1. スピの認識【言霊コーチ天野】
  2. 【幸福論】人生は絶対に大丈夫..
2024-02-01 45:41

【幸福論】人生は絶対に大丈夫 この原則がわかれば生きづらさはなくなる◆トゥルーマン・ショー◆イーロンマスク

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ほんと、人生って、いろいろありますよね。

でも、大丈夫ですよ。これは気休めではありません。


本当に「大丈夫」なんです。


なぜなら、この世界は「愛」で出来ていますから。


ここで言う「愛」とは「愛情」という一般的な意味ではありません。

「完全状態」という意味です。

ある意味、科学的な意味です。そこに「一切の矛盾がない」ということです。


つまり・・・


「普通にしていれば、人生は普通に善くなる」んです。

あとは「あなたの心」次第。


エゴで心の視界を曇らせないことが、とても大事です。


私が、あなたの「心」を整えるお手伝いをします。


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サマリー

科学的な考え方と唯物論的な考え方を持っている人ほど、生きづらさを感じやすいとされています。科学的な考え方は確実なことに固執してしまい、唯物論的な考え方は目に見えるものしか信じない傾向があります。しかし、実際には目に見えないものの方が多く存在し、心の次元やスタンスを高めることで生きづらさを克服できるとも言われています。目に見えないものが人生のメインであり、人生は進化のために存在しているのです。だからこそ、絶対に大丈夫であり、生きづらさはなくなるのです。目に見える部分も含めて全てが進化に向かっているので、人生は絶対に大丈夫なのです。この考え方から生じる幸福論と信仰心の関連性についてもお話されています。人生の中で起きるトラブルや生きづらさを感じないためにも、信仰心や適切なスタンスを持つことで人生は良い方向に集約され、絶対に大丈夫な状態で生きていくことができるのです。

科学的な考え方と唯物論的な考え方
あなたが進化するメルマがやってます。詳しくは概要欄から。言霊の力であなたの人生を変えるコーチはものです。
今回のテーマは、絶対に大丈夫という人生の原則を理解すれば生きづらさはなくなる、です。
生きづらさを感じがちな人っていうのは特徴があって、それは 極めて科学的にものを考える、そして
唯物論的な考え方の持ち主なんですね。 科学的であり唯物論的。
これどういうことかというと、まず一つ目の科学的というのは、 文字通り科学的ですよね。何か確実なもの
それだけを信じていくっていう、こういう考えを持っているわけなんですよ。 その確実じゃないものに関しては何かオカルトとか
そんなふうな捉え方をするんですね。 だから生き方全体が縮まった感じになっていくんですね。確実なことだけをやっていくんで。
場合によっては引きこもりみたいな感じの、引きこもりとか純引きこもりみたいな感じの、人と接点を持たないような感じの生き方にすらなってしまいます。
なぜならば、科学的に確実なことしかやりませんからね。 だからそうした場合自分の
わかることしかやらないってことじゃないですか。 だから科学的というのは、例えば実験室の中でやるようなことですよね。
実験室というのはいろんな条件を排除しているので確実ですよね。 再現性がある。
あるいは例えば学校で教わるようなこと。その学校で教わることって正解がありますよね。 必ず正解があるっていう保証がある上で問題とか出されているんで、確実性があるわけですよね。
こういったことはすごく信頼を置いてるんですよ。 こういう生きづらさを感じがちな人っていうのは。
だけどそれ以外はなんか不確実だ。 なんか偶然起きることだみたいな。
もしそういうものに何か意味を与えている人がいるとするのならば、それはオカルトだねっていう風な場合によってはちょっとバカにしちゃうぐらいな感じで
見るんですよ。そういう生きづらさを感じがちな人って。
例えば今言ったように学校で教わることっていうのは科学的ですよね。正解があるわけですから。
だけどそれ以外のこと。例えば誰かに告白してそれが受け入れてもらえるかなっていうのは、これは不確実ですよね。どうなのかわからない。
先生が教えてくれるようなことでもないし。 だからそういったことっていうのは偶発性であったり単なる偶発性で起こること。
まあうまくいく時もあるしそうでない時もあるみたいな。 だからそんなようなものだねみたいな。
もしそれに意味を与えている人がいるとするのならばそれはオカルトだっていうふうに考えるんですよ。
例えば絶対うまくいくよみたいな。あの子に告白したら絶対うまくいくよっていうふうに言ってる人がいたとしたら、いやそれなんで根拠は?っていうふうに問いたくなる。
もし根拠を取ってみて答えられなかったら、いや根拠はないんだけどうまくいくよっていうふうに言っていたならば、いやそれオカルトじゃんと。
何言ってんのと。なんかそんなふうに捉えちゃう。 あるいは人生がこの先どうなっていくのかとかそういったことも不確実ですよね。
そういったものに意味を見出している人がいたとするのならば、例えば人生は大丈夫だよっていうふうに言っている人がいたとするのならば、
まさに今回のトピック、タイトルがそうなんですけど、こういうお話をすると、いやそれとオカルトじゃんみたいな。何の根拠があるの?っていうふうに捉えちゃう。
人生この先どうなっていくかどうかなんて分からないわけだから確実なことだけやっていこうよ、科学的なことだけやっていこうよっていうふうに生きづらさを感じがちな人は考えるんですね。
目に見えないものへの無理解
あるいはさっき言ったように生きづらさを感じがちな人の特徴として科学的というのが一つともう一つ、有意物論なんですね、考え方が。
これもまさにそうで確実なことなんです。有意物論というのは目に見えるもの、手にとって触れるものですよね。
そういったものだけが確実なんだ。そういったものだけで世界は構成されているんだっていうふうに考える考え方ですよね。
現代人はほとんどそうですよね。
例えば霊的なものとかそういったものっていやないよみたいな感じじゃないですか。
例えばご先祖様が見守ってるよとか神様が見守ってるよとかそういうことを言っている人がいたらいやそれオカルトじゃんっていうふうに捉えちゃうわけですよね。
それよりは目に見えるもの確実に目に見えるものだけを考えていこうよみたいな感じ。
目に見えないものを考えるにしても例えば心ですよね。心って目に見えないですよね。
あんまり心っていうのを当てにしないんですよね。有意物論じゃって。
もし心を考えるにしても心理学みたいな感じにしてもう科学に取り込んじゃいますよね。
心も科学のうちだみたいな。だからデータを取ってこういう時は人はこういう反応するみたいな数値を取っていって
その数値通りになるようなことしかやらないみたいな。
例えば愛着理論とかっていうのがあるわけですよ心理学の用語で愛着理論。
愛なんてものはもう抽象度の高いことの一番高次元なことなんですけどそれを数値に落とし込んじゃってるんですね。
科学ってのは愛着理論ですから人の愛というものはこういうものである。
子供はこういう反応するみたいな。それを数値で取って愛着理論みたいな感じで落とし込んで
何歳まではこういうふうな育て方をしましょうみたいな。
そういう心も数値に落とし込んである程度確実なことだったらやっていくみたいな感じ。
どこまで行っても有意物論じゃっていうのは目に見えないものは信じないんですね。
信じないし仮に信じるにしても強引に科学に取り込んだ上で考えようかなみたいな感じなんですよ。
だから苦しむんですね。
というのも この世界って
目に見えないことがほとんどじゃないですか。 今目に見えないことがほとんどじゃないですかって言ったんですけど
行きづらさを感じがちな人ってこういう問いかけに関して
ん?って思うんですよ。 そうかなっていう。目に見えることのほうがほとんどじゃないの?っていう。
だってほとんど目に見えるよって。目に見えるし色々手に取って触れるし。だって世界中見ないよと。
目に見えるものだらけでしょって。 ほとんどそうなんじゃないの?目に見えるものだらけなんじゃないの?っていう。
目に見えないものなんてあるの?っていう。
なんかそんな風にすら 考えてる。
だけどよく考えたら目に見えないものの方が多いわけじゃないですか。 比率としては明らかに。
もう比率どころか99.9999999999パーセントはもう目に見えないわけですよ。
人間が見てるのは0.000000001%ぐらい なんですよ。
心の高次元と信仰心の重要性
まあこういう話をして息づらさを感じがちな人は? になるんですね。頭の中。あれ?どういうことそれ?っていう。
ほとんど目に見えるのに。何売ってるんだこの人は?みたいな。 だって例えば心っていうものを見ただけでも、これもう無限大じゃないですか。心って。
心って一瞬で、例えば今からアメリカに行けますよね。今からアメリカにポンと行けたり、宇宙にも行けますよね。
今から月に行こうって言ったらパンと一瞬で行けちゃう。 しかもその月を自分の自由自在に
イメージすることができる。例えばウサギさんがたくさんいるであるとか。 いろんなお城がたくさんあって、人が賑やかに暮らしている。そういう月を想像したっていいし、そういう月に一瞬で今この瞬間行けるわけですよね。
何だって宇宙の果てだってイメージできるし、どんなことだって未来をイメージしたり、過去を思い出したり、いろんなことがイメージできる。
これって無限大じゃないですか。 無限大ってことは
文字通り無限大なんで、目に見える範囲がものすごく小さいものに思えるぐらいですよね。
僕が今こういう話をして、負に落ちるかどうかというのが分かれ目になってくるんですよ一つの。
こういう話をして、いやだってそれ単なる想像でしょっていうイメージでしょ。 そんな考えたってしょうがないでしょっていうふうに言っちゃうような人が生きづらさを感じがちな人なんですよ。
でも一方で、この心一つ取っただけでもこんなに無限大なんだってことが当たり前にわかる人は生きづらさをあんまり感じないんですね。
なぜならば世界がクリアにわかっているから。 目に見えている範囲はすごく小さいんだってことがはっきりわかっているから。
これがはっきりわかると目に見えないものの方がメインなんだから、そっちの方をしっかりと考えていこうよっていうふうに素直に思いますよね。
だからそれが例えば自分の心を整えていくであるとか、もっと言えば信仰心みたいなもの。 信仰心って言ったって神様にお祈りするとかそういうことじゃないですよ。
そういうことじゃなく本当の意味での信仰心という言葉しかないんで、言葉で言い表すなら仕方なく信仰心という言葉を使っているんですけど、
もうちょっと日常用語で言い換えるとスタンスって感じでしょうかね。 スタンス、生きるスタンス。自分はどういうふうに生きるのかっていうスタンス。
もっと言えば意識の高さみたいな感じでしょうかね。 どういう意識で生きていくか。
心がけっていう言い方が一番適切かな。どういう心がけで生きていくか。
これが言ってみたら信仰みたいなものですよ。
そのどういう心がけっていう、その心がけの次元が高ければ高いほどより良い方向に適正化されていくんですよ人生って。
一方で心がけが低ければ低いほど人生ってダメなものになっていきますよね。
例えばその典型が闇金牛島君に出てくるダメキャラみたいな人ですよ。
ああいう人ってのはもう即物的で目に見えるものしか信じない。もう側近主義とか、もううまい話にすぐ飛びつくとか。
人生の幸せとは快楽であるとか、
良いことがある。この良いことがあるというのは自分にとって得をするとか、その感情で見て得をするであるとか、何か快楽的なことがある。
美味しい思いができるとか、そういうことが良いことだと思っている。
極めて意識が低い、心がけが低い人なんですけど、こういう人ってのはどんどん低い次元に取り込まれていくんですよ。
だから闇金牛島君のダメキャラみたいな人生になっていくんですね。
一方で心がけが高い人、次元が高い人っていうのは
孫徳とかそういう感じじゃないんですね。そうではなく人としてっていう感じ。人としてどう生きるかっていう。
人としてどう生きるのが一番
幸せか、幸せかっていう次元じゃないんですよね。あるべき姿か、みたいな感じでしょうかね。あるべき姿か。
そうした場合、例えば目の前のことを考えれば損をするようなことであったとしても、でもこれをするのがいいよねって思ったらそれをしていく。
そういうふうな行動一つ一つが積み重なると、だんだん高い次元に集約していくんですよね。
いわゆるそれは人間的な視点で見ると幸せな人生になっていくんですよ。
だから言ってみたら今言った心がけみたいなことが信仰心みたいな感じなんですね。ちょっと怪しい言葉で表現すると。信仰心。
心がけって言われたってどういう心がけで生きたらいいのっていうふうにちょっとわかんないじゃないですか。
なかなか人ってやっぱ次元が低いんだよ。だからそういう意味じゃ宗教ってある意味便利っちゃ便利なんですよね。
神様みたいな人がいて、いろんな絵に描かれたりしてるわけですよ。だからそういう人をイメージすれば、神様みたいな人
イメージすれば恥ずかしいことはできないわけじゃないですか。普段生きてて。
例えば夜中、誰もいない夜中に
缶ジュース飲んでて、誰も見てないからここに捨てちゃおうかなと。
そういうのを持った時、別に捨ててもいいわけですよね。誰も見てないし罰せられることもないし、何の支障もないわけですよ。
その得感情で言えばむしろ得をする。
手ぶらになれるわけですから。
だから得をする。自分は得をする。
そうですよね。だけど信仰心を持てば、今これ神様が見てるよって、いつも拝んでるあの絵に書いてある
神様が今まさに見てるよっていう、そういう意識でいると、ちょっとここで捨てるのは人として恥ずかしいことだと。
そういう生き方はできないなっていう判断になるわけじゃないですか。 だからある意味宗教って便利っちゃ便利なんですよ。
ちなみに僕は別にどこの宗教にも属していませんけどね。ただ宗教ってやっぱり気をつけなきゃいけなくて、
人を依存させたり支配するための宗教っていうのもありますからね。実際そういうことに宗教が使われてきたっていう歴史もあるんで。
目に見えないものの重要性
だから科学が優位になって、今みたいな感じになっているわけですけど、でもそれって大いなる誤解で
そういう変な人がいるからといって、じゃあそういう目に見えないことを重視していくってことがダメなことかっていうと、そんなことは全然ないわけですよね。
むしろそっちの方がメインなわけですから。 だから僕らはせっかくこうやって
人類というものが昔からいろんな歴史を紡ぎ上げてくれているわけですよね。だから宗教が例えば免罪符みたいなものを売り始めて金儲けに
利用し始めた人々、あるいは人々を支配して戦争に駆り立てるであるとか、そういうことを宗教という論理を使って行おうとしたであるとか、そういう悲しい歴史があるわけですよね。
そういう歴史があったから宗教なんてダメだということで科学は流星してきたわけですけど、だけどそういった歴史に学ぶ必要があるんですよ。
ああいう形の宗教の利用の仕方はダメだなと。どうせ利用するんだったら本質的に生きるスタンス、心がけを良くしていくってことで利用していこうと。
一番いいのは宗教なんか信仰しないのが一番いいんですけどね。 あくまで心がけ、自分の心がけを大事にしていくっていうことを考えていく。
それが分かんなくなった時に、その取っ掛かりとして宗教を利用させてもらおうかと。
そういう順番だったらいいんですけどね。いずれにしても、ちょっと話が反るかけたので戻しますけど、
目に見えないものの方がメインなんですよ。唯物論的に考えるというのは、目に見える部分というのはすごく次元が低いわけですから。
次元が低い。ありとあらゆるものがあって、ようやく目に見えるものとしてポンと現れているのが目に見えている領域ですから。
行ってみたら氷山の一角みたいなものなんですよ。
だから目に見えている部分ってすごくほんのほんの一部なんですね。
これ何でもそうで、例えば飛行機を作るというのもそうですね。飛行機って目に見えるものじゃないですか。
だけど実は飛行機ができている、あの完成された飛行機の裏側にあるのは膨大な目に見えないものですよね。
伝わってます?これ。
例えばそもそも歴史を言えば、空を飛びたいなっていう人々の願望があった。
鳥のように空を飛んでみたいなっていう願望があった。
それが渦巻いてた。憧れみたいなものですよね。
人ってやっぱり飛びたいみたいな願望があるじゃないですか。だから鳥人間コンテストとかも流行るんですけど。
飛んでみたいなっていう願望。それが渦巻いてた。
目に見えない渦巻いてるものですよね。
渦巻いていって、いろんな人が試みてきた。鳥人間コンテストみたいなことをして。
たくさんの人が失敗してきた。だから多分無理なんだろうって諦めかけてもいた。
だけどそんな時にいろんな設計をして、こうしてみるといいんじゃないか、ああしてみるといいんじゃないかって設計をして描いてみた。
こういう飛行機、飛行機っていうものを作ってみたら多分大丈夫なんじゃないか。飛べるんじゃないかって。
だから設計をした段階ってまだ目に見えないわけですよね。あくまで頭の中にあるだけ。
それを図面にするとちょっと目に見えてくる。
そこからだんだん材料を集めたりして飛行機を作る。
その材料を集めるっていうのも目に見えないことがすごく関わっているわけですよ。
例えば人間関係であるとか、あの人に頼もう、あの材料はここから調達しよう、あの人は多分調達できるはずだっていう。
こういうことも目に見えない、人の縁ですよね。人の縁みたいなものも関わって、それがだんだん集まってきてようやく飛行機っていうものができたわけです。
言ってみたらこの飛行機っていう目に見える物体は目に見えないものが渦巻いていて、それが氷山の一角としてちょこっと出た部分なんですね。
だから目に見えている領域って本当氷山の一角なんですよ。一番次元が低い部分。
行きづらさを感じがちな人っていうのはこの次元が低い部分だけを見て生きてしまっている人なんですよ。
それはやっぱりうまくいかないわけですよね、人生って。
なぜならば例えば文字より次元が低いわけですからそれは。
例えば今の飛行機っていう例をとってみても、飛行機というものは今あるわけですよね。目に見えるものとしてある。
それを目に見えるその部分しか見ないわけですよ、行きづらさを感じがちな人は。
飛行機を作る過程
例えば単なる道具としか見なかったり。
単なる道具としか見ないっていう段階だったらまだいいですけど、それを間違った方向に使ってしまったりもしますよね。
例えば戦争に使うであるとか。
だから人々ってそういうふうになっちゃってますよね、自然破壊したりとか。
目に見えるものしか見ないからそういう方向に行くわけですよ。
だけどそもそも飛行機が生まれた背景って一体何なんですかってことを考えた場合に憧れじゃないですか、人々の。
空を飛べたらいいなっていう憧れ。
だから良いものを作ろうっていうそういう心があったわけですよね。
そういうものが渦巻いていて、いろんな人の縁なんかも結びついて、だから良いものとして生まれたわけですよね、飛行機って。
目に見えない領域では良いものなんですよ、飛行機って。
だけどその良いもの、良い領域が見えてないから、だってその領域って目に見えないから。
だから単純に飛行機という物体だけ見て、こういう便利なものがあるんだ、
じゃああの国にこの飛行機を使って何か落としたりすれば良いことがあるかもしれないみたいな。
しかもその良いことっていうのも自分にとって得をするっていうことですからね。
そこで閃光を上げるであるとか、何か奪うであるとか。
どこまで行っても次元が低い、目に見えるものだけで見てる人っていうのは。
だからどんどんどんどん次元が低い方向に人生が追いやられてしまうわけなんですよ。
なのでこの目に見えないものの方がほとんどだし、さっき言ったように科学的に確実なものだけが全てじゃないっていう風な、
こういう本来の認識に立ち戻っていくことが大事ですよね。
その上でようやく今回の本題に入ってくるわけですけど、ちょっと前振りが長くなってしまいましたね。
今回の本来タイトルは絶対に大丈夫、絶対に大丈夫。
こういう人生の幻想というものがあって、
絶対に大丈夫っていう、絶対に大丈夫。
こういう人生の原則を理解すれば生きづらさはなくなるっていうタイトルにしたんですけど、
これはまさにそうなんですよね。本当に絶対に大丈夫なんですよ。絶対に大丈夫。
人生って絶対に大丈夫なんですね。
なぜならば、全ては進化の方向に進んでいるし、全ては矛盾がないし、全ては繋がっているし、
良いものとしてこの世界は存在しているわけですから。
そうですよね。悪いものとして存在してますか?
悪いものにしているのは人間の心ですからね。
人間が戦争を起こしたりいろいろやってるんで、なんか悪い、なんか邪悪な出来事も起こってますけど、
本来、愛にあふれてますからね、この世界って。
良いものとしてこの世界って存在しているわけですから。
そうですよね。だって、悪いものとして存在するんだったら何の意味があるんですか、この世界が存在している。
宇宙なんて最初からないほうがいいわけじゃないですか。
そうですよね。宗教的な表現をすると、神様が光あれっていうふうに言って、光を見出した、そして大地を見出した。
そういうところから世界が始まってるわけですよね。
科学的な説明をすると、玉付き現象ですよ。最初のビッグバン、宇宙のビッグバンが始まった、ポーンと始まった。
そこからいろんなものが広がっていって、今みたいな感じになってるわけですよね。
それっていうのは、良いものとして生まれたっていうふうに考えるのが自然じゃないですか。
だって、悪いものとして生まれたんだったら最初からないほうがいいわけですから、そんなものは。
伝わってますかね、この辺りって。
そうですよね。良いものだから存在してるわけですよね。
悪いものなんて存在しないほうがいいわけじゃないですか、最初から。
ここが負に落ちるかどうかですよ。
負に落ちない場合は、実際にいろいろ起きてる現象を見てください。見てみてください。世界でいろいろ起きてる現象。
それをよくよく見ていけば、すべては良い方向に行くわけですよ。
それをよくよく見ていけば、すべては良い方向に進んでるってことはわかりますか。
もちろん人間はさっきも言ったように、無知なんで愚かなんで、戦争したりいろいろするわけですよ。
だから、邪悪なことっていうのはあくまで人間が起こしてるんですけど、だけど最終的にそういったことも自然に取り込まれていくわけじゃないですか。
例えば、戦争が起きて、だけどそのままにはならないわけですよね。必ずそこから復興して、新たな人々の生活が始まって、
それはその戦争を踏まえた上で反省して改善してって感じで必ず進化してるわけじゃないですか。
これもし世界とか宇宙というものが、邪悪なものとして、悪いものとして生み出されていたとするのならば、どんどんどんどん悪い方向に行かなきゃおかしいですよね。
だから、科学技術はどんどん退化していかないとおかしいし、世界はどんどん北斗の県並みに悪くなっていかないとおかしいし、
だけど一時的に悪くなることはあっても最終的に螺旋階段状に登っていくじゃないですか、すべてのことって。
例えば経済とかも、経済停滞することっていうのはあるわけですよ。だけど最終的にいろんな反省なんかも含めつつ、また経済は上に上がっていって、
多くの人が幸せに生きるようなシステムが新たに整えられて、どんどんどんどん進化していっているわけですよね。
資本主義っていうのも一つの人々の創意工夫の中から出てきたものですよ。資本主義って完璧じゃないんですけど。
だから資本主義はこの先もう頭打ちが来てなくなります。なくなりますけど、でも新たな何かしらの概念というのが出てきますよ。
そうやっていろんなものがなくなってはいくんだけど、でもなくなった後に必ず進化した上で進んでいくわけじゃないですか。
だからすべては進化のためにある。この宇宙そのものが進化のために存在しているんですね。
さっきから何回も言っているように、退化のために存在しているんだったら最初からない方がいいわけですから。
そんなものはないわけです。最終的にその局所的に見れば退化の方向に進んでいたとしても、必ず良い方向に導かれるっていうのがこの宇宙ですよね。この世界ですよね。
そういったこと、そういった現象がありとあらゆるところで起きているってことを見れば、明らかにわかるわけじゃないですか。すべては良い方向に進んでいるってことが。
っていうことは大丈夫なんですよ。人生って大丈夫なんですよ。
だからこの大丈夫という絶対的な安心感のままに、不安にならずに生ければいいんですね、みたいなことを言って腑に落ちますかね。
もしかしたらこう思う人がいるかもしれません。
いやいや、それはわかると。世界は進化の方向に進んでいる。確かにそうだよねと。
だけど、やはり何だかんだで局所的に悪くなる場面ってあるでしょと。
その悪くなる場面に、もし自分の人生がぶち当たってしまったら、それって全然大丈夫じゃないじゃんって思う人っていると思うんですよ。そうですよね。
まあ確かにそうです。例えば経済もいろいろ上下しながら最終的に良い方向に導かれていってるんですけど、
でも悪い時にぶち当たってしまって、そのまま自分の人生が終わっちゃった人とかっているわけですからね。
それは全然人生大丈夫じゃないじゃんっていうふうに何か思えるし、それにいろいろ見ていると、例えば不幸な出来事っていうのもあるわけですよね。
災害とかもあるし、そういった出来事にぶち当たっちゃった人って、もう全然大丈夫じゃないじゃん。
だから大丈夫って言われたって、それはちょっとおかしいよねっていうふうに思う人もいると思うんですよ。
まさにこういう人が生きづらさを感じがちな人なんですけど。
でも絶対大丈夫です。絶対大丈夫です。
なぜならばさっきから繰り返しているように、進化のために世界は存在しているわけですから。
進化、愛、すべてが矛盾なくつながっている。すべては良い方向に進んでいる。
目に見えている部分と進化
そういったものでなければ最初から世界なんて存在していないわけですから。
だから大丈夫なわけです。
今こういうふうに言っても、いやいや全然反論になっていないよと。
局所的に悪くなった時のことを言っているんだよ。
そういう時に自分がぶち当たったらダメじゃんっていう話をしているのに、いやいや世界は進化に向かっているからっていう話をされたって、
それはちょっと納得できないよっていうふうに思う人もいると思うんですよね。
だけど、最初の方に言いましたよね。
この世界は目に見えている部分っていうのはほんの一部分ですから。
目に見えている部分はほんの一部分なんですよ。
すごく重要なことを言っていますよ。目に見えている部分ってほんの一部分なんですよ。
もう一回言いますよ。目に見えている部分ってほんの一部分なんですよ。
しつこいようですけどもう一回言います。目に見えている部分ってほんの一部分なんですよ。
0.000000001%ぐらい。もっと下かもしれない。
そのぐらいのものしか僕らは見ていないんですよ。
かつ世界は進化に向かっている。全ては良い方向に導かれている。
この2つを掛け合わせたらどうなりますか。もう一回言いますよ。
目に見えている部分は一部分です。ほんの一部分です。
かつ世界は常に良い方向に導かれています。
この2つを掛け合わせるとどうなりますか。
人生は絶対に大丈夫という結論に行き着きませんか。
なかなかこの辺がどういうことなのって思う方もいるでしょうから。
2つの考えがあると思います。
今僕が言ったことから導き出される考え、考えというか捉え方ですね。
世界の捉え方、人生の捉え方は2つあると思います。大きく分けて。
まず1つは確かにその局所的に悪くなった部分に自分の人生がぶち当たってしまって、
そのまま人生を終えちゃったということになった場合は、
悪いまま人生を終わっちゃったかなというふうに見えますよね。
重要なことを言いましたよ。見えますよね。
僕さっき言いましたよね。目に見えている部分はほんの一部だと。
そのように見えているのは目に見えている部分だけで判断しているんですよ。
人生の捉え方の2つの考え方
つまりそういうふうに局所的に悪くなったところに自分の人生がぶち当たってしまって、
それで人生が終わったとしても、それは単に見えている範囲で悪く見えて終わったというだけですよね。
だけどさっきから何回も言っているように、目に見えないもののほうがメインなわけですから。
そっちの領域ではうまくいっているんですよ。
これを人間の頭で分かる説明の仕方をすると、
次の人生でうまくいくという言い方になるでしょうかね。
この失敗を踏まえて、次の人生では大きく体制するよという。
例えば今僕らが見えている世界では、
人間の人生が悪く見えていないという状況で、
うまくいっているように見える人っているわけですよね。
スポーツですごい成績を上げている人とか、
そういう人ってもしかしたら前の人生で、
局所的に悪いところに自分の人生がぶち当たってしまって、悪いまま終わった人かもしれないんですよ。
それを踏まえて今、悪いところに自分の人生がぶち当たってしまって、
悪いまま終わった人かもしれないんですよ。
ただそれを踏まえて今、いい感じでうまくいっているのかもしれないですね。
だからこういう考えが一つありますよね。
必ずいい方向に導かれるわけですから。必ず。
もう一つの見方としては、
自分が今見ているいろいろ不運に思える出来事。
例えば戦争であったりとか、いろいろありますよね。
そういったものは実はないんだっていう。
全部ホログラムなんだっていう見方。
これは別に適当な話でもなんでもなく、これは誰も証明できないんですよ。
自分が今見ているこの世界、目に見えているものはホログラム、
もっと言えば演劇、映画、夢、
そういったものを見せられているということを、
これに対して反論できる人なんていないんですね、一人も。
例えばイーロン・マスクは、人類はコンピューターシミュレーションの中で生きていると言っているんですよ。
イーロン・マスクなんて言ってみたら、
ある意味目に見える世界を重視する人からすれば神みたいな人ですよね。
目に見える世界でうまくいっているし、
コンピューターとかITとかそういったものをすごく重視する人なんで、
いわゆる頭がいいみたいな思考で物事を論理的に突き詰めて考えていく人の一つの典型例じゃないですか。
そういう人が人類はコンピューターシミュレーションの中で生きていると言っているんですよ。
これは誰も反論できないんですね、さっきも言いましたけど。
だって人間の五感って完璧じゃないですから。
だって視力一つ取ったってせいぜい1.5ぐらいしかないわけじゃないですか、人の視力って。
すごい遠くが見れるわけでもないし、すごい小さいものが見れるわけじゃないですよね。
原始が見れるわけじゃないですよね。
だからその時点で不正確なんですよ、見ているものって。
だからそういう不正確な処理機関ですよ。
そういう不正確な処理機関で見ているものが、じゃあ正確なのと言われるようになるんですよ。
そうするとそれはわからないわけじゃないですか、そうですよね。
だからこの世界はホログラムだと、演劇だと、映画だと、そう言われたって誰も反論できないんですよ。
もし反論している人がいるのならば、あなたは完璧な五感を持っているんですねと。
あなたは原始が見れるんですね、原始どころか素粒子も見れるんですね、すごいですねっていう。
視力1.5どころじゃないんですよ、宇宙の果てまで見えちゃうんですよね、すごいですね。
だからあなた反論できるんだっていう、そこまでの人だったら反論したっていいですけど、でもそんな人はいないわけです。
だからこの世界はホログラムだっていうことに関して誰も反論なんてできないわけなんですよ。
昔トゥルーマンショーっていう映画がありましたよね、ジム・キャリーが主演の。
あれってそんな感じですよね、主人公は普通に日常生活を送ってます。
だけど実はそこに出てくるのはすべて演劇なんですよ。
知り合いから何からすべてが仕組まれた役者さんなんですね。
友達から何から家族から何から全部役者さんなんですよ。
それを全米で放映してるんですよ。
主人公は普通に自分の人生を歩んでると思ってますよ。
だけど実はそれがエンタメとして全米に放映されてると。
だから隠し撮りされてるんですよ、主人公が。
で、いろんな役者さんが主人公であるジム・キャリーといろいろ話をしたりするんですけど
その話をしたりする様子も全部見てるんですよね、全米が。
そういうトゥルーマンショーっていう映画があるんですけど
非常に願蓄の深い映画なんでぜひ一度見ていただけたらと思うんですけど
言ってみたら自分の人生もトゥルーマンショーである可能性ってあるんですよ。
全米できないんですよ。
あなたのご家族、役者さんかもしれませんよ、もしかしたら。
そうじゃないと言い切れますか。
誰も言い切れません、そんなことは。
つまり、僕さっき言いましたよね。
目に見えてる部分なんてほんの一部分なんですよ。
自分が今分かってる。自分の家族は自分の家族だなって思ってる。
だからそんなものは当てにならないんですよ。
役者さんかもしれない、本当は。
分かんないんですね。
プラス、さっきも言いましたよね。
全ては進化に向かっている。
この目に見えないことがほとんどであり、目に見えていることは一部分であるってことと
全ては進化に向かっているっていう、この二つを掛け合わせたら
じゃあ世界で起きているいろんな不運な出来事っていうものは最初から存在しないんだと。
それは自分をドッキリさせるために、ドッキリでいろいろ起こってるんだと。
こんな戦争があの国でありました。
だから気をつけましょう。
そうやって警戒心を持たせるために、ああいう出来事を演劇として見せてくれてるんだと。
だからあなたには起こらないよって。
あなたには絶対起こらないけどね。
だけど一応この世界を彩るものとして一応見ておいてよって。
こういう出来事、いろいろ起こってる。
不運な出来事、いろいろ起こってる。
だけどあなたは最終的に大丈夫だからと。
最終的に幸せに人生を終えていくから。
まあまあ余裕しゃくしゃくで生きてくださいと言いたいところなんですよ。
そういうことは言いませんけどね。
だってそうですよね。トゥルーマンショーっていう映画。
まあさっきも言った通りジム・キャリー主演の映画。
あれは全米が見てるわけですから、ネタバレするわけにはいかないんですよ、主人公に。
ジム・キャリーさんあなた隠し撮りされてますよと、全米が見てますよと。
そういうふうに言われたら台無しじゃないですか。
だからそれは主人公には知らせないんですよ。
家族も自分が役者だということは言わないんですよ。
黙って家族のふりしてジム・キャリーと友達だったり家族だったりそういう人間関係を築くんですね。
ネタバレはしない。ネタバレはしないから主人公はもうハラハラドキドキですよ。
それと同じように僕らもネタバレされてないからハラハラドキドキしてますけど、
でも少なくともそういうふうな出来事は自分には起きないんだと。
あくまでホログラム演劇として見せてくれてるだけだから。
ドッキリとして見せてくれてるだけだから。
っていう考えがあります。
だからこれはどっちの考えかは分かりません。
最初の考えは最終的に自分が不運な局所的に不運になった、
世界が局所的に不運になったところに自分の人生がぶち当たってしまったとしても、
でも次の人生でうまくいくとか、もっと高次元、高い視点、広い視野から見ればうまくいってるであるとか。
そういうことかもしれないし、今言ったように全てはホログラムで、
いろいろ世界に不運な出来事が起きてるように見えるかもしれないけど、
でもそういったものは自分の人生には少なくとも起きないよっていう。
そういうことかもしれないし。
どっちかは分からないですけど、いずれにしても全ては進化に向かっているわけですかね。
進化に向かっていて、かつ自分が見ているのは目に見えている領域でほんの一部ですからね。
信仰と幸福論
この2つを掛け合わせると絶対大丈夫っていう結論に行くじゃないですか。
だから大丈夫なんですよ本当に。
安心して生きちゃっていいんですね。
安心して。
安心して生きると生きづらさってなくなっていくわけじゃないですか。
安心できないから生きづらいわけですよね。
失敗したらどうしようとか不安になって生きづらくなってしまうわけですよね。
だけど失敗してもそれは最終的に高次元から見れば大成功のうちに入っているし、
あるいはもしかしたらいろいろ世界で起きている大失敗っていうのは自分には起きないかもしれないし、
いずれにしても大丈夫なわけですから。
じゃあ余裕しゃくしゃくで楽しく生きづらさを感じることなく生きることができるわけですよね。
で、最初の方にもちょこっと言った。
信仰を持っている人っていうのはこういうことを自動的にやっているんですよね。
僕が今言ったような感じでここまでメカニズムをはっきりと分かった上でやっているかどうかは別ですけど、
なんかそういう方向になっているんですよ自然に。
まあそうですね。
例えば昔のおじいちゃんおばあちゃんとかって信仰心がすごく強いわけじゃないですか。
神様にお祈りしたり仏壇とか神様とか何かいろいろ。
八百万の神ですよ。
全てのものを神としてみて何かお祈りしたりしているわけじゃないですか。
で、そういうおじいちゃんおばあちゃんって何か幸せな感じになっていきますよね最終的に。
なんだかんだで。
メカニズムは分かっていなくても。
人生の安心感
なんかああ私の人生幸せじゃったみたいな感じになっていくじゃないですかそういう人って。
なんか自然と。
でそれっていうのは何でそうなっていくかというと生きづらさを感じてないからなんですよ。
それは人生の中でいろいろ起きるわけですよ近所のトラブルであるとかいろんなトラブルが起きる。
だけどその度に何枚ダブ何枚ダブ何枚ダブとか言ったりして。
メカニズムはよく分かってないですよ。
昔のおじいちゃんおばあちゃんは。
だからメカニズム分かってなくても何枚ダブ何枚ダブとか言っていると。
なんかその信仰心みたいなものが上手い具合にこの人生は絶対大丈夫だっていうこの原則にパチッとはまって。
なんかいい感じで回っていくんですよね。
だからメカニズムなんて別に分からなくてもいいんですよ本来。
実践すればいいんですよ。
自動販売機と同じですよ。
自動販売機も中身どうなっているか分からないですよね。
だけどコインを入れてボタンを押したらジュースが出るってことは分かるわけじゃないですか。
だから別にメカニズムなんて分かる必要ないんですよ。
安心してコインを入れてボタンを押せばいいんですね。
だけど不安だって言うんだったらじゃあちょっと自動販売機のお勉強をしてこういうメカニズムになっているのかと。
だから必ずコインを入れてボタンを押せば100%ジュースが出てくるんだというふうに確信して。
それでジュースを買ってみてもいいと思いますけど。
どっちでもいいですよ。
メカニズムを知っておきたいって言うんだったら知っておくといいですし。
そのために今回のトークって役立つわけですけど。
なんか僕の話していることがめんどくさいなというふうに思ったらメカニズムなんていいですから。
信仰心だけ持てばいいですよ、信仰心だけ。
繰り返し言いますけど信仰心って言ったって怪しい宗教を実践したらダメですよ。
そうじゃなく本当の意味での信仰心。
だから生きるスタンスですよ。
生きるスタンス、生き方、生きる心掛け。
高い心掛けで生きる。
そうするとメカニズムをわかってなくても最終的に人生っていい方向に集約していきますから。
それが言ってみたら人生は絶対大丈夫っていう状態の中で生きてるってことですよね。
何となく伝わりましたでしょうか。
人生はいろいろですけど頑張っていきましょうねって。
あなたが進化するメルマがやってます。詳しくは概要欄から。
45:41

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