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2021-10-12 33:52

#11-2 音楽の世界地図を塗り替えるはずだった…zilchを聴いて悔やまれるhideの死

『3・2・1』zilch(1998)の2回目は、このアルバム制作エピソード、マリリン・マンソンとの出会い、世界を獲れていたであろうこのアルバムの凄さについて語っています。

(※1.5倍速再生推奨)


●zilchのメンバー、広がる交友関係

●最前線の音作り、ビル・ケネディ(エンジニア)が与えた影響

●hideとI.N.Aがここで得た「グルーヴなきグルーヴ」

●1996年6月27日、ELECTRIC CUCUMBERのMV撮影

●hideとマリリン・マンソンとの出会い

●zilchは『Mechanical Animals』に影響を与えた!?

●日本語に聞こえるあの英語詞の衝撃

●1997年7月にレコーディング終了、大人の事情で発売延期…

●「当初の発売日に出ていたら音楽の世界地図は変わっていたと思う」

●『3・2・1』は世界を獲れはずのアルバム

●hideがzilchを通して確信した日本人の強みとは?

●あの状況の人間が自殺などするはずがない

●改めて悔やまれるhideの死


※参考文献

君のいない世界~hideと過ごした2486日間の軌跡

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『3・2・1』zilch

1.ELECTRIC CUCUMBER

2.INSIDE THE PERVERT MOUND

3.SOLD SOME ATTITUDE

4.SPACE MONKEY PUNKS FROM JAPAN

5.SWAMPSNAKE

6.WHAT'S UP MR.JONES?

7.HEY MAN SO LONG

8.PSYCHE

9.FUCTRACK#6

10.DOUBT

11.POSE

12.EASY JESUS



《CD&配信情報》

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■『名盤ラジオ』とは?


3人の音楽好きが古今東西あらゆる名盤から1枚をピックアップし、お酒を飲みながらダラダラと語っていく番組です。

※自由気ままなトークです。内容に一部誤りがある可能性がございますので予めご了承ください。


00:01
名盤ラジオ 前回からの続き
名盤ラジオ、zilchの321を取り上げて話をしております。
前回はhideのソロワーク開始からセカンドアルバム制作まで広く話をしてきましたが、今回はzilchの制作の部分について話をしていければと思います。
前回も少し触れてますけど、zilch自体は95年に結成をしているのかなというところで、
95年年末のxjapanのライブにメンバーが見に来てて、そのまま1月からもうレコーディングを開始しているような感じで始まっていると。
メンバーとしてはhideがいて、レイ・マクベイ。彼がギター、ボーカルとかプロデュースを担当しているみたいな感じですかね。
で、ポール・レイヴン。ベースですかね。あとは結構流動的だったみたいですけど、最初ドラムがスコット・ギャレット。
このスコット・ギャレットは時系列的にはこの後ですけど、ルナシーのJのソロのドラムもやってたりっていう人物ですね。
パイロマニアだっけ?
そうですね。パイロマニアとその後もブラッドミュージックとかもやってますかね。ライブとかでもドラマーとしてやってますね。
すごいよね。どうやってこう仲良くなって繋がっていくのかっていう。
そうですね。この辺はもうLAに長くいて、いろいろこう飲みに行ったりとか、知り合いから紹介されてとか。
多分好きな音楽が一緒っていうか、ルーツが一緒だから話し合うだろうなっていう。
確かにそうですね。あのアルバムいいよねみたいな感じで話すと話し分かるじゃねえかって。
で、誰と誰が知り合いらしいよみたいな感じになって、どんどん輪が広がっていくみたいな。
今度一緒に飲もうよって。
あとドラムは曲によっても違うんですけど、ジョーイ・カステロっていうドラマーも参加してたりしますね。
なんか結構ジルチーはメンバーを流動的にっていうか、あんまり固定化しないで、多分友達参加させちゃえみたいな。
そういうふうにやってたらなんか、制作費の桁が一個変わっちゃうぐらい、制作費が加算でみたいな話を聞いたことがありますけど。
03:02
時間だけが。
で、あとこれはメンバーっていうかスタッフがと言えると思うんですけど、ビル・ケネディっていうエンジニアの人がいるんですけど、
この人がですね、多分結構重要な役割を果たしてたっぽくて、このエンジニアのビルっていうのがナインチネイルズとかともやっていて、
だからもうその90年代の、いわゆる当時の近未来型のロックサウンドっていうのに、その音作りっていうのにもうめちゃくちゃ精通していた人物。
だからこのタイミングでヒデとイナとしては、このビル・ケネディとすごく近い位置で一緒に仕事できたっていうのはめちゃくちゃでかかったんだろうなって思いますね。
ほんと最前線の人だね。
まさに最前線。
でまぁ、ヒデがナインチネイルズ好きとかっていうのはめちゃくちゃ有名な話ですけど、
ヒデのファーストのHide Your Faceとかも、ドラムの音作りとかっていうのは相当いろいろ試行錯誤してやってたんだらしいんですけど、
その当時のHide Your Faceでやってた手法っていうのは、結構そのアンビエンスっていう音の広がりの部分も含めて取って、
それをこううまく入れることで迫力のあるドラムサウンド、自然なドラムサウンドみたいなところも含まれると思うんですけど、を表現しようとしてたみたいですけど、
そのビルの手法っていうのは全くそれと逆で、そういう音の広がりとかを一切切り捨てて、完全に空気感をシャットアウトして、もう超ドライな。
元をそれにして、そこから歪ませたりとかエフェクトを加えていってっていう、だから全然アプローチが真逆で、もう目から鱗だったっていうふうに言ってますね。
確かに9インチネイルズとかそういうアプローチだと思うね。
そうですね、確かに。
僕もそう思いましたね。
素材の部分で自然なオーガニックな部分はもう排除しちゃうっていうアプローチなんだろうね。
元の部分はめっちゃドライな音だなって感じがしますよね。
そっから自然な生エースっぽくしてるって感じですよね、確かに。
元がそうだといろいろやりようもありそうですね、後になると。
hideは基本的にバンドの人だから、割と素材の生の音を録って、それをデジタルっぽくするっていうアプローチなんだろうけど。
06:03
それは多分自然な発想でそうなっていく感じですね。
確かに真逆なんだろうな。
その辺だからかなり録り方みたいなところも影響を与えてますし、
あとは、イナには波形編集のプロトゥールズとかを進めたりとか、
だからそういうやり方の部分ですよね。
レコーディングした後の話で、もう細かく切り刻んで機械的に修正して繋ぎ合わせるとか、
そういった手法の部分を伝授してたみたいですね。
すごいらしいですけどね、1曲で1万箇所以上編集するってことですよね。
ね、らしいね。めちゃくちゃ大変だよね。
気が狂いそうですよね。
1万回クリックしろって言われてもできない。
そりゃまあhideができないって言うはな。
hideにやらせちゃダメな作業ですよね。
そりゃまあやらせちゃダメだよ。
俺にもやってらんねーわ。
hideはね、バンドの人だからね、本質的に。
アーティストっていうか。
細かい作業やってらんねーわってのが目に浮かびますよね。
あとはギターの録音方法とかも、ビル・ケネディーはすごい特殊なやり方やってたみたいで、
普通は1本のギターで1台のアンプで鳴らしてそれを拾うと思うんですけど、
1本のギターから複数の別の種類のアンプから鳴らして、
それぞれいいところを抽出して混ぜ合わせてギターサウンド作るみたいな。
すごいな。発想が科学者だよね。
特殊なスプリッターの機材が必要だったみたいですけど、
その辺のやり方とかもそこで学んだらしいですね。
一番いい波形の一番いいところを取り取ってみたいな。
1本のギターで別々のアンプで鳴らしちゃってっていう。
これはちょっとここのアンプだとハイが弱いんだよなみたいな。
それすごい当時のインタビューで言ってたもん、ヒデ。
1つの音を複数のアンプで鳴らして、おいしいところを取ってっていうのをすごい言ってたのに。
そういうやり方を学べたので、
それまでヒデと言いながら頑張ってやっててもできなかった90'sみたいなグルーヴなきグルーヴっていうのを実現できるようになったっていう。
09:01
で、当時こういうやり方をもう知ってたのは日本人では間違いなくイイナとヒデだけだったっていうふうに言ってますね。
まあそうでしょうね。いないですよね、そういうサウンドを鳴らしてた人って。
あの時代のメジャーでなかなかいないね。マットカプセルマーケットぐらいじゃないかな。
確かになるほど。
マットカプセルマーケットはかなり、あの時代ですごいことやってたと思うけど。
あの人たちは日本でやってたんですかね、海外とかで。
いや、海外ですごいライブやってる。
で、すごい海外で日本が人気があったっていう。
だからやっぱ海外行くとその辺のノウハウというか、そういうのもあるんだっていう。
ああいうメカニカルなグルーヴ。メカニカルなグルーヴとバンドサウンドの融合みたいなのが。
そうですね。
なのでこの辺、これは96年1月とか2月とかそれくらいのかなり早いタイミングなので、
ここでこう結構いろいろ覚えて吸収して、
で、それはジルチの音だけじゃなくてサイエンスにも活かされてるらしいですね。
なるほど、なるほど。
だから相当このタイミングは大きかったんじゃないかなって思ってますね。
ただ残念ながらこのビル・ケネディは2012年に9月に亡くなってるみたいですけど、
まあでも相当なんか大きな役割果たしてたんだろうなっていうエピソードですよね。
で、ジルチの話に行くと、96年2月以降はLAでの作業が増えていったみたいですけど、
ジルチとあとソロ、なんかもう同じスタジオで並行作業みたいな感じのめちゃくちゃ器用なことをやってたみたいで、
それがまあしばらく続くっぽいですけど、
そんな中、96年の6月27日、この日がエレクトリックキューカンバーのミュージックビデオの撮影があったみたいです。
で、そのビデオの監督を務めたのがスクリーミング・マット・ジョージ。
あれそうなんだ。
出たって感じですよね。
出た。
あれスクリーミング・マット・ジョージ?
ジェラシーのジャケットの3つで。
彼はもともとはハリウッドとかの特殊メイクとかで活躍しているアーティストですけど、
スリップノットのマスク作ってたりとか、マリリン・マンソンのPV手がけてたりとか。
12:05
マリリン・マンソンのPVって似てるなってちょっと思ったんですけど、
あのドープショーのビデオに似てるね。めっちゃ似てるよね。
そうなんだよな。だからなんかね、もともと近いなーって感じはしてたんだけど、
そうなんだ。
モーリデーって。
ドーリデーだわ。
映像の質感が近いもんね。
そうですね。
なんか、なんていうか、宇宙人ぽい。
なんか地球に降り立ったぞみたいな。
ぽいぽいぽい。
そうなんだ。
それじゃああれか。ゴキブリ顔を使う。選べって言う。
選べって言った。
あの赤いドレッドヘアで。
あれもなー、めちゃくちゃかっこいいよね。
かっこいいですよね。
ほんとかっこいい、あれ。
あれがだから96年の6月なんですよね。
で、おもしろいのが、その日の夜にジルチーの一行で飲みに行ってるんですよね。
終わった後。
で、そこでなんとマリリンマンソンを紹介されてると。
シェフ!
すごい。
その夜に。
すごいなー。
で、マリリンマンソンはヒデと握手して、
で、マンソンはその手を自分の股間に持ってって、
で、パンツの中に入れて、
で、ヒデはその手を舐めて、
んー、ゴキブリより上手いじゃんって言ったとか。
すごいですよね。
女、そんなやってっから逮捕されるんだよ。
確かに。
いやでもその返しが、その撮影の話にも絡んでて、
なんかマンソンも爆笑してたみたいですけどね。
爆笑するよね。
こいつおもしれーわって。
それでも意気投合して飲み明かしたみたいな。
センスが近いもんな。
すごいですよね。
ぶっ飛んでるなーって。
すごいな、なんかその辺りともう、なんていうかもう、意気投合しちゃうってすごいですよね。
マリリンマンソンなんかでも思いっきりさ、ルーツも同じだし、
そうですね。
だからセンスもほんと近いんだろうっていう感じはする。
絶対気が合うだろうなーっていうのも間違いないですよね。
メカニカルアニマルズの出た時に、すげーなんかヒレっぽいなって思ったもん。
15:06
当時。
ありますね。
ちなみに今話してたのが96年6月っていうところなんですけど、
当時マンソン的にはどうだったかというと、
えっとアンチクライストスーパースターが出る前ですね。
あ、出る前か。
アンチクライストスーパースターが96年の10月なので、
出る前なんだ、すげーな。
メカニカルアニマルズなんてだいぶ後…
うん、98年9月なんで。
エレクトリック吸管盤の影響じゃん。
絶対メカニカルアニマルズは影響受けてるよね。
受けてますよね。
いや、そう思いますね。
これだから話を整理すると、
ここの時点でミュージックビデオ撮ってるってことはもう音があるわけですよね。
あのエレクトリック吸管盤。
そうだね、そうだね。
だから多分やりとり的には聞いたりしてると思うんですよね。
その曲ちょっと聞かせろよみたいな。
そうだね。
やべえ、こいつ。
衝撃受けたんじゃないかなって。
これパクろっかなって。
やべえ、ジルチとか言ってるけど、
この日本人やべえってなってんじゃないかなって思うんですよね。
赤い髪パクろって思っただろうな。
俺もTVでやろうぜ。
いや、でも絶対そうだよね。
だって前座でいいからやらせてくれって言ってたんだもんね。
ですよね。
すごいですよね。
マンソンに相当衝撃を与えたんじゃないかなって。
まあ、アンチクライストスーパースターは当時も作ってたんでしょうから、
さすがに6月だと。
でもその後ね、メカニカルアニマルズで結構方向性変わってるんで、
もしかしたらそこに大きな影響があったりとか。
でもメカニカルアニマルズってかなりメロディアスな感じになってる。
そうですね。
その辺本当に影響ある気がする。
ちょっとヒデのソロの曲いろいろ聞いて。
ジルチはもう曲も結構できてたわけですからね、それまでの間で。
ジルチは絶対気に入りますよね、マンソンに聴いたら。
結構近いものがあるからね。
近い近い近い近い。
だからな、ヒデが生きてりゃな。
いやー、今頃すごいことになってますよね、本当に。
本当にだってね、直近でライブやるはずだったんだもんね。
ジルチとマリリン・マンソンで。
このマリリン・マンソンとの話は面白いですよね。
そういう話を聞くと、やっぱりジルチは世界絶対に撮ってたよなって。
18:04
撮ってたと思いますよ、これ本当に。
で、96年、また話戻すと、
その後にサイエンスのレコーディングに結構注力して、
それでリリースとかプロモーションとかツアーっていう感じで、
結構日本に行って、しばらくジルチはちょっと放置みたいな感じになってて、
その間、ダリアツアーファイナルとかもあって、
で、年が明けて、97年1月になると、
hideが頭蓋骨骨折するんですよね。
そうだね、酔って転んだとかだよね。
確かそんな感じの。
ズルい。
お酒エピソードはもういろいろありますよね。
なので本当はここでサイエンスの諸々が終わって、
1月からまたLAでジルチのレコーディングする予定だったんですけど、
そんなこんなで入院してたりとかして、結局3月に逃兵すると。
で、そこでだいぶ時間あったわけですけど、全然進捗してなくて、
で、スタジオに仲間のミルちゃん連れてきたりとかして、
自由な感じでいろいろやってたみたいで、
まあなんじゃこりゃーっていう感じだったみたいですね。
なので、ここでまた新曲ちゃんとイナと作って、
で、それをメンバーに投げて帰ってきたのをまたアレンジしてとか、
そういうのをこのA編でやっていたみたいですね。
で、ジルチの話でいくと、
制作方法っていうのは全部英語詞ですけど、
基本的にその辺の作詞みたいなのは、
レイが、ヒデが発音している日本語の発音に近い英語っていうのを当てはめて、
まあその作詞というか英語詞に落としていったみたいですね。
なので、元が日本語みたいな音でやってるんで、
なので英語に落としても日本語みたいに聞こえるっていう。
あれすごいよね、ほんとに。
ダウトとか、ポーズとか、衝撃的だよね。
衝撃的でしたね。
え、日本語じゃないの?
すごい。
ダウト、ほんとすごいですね。
まんまに聞こえますよね。
まんまに聞こえるよね。
まんまに聞こえますよね。
めちゃくちゃ面白いなって。
その辺なんかすごいよね。
日本語でもなんかそういうのが作れてたってことだもんね、発音的に言ったら。
そうですね。
そら耳の逆バージョンみたいな。
そうそうそう。
もともとの日本語の当て方が特殊ですもんね、ひでの場合は。
21:01
特殊。
だから結構英語に当てはめやすかったのかもしれないですよね。
なんかリズム感とかそういうところを。
そうそうそうそう。
ひでがもともと作るときに英語の質感っていうか、
ガギガギしたリズム感を意識して作ってるから、
それをまた英語にするっていうのは、
多分割と自然にできちゃうんだなっていうのは。
意外とそこは自然だったんですよね、確かに。
確かに確かに。
もともとだから仮歌っていうか、
僕作ってるときもひで語っていうか、
ラララとかじゃなくて適当な言葉みたいなのは当てはめて、
もともと作って、そっから死に落としてるんで。
だからアプローチ的に日本語になったのを戻したみたいな感じなのかもしれないですね。
そうだよね。
やっぱその辺のセンスっていうのはすごいよね。
音のセンスと日本語のセンスがやっぱり他にいないもんな。
マキシマム・ザ・ホルモンぐらいで。
そうだね、確かにマキシマム・ザ・ホルモン結構近い。
マキシマム・ザ・ホルモンは、
確かに。
めっちゃ英語っぽく聞こえるけど日本語なんですよね。
あれはほんと、
そうだね、めちゃくちゃ近い。
ぐらいですよね。
あれ近いですよね。
ホルモンもあれだよね、ルナフェスとか出て。
ルナフェス出てた。
ルナフェス出てた。
その辺のヒレとか、そのスピリッツを受け継いでる感じがするね。
そうですね、確かに。
ジルチに関しては、ヒレは歌詞についてはメンバー、
レイのことだと思いますけど、が書いてるので、
あんまり思い入れがなくて、
むしろ本当に楽器のひとつみたいな感じでボーカルは捉えてるっていう風には言ってますね。
音としてというか。
歌詞の中身っていう点について言ってるんだと思うんですけど、
本当にサウンドのひとつとして歌、自分の声っていうのをボーカルとして捉えてるっていう。
音としてかっこよけりゃ別に内容何歌っててもいいよっていう感じだろうね。
実はとんでもない歌詞歌わされるかもしれないですね。
結構だってとんでもない歌詞だと思う。
エレクトリックキューカンバーってさ。
ヘルドーキューリーってお前。
なのでその分サウンドへの集中力は高いというところですね。
24:01
エレクトリックキューカンバーだってとんでもないだろ、あれ。
もうそうです。
あれもうあからさまに。
いやスクラッチは何だ、お前エレクトリックキューカンバーってさ。
何だそりゃって感じだよ。
ジルチのレコーディングの話でいくと、
97年3月にLAに戻って再開してるわけですけど、
結構のんびりやってたんで、ヒデもかなりだってたみたいですけど、
その後本越入れてやって7月に完成と。
97年7月ですね。
ただ大人の事情で発売が遅れてしまい、
結局リリースされたのが、
これもう亡くなった後ですからね、
98年の7月23日。
1年以上ですからね。
これがだから、もし97年の9月とかですかね、
それくらいに出ていればっていうのは、
本当に悔やまれる話だなと思いますけど。
それこそね、世界のロック勢力図を塗り替えてた可能性があるアルバムですよね。
そうですね。
だから、世に出た頃にはもうヒデがいなかったわけですかね。
だから、Jがインタビューで言ってたんですけど、
当初の発売予定日に発売されてたら、
俺は音楽の世界地図っていうのが変わってたと思うって。
本当にそう思いますね。
本当そうだよ。
これが本当にヒデがいる時に世に放たれていたならばって。
このアルバムが英語圏の生まれの人が、
アメリカ、イギリスあたりの人がこれをバーンって出してたら、
多分余裕で全米全英一位とか全米一位とか、
すぐ取ってたよっていうのを確信するくらいすごいアルバムだと思います。
中身はもう本当そうですね。
どう考えても同時代のバンドに全く引きを取ってないもんね。
音めちゃくちゃ良いですもんね。
時代性を先取りしつつ、
かつ洋楽の美味しいところと日本の音楽の美味しいところを
ちゃんと融合させつつっていうのを
まじで成功させてたっていうのが
実験的とかじゃなくて、
27:00
やろうとしてたんだよじゃなくて、
それがちゃんと商品として成立しちゃってるじゃんっていう。
ちゃんと完成させてましたしね。
完成しちゃってるじゃんこれっていうのがめちゃくちゃかっこいいですよね。
あのヘビーな音で、
あのキャッチーさがあり。
本当にだから、
20年30年先取りしてたっていうのは、
HIDEのファッションも見た目もそうだけど、
音楽性でも本当それぐらい先行してたよなっていうのは。
あのキャッチーさであのかっこいいサウンドって
多分ないですよね。
その時世界的に見ても。
ないですよね。
あの時代にレイジー・アゲンスト・マシーンもあり、
マンソンもあり、ナイン・インチネールスもあり、
いろいろすごい個性のあるロックバンドがいたけど、
本当それと同レベルだよね。
だよねー。
で、しかもこれもHIDEがインタビューで言ってる、
日本人の強みだっていう風に言ってる部分なんですけど、
ストレートなロックをやってても必ずフックを入れたくなる小分とか、
あとはもうアルバム1枚聴けるバンドなんかほとんどないっていうのがアメリカで、
その中で自分は全部シングルカットできるようなアルバムを作れるっていう。
これがもう自分の強みだと思ってるっていう。
それをジルチで確認できたっていう風に言ってますね。
すごいと思う、あの時代のHIDEって本当に。
その確認作業としてのジルチがあって、
で、やっぱ俺できるじゃんっていうのが確信できたと思うんだよね、あの時代のHIDEって。
すごいやっぱ前向きというかなんていうか、
これから先をすごい見据えてるじゃないですか。
やっぱそう考えるとそうなんですよね。
不良の事故っていうかなんていうか。
事故だよね。
事故だなって思いますよね。
すごい未来、先を見て、その中でっていう感じで。
前向きに未来を見てるし、それで自信を得てるじゃないですか。
ですよね、なんかもう絶望しちゃってるわけじゃない。
確信を得てるんだよね。
俺もう世界のトップでやれるわっていう。
確信を得てるんで。
得てますね、本当に。
俺世界取れるわって。
多分この時代のHIDEは確信してたと思うんですよね。
30:03
してたと思いますね。
間違いなく。
本当あれはね、本当事故だよね。
本当そうですね。
自殺とかありえないよな、あの状況の人間が。
ですね。
めちゃくちゃワクワクしてたはずだと思うんですよね。
本当ワクワクしてた。
だからXが亡くなったのは本当にクソって思ってたと思うんだけど。
多分HIDEってすごいXの一番のファンだったと思うんですけど。
それが亡くなったっていうのは本当にふざけんなよって思ってたんですけど。
なんかその怒りをすごいポジティブに表現してできてたと思うんですよね。
ソロとかシールチとか。
ですね。
自信も得たし。
自信を得て、俺もうちょっと世界取っちゃうぞみたいな。
そうですね。
その人間が自殺ってのはありえないですよね。
ないですね。
Xの解散の記者会見やって、その後すぐボツになってたロケットダイブをやり直して。
そういう前向きな曲を作って。
スプレッドビーバーっていうのを名義にして。
自分はやっぱバンドでっていう。
バンド名義でっていう感じでやって。
一方でジルチもありつつっていう中で。
スプレッドビーバーは日本人に向けてやるんで。
日本語で。
日本のマーケットでちゃんとやっていくっていう。
その一方でジルチはそういうのを取っ払って。
表現する場として。
その二つがあるとめちゃくちゃ表現者としては無敵っていうか。
秀の中でもすごいバランスが取れてただろうし。
そうですね、まさに。
そういう矢先なんで。
Xの解散ライブに大晦日行って。
夜を明かして。
で、次の年の元旦にお家に帰って。
長官を見たらそこに一面広告で
木でロケットダイブっていう。
ドーンって出てた。
指導って。
そうそう。あれはね、ほんと痺れた。
痺れますね、それは。
ほんとね、すごいメッセージを感じたもんね。
そういうとこなんですよね。
ほんとそういうとこがね。
そういうとこなんだよな。かっこいいよね。
ですね。
Xはなくなったけど退屈させねえぞみたいな。
そうですね。
ほんとに。
ついてこいっていうさ。
ですね。
もうちょっとなんか夢を見させてほしかったよね。
33:00
ほんとそうですね。
ほんとに。ほんとこっからっていうところだったね。
ほんとこっからっていう。
俺たちが信じたお前が世界を取るところを見せてくれよっていうのは
ほんとにね、当時思ってましたよ。
ですね。
死んでる場合じゃねえんだよってほんとに。
ほんとに。
ほんと思ったよね。
はい。ということでジルチの制作あたりをいろいろ話してきましたが
次回はいよいよジルチ321の1曲ずつ話していければと思います。
次回へ続きます。
33:52

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