えっとね、仕事でそこそこちゃんと頑張ってやってた仕事があってさ。
まあまあちゃんとお金も儲かってたし、そこそこ成功してる企画があったんだけど。
いいじゃんいいじゃん。そこまではね。
すごい良かったんですよ。ただなんか私が担当者じゃなくなったんだけど。
担当者から?その仕事の担当を外れたってこと?
まあね、1年1年じゃないけど、やって終わって、そのタイミングで部署を移動したから、
もしそれ次が、成功うまくいってたから次の年も同じのやろうとか、発展させたやつをやろうみたいなことは、
出てくれてる人とかと話までしてたから、やりたかったわけですよ。
私が企画したし、私のものと思ったわけ。
企画から入るとそういう気持ちになるよね、確かに。
だから、もちろん担当者はお金を渡すのは分かってたけど、
渡した人が私よりいい感じになったら嫌だとか思うわけですよ。どこかでね。
何?自分がやってたポジションに新しく入ってきた人が、もっと成功すると言いやってそういうこと?
私がやってた企画を誰かに渡して、その人がもっとうまく成功させたりとか、
出てくれる人ともっと仲良くなったりとかしたら嫌みたいな、新しい女が気に食わないみたいな、そういうもんよ。
完璧な所有欲って感じかしらね。私のもの中。
だからね、本当に私の企画は私のものって思っているわけでしたよ。
でも、思ってたけど正直ダサいなと思って、ちゃんと渡したわけ。
なるほど。
次の人に渡して、本当にそれが実現するか分からないけど、
今担当してきた人としては、次こういう風にしたらもっとお金儲かるし、
いろんな人も喜んでくれるんじゃないかなみたいな案は、包み隠さず全部お出しして渡してきたわけ。
渡してきたわけ。
そしたらね、なんかすごいすっきりした。
わぁ良かったと思って。
なるほど。
自分がって思ってる時ってやっぱ苦しいよ。
だから渡したら、みんないい感じになるといいねみたいな、ちょっとだけ仏のところに。
もう、なかなかいい、所有欲からの下脱な話。
うん、まぁちっちゃいことだけどね。
でもさ、それがさ、私はたかだか1年とか2年とかやってきた季節に、
それだけ手放せないみたいなものがあったけど、
しかも仕事じゃん。男でもないしさ。
お金でもないし。
パーソナルじゃないじゃん。
パーソナルであって、距離は置けるよね。確かに。仕事の中の一環っていうのは。
そう、だから仕事の中の、しかもそれが一つ。
でもそれだけ執着を持ってたから、これが彼氏だったり旦那だったり、
もっと長い期間かけてやってる仕事とか、
ね、押し勝つとかだったら、もっと手放すの大変なんだろうなと思ってね。
押し勝つとかもそうかな。仕事なんかで言うとどうだろう。
政治家とか権力者とか、そういうのってほら、動く力とか権力が大きくなるとさ、
それを手放すのっていうのはすごくつらくなってくるんじゃないのかな。
つらいっていうふうに認識してるかどうかは別にね。
だと思うよ。だってさ、それが嫌だから子供作って創造させるわけじゃん。
自分じゃなかったとしても自分の血のつながってるやつだったらまあ許せるっていうのがさ、
それも所有欲のひとつだよね。
家族代々とかっていうのは、なんか理にかなってそうに見えるじゃない?
お家を潰さないとかそういうのっていうのは。
でもさ、なんかそのお家を潰す自体がさ、なんか俺の遺伝子っていう所有欲じゃんね。
あーなるほど。
執着じゃん。それがお金に対するものであっても、遺伝子に対するものであっても、
男に対するものであっても、女に対するものであってもさ、
遺伝子に対するものであってもさ、
執着は、それを変容させるって言ってもさ、つらいね。
変容させるっていうのはなんかちょっと遠い未来の話っていうわけではないけど、
そういうのはなかなか教えてもらえなかったし、
知らないとさ、でもなんか出口がない感じで持ってるものになっちゃうじゃん。
それこそ仏教とみたいに、これは本当に苦しみのひとつで、
じゃあこれを手放しましょうって、
執着の手放し方って、たぶんそんなビジネス本的なやつってめちゃくちゃ出てるような気がするんだけど。
でもさ、手放せって言われたら余計執着しない?
そう、だから手放すっていうのはちょっと、それ言われたところで、
はいわかりました、じゃあ教えてよって言われても、そのhow toを言われたところで無理だと思う。
なんかさ、わかってたらやめるよって思うよね。
うん。
そんなやめ方わかってたらみんなやめて、もっとみんな悟っててハッピーだよって思うじゃん。
でもある意味さ、私なんか執着ってそんなに悪いことでもないなって思うのは、
ほらあんまりよく最近使われない言葉でさ、頑張りましょうとかっていうのって、
ちょっと使い方を間違えるとふーんっていう感じになる言葉だけど、
あるひとつのものを達成しようと思ってさ、
そこに対するピタッとエネルギーを注み込むみたいのも、ある意味の情熱と言えば情熱なんだけど、
執着的なものがないとさ、なんか心折れちゃうじゃん、これ達成するまでには。
だからそういう意味ではなんか執着悪くないんじゃないかなって、一瞬よぎったけどね、考えが。
執着だとさ、結果がそれがなかったらすごい嫌じゃない?
そうか、そこに執着してとか情熱を吸って結果が出るとも限らないもんね。
結果がもう無残に終わるっていうことも多々あるわけだからね。
だからなんかこれがどうしても欲しいからやる努力よりもさ、
なんか楽しいからやってたから何かが結果として手に入った方がすごい楽だよね。
それはそうだな、確かに。
なんかそこに行くには多分執着って邪魔なんだろうなと思う。
なんか執着ってさ、自分のその仕事の話にも引き付けるとさ、
仕事自体は楽しいしやりがいがあるって思ってるけど、
なんかそこでさ、なんか自分の価値がないものを埋めるっていうかさ、
そこでいい売り上げを出したら私の価値が証明されるみたいな、
なんかそういうものをさ、私は持ってたんだろうなと、
手放してからちょっと思う。
ある意味のなんか、男性性がこう動いてる感じ?
ポジショントークみたいな感じなのかな?
鎧を一つゲットしたみたいな、そういう感じ?
はー、なるほどね。
だからでもそれがないと私は弱いって思ってるから、
なおからそれに執着するの。
ふんふんふん。
それがなくても生きていけるとかさ、
それがなくても私の価値があるって思ってたら別に、
こんなのはさ、はいどうぞって手放せるだろうなって。
っていう感じがするよね。
まあ鎧は本当に着るけどさ、脱げるじゃん。
いつでも。
特に戦争が終わったらっていうか、
あのー、そこでの用途が終わったら、
脱いだり着たりできるようなものだからね。
それぐらいの距離があればだけど、
ずーっと着ていてそれが自分の一部だと思ってしまうと、
んー、なんか脱ぎ方を忘れるっていうかさ、
なんかこの鎧ないと私、
その世間に出れないというか、
歩いていけない、戦場行けないわみたいな感じになって、
囚われるのかもね。
そういう気がするけどね。
そういうのもあるのかもしれないけど。
うーん。
まあでも一番ちょっとなんていうの、
社会生活を送ってる中では分かりやすいところだよね。
その仕事に対するって。
なんか私仕事、
んー、執着、
仕事に関してはしてきたかな。
うん。