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  2. 【#29】執着って何?
2025-02-17 28:20

【#29】執着って何?

愛と性と死とお金のメディテーション・タントラを探求するめいそうラジオ。

#29のテーマは「執着」。

お金、異性、権力・・・執着の対象はさまざま。

サキの仕事への執着、ラシュミの長女ポジションへの執着体験から

一体執着って何だろう?を深掘りします。

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⦅めいそうラジオは⦆

インドで出会った瞑想コンビが、愛と性と死とお金の瞑想、タントラから生きるヒントを探ります。


⦅スピーカー⦆

アビラティ改めサキ:医学教育コンテンツプロデューサーを13年した後、出生家族のアレコレ・男女関係の不毛さに悩みタントラへたどりつく。


ラシュミ:マルタ島で留学コーディネート、アーティスト支援などを行う。西洋/東洋の様々な自己探究をたどり、タントラへ。

サマリー

このエピソードでは、執着について深く掘り下げ、執着が現代人の心にどのように影響を与えるかを探究しています。また、仕事や人間関係における執着の例を挙げ、その手放し方や新たな気づきを得るプロセスについても考察しています。さらに、長女としての役割や儒教が影響を与える価値観についても探求し、自身の選択の自由を踏まえながら、執着の本質やそれに伴う苦しみについても議論されています。最後に、執着の本質やその心理について考察し、特に愛の歪んだ形である執着や手放すことの重要性が強調されています。

00:02
ナマステ。
めいそうラジオ。
インドで出会ったタントラ迷走コンビ、サキとラシュミが、
愛と生と死とお金のメディテーション、タントラから生きる処方箋を探っていきます。
欲深い私たち現代人のための迷走入門、始まります。
執着の概念の探求
今回は、執着って何?
なんかさ、執着ってなんとなく知ってるけど、何?
っていうことをちょっと掘り下げていこうかなっていう感じの回ですね。
はいはいはい。みんな持っておりますね。
まあまあ一つ言うにはあれだよね、仏教的に言うと四苦の一つじゃなかった?
愛別離苦、御憎悪苦、あと何だっけ、求めるものが得られない苦。
そうそうそうそう。
あともう一つが執着。
そう、それかもう一つが執着じゃね。
で、執着にもなんか、もっともっともっともっと細かく分けていく、もっともっといっぱいありますみたいなのはまあまあ置いといて、
一つ分かりやすいのはあれかもしれない、離れられない、忘れられない、やめられない、止まらない、みたいな。
何々られないっていうのが執着じゃないでしょうかね。
うん。なんか握って離せない何か。
そうそうそうそう。
まあタントラではほら、愛の歪んだ形とかさ、この執着っていうのもこんなのは変容させるエネルギーなのさっていう考え方をしてるから、
私はタントラ大好きなんだけどさ。
まあ考えていくところでいくと、最近私なんか執着してるなとか、執着手放したなとか、執着のどっぷりど真ん中にいるっていうような出来事あった?
仕事を通じた執着の実例
えっとね、仕事でそこそこちゃんと頑張ってやってた仕事があってさ。
まあまあちゃんとお金も儲かってたし、そこそこ成功してる企画があったんだけど。
いいじゃんいいじゃん。そこまではね。
すごい良かったんですよ。ただなんか私が担当者じゃなくなったんだけど。
担当者から?その仕事の担当を外れたってこと?
まあね、1年1年じゃないけど、やって終わって、そのタイミングで部署を移動したから、
もしそれ次が、成功うまくいってたから次の年も同じのやろうとか、発展させたやつをやろうみたいなことは、
出てくれてる人とかと話までしてたから、やりたかったわけですよ。
私が企画したし、私のものと思ったわけ。
企画から入るとそういう気持ちになるよね、確かに。
だから、もちろん担当者はお金を渡すのは分かってたけど、
渡した人が私よりいい感じになったら嫌だとか思うわけですよ。どこかでね。
何?自分がやってたポジションに新しく入ってきた人が、もっと成功すると言いやってそういうこと?
私がやってた企画を誰かに渡して、その人がもっとうまく成功させたりとか、
出てくれる人ともっと仲良くなったりとかしたら嫌みたいな、新しい女が気に食わないみたいな、そういうもんよ。
完璧な所有欲って感じかしらね。私のもの中。
だからね、本当に私の企画は私のものって思っているわけでしたよ。
でも、思ってたけど正直ダサいなと思って、ちゃんと渡したわけ。
なるほど。
次の人に渡して、本当にそれが実現するか分からないけど、
今担当してきた人としては、次こういう風にしたらもっとお金儲かるし、
いろんな人も喜んでくれるんじゃないかなみたいな案は、包み隠さず全部お出しして渡してきたわけ。
渡してきたわけ。
そしたらね、なんかすごいすっきりした。
わぁ良かったと思って。
なるほど。
自分がって思ってる時ってやっぱ苦しいよ。
だから渡したら、みんないい感じになるといいねみたいな、ちょっとだけ仏のところに。
もう、なかなかいい、所有欲からの下脱な話。
うん、まぁちっちゃいことだけどね。
でもさ、それがさ、私はたかだか1年とか2年とかやってきた季節に、
それだけ手放せないみたいなものがあったけど、
しかも仕事じゃん。男でもないしさ。
お金でもないし。
パーソナルじゃないじゃん。
パーソナルであって、距離は置けるよね。確かに。仕事の中の一環っていうのは。
そう、だから仕事の中の、しかもそれが一つ。
でもそれだけ執着を持ってたから、これが彼氏だったり旦那だったり、
もっと長い期間かけてやってる仕事とか、
ね、押し勝つとかだったら、もっと手放すの大変なんだろうなと思ってね。
押し勝つとかもそうかな。仕事なんかで言うとどうだろう。
政治家とか権力者とか、そういうのってほら、動く力とか権力が大きくなるとさ、
それを手放すのっていうのはすごくつらくなってくるんじゃないのかな。
つらいっていうふうに認識してるかどうかは別にね。
だと思うよ。だってさ、それが嫌だから子供作って創造させるわけじゃん。
自分じゃなかったとしても自分の血のつながってるやつだったらまあ許せるっていうのがさ、
それも所有欲のひとつだよね。
家族代々とかっていうのは、なんか理にかなってそうに見えるじゃない?
お家を潰さないとかそういうのっていうのは。
でもさ、なんかそのお家を潰す自体がさ、なんか俺の遺伝子っていう所有欲じゃんね。
あーなるほど。
執着じゃん。それがお金に対するものであっても、遺伝子に対するものであっても、
男に対するものであっても、女に対するものであってもさ、
遺伝子に対するものであってもさ、
執着は、それを変容させるって言ってもさ、つらいね。
変容させるっていうのはなんかちょっと遠い未来の話っていうわけではないけど、
そういうのはなかなか教えてもらえなかったし、
知らないとさ、でもなんか出口がない感じで持ってるものになっちゃうじゃん。
それこそ仏教とみたいに、これは本当に苦しみのひとつで、
じゃあこれを手放しましょうって、
執着の手放し方って、たぶんそんなビジネス本的なやつってめちゃくちゃ出てるような気がするんだけど。
でもさ、手放せって言われたら余計執着しない?
そう、だから手放すっていうのはちょっと、それ言われたところで、
はいわかりました、じゃあ教えてよって言われても、そのhow toを言われたところで無理だと思う。
なんかさ、わかってたらやめるよって思うよね。
うん。
そんなやめ方わかってたらみんなやめて、もっとみんな悟っててハッピーだよって思うじゃん。
でもある意味さ、私なんか執着ってそんなに悪いことでもないなって思うのは、
ほらあんまりよく最近使われない言葉でさ、頑張りましょうとかっていうのって、
ちょっと使い方を間違えるとふーんっていう感じになる言葉だけど、
あるひとつのものを達成しようと思ってさ、
そこに対するピタッとエネルギーを注み込むみたいのも、ある意味の情熱と言えば情熱なんだけど、
執着的なものがないとさ、なんか心折れちゃうじゃん、これ達成するまでには。
だからそういう意味ではなんか執着悪くないんじゃないかなって、一瞬よぎったけどね、考えが。
執着だとさ、結果がそれがなかったらすごい嫌じゃない?
そうか、そこに執着してとか情熱を吸って結果が出るとも限らないもんね。
結果がもう無残に終わるっていうことも多々あるわけだからね。
だからなんかこれがどうしても欲しいからやる努力よりもさ、
なんか楽しいからやってたから何かが結果として手に入った方がすごい楽だよね。
それはそうだな、確かに。
なんかそこに行くには多分執着って邪魔なんだろうなと思う。
なんか執着ってさ、自分のその仕事の話にも引き付けるとさ、
仕事自体は楽しいしやりがいがあるって思ってるけど、
なんかそこでさ、なんか自分の価値がないものを埋めるっていうかさ、
そこでいい売り上げを出したら私の価値が証明されるみたいな、
なんかそういうものをさ、私は持ってたんだろうなと、
手放してからちょっと思う。
ある意味のなんか、男性性がこう動いてる感じ?
ポジショントークみたいな感じなのかな?
鎧を一つゲットしたみたいな、そういう感じ?
はー、なるほどね。
だからでもそれがないと私は弱いって思ってるから、
なおからそれに執着するの。
ふんふんふん。
それがなくても生きていけるとかさ、
それがなくても私の価値があるって思ってたら別に、
こんなのはさ、はいどうぞって手放せるだろうなって。
っていう感じがするよね。
まあ鎧は本当に着るけどさ、脱げるじゃん。
いつでも。
特に戦争が終わったらっていうか、
あのー、そこでの用途が終わったら、
脱いだり着たりできるようなものだからね。
それぐらいの距離があればだけど、
ずーっと着ていてそれが自分の一部だと思ってしまうと、
んー、なんか脱ぎ方を忘れるっていうかさ、
なんかこの鎧ないと私、
その世間に出れないというか、
歩いていけない、戦場行けないわみたいな感じになって、
囚われるのかもね。
そういう気がするけどね。
そういうのもあるのかもしれないけど。
うーん。
まあでも一番ちょっとなんていうの、
社会生活を送ってる中では分かりやすいところだよね。
その仕事に対するって。
なんか私仕事、
んー、執着、
仕事に関してはしてきたかな。
うん。
人間関係における執着
でも男女関係は一番分かりやすいっちゃ分かりやすいよね。
私のものって思ってるから、
これは私の男だ。
っていうような図式で考えているとさ、
うん。
相手が他のね、
人とあれこれしてたら嫌だ。
そうそうそうそう。
だからこれは私のものなのに、
なんていうの、
私に断りもなく勝手に使わないでみたいな、
そういう感じ。
うんうんうん。
でもさ、それもさ、
なんかこの私のものと想定されてる人が
他のところに行ったら
私の価値が下がるようであるんじゃないの?
どうなんだろうね。
あーそれは、
思い返してみるとあるかもね。
なんでこんな女に手を出したっていうのは、
私の方がイケてるに決まってるって思いながら、
うん。
そこと同じような、
なんていうの、
こう、
計りに乗せられたって思うと、
かなりムカつくっていうか、
それがなんか、
よくわけ分からない、
なんか嫉妬の炎に焼かれるようなその瞬間。
うんうんうん。
嫉妬もそうだよね、
嫉妬もそうだもんね。
そこの執着。
これは執着なのかよくわからないけど、
もう生まれ落ちたその順番とかさ、
私は長女だけど、
そこの長女のポジションにしがみついてるというか、
なんか抜け出せないパターンがあるっていう風に思ったけど、
何かしらの執着的な、
粘着質っぽいやつではなく、
うん。
うん。
変えられないなんかその長女ポジションに、
ちょっととらわれてるとこって、
結構ね、
長い間あったなっていう風に、
この話をする時に思ったね。
なんか執着とは違いそうだけど、
なんか苦しそうだね。
うん。
長女としての役割
それも苦しいよね。
だってなんか、
長女だからこうしなさいって、
なんかやだよね。
まあそれはね、
大体言われるんで、
お姉ちゃんだからこうしなさいとかさ、
まあいい風に転べば別に全然いいんだけど、
じゃあもうお姉ちゃんやめまーすって、
なかなかいけないところじゃん。
そういうところ。
まあそれは自分が、
お姉ちゃんやめます、
もういけないところだし、
あとは自分はほら、
父の娘でもあり、
母の娘でもあり、
誰かの母でありとかって、
そこのポジションだけはさ、
ポジショントークも下手くれもなく、
このポジションすいません、
もうこれいいんでやめますって、
なかなか言えなくなる。
母と娘であることは変わらないけど、
母に期待しないって言ったらおかしいけど、
娘として期待される役割を、
私は果たしませんよっていう、
そのポジションは変わらないけど、
責務は負わないっていうことはできる気がする。
やるかやらないかは私の自由じゃない?
なるほどね。
ふんふんふん。
この前さ、
儒教のね、
中国・韓国で、
道徳的な修士学とかになってくる、
あの儒教のね、
儒家のね、
展示をハントリー美術館で見たの。
それもすごい面白かったのが、
儒教って、
基本的に中国の昔の天国時代で、
人殺し合って、
国がバッタバッタってなってるのも、
終わった時に、
いやもう戦争するの嫌だからさ、
戦争にならないような国にするためには、
どういう学問が必要かねって言って、
作られたのが、
儒教なんだって、
私初めて知ったんだけど。
俺、春秋戦国時代よりも前だったんだけど、
戦国時代よりも前だったっけ、
その中から出てきたんじゃなかったっけ、
儒家って。
ちゃんとした歴史のこととか、
覚えられないタイプの、
ふんわりフィーリングの人だから、
この辺はなんか、
お任せするんだけど、
とっても古い時代で、
天国が人残滅した時に、
出てきたらしいです。
だから、
反乱が起きないようにするための、
擦り込み、
中が、洗脳だよね。
中が悪いけど。
でも、そうすると、
都心の上の人を敬うとか、
親にかからわないとか、
自分より強い人にかからわない、
日本人たちに作った子が、
イケてるっていうふうに、
洗脳していくわけですよ。
あ、イケてるポイントなんだね。
そう、イケてるポイントなの。
儒家と法家の戦いみたいなのを、
歴史書で読んでいた時にさ、
そういうふうに、
イケてるっていうふうに、
私は全然思わなくてさ、
儒教をめちゃくちゃ取り入れてるよね。
そう。
国語学部の時は、
朱子学の人が、
とっても徴用されたらしい。
でも、それで、
いや、まじかよって思ったのが、
24校って、
24の高校息子の例みたいな、
イケてる24人。
親高校の校ね。
親高校の校ですよ。
24人のイケてる高校息子の例が、
絵に描かれたりするの。
その中にね、
もう年老いて、
死にそうになっている母が、
たけのこが食いたいって言うから、
冬も絶対そんな時に、
たけのこ生えてねえだろっていう、
雪が降ってる中に、
寒い中たけのこを探しに行った高校息子に、
たけのこが見つかるっていうのが、
一番マイルドなエピソードなの。
そのくらいの高校だったら、
まだわかるじゃん、
妄想だけの妄想なんだけどね。
いやでも、そこにはマジックが働くわけ?
季節がなくてもたけのこ出現みたいな。
高校の息子のためには奇跡が起きて、
冬の寒い中でもたけのこが採れるっていう、
マジ奇跡なわけ。
いい感じの線のストーリーやね。
でしょ?
でもこれはね、
私唯一受け入れられた二重思考の一つなの。
これはまだイケてるのよ。
でもね、
3世代で同居してて、
おばあちゃんが、
もうなんか食べ物がないのに、
飢えそうだからって言って、
孫にご飯を、
自分のね、
食べられる分のご飯を、
おばあちゃんが孫に分け与えてた、
っていうのを見て、
その真ん中にいる父親っていうの?
そうだよね、中間にいるもんね、もう世代。
おばあちゃん、父親、孫ってなってるから、
その真ん中の父親が、
父親とお母さんと一緒だったかな?
みんな、
おばあちゃんを産めさせるような子供はいかんって言って、
子供を産めようとするの。
へー。
で、子供を産めるために、
穴を掘って、
ここに子供を産めるべしと思って、
穴を掘ってる間に、
金塊的なお金みたいなのが出てきて、
やったねって言って、
子供を産めてまで、
親を助けようとした、
高校っていう、
高校ストーリーとか、
あとは、
この極めつけ、
これはもう絶対に無理って思ったのが、
年老いたシュートメ、
それを植えているシュートメに、
出ている父を飲ませる嫁っていうのが、
高校の中に入ってんの。
へー。
なんなのそれ、みたいな。
今の感覚で言ったら。
だけど、
それが高校と、
子供だから、
こういうことをすべしっていうさ、
その割とエクストリームなのが、
授業の教科だと思うの。
確かにね。
だから、長女だからとか、
娘だからとか、
私は一人子だけど、
だからお母さんの面倒を、
絶対に見なければいけないって、
それが、私が決めたことじゃないじゃん。
そうね。
そういうのは、見るかもしれないし、
見ないかもしれないよね。
お母さんとの関係によってさ、
それがナチュラルにできる人もいれば、
死んでも無理って思う人もいるかもしれないよね。
確かに。
一応、授業OS入ってないからね。
そういう意味では。
なんていうのかな、
そんなに、
授業OSは入ってないけど、
マイルドには入ってると思うんだよね。
日本に生まれてたら、
だからポジションが捨てられないって思うじゃん。
あー、なるほどね。
それはそうかもしれない。
授業じゃなかったとしても、
どこもかしこも、だいたい似たような
OSはマイルドに積み込まれてるよ、ちょっと。
親とこのポジションは、
捨てられないし、変わらないけど、
そこで何をするかは、
自分で選ぶことができるような気がする。
親の面倒を見るとか、
長女らしい振る舞いを求められたとしても、
私は選択する自由があるって思えるようになると、
すごい楽。
なんか、すごい21世紀な女子な気になってきたよ。
そんな話を聞いてた。
まあ、そうだねーって。
長女だけど、だからといって
長女的振る舞いはしたりはするけど、
しないよって。
その選択は確かにあるんだよね。
でも、そこに行く中の自分を見つめてみるとさ、
自分のポジションに対する、
それは執着とちょっと違うのかなって思うけど、
少なくともそれがイラッとしたりとかさ、
苦しめる原因になるんだったら、
儒教の影響
これも執着の一つの種類ねって思ったんだよね。
なんかさ、執着って自分から握って離さないものっていう
イメージがあって、
少女ポジションとかそういうのは、
私それ求めてないけど、
勝手に縛りつけられてる何かみたいな感じはするかな。
だから、所有欲って一番最初の方に話をしてたけどさ、
自分が掴みに行ったとか取りに行ったっていうものの方が
手放しにくいかな。
うん。なんか苦労して取ったものとかに執着があるのかな。
苦労して獲得したもの。
うんうん。
だから本来はもしかしたらやりたくないけど
そういうものに対して執着があるのかな。
でもやりたくなくて嫌々やってるやつっていうのはさ、
お役目ごめんみたいになった時とかっていうのは結構開放感があるじゃん。
確かにそうだな。
仕事とか結構そうかなって思うのは、
自分で作ってきた仕事とかっていうのは確かに
執着とかが生まれるのかなとも思いきや、
それはどういう姿勢でそこを取りに行ったかにも
よりけりなのかなとは思う。
うん。
なんかね、仕事に関しては私結構商業無常感。
金がなくなるのはちょっと困るみたいな感じには思うけど、
仕事は作るものだから作って、
それなりにお金が回ってゲットしたらそれでまあいいかみたいな感じかな。
うん。
私は割と仕事にアイデンティティを目指してたから
ここの執着がすごい強い方だと思うよ。
うーん。なるほどね。
なんかその執着ポイントがさ、私がたまたま仕事だけど
それが理性の人とかお金の人とか、
なんかやっぱりアイデンティティも紐づいてるものには
執着をするんだろうなと思ったりする。
選択の自由
まああとはあれだよね、
執着って別にこれよく手放すっていうのはちょっとなんか
手放すようなポイントが来たらもちろん自分の手から離れて
手放してはいくんだろうけど、
なんかそれを脅迫観念みたいに考えるのは
ちょっと違うかなって思うかな。
なんかさ、手放すって結局自発的じゃん。
努力して手放すじゃん。
そう、握ってるものをただパッと離して
エラー送っちゃったんじゃないもんね。
うん、なんかその自然じゃないじゃん。
自分の意図してやってるものはさ、
結局なんかまた使うような気がして
私も手放すっていうワードはあんまり適切じゃないなって思う。
和尚の役だとさ、
それは落ちていくっていう言い方をするような気がする。
離れていくとかさ。
で、あとは、
落ちていく時が来たら落ちていくし、
離れていく時が来たら離れていくっていうので、
やっぱりあれなんじゃないの。
ファントラって結構珍しいなって私が
その時に思ってたのは、
だから併用の中にもその執着っていうのはもちろん入っているから
併用させましょうみたいなので、
それのやり方が分かんないからみんな、
ふーんって思うんだろうけれども、
執着の本質
これ多分和尚の講座の中でかな、
愛の歪んだ形、
愛を持ってるんじゃなくて、
愛の歪んだ形が執着だとすればだよ。
そんなの持っててもあんまり役に立つものでも全然ないんだよね。
おそらく。
切ないなって思うのはさ、
役に立たないと分かっていても
手放せないものは手放せないんだよね。
そう。
私それでさ、
思ったのって洗いすぎてしまった、
なんかペロペロになったパジャマってあるじゃん。
あるある。
ああいうのってさ、
もう穴が空いてきました、すり切れてきましたっていうのほどこそ、
捨てられないっていう心理が働かない。
働くね、
パジャマとかタオルとかね。
そう。
これパジャマがすごくいい例だなと思ってさ、
これに愛の歪んだ形とかって言われたって、
これにめちゃくちゃ愛着あるんですけど、
私みたいに思うとさ、
とてもじゃないけども、
すぐに造形にしてとか捨ててっていうのは、
私結構捨て間だから、
何でもかんでも捨てちゃう人なんだけど、
それだけは一番最後にいつでも残るんだなと思うとさ。
もうさ、
パジャマだったらさ、
満足するまで同じの着ていればいいけどさ、
他のものもきっと満足するまでやるしかないんだよね、きっと。
ああ、だから落ちるまでして、
そう、勝手にもういいかーって気が付いたら、
落ちる、落ちてるっていう状態か、
嫌でも落とさざるを得ないか、どっちか。
何か形あるものはもう消えてなくなるからさ、
まだずっとずっと一生一生執着してたとしても、
落ちるときってか、なくなるときは絶対来ると思うけどね。
でもさ、それにさ、絶対死ぬんだから、
絶対そこではさ、
執着も何もさ、
全部終わりにしなきゃいけないから、
終わるときが来るよ。
終わらざるを得ないじゃん?
だからさ、そこが、
そのことを考えるとだよ、
なるべく、
はい、ぽい、はい、ぽい、
できるほうが死にやすいんじゃないかなって思ってんの。
まあ、お掃除セオリーだよね、
ごみ捨てっていうか、
もう本当に、
まあ、執着というか、
その執着ポイント、
っていうのはもう、ごみみたいなもんだから、
捨ててったとこ、捨てると、
新しいスペースが生まれますっていうのは、
まさにその通りだよなとは思う。
だって、ごみ屋敷にずっと住んでいたくないもんね、
手放すことの重要性
人生。
うーん、
聞いた話は、
執着っていうか、
その、自分のエゴにも3種類あって、
最初はもう本当になんか、
ただ単によくっていうか、
自分の好き嫌いだけを判断してる、
っていうのがあって、
次に、
なんかこう、
人のためにとか、
なんかもっとよくしたいみたいな、
一見よさそげなエゴもあって、
でも、ただ2番目のその、
一見よさそげなエゴでやってると、
なんか自分だけすごい頑張ってるのに、
みたいな、
そういうフラストレーションに、
結果がなる、
って言って、
で、3番目の最後のエゴは、
あの、みんな良しみたいな、
みたいなものになってると、
執着押せないから、
別に疲れないし、
楽勤で、いろんなもののことがいくよ、
っていう話を最近聞いたんだけど、
うんうんうん。
なんかちょっと、
その執着が2番目のとこ、
誰かのために、
誰かのために行ってたけど、
自分のためだった系、
のところにいると、
なんか確かに執着になるなーって思って、
まあ、さっきの、
仕事を手放した私のことなんですけど、
でもいいんじゃない?
その、過程を経てみないとさ、
こればっかりはなんか、
なかなかこう、見えてくる世界も見えないからね。
そうそうそう。
だから、ちゃんと、
はい、またそうって思ってやったら、
なんか、確かに軽い。
私も良くて、皆さん良い。
で、だいぶだいぶ軽くなったんだね。
そう。
ね、仕事ひとつでこんなに執着してるんですから、
死ぬときにそんな執着を持たずに、
死にたい。
もう、だから、
そう、叫んでたもんね。
下脱したいとかさ、
もう、輪廻うんざりだーとか叫んでたじゃない。
私、だいたい、なんか質問、
なんでこの瞑想に来たんですか?って言ったら、
もう二度と生まれ変わりなんてないからね、
って、だいたい言うんだけど、
それを、自分は言ったこと忘れてるから、
また言ってるねって言われて、恥ずかしい。
それも執着ですよ。
しょうがないか、生まれ変わっても。
そうね、悟りたいとかっていうのもさ、
大きな執着のひとつだって言われてるもんね。
超大きな執着って言ってたね。
だから、しょうがないですね。
諦めますか。
もう、いいよ、生まれ直しても。
うーん。
あとは、あれじゃないですか、
手放し、手放しっていうところに、
こう、何でしたっけ、
意識を向けず、
執着っていうのは、もちろん、
全然全然あるもんだから、
このパターンの執着があるなっていうのを、
落ちるまで、ちょっととりあえず、
何かしらの負担にならない形で、
持って生きていく。
執着してるんだって思って、
見とく。
そうですね、あの鑑賞、鑑賞って言われてる、
そこですね。
見とけって。
見とけって言うと、
見とくねって。
そう、生きてる限り死ぬまでは、
私たちは執着と一緒に生きてます、
っていうことで。
はい、ありがとうございました。
今回もありがとうございました。
さようなら。
お聞きいただきありがとうございました。
瞑想ランジョンは、
歯磨きのように瞑想が日常になることを
目的としたプログラムです。
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最新を聞いてくれると嬉しいです。
次回をお楽しみに。
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