例えば自分がどこに生まれた、誰の親のもとに生まれたとかそういうのも 単なる偶然でしょって
そういうことですよね だから親ガチャっていう言葉があったりするわけじゃないですか
だからそこにはもう何の必然性もない 単に偶然に
ある日ぽんと生まれたんだよっていう まさに本当偶然ですよね
偶然みたいなものがいろいろとあって そんな中を僕らは生きているみたいな
そうやっていろいろなことが偶然だと単なるガチャだっていうふうに言いながらですよ
言いながら 自分の中見える範囲内のことに関しては
科学的論理的に考えますよね 人間って
ここが本当におかしなところで この
おかしな部分わかります 気づきますかねこのおかしな部分
つまりいろいろガチャだなんだって言ってるわけですよ どこに生まれたとか誰のもとに生まれたとかそういうのはガチャと
世の中でいろんなことが起こっているのも それは単なる偶然にいろいろと起こっているだけだっていうふうに思っているわけですよね
つまり何もつながってないし必然性は何もないと思っているわけですよね
そう言いながらですよ そう言いながら自分の見える範囲とか把握できる範囲内のことに関しては
だから理にかなっているとか科学的だとかそういうふうに考えますよね まあ例えば単純な計算式とかがそうですよ
1に1を足したら2になりますよねと2に2を足したら4になりますよねっていう それはそういうもんでしょっていうふうに
人間は考えるし あるいは文章とかもそうですよね文章もこうなってこうなってああなってこうなってこうなって
こうなってるから最終的に結論としてこうなるみたいな でそういう一つの筋としてつながっている話を聞くと論理的で
わかりやすい話だというふうに納得するであるとか あるいはいろんな出来事に関しても
何かの出来事が起こったって時にそれに対して原因があれば納得するみたいな感じです よね
例えばあの人は仕事でミスをしただから会社をクビになったとか これもなんかすごく論理が通っていて
わかるっていう人は思うわけじゃないですかこういう話って ミスをしたからクビになったっていう
もし ミスも何もしてないのにクビになったっていうようなことが起こると
なんでっていうふうにわかんなくなるわけですね人間って なんでなんでクビになったのなんで悪くないのにクビになったのっていう
そこでまあ例えば会社が批判されたりとかあるいは自分がクビになったという立場で あるのならば
会社に対して反感を持ったりとかするわけですけど でもまあこれ僕はさっき言った通りこの世界って矛盾がないんですよ
一切の矛盾がない 全部つながってるんですよだから
この場合でいうと会社をクビになったっていう時に自分の見える範囲でしか人間って 判断しないんで見える範囲で納得できていれば筋が通っていれば納得するんです
見える範囲外のことは単なる偶然とかオカルトとか
論理が通ってないって考えるわけですよね論理が通ってないから偶然とかオカルト とかって考えるんですよ
だから何もないのにクビになったってことがあった時に こんなのおかしいって考えるわけですよね
こんなの筋が通ってないっていうふうに だから会社を憎んだりするわけじゃないですか
でも実は全部つながってるんですね つながってるっていうのはこの場合
例えば会社をクビになったって場合は 確かにその人はミスをしてないかもしれません
ミスをしてないのにクビになったという状態かもしれません だけどもしかしたらですよ
その人の積み重なってきたもの 今まで微妙に明らかなミスはしてないんだけど
いろいろと微妙なものが積み重なっていて それがある沸点に達してそれでクビになったっていうことかもしれないですよね
この場合は自分には見えない範囲で 筋が通っているわけじゃないですか
よくありますよね 実際会社とかで あの人はミスをしたのに怒られない
だけど自分はちょっとミスをしただけで 怒られるとかあるじゃないですか
こういう時に人って理不尽って感じるわけですよね こんなのありえない こんなのおかしいって感じるわけですよね
だけどこれも全部つながってるんですよ
それも例えばミスをしても怒られないっていう人は ミスをしても怒られないだけの何かがあるんですよね 背景情報として
例えばそれまで結構会社に貢献していたであったりとか あるいはその人自身が
社長の親族かもしれません もしかしたら
そうしたらやっぱ怒られにくいっていうのはありますよね
だからいろんな背景があるんですよ いろんな背景があって最終的にはつながっていて
ひとつの物事が起こるんですね そうした場合 ちょっとここまでややこしい話をしてるんで
いよいよ今回のお話の核となってくる部分に入るわけですけど
幸せになるって言うこのことですよね
このこと このことを考えた場合に
やっぱ人間って自分の見える範囲でしか考えないんですよ だから幸せになるって考えた時に
自分が幸せになるんだっていう まあごくごく当たり前というか
そういう発想するんですよね そうですよね幸せになりたい自分が幸せになりたい
例えばですよ ちょっと範囲を縮小してお話をしましょう
ちょっと話が大きくなってるんでちょっと縮小して話した方がわかりやすいと思う 例えば
ホースで水を撒きたいなと思ったとしますホースで水を撒きたいな でこの場合ですよ
まあ 水を出す必要があるわけですよね水をで水はホースから出るわけですよね
まさにそのホースの部分から水がバーッと出るわけですよね でですよだからといって
ホースのところばっかり眺めてたりとかホースのところばっかり何かつかんだりして いれば水が出ますかってことなんですよ
それは出ないわけですよね なぜならば
そういう構造になってないから水道ってのは 確かに水が出るのはホースですよそっから
バーって出ていくわけですよ水は これがまさに目に見えている範囲です水はここから出るんだ
ホースから出るんだ だからここをいじればいいだろうっていうのがなんかある意味科学的な話なんですよ
水が出る場所に対して力を加えるつかむ 見るそういうふうにすることによって水が出るんでしょ
っていうだけどこれってものすごく範囲が狭い考えじゃないですか 水が出るところしか見てないですよね
水を出したいんだったらじゃあどうするべきですかこの場合
それはホースから離れた場所つまり 蛇口ですよね
ひねる部分ひねる部分をひねって 初めて水が出るわけですよね
つまりこの場合というのはホースとひねる部分というのは距離が離れているわけですよ 距離が離れているから見えないんですね見えない
見えないから もしですよもし
まあ
何もそのあたりのメカニズムを知らない子供とかがいたとするのならばまあ1歳児とか 2歳児とかまあそういう子供からするともしかしたら
まあホースのところだけ見て 水が出ないかな水が出ないかなというふうに思っちゃう子っていうのもいるかも
しれないですよね それは何でかというと子供はすごく視野が狭いんで
水が出る場所しか見ないんですよ だからそういうふうに思っちゃうまあこのホースから水が出るんだから
ここをつかめば出るんじゃないのとか そんなふうに思って何回も何回もつかむけどでも水が出ないってことが起こってしまう
だからそこはまあ大人が教えてあげるわけですよね まあ大人はもうちょっと視野が広く見れるんで
だから子供に対していやそこは違うんだよと確かに水が出るのはこのホースの部分だ けどでも
そこから水を出したいというのであればちょっと距離が離れたここね このひねる部分まあここをひねってやる必要があるんだよと
そうして初めてホースから水を出したいというあなたの願望が叶うんだよっていうふうに まあ大人が子供に教えてやる必要があるわけなんですね
ここで素直な子供はそうなんだということで次からは距離の離れたひねる部分まで行って そこでひねって
でそれで自分の願望 つまりホースから水を出したいという願望を叶えるってことをするわけですよね
だけどもしもうわがままな子供ってか視野がものすごく狭すぎる子供がいるとするの ならばそんなありえないありえないお父さんお母さんそんなありえないありえない
そんな嫌だ嫌だだって僕はホースから水を出したいんだ ホースから水を出したいんだだからここをつかむんだ
ここに力を加えるんだこうすれば水出るでしょ 水出るでしょ
お母さんは離れたところに行ってひねれば水が出るんだって言うけどそんなのおかしいよ だってそんな離れてるでしょ
おかしいよ 水が出るのはここなんだからここに力を超えないとおかしいでしょっていうふうにいつまでも言い続けるかもしれないですね
で言ってみたら これが拡大した話なんですよ幸せになれない人っていうのは
つまり自分が幸せになりたいって考えてるわけですよね 自分が幸せになりたいって考えてるってこの状態は
ホースから水が出るっていうこれを実現したいっていう このことだけを見てるって状態なんですよ
だからそのホースの部分にばっかり力を加えるつまり自分のことばっかり考えるって いうことをやるわけなんですね
でもそれって論理的じゃないですよね範囲を広く見れば やっぱり幸せになるっていうためには
さっきの ホースの話じゃないですけどホースの場合だったらちょっと距離の離れたところに行ってひねる
ひねる部分をひねって水が出るっていうことも含めて初めて論理的ですよね本当の意味で だからこの自分が幸せになるってことに関しても自分のことその自分の範囲内だけで考え
た論理で考えてもそれは すごく変な論理なんですよ
だから視野を広げて本当の論理を見ていく必要があるわけなんですね でそれがまさにリタ的になるっていうことなんですよ
でこれっていうのはまあ もうちょっと別の例え話をするとさっきの
蛇口だとかホースだとかそういう話ってあまりも短絡的だったんでもうちょっとですね もうちょっと
まあこの幸せになるっていうことに関して近い話としてお話しすると 人間の体っていうのがありますよね
人間の体っていうのは矛盾なく全部つながっているわけじゃないですか じゃなきゃこうやって活動できないわけですから自分の意思でいろいろ
っていうことなんですよ だからそこに終わりがないんですね
終わりがない 終わりがないんです全く
あのこれって例えばさっきの話で言うと 自分が幸せになりたいとか他人を幸せにしたいとかこれって終わってますよね
それだけで だって自分が幸せになりたいというのはもうそれだけで終わってるじゃないですか
もう自分の意識が
で一方で他人を幸せにしたいっていうのもそこだけで意識が終わってますよね こうやってそこだけで終わるっていう概念っていうのはそれは本質じゃないんですよ
真理じゃないんですよ本当のことじゃないんですよ 科学的じゃないんですよ
じゃあ科学的なことって一体何かというとまさにウロボロスの蛇みたいな感じ 全部つながってる
自分を幸せにするためには他人を幸せにする必要があるし 他人を幸せにするためには自分が幸せになりたいっていうふうな意識に戻る必要があるし
ということは自分が幸せになりたいというふうに思うためには やっぱり他人を幸せにする必要があるよねと
必要があるよねとで他人を幸せにする必要があるんだったらじゃあ そのことばっかり考えたってしょうがないから自分のことを幸せにする必要があるよね
でも自分のことを幸せにするためにはやっぱり他人のことを幸せにする必要があるよね って感じでこうやって
円になってサークルになってもうぐるぐるぐるぐる回っている状態 こういう状態こそが本質なんですよまさにウロボロスの蛇ですよ
これって例えば 全問答とかもそうですよね
あるようでないないようであるこれも何か意味わかんないじゃないですか意味わかんないけど この意味わかんない論理的には意味わかんないんだけどでも論理的には意味わかんない
その領域にこそ本質があるんですよ あるようでないないようである
あるんだけどないんだよねないんだけどあるんだよね あるんだけどないんだよねないんだけどあるんだよねっていうふうに
なんかこう戻ってくる言って戻る言って戻るっていうのなんかウロボロスの蛇みたいに なんかこうずっと繰り返してるみたいな
そういう領域 あれは
あのヌーソロジーっていうものをご存知の方は非常によくわかる話だと思いますけど ヌーソロジーってまあ
物事の本質を捉える考え方だと思ってくださいあのハンダ光線さんという方が まあ提唱されている概念なんですよねまあ
すごくヌーソロジーって深い話になってくるんで まあ知りたい方はヌーソロジーで検索していただけたらいいと思うんですけど
ヌーソロジーでもそういうことが言われていて ヌーソロジーではヌースとノスってものがあるんですねそのヌースとノスがもう
円環状態になっていてサークル状態になっていてもうずーっと行ったり来たりしてるんですよ ヌースとノス
まあこれもうちょっと わかる日本語で言うと物事を作る側と受け取る側なんですよね
ヌースとノス ヌースとノスが
ずーっと行き来している 物事を作る受け取る作る受け取る作る受け取る
物事ってこの世界ですよ 世界を作る受け取る作る受け取る作る受け取るっていうのがずーっと続いてるんですよ
あるいは天体運行とかもそうですね天体運行も回ってるし地球の時点だってそうですよね 回ってますよね
昼になったと思ったら夜になるし夜になったと思ったら昼になるし こうやって回ってるのが本質ですよね
どっかに行って止まっちゃうっていうのはこれは 本質じゃないですよね地球だって回るわけですからずーっとまっすぐ行ったら戻るわけですよ
最終的に 戻らないってのはこれは科学的じゃないですよね非科学的ですよね
でさらにさらに言うとですよさらにさらに言うともう 最先端の科学でもそういう結論が出てるじゃないですか
つまり物質というものは観測者がいないと成り立ちませんよってこれはもう科学的に 分かっていることですよね
あの僕が今話しているようなこと全然科学的じゃないというふうに思う人なんかオカルト だなとかそういう捉えちゃう人は
この最先端の科学でそういう結論が出てますよっていうちょっとこのことでぜひですね まあちょっと論破させていただきたいんですけど
論破しましたよってあなたを論破しましたよってことちょっと僕は今言いたいんです けどまあ別に論破して勝つとかそういう話ではなく
まあ最先端の科学でもそういう結論が出ているわけですよ つまり物質というものは観測者がいないと物質は成立しないわけです
例えば目の前にリンゴがありましたね リンゴは見る人がいないとリンゴっていうのは現れないんですよ
見る人がいて初めてリンゴっていう物体がそこに現れるんですね
でこれではまあ人間の狭い視野の中で考えるともう全然わからない話で なぜならば見る人がいないと物質が
発生しないというのならば じゃあどこが物質の発生源なのってことになるじゃないですか
そうですよね だってすべての物質っていうのは
人間的に言うとですよ人間の狭い頭的に言うとある時点から生まれたんじゃないの みたいな
ビッグバンみたいなものがあってある時に まあ
ボーンとなんか爆発してそこからいろいろと広がっていろんな星ができてとか 太陽ができてとかそうやって
宇宙が できていってそれで
そうやってだんだんいろんなものが進化してまあ 微生物みたいなものが現れてでその次に動物になりそして人間に進化していきまさに
ダーウィンの進化論ですよ 進化していってその進化した人間が意識というものを持ってその意識というものを
持った人間が リンゴを見ているわけですよね
でもですよでもですよ そもそも人間みたいな意識を持った人間がいなきゃ
宇宙はないわけです 伝ってますかね
このあたり これものすごく科学的な話ですよ
物事物質は観測者がいないと成り立たない観測者が観測を向けた時に物質として 確定していくっていうのは科学的にわかっているわけですから
ということは観測者がいないとダメなわけですよね じゃあ観測者って誰かというと人間じゃないですか
人間が見るわけですよね人間とか何らかの意識を持ったものが見るわけですよね でその意識を持っているものってのは物質ですよね人間ってまさに物質ですよね
肉体を持ってますよね肉体を持ったこの人間というものがリンゴを見ているわけですよね この人間というものは
リンゴというものを見て初めてリンゴというものが生まれるわけなんですけど ということは人間だって物質なわけですから
じゃあそもそもその人間は誰が生み出したんだって話になってくるじゃないですか 人間だって何らかの意識が観測しないと生まれないわけですよ
ここでもずっとエンドレスなサークルが続いていくんですね伝ってますかねこのあたりって つまり誰かが見ないと物質は生まれないんですよ
ということは見てる存在がいるってことですよね見てる存在というのは人間だったり 何らかの意識なわけじゃないですか
じゃあその 存在っていつ生まれたのって話なんですよ
その存在すらも誰かが見てないと生まれないわけですから じゃあその誰かが見てるって言う
誰かが見てその存在が生まれたとするのならばじゃあその誰かが見たのその誰か っていうのは誰が見て生まれたんですかとその誰かっていうのは誰かが見たから
生まれたわけですよね つまり a という物質があったとするならば a という物質は b という物質が見たから
a という物質が生まれたわけです でもそもそも b という存在も
何らかに観測されていなければ生まれないわけですから b も何らかに観測されているわけですよ
例えば c に観測されている c に観測されたから b が生まれる
でもその c も何らかのものに観測されてなきゃ絶対生まれないんですよ
例えば c は例えば d に観測されたりしている こういうふうな感じで延々と続いていくんですね延々と
宇宙は誰かが見てないと生まれてないし でもじゃあその誰かっていうのは何っていう
その誰かっていうのは宇宙の中に住んでいる人間でしょと人間だったり他の何か存在だったりするわけでしょと
宇宙がなきゃ観測者はいないし でも観測者がいなきゃ宇宙はない
道なんですよ なので今回の話
まとめるとですよもう3つにまとめると まず一つ目は自分が幸せになりたいのならば
一番ダメなのは自分が幸せになると考えることです これはもう一番視野が狭くて一番非科学的で一番非論理的です
だから他人のことを幸せにしていくという意識を持つ必要があるわけなんですね でそうは言ってもですよそうは言っても
今回のまとめ2つ目になるわけなんですけど 他人のことばっかり考えているとそれはそれで自分のことがおろそかになっちゃって
まあそれもある意味視野が狭い考え方だよっていうことですよね だから理他的になるといいよとかそういうまあ
日本昔話的な昔から言われているような綺麗事みたいな話があるわけですけどそう いったものを変な意味で受け取っちゃって
まあ他人のことばっかり考え始めてしまってその結果卑屈になっちゃうみたいな人がいる わけですよで卑屈になっちゃったらまあ幸せになれないわけですからね
だからそれはそれでやっぱり 視野が狭い考え方だよってまあここは2つ目に言いたいところで3つ目の
まあ ポイントとしては
回ってるんだよってこの世界は回ってるんだよっていう 行って戻る行って戻る行って戻るまさにウロボロスの蛇自分の尻尾を食べてる
蛇 あるいは全問答あるようでない内容であるあるようでない内容である
あるいはヌーソロジーヌーストの巣がずっと行き来しているみたいな こういう感覚
まあ考えてみたらそうですよねいろいろさっきも言いましたけど天体運行だってなんだって 全部回ってるわけですよ
ただ回ってる行きつ戻りつ行きつ戻りつっていうことが本当の意味での科学的な 捉え方だし
論理的な捉え方ってことになってくるわけなんですねということは自分が幸せになり たいというふうに思ったら行きつ戻りつ行きつ戻りつをする必要があるんですね自分の
意識の中で他人を幸せにする自分を幸せにする 他人を幸せにする自分を幸せにするその何週も回ってのその何週が
もう増えれば増えるほど螺旋階段上に 次元は上がっていきます自分の意識は上がっていきます
だから正確に言うと 縁というのは行きつ戻りつ行きつ戻りつでなんか
同じ場所に戻ってくるような感覚であると思うんですけどでも実はそうはなってなくて 螺旋階段上に
一段上がってるんですね戻ってきたように見えても実は一段上がってる だから何週も回っていくっていうことが必要になってくるわけなんですね
まあ少しでも伝わればと思います人生いろいろですけど頑張っていきましょうね あなたが進化するメルマがやってます詳しくは概要欄から