脳はボーっとしてる時より集中してる時の方が疲れないっていうしょーまさんのお話
シュウも以前プログラマーをやっていて、フロー状態の時に仕事が進むって聞いた話を思い出す
マインドフルネス的には何か一つのことに集中できればエネルギー量を効率化出来ると…
収録日:1月15日
シュウの個人Podcast:シュウの放すラジオ( https://anchor.fm/sakashushu )
しょーまの個人Podcast:父のたわごと( https://anchor.fm/82933 )
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サマリー
このエピソードでは、集中力とマインドフルネスに関する考察が展開され、特に一つのことに集中することで脳への負荷が軽減されることが述べられています。また、自己組織化や意識の形成についての深い洞察も提供されています。さらに、集中することで疲れを感じにくくなる理由や、上達に関する考え方が語られています。リスナーにとっての気づきや、Podcastの意義についても触れられています。
集中力の重要性
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、
未だ知らないことはあり、つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。下手をしたら、二人のむちっぷりを探すだけの気のままな旅、ゆるーくお付き合いいただけたら嬉しいです。
前回からの続き。
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、
未だ知らないことはあり、つまり、
パソコンとかも、今はマルチタスクができるようになってるけど、昔はシングルタスクだけだったとか、マルチタスクの方がめちゃくちゃ実際には裏ですごい負荷がかかってるとか、それを考えると確かに一つのことに集中してるのが一番脳に負荷が少ないっていうのは、よくよく考えてみるとそれはそうだっていう感覚にもなってきました。
僕のマインドフレーネスの捉え方はそんなイメージなんですよね。
本質自体は、よりどころは何でもいいんだけど、何か一つのことに集中するっていう脳の動きを維持できれば、エネルギー量を最小限にできる、その間は。
みたいなイメージですね。
それが一番やりやすいもの、そういうよりどころにしやすいし、よりエネルギーを使わないみたいなところでいくと、多分余計な思考とかが入らない方がいいんで、体感覚に集中するっていうのが一番いいんだと思いますね。
なるほど。呼吸に集中するとか。
呼吸だったり、一つ一つの体感覚に意識を全部向けるっていうのが一番やりやすいし、余計な思考が挟みづらい。
完全に止まっておく、体を動かさないとかっていうのが一番落ち着くんでしょうけど、かといって理屈をそういうふうに捉えると、黙って座って集中しておかないとマインドフルネスができないというわけじゃないから、普段の生活の中でいろんなところで取り入れられるなと思いますね。
仕事とかでもさっきのしゅーさんおっしゃってたようなところにもつながるかもしれないですけど、ガーッと集中してるほうが疲れないんですよね。
最近マルチタックばっかりですっげー疲れるんですよ。
なんか一つのことに集中してガーッとやってたら、そんなに疲れないんですよね、多分感覚的にも。
マインドフルネスの観点でいうとそういうところを意識しながら。
左手でやってましたっていう話なんですけど、ちょっと途中で挟みかけたみたいな。
じゃあなんでそうだっていうとまたこれ雑すぎるんですけど、そこを多分ずっと気にしてるんですよ。
自己組織化の考察
気にしてっていうか、意識ってなんだみたいなところをなんか掴もうとしながら考えようとしている。
何にも答えがない状態で、ただ感覚的なことだけ今無理やり言語化してるっていう感じなんですけど、
なんかそういうのがこの先にありそうな気がしていて、
今日は多分何も進まない気もするんですけど、
なんとなく感覚的に、今後収録していく中で、
あの時に言おうとしていたのはこれですみたいな日が来たらいいなって思いながら言葉だけ出しちゃってるんですけど。
なんかねさっきもね、そのハサミの右手と左手の話の時に、
なんか言おうとしてその時にちょっとでも、まだ文脈が飛びすぎるから言わない方がいいかと思って飲み込んじゃったのかって、
今すごい後悔してるんですけど、ぶっ飛んだことなんでね、言ってもたぶんぶっ飛んだ感じになっちゃったとは思うんですけど、
たぶんね、なんかエントロピーとそれに対する抗い続けることで生命を維持していることにつながるようなこととひも付けたかっていうか、
それに通じることを感じてたような気がするんですよ。
左利きのところですか?
えっとですね。
あ、左利きじゃなくて左。
そうですね。
マインドプロネスの方ですか?
いや、まあまあ入り口マインドプロネスだからそうとも言えなくもないんですけど、
そのとにかく右手と左手に聞いてみたけど答えがなかったところから、その意識ってなんだみたいなのを考えていて、
要は、要はっていうのはちょっとあれだな、要はに全然ならないけど言葉だけただ並べてしまうと、
意識って気づいたときにいつの間にか生まれていたみたいな、そういうのを指して物心がついたみたいな言い方をすると思うんですけど、
そんな感じで、なんかよくわかんないけど、小さい脳の働きみたいなのが集まってきて、
意識みたいなすごく複雑なことが考えられる状態になってきたみたいに捉えていて、
それと、それは意識だけの話ですけど、それと同じようなことが生命誕生みたいなところにもあったんだろうなみたいなことを遡って考えちゃうんですね。
なんか、あれですね、要は、自己組織化現象でしたっけ?
その単語めちゃくちゃこの道のりで一番重要ぐらいに思ってる単語なのに、現象だったかどうか自信がなくなるっていう、
自己組織化的な動きも、なんか集まってきたらそういう感じ、一つの意識というか、脳を持っているような鳥の集団がそういう全体として意識を持っているような状態に見える。
けどあれはあくまでも個体がバラバラの集団だから、それがばらけていった時にその意識はかき消えていくみたいなのが起こるっていう違いはあるけど、
法則としては似たようなものがあって、それが鳥とは違って一瞬でばらけるようなことがないから蓄積していくことができて、意識みたいなものがずっと
人間でいうと何十年も続いていって、その中で積み重ねることができているから、不随意運動不随意運動不随意運動みたいなことが分かれたり、すごいことができる箸でものすごいことができるような状態にまでなっているんだなーみたいなことを
何となし
鳥とか蟻とか、ああいう自己組織化、群れて全体の意識を持ったような様相に見えるものはあるけど、
今僕らが生活している県内で捉えている物理的っていう風な言葉で言うと、物理的な結合度合いが希薄というか、
その個体が完全に分かれている、その界面があるみたいなところを言うと、その個体として完全に分かれているのに対して別に人間自体はその自己組織化ですよね、自己組織化している生物で、蟻自体も蟻一匹が自己組織化していて、いろんなレベルで自己組織化が存在している中で、
物理的な結合度の強い自己組織化をした生物自体はその中で自己組織化しているから、それぞれの微細な体の一部とかにもちろんそういう小さい意識なるものが存在するから、
右手左手が覚えているみたいな話もできると同様に、その結合度が高いが故に、離散しないから、そういう意識みたいなものが中枢で固まる余地もあるから、それが脳として存在して、
今私たちが自我として持っているような意識レベルみたいなものがたまたま担保されるような状態にあるっていうようなイメージってことですよね。
そうです、そうです。すごいなあ、やっぱり。そういう言語化ができるようになりたい。
全然言語ができているかどうかわからないですけど。
自我の理解
だからなんで手法で離さずにここに持ち込みたいという感覚になるかっていうのは、それを多分期待しちゃってるんですね、無意識に多分。
しょうまさんのうまく言語化してくださるところを。本当に見事ですね、毎回毎回毎回。
いやいや、よかったですね、期待に添えたのなら。
いやいや、ありがたいです。本当にでもそうで、そう思って。で、その先なんですよ、また僕が。もっと言いたいというのは。
というか、まあ別に言うほどのことじゃないのかもしれないんですけど、そのマインドフレーズの本を読んだときに、その左手で生活してみるみたいな例を書かれてた、
短い文章なんですけど、それの中で作者の方は、私は今は利き手じゃない方の手へも、そういう生活をしていたせいで、
どっちが利き手かわからないぐらいに上達してしまいました。笑いみたいなことを書いてたんですよ。
だからその、ものすごい自己指揮家が長続きするみたいなことが今は人間ってできるようになってるから、そういう
解像度をいくらでも高められる、いくらでもじゃないけどかなり、相当高められるようなことになっているけど、
その本もマインドフルネスっていう目的で書かれている本だから、その、かっこ笑いで書かれてた文章は全然目的ではなくて、
単純に副産物としてそうなっちゃいましたっていうだけのことで、
上達することが、何ていうか、ただの積み重ねの高さの話に過ぎないというか、
そのレベルの話、何ていうのかな、そのマインドフルネス的な、今ここに集中することによって、
難しいな、本当にしょうまさんの綺麗な言語化の後に本当恥ずかしいなって思いながら喋ってるんですけど、
そのマインドフルネス的なところで言うと、ただ集中することで脳の負荷を軽くして幸せな時間を長くするみたいな目的もあるかもしれないけど、
要するに、意識が集中できさえすれば、物を器用に動かせるだったりとか、そういうことは何でもいいっていうことだって僕解釈したんですよ。
作者の人も、上達しちゃったから、じゃあ右手でも左手でも意識集中する方法が減っちゃったとも言えちゃうわけじゃないですか。
でも、そういうことをやっているプロレスプロセスの中で、大事なことに気づいていくっていう感覚が僕の中であって、
動き自体の話はある意味どうでもよくて、僕も左手でハサミで切りながら、右手ぐらい上達したらいいなとかも思いながらやってはいるところはあるんですけど、
切れなきゃ切れないで、なんかいいなーみたいにも思えるんですよね。
自己組織化に過ぎないみたいな観点を持つと、みたいな。
それが鳥の群れだったら、群れである間だけ続いて、みたいな感じで、人も一生っていう中で成長して、置いていく中でだんだん逆にこの自己組織化はむしろうまくいかないみたいな感じで衰えていくわけですけど、
それ自体は本当はどうでもいいことというか、どうでもいいって言うと言い過ぎなんですけど、
全然そこ大事じゃないんだよなーみたいなことをその意識ってなんだって考えていく問いの裏に僕はふんわり思ってるっていうことを言いたいんですよね。
なんとなく伝わりますかね。
そうですね。だから、集散的にはそもそもなんか、自分とはみたいな言い方をしたときに、
例えば、自分はこれだけ右腕のスキルがあるとか、左腕のスキルがあるとか、それはあたかも自分っていうものの能力みたいな形で表明してるし、
それが何かしらジャッジメントの対象になってたりだとかする世の中だけど、実際この自分の体を一つの自己組織化されたものだと捉えたときに、
あくまで自分の細胞たちと自分の今ある意識っていうのを全体で保った中で共存してるっていうだけだから、
それを我が物のように勝手に思って、それを評価するみたいなのなんて、ほぼほぼ無意味で、それがどういうありようであっても、
それぞれの身体的な一つの意識、それぞれの細かい部分的な、あえて言うと意識でのありようでしかないから、それがどうあってもいいんじゃない?みたいなことを言いたい。
素晴らしいですね。単純に僕が全乗っかりしてるだけみたいになるかもしれないけど、なんか適当なこと言って、しょうまさんから綺麗な文章出てこないかなみたいに期待してやってるわけじゃないですよ、みたいに言いたいくらい綺麗に、僕との運命の差がすごいなと思って。
僕からしたら、しゅうさんの言葉で察せれてるから、一応こういうことですよねっていう確認をしてるだけで、しゅうさんが言ってることと全く同じことしか言ってないけど、いいのかなっていう感覚ですよ、僕的には。
ああ、本当ですか。後付けでそれって言ってる芸人みたいなボケみたいになってないかな、みたいな。
だから、しゅうさんの言葉で多分、僕はある程度リスナーさんを察せられてるんじゃないかなって思ってて、そうでもしなければ、僕の補足の意味はあると思うんですけど、もしそこで察せられてるんだったら、あれ?しょうまさん同じことを繰り返してるだけだよねっていう風にしか聞こえてない。
どうだろう、でもそれも人によるのかな、察せられた人はそう感じるかもしれないけど、僕の感覚ではこれじゃ察せられないだろうと思いながら喋ってたんで、多分一人語りだったらやべーってなってるとこですよっていう感覚なんで。
集中の重要性
多分ね、個人差あると思いますけど、その察した上で、そうだよね、しょうまさんが言ってることもそれをまた違う表現で言ってくれてるよねって、その人も同じことを言ってみたいには思わないと思うけど、でもこれ人によっては、いやーそれは後付けで乗っかってるだけでしょっていうぐらいしょうまさんのはわかるけどしゅうさんのはわからなかったっていう人もいる気がする。
いやわかんないですけどね。
何せ僕が喋ってる感覚としては、だからそのなんか、同じこと繰り返しちゃったなっていう感覚なんですよ。
でもそれによって伝わってることがわかるから、めちゃくちゃ嬉しいですね。そういうことを言いたかったんですよ。言いたかったというか、持ってる疑問、問いとしてそういう意識ってなんだっていう問いの形としてはそういうふうに現れてたんですけど、
出来事を話しつつ問いとしてはそれを持ちつつ、その裏には僕のそういう感覚としては手放して大丈夫じゃないってみたいなことをやっぱり俺は言いたいんだなみたいなことを。
やっぱりそこを僕も多分わかってるから差しやすいんだと思うし、
なんていうんですかね、あ、しゅうさんだからこその発想だなっていうふうな印象を受けますね。そこからそういうふうに行くんだみたいな。
僕だけだったらその発想に行きづらいというか、行きづらいっていうまでは言わなくてもいいかもしれないですけど、しゅうさんの影響でやっぱりしゅうさんからその話聞いたときに、なるほどってすぐがてまいくんですよね。さっきのしゅうさんのことが。
なるほど。
そんな感じですね。
いやー本当にありがたいありがたい場です。毎回そうですけど。
なんかターメンになってるなら。
もうタメになってるところじゃない。
しゅうさんとリスナーの方。
そうですね。少しでもリスナーの方にとっても何かしら気づき的なものがあったら嬉しいなとは思ってはいますけど。
ていうよりは僕がしゅうさんと喋ってこういうこういう体験をしたいっていうのが一番ですけどね。
左利きのところからこの意識みたいなところでですね、そういうふうな思考の展開というのが面白かったですね。
あーそれなら良かったです。僕にとってだけじゃなくて、だったら良かったです。しゅうまさんの中ではその分かるけど疲れるなーみたいになってなくて良かったです。
それを別に今まで一回もないですよ。
あーそれなら良かった。
なんか別に言語化が疲れるとか言語化させられてるなーみたいな感覚全くないので。
あー良かったです。
それなら良かった。
ちょっとなんだかんだで早く終わるかなと思ってた方でこれだけ結局もう多分4本分くらいに来ちゃったんで。
すいませんしゅうまさんの本当はご希望されてた仕事ってなんだ的な話はまた。
はいいつでもまた機会があると思うので。
これは何かをやってっていうことでもなくてただ浮かんだっていうことなんで。
多分今回のある意味タイムリーだったんでねこの左手でハサミを使うっていうのは。
その意味でもまあ今話していた方がいいかなみたいな意識もちょっとあったんで。
仕事ってなんだ的なのはある意味今まで言ってたこととの繰り返しみたいに感じられるかもしれないことでもあるんで。
また次回以降でタイミング良いときに話せたらなみたいな感じで捉えてます。
面白いことなんかこう生きていくための不安をなくすっていうところと仕事みたいなところっていうのは分離が必要だなっていう風なことをまた今日思ってたので。
えーそれも面白そうでしたね。
全然そんな大したあれじゃないんですけど。
ざっくり言うとベーシックインカム欲しいなーとかそんな程度の話です。
あそっかー。
ベーシックインカムなー昔は欲しいなーっていう感覚あったんですけど今は全くないんですよ僕。
うーんというかなんかそのあれなんですよね。
たぶんそのフューザー今ないと思ってては思うんですよね。
今そうじゃない中で資本主義の中でアウトプットが先の生き方で回るイメージみたいなのがたぶんできつつあるというか。
あーそうかも。
そこをできるはずっていう風に信じられてるところもあると思うんでそこからいったらベーシックインカムみたいな感じにならないと思うんですけど。
僕がベーシックインカムみたいな話をするのはただ単純にみんな今無駄に生きる心配をしてるなって思ってて生きる心配というか生きれるかどうかっていう風な生活できない恐怖みたいなのに常に晒されてるけど
それがなくなるとどうなるんだろうというか。それがなくなるっていう一つの手段としてそれを持ち出したっていうぐらいですね。
ベーシックインカムが欲しいというよりも。
なるほどなるほど。
そこの方法論としてそのフューザーの考え方がたぶん理想で。
いやいやいや。
あとはその方法論としてはいろんな方法があると思うんですけど、もうそれこそ心の持ちようだったりですらある話になるかなって思ってて。
その辺の話にもつながりそうなとこかなと思ったのでまたぜひその辺含めて話せればなっていうような。
ほんとですね。
感じですね。
いやいやそのワードだけでも残しといてくれてありがとうございます。
ちょっと僕が思い出せるかどうかは自信がないんですけど。
いやいや全然別の話とかでも全然。
ああいやいや。
大丈夫です。
しょうまさんにあの話何でしたっけみたいに聞いたらたぶんしょうまさんだったらまた思い出してくれそうだなと思って。
僕はほんとにメモが下手なもんで、今のやつもいずれ話したい話題の中にちょっとメモしとこうかなと思ったけど、
ちょっと僕がメモするよりはしょうまさんがまた、たぶんいつでも出せるというかしょうまさんの中から出てきたことなんで、
またいずれ出てくるっていうところを期待しとこうかなというふうに思います。
はい。そのぐらいの感じで大丈夫です。
はい。
じゃあ今回はこんな感じのところで終わっておこうと思います。
そうですね。
はい。
ありがとうございます。
今回も本当にありがとうございました。
はい。ありがとうございました。
はい。失礼します。
失礼します。
はい。OKでーす。ありがとうございました。
いやー。本当にいつもありがとうございます。
いやいやいや。全然。こちらこそ。
まあそういうところはあるんじゃないかなというふうには思っているんですけど
それとは別に
周さんも一種ですね自分の自己表現というところはベースにありつつも
その中で今の生き方みたいなところでは
密接なつながりある人との関係っていうところが多分一番にあると思いますし
そのポッドキャストの本当のなんかこう良さみたいな
本当のって言ったらなんかちょっと違うかもしれないですけど
僕が感じるポッドキャストの良さみたいなところは
次回へ続く
31:14
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