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2022-03-05 40:32

#18-1 XからX JAPANへ~『ART OF LIFE』はなぜ完成まであれほど時間がかかったのか?

今回から『ART OF LIFE』X JAPAN(1993年)を特集していきます。

第1回目は、1992年の「破滅に向かって」後のX、X JAPANへと変化していく中で「ART OF LIFE」がリリースされるまでについて話をしています。

(※1.5倍速再生推奨)


主なトピックスはこちら↓

●今回は『ART OF LIFE』X JAPANについて語り尽くします

●ポピュラーミュージックで30分の曲って他に無いですよね

●「破滅に向かって」後のX、MステでTAIJIの脱退発表

●TAIJI脱退、当時のファンのリアクションが気になる

●新ベース募集、HEATHの加入について

●ニューヨークのロックフェラー・センターで記者会見

●X JAPANの船出、この会見がYOSHIKIを変えてしまった!?

●89年に病室で生まれた「ART OF LIFE」

●「ART OF LIFE」のサビってどこですか?

●90年夏に「ART OF LIFE」のデモテープ完成

●リリースまでに時間がかかった理由とは?

●『JEALOUSY』との共存を拒んだ「ART OF LIFE」

●「ART OF LIFE」のレコーディング作業について

●仮歌で2ヶ月かかったってどういうこと??

●ボーカルレコーディング、TOSHIの苦悩

●1音のために喉に注射を打って声帯を広げていた

●YOSHIKIの頭の中の完成形を音源化するのに3年かかった

●次回は「ART OF LIFE」の曲の中身について話をしていきます


『ART OF LIFE』X JAPAN

1.ART OF LIFE


《CD&配信情報》

●Amazon

https://www.amazon.co.jp/ART-LIFE-X-JAPAN/dp/B00005HDDM/


●Spotify

https://open.spotify.com/album/0DSlwcZtDaz2TIYnC8rLLI?si=71kuibcLQxmQFSa8dm9Thg


●Apple Music

https://music.apple.com/jp/album/art-of-life-ep/254720076



■『名盤ラジオ』とは?


3人の音楽好きが古今東西あらゆる名盤から1枚をピックアップし、お酒を飲みながらダラダラと語っていく番組です。

※自由気ままなトークです。内容に一部誤りがある可能性がございますので予めご了承ください。


00:01
名盤ラジオ
こんばんは、名盤ラジオです。この番組は、僕ら音楽好き3人が好きなアルバムについてお酒を飲みながらいろいろと語っていきます。
たくやです。今回もよろしくお願いします。
こんばんは、えんぞうです。
こんばんは、ひできです。
という3人で、今日もやっていきたいと思います。さてさて、ひできくん、今回取り上げる名盤をお願いします。
発表したいと思います。X JAPANのART OF LIFEです。
久々のXですね。
来ました。
来ましたよ。
ラスボス感。
ラスボス感がすごいのが来ましたね。
Xは僕らももうだいぶやってますからね。
今までBLUE BLOODとJELOUSYやってていうとこなんで、
VANISHING VISIONがあるけど、X数少ないアルバムの中、BLUE BLOOD、JELOUSYやってきてるわけなんで、
次行くとしたらここですよねって感じ。
そうですね。そもそもアルバムが少なすぎるからね。
全何枚?1,2,3,4,5?
次もうダディアしかないじゃんみたいな感じですからね。
これもアルバムってことでいいんですかね?ART OF LIFEは。
ミニアルバムかな?
ミニアルバム。ちょっとね、そのART OF LIFE、全曲紹介させていただきたいと思います。
そうですね。もうART OF LIFEは聞いてる皆さんもご存知だと思いますけど、
約30分っていう、1曲で30分っていうとんでもない曲ですから。
いやー、本当に状況一致した長さの。
こんなね、いわゆるポピュラーミュージックっていうか、そういうロックも含めてですけど、
の中で30分でここまでのっていうのは他にちょっとは知らないですよね。
なかなかね、ロックとかっていうかもう、メタルの中ではあんまないですよね。
昔のね、プログレーとかだとピンクフロイドが、原始シンボルとか長いのあるけど、
ああいうのは割と途中がインプロビゼーションになるから、
こういうもうガッチリ組曲みたいな感じで長尺の曲っていうのはなかなかないですよね。
なかなかないですよね。
これはもうその30分で吉木の反省を描いたみたいな、そういう曲になってますけど。
反省を描いた曲なんですね。
そうですね。
吉木って割とこういう長い曲でっていうのは得意なんだよなっていうのはなんか感じますよね。
03:07
そうですね。
サイレントジェラシーとかもそうだし。
確かに確かに。
ロード・オーペインとかも長いですよね。
アニバーサリーとかもそうだし。
あの曲も結構長いですよね。30分とか近くあるんでしょうね。
本来それぐらいあんのを10分ぐらいにできて10分ぐらいにしたっていう。
だからもうもともとクラシックの人だからそういう何ていうかいろいろこう積み重ねてすごい組曲みたいにするのは割とむしろ自然っていうか。
そうですね。
それを今までその5分から10分ぐらいのが普通の曲っていうのにあえて合わせてたみたいなのがどっちかっていうと近いかもしれないですよね、吉木にとっては。
今まではそのポピュラーミュージックの範囲内での収めてたのを取っ払っちゃったらこんな化け物が生まれたみたいな。
そうですね。
そういう感じがしますね。
いやいやいやいや、もうこれほんとすごい曲なので話いっぱいありますけど。
まずは、名番ラジオこれまでブルーブラッドジェラシー取り上げてきたので、今回はその続きっていう感じになるので、前回ジェラシーの最後が破滅に向かってでタイジが脱退したところまでだったので、今回はその続きからやっていきたいなと思ってますと。
で、破滅に向かってからですけど、ちょっとその前から話すると、91年にジェラシーが7月に出てるわけですけど、そこからツアーをやって11月25日に記者会見をXがしてて、
そこでその1月の東京ドーム破滅に向かってを最後に海外へ進出するために日本を出るよっていうことを宣言してると。
世界進出をしようと。
で、1月5、6、7と東京ドーム3days破滅に向かってやって、ここで実質タイジ終わりで、大概的には1月31のミュージックステーションでビデオメッセージっていう形で都市の口からタイジの脱退が正式に発表されたと。
ミュージックステーションで発表だったんだ。
これはなんかリアルタイムで全然ちょっとわかんないんだけど、どういう感じだったのかなっていう。
どうなったんだろうね。
06:00
ね、まさかっていう。
テレビ見てた人もえーってなるよね。しかもMステで結構不意をつかれる感じだよね、Mステでは。
ちなみにその映像とかYouTubeで探したら出てくるけど。
あ、出てくるんだ。ちょっとそれは見ないと。
タモさんとかがどういうリアクションしてるんだろう。
あーなんかね、それビデオメッセージなんで、普通に都市が一人で喋ってんだよね。
あー。一旦CMでーす。
全然そんなことない。そういうんじゃない。
いやーちょっと気になるな、それ。ちょっと探しに。
そんなことはないですけど。
ま、でもさ、当時ネットとかもないからさ、これすごいよね。
どういう感じで駆け巡ってったのかな。
いやー、ツイッターとかあったらもう確実にね、トレンド一位になる。
確かに確かに。そうですよね。
でもさ、ファンの熱量としてはさ、変わらず熱いわけだから、すごいことになってたと思う。
たちはどうやってその気持ちを。
もうあれじゃないですか、原宿に集合じゃないですか。
ダッシュで、次の日。
間違いないですね、それは。
そこで大地脱退が正式に公表され、4月20日付でソニーと契約が切れっていう感じで、ここでもうそれまでのX時代がもう明日ともに終わると。
終わるという。
で、裏ではそのベーシスト探しをしていて、ヒースの加入は5月中旬ぐらいに決まったみたいですけどね。
結構いろいろ公募とかもしてたんですよね。
うん、してたよね。
まあ、メンバーの中に入るっていうのはなかなかね。
でもなんかヒース加入してさ、最初にやったのがみんなでマザー牧場行ったんでしょう。
なるほどね。
Xメンバーみんなで。
なんかヒースも全都たなんだなって思ったみたいな。
マザー牧場かって。
なんでマザー牧場だったんだろうって。
千葉県民が多いからって。
はいはいはい。
確かにね。
多いって2人じゃん。
主要なね、主要な2人が。
主要な2人が。
09:00
スミ入れ組みコンビ。
ヒデがもう雨の中カートに乗りたがって乗ってる。
やんちゃだな。
やんちゃですね。
ヒースはでもなんかすごいしっくりきてたらしいですけどね、そのオーディションっていうかセッション。
そもそも振興があったあれだもんね。
ヒデつながりですよね。
で、結局その中にいて違和感がないからっていう理由で選ばれたんだね。
そうですね。
なるほどなるほど。
ヒースもなんかすごい二日酔いで現れてやってたみたいですけど。
意外と破天荒な感じですね。
大物な。
大物な。
でももうあれじゃないの、緊張して飲み明かすしかなかったしね。
それもあれかもしんないですね、確かに。
でもそのセッションの時ヒデとパタはすげえ緊張してたらしいですよ。
下手なのがバレると困るんですね。
面白い、面白い人たちだよね。
そうなんで。
でもヒースも普通に間違えましたって知ったけど、当たり前で俺たちだって間違えんだからって。
いい人たちだね。
いい人たちだね。
ヒース被害の選択肢ってあったのかなって、ちょっとその辺は想像すると面白いですよね。
キャラクター的にもうちょっと違う人が入ってたらとか。
一応公募してるぐらいだし、可能性は探ったんでしょうけどね。
そうですね。
結構周り人捨てにいろいろ聞いたりしてたらしいですけどね、イーベースいないみたいな。
ヒースが5月中旬ぐらいに加入して、その後Xとしては92年8月24日ニューヨークロックフェラーセンターで記者会見。
ここでXジャパンに改名したこととか、その世界進出するためにアメリカのレコード会社と契約、あと新米支所としてヒース加入、この辺を発表してると。
なるほど。
あの記者会見すごい空気だよね。
うん、あれすごいですよね。
結構ね、あっちの記者も。
そうなんですよね。
鋭いことを聞くというか、なかなかの雰囲気ですよね、あれは。
なかなかの雰囲気で、それも結構その吉木への焦りを与えたような感じはありますよね、後から考えると。
12:04
確実にもう世界の壁を感じたっていうか。
そうですね。
英語も喋れない奴らが何しに来たんだよみたいな。
あっちはもう完全にそういう感じだもんね。
そうですね。
それが確かに本当に今思うと、その会見が吉木をちょっと取り憑かせてしまったような感じはあるかもしれないですね。
そうですね。
なんかメンバーもすごい固くなってる。
そうですね、確かに。
それはあるなあ。あれは確かにすごい雰囲気ですよね。
で、その後、アート・オブ・ライフのレコーディングを開始してたりするわけですけど、本当はもう年内に終わらせて早くリリースする予定だったらしいですけど。
終わるわけがない。
結局年内どころか、翌93年の7月までかかって8月になるという感じですね。
ここからはそのアート・オブ・ライフ自体がどうやってできて、レコーディングされていったのかみたいな、そういう話に移っていきたいなと思いますけど。
これが結局最終的に93年の8月にリリースされてるわけですけど、できたのがめちゃくちゃ早いんですよね。
これも有名な話ですけど、89年っていうのはブルーブラットがリリースされた年ですけど、その後ツアーやってる11月23日渋谷公会堂のライブで吉木が倒れ。
その後のライブ延期されたりしてたわけですけど、そこで過労性神経循環無力症っていうやつになりまして、しばらく西洋を余儀なくされ、ベッドの上の生活の中で思いついたのが一番最初と言われてますね。
最初できたのはサビなんだよね。
サビらしいですよね。サビって、アートライフってサビってどこですかね。
サビと大サビみたいな。
サビと大サビ。
あれがサビ。
あそこはどうですか?
それはCメロじゃん。
Cメロって。
15:01
それどっちなのかなって。
タクが持ってた本だとサビと大サビって書いてあった。
そうそう。
サビが多分、
がサビで、大サビが
そっちが大サビになる。
そっちが大サビの。
でもあれがメインテーマだと思うけどな。
そうですね。
それメインですもんね。
アートライフって入ってるし。
一番多分メインのテーマの旋律というか。
そうなんですよね。でもなんかそれって名言されてるのがちょっと見つからなくて。
よしきの発言で僕もサビから生まれたみたいな、サビが思いついたみたいなのは見ましたけど、それがどの部分っていう。
でも多分最初えんずおさんが言ってたほうのところな気がしますよね。
はいはいはい。
だってベッドの上で、
割とキャッチーじゃないですか。
ポップな感じが強いかなっていう気がするから。
それを入院してるベッドでそれ思いつくかなっていうと。
確かに。
それよりは大サビというか。
いや間違いなくそこだと思う。
そっちですよね。
あれ3回出てきて、出てくるごとに表情変わっているから、やっぱあれがメインテーマなんだよね。
やっぱそうですね、あれが。
じゃあそこをサビとしましょう。
CだかDだかわかんないけど。
確かに。
いやーそこ謎ですね。
しかもアートオブライフって繰り返しで出てこない部分もあるからさ。
そうですね。
そうですね。
でもさっきの続きですけど、倒れた後にサビから思いついたっていうところで、
その時は歌詞とか曲全体のイメージとかは当然なかったわけですけど、
そのサビの思いついた中で、バラードになる曲かなーみたいなのは思ってたみたいですね。
なのでそういう意味ではやっぱりその部分な気がしますね。
そっから離っちゃうんだからすごい。
18:00
そうですね。
確かに。
で、その後倒れた後、翌90年になってまた復活して日本武道館ライブとかツアーを終わらせて、
5月までそんな感じでやってて、そこで1回そのライブ系終わって次のアルバム作るぞっていう感じに移ると。
で、まず日本で曲作りとかプリプロとかやっていて、合宿とかもやってたみたいですけど、そこで結構アート・オブ・ライフ作ってるんですよね。
ソニーの津田さんと一緒に打ち込みでデモテープもその時に作ってて、
多分それが7月、8月ぐらいだと思うんですけど。
で、この時にもうほぼほぼ出来上がってるっていう感じなんですよね。
ヒアノソロとかも?
ヒアノソロはね、ピアノソロはもうこの時に一発撮りで1回だけ弾いたのがあのCDで使われてるっていう。
マジで?
そうなんで。
すごいねそれ。
すごいよね、それもすごい話だなって思うけど。
それすごいね。
なんかその弾いた時はそういうつもりじゃなくて、もう本当に仮の音源作るために弾いたんだけど、
で、後でもちゃんとした録音するスケジュールも組まれてたんだけど、結局あれがいいっていう。
意外となんかそういうの結構あるのかもしれないね。
結局いろいろ考えちゃっていろいろやったんだけど、全体でやった一発目がいいっていうのは。
多分この時に作ったそのデモ音源っていうのはもう全部打ち込みで作られてるんだけど、
これもYouTubeにそれらしきやつが上がってて、こうやって聞いたことないし。
ないですね。
なんかアート・オブ・ライフデモとかで検索すると普通に出てくるんですけど、
で、それ聞くともうなんかほぼほぼそのまんまだみたいな。
で、歌はもちろん入ってなくて、歌メロはキーボード的なやつで書いてて。
本物なのかな、じゃあ。
誰かがリークっていうか。
リークしたのかね。熱狂的なファンが真似して作ったって感じでもなさそう。
多分あれはそのままじゃないかなって。
すごいね。本当に出来上がってんだっていう。
でも相当完璧に出来上がってて、それをいかに再現するかというか、
っていうのがレコーディングだったっていうのはすごい言われてるというか、聞きますよね。
そうなんですよ。まさに本当にその通りで。
ジェラシーで都米するのが11月ですけど、
21:04
その90年11月にアメリカに行く時にはもう曲は100%、詩は90%ぐらい出来てたっていう話なんで。
そっからどれぐらい?2年ぐらい?
3年。
3年か。
弱。
まあ専念したのはたぶん丸1年ぐらいだと思うんだけど。
そうですね。なので完成、リリースまですごく時間かかってますけど、
よしきの頭の中にはもうこの90年の夏ぐらいには、
頭の中にはもうすでにリリースする時点のものが頭の中にあるっていう。
なるほどね。
なのでこれ結構すごいというか、それがポイントな気はしてて。
リリースまで時間かかってますけど、
なんかこねくり回していろいろもんでもんで完成までに時間かかったわけではない。
純粋にこう、本当に再現するために時間がかかったってことですね。
本当にそれだけなんですよ。
Xの曲は割とそういう感じだけど。
そうですね。
まあそうですね。とにかく完成度を追い求めて。
完成形はよしきの中にあるっていう。
そこにいかにそれを完璧にそこに持っていけるかっていう。
そこに時間がかかるっていうのが。
そうですね。だって聞いたことないですもんね。よしきがアレンジで時間かかったみたいな。
曲作るのも時間がかかったっていうのはあんまないもんな。
あんまないですよね。
なんか数日でTearsとかも作ってたらしいですからね。
何回撮るんだろうね。何回も何回も弾いてどれが一番いいとか。
ここがちょっともうちょっととかっていうので。
ね。レコーディングは本当に壮絶だったっていう話だけど。
撮ってからが長い。
多分撮る段階ではボーカルだと思うんだけど。
ボーカルにめちゃくちゃ時間かけて。
で、全部撮った後がまた長いっていうのが。
編集するのが。
そういう感じがするね。
で、結局そのアートオブライフのレコーディングその実際の録音作業っていうのがどれくらいの時期にされてるかっていう話なんですけど。
まあ今言った通り曲自体とそのデモテープ自体打ち込みのデモテープ自体90年の夏にはできてるっていう話の中で。
もともとジェラシーと2枚組みにするっていうのは有名な話ですけど。
そういうつもりで90年11月にアメリカ渡ってジェラシー含めレコーディングを開始するんですけど。
24:00
あの例のスタッフメンタバッグのドラム撮った時は倒れてしまいまして。
味わったことない痛みが。
今すぐ切り落としてくれっていう。
っていう痛みがね。
起こって倒れてしまいまして。
まあそれでいろいろスケジュールが計画が崩れ。
吉木自体はその後ドラムをまた撮るのが結構大変になって。
まあもうそうでねギブスとかつけないと。
ギブスをつけながらその後はジェラシーの他の曲も含めて叩くように練習し直してアートオブライフもその時に撮ってるんだよね。
ギブスした状態で叩く練習っていうのが必要になってくる。
だから結局ね多分ジェラシーの中の曲は全部それで撮ってるっぽいんだよ。
残ってるやつで見たのでは91年の2月に3日間かけてアートオブライフのドラムはレコーディングしたらしい。
3日で撮っちゃってんだ。
そうですね。
あれ相当大変そうですけどね。
いや大変だよねあれ相当。
かなりハードなパート多いね。
めちゃくちゃハードだよねあれ。
ドラムは91年の2月に撮ってるっていうね。
リリースされる2年半前だからね。
これでドラムはそこで撮って、もともとこの時点ではジェラシーと同じタイミングで出すつもりでいますからね。
裏では多分他のメンバーも仮録音っていうか。
そういうのもやったりしてたと思うんですけど。
ジェラシーの時に話したソニーの上場問題とかそういうのがあって。
結局レコーディングがもう時間切れっていうか。
この日までにリリースしないといけないっていうのが決まった結果アートオブライフは入らないということになって。
常識的にはジェラシーとの共存を拒んだっていうことですけど。
そんな感じでアートオブライフは結局ここではリリースされず、
ジェラシーだけが91年7月にリリースされると。
共存を拒んだって言いたくもなる曲ですよね。
そうですね。
それぐらい特別感がありますね。
本当にやってたらどうなってたんだろうっていう。
どっちが良かったんだろうっていうのはちょっとありますよね。
27:00
2枚組で出てたら良かったのか、結果1枚で出て。
結果論としては良かったんじゃないかなっていう気はしますけどね。
そうですね。
よりアートオブライフの特別感みたいなのが増した感じがありますよね。
それは間違いないですね。
ジェラシーのセットの2枚組のディスク2とかだとB面みたいな感じの。
2枚組アルバムの1枚が1曲長ぇぞっていう感じになるのと、
1枚のシングルがあれで出たっていうのと、
音楽業界に与えるインパクトが結構違うんじゃないかなって感じがするので、
結果的に良かったような気はしますね。
そうですね。
1曲30分とみたいな。
そんな感じでジェラシーには入らなかったアートオブライフですけど、
その後ジェラシー単体でリリースされて、
結局ツアーとかもやってたんで、
レコーディングも本当はすぐやりたかったらしいんですけど、
そんなスケジュールもなく、
ジェラシーのツアー始まって、
結局さっきの破滅に向かってまでずっと走り続けて、
破滅に向かって終わって、
タイジーもいなくなっちゃったんで、
結局ヒース入ってニューヨークでの会見、
っていうところに話が行くと。
その後でXジャパンになって、
何からやろうってなった時に、
もうアートオブライフやっちゃいたいよねみたいな。
そうですね。
そんな雰囲気だったっぽいんですよね。
そりゃもうそうだよね。
様式的にはドラム撮りも終わってるわけですからね。
仕上げようよってなりますよね。
そうですよね。
これ終わらせないと次にもいけないよねみたいな感じに、
多分なってたと思うんですよね。
でしょうね。
あれ、あのまんま中途半端に終わらせるっていうのはなかなか。
そりゃそうだろうって思いますよね。
なので、8月の会見から終わって、
9月からベースのロック音とかギターのロック音が開始されたと。
で、なんかその辺の話でいくと、
まずパターのやつから何かやってたらしいですけどね。
あんまその辺の理由は、
なんかパターも何でだっけなみたいな感じだったけど。
バッキングだから一番ベースチックなところからって感じじゃないかな。
そうですね。
まず土台からちゃんとこう作ってこうっていう感じですよね。
Heart of Lifeってギターソロは全部ヒデじゃなかったっけ?
30:00
そうなんですよ。
これなんか分行制にしてて、リード部分は全部ヒデで、
リズムギターっていうかバッキングの部分全部パターっていう。
なるほど、なるほど。
感じで分けてるんですよね。
それだとパターのとこから来るわなとはなりますよね。
そうですね。まずそれがあって、
それの上に重ねていった方がやりやすそうですよね。
なのでパターやり、ヒースやり、ヒデやってみたいな。
この辺は言っても9月、10月ぐらいで終わってるんですよね。
やっとボーカルなんですよね、問題は。
そうそうそう。
そこからが。
圧倒的にボーカルで。
ボーカルだって9月からリハ的なのを開始して、
仮歌で2ヶ月かかってるらしいですからね。
仮歌で2ヶ月って意味わかんないよね。
ちょっと意味わかんないですよね。
仮歌で2ヶ月。
何を作ってるんだろうって感じになる。仮歌で2ヶ月。
仮だからそこまで追求しなくていいじゃんって思っちゃうよね。
そうですよね。
何のための仮なんだろうっていう。
どうしても今これ仮だよねって。
なるよね。
なりますよね。
そっから本ちゃんのレコーニングとしてはその後なんで、
12月から結局7月までかかってるので、すごいことですよね。
いやーすごいことだな。
全編英語詞だから、世界進出ってのもあるから、
英語の発音からっていうのがだと思うんで。
なるほど。そこなんですよね。
純粋にメロディーを歌い上げるってところだけじゃない?
それ以前の段階から。
それ以前のってことですね。
それは確かに。
まあ都市的には、最初そのデモ段階とかで、
タイトルがアートブライフって聞いた時から、
あ、これはダメだって。
そうそうそうそう。
これはダメだ。
これはもうダメだって。
覚悟したって。
これタイトルアートブライフだからって言って。
あーもうダメだこれ。
終わったわーって感じで。
そうそうそうそう。
まさにそれはかなり初期の感じですけど、
さっきの仮歌撮るのに2ヶ月かかって、
これ今これなら本番レコーディングとんでもないなって思ってたら、
その想像を遥かに超えてたっていう。
すごいなー。
で、その本ちゃんのレコーディングについてなんですけど、
33:04
まあとにかくOKテイクを何本も撮って、
その中からベストを繋いでいくと。
なのでOKテイク版10本ぐらい必要みたいで、
そもそもその10本のOKテイクを撮るのにめちゃくちゃ時間もかかるしみたいな。
そうっすよねー。
で、そっから全部聞いて選んで繋いでいくんで、
物理的にめっちゃ時間かかる。
でもまた時間めっちゃかかるよねー。
10個聞いてどれがいいか選ぶって相当難しいですよね。
どうやって覚えておくのかなーみたいな。
どれだったっけーみたいな。
いやーもうそれはすごいし、
でももうトシも当然ね、最初はそこまでやんなきゃいけないのかなーって思ってたらしいけど、
途中からヨシキを信じることにしたっていう風にはインタビューでは言ってるけどね。
かなり嫌になってたらしいけどね。
めちゃくちゃ嫌になると思うよ。
多分ボーカルとしてはもうこれいけたろっていうのが、
ヨシキのジャッジでダメになったりするのがもう無数にあるだろうから、
じゃあ何がいいんだよって。
でもそんな辛いレコーディングだったけど、
ソロ活動をその時も始めてて、
それが結構前向きになれたっていう風には言ってますね。
そうだよねー。
ちょっと違う世界もないとやってらんなくなるよね。
絶対。
ソロだったら自分のジャッジで好きなようにできるわけだしね。
そういう場があればまだね、あれとこれみたいな感じで。
そうだね、もうXは仕事というか、自分を殺してというか。
ヨシキのためにっていう。
そうだね。
レコーディングって毎日毎日ずっと撮るんですかね、基本的には。
週1ぐらいでちょっとお休み入れてとか。
なんかあれだよね、すごいんだよね。
都市はもう常に万全の状態でコンディション整えてて、
スタジオに行って、ヨシキのスケジュールだったり具合によって、
今日はレコーディングなしみたいな。
いやー、それはなかなか大変だ。
36:01
思ったらヨシキが行けるときは、じゃあ今撮るからって言っていきなり呼ばれるとか。
いやー。
結構もう最後の方、スケジュールもめちゃくちゃもうタイトになって、
もうここまでにはみたいな感じの状態になって、
最後の1ヶ月ぐらいは都市もめっちゃもうアートオブライフ用の生活になってたらしくて、
すごいね、ほんと。
英語のレッスンと歌と体作り以外は何もしないっていう。
いやそれ精神がやられるよね、最後。
やられるなー。
やられますよね。
スタジオと家の往復で、たまに行くのは医者っていう。
どんだけ好きなことでもそんなに毎日やってたら嫌になるもん。
もう常にずっとそのモードでいなきゃいけないっていうか、
アートオブライフの状態でいなきゃいけないみたいな感じだもんね。
終わった後燃え尽きそうだな。
まあ何とか間に合わせて最後スタジオ破壊したっていう。
すごい。
話だけど、最後の最後もめちゃくちゃ大変だったんですけどね、いろいろトラブルがあって。
まあそんないろいろがあって。
ボーカルのレコーディングといえばあれじゃないですか、
喉に注射を打ってっていう有名なエピソードもありますけど。
このレコーディングの時にそれあったんでしょうね。
そうそう、アートオブライフ。
アートオブライフで基本的にXの歌って都市のキーに合わせて作られてるから、
都市の一番いい高音質のキーで出るんだけど、
アートオブライフだけは都市の出ない音があるっていう、都市のキーを超えちゃってる音があって、
それを出すために注射を打って声帯を広げて、キーを上げるっていうのをやってたんですよね。
すごい話ですよね。
すごいですよね。
しかも1音だけなんだよね。都市が出ない音を歌って。
一箇所だけそれがあるみたいな。
一箇所だけなの。
そのために、その1音とはいえそれが出ないと完成しないんですよね。
いやー、それはすごい。
そんな大変な思いをして、8月25日リリースされたと。
いやー、これはもうすごいですね。
最初、いつだっけ、渋谷公会堂で倒れたのが89年の11月23日ですからね。
39:05
その辺から始まり、90年の夏にはデモテープができてたんで、3年ですね、そっから。
デモテープらしきやつ、YouTubeに上がったやつ聞く限りはもうほぼほぼ完成形。
その時にピアノソロも撮ってるわけなんで、頭の中では割とそのままできてたわけなんで。
まあ、かかりましたね、これは。
かかったね。1曲でだよね。
1曲で。間にいろいろあったんで、実際の期間がもうちょっと当然短いですけど。
人生の1年が台無しになったっていう様式の言葉があるんで。
がっちりあったのは1年なんだろうけど。
まあまあまあ、今回はアートブライフの生まれたところからレコーディング、リリースされるまでを話してきましたという感じですかね。
はい。
じゃあここで1回切って、次はまたアートブライフの、もうちょっと曲の部分について話していければと思います。
はい。
次回へ続きます。
40:32

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