1. シュウとショウの未知の理への道のり
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2024-12-24 32:23

いきなり核心突いちゃった~自己拡張して初めて馴染む?

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いつくしみの瞑想で頭の中に思い浮かべる文章を深掘ってみている

主語が「私」→「私の親しい人々」→「生きとし生けるもの」と広がっていくが

しょーまさんがいきなり核心を突かれて…


収録日:11月15日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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サマリー

このエピソードでは、自己拡張の概念とそれが他者との関係に与える影響について探求されています。シュウさんとショウさんは、悟りの光と自己の教会を広げることの重要性、そしてそれがどのように彼らの心の中で馴染むのかを議論しています。さらに、自己拡張や瞑想を通じて、他者との関わり方や自分自身の内面との向き合い方について深く掘り下げています。また、蚊の存在をメタファーにして、許容や共存の重要性についても考察しています。

未知の理の探求
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、未だ知らないことは言い詰まり、
未知の理を探していく未知の理を描く番組です。下手をしたら、下手をしたら、二人の持ちっぷりを探すだけの気のままな旅、ゆるーくお付き合いいただけたら嬉しいです。
前回からの続き。
その前段の全部は問題ではなくなってるというか。
なるほど。確かに。
私が主語の間は、なんとなくぼんやりしていて、他の主語もいろいろ混ざってきた時に、バランスを取るために結局、いろいろぶつかってしまうから、悟りの光がないと解決しないよね、みたいなところで初めて浮き彫りになるっていう感覚だった。
だからもう一人の時点でそこを感じられてると、後の話は何も言うこともなくなっていくかもしれないですね。
台本クラッシュしてしまったかもしれない。
いやいやいや、そういう意味じゃないですけど。僕的には、そこにもう行けるっていうのがすごいなと思って。
いやいやいや。
そっかそっか。
じゃあ一旦、しょうまさんの観点で言うと他のがまた出てきそうで楽しみだなって思いながら、次の主語が、私の親しい人々がっていう風に切り替わるんですよね。
全部そうですよね。幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように、願いごと叶えられますように、悟りの光が現れますように。
僕もこれもまだセイエフぐらいに思ってたんですよ。
自分と周りの親しい人々ぐらいは、全員が幸せで全員の悩み苦しみがなくて、願いごとも叶うみたいなのはイメージできるかなって。
それでさらに悟りも、悟りの光も現れたらもっといいなぐらいな、まだイメージしやすいかなぐらいな感じだったんですよね。
でもその意味では、さっきの一人であっても最後の悟りの光が逆っていう意味で言うと、ここでも同じような感じがありますかね、しょうまさん的に言うと。
そうですね。
悟りみたいなところが、それが何なのかっていうのは僕はわかんないし、あれなんですけど、
もう万全とイメージしているものとしては、周さんはそれに近いようなところに行きつつあるなと思ってて。
ちょっとその紹介した本とかにも少しそういう観点があったかなと思ったんで紹介したところもあるんですけど、
教会の拡張。
ごめんなさい、まだあんまり1、2ページしか。
全然大丈夫です。それは全然大丈夫なんですけど、そういう面でもちょっとふと思ったことがあったので、
そういう今から話すような視点でも見られるといいかもしれないですけど、
自己拡張というか、自分の教会をどこに置く、自分と他の人みたいなところで行ったときに、そこの教会が極めてないような状態。
世界と自分がつながっているような状態みたいなところまで、自分の認識の領域が広がるというか、そういう俯瞰した状態にならないと、そういったところには届かないのかなっていうのがあるので、
最初のところに悟りみたいなのが出てきたので、その時点で少し違和感もあったんですけど、
主語で自己を拡張していってるわけじゃないですか、教会を。
今のその段階で考えたときに。
その方向性で行ったときに、最終的にその悟りみたいなワードが出てくる方向には向かっているような気はするというか、
何て言ったらいいかな。
教会を広げれば広げるほど悟りに近づく的な意味ですかね。
そこの悟りっていうのが、さっき自分っていうところよりだんだんとその部分が現実味を帯びてくるというか、現実味を帯びるというか、ちょっとその表現として馴染んでくる。
馴染んでくる。
うまく言語化できないな。
広い教会であっても自分自身だ、みたいな表現が馴染んでくるっていう意味ではないですかね。
そっちの方が悟りみたいなところの話からすると、主語としてありえる。
この後の段階を聞いてみるとあれかもしれないですけど、ただ今の2つを聞いた感じだと、どんどん主語として事故が拡張していくような、事故の周りに広がっていく方向だと思うんですよね。
で、そうなった時に初めて最後の悟りみたいなところがあるから、言いたいことがまとまらない。
いやでもすごい気になるな。
そういう意味では最初違和感があった言葉っていうのが、実行を拡張していくことで最終的に言葉がだんだんと馴染んでいくっていうのが、違和感としていることなのかもしれないなというふうに思うというか。
違和感があった言葉っていうのは、最初に私がだけを主語にして、最後の悟りだけが違和感があったっていう意味ですかね。
そこが特に違和感があるところなんですけど、それ以外のところも自分だけの範疇で言ってるようなところで、
そこを主語を拡張していった先に、4つの願いみたいなところが初めて馴染むっていうのが、段階を踏むことで実感できるように作られているのかなって思ったみたいな。
ほー、ちょっとあんまりピントはきてないかもしれないですね。
その馴染むように作られているのかなって思われたっていう表現自体は、そう思われたんだなって理解することはできるけど、何で思われたかがピントきてないかな?
ここの瞑想で自分の中で想像しながら伝じていくっていう感じかと思うんですけど、
その工程を踏むっていうときに、自己拡張をしたときに初めてその4つっていうのが、
そこの領域でそれを願ってないと、そのすべてが満たされることがないみたいな実感を沸かせるための段階、段階を踏んでいるみたいな、
差分で、極端な話、一人でその4つの願いを念じることと、最終的にだいぶ拡張した状態でその4つの願いを念じることっていうののギャップ、
ギャップを感じれるじゃないですか。
うーん、自分の場合でいうとその1人だったらその4つ、だから最初の私がだけの主語のときには、まあ問題ないと僕は思っちゃってたもんで、悟りも含めてスムーズに収まってるって思っちゃってたもんで、
それがでも自分以外の人もいろいろ、その自己の拡張的に拡張されていったときに、逆にこうぶつかり合ってしまうから、1人のときに成り立ってた文章の意味とはこう違う解釈をしていかないと成り立たなくなってくるみたいなイメージだったんですよ、僕の場合は。
だから最初は幸せっていうのはもうただいい思いをするみたいな意味でしかなかったし、悩み苦しみもただ嫌な思いをする回数がひたすら減ればいいみたいにしか取れ、その取るだけでも成り立ってたのに、拡張というかいろんな人が同時にそれを成り立たせるようなってなってくると意味合いが変わってくるっていう意味で、
あれどういう表現、しょうもさんはさっきされたんでしたっけ?その意味合いとしょうもさんが今言われていることが同じなのかがちょっとわかっていないというか。
そこの最後のところが、しっくり言ってないって言ってたか言ってないかみたいなところの違いがあるので、そこが同じかどうかっていうのはわかんないんですけど、
個人範疇とそうじゃない範疇ではその見方を変えないといけないっていう風な感じになっていった時に、最終的にその個人で見て、僕のイメージとしてはその個人で見てた時にその4つ目がしっくり来なかったのが、最終的にそう見方を変えていって、
その広がった先に4っていうのが、しっくり来るようなその見方みたいなものをなんかできるようになるためのその方法論段階みたいな、そんな感じなのかなって思ったみたいな。
共同体感覚の重要性
なんだろうな。なんとなくさっきよりは去ってるかな。直感的に今の時点で感じられてるっていう感じなんですかね。
今の段階でこれを多分話しても何がないやらって感じだと思うので、一回進めてみましょうか。僕も何が言いたいのかっていうのが、自分でも見えてないような感じですね。
分かりました。じゃあ一旦進めてみましょう。次がまた主語。次の主語に移っちゃって大丈夫ですかね。
私、私の親しい人々ってきて、その次がもう一気にパーって広がって、生きとし生けるものが主語になります。生きていけるものが幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように、願い事が叶えられますように、悟りの光が現れますように。
僕はさっきの、親しい人々まではまだセーフって言ってたのが、もう生きとし生けるものになったら全然セーフじゃなくなりますと。
そのシンプルな何も考えないふわっとした幸せとか、悩み苦しみみたいなのをパッと聞いて感じるようなものだけで考えてても成り立たなくなったなーって思うっていうのが素直な感想で、
生き物は全部、それぞれ他の生き物の命を循環させてというか、食べてというか、命をもらって生きている以上、食べる側が食べて幸せっていうのが成り立つんだとしたら、食べられた側が悩み苦しみを持つことになっちゃうし、願い事が叶えられなくなっちゃう。
って、僕は感じちゃうもんで、そこで、じゃあ幸せ、悩み苦しみがないこと、願い事が叶うことっていうのも含めて悟りがどういう意味を持った悟りなのかって考えたら、
もうその、自分の命もなくなることをある意味受け入れてないと、この文章が全部成り立たなくなってくるっていうふうになっていくんですよね。
なんか、ちょっと話ずれるかもしれないんですけど、ずれる前に一回しょうまさんの聞いたほうがいいですかね。僕のずれてしまうから。
自分がずれてしまうから。
そうですね。なので、自己拡張をしていて生きとし生けるものみたいになったときに、教会を作ったまんまだと成り立たない。
なので、たとえ自分と生きとし生けるものみたいなところで言ったときに、さっき食べる食べられるだったり、みたいなところですね。
それでいくと、もうその全体で成り立つっていうことがそれぞれの個があって、誰かの利益が誰かの不利益になるみたいな捉え方してたら、成り立ちようがないみたいなところがあって。
で、最終的に悟りみたいなところの話になったときに、そこの、さっきしゅーさんおっしゃってたように、自分も死ぬこと、そういうこと覚悟しとかないといけないみたいなところ生まれたときに、
この世界と自分がほぼ同一のものとして共同体感覚みたいな、そんな状態なんで極めて自分の肉体的にその境界はあるんだけども、
あくまでこれは物理的な境界だけど言ってしまえば、その人間自身が自己組織化状態じゃないですか。いろんな細胞がいて、それが動いて、人間というシステムの機能が成り立っているけれども、
実質その皮膚とその周りの外界にそれぞれが影響及ぼしあっていて、それは全てのものに言えることで、全体的に見たときに全部分子で、その相互関係があって、
本当にその境界ってどこなの?みたいなところというのは捉え方次第なので、主語を広げていった先に生きとし生けるものっていうところ、でもそれぞれ境界を設けてたら成り立たないんだけど、それを全体として捉えざるを得ないというか、
そういう話、そういうところの意識まで持っていかないと、さっき言ってた4つ全部成り立つことっていうのがないんだよ、みたいな、そういう精神性になれることを目指しているようなものなのかな、
その時に自分っていうのから主語を広げることを広げていくことで、自分では成り立ちやすかった、イメージとして成り立ちやすかったことっていうのが成り立ちづらくなってきて、
だからそこの段階を踏むことでそこの境界をなくさないといけない、自分のその意識としてその境界をいかにこうなくすかみたいなところを意識的にそこに築くための段階なのかな、みたいな風に思った。
それがさっき言おうとされてたこととほぼイメージとしては同じってことですね。
はい、そんな感じですね。
なるほどなるほど。そうですね、そう思いますね。だからそれがもう最初の私が主語だった時だけでもう悟りが違和感って言われたのが、結果的にはその結論に最初からいけてるなーみたいな感覚でしたね。
自己拡張と瞑想
この瞑想をしながらこれを唱えるもんで、瞑想をしながらこれを心の中で唱えてる時に耳元にカカプーンとか来たりするんですよ。
反射的に叩いちゃうんですけど、それで幸せでありますようにっていうのは違うやんとか思っちゃうんですけど、もうなんていうか、彼ももう悟ってるはずだーぐらいな、勝手な都合のいい解釈とかも言えなくはないんですけど、
でも逆に自分もそのつもりでいようみたいに思うしかなくなっちゃうみたいな感覚があって、っていう出口が一つと、あとは出口というか、本当に僕なりの勝手な出口ですけど、
あとは蚊に、僕ちょっとなんていうか、なるべく刺されて耐性をつけようみたいな意識がほんのちょっとあるんですよ。ほんのちょっとですけどね。いろいろなんか媒介して病気を運んできたりもするらしいから、そういう意味ではそうも言ってられない部分はあるんですけど、
でもある程度、蚊にすごい弱い人とかがいるなーみたいに思ってるところからすると、刺されても痒くはなるけどすぐ痛みが引いていく。
ちっちゃい頃とかと比べると全然今の方が、対して痒いけどそこまで気にならないレベルになってきてるなーって思うと、この慈しみの瞑想っていう、唱えながらやる瞑想じゃない方の、ただただ何も考えないようにするというか、
みたいに座り続けてる瞑想とかをやってる時に、足の痺れとか、なんか体の痛みとかが出てきても、それを受け入れつつ瞑想を続けるみたいなことをやってるレベルと、蚊に刺されて痒いけど、かかずに我慢してるレベルがそんな変わんないっていうか。
蚊に刺されてなくても痒いとこ出てきたりするじゃないですか。それをかかずに我慢しとくっていうのはまあまあ辛いんですけど、できないことはないんですよね。かかずにずっと瞑想続けることできなくはない。
で、その意味で言うと、それがちょっと長くなるだけかな?みたいに思ってて、蚊に刺されても。みたいな方向で殺さずに、行くっていうのがもう一つの出口みたいに思ってたりもするんですけど。
蚊の話で言うと、ちょっとまた別の考え方とか入り口から行くと、今そこの蚊に刺されて痒くなる前提じゃないですか。前提なんですけど、そこを全部それぞれが抵抗せずに循環し得るというか。
これは聞いた話で、その信憑性みたいなところをしっかり検証できてないんですけど、蚊って刺すじゃないですか。で、刺すときに蚊水を入れるらしいんですよね。
そもそも人間の痛点、痛点の感覚よりも細い針で言ってるから、そもそもそれ刺したときに痛みはない、だったりするらしいんですけど。
一説聞いた話によると、蚊水というか、血を吸いやすくするために血が固まりづらい液を入れるんですよ。で、それで吸うんですよね。で、吸い終わったらその液回収していくらしいんですよ。で、その液が残ることでその痒みを引き起こす。
だから、蚊が全くストレスない状態で全部吸い切って、ごちそうさまでしたって言ってそれを全部回収していけば別に特に問題ない。でも大抵の場合が何かしたら人間が動いちゃったり叩いちゃったり、その途中でやっちゃうことによってその液が残って痒くなっちゃう。みたいな話があって。
だから、それからするとちゃんともう全然それを受け入れて、蚊が来たな、吸われてるな、っていうところを全部、こう全体意識としてそれをこうあるがままに流せば何も干渉が起きないっていうことが一つ成り立つかもしれないなっていう。
なるほど。面白い。試してみます、それは。
あと、そうですね、そもそも、そして蚊が血を吸うのって、ほんのひと握りというか、特殊な状態だから、それを許すっていう気持ちもですね。
これは気持ち的、感情的に、それだったらもう許してあげてもいいんじゃないかな、みたいに思うっていう意味。そういう気持ちを持つと、それこそもう任せて吸わせて、そういうお互いに特にこう、いがみ合わずにやるっていうところの心のきっかけとして。
なんかの情報としては、蚊はメスしか吸わないじゃないですか。
みたいですね。
で、しかもメスも赤ちゃんを産むときにしか吸わないらしいですね。
らしいですね。
だから、そんなところでこう、我が子を産むためのときだけ吸うみたいな話であれば、そこは許そうか。
普段からずっと吸ってるわけじゃないしね、みたいな。
これはまあちょっと感情的なところで、とはいえ問題で、さっきのいろいろ媒介みたいな話とかも含めると、なかなかですね、さっきの全部流れに任すっていうのも難しいと思うんですけど、ちょっとなんか違った切り口で話せればなと思って紹介してみました。
はいはい。僕もあえて、本当はこういう具体的なところに踏み込むためのものではないんで、なんとなくこう、ざっくり幸せな気持ちになって進めてくださいみたいに本の方でも書いてるので、本当はこういう、なんていうか、あえて具体的なところを踏み込むみたいなためのものではそもそもないんですけど、勝手に面白いかなと思ってやってるもんで。
そうですね。
でもその意味で言うとあれですね、僕この悟り、悟りがじゃあ何かみたいなのの感覚で言うと、生きとし生けるものっていうふうに自我を広げて、自我を広げてっていうか、生きとし生けるもの、人間以外の動物とか昆虫とかで考えたときに、悟りに生けるのは人間だけなんじゃないかなみたいな感覚はあって。
そうですね、確かに。
そこは、なんというか、だからどうってことはないんですけど。
逆に言うと、人間だけ悟ってない感はありますよね。
あー、それもあります。
それもありますね。
悟りが必要というか、人間だけは。
そうそうそうそう。
人間がゆえに悟りが必要で、その他の生物はただ生きてる、この世で循環してる生物は基本的に悟りがいらない。
いらないって言ったほうがいいかもしれないですね。
そうですね。
悟り、悟らなくとも、自然な循環の中に身をちゃんと委ねてるとか、ちゃんとって言ったらちょっと違うかもしれないですね。
いやー、そんな感覚ですね。
これせっかくなんで、めちゃめちゃ脱線になるかもしれないんですけど、
ちょっと前にゴシュウショウラジオって大輝くんたちと一緒にやってる番組の収録があって、
それが僕的にはめちゃくちゃ面白くて、
それの中の僕が感じたことと繋がりそうだなって思うんで、喋ってみちゃうんですけど。
次回へ続く。
32:23

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