1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. 父たわ「#142気になる枝葉もあ..

「気になる枝葉もある」の続き第2弾

細部が気になる場合の深掘りの続きを聴いて、シュウはやっと理解が追いついてきた

テストの回答を書かない話、アートとデザインの話、という事例を挙げて共通点(アナロジー)を見つけようとしていたと捉えた

しょーまは構造を知ることへの興味が根源にあった模様

そして話はさらに転がっていく…



収録日:10月12日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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00:10
シュウとショウの未知の理への道のり
この番組は文字通り、シュウとショウの日が向いた時に
適当に好きなことを話しながら、未だ知らないことわり
つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です
下手をしたら、下手をしたら、二人の文字通りを探すだけの気のままな旅
ゆるーくお付き合いいただけたら、嬉しいです。
前回からの続き
リスキルには、色んなところを深掘った先に
初めてそこで抽象化してつなげられるというか
何て言ったらいいのかな
すごいなんか、本当に今の話自身が抽象的なんですけど
いや、アナロジーを感じた経験自体はあるはずなんですけど、僕も
細部までっていうところが、まだちょっと僕ピンときてないのかな
なんか細部を見出すと、僕細部がこう気になってて
そういう時って全体像を見失いがちなんですよ、僕は
いやいや、そうです。細部見るときは見失ってもいいんですけど
うまく説明できるかわからないんですけど
例えば、電気の世界の話と水の世界の話だとして
本当薄っぺらく表面だけ言ったら、電気と水で違うじゃんって話じゃないですか
もうそれまでじゃないですか、それは極端な話ですけど
でもこれ自身が結局、電流と回路みたいな話細かく入っていて
そこに抵抗という概念があって、電圧という概念ができて
ある抵抗に、これだけの抵抗の両端に電圧の差があれば
そこに電流が流れるという現象が生じるじゃないですか
03:02
そうなんですね、ちょっと覚えてないですけど
電気の世界では電圧があって、その電圧の差があるから電流が流れるんですけど
そこに抵抗があってですね
で、水の方も水の水流が起きるっていうのは
結局水圧の差があって初めて水流が起きるんですよね
で、そこにはやっぱり水は水で、抵抗は存在するわけですよ
例えばパイプの中を水が流れるということであれば
そこのパイプの中の摩擦抵抗だったりが抵抗になるわけで
結局ここっていわゆる今言ったそれぞれ具体的な話を抽象化した時に似てるじゃないですか
何がしかの圧力差、圧力って言っちゃうとあれですけど
専門的にはポテンシャル差とか言ったりするんだと思うんですけど
何か物の駆動を行わせるための何て言ったらいいのかな
根源になるような差分が生じて
差分に対してその差分の大きさとその差分の間の抵抗の大きさによって流れる量っていうのが決まるっていう風な
そういう構造的な似た部分っていうのが見える
その構造的に似た部分が見えるっていうのは
結局今もそんな深い話ではないですけど
表面的に電気と水みたいな薄く見てるんじゃなくて
それぞれ中に入り込んでそういう細かい理論
そこの学問でそういう理論をそれぞれ見てきたからこそ高いところでつなげられる
抽象的につなげられる
いわゆるズームインズームアウトすることが大事だみたいなことを言われたりすると思うんですけど
深く潜る方がズームインですよねそれぞれ
ズームインしてからズームアウトしないと結局抽象化できないんで
だから最終的に抽象化するために深くズームインすることが必要だと
深くズームインするっていうことが結局細部が気になる
そこをその細部を知らないと他とつなげることができない
06:06
というかそこの細部を知るほどつながりうるというか
その細かいところほど多様性に満ち溢れていて
つながるかつながらないかはわからないんですけど
それがつながったときには嬉しいし
それがつながらなかったとしても
その先っちょの方がただただ知りたいっていう
興味があるっていうところは一つ言えると思うんですけど
僕がその細部が気になるとかっていうのは極端な話
極端な話そのいろんな分野の細かい話とかっていうところは
本当にそういう細かい具体的に細かい話もすごく興味があるっていうところが
細部も気になるっていうところにちょっと言い換えている部分があるのかなと思うんですけど
なるほどなるほど
なんかそんな感じですかね
伝わりました
伝わります伝わったと思ってます
聞いてよかったですね
僕はその要は気になるすごい気になるからっていうところで何回も聞いて理解しようとして
って言うんでちょっと失敗してたんですけど
なんか事例として挙げてる一つだったんだっていうことに気づいてなかったんだなって今わかったんですけど
要するにしょうまさんとか上水さんが答えがわかってしまったらつまらなくなってしまう
一言で言うとそういう話だと思うんですけど
それの同じような事例としてデザインとアートっていう分け方で話していたんだっていうのに気づいてなかったのが
今の話で大体把握できた気がするんですけど
違う種類の話なのかと思ってたんですね
答えテストでの例がテストの回答がわかったらもう書くのがめんどくさくてっていう
要するにその答えがわかるまでの道のりが楽しんだっていう意味で
違うテストの回答の話とデザインでの話でアートで言うと細部が気になるっていう時も
同じことなんだっていうことをおっしゃってたってことですよね
その仮定なり解決する道のりを探すのが楽しんだっていう事例ですよね両方
そうですねいやしゅうさんに言われて気づきました
僕的にはただそのもともと言ってたのが対極だけで細部は気にならないと
09:05
だからめんどくさいみたいな話でそれが結局ゴールを目指している
ゴールが目的だからそうなんだそういうものはデザイン的思考なんだなと思ってて
アート的思考っていうのは別にあるからそれとは切り分けて
別にロジカルシンキングっていう大枠じゃなくて
ロジカルシンキングする人も別にアート的思考は持ってて
細部が気になることもあるよねみたいなことを言いたかったんですけど
ただ今おっしゃってたようにこのデザイン的思考の場合も
アート的思考の場合も結局は考えていく仮定の
例えばデザイン的思考だったら仮定の構造が気になるんですよね
構造にすごく興味があって
例えばアート的思考って言ってた部分の話からしても
結局僕の中では他とのアナロジーだったりとか
そういう構造的な部分が興味の本質ではあるので
結局その構造を見つけるために手段が細部なわけですよ
細部を深掘っていくっていうのが手段で構造が目的だと
だからあと前者の話も目的はゴールと言ってるんですけど
本質的にはゴールまでの構造が目的なので
そこの構造を知る分にはすでに
そこの構造が分かった時点っていうのは
すでにそこの仮定をたどっていく理論やら
そういったところはもう持ってて
そこの構造が分かったっていうところで
もうそれが自分の中での興味の終着点なので
そこの道を実際進んだりその途中にある細かいところに行くっていうのは
もう目的が果たされた後なんで興味がないわけなので
だからしゅうさんおっしゃったように
本質的には僕の中では構造を知るっていうところが興味の本質だから
どっちにしても興味の本質ってことなんだなっていうのが
今しゅうさんが話していらっしゃったのでちょっと気づきましたね
12:04
なんかあれ思い出したんですよね
スコープ
スカイさんの
実はまだ一個も聞いてないですよ
そうなんですか
失礼しました
スコープの初回だったかな
物理学の専門家の方と話してる回があって
それもすごく面白いんですけど
ちょっと聞き直さないとちゃんとしたところは僕も全然理解できてないんですけど
話の
でもこれネタバレになっちゃうかな
大丈夫ですよ
僕の中での一番面白かったって思ったのが
物理学者の人たちも答えがわかってしまったやつはもう誰も興味がないと
まだ答えが出てないやつをみんな一生懸命取り組む
で誰かが答え出した瞬間にもその問題はもう誰も興味持たない
もう誰もまだわかってないよっていうことだけをやってるのが物理学の世界ですねっていうような表現されてたと思います
違うよって言われるかもしれないですけど
僕はそういうふうに理解してそれとすごい近いような気がしていて
だからその物理学の方では松本さんの言われた構造っていうような表現が出てくるのかわからないんですけど
僕のふわーっとした理解
ふわーっとしか僕理解できないタイプなんですけど
っていうと構造であるかどうかっていうよりはその答えが出ているか出ていないかが大きい気がしていて
いやそうですね
だからこれ実は飽きるにもすごい変わる気がしていて
まさにですね
物理学者の人たちとかもいわゆるこの現象この世界の現象を構造化するのがさっき言った定式化するとかっていうことなので
そこの構造化することが多分一番面白いところで
それが構造化できてしまえばもう面白くないというか
だからさっきの最初の話はその構造化をしてもらっているものを武器を僕らが持っていて
その武器を使ってさらに構造化するわけですけど
その構造化してしまってゴールまで見えたらもう構造が出来上がって見えているので
そこがやっぱ目的だからもう手順みたいなものが明確になっていて
じゃあもうそれをやるのはめんどくさいなというか
15:02
本当これは気質の問題でそれこそ僕自身がそこの必要な武器をすべて持っているというか
必要な武器をすべて金備えているかって言ったら違うし
その構造の見立て自身が正しい保証なんて何もないんですけど
でも自分の中である程度納得いくような答えになったらもう結構満足なんですよね
そこに正しさっていうのはあまり必要なかったりするんだろうなと思うんですけど
逆にそこの構造が誰かの意見でぶっ壊されるのとかっていうのは
すごいウェルカムなんですね
なるほどそこでまた刺激されるので
それを基本的に自分の中の知識だったり考え方とかっていうのも踏まえて
構築しているのをぶっ壊されてそれを矛盾が生じちゃうからですね
自分の中で矛盾だったりが生じちゃうから
ぶっ壊して作ってぶっ壊して作り直してっていうのをずっと繰り返しているような感じじゃないですか
そんな感じなんだなというところは感じましたね
僕はデザイン的思考というふうに最初の話を言ったので
一方で対比するならアートかなっていうので
無理やりちょっとアートっていう言葉を使っちゃった部分があるかもしれないんですけど
やっぱり全体的に言ったら結局アナロジーだとかそういったところが気になるとかっていう話なんで
構造好きなんでしょうね構造にやっぱり一番興味の中心があるというか
いずれにしてもそれでその細部が気になる気にならないは
もう構造化し終わってるか構造化する過程なのかの違いっていう
っていう方が一番しっくりくるんだと思います
いやーすっきりしましたよかった聞いて
いや僕もすっきりしました
そうか
目的というか目的が果たされてるか果たされてないかの差ですねと思いました
なのかなっていうふうに感じて
僕もどうしても美大にいたもんで
僕は油絵をやってたんですけど絵画と大きく分けて油絵を含む油絵と日本画が絵画でそれ以外がデザインだったんですよ
それを全部まとめてアートだったもんで
その絵画と油絵を含む油絵と日本画が絵画でそれ以外がデザインだったんですよ
18:03
でそれを全部まとめてアートだったもんで
その考え方で言ったときにデザインの対するものとしてアートっていうふうに聞けてなかったんでしょうね
松本さんの話が
っていうのがあってちょっとなかなか理解できてなかったっていう
ちょっと今の話が気になります
あーいやいやただそれはただ僕が行ってた大学がそういうふうに分けてただけかもしれないし
なんかアートってどっからどこまでアートってもう分かんないししかも常に進化してるじゃないですか
もう前はそれこそ松本さんがさっき言われてたみたいに調和する方向性に持っていく美しさっていうのを求めるみたいなところだったと思うんですけど
ギャラリーって言われてたんですよ
逆にこう驚々しかったりもう見にくいこともアートだよねみたいに言われるようになったり何でもありな世界になってきて
もうなんかこれはアートだって言ったらそれアートになるみたいな話になってきてたり
本当に幅広いんですよね
僕ミュージシャンのことをアーティストっていうのすら結構最初の最初というか若い頃気づいてなかったりしたし
なんかアートの定義未だによく分かんないんですよね
そうですね
そういうのがこうちょっと自分の中にあったせいであの話もこうなってきて
いやいや全然的な話からほっとれてるんですけど
あの言いますけどこう対話してる中でその
そういうのがちょっとこう
自分の中にあったせいで
そういうのがちょっと自分の中にあったせいで
あの話もこうなかなか理解しづらかったのかなって思ったりしてたんですけど
これごめんなさいね今だいぶ枝葉の話しちゃってて
そうなんですけどこう対話してる中でその枝葉って感じることはないですよ
それこそだから
その人がいろいろ発言してる細かいところとかも気になりますし
僕が枝葉が気にならないっていうのは結局生産的な目的があるのと
そこまでの構造自身がもう出来上がってる状態の話なので
対話っていうのは結局そこのまさに構造化を対話してる相手と一緒に組み上げるっていうことじゃないですか
だからそのおっしゃってることがこの枝葉だとかっていう風な感じでは思ったことはないので
なんか心配されなくていいですよ
むしろですね僕がそう思ってるのかもしれない
僕が枝葉好きじゃないタイプだから
僕自身の中でこれは余談雑談みたいな気分で喋ってるんですよ
そういうことですねなるほどなるほど
はいごめんなさい
私は何というか結構中小度の高いところの方に興味のこの思考性がしゅうさんはありますもんね
21:10
つかまらないし
いや全然悪いとかじゃないですよ
いやいやいや
僕も自分のアートとはみたいなのを自分の言葉で何かこう自分はこう思うっていう風に
アートに限らずですね
しておきたいなっていうのがあって
長層体制理論の最初らへんの回のとことかですごいインスピレーションを受けたんですけど
確かその自分がその辺の話を初めて20分ぐらいの大台に乗ってしまった回があって
タワゴト時代にアートのタワゴトっていうのをあげててそれをちょっと聞き直そうかなって
何でしたっけ
いや僕も細かいことはあんまり覚えてないんですけどそこでもカオスとか調和とかその辺の話はしてて
まあそもそも長層体制理論でアートのデザイン化みたいな話をしてたんですよ
ああでしたかね
だからアートっていうのはそもそもまだ定式化されてない状態での僕はその調和っていう風に受け取ったんですよね
例えば今当たり前のように和音ってあるじゃないですか
多分その時に話してたことが思い出してきました
和音っていうのを3音鳴らした時にすごく心地いいですよね
これを初めて心地いいって人間が感じた時っていうのはそれは多分アートだったと思うんですよ
でも今となってはそれは和音っていう名前が付き心地いいっていうことが機能的に分かってると
それを使って曲とかっていうのは構成される
っていう風に生産的に利用されてるわけでこの時点でデザイン化してるなと思って
だからそういうところでデザインっていうのは再現性を持って生産性を出すために現象いろんなこの世のものを定式化されたものだと
一方でアートはまだ定式化されてないようなカオスの中での調和を初めて見つけた時に感じるものなのかなと
だからさっきAでもおっしゃってたようにいろんな調和っていう言葉の捉え方も多だと思うんですけど
24:06
表現的なところはそういうのって今までなかった新しさじゃないですか
一つのそういう新しさの中で何かしら心地いいだったり心地いいじゃないにしても
多分今まで人間の感性で受け取ってきたものに何か訴えかけるような何かが人間が感じるものがあった時に
それは僕はその人間が何かしらその調和に気づいたっていう風な表現を多分すると思うんですよね自分では
それっていうのは今までそういうのがないから今までの経験踏まえたところのバランスとして調和してるのかもしれないし
そこらへんはあんまり具体的に言語化で聞いてる部分じゃないんですけど
何かそんな風なことを考えてたりはしましたね
しまった何でこんな話になったんだっけ
僕が覚えてるわけがないみたいなところがあるんですけど
ちょっと気になるのがですね僕もまあ似たような考えでずっといた気はするんですけど
自分の中で何かしらその自分の中で何かしらそういうのを感じてるんですよね
ちょっとあの気になるのがですね
僕もまあ似たような考えでずっといた気はするんですけど
なんか調和っていうところがアートであるっていうようなのは
正馬さんの中ではどういうところから来るかなっていう
僕も前そういう観点だったんですけど
なんか何でしょうねある時期からある時期からじゃないのだいぶ前からそうなのかな
ピカソぐらいからそういうのが生まれてたのかもしれないんですけど
なんかちょっと素人にはわからないような絵
キュビズムであったりああいうのもそうなんですけど
なんか僕も親から散々そういうふうに人にわかる絵描きなさいよみたいなこと言われたりしたんですけど
なんかちっちゃい子供が描いた絵をこれは芸術家が描いた絵ですとか言って展示してたら
みんなこうふんふんって言ってみたりとか
そういうどこからどこまでが調和かっていうのがわからなくなったっていう感覚も今僕持っていて
だからそれもある人がある見方をしたら全部調和になってしまうみたいな感覚もあるんですね
27:00
あるというか僕が思ったというよりはそういうふうになってるんだと思わされてるみたいな気分が今あって
でもそんな中で調和っていうふうに今しょうまさんが感じられるっていうところがあるんで
あればそれがこうアートと調和っていうのがどういうふうに結びついているかとか
最初の頃に僕が思ってたことと同じような感覚から出られてるのか全く違うのかっていう
あんまりこういうのを人と話したことがなかったもんで気になるなと思ってですね
僕が調和っていうのをどういうふうに感じてるかっていうことですかね
アートっていうのは結果的に調和であるっていう表現がさっきあったと
なぜ使ってるかっていう
それはそうですね
僕の大元の哲学にバランスっていうのがあるからだと思うんですよ
バランスがそもそも調和である
この世は全てバランスだと思ってるので
バランスが取れてる状態っていうのが調和してる状態で
次回へ続く
28:42

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