昭和の幸福観
夕焼けひとりきり、始まりました。昭和、二桁生まれのパーソナリティ。ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ、今は懐かしい思い出、明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。
温かく優しい昭和の情景。心のままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。
今日は、昭和夕焼け文化館、青春の小さな白室、心の博物館と称した昭和レトログッズ、ミニカーレコード。
昭和玩具と民芸品をコレクトした白室館の話題になります。
昭和レトロ入門、今日のテーマは幸せの基準。
抽象的なテーマになってしまいました。
昭和平成の世代の皆様、現代に生きるリスナーの皆様、いかがお過ごしでしょう。
幸せの基準。
気がつくといつもふと考えてしまうこのテーマ。
誰しもお持ちになることでしょう。
私ミッキーがエピソードを交えてお話しします。
お付き合いください。
幸せの基準。
人は幸せと思えること。
また満ち足りず重い悩み。
追い求める。
それが幸せかもしれません。
いつも幸せであれば、感じることが幸せもわからないかもしれません。
いつも何かを願う心があり、
たまのたまに良かったと思える一瞬が、数の多さ違えど、誰しも感じる記憶があるかもしれません。
例えば、経済的に豊かであれば良かった。
でも、あえてそうではない状況が今感じる。
健康でありたいと願っていても、自分が病弱、何か自分が悩みを持っている人も多いかもしれません。
そして、名声を得たいと思いつつ、名声を得ることの難しさを知った自分がいます。
そして、人に役に立ちたいと思っても、役に立つことができず迷惑ばかりかけている自分がいます。
様々なものが未満で、成し遂げられていない。
それが幸せを追い求める姿かもしれません。
追い求めることの意味
言われます。
満ち足りたすべての願いが叶っていたら、追い求めることはできなかったと。
願うこともできなかったと。
満ち足りていれば、追い求めることも知らずじまい。
人は幸せだと思う一瞬は、私みっきぃも振り返ると数えることもできないほど少なかったかもしれません。
ほとんどが追い求めて恥ずかしいのですけれど、足りない自分に未熟さを感じ、ストレスをいつも抱いていた。
そんな自分が社会のせいにしたり他人と比べることによって、いやしい気持ちを持つことがあって、
その幸せになれないことをつらく思っていること。
そんな恥ずかしい自分が今もあります。
ただ、願う心というものは神様には伝わっていたようです。
そこに気がついている部分だけは確かなものとして、いまだ自分が不自由なもの、未完成なものだということを神様は伝えてくれたと言われます。
もともと完璧なものを備えた人はいない。
そして、逆に願うこと、それを叶えるために努力すること、
輝いていないものを輝こうとする、その人の行動をチャンスとして与えてくれたかもしれません。
ものは考えようとも言います。
ついつい忘れていた話かもしれません。
まだ年をとった今でも、幸せになりたいという欲は持っています。
心の欲、仏欲、まだとても大人といっても、人のために立てている時間もないまま。
堂々と生きている、その生き様を送りたいと願っていても、恥ずかしく生きているような自分が今もいます。
何か、ふとショバレットにも、本日は幸せの基準というものを取り上げてみました。
いつも幸せは、分かっていたら願うことも、絶えない自分に気がつかない、そんな宿命のようですね。
人生は折り返しを過ぎました。まだ全然ダメです。
少しは挽回したいと思っているのですけれども、
懸命に生きて、自分のことを考えるばかりで、まだ未熟な部分から直さなくてはいけないかもしれませんね。
今日は幸せの基準、非常に抽象的な話題をしてしまいました。
どうぞお許しください。
夕焼け一人きり、この辺りで終わりたいと思います。
お付き合いしていただき、誠にありがとうございます。
次回の番組、お楽しみに。