういろいろ限界だなって思ってるんですよね。
だから、仕事のこととかもそうですけど、仕事もここ1、2年割とゆったりしていて、その前は猛烈に忙しかったりとか、家にいながら8時間座りっぱなしとか、そんなことも結構あったんですけど、ご飯もデスクじゃないと食べれないとか、そういうのも全然こなせたんですけど、今にきてそこまできつい仕事っていうのがないんですよ。
ないから、これどうしようって、私は暇になるとすごいどうしようになっちゃうんですけど、今も思えば、これが限界だから別にちょっと暇でもいいんじゃないかなみたいな感じで開き直ってるんですよね。これはやっぱり人に対して期待してないっていうことなのかもしれないなと思ってて。
ちょっと話がね、ごちゃごちゃしちゃいましたけれども、そうなんです。だからですね、相手に対して期待をしないっていうことと、人のせいにしちゃダメですね。やっぱり。自分はどうなのか。
ですね。だから人のせいにしてる人ってすごい傷つきやすくないですか。だいたいちょっとしたことでぶち切れたりとか、無視したりとか、あとたまにいません?会社の方で朝機嫌悪くて無視する人とか、ああいう人っていうのはすごい子どもで、常に多色思考なんですよね。他の人のせいにしているから、皮膚機嫌になると、自分が機嫌悪くなると顔に出すんですよね。顔とか態度に出すんですよ。
だからまあ、子どもなんですよね。小学生の。うちの小学生の娘もそういうことしないですね。だからやっぱり精神的に子どもな人はそうなっちゃうんじゃないかなと思いますね。これはやっぱり、親との環境もあるし、持っている性格もあると思いますし、私の場合は割とね、反抗心が強いんですよね。これは性格だと思いますね。
あのすぐね、やられたことはやり返すみたいなところがあって、小学校か何かの時の社会でムハンマドっていうね、目には目を、歯には歯を。これはね、激刺さりで、なんか全ての物事これだろうって思った時があったんですよね。だからやっぱりその反骨精神みたいなものが結構強いんですけど、そうでない人もいるんですよ。
そうでない人は、心の奥底で人のせいにするんですよね。だからですね、人のせいにはしてはいけないっていうことですね。もちろんね、相手が悪いこともあります。100%もちろんあります。あるんですけど、根本的な考え方が自分で考えるんですよね。
だから人に言われて何とかとか、人に相談するじゃないんですよ。相談しても何しても、結局決めるの自分以外ないんですよね。人に決めてもらってはいけないってことなんですよね。だからそういう心づもりでいないと、私はですね、一応お母さんでもあるので、お母さんもできないし、自分自身もこれから生きていけないっていうふうには、なんか思っちゃったんですよね。
皆さんどうですかね。なんかちょっと難しい話ですけど、やっぱりこの人のせいにしないということと、人に期待しないっていうことが軸になるんじゃないかな。自分軸を作る軸になるんじゃないかなと思いますね。自分軸って言い方も好きじゃないですけど。
自己肯定感と人間関係
それと、ちょっと話は逸れちゃいますけど、自己肯定感のこととかもよく言われますけど、私は自己肯定感は高い人の方が不幸になると思ってるんですよ。逆に。自己肯定感は低い方が、私は意外と幸せなんじゃないかなと思うんですね。私は自己肯定感そんなに高くないんですよ。だから全てネガティブから入るんですよ。
ネガティブから入るから、そもそもがいい結果を招くと思ってないから、いい結果を招いたときラッキーってことなんですよ。だから自己肯定感も高すぎてもダメですよ。高すぎてもダメだけど、低すぎてもダメなんですけど、自己肯定感もニュートラルな真ん中ぐらいがちょうどいいのかもしれない。真ん中かちょっと低めぐらい。低いと反省するんですよ。高すぎると全く反省しないんですよ。全部人のせいにするんですよね。
この子のバランスもすごい大事だし、さっきの話に戻っちゃいますけど、傷つきやすい人っていうのは自己肯定感低いんじゃなくて、逆に私は高すぎるんじゃないかなっていう感じしますね。自分が好かれたい。自分を見てほしい。自分を尊重してほしい。自分を好いてほしいみたいな。
自分自分自分自分自分ってなるから、結局他人に対して自分を見てくれ、自分を見てくれみたいな。だから自己中的なところになるから、自己肯定感は意外と高いんじゃないかなと思います。どうでしょうかね。