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夕焼けひとりきり、始まりました。
昭和二月生まれのパーソナリティー、ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ、それは懐かしい思い出。
明日の心配もせず駆け抜けた、そんな昭和の時代。
どこか温かく懐かしい、昭和の情景。
心の思うまま、お伝えできればと思っております。
どうぞお付き合いください。
今日は、昭和レトロのお話。
ある男が、自分の母校である小学校が、子供の数が減少することによって、等が配偶をすることになりました。
自分の母校の名前が消える。
そんな思いから、校門であるうちに記念写真を撮っておこう。
そんなきっかけの始まりです。
みなさんが通った学校、校門。
幾度となく通ったその学校の思い出。
楽しかったこと、つらかったこと、悲しかったこと。
時には少し怒ったりしたこともあったかも。
でも、いつもこの校門を出て、そしてくぐり抜けた。
そんな校門のお話。
ある男が語ってくれました。
私、ミッキーがインタビューして、エピソードを聞いてみましょう。
ある男が立っています。
何か少しほっとしたような、少し達成感があるようですね。
話しかけてみましょう。
ミッキー、来てくれたんだね。久しぶり。
あ、学校とか、幼稚園の校門を回ってきたっていう話だよね。
うん。僕も人に少し話したいなと思ってたところなんだよ。
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来てくれて本当にありがとう。
そうだね。自分の母校の小学校が東海号で名前がなくなるって聞いたもんだから。
それがきっかけだよ。
なくなる前に校門へ記念写真撮りたくてね。
どうせなら幼稚園から自分の大阪での学校の校門、そこまで小学校、中学校、高校、大学と一応記念残そうと思ったんだ。
最初は幼稚園の坂の途中にあってね。
記念写真撮ったときに母親と初めてくぐったときの気持ちを少し考えたんだよね。
あー、子供たちがいっぱいいるね。
砂は滑り台、ブランコ。
あー、なんか先生の周りにいっぱい寄ってるね。
かまってほしいのかな。
僕もそうだったんだろうね。
そして目の前の小学校に入学したんだよ。
ここはね、旧東海道の近くで歴史のある街なんだ。
僕はランチに住んでたんだけど、その当時はね、焼き芋屋さんとか、ポン菓子の車とか、ギアカーのラーメン屋さんとか、お豆腐屋さんとか、なんかちょうど映画のワンシーンみたいだよ、今思うとあの頃は。
そんな心の庄場の原点だね。
そして僕は小学校3年生の時に転校したんだ。
そしてその小学校が今回、東海道で名前が消えてしまうんだ。
ここは小学校の4年、5年、6年と同じ担任の先生で、そうだね、恩師。
本当に教えられたことが多いよ。
自分の人生を影響を与えた人だね。
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ここで知り合った友達とはいつもいたずらとか野球とか何でもやっちゃしてたね。
女の子にもちょっかい出したりしてね、思い出すよ。
そして中学校で記念写真撮ったよ。
いくつかの小学校から集まって大きなマンモス校だったね。
一学年15クラスぐらいあったかな。
初恋とか思い出深いね。
勉強やらなくちゃっていう思いになったのもこの頃からかな。
学年の順位張り出すようなこともあったね。
そして卒業の時に初めての泊まりのサイクリングをしたのさ。
高校に入学して、すごくは校数が厳しい学校でね、記念写真撮った時に思い出しちゃった。
反発してね、独学で受験に備えたよ。
ただ、ここで知り合った親友とは九州へサイクリングの旅行したり、
今でも連絡取ってるし、その友人に出会えたことはよかったね。
そして大変だけど大阪まで行って写真撮ったよ。
園内歩いて当時は大きく見えた校内もなんか小さく感じたね。
校舎も増築されて学部も増えたのかな。
慣れない一人暮らしだったけど、ゼロの人間関係が大阪を離れる時には出会いの分だけ別れがあって、
名古屋持ってくる時はちょっぴり寂しかったね。
これが僕の卒業した校門、学校寿命だよ。面白かった?
ミッキー聞いてくれてありがとう。
今日は昭和列島のお話。
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ある男が自分の母校である小学校が名前が消えてしまう。
そんなニュースを聞いて校門で記念写真を残しておこうと母校の写真を撮ってきました。
皆さんも同じようにたくさんの思い出の詰まった学校、そんな校門があると思います。
ここの中で少しでも思いを巡らして同じように回ってくれたなら嬉しいです。
今の20年とは時の流れのスピード感が違うかもしれませんが、
あの頃の思い出いっぱい詰まった昭和の懐かしい時代、いつまでも心の中に大事にとっておきたいものですね。
夕焼けひとりきり、今日はこの辺りでお話を終わりたいと思います。
お付き合い下さいまして本当にありがとうございます。
次回の番組お楽しみに。