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2024-04-11 19:40

【幸福論】そもそも自由って何?◆本当の意味の自由を知れば人生は変わる

多くの人は「自由」を勘違いしています。「本当の自由」を知れば、人生は充実します。

【言霊コーチ・天野和幸】

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サマリー

自由の本当の意味を知ると人生が180度変わります。自由とは裁量権があることや拘束されていないことなどのイメージがありますが、本当の自由は心の広さにあり、不都合な状況も自分にとって必要だから存在していると理解することが重要です。人生は方向を変えることで180度変わります。心の自由は本当の意味での自由であり、物理的な制限を超えることはできません。

自由の一般的なイメージ
あなたが進化するメルマがやってます。詳しくは概要欄から。言霊の力であなたの人生を変えるコーチ天野です。
今回のテーマは、そもそも自由って何だろう
自由の本当の意味を知れば人生が180度変わる、です。
自由というものの、僕らが一般的に持つイメージというのは、例えば裁量権があるであるとか、
だから自分で自由に色々選べる、選択の自由みたいな感じですよね。だから選択の自由がないよりはある方が自由
であったりとか、あるいは拘束されてないということですよね。時間的に拘束されてない
場所的にも拘束されてない。どこにでも行くことができるし、いつでも何時でも何月何日何時でも
どの季節でも動くことができるし、どこにでも行くことができる。こういうものが普通考える自由というものじゃないですか
で、その自由というものが欲しくて、それを目指して人っていうのは、あれこれとやるわけですよね
だけど、まあ
これっていうのは、この自由、こういう自由の捉え方っていうのは実は
間違ってるんですね。つまり多くの人が自由になりたい自由になりたいというふうに思って
だからそのために努力したりしているわけですね。だからその努力の方向が間違っているってことなんですよ
間違った方向、間違った自由というものを目指して、まあ突き進んでいるわけですから、それはもう自由になれないわけですよね
だって間違った自由を目指しているんですから、それは自由になりようがないわけですよ
じゃあ本当の意味での自由って一体何なんだって話になってくると思いますけど、それはですね
結論から言うと、器の大きさです。器の大きさ
器っていうのはまあいろんな意味合いがあるんですけど、心が広いであったり
だから、いついかなる時もどんな状況であっても自分は何にも縛られない存在だっていう
それをもうはっきりとわかっているって、これが本当の意味での自由なんですね
つまりまあ僕らが一般的には、思い描く自由というものは、さっきも言った通り裁量権があるであるとか
拘束されてないであるとか、そういう外形的なことですよね、外形的なこと
選択権が与えられている、あるいは勤務時間が短い、これも勤務時間という外形的なものですね
自分以外の職場で定められた勤務時間、それが短い方が自分は自由だ
ということですよね
だけど、それってのは本当の意味での自由じゃないんですよ
そうじゃなく自分の内側なんですね、本当の自由っていうのは
だから外側がどうあろうと自分は大丈夫だよっていう
本当の意味での自由
何にも縛られないよっていう、勤務時間が何時間だろうと自分は大丈夫だよっていう
まあ嫌な人がいようが別に大丈夫だよっていう
で、まあいろんなものがあるわけですよね、この世界というのは、この世の中
でそれを
いわゆる置かれた場所で咲きなさいじゃないですけど、今自分が持っている設定条件で
これで十分楽しめるよっていう、こういう感覚
だから例えばこれ子供とかで
当てはまって考えてみると、もうすでに子供の段階でもう
その本当の意味での自由に突き進んでいる人と、偽物の自由に突き進んじゃっている人っていうのがいて
多いのはやっぱり偽物の自由の方に突き進んじゃう人ですよね
例えば子供とか幼稚園児とか、まあおもちゃとか
親に買ってもらって、それで遊ぶわけですよね
で、そんな時に友達が何か別なおもちゃを持っていたら、そしたらあれが欲しいあれが欲しいっていうふうに言い始めるわけですよね
ダダをこねる、でこれっていうのは本当の意味での自由
っていうところを目指してないんですよ、なぜならば外形的なものに左右されちゃってますよね自分の心が
あのおもちゃじゃないと自分は楽しめない、これはものすごく器が小さい
心の範囲、許容範囲が狭い状態ですよね
一方で、まあ
親に買ってもらったおもちゃで
遊び倒すっていう
子供だっているわけじゃないですか
まあ友達確かにいろんな変わったおもちゃ持ってるけど、それはそれですごいなって思うし
羨ましいなとも思うけど、でも今自分の目の前にはお父さんお母さんが買ってくれたおもちゃがあるよねって
じゃあこれを使って
まあ
思う存分楽しもうと、だからそれってのは自分の方で
世界を変えていくっていう感覚ですよね、つまり
偽物の自由ってのは外形的な世界がこうなってくれなきゃ自分は幸せじゃないってことですよね
だけどそうじゃなく本当の自由を目指している人っていうのはもう子供の段階から
自分で世界を変えていくんだっていう感覚なんですよ
自分はいついかなるときでも世界を変えられるよってこういう感覚が自由なんですね本当の意味で
だから子供とかでもまあおもちゃとかでちょっと変わった遊びとかするわけじゃないですか
それこそ段ボールとガムテープだけあげていればそれだけで遊んじゃう子供だっているわけですよね
段ボールの中に入ってみてかくれんぼするのも楽しいし工作をするのも楽しいし
あるいは楽器みたいに音を鳴らすかもしれません
もう段ボールとガムテープだけ見てもいろんな可能性があるわけですよ
でそれを自分で作り出せるよっていう世界は自分で変えることができるよっていう
そういう方向にずっと突き進んでいる人っていうのは本当の自由の方向に行きますからね
心の広さと自由
だからいついかなるときも大丈夫っていう本当の意味での自由を獲得していくんですよ
だけどまあ普通はそうはならなくてやっぱり外形的な自由の方を追っちゃいますよね
だから職場とかに文句言っちゃうわけですよ
もっと勤務時間を減らせであるとかもっと裁量金を与えろであるとか
そんな風に不平不満を漏らしちゃうわけですよね
こんな仕事やってられっかみたいな
こんなんじゃ自分はもう幸せじゃないんだと
でも本当の意味での自由を目指している人っていうのは
勤務時間がどうであろうと
どんな仕事であろうとそれを楽しむんですよね
なぜならばそれが今自分に与えられている課題なわけですから
もうこの世界って全てもう矛盾なくつながってますからね
この世界この宇宙も含め大きな力学のもとでそれがもう演技関係性がいろいろとつながっていて
それは壮大なピタゴラスイッチになっていて
全部矛盾なくつながってるんですよ
矛盾なくつながってるってことは
今自分が目の前にしている状況というものは必要だから存在してるんですね
それがわかるわけなんですよ
なんとなく無意識のうちに
いわゆるこれ日常的な言葉で言い換えると生きる意味を知ってるって感じですね
こういう感じっていうのは生きる意味を知ってる
あのというのも結構人って生きる意味って何だろうっていうふうに
わかんなくなって生きちゃうってことがありますよね
でそれってなんで生きる意味がわからないって思っちゃうかというと
世界を信頼してないからなんですよ
この世界はもう矛盾なく本当はつながってるんですよ
全部がそれこそ地球の裏側で蝶が羽ばたいたとか
そういうことも自分が今この瞬間例えば目の前のコンビニに入って
缶ジュースを買ったっていうこれと関連してるんですよ
もう全部関連してるんですよ
全部矛盾なく完璧なんですよ
だってそれが力学ですから
もうだってそう考えないと科学的じゃないですよね
科学って矛盾がないじゃないですか
一切のいついかなる時も再現性があるし絶対に揺るがないものですよ
科学ってただいわゆる科学っていうものは人間が思い描くところの科学っていうのは
人間の五感と脳みそだけで把握してる科学ですからね
だから本当の演技関係性で矛盾なくつながってる部分の人間が見える部分だけを科学って言ってるんですよ
見えない部分に関してはオカルトって言っちゃうんですね
なんかブラックボックスになってるブラックボックスになっててもちゃんとつながってるわけですから
実際例えばですよ
自動販売機とかだってそうですよね
自動販売機だってコイン入れてボタン押せばジュースが出るわけですよ
それはメカニズムはわかんないですよ
どういう仕掛けになってるのかブラックボックスになってますよ
だけどそうにつながってるわけじゃないですか
まあそれは自動販売機の場合は
たぶんおそらく誰か設計者がうまい設計してくれてこういう仕掛けになってるんだろうということを言ってみたら
科学者を信頼してジュースを買うんで別にそこに対して何の疑問も持たないですけど
だけど例えばブラジルで蝶が羽ばたいたことが今自分が道を歩いてたら転んだってことの原因になってるってことは
これはこういう話を聞くとオカルトって思っちゃうんですよね
だってそこにつながりが感じられないから
人間の脳と五感ではすごく範囲が狭い
なんかもう範囲の狭いところしか把握できないんで
人間の脳と五感ってのはわからないことに関しては
なんかオカルトっていうふうに感じるんですよ
なんか不思議ないと思えた
あの例えば手品とかだってそうですよね
手品だってなんかもう帽子から鳩が出てきたりするんですけど
ああいうのもわかんないから
その種や仕掛けがわかんないから不思議に思えるわけですよね
種や仕掛けがわかったら不思議でも何でもないわけじゃないですか
それと同じで人間の五感と脳で把握できないレベルで
すべてがつながっていて
もう科学的に全部つながってるんですよ
でちょっと話がちょっと回り道してますけど話を戻すとですよ
いわゆる本当の意味での自由を目指している人っていうのは
それをよく知ってるんですね
僕は今言ったような形でメカニズム的に知ってるかどうかは別として
少なくとも無意識では知ってるそれを
この知ってるっていう状態は世界を信頼してるって状態なんですよ
でこの世界を信頼してるって状況はどういう状況かというと
今自分が目の前に与えられているこの設定条件
まあこういう仕事に就いてるであるとか
こういう人が周りにいるであるとか
それがなんか一見自分にとって不都合なもの
嫌なものであったとしても
でもそれって必要だから存在してるんだよねっていう
それがよくわかってるわけですよ
だからそれを存分に味わおうとするんですね
でそれが心の広さに繋がっていくんですよ
どんな状況があっても自分は大丈夫だっていう
いくらモラハラ的な人がいたとしても自分は大丈夫っていう
つまり心自分の心なんですよ大事なのは
外形的なことで自由かどうかっていうのが決まるのではなく
自分の心で決まるんですね
これが本当の意味での自由です
ただその方向を目指せば一気に人生って変わっていくわけですよ
それはそうですね方向を今までと変えるわけですから
今まで例えば大阪行きたいなとか言いながらですよ
人生の方向転換
例えば自分は東京に住んでるとして大阪行きたいなと思っているのに
北海道の方向に進んじゃってたわけですから
それはもう絶対にたどり着かないわけですよね
でそれじゃあ方向を変えたらどうですかってことですよ方向を変えたら
大阪ってこっちなんだって分かってそっちに進めば
それはつくわけじゃないですかいずれ
方向を変えることによって人生って意識の方向です
意識の方向を変えるってたったこれだけのことで
人生って180度変わっちゃうんですね
だから心は大事ってことです心本当の意味での自由ってのは心の自由ってことです
もちろんですよ
もちろんちなみにということで言っておきますけど
僕らはこの物理空間に生きてるわけですよ
この4次元時空の世界で生きてるわけですよね
4次元っての時空ってのは時間のことですけど
このいわゆる現実世界ですよ
現実世界現実世界を生きてるわけですね
この現実世界っていうのは物理的に制限されているわけですよ
物理的に時間的に
だからその制限がある中を通り越して
自由その外形的な意味での自由
どう言えばいいかな
制限を通り越すことはできないわけですよ
心の自由と物理的制限
物理的に時間的にそこはしっかりバランスとっていく必要がありますよ
例えばいくら陸上選手のボルトが速いって言ったって
それはバイクには負けるわけですよ
絶対それは物理的に絶対負けるわけですよ
僕らは物理空間で生きてるわけですから
あるいはいくら戦国時代の武田信玄が強いって言ったって
それは自衛隊には負けるわけですよ
自衛隊がもう本気出して攻めてきたら
もうケチョンケチョンでしょうね
武田信玄は
それはもう物理的な制限を越しちゃってるわけですから
だからそれと全く同じで
例えばいくら俺は心の自由があるから
本当の意味での自由を実現してるんだって言ったところで
例えば1日22時間働かせるような会社にずっといたら
それは自分の物理が壊れていくわけですよ
つまり体が
あるいはもらはらな人がいても
もちろん本当の意味の自由を実現してる人って大丈夫なんですけど
だけどですよ
あまりにも例えば無知で撃ってくるとか殴ってくるとか
もうそこまでの物理的に危害を加えてくるみたいな
もうそのレベルのもらはらってことになってくると
それはいくら心が自由だ
心が自由だって言ったところで
そういうことは離れた方がいいわけなんですね
だからこの辺のバランスっていうのをとっていくことは大事ですよ
本当の意味での自由を目指してる人って
やっぱりその辺のバランスも持ってますから
これはちょっと物理的制限を超えてるよねっていうふうに思ったら
さっと離れるんですよ
このさっと離れるっていうのがもうすごくミソなところで
相手とやり合わないんですね
責任取れとか賠償金払えとかそんなことは言わないんですよ
まあしゃーねーやって感じで離れる
そこでその相手にいくらそのもらはら野郎だって言ったところで
その自分もらはら野郎が自分に気合を加えてくるって言ったって
そこで喧嘩を追っ始めちゃうと
それってもう自由じゃないわけじゃないですか
すでに自分の心がもう我慢ならないってことですよね
我慢ならないからもう相手をやり込めないといけないって
そういう方向に行っちゃってる
こいつをぶっ倒してもう自由を獲得するんだっていう
もう偽物の自由の方に入っちゃってるわけですから
そういう方向には絶対行かないわけですよ
だからさっと離れるんですね
まあいいやってほっとけって感じで
でさらにさらにですよ
さらにさらにちなみにっていうことで言うと
本当の意味での達成者心の自由というのを本当の意味で
超超超本当の意味で達成している人っていうのは
いくら無知で打たれても自由なんですよ
いくら制限を加えられても自由なんですよ
例えばイエスキリストガンジー
あいた人っていうのは心が自由なわけですよね
本当に自分が大事だと思っているものを守るためには
そんな物理的なもの
物理的制限を通り越して無知で打たれても
いろいろ危害を加えられてもそんな平気だよって
本当の意味での達成者ってそういうレベルですからね
あるいは明治維新の志士とか
ああいった人たちっていうのも
本当の意味で大事なことを守るためには
もう別に自分の体がどうだってのは関係ないっていう
自分の体って一つの物理ですよね
こんな物理なんて関係ないよっていう
そんなもののために生きてないからっていう
だからもう本当心の自由の究極形態って
そういう感じなんですよ
だからああいう例えば明治の志士とかイエスキリストとか見てて
僕ら一般人はですよ
ああいう人を見ててかわいそうっていうふうに思うわけですよね
やっぱりかわいそうな終わり方とかしちゃってるんで
危害を加えられたりして
だけど本当に心が自由
超超超達成者の人っていうのは
みんなが思ってるほど自分のことを不幸だなんて思ってないんですね
一ミリもむしろ超幸せだと思ってる
ソクラテスとかソクラテスだってそうですよね
最後死んじゃいましたけど
みんなから批判されてみんなというかちょっと上の人たちから批判されて
あれも本当に大事なものを守るためにはこうなってもいいよっていう
だからみんなが思ってるほど別にそんなに不幸だなんて全然思ってないんですね
むしろ超幸せな中生き切っていったっていう
そういう存在なんですよ
もう超超超達成者っていうのは
まあもちろんですよ
僕らはそこまで目指す必要ないわけですけど
少なくともなんか外形的なことでいちいち愚痴いっちゃったりとか
そういうのってのはもう本当の意味での自由じゃないわけなんですよね
だからそこは心の自由を獲得していくってことが非常に大事になってくるわけです
少しでも伝わればなと思います
人生いろいろですけど頑張ってみましょう
あなたが進化するメルマがやってます
詳しくは概要欄から
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