藤岡さんの経歴
こんにちは、マーチャントの菅です。 休日会議ということで、今回もよろしくお願いします。
今回は月に一度の藤岡さんをお招きしたゲスト回となっております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
先週、本当は撮る予定だったんですけどね。
ちょっと体調不良になってしまって申し訳なかったです。
もう完全復活ですか?
もうだいたい元気になりましたね。
本当は先週にやりたかったことが、
藤岡さんのnoteで自己紹介投稿されてるじゃないですか。
自己紹介note書きました。
あれを改めて追っていこうっていうのをやりたくて。
全然いいですよ。
僕は要所要所聞いてきて、
ああ確かにこんなことあったなという。
一番凹んでる時に愚痴った何人かの一人が菅ちゃんですからね。
そうでしたね。
いろいろ壮絶だったなと改めて思って。
腹パン状です。
この挑戦面白いですね。
僕思ったのは、
これから例えばビジネスを始めたい人とか、
ビジネスちょっと始めて1年とか経ったとか、
そういう方々は経営者の側面としての藤岡さんを
すごく憧れたり尊敬するのかなと思って。
ある程度10年とかビジネスをやってる人で、
次の目標ないかなとか、
生きていこうかなっていう時の藤岡さんの今度は、
マラソンとかの挑戦の方に憧れと敬意を抱くというか、
僕は両方辿ってきたなと思って今、
藤岡さんの見てて。
この挑戦ちょっと振り返っていきたいなと思うんですが、
ビジネスの方の挑戦ですね。
バンドはあれか。
バンドも結構ガチだったんじゃなかったでしたっけ?
最初の挑戦って。
ガチでやってましたけどね。
今思えばあまちょろいんですけど、
当時の自分としてはガチでやってたつもりです。
ネットワークビジネスの挑戦
そうですよね。
最初がバンド、これはまだ10代ですか?
そうですね。
だから18、19かぐらいの時にも大学辞めて、
バンドでプロ目指すか大学続けるか選べって親に言われて。
で、だったら学校辞めるつって。
中退するってことはガチですよね。
そうですね。
でもその流れからの、
僕これあんまり聞いてなかったんですよね。
MFM。
そうそうそう。
あんまりね、やっぱ僕の中で黒歴史すぎて。
黒歴史って書いてますね。
言いたくなかったんですよ。
なかったことにしたかったぐらいずっと。
隠してましたね。
やっぱ印象も悪いだろうなと思ってたし。
はいはいはい。
よくあるアームウェイとかそういう感じの。
そうですね。ニュースキンってやつですね。
ニュースキン聞いたことあります。
はい。
2年ぐらいやってたんですよ実は。
全力でやってたんですか?
これもね、全力でやってたんですよ僕は。
グループ持ってたんですよ。
すごい。
50人ぐらいかな。
いやすごい。
すごい。
そうなんですよ。だからね。
結構必死にやってました。
50人のグループで持ってる場合って、
どのぐらいの収入レベルか。
いい時期で、
やっぱ50、60万ぐらいは。
安定して入るぐらいかな。僕の場合は。
出てくるお金はどのぐらいあるんですか?
出てくるお金はね、多分それかなり多かったですよ。
結構県外にフォロワーというか、
もう言い方忘れたな。
ダウンラインっていうんだったかな確か。
自分の関わる人みたいなのがいたんで、
そこの人に会いに行ったりとか、
その人が紹介する人を、
ネットワークビジネスに巻き込むみたいなこともやってたので。
そうすると手元に残るお金ってどのぐらい?
そうそう。だからあんまり実際多くなかったんですよ。
だからね、ネットワークビジネスやってる人って、
出せる金額はよく言うんですけど、
本当に今みたいな、
ケンタ君みたいな質問されると、みんな売ってるんですよ。
それを認識してるわけですね、自分でも。
そう、自分では認識してるけど、
それをバレないようにバレないようにっていうので、
見た目をちょっと派手にして、
ごまかすみたいなことをしてましたね。
それだけ持ち出しがあるんですね。
ありますあります。
特に当時僕22歳とか3歳とかぐらいの頃だったんで、
若くして成功者っぽく振る舞わないといけないっていう、
ネットワークでの教育を受けてたので、
だから無駄にブランドものを身につけたりとか。
あるじゃないですか、よくある若者の成功者っぽい。
今思えばアホ草って思うんですけど、
当時はそれが正しいと信じてたので、
みたいなことやってましたね。
黒歴史です。
喋ってて恥ずかしい。
サロン経営の教訓
ビジョンマンの価値観を形作る大事な経験だったんじゃないですか。
そうですね。
もうあれのおかげでマジで人間嫌いになったんで。
その流れでサロン出展だったんですね。
その頃に知り合った社長さんから声をかけられて、
ネットワークの実績もあったし、会員ではいたんですよね。
そっか、その繋がりの中で、
で、朝鮮3発目のサロン経営。
はい。
今途中になりましたけど、
今聞いてる方、よかったら、
僕のノート見ながらこの話を聞いていただけると、
多分より上手だなっていう感じだと思うんで。
スタイルの方によかったら、
僕のノートのリンクを貼っていただければ。
概要欄のリンクから是非見ながら。
っていうところでね。
そうそうそう。
エステサロンになって、
ここは何度か話で聞いたこともあって、
借金が今度増えていくきっかけになっていくってところですよね。
もうだってね、店舗お金かかりますからね。
そうですよね。
特にエステサロンって機械の導入にお金が高いんですよね、1個1個が。
若くてアホやったんで、
そんなんすぐ取り戻せるぐらいな。
ノリと勢いで。
でもこれで結構な借金になった状態で、
また次に失望マッサージをスタートっていうことなんですか?
要はもうどっからもお金借りれない状態だったので、
だけどエステサロンの失敗の反省があって、
こういう広告、こういう反省があってっていうので、
次チャレンジするならこういうことをやりたいっていうのを、
いろんなところで言ってたんですよ。
いろんなところで言ってる中で、
ノートに書いた別の社長さんが、
それだったらうち空いてる場所あるから、
そこ使ってやってみるか、
プジョーカ君がやりたいことを。
お金出すからって。
出資者になってくれて、その方が。
だから自分の持ち出しはゼロで、
実質雇われ経営者みたいな感じですよ。
でも信用信頼がしっかりあったってことですね、
そういう繋がり。
そうですね。
僕を面白く感じてくれたんでしょうね。
現場に立ってたのはプジョーカさんじゃないかと。
現場にもいましたね、僕は。
実際にマッサージとかやってないですよ。
店長としてスタッフをオペレーションしていく、バリフリーだとか。
すごいね。
そういうのをやってた感じですね。
いや、幅広いなあ。
だからね、それをやってたのが26歳とかですか。
若いですよね。
サロンでの教訓を活かして、
ワンコインでみたいな。
そうそう。
フロントワンコインでスタートしてどんどんアップセールしていくみたいな。
継続課金が取れるような中で、
こうやったらできるんじゃないのかっていう、
自分なりの。
そこはノートにも書いたように、
ちょい黒くらいまではいったんですけどね。
方向性っていうところになってくると。
やっぱり僕がもっと改善したいっていうのは、
いろいろ出てくるんだけど、
オーナーとしては、
自分がやりたい店づくりの形ってのがだんだん出てきて。
だけど、いざぶつかった時に、
発言権としては、
お金出してるオーナーの方が明らかに強いわけですよ。
当たり前なんだけど。
だから今思えばそこに従うのが当然って、
もう全然わかるんだけど、
当時26歳の僕は、
そこが許せなくて。
やっぱりそこでぶつかって、
26、27、そのくらいか。
結果的には、
僕が現場から抜けて、
僕の補佐でいた人間が、
また上に立ってっていう形で、
フィニッシュした感じですね。
だから店自体は継続してたんだけど、
僕が抜けるみたいな感じが。
実質店が潰れたっていうことはなかったですね。
経営としては成り立ってたってことですもんね。
ギリですけどね。
そして5同盟。
5同盟の時も僕知らなかったのは、
派遣でも働いてたんですね。
そうそう。
でも菅ちゃんと出会った時にはもう辞めてましたね。
5同盟の挑戦のちょっとぐらいでも出会ったって感じですね。
この頃って月の返済いくらくらいだったんですか?
この頃には債務調停はしてたので、
厳密に言うと足相マッサージ店を出す前かな、
3度目と4度目の間に債務調停まではしてるので。
その時いくらだったっけな。
覚えてないんですけどね。
でも10万円まではいかなかったですよ。
月の返済。
10万円前後かな。
そんなもんですね。
重たいですね。
インターネットの世界に飛び込んだ時、
僕が知った時には塾には入られてました。
入ってました。
塾の費用が結構高かったんじゃないですか。
菅ちゃんも入ってましたよね。
僕入ってないんですよ。
いなかったでしたっけ。
あれは4ヶ月で10万円だったかな。
ゼロ期というか一期みたいな感じだったんで。
多分その次とかはもう30万円になってた気がしますけど。
30万円ぐらいのイメージがあったんで。
30万円なら僕出せなかったです。
それは運命ですね。
今回のインターネットでやっていこうとなった時の
けーふさんの経歴と成功
良さっていうか導き手がいてくれたってことですよね。
受けてくれるというか。
そこが今までの中でなかったってところですかね。
今までの調子が。
導き手の存在というか。
僕は塾とかには入ってはいなかったですけど。
やっぱり3ヶ月に1回船橋で飲み会があって。
そこに呼ばれる自分になろうと思って頑張って。
毎回可愛がってもらいながらアドバイスもらって。
それなかったら難しかったですね僕も。
やっぱそういう人がいるいないって多分全然違うと思うし。
それが健太君にとっては菅ちゃんだったわけでしょ。
押しかけてて。
言い方として正しいかわからないけど押しかけてしみたいな感じになって。
よく学んでって感じでしょ。
大体そんな感じです。
気が付けば一緒に暮らしてましたね。
それを受け入れる菅ちゃんが俺はすげえと思うけど。
絶対断りますもん。
俺も断るよ。
みんなで暮らしてあれはあれで本当にいい思い出ですね。
日々来てでも月収が13倍にっていうのはやっぱりすごいインパクトですね。
しかも今までだったらリアルに市でっていうところをネットでっていうところですもんね。
そうそう。
素直的だったんじゃないですかやっぱ。
だってこの13倍になる前、直前、数ヶ月前に
本業と派遣の仕事とその当時副業でやってたやつを合わせて30万ぐらいだったんですよ。
それがその翌年には370万とか入金されるわけじゃない。
ビビるよね。
そうだよね。
ちょっと怖かったもん。
ちょっと怖かったね。
失敗からの学び
だって菅ちゃんもあるでしょ。めちゃめちゃ跳ねまくった瞬間って。
なんかこれがずっと続くわけがないっていう恐怖が結構。
ね、あったよね。俺もそう。
絶対なんか悪いこと起こるんじゃねえかみたいな。なんかよく分かんない。
うん。
そう。
そう。
あの頃ぐらいからね、僕あれですもん。何か見えないものに追われてる感覚というか。
おー。
ちょいちょいありますね。
うんうん。
恐怖なのか。
そうね。
だからミクシーではもう本当に有名人でしたもんね。
うん。
多分。
確かにね。
今となってはもうもう過去の栄光ですが。
あー。
過去。
いやーなんか。
うん。
やっぱり。
何ですかね。こう、みんな今言っておけば、
うん。
そう。
そう。
うん。
100%一発目で結果出したいって思っちゃいますもんね。
そう。まあ気持ちは分かるけどね。
うーん。
まあ失敗するというか、
うん。
失敗するというか、
うん。
失敗するというか、
うん。
失敗するというか、
うん。
失敗するというか、
うん。
まあ失敗する気で挑戦はしないでしょうから、
うん。
やっぱね、うまくいくためにっていうのは分かるんですけど、
この失敗経験がでも相当、やっぱ生きてるのかなとはね。
うん。
俺の場合は本当ね、もちろん失敗したくて失敗したわけじゃないけど、
結果は生きてますもんね。
うん。
うん。
ライティングスキルっていう方向に目覚めたのは、
うん。
でもまだその頃は違いましたよね。
その頃からライティングでしたっけ?
えっと、いや一発目の時は意識してなかったけど、
うん。
でもやっぱり一番頑張ってたことって、
まあ言ったら、
そのお師匠さんの、
はい。
書いてるメルマガを、
こう勘コピするっていう、
ずっとひたすら、
もう毎日書き写すっていうね。
うんうんうん。
ことをしながら、なんでこの人の文章はこんなに読みやすいんだろうっていう。
うん。
のをめっちゃ研究してたのがあの時期だったんで。
あー。
でもありますね、そういうのね。
うん。
ずっと結構僕、
菅野さんのメルマガ、
うん。
というか、
出ましたね。
そうだね。
いや、それで今はもう、
独立して、
約20年ぐらいはもう、
2006年の4月に設立なんで、
うん。
だから20年目か、今は。
うん。
すごい。
うん。
この中で本当にあれなんですよね、
うん。
こういうこと言ってる人って、
こういう、この業界であんまいねーなーと思って、
うん。
言ったら、なんだろう、
何かやって、
失敗しましたとか、
うまくいくまでの、
サクセスストーリーを語る人は、
俺含めていっぱいいたけど、
うん。
じゃあそのサクセスした後、
結構みんなへこんだりしてるじゃないですか、実は。
うん。
へこんで立ち直って繰り返してるじゃないですか。
うん。
多分、言ったら、
けんた君だって、
ウェブのほうでうまくいってたけど、
そこでへこんことがあって、
いろいろあって考えることがあって、
場所に引っ越して、
新たにビジネスやってっていう、
多分そういうことだと思うんすよ。
はい。
うん。
だからその辺を、
なんか、自分の中で、
僕らに語ってもいいかなと思って。
うん。
いい記事ですね。
うん。
これは結構全力で書いた。
うん。
13倍になってから、
そこからはね、
いろんな人たちとコラボしたり。
うん。
だからね、女子時期は、
13倍どころじゃないぐらいの売り上げが
立ってたわけじゃないですか。
あんまりお金の話を、
コミュニケーションの重要性
そこは伏せたんですけど。
僕あれがやっぱり印象に残ってます。
うん。
プロモーションの一環で、
隠しカメラで撮ったやつみたいな。
あー、ドラッグアフィリーの時だ。
はいはいはい。
そうそう、ドラッグアフィリー。
これはすごかったなーと。
うんうん。
それ何か時々言ってくれるよね。
見せ方の楽しませるっていう、
ヒントをもらったというか。
うん。
カメラがいいよねって思って。
わざとカメラをホテルの
クローゼットの中に
カメラを入れて。
そうそう。
ボソボソ喋ってて。
うん。
それを気づいて、オラーって怒るね。
そうそう。
何撮ってんだよみたいな。
あれは衝撃だったなー。
うん。
うん。
そこからはいろんなところで
登壇もあり。
うん。
やっていく中で、
みんな多分、
多くの人はそういう
ところだけを
描写するわけですが、
そこからまた
問題が起きるわけですもんね。
そう。
大きな問題だったね。
このでっかい問題が起きた時に、
いっけん袋で
長官さんと二人で飲んでたっていう。
そうそう。
ちょっと愚痴聞いてもらえるっていう。
あのー。
懐かしいね。
いっけん袋だったね、そういや。
いっけん袋で居酒屋で。
ちょっと参ってましたもんね。
だいぶ参ってた、あの時。
うん。
その見覚えのない請求みたいな
ところ。
うん。
いやー、ほんとね、あれは驚くね。
自分の会社は
もう安泰だと思ってたら
まさか
身近にこんな
飛び火があってね。
でもやっぱり
自業自得な面もあったので
ここは向き合わなきゃっていうね。
これあのー
藤岡さんの夫婦のルールで
お互いの仕事に
対しては何も言わない
みたいな。
これ僕も
夫婦さんが仕事してたら
同じ選択をしてた
気がします。
お互い言わないみたいな。
うん。
なので突然のこういうことって
あり得るなと思った。
びっくりするよー。
いや、そうっすよね。
夫婦のルールは
正確的に
自然とそうなったって感じなんですか?
そうですね。
やっぱり
僕が特に
口出しをされたくなかった
っていうのが
あったんで
それはもう付き合ってる頃から
お互い会社やってましたけど
そこの
内部はお互い知らんとこって
見ると
いろいろ口出ししたくなるから
っていう。
俺も多分言いたくなっちゃうから
嫌やろっていう。
っていうのを独身の頃に
多分独身の頃だと思うけど
そういう話し合いをして
そこからずっと
そのルールで
進んでたんだけどね。
そしたらなんかちょっと様子おかしいな
とかそういう様子のおかしさも
見せなかった感じですか?
多分サインは出てたんだよね。
だけど俺が
その時期はもう働かないって
決めて
いろんなとこフラフラしてたから
2ヶ月休暇みたいな
あんま家にいなかったりもしたし
だから気づいてあげられなかった
というか
それよりも
福岡
一緒の思いで引っ越したと思ったら
まさかの来たくなかった
って言われたら本当にショックでね。
それ知らなかったです。
初めて
それ言われてね
もう大ショックよ。
コミュニケーション不足
っていうところで書かれてましたけど
でも難しいよなこういうのって
やっぱね
これはもう言い訳になるとは思うんだけど
女性の方が
そういう
負の面を込みで隠すの上手
だし
男って鈍いじゃない
だからそこに対して
全く察することができなかったっていうね
けーふさんの経歴
自分が将来こうしたいっていうのに
合わせて隠すのが
難しい
そこで初めて
本当に反省した
うちも似たようなこと言われたなって
今思って
そうなの?
こっちは娯楽がないんで
そんな話はありましたね
でも奥さん復活からの
福岡さんがダウンされて
俺の場合はね
奥さんのパターンを見てたのと
あとは
清水さんが早くね
働くなと
追い出してくれたことで
割と早期に復帰はできたんだけどね
清水さんちょいちょいかっこいいですよね
本当に鼻きいてると
本当に
いい男だよ
パートナーには非常に恵まれてるというか
人材は着実に
っていうのはね
サロンのときもそうですけど
そうだね
ちょっとこのノートだけの印象だと
奥さんがどうなのかなっていう風に
感じたんですけど
全然これがあったおかげで
奥さんすごく
奥さんとの関係性もめっちゃ良くなったし
すごい今はね
仕事も手伝ってくれたり
すごいサポートしてくれるし
いろいろ将来やりたいことっていうところの
共有についても
独りよがりじゃなくて
一緒に
一緒に
一緒に
独りよがりじゃなく
一応丁寧に
擦り合わせっていうのかな
共有できるようになった
なーんとは思ってる
一応このノートも
公開する前に見せて
俺
勘違いしてませんかと
大丈夫ですという
はいはいはい
なるほど
どう生きていくかっていうのは
これだけ波があったからこそ
考えるようになった
っていうのもあると思いますし
お金に対してはね
こういう藤岡さんみたいな考え方
を支持する方って
すごい気がするんだよな
だったら嬉しいんだけど
あれだけ一瞬でお金を失う経験したから
菅ちゃんには何か言ったか
言ってないか覚えてないけど
本当にノートに書いたように
綺麗に収まったのよ
お金とトラブルによって
出ていくお金
綺麗でイーブンでねうん どころなんかこう運命めいたものを感じてしまって
うーん なんかどうせ綺麗ぴったりなくなるんだったら何か無理して稼いでお金も
なんか楽しく稼いでお金も結局残るのは一緒だろうみたいな 行くんでしょうなくなるんでしょって思うと
じゃあやりたいように来たほうが絶対いいよねっていう
大儲けを目指すんじゃなくて うん
っていうような価値観にやっぱり変わる大きなきっかけにはなったよね うーん
あの台水ゼロっていう本もそういう本なんですかなんか大水ゼロはうーん まあそういう本って言うとまたちょっと違うんだけど
とにかくそのじゃあ生きている間に お金を稼いで稼いだお金をじゃあ子供に残すとして
いうのでそれがその今まで考えられている遺産として残すとかっていうのが本当に 正しい
その子供へのお金を残し方なんでしょうか うーんし稼いだお金っていうのを何に変えていくのが一番
価値があるものでしょうかお金をお金と残して意味がありますかみたいな うーん
っていうようなテーマからじゃあこういうふうにしていけばいいとか 別にその本が遺産を残すみたいなのを否定しているわけじゃなくて
子供に何か遺産を渡すんであればこうすべきじゃないかっていうような エアーもしてくれてていちいち風に落ちるのよ
うーんもしようなことないんだったら本当におすすめ あれは特にお子さんがいるおかては今買いました
わかりましたか 日本とにおすすめです
ねえこう こういう思いの方々を集めるってなった時どういう訴求をすればいいんだろう
あでもそれこそ講演会ですね不条化さんのそうそうそうそう うーん
あのたらさんにあっあった話は聞きました ああそうそうそうそうだからちょっと猫報告会はちょっと延期させてっていう話はしたんだ
けどねああそうなんですねうん ちょっと手が回らんっていうのでああ
うん
その代わりちょっと別のことはねあの支援してくれた方にはしようかなと思ったんだ けどねうん
どう生きていくかっていうのはうんそこ ウェブが開けてそこに飛び込んでビジネス
でなんかこう成功しようとうん方々 当時だからもう
ねその頃からやってる方はもう20年近くやってるわけで うんこの方々にめちゃくちゃ響くと思うんですよね
ねこの方 まあなんかねこう
中年になってからの40代以降の生き方って 一つの形としてはなんか示したいなーっていうのはありますね
中で
これぜひね皆さんに読んでもらいたいのでうん はい
ですですまあまあめちゃめちゃ頑張って書きましたよ いやーそうでそうそうそれも行きたかったんですけどうん
これでも頭出しからパーッと書いていくのかなんか大枠のその目次というか うんを作ってから書いたのかどんな感じでこの長文と書かれました
大枠の目次からああ うん
やっぱこういう長文書くときは基本的に目次構成作って それこそあのチャット gpt 棟
うっ壁打ちしながらにやると読みやすいかなっていうのでちょっと構成考えて で出来上がってからはもう全部自分の手書きで
ブーバーで読み込ませてあの添削してもらって でまたちょっといじってみたいなことをやってたかな
うーんエンターもめちゃめちゃねあの長文の生地書いたんですか うんはいあれねはいあれもでもあんこがかかるよね
はいなら結構一番は変えました そうですよねなんかあれですよね多分序盤もそうだと思う
書いてる時 なんか落ち込むことたくさんって私は
うーんで進まない 足をこれ書くのしんどいなぁ
なくなりました あっはぁねー
でまぁちょっと付け加えるならでそうやって構成作って書いていく中でいややっぱ なんかこう書いた方がいいなぁみたいになったのをまた順番入れ替えたり
うーんをセッターしたりとか うん
してって感じかなぁだから最初に思い描いたのとは違うノートになったとは思う うん
けど書いたことないんでね 多いなぁ
ねえ 読み進めちゃいますもんねこれ
だから本当はもう少し画像とか入れながら読みやすくしたいんだけどね うん
うん うわぁ
ぜひね皆さん 上下さんの計算のこの大記事読んでみてほしいと
はい はいぜひって感じかな
なところですかねはいはい いい時間となりましたので今回の中日会議以上にしたいと思います
価値観の変化
休日会議に対するご意見ご感想ご質問などなどラインコメントを得たことでいただける と嬉しいです最後までお聞きいただきありがとうございました
ありがとうございました