1. 名盤ラジオ
  2. #11-1 hideのソロ活動開始から..
2021-10-07 40:20

#11-1 hideのソロ活動開始から2枚のアルバム制作を時系列で振り返る

今回から『3・2・1』zilch(1998)を取り上げていきます。


第1回目は、hideのソロワーク開始から2枚目のソロアルバム『PSYENCE』完成までを時系列で一気に振り返っています。

(※1.5倍速再生推奨)


●「3・2・1」はなんて読む?

●zilchは何語?⇒英語です

●このアルバムは90年代グランジ/オルタナ世代には最高

●hideとI.N.Aとの出会いは?

●1992年夏、MxAxSxSの「FROZEN BUG」制作がきっかけ

●hide「こんなんやってたら、曲なんか一生できねぇ」

●「その才能を俺のためだけに使って欲しいんだ」

●1993年夏、hide×I.N.Aセッションで1stアルバム制作開始

●忙しいX JAPANとの並行活動

●1996年1月、zilchレコーディングスタート

●「ELECTRIC CUCUMBER」は1995年にできていた

●hideは世界トップのフォロワーではなく最先端

●hide「俺はお前らの持ってるものは全部知ってるけど、お前らは俺の持ってるこの感じが分かんねえだろ」

●1996年4月、2ndアルバムの制作開始

●hide「チャートの内部からチャートを変えたい」

●hideのボーカルセンスは最高

●『PSYENCE』完成⇒「これが売れないような国だったら、もうやっててもしょうがないから、俺ら外タレになろう」


※参考文献

君のいない世界~hideと過ごした2486日間の軌跡

https://amzn.to/3Fpi27P


『3・2・1』zilch

1.ELECTRIC CUCUMBER

2.INSIDE THE PERVERT MOUND

3.SOLD SOME ATTITUDE

4.SPACE MONKEY PUNKS FROM JAPAN

5.SWAMPSNAKE

6.WHAT'S UP MR.JONES?

7.HEY MAN SO LONG

8.PSYCHE

9.FUCTRACK#6

10.DOUBT

11.POSE

12.EASY JESUS


《CD&配信情報》

●Amazon

https://amzn.to/3aiVyXP



■『名盤ラジオ』とは?


3人の音楽好きが古今東西あらゆる名盤から1枚をピックアップし、お酒を飲みながらダラダラと語っていく番組です。

※自由気ままなトークです。内容に一部誤りがある可能性がございますので予めご了承ください。


00:01
名盤ラジオ。
こんばんは、名盤ラジオです。
この番組は、僕ら音楽好き3人が好きなアルバムについて、お酒を飲みながらダラダラと語っていきます。
名盤ラジオ、今回もよろしくお願いします。タクヤです。
こんばんは、えぬぞうです。
こんばんは、ひできです。
はい、名盤ラジオ、今夜もやっていきましょう。
今回取り上げる名盤がですね、ジルチのサ・3・2・1というところで、
前回前々回と、Xのブルーブラッドとジェラシーと、かなりXについて話をしてきましたけど、
今回は続いて、Xのひでですね。
ひでの別のバンド、ジルチを取り上げるというところです。
はい、今タクがもう、3・2・1って言う前に、3・2・1って言いそうになった。
言いそうになった。
なってたよね、今。サッて入った。
サッて。
お、お、やべやべーって。
いきなりそれが。
まあでも3・2・1でもいいのかもしれない。
3・2・1でも。
どっちで呼ぶっていうのもあれなんですかね、これ、なんていうか。
決まりは。
どっちで呼ぶんだろう、決まりのない。
なんか逆に3・2・1もかもしれないですよね、これ、なんか。
一応、一番最後に、3・2・1・ジルチ。
あー、あるね。
まあ一応あれでいくと。
なるほど。
まあまあそうですね、3とは。
そっかそっかそっか。
ジルチにつながる、そうだね。
3・2・1・ジルチじゃちょっとあれだもんね。
そうですね。
たぶん後にもつながるけど、なんかこのアルバムってすごい、日本人がフロントマンでやってるぞっていう。
はいはいはい。
うん。
プライドっていうかなんか教授みたいのがあって、あえての3・2・1ってのも。
そうですね。
そこであえて。
そう読ませるっていう。
ありですよね。
ありですよね。
確かに確かに。
すごいな、タイトルだけでもうこう。
言い間違いから。
読み方がね、確かに。
議論が巻き起こるという。
まあでも数字のタイトルってあんまないですからね。
ない、ないですね、確かに。
ジルチはゼロってことでいいんですよね。
ジルチはゼロですよね。
ゼロ、ゼロチだろ。
何語なんだろう、英語じゃない?
ドイツ語じゃない?
ジルチはドイツ語?
違うかなと思うんだけど。
ぽいですね、なんか。
語感的にドイツ語っぽい。
語感的にすごいっぽい。
ですよね。
わかんないですけど。
適当ですけど。
今ググったら英語ですね、これ。
03:02
あ、そうなの?
英語の俗語って言ってましたよね。
えー、あ、そうなんだ。
ゼロを意味する英語の俗語。
素晴らしい、正しい知識は。
こんな適当にドイツ語とか言ってた。
こんななんていうか、役立つ来事になってますね。
あ、英語なんだ。
すごい意外、意外かっこいいですね。
かっこいいな、今さら。
そうですね。
じゃあ、321ジルチって別に普通な漢字なんですか?
普通な漢字ってことですね。
まあ、でもこれはもう本当知る人ぞ知る大名番ですよね。
そうですね。
特に僕らみたいな90年代後半の洋楽っていうか、
特にアメリカのロック好きにとってはもう本当たまらないアルバム。
グランジオルタナティブからヘビーロック直撃した人間にとっては。
そうですね。
特に僕ら、しかもルーツがいわゆるビジュアル系っていうか、
X、ヒデルナシーとかにあって、そこからそこをルーツにして90年代のグランジオルタナに入ったみたいな感じだと思う。
めちゃくちゃドンピシャな。
これ以上ドンピシャなものはないっていうぐらい。
本当ですね。
日本で本当にこういう音楽をやってるのは、ちょっと他に思いつかないですね。
いやーこれだって、いまだに聴いても最新感っていうか、
古さ全くないですよね。
全くないですね。
今出てても全然もう違和感ない。
そうですね。2021年に出たアルバムですよって言われても、
めちゃくちゃかっこいいってなるもんね。
めちゃくちゃかっこいいってなりますね、本当に。
いやなんかロックきたじゃんみたいな。
確かに。最先端のロックが来たなって思っちゃうぐらい。
それを90年代に出たっていう。
今回はそんなジルチの321を取り上げるというところですけど、
ジルチを語るっていうところに行くと、
当然そのhideっていうフロントマンにフォーカスが当たるわけですけど、
そうなるとhideっていう人間がソロワークを始めるところから話を始めないとなっていうふうには思ってまして、
06:04
そのジルチのリリースが結局98年なんですけど、
結構遡ったところから話を始めていきたいなと思うんですけど、
hideのソロワークって結局、
稲田和彦さんっていうマニプレーターの方がいて、
彼はhideのツアーメンバーとかスプレッドビーバーのメンバーとしてもいるので、
かなり有名な人ですけど、
そもそもhideとの出会いっていう、稲田とhideの出会いみたいなところってご存知だったりします?
もともとXのなんちゃらじゃなかったっけ。
そうですそうです。
そうだよね。
なので、時代でいくと1991年。
前回取り上げたアルバムがジェラシーですけど、
1991年の7月にジェラシーリリースされるわけですけど、
そこからツアーが始まってっていうところでのツアーのマニュピレーターとして稲に声がかかったと。
要はXのスタッフとして。
そうですよね。
ライブの時にいろいろSEとか生演奏以外のやつを流すみたいな、そういう役割なんですかね、簡単に言うと。
で、そこでツアー同行してっていうので入って、
で、その後アートオブライフのレコーディングやるからちょっと一緒に来てっていう風にヨシキに言われて、
Xと共に92年の夏にLAに行ってると。
で、そこで当然XのレコーディングなんでHIDEもいるわけでLAに。
で、そこで結構仲良くなってっていう。
で、たまたまHIDEが当時MASSっていう。
はいはい、フローズンバグ。
はいはい、そうです。
Jとイノランとやったメリットみたいなやつですね。
これをなんかやることになって。
で、それの曲をなんか一人で作ってたんですよね、LAで。
で、その時にHIDEがまあそのシンセで打ち込みをやろうとしてたんですけど、まあやり方わかんねえって言って。
で、なんか稲ちゃん知ってそうだなって言って。
っていうのでちょっと声かけて、なんかこれこういうのやりたいんだけどちょっと教えてくれないって言って。
で、なんかまあ暇っていうかレコーディングってそんなまあ常に役割があるわけじゃないんで。
暇なタイミング見つけてこう2人でやってたらしくて。
まあそんなこんなやって。
09:01
HIDEもなんか最初は自分で結構やってたらしいんですけど、教えてもらいながら。
ただなんかもうこんなんやってたら曲なんか一生できねえって言って。
あともうとにかく時間がかかるんですよね。
まあそうだね。
あのコンピューター相手にこう打ち、一個一個打ち込んだりとかって。
だから思いついてこうやってるのにもうやってるうちに忘れちゃうみたいな。
っていうのでまあ自分はもうそれ以上その役割は無理だなって多分思ったんだと思うんですよね。
まあそういう感じで、いなとパートナー関係が始まっていくみたいな感じになって。
でそのフローズンバグ自体はHIDEといなはLAにいて、Jとイノランは日本っていう感じなんで。
まあそのデータを結構まあそれも大変だったらしいんですけど当時。
まだ93年、2年なんで。
まあテープ輸送みたいな感じなんで。
そんな感じでやり取りをして、完成させて。
でそれが93年1月に発売されてるんですよね。
ダンストゥーノイズっていうあのコンピュレーションアルバムみたいなやつで。
93年1月がそれで、まあ話はいろいろ進んでたと思うんですけど、
93年の2月下旬にいなが一本の電話を受けると。
で今度HIDEがソロデビューするからパソコンとか機材とかを揃えたいって言ってるから見てやってほしいっていう風にHIDEのマネージャーから電話をもらって。
でそこからまあはい了解って感じでやって。
で3月中旬とかですかねHIDEのソロプロジェクトの音源制作が開始っていう感じらしいです。
なのでまあその裏ではアートブライフとかはやってるんだと思うんですけど、よしきととしとか。
まあHIDEのソロプロジェクトっていうのもその辺りで始まってるとは。
なるほどねー。アートブライフのボーカル撮りとかが難航してた頃にちょっとやっぱ時間もできたりとかっていうところがあったんだよね。
そうでしょうねー。
でHIDEのソロは最初はあの2枚のシングル。
アイズラブユーとフィフティフィフティとカップリングがダウトとオブラートですね。
まあそれらをまず作ってたみたいなんですけど。
でこれが2枚まあシングルこれ自体は日本で作ってたらしいんですけど。
レコーディングして、93年の6月13日にHIDEのソロデビュー発表イベントっていうのが予定されてたらしいんですけど。
12:00
ただなんかこれが人が殺到しすぎて中止になったらしいんですけど結局は。
ただまあ打ち上げ自体はその夜やっていて。
中止になったけどまあ。
まあ打ち上げっていうか。
中止だけど打ち上げはやる。
打ち上げメインみたいな。
打ち上げっていうかまあ飲みっていうか。
でそれその夜にHIDEから改まって稲ちゃん俺と一緒にやらないっていう。
でも稲的にはそのもう前からやってるしその2枚のシングルもあの一緒にやってるし一緒にやってるじゃんって感じなんだけど。
その稲ちゃんの才能を俺のためだけに使ってほしいんだっていう感じで。
もう完全にもうパートナーとしてもうやってこうっていう感じで。
ここでもうなんかそういう感じになったっぽいですね。
タッグを組んだって感じですね。
もうだからほぼ専属みたいな感じで他の仕事やらないで月切りでやってくれっていう。
すごい口説き文句ですね。
すごいですよね。
HIDEにそれを言われるっていう。
いやーそれはすごい。
すごいですよねちょっと。
でまぁそれが93年6月ですけど7月にまたLAに行ってアルバム、ファーストアルバムを制作開始と。
この辺でもう本当に2人の制作っていうのが始まるわけですけど。
もうHIDEのソロなんだけどもう基本2人の作業みたいな感じみたいですね。
なので基本はHIDEのアパートの部屋で作業していて。
HIDEがギターと歌でやってて。
でINAが鍵盤でこうドラムの音を出して、これでこうセッションみたいな感じで曲を作るっていう。
これがなんか基本系みたいですね。
でそんな感じでそのいわゆるプリプロっていうレコーディング前の曲作りとか制作やってっていう感じで作業を進めていると。
この辺がだから93年の夏。
で裏では93年8月にアートオブライフが発売、要約されると。
あとは93年、基本LAにいたっぽいんですけどこの頃。
10月にパタと同じ59年製のレスポールをHIDEが買ってますね。
ここで買ってたみたいですね。
でHIDE YOUR FACEのレコーディングを本格的に始めて11月に歌い入れして、末にレコーディング終了、完成。
15:09
で93年末はX JAPANにこの時もなってますけど、東京ドームライブがあると。
これがだからあの破滅に向かって以来のライブですね。
93年の年末。
X JAPAN RETURNS?
そうですね。
だからこの頃はもうかなり並行してやってると、すでに。
もうJAPANに成り立てですけど。
RETURNSでアートオブライフやってるもんね。
それもだってライブでやるからには相当なリハーサルを。
めちゃくちゃ大変ですよね。
それと並行してソロもやるってすごいエネルギーだよね。
だからもうかなりスケジュールはしっかり管理してたんだと思うんですよね。
11月末にもうHIDE YOUR FACEのレコーディング系は全部完了して、
で12月はもう日本に帰って全部年末のX JAPAN RETURNSに向けてやるぞみたいな。
忙しいなってなって。
忙しいですよね。
ありますよね。
ちなみにこの後ずっとそんな感じですね。
でまぁざっといきますけど94年の2月にHIDE YOUR FACEが発売と。
でそっからもう3月から4月、追加公演5月とかのソロツアーですね。
だから94年は半年ぐらいそんな感じでやってると。
でまぁシングルも曖昧曖昧に出つつ。
で94年の後半はビデオが出たりとかしてますけど、
あんまりソロ的なトピックスはないですけど、
多分Xのレコーディングとかしてるのかな。
DARIAが。
そうですね。
94年の7月にラスティーネイルが出てたりとかするんで、
多分その辺をやってたんだと思います。
で94年末に青い夜、白い夜。
これもXの年末のライブですね、東京ドームの。
その頃Xって東京ドームしかやってなかったよね。
そうなんですよね。
シングル出して東京ドームでライブやるっていう。
で年が明けて95年。
95年に入ると1月からまたLAでセカンドアルバム作ろうって言って、
稲と秀の2人でその曲作りプリプロ開始してたみたいですね。
18:03
でここは結構まあ長い間そんな感じでやってたっぽくて。
10月に帰国。
あれか、11月の終わりからDARIAツアーが開始するのか。
そうですね。
95年はロンギングがシングルで出てて、
途切れたメロディと絶望の夜。
で11月29日からDARIAツアーが開始。
久しぶりの全国ツアーですね。
そうですね。
年末はその間の東京ドームライブもありっていう感じでやってるのが95年。
でこれが本編というかジルチの話にもつながるんですけど、
95年末の東京ドームライブを見にジルチのメンバーが来日をしていて、
だからもうその辺でそういう話が出てるってことですよね。
それはもうジルチ結成してんの?
うん、もうやるっていう前提で。
だからジルチ結成自体は95年とかにもうやってるってことなんですよね。
あれじゃあそっか、サイエンス作る…
サイエンスより早いんだな。
結成は早いってことなんですね。
なるほど。
ポール・レイヴァンとレイ・マクベイと一緒にやろうぜってなってるのもその辺なんだろうな。
でじゃあXライブやるから見に来てよっていう感じで。
もう見に来ちゃうって。
行くわっていう。
すごい、行くわ。
でそれでせっかく来たんだからって言って、
年が変わって96年の1月にもうレコーディング開始してるんですよね。
せっかく来たんだからって言って。
せっかく来たんだからって。
スタジオ入ろうぜって言って。
でまず渋谷でちょっとやって。
渋谷どこのスタジオなんだろう。
渋谷でやって、でまたLAに移動したりしてその続きやったり。
すごいな。
でこの辺で多分あのエレクトリックキューカンバーとかやってるんだと思うんですよね。
95年、96年とか90年代半ばか、そのぐらいでもうなんかあの音の原型ができてたっていうのは。
あらあれすごいですね。
そうですね。
ちなみにあの今言ったエレクトリックキューカンバー自体のその原型となったあのリフの部分。
あれ自体は95年10月のXジャパン写真展っていうこれのなんかBGMとして最初は作ってたみたいですね。
21:04
そういう。
Xジャパン写真展って新宿だか渋谷だかでやってたやつじゃない?
ですかね。
都心の方でなんかやってた。
写真展用に曲ってた。
たまたまなんかそれ見かけて行ったんだよね。
たまたま。
X写真展やってるみたいな。行った記憶がある。
その時にあったんだ。すげえな。
だから相当早いですよね。
これちなみにその曲のやつはHIDEの死んだ後に出たやつですけどシングルス2002年だったかな出たやつの一番最後にあのコメントっていう曲があるんですけど、これがそれらしいですね。
入ってんだそれに。
なんかHIDEが話してるやつの後ろに流れてる感じなんですけど。だから本当BGMっていう。でも確かになんかあのギターのリフが使われてますね。
だからあれ自体はほんと95年に作ってるわけですね。
あのリフかっこいいっすよね。ヘビーで。
その辺でなんかそれができてるっていうのはなんかなんつーんだろう海外のさヘビーロックの人たちすごい人たちいるじゃん。レイジーアゲインストザマシンとかコーンとかマンソンとかナインスタイルスとか。
それに影響されて作ったっていうよりはその人たちと同じルーツを持ってるHIDEがなんか。
そうですね。
同じルーツがあるからそれができたみたいな。そこに影響されたわけじゃなくて。
自然と同じとこについた。
そうそうそうそう。なんかそういう感じがするよね。
それは確かに確かに。
それはもうなんかそのルーツを受けてなんかそういう人たちと同じレベルにHIDEをやってたんだなっていうのがなんかすごい感じるよね。
ですね。それはなんか本当に思いますね。
そういう世界のトップのフォロワーだったんじゃないよねっていう。
同じ次元に立ってたんだよなっていうのはすごい感じますよね。
ですよね。感じますね。そこは。
HIDEはでも本当その最先端だったんだろうなっていう感じはありますよね。
本当にそうですよね。
これはなんかもう本当にジルチのその本質的な話になりますけど、
HIDEのインタビュー、ジルチについてのインタビューで言ってる発言で、
24:06
自分はそのジルチのメンバーとかといろいろ話したり音楽やってる中で、
彼らと寸分高わず聴いてきた音楽とか今聴いてる音楽っていうのを共有できてるけど、
俺はお前らの持ってるものは全部知ってるけど、お前らは俺の持ってるこの感じがわかんねえだろうっていう、
いわゆるなんか日本人のワビサビみたいなところとか、
そういうのはもう日本人の強みだなっていうのを実感したって言ってるんですよね。
だからHIDEも言ってる通り、彼ら当時の最先端って言ってもいいアーティストたちですよね。
アメリカ西海岸の人たちの持ってるものは全部俺はもう持ってるけど、
さらにそこから日本人ならではのものがあるぞと。
まさにそういうことですよね。
いや、ほんと改めてすごいなって思いますけど。
そこがなんか日本人としては熱くなるよね。
そうですね。
すごい。
日本ってだからロック的に、世界的に言えばちょっと後進国というか、
アメリカとかイギリスが世界のロックシーンを扇動してきたっていうのがあって、
日本はそれに追随してきたっていう立場なんだけど、
そこで扇動してきた立場じゃないからこそ、
俺はお前らを全部知ってるし、俺にはお前らにない武器はあるしっていう。
それをすごい武器にして世界に立ち向かおうとしてたのが、
同じ日本人としてすごいなんかね、熱くなるものがありますよね。
そうですね。
非アメリカ人によるアメリカへ向けた挑戦状って言ってますもんね。
なんかね、その辺がほんとにかっこいいんだよね。
かっこいいですね。
かっこいいですよね。
同じ日本人として。
なので、ジルチの制作自体も96年の1月から始めてるというところなんですけど、
で、さっき少し前ですけど言った通り、
ダリアツアーっていうのがこの時走ってるんで、
めっちゃ忙しいんですよね。
広島行って戻ってきて、またLA行ってみたいな。
東京とツアーの地方、LAっていう感じで飛びまくって。
しかもね、普通のバンドじゃないからね。
27:00
そうですね。
日本で一番厄介なバンドじゃないですかね。
ですね。
しかももうこの頃超巨大になってるから、すごいですよね。
めちゃくちゃ大変だよな。
Xが動くだけで何人動いてるんだろうっていう。
そうそう、規模の。
で、そのツアーやりつつ合間でソロのレコーディングも開始しつつジルチもやってるみたいな。
96年はもうめちゃくちゃ大変だったらしいですね。
イナが言うには。
で、イナはこの時のダリアツアーのマニュプレーターもやってるんで。
イナもイナで、めっちゃ忙しいね。
イナがね、めちゃくちゃ忙しくて死にそうだったらしいですね。
もうあんだけヒデが手を挙げた、こんな奴なら一生曲が作れねえって言ってるような作業も。
だから作業の物理的な時間がかかるっていう感じだからね。
かなり大変だと思うけど。
付属行ってる場合じゃねえぞって。
そういうキャラになってますからね。
逆にそりゃそうなるわっていう感じかもしれませんが。
ただまあヨシキが96年3月13日かな、名古屋のライブの時に倒れて。
で、結局それ以降ツアー中止になったんで。
なのでヒデとイナとしては、そうなったらしょうがないっていうところでLAに行って。
で、セカンドアルバムの制作を本格的に始めていくという感じみたいですね。
なのでこのタイミングでは、まず先行シングル作ろうっていう感じになったみたいですけど。
これちょっと興味深いんで、その話しますけど。
当時候補にあったのが3曲あったらしくて、ミザリーとジャンクストーリーとインモーション。
ジャンクストーリーとインモーション。
この当時出てたんですよね。
もうその時にできてたんだ。
すごいね。
それはそうだね、同時期にできてて。
割と高校生が近いから、ジャンクストーリーとインモーションはアルバムに入らなかったっていう。
そうですね。
でもあれなんだね、その2つはリードシングル候補だったんだ。
うん、ですね。
まさにその前作にちょっと近いっていうので外されて、ミザリーが採用されたと。
すごいね、なんか贅沢なというか。
面白い話だなって思いますね。
30:00
これが96年。
ちなみに96年、今4月ぐらいの話をしてましたけど、
ルラシーのスタイルが96年4月22日に出てますね。
なので横で見るとそんな感じの時代ですね。
なるほどね、スタイルが。
スタイルは結構その世紀末感が反映されてみたいな話をしてましたけど。
めちゃめちゃね、隠密な。
ヘビーな、ダークな。
その裏でHIDEはセカンドアルバムの制作をしているわけですけど、
ハイホーみたいなそういった曲とかを作ってたと。
その辺はHIDEの世界観がまた違った感じで。
そうですね。
ポップな世界観というか何ですかね。
やっぱルラシーはもっとシリアスな方向を向いているというか、
そういう世界観のバンドだしっていう。
そうですね。
HIDEは本質的にパーティーロックな人かな。
そうですね。
音的にはギターの質感とかはHIDE結構ヘビーだったりするんだけど。
そうですね。
方向性的にはちょっとアカビリですね。
そうですね。
その辺は仕上げ方がやっぱりうまいですよね。
あと歌の部分でそうしてるっていうのもあると思いますけど。
それやっぱ日本のチャートを意識してっていうか、
その辺なんか頭がいいというかさ。
そうですね。
しっかり受けるところまでを狙って制作してるっていうか。
結構HIDEが言ってたのはなんかチャートの内部からチャートを変えるっていうのをすごい言ってたんだけど。
ヒットチャートに入るっていうことはすごい大事っていう。
なるほど。
そのヒットチャートの中で結構ヘビーな音を鳴らしてるっていうのが大事っていう。
すごいバランス感覚っていうか。
歌物を意識しつつロックのヘビーさも意識しつつっていうのがHIDEの特徴ですよね。
なるほどですね。
そうですね。
そのギャップというかなんというか。
すごいポップだもんねHIDEはね。
ポップですね。
そうですね。
でもこのセカンドアルバムサイエンスになると相当幅が広がってますよね。
めちゃくちゃバラエティーに。
これソロかっていう、一人の人間から出てんのかっていうくらい。
確かに。
広いよね。
そう考えるとすごいですよね。ソロアルバムですもんね。
ソロだもんね。バンドじゃないもんね。
バンドじゃないですもんね。
確かにめちゃくちゃバラエティーだから。
33:01
もうだって1曲目からロックバンドの1ギタリストのソロアルバムの曲とは思えないような曲ですもんね。
すごいなんかギタリストのアルバムにしたくないっていうのはすごい当時言ってた記憶がある。
そうですね。
なるほど。あんまりギターゴリゴリのギターリフとかにこだわるわけではなくて。
ギターリフ、ギターソロみたいな。
ソロ引き倒してみたいな感じじゃなくて。
そうそうそう。ちゃんと歌として成立してるっていうすごい当時言ってた記憶があるんですよね。
すげえ歌めっちゃうまいし。
歌うまいんだよな。
うまいですよ。
そうめちゃくちゃうまいんだあの人。
あの歌い方はやっぱセンスの塊みたいな感じで。
声と。
なんか結構すごい90年代の最初とかで無敵バンドのあれで、ボーカルはhideでみたいな。
セックスピストルズのアナーキンザUKとかでやってたりするんだけどめちゃくちゃかっこいいんだよね。
そうですね。
hideのボーカルが。
だから当時レコーディングとかソロとかやる前々前だから当然トレーニングとか全くしてない状態だと思うんですけど、素であれってことですもんね。
そう。
すごいオリジナリティがある感じっていうか、なんかすごい個性的ですよね本当に。
歌唱力があるっていうよりは個性があるっていう。
あんまああいう歌い方してる人あんまりいないんですよね。
そうそうそうそう。
ジョニーロットン的なタンク的な歌い方ができる人だったっていう。
なんかボーカルの才能があったんだよな元々っていうのは。
そうですね。
当時ボーカリストになるようなパーソナリティが大嫌いだとか言ってたら悪いです。
それさ、それなんかすげえわかるよね。
はい。
そのなんかバンドの真ん中に立ってこう、俺の歌を聴けみたいな。
いい奴はなんか嫌だよみたいなさ。
その横でこうかっこよくクールにギターを弾いてる奴がかっこいいんだよみたいな。
そうですね。
なんかその感覚がすごい。
確かに。
なんかすごいわかるんだよな。
そうですね。
そこに共感してしまう。
それでいて歌ったらめっちゃ実はうまいって。
36:01
そうそうそう。
それ最強じゃないですか。
最強だよ。
しかもなんか歌がうまいじゃなくてかっこいいっていう。
かっこいい。
なんかずるいじゃないかって。
ずるいですね。
ずるい。
ずるい。
ひでもでも、そのファーストのツアーの時はギター持ってたけど、セカンドになるとあんまり持たないっていう。
あー確かにそうだね。
ファーストツアーの時はほぼほぼギター持ってるもんね。
結構、サイエンスツアーでだいぶ減った気がするもんな。
そうですね。
ちょっとボーカリストとしての自覚が芽生えてきちゃった。
でもあの、レコーディングとしての歌の最初っていうのがアイズラブユーだったみたいですけど、
それはめちゃくちゃ歌い込んだっていうエピソードは有名ですよね。
1000本ノックって言ってたもんね。
そうそう、それがだからもう誇張じゃなくて本当にそれぐらいやってたっていうらしいですね。
やっぱその辺がなんかひでらしいっていうか、ギタリストがやってるソロっていうのはすごい嫌だったんだろうなっていうのは。
歌がおまけみたいな感じじゃないってことですね、ちゃんと。
そうですね。求めてるレベルも高かったんでしょうね、自分が。
なんかすごい、なんつうんだろう、ギタリストがやってるソロらしさがありつつ、ギタリストがやってるソロって見られるのは嫌なんだよみたいな。
なんかその辺すごいひでらしいなって思うんだけど、その辺のバランス感覚っていうのがあの人の個性だったよなっていうのは。
ですね。そんな感じで、96年っていうのはサイエンスのレコーディングをしてたわけですけど、
本格的にレコーディングとしてやってたのは6月から7月の終わりぐらいまでみたいですね。
そこで完成させて日本に戻ってきてるっていう感じですけど、サイエンスが完成した後に、これが売れないような国だったらもうやっててもしょうがないから、俺らガイタリンだろうって言いなと話してたって。
ひれっぽいな。
それだけすごいものを作っちゃったよっていう感じですね。
なので先行シングルとしては、6月にミザリー出て、8月にビューティー&スティーピット出て、で、9月サイエンス発売して、そこからのシングルカットっていうんですかね。
39:06
12月にハイホーとグッバイ出てると。
ツアーとしては96年9月4日から10月19、20までやってると。
96年は12月年末はダリアツアーファイナルですね。
という忙しい日々を送っていたわけですね。
はい、ということで今回はそのhideのソロワーク開始から、ファーストアルバム、セカンドアルバムの制作っていうところを中心に話をしてきました。
次回はもうちょっとジルチによった部分で話をしていければと思います。
そうですね、まだジルチに全然たどり着いてない。
そうだね。ほぼ出てきてないですけど。
そこはまた次回ということで。
はい、それではまた。
次回へ続きます。
40:20

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