1. スピの認識【言霊コーチ天野】
  2. 【幸福論】自分のために、あえ..

自分が幸せになるには、まず他人を幸せにすることが大事です。

【言霊コーチ・天野和幸】

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あなたが進化するメルマがやってます。詳しくは概要欄から 言霊の力であなたの人生を変えるコーチ天野です。今回のテーマは
幸せの本質 自分のために、あえてみんなのために生きる
利己と利他はエンドレス です
今回の話はですね、本当に深いです
まあ なかなかですね幸せになれないなっていう人は、ここの部分を見落としてるんですね
なのでぜひですね、まあ
踏み落としていただきたい話なんですけど まあ
まさにタイトルの通りなんですね。自分のために、あえてみんなのために生きるということが幸せに
つながっていくわけですよ。で、まあこういうことを言ってもですね
いやそういう話ってよく聞くよっていう
そういう反応される方もおられると思うんですね。まあ確かにそうですよね。まあ
昔から言われているようなことじゃないですか。みんなのためにいきましょうと。そうすれば自分も幸せになれるよ
みたいな。なんかそんなようなことですよね。
なんか綺麗事というか
単なる格言的なものとして あまりにもそう言われていることなんで、そういうふうにもう受け取られがちですよね
だけどこれって本質なんですよ
つまり自分のためにあえてみんなのために生きるっていうのが本質なんです。ここを見逃してるから
人ってなかなか幸せになれないんですね。で、これをですね
まあ単なる綺麗事とかそういうことではなく、こういうことなんだよっていう、こういう メカニズムになっているんだよっていうことをひとつひとつ紐解いて今回お話ししていくんで
ぜひですね、本当に踏み落としていただきたいんですね
で じゃあここから本編に入っていきますけど
まず大前提としてこの世界は極めて科学的にできています 科学的っていうのはどういうことかというと矛盾がないってことです
一切の矛盾がない 全部つながっているんですよ
うん だけど人間は、なんかこう人間のわかる範囲だけの話は
科学として 理にかなっているっていうような捉え方をするんですけどそれ以外のことに関しては
なんか単なる偶然とかオカルトとかそういう 捉え方をしますよね
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例えば自分がどこに生まれた、誰の親のもとに生まれたとかそういうのも 単なる偶然でしょって
そういうことですよね だから親ガチャっていう言葉があったりするわけじゃないですか
だからそこにはもう何の必然性もない 単に偶然に
ある日ぽんと生まれたんだよっていう まさに本当偶然ですよね
偶然みたいなものがいろいろとあって そんな中を僕らは生きているみたいな
そうやっていろいろなことが偶然だと単なるガチャだっていうふうに言いながらですよ
言いながら 自分の中見える範囲内のことに関しては
科学的論理的に考えますよね 人間って
ここが本当におかしなところで この
おかしな部分わかります 気づきますかねこのおかしな部分
つまりいろいろガチャだなんだって言ってるわけですよ どこに生まれたとか誰のもとに生まれたとかそういうのはガチャと
世の中でいろんなことが起こっているのも それは単なる偶然にいろいろと起こっているだけだっていうふうに思っているわけですよね
つまり何もつながってないし必然性は何もないと思っているわけですよね
そう言いながらですよ そう言いながら自分の見える範囲とか把握できる範囲内のことに関しては
だから理にかなっているとか科学的だとかそういうふうに考えますよね まあ例えば単純な計算式とかがそうですよ
1に1を足したら2になりますよねと2に2を足したら4になりますよねっていう それはそういうもんでしょっていうふうに
人間は考えるし あるいは文章とかもそうですよね文章もこうなってこうなってああなってこうなってこうなって
こうなってるから最終的に結論としてこうなるみたいな でそういう一つの筋としてつながっている話を聞くと論理的で
わかりやすい話だというふうに納得するであるとか あるいはいろんな出来事に関しても
何かの出来事が起こったって時にそれに対して原因があれば納得するみたいな感じです よね
例えばあの人は仕事でミスをしただから会社をクビになったとか これもなんかすごく論理が通っていて
わかるっていう人は思うわけじゃないですかこういう話って ミスをしたからクビになったっていう
もし ミスも何もしてないのにクビになったっていうようなことが起こると
なんでっていうふうにわかんなくなるわけですね人間って なんでなんでクビになったのなんで悪くないのにクビになったのっていう
そこでまあ例えば会社が批判されたりとかあるいは自分がクビになったという立場で あるのならば
会社に対して反感を持ったりとかするわけですけど でもまあこれ僕はさっき言った通りこの世界って矛盾がないんですよ
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一切の矛盾がない 全部つながってるんですよだから
この場合でいうと会社をクビになったっていう時に自分の見える範囲でしか人間って 判断しないんで見える範囲で納得できていれば筋が通っていれば納得するんです
見える範囲外のことは単なる偶然とかオカルトとか
論理が通ってないって考えるわけですよね論理が通ってないから偶然とかオカルト とかって考えるんですよ
だから何もないのにクビになったってことがあった時に こんなのおかしいって考えるわけですよね
こんなの筋が通ってないっていうふうに だから会社を憎んだりするわけじゃないですか
でも実は全部つながってるんですね つながってるっていうのはこの場合
例えば会社をクビになったって場合は 確かにその人はミスをしてないかもしれません
ミスをしてないのにクビになったという状態かもしれません だけどもしかしたらですよ
その人の積み重なってきたもの 今まで微妙に明らかなミスはしてないんだけど
いろいろと微妙なものが積み重なっていて それがある沸点に達してそれでクビになったっていうことかもしれないですよね
この場合は自分には見えない範囲で 筋が通っているわけじゃないですか
よくありますよね 実際会社とかで あの人はミスをしたのに怒られない
だけど自分はちょっとミスをしただけで 怒られるとかあるじゃないですか
こういう時に人って理不尽って感じるわけですよね こんなのありえない こんなのおかしいって感じるわけですよね
だけどこれも全部つながってるんですよ
それも例えばミスをしても怒られないっていう人は ミスをしても怒られないだけの何かがあるんですよね 背景情報として
例えばそれまで結構会社に貢献していたであったりとか あるいはその人自身が
社長の親族かもしれません もしかしたら
そうしたらやっぱ怒られにくいっていうのはありますよね
だからいろんな背景があるんですよ いろんな背景があって最終的にはつながっていて
ひとつの物事が起こるんですね そうした場合 ちょっとここまでややこしい話をしてるんで
いよいよ今回のお話の核となってくる部分に入るわけですけど
幸せになるって言うこのことですよね
このこと このことを考えた場合に
やっぱ人間って自分の見える範囲でしか考えないんですよ だから幸せになるって考えた時に
自分が幸せになるんだっていう まあごくごく当たり前というか
そういう発想するんですよね そうですよね幸せになりたい自分が幸せになりたい
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自分が幸せになりたいから自分が幸せになれるようなことをやっていくって 考えるんですよ
でこれ極めて何か論理的に思いますよね 筋が通っているように思いますよね
だって自分が幸せになりたいわけですから 自分が幸せになりたいということは
自分が得するようなことをどんどんした方がいいわけじゃないですか 超論理的ですよね
だからみんな自分が得するように動くわけですよ
でも実際のところそうやって自分が得をするように動くと 嫌われちゃったりとかするわけじゃないですか
でこれって何か論理が通ってない 理不尽って感じるんですよねこの部分に関して人間ってのは
だって自分が幸せになりたいから自分が幸せになるように動いただけなのに なんで嫌われるのっていう
これ論理的に考えたら自分が幸せになれるように動いたら自分が幸せになるはずじゃないですか
そうですよね だけどそうはなってないんですよ
自分が幸せになれるように動いたのに幸せになれないってことが起こっちゃうんですね
それは何でそういうことが起こっているかというと 自分の見えている範囲外のことを全然考慮しないからですよ
だからその自分の見える範囲外のこともしっかりと考えた上で そこまで計算して自分が幸せになるっていうことを
人生の中でデザインしていった方がいいんですね
これがいわゆるよく世間で言われるところの利他的になるっていうことなんですよ 利他的になる
みんなのために動けば それは
逆説的に自分が幸せになっていくんだよっていう そのメカニズムはなんかよくわからないけど
なんかブラックボックスになってるんだけどなんだかよくわかんないけど まあとりあえずみんなのために動いていればなんかこう自分が幸せになれるんだよねっていう
その部分に関してその自分の論理自分で考えられる範囲内の論理 科学的であることとかそういうことをとりあえず除外して
この自分の見えない範囲外のことも一応考えようかなっていう そういう意識に慣れた人は幸せになりやすいわけなんですよ
一方で自分が幸せになりたいからといっても自分の見える範囲内のことだけ考えて 自分が幸せになりたい
だから自分が幸せになれるように動くっていうことだけを考えて生きている人は 幸せになれないわけなんですね
なぜならばそれは 自分の見える範囲外のことも考慮して考えたらそれは論理から外れてますから
幸せになるっていうのはそういうことそういう構造になってませんから 伝わってますかねこのあたりって
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例えばですよ ちょっと範囲を縮小してお話をしましょう
ちょっと話が大きくなってるんでちょっと縮小して話した方がわかりやすいと思う 例えば
ホースで水を撒きたいなと思ったとしますホースで水を撒きたいな でこの場合ですよ
まあ 水を出す必要があるわけですよね水をで水はホースから出るわけですよね
まさにそのホースの部分から水がバーッと出るわけですよね でですよだからといって
ホースのところばっかり眺めてたりとかホースのところばっかり何かつかんだりして いれば水が出ますかってことなんですよ
それは出ないわけですよね なぜならば
そういう構造になってないから水道ってのは 確かに水が出るのはホースですよそっから
バーって出ていくわけですよ水は これがまさに目に見えている範囲です水はここから出るんだ
ホースから出るんだ だからここをいじればいいだろうっていうのがなんかある意味科学的な話なんですよ
水が出る場所に対して力を加えるつかむ 見るそういうふうにすることによって水が出るんでしょ
っていうだけどこれってものすごく範囲が狭い考えじゃないですか 水が出るところしか見てないですよね
水を出したいんだったらじゃあどうするべきですかこの場合
それはホースから離れた場所つまり 蛇口ですよね
ひねる部分ひねる部分をひねって 初めて水が出るわけですよね
つまりこの場合というのはホースとひねる部分というのは距離が離れているわけですよ 距離が離れているから見えないんですね見えない
見えないから もしですよもし
まあ
何もそのあたりのメカニズムを知らない子供とかがいたとするのならばまあ1歳児とか 2歳児とかまあそういう子供からするともしかしたら
まあホースのところだけ見て 水が出ないかな水が出ないかなというふうに思っちゃう子っていうのもいるかも
しれないですよね それは何でかというと子供はすごく視野が狭いんで
水が出る場所しか見ないんですよ だからそういうふうに思っちゃうまあこのホースから水が出るんだから
ここをつかめば出るんじゃないのとか そんなふうに思って何回も何回もつかむけどでも水が出ないってことが起こってしまう
だからそこはまあ大人が教えてあげるわけですよね まあ大人はもうちょっと視野が広く見れるんで
だから子供に対していやそこは違うんだよと確かに水が出るのはこのホースの部分だ けどでも
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そこから水を出したいというのであればちょっと距離が離れたここね このひねる部分まあここをひねってやる必要があるんだよと
そうして初めてホースから水を出したいというあなたの願望が叶うんだよっていうふうに まあ大人が子供に教えてやる必要があるわけなんですね
ここで素直な子供はそうなんだということで次からは距離の離れたひねる部分まで行って そこでひねって
でそれで自分の願望 つまりホースから水を出したいという願望を叶えるってことをするわけですよね
だけどもしもうわがままな子供ってか視野がものすごく狭すぎる子供がいるとするの ならばそんなありえないありえないお父さんお母さんそんなありえないありえない
そんな嫌だ嫌だだって僕はホースから水を出したいんだ ホースから水を出したいんだだからここをつかむんだ
ここに力を加えるんだこうすれば水出るでしょ 水出るでしょ
お母さんは離れたところに行ってひねれば水が出るんだって言うけどそんなのおかしいよ だってそんな離れてるでしょ
おかしいよ 水が出るのはここなんだからここに力を超えないとおかしいでしょっていうふうにいつまでも言い続けるかもしれないですね
で言ってみたら これが拡大した話なんですよ幸せになれない人っていうのは
つまり自分が幸せになりたいって考えてるわけですよね 自分が幸せになりたいって考えてるってこの状態は
ホースから水が出るっていうこれを実現したいっていう このことだけを見てるって状態なんですよ
だからそのホースの部分にばっかり力を加えるつまり自分のことばっかり考えるって いうことをやるわけなんですね
でもそれって論理的じゃないですよね範囲を広く見れば やっぱり幸せになるっていうためには
さっきの ホースの話じゃないですけどホースの場合だったらちょっと距離の離れたところに行ってひねる
ひねる部分をひねって水が出るっていうことも含めて初めて論理的ですよね本当の意味で だからこの自分が幸せになるってことに関しても自分のことその自分の範囲内だけで考え
た論理で考えてもそれは すごく変な論理なんですよ
だから視野を広げて本当の論理を見ていく必要があるわけなんですね でそれがまさにリタ的になるっていうことなんですよ
でこれっていうのはまあ もうちょっと別の例え話をするとさっきの
蛇口だとかホースだとかそういう話ってあまりも短絡的だったんでもうちょっとですね もうちょっと
まあこの幸せになるっていうことに関して近い話としてお話しすると 人間の体っていうのがありますよね
人間の体っていうのは矛盾なく全部つながっているわけじゃないですか じゃなきゃこうやって活動できないわけですから自分の意思でいろいろ
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手足とか動かして活動できないわけですから まあでこの人間の体というものは確かに
もう矛盾なくつながっているんですけど でも人って
この人間の体の扱い方も間違っちゃうんですよね 例えばよくあるのが整体師さんとかって
腰が痛いですってことで整体を受けに行ったら腰以外のところを施術したりしますよね でそれって素人から見るとおかしいじゃないですか
だって痛いの腰ですよ腰痛いから腰を何とかしてを腰を施術してよって言いたくなる じゃないですかそれこそが論理的に思えるわけですよね
だけどそれは 極めて整体師さんから見るとすごく視野の狭い論理なんですよね
そうじゃなく整体師さんというのはもう人間の体全体を見ますから 全体を見ると
この腰の痛みというものは例えば この腕の部分から来てるんだみたいなことがわかったりするわけですよ
ただ腕の部分をいろいろとさすったり 伸ばしたりして
そういうことをずっと続けている それって施術を受けている方としては不安になるわけですけどね
そんなんで治るのかなと腰全然触ってないのに そんなんで治るのって思うんですけどでも実際それで良くなったりするわけじゃないですか
それは何でかというと整体師さんはしっかりと論理で見れているからなんですね 本当の意味で論理つまり広い範囲の論理
これって例えば同じく人間の体ということで言うと これ一郎がとあるインタビューで言っていたことなんですけど
肩の力を抜きたいというふうに人が例えば思ったとしますと 肩の力を抜きたい
野球とかしてても肩の力を抜きたいなというふうに思う場面ってあるわけですよね
だからそういう時に肩の力を抜きたいと思う それは人間として自然な思いですよね
肩の力を抜きたいなというふうに考えると
そうした場合ですよそうした場合 人っていうのは
何をすると思います 一般的に一般的に人っていうのは肩の力を抜きたいって思った場合に
どうしますかね まさに文字通り肩の力を抜こうとしますよね
一生懸命肩をこうやって揺らしてみたりして 肩の力抜けないかなという一生懸命肩ばっかりに意識が向くじゃないですか
一郎から言わせるとこれは極めてもう 理にかなってないってことなんですね
つまり一郎というのは野球の名手であり 人間の動きというものに関してかなり知り尽くしている人なんですよ
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そういう人から見るとそういう視野の広い人から見ると 肩の力を抜きたいからといって肩ばっかりに意識を向けるっていうのは
それはもうちゃんちゃらおかしいことなんですよ なぜならば人間の体って全部がつながってできているわけですから
だから例えば一郎の場合だったら肩の力を抜きたいなって思ったら 足の力を抜くんですよ
足の力を抜くことによってそこからいろいろつながっているわけですからね 結果的に肩の力が抜けていくんですよ
つまり僕は何を言いたいかというと 広い範囲のことまで含めた論理で考えたら
自分が見えている範囲のことではないことを意識しなきゃいけないということです この場合だったら
肩の力を抜きたいと思ったら肩ばっかり見たってしょうがないわけです 足を意識しなきゃいけないということも起こってくる
さっきの話でいうとホースから水を出したいって言うんだったら それはホースばっかり眺めてたってしょうがないわけです
ひねる部分を見なきゃいけないちょっと離れているひねる部分を見なきゃいけない それと全く同じで自分が幸せになりたいというのであれば
自分のことばっかり見たってしょうがないんですね それは非論理的なんですよ非科学的なんですよ
極めて狭い範囲の 論理しか見てない考え方なんですね
広い範囲を見れば自分が幸せになりたいんだったら 他人を幸せにしていくってことが大事なわけなんですね
そうすることによって自分が幸せになっていくわけなんですよ これがわかってない人が
全然幸せになれない人なんですね
ここから先の話はもっともっと深い話に入っていきます いよいよ本当に今回一番言いたい
個市となる部分そこに迫っていきますけど それは何かというと
これがエンドレスで続くということです
一体どういうことなのっていうふうに思った方もおられると思うんで これもうちょっと説明するとですよ
僕がここまで説明したような話っていうのは分かる人には分かる話なんですね つまり自分が幸せになりたいんだったら他人を幸せにしていくべきでしょっていう
それは昔から言われてるし 自分でもなんだかそんな気がするし
そんなふうに長々と話をされなくたって普段からそんなことぐらい意識してるよっていうふうに言う人もいると思います
ただですよ ただ
24:00
これもなかなかですね話が深くなってくるんですよ つまり
ここまでお話ししたことっていうのは自分が幸せになりたければ他人を幸せにする 必要があるという話ですよね
これは確かにそうなんですよ確かにそうなんですよ でもですよでもだからといって他人を幸せにすりゃそれでいいのかって言うと
それはちょっと違うんですよね
ここの部分で間違っちゃってる人っていうのもたくさんいます だから
つまりですよ第一段階で間違っちゃう人ってはもうこれはもう視野が狭すぎるんで もうしょうがないというか
今すぐにでももっともっと視野を広げた方がいいんですけど ただそうは言っても
ちょっと視野が広がって他人を幸せにすることが自分の幸せにつながるってことに気づいたとしても そこで詰まっちゃう人がいるんですよね
つまりどういうことかというと他人を幸せにすることばっかり考え始めるんですよ でそうなるとどうなるかというと自分が苦しくなっていっちゃうんですね
卑屈になったりとか単純な話疲れますよね 他人のことばっかり考えてたら
自分がおろそかになりますよね 他人を幸せにしようってことばっかり考えたら職場とかで
単純な話自分のために仕事をしているわけじゃないですか自分が給料をいただき たいから仕事をしている自分が評価されたいから仕事をしているわけですよね
つまり自分が幸せになりたいから仕事をしているわけですよね だけど
まあ みんなのことを考えようみたいなことを考え始めるんですよ
みんなのためにってことでみんなを手伝い始めたりとか みんなのサポートにもあったりとかそういうことばっかりやり始めてでそれは
その人の中ではそういうふうにすることが自分が幸せになっていくんだってことに 繋がっていくんだってことを信じてやってるんですけどでもそればっかりやってる
社員ってやっぱ辛くなっていくわけじゃないですか でまぁちょっと過労気味になって
体壊したりする人いますよね なのでですよなので
他人のことばっかり考えて他人のサポートをしていくことばっかり考えて他人を 幸せにすることばっかり考えてって言うのも
これはこれでまずいわけなんですよ
じゃあどうするかというとここで再び意識を自分に戻していく必要があるんですね つまり自分が幸せになりたいっていう
このことに意識を戻していく
この場合の意識が戻ったっていうのはまあその前の 短絡的な自分が幸せになりたいというだけの意識とはちょっと違うんですね
一段レベルが上がっているつまり一旦他人を幸せにしたいということを意識して その上で
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まあそれだけだと辛いから自分を幸せにしていこうということもやはり大事にして いこうという意識に戻っていくこれは
レベルが上がった上での自分が幸せになりたいという意識なんですよ こういうふうな感じですよつまり僕は何を言いたいかというとこういうふうな感じで
どんどんどんどん まあ円のようにサークルのように
回っていく必要があるんですね 自分の意識の中で
というのも自分のことばっかり考えているというのはこれは全然回ってないですよね まさに自分のことだけしか考えていないわけですからそこ1点のみを見てるわけですね
一方で他人のことだけを見てるっていうのも他人を幸せにすることだけを見てるっていうのも これも1点ですよねそこしか見てないですよね
これだと幸せになれないわけなんですよ ここがですねもう人知を超えた部分なんですね
人間の頭ではもう把握できない領域
でその領域にこそ幸せになれるという ヒントが隠されているんですよ
あのこれっていうのは昔から言われてるんですね 昔から例えば古代ギリシャの
ウロボロスの蛇っていうまあ蛇の絵があります で
まあご存知の方はご存知だと思いますけど知らない方はぜひウロボロスの蛇で検索 してほしいんですけどこれどういう蛇かというと
自分の尻尾を食べている蛇なんですね自分の尻尾を食べている 自分の尻尾を食べてるんで見た目としてはなんか
サークルになってるんですよね円になっている そうですよねだって蛇って頭があって尻尾があるわけですよね
頭があって尻尾があってっていうこの状態だと離れているわけじゃないですか 頭と尻尾が
だけどウロボロスの蛇みたいに自分の尻尾を食べているっていう状況だとどうなるか っていうと
繋がってますよね自分の頭と尻尾が繋がっていて円になっている状態になりますよね でまさにこのウロボロスの蛇って
円みたいな絵なんですよ円 だから丸まんまるな絵なんですねまんまるな絵でまんまるになってて
よく見ると蛇の頭があってで蛇の頭はその自分の 尻尾自分の尻尾を食べてるんですね
これは何を意味するかというとその蛇は自分の尻尾を食べて栄養として 成長している
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っていうことなんですよ だからそこに終わりがないんですね
終わりがない 終わりがないんです全く
あのこれって例えばさっきの話で言うと 自分が幸せになりたいとか他人を幸せにしたいとかこれって終わってますよね
それだけで だって自分が幸せになりたいというのはもうそれだけで終わってるじゃないですか
もう自分の意識が
で一方で他人を幸せにしたいっていうのもそこだけで意識が終わってますよね こうやってそこだけで終わるっていう概念っていうのはそれは本質じゃないんですよ
真理じゃないんですよ本当のことじゃないんですよ 科学的じゃないんですよ
じゃあ科学的なことって一体何かというとまさにウロボロスの蛇みたいな感じ 全部つながってる
自分を幸せにするためには他人を幸せにする必要があるし 他人を幸せにするためには自分が幸せになりたいっていうふうな意識に戻る必要があるし
ということは自分が幸せになりたいというふうに思うためには やっぱり他人を幸せにする必要があるよねと
必要があるよねとで他人を幸せにする必要があるんだったらじゃあ そのことばっかり考えたってしょうがないから自分のことを幸せにする必要があるよね
でも自分のことを幸せにするためにはやっぱり他人のことを幸せにする必要があるよね って感じでこうやって
円になってサークルになってもうぐるぐるぐるぐる回っている状態 こういう状態こそが本質なんですよまさにウロボロスの蛇ですよ
これって例えば 全問答とかもそうですよね
あるようでないないようであるこれも何か意味わかんないじゃないですか意味わかんないけど この意味わかんない論理的には意味わかんないんだけどでも論理的には意味わかんない
その領域にこそ本質があるんですよ あるようでないないようである
あるんだけどないんだよねないんだけどあるんだよね あるんだけどないんだよねないんだけどあるんだよねっていうふうに
なんかこう戻ってくる言って戻る言って戻るっていうのなんかウロボロスの蛇みたいに なんかこうずっと繰り返してるみたいな
そういう領域 あれは
あのヌーソロジーっていうものをご存知の方は非常によくわかる話だと思いますけど ヌーソロジーってまあ
物事の本質を捉える考え方だと思ってくださいあのハンダ光線さんという方が まあ提唱されている概念なんですよねまあ
すごくヌーソロジーって深い話になってくるんで まあ知りたい方はヌーソロジーで検索していただけたらいいと思うんですけど
ヌーソロジーでもそういうことが言われていて ヌーソロジーではヌースとノスってものがあるんですねそのヌースとノスがもう
円環状態になっていてサークル状態になっていてもうずーっと行ったり来たりしてるんですよ ヌースとノス
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まあこれもうちょっと わかる日本語で言うと物事を作る側と受け取る側なんですよね
ヌースとノス ヌースとノスが
ずーっと行き来している 物事を作る受け取る作る受け取る作る受け取る
物事ってこの世界ですよ 世界を作る受け取る作る受け取る作る受け取るっていうのがずーっと続いてるんですよ
あるいは天体運行とかもそうですね天体運行も回ってるし地球の時点だってそうですよね 回ってますよね
昼になったと思ったら夜になるし夜になったと思ったら昼になるし こうやって回ってるのが本質ですよね
どっかに行って止まっちゃうっていうのはこれは 本質じゃないですよね地球だって回るわけですからずーっとまっすぐ行ったら戻るわけですよ
最終的に 戻らないってのはこれは科学的じゃないですよね非科学的ですよね
でさらにさらに言うとですよさらにさらに言うともう 最先端の科学でもそういう結論が出てるじゃないですか
つまり物質というものは観測者がいないと成り立ちませんよってこれはもう科学的に 分かっていることですよね
あの僕が今話しているようなこと全然科学的じゃないというふうに思う人なんかオカルト だなとかそういう捉えちゃう人は
この最先端の科学でそういう結論が出てますよっていうちょっとこのことでぜひですね まあちょっと論破させていただきたいんですけど
論破しましたよってあなたを論破しましたよってことちょっと僕は今言いたいんです けどまあ別に論破して勝つとかそういう話ではなく
まあ最先端の科学でもそういう結論が出ているわけですよ つまり物質というものは観測者がいないと物質は成立しないわけです
例えば目の前にリンゴがありましたね リンゴは見る人がいないとリンゴっていうのは現れないんですよ
見る人がいて初めてリンゴっていう物体がそこに現れるんですね
でこれではまあ人間の狭い視野の中で考えるともう全然わからない話で なぜならば見る人がいないと物質が
発生しないというのならば じゃあどこが物質の発生源なのってことになるじゃないですか
そうですよね だってすべての物質っていうのは
人間的に言うとですよ人間の狭い頭的に言うとある時点から生まれたんじゃないの みたいな
ビッグバンみたいなものがあってある時に まあ
ボーンとなんか爆発してそこからいろいろと広がっていろんな星ができてとか 太陽ができてとかそうやって
宇宙が できていってそれで
そうやってだんだんいろんなものが進化してまあ 微生物みたいなものが現れてでその次に動物になりそして人間に進化していきまさに
ダーウィンの進化論ですよ 進化していってその進化した人間が意識というものを持ってその意識というものを
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持った人間が リンゴを見ているわけですよね
でもですよでもですよ そもそも人間みたいな意識を持った人間がいなきゃ
宇宙はないわけです 伝ってますかね
このあたり これものすごく科学的な話ですよ
物事物質は観測者がいないと成り立たない観測者が観測を向けた時に物質として 確定していくっていうのは科学的にわかっているわけですから
ということは観測者がいないとダメなわけですよね じゃあ観測者って誰かというと人間じゃないですか
人間が見るわけですよね人間とか何らかの意識を持ったものが見るわけですよね でその意識を持っているものってのは物質ですよね人間ってまさに物質ですよね
肉体を持ってますよね肉体を持ったこの人間というものがリンゴを見ているわけですよね この人間というものは
リンゴというものを見て初めてリンゴというものが生まれるわけなんですけど ということは人間だって物質なわけですから
じゃあそもそもその人間は誰が生み出したんだって話になってくるじゃないですか 人間だって何らかの意識が観測しないと生まれないわけですよ
ここでもずっとエンドレスなサークルが続いていくんですね伝ってますかねこのあたりって つまり誰かが見ないと物質は生まれないんですよ
ということは見てる存在がいるってことですよね見てる存在というのは人間だったり 何らかの意識なわけじゃないですか
じゃあその 存在っていつ生まれたのって話なんですよ
その存在すらも誰かが見てないと生まれないわけですから じゃあその誰かが見てるって言う
誰かが見てその存在が生まれたとするのならばじゃあその誰かが見たのその誰か っていうのは誰が見て生まれたんですかとその誰かっていうのは誰かが見たから
生まれたわけですよね つまり a という物質があったとするならば a という物質は b という物質が見たから
a という物質が生まれたわけです でもそもそも b という存在も
何らかに観測されていなければ生まれないわけですから b も何らかに観測されているわけですよ
例えば c に観測されている c に観測されたから b が生まれる
でもその c も何らかのものに観測されてなきゃ絶対生まれないんですよ
例えば c は例えば d に観測されたりしている こういうふうな感じで延々と続いていくんですね延々と
宇宙は誰かが見てないと生まれてないし でもじゃあその誰かっていうのは何っていう
その誰かっていうのは宇宙の中に住んでいる人間でしょと人間だったり他の何か存在だったりするわけでしょと
宇宙がなきゃ観測者はいないし でも観測者がいなきゃ宇宙はない
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宇宙がなきゃ観測者はいないし観測者がなきゃ宇宙はない 宇宙がなきゃ観測者はいないし観測者がいなきゃ宇宙はないこれが延々と
続いていくんですよ でこれこそが
本質なわけです こういう状態こそが
本当の意味で理にかなっていて科学的な話なんですよ
これはもう人間の頭ではなかなか理解できないです できないからこそ
延々と回っていく必要があるんですね 一番ダメなのは視野が狭い状態です
だから今回の話で言うと自分が幸せになりたい だから自分が幸せになれるように行動するこれはもう一番視野が狭くて一番
非科学的なんですよ一番理にかなってない考え方 それは幸せになれないよねっていう話なんですよね
それをもっと理にかなった科学的な人生にしていく 科学的な人生にしていくためには自分が幸せになっていくためには他人を幸せにし
なきゃいけないわけなんですよね 他人を幸せにするためには自分が幸せにならなきゃいけない
だって他人ばっかり考えてたら自分が貧困になっちゃうから 自分が貧困になったら自分が幸せになりたいっていう
そもそものこれ本末戦闘ってやつになっちゃいますよね だからそればっかり考えたらしょうがない
だから自分が幸せになるっていうところも見つめていく でも自分が幸せになるっていうことを実現させていくためにはやっぱり他人を幸せにし
なきゃいけない でも他人を幸せにするためには自分が幸せにならなきゃいけない
そうは言っても自分が幸せになるためにはやっぱり他人を幸せにしなきゃな でも他人のことばっかり考えてたら卑屈になる
だからやっぱり自分のことを考えなきゃ で自分のことを考えるということはどう考えたって他人のことを幸せにしなきゃいけ
ないよね で他人のことを幸せにするってなったらやっぱり自分のことを考えなきゃっていうふうにこうやって
どんどんどんどん回っていく意識が その意識というものを日常の一つ一つの行動で積み
重ねていって何週もするわけですよ何週も で何週もすればするほどその人は本質に近づいていきますつまり幸せに近づいていきます
だからこれ日常用語で言うとですよ今回すごくややこしい話を してるんでもう日常用語でもう一言で言い表すとまさに今言ったこと
つまり 何週回ってっていう言葉ありますよね日常用語で何週回って
このことに気づくとか何週回ってこうなったとか ありますよねでそれがまさに幸せに近づいていくための
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道なんですよ なので今回の話
まとめるとですよもう3つにまとめると まず一つ目は自分が幸せになりたいのならば
一番ダメなのは自分が幸せになると考えることです これはもう一番視野が狭くて一番非科学的で一番非論理的です
だから他人のことを幸せにしていくという意識を持つ必要があるわけなんですね でそうは言ってもですよそうは言っても
今回のまとめ2つ目になるわけなんですけど 他人のことばっかり考えているとそれはそれで自分のことがおろそかになっちゃって
まあそれもある意味視野が狭い考え方だよっていうことですよね だから理他的になるといいよとかそういうまあ
日本昔話的な昔から言われているような綺麗事みたいな話があるわけですけどそう いったものを変な意味で受け取っちゃって
まあ他人のことばっかり考え始めてしまってその結果卑屈になっちゃうみたいな人がいる わけですよで卑屈になっちゃったらまあ幸せになれないわけですからね
だからそれはそれでやっぱり 視野が狭い考え方だよってまあここは2つ目に言いたいところで3つ目の
まあ ポイントとしては
回ってるんだよってこの世界は回ってるんだよっていう 行って戻る行って戻る行って戻るまさにウロボロスの蛇自分の尻尾を食べてる
蛇 あるいは全問答あるようでない内容であるあるようでない内容である
あるいはヌーソロジーヌーストの巣がずっと行き来しているみたいな こういう感覚
まあ考えてみたらそうですよねいろいろさっきも言いましたけど天体運行だってなんだって 全部回ってるわけですよ
ただ回ってる行きつ戻りつ行きつ戻りつっていうことが本当の意味での科学的な 捉え方だし
論理的な捉え方ってことになってくるわけなんですねということは自分が幸せになり たいというふうに思ったら行きつ戻りつ行きつ戻りつをする必要があるんですね自分の
意識の中で他人を幸せにする自分を幸せにする 他人を幸せにする自分を幸せにするその何週も回ってのその何週が
もう増えれば増えるほど螺旋階段上に 次元は上がっていきます自分の意識は上がっていきます
だから正確に言うと 縁というのは行きつ戻りつ行きつ戻りつでなんか
同じ場所に戻ってくるような感覚であると思うんですけどでも実はそうはなってなくて 螺旋階段上に
一段上がってるんですね戻ってきたように見えても実は一段上がってる だから何週も回っていくっていうことが必要になってくるわけなんですね
まあ少しでも伝わればと思います人生いろいろですけど頑張っていきましょうね あなたが進化するメルマがやってます詳しくは概要欄から
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