私たちは保存と聞くと時間を止めることだと考えがちです。 しかし本当の保存とは変化を受け入れる勇気のことなのかもしれません。
あなたの中にあるどうしても未来に残したいものは何ですか? そしてあなたはそれを生き延びさせるためにどう変化させる覚悟がありますか?
個人の小さな記憶もいつか誰かの心を動かす巨大な遺産になるかもしれませんね。
B.F.M.
日本を代表する近現代の名建築。あの歴史的価値があると認められた300件のうち、
なんとすでに40件以上がこの世から消え去っているって知っていましたか?
これ文化的価値が公に認められて保存すべきだという声があっても
なんですが巨大なコンクリートとか鉄筋でできたのを
堅牢なはずの建物がなんか次々と姿を消していくっていう
現代における記憶や文化の保存がいかに脆弱で複雑な
ジレンマを抱えているかを象徴するすごく残酷な事実ですよね。
というわけで本日はB.F.M.の2本目、本日1本目のアート編と対になる回としてお届けしていきます。
ホストの結城です。 エキスパートの佐藤です。 ノアです。よろしくお願いします。
アート編で語られたテーマを引き継ぎつつ
今日全体を貫く一つの大きな問いを設定したいと思うんですが、
それは失われゆくもの、個人の記憶や情熱を
私たちはどう再構築して未来へ継承していくのかということです。
今日はですね、映画、それから建築、そして現代のカルチャーイベントの最前線をじっくり紐解きながら
この巨大な問いの核心にさまっていきたいなと。
過去の巨匠たちの記憶をどう残すかっていう問題から
今現在新高校で生み出されている草の根の情熱がどう拡散していくかまで
時間とかスケールをいちいちしながら深く潜っていく形になりますね。
リスナーのあなたも自分の思い出とか大切にしている場所を思い浮かべながら聞いてみてください。
では早速最初のテーマ、個人の記憶の再構築についていきましょう。
11月6日に公開される長編アニメーション映画、マルセル&ヌッシュ・パヌリを取り上げます。
これすごく話題になってますよね。
監督はベルビルランデブーで世界的な評価を確立したフランスのアニメーション界の巨匠、シルバン・ショメです。
間の国際映画祭なんかにも正式出品されていて、すでにすごく高い評価を受けている作品ですよね。
フランスの国民的作家であって、映画監督でもあったマルセル・パニュールの波乱に満ちた生涯を描いています。
ホサノハローミスさんとの対談なんかの話題を呼んでいますよね。
このパニュールっていう人物なんですけど。
経歴が非常にドラマチックでして、劇作家として大成功を収めた後、
映画がサイレントからトーキーへと移行する激動の黎明期に、いち早く映画監督に転身したんですよ。
地図からの撮影スタジオまで設立するという、ちょっと波外れた行動力を持っていて。
自分のスタジオまですごい情熱ですね。
でも晩年は再び県の世界、出撃へと戻っていくんです。
その腹の万丈な人生なんですけど、映画の中では60代になったパニュールド前に、
正面時代の自分が原影のように現れて、共に人生を振り返るっていう構成になっているんです。
映画が不思議な設定ですね。
そこなんですよ。
ここで私、ちょっと大きな疑問にぶつかりまして、
はい、何でしょう。
事実を後世に伝える電気映画を作りたいなら、なぜ実写じゃなくて、あえてアニメーションを選んだんでしょうか。
ああ、なるほど。
だって、少年時代の自分と対話するなんて明らかにフィクションじゃないですか。
記憶をありのままに残すんじゃなくて、勝手に脚色してしまったら、
それはもう電気としての信頼性を失う気がするんですよね。
いや、その疑問は非常に鋭いところをついていますよ。
そうですか。
私たちが記録って呼ぶとき、つい実写映像みたいな物理的な事実の羅列を想像しがちじゃないですか。
確かに。カメラで撮ったものは一番正確だみたいな。
もちろん実写にはその時代に存在したものをそのまま記録するっていう圧倒的な強みがあります。
でもアニメーションが抽出できるのは物理的な事実ではなくて、人間の内面的な真実。
なんですよ。内面的な真実。
記録ってそもそもビデオテープみたいに正確なものじゃないですか。
まさにそうです。
感情によって色が濃くなったり、特定の言葉だけが何度もリフレインしたりするっていう。
そうなんですよ。60代の自分の前に少年時代の自分が現れるっていうのは、物理的な事実としては嘘ですよね。
ありえないですよね。
でも過去の純粋だった頃の自分と心の中で対話して、人生の選択を問い直すっていう心理的なプロセスは、
誰の人生においても起こり得る極めてリアルな真実なんですよ。
なるほど。人間の脳そのものが感情というフィルターを通して過去を常に描き直しているアニメーターみたいなものなんですよ。
脳自体がアニメーターですか。
そう言われると、実写で淡々と事実をなぞるよりも、アニメーションっていう制約のないキャンバスを使う方が利にくなっている気がしてきます。
パニュールの内面にあった葛藤とか、冬季映画早々期の熱狂みたいな目に見えない熱量を正確に保存するための合理的な手段だったんですね。
ちなみに初音監督自身も過去にはバンドでベースを弾いていて、今はウクレレを弾いているっていうすごく多才な方なんですよ。
そうなんですか。
だからパニュールの多面的な情熱を理解して、エレガンスとユーモアを交えて再構築するには、同じように表現の枠を飛び越える初音監督のアニメーションが最適だったんじゃないかなって思いますね。
なるほどの、個人の記憶や情熱はこうやったアニメーションっていう手法で主観的に描き直すことで色鮮やかに未来や残すことができるわけですね。
でもですよ、それが映像や絵ではなくて、もっと巨大で物理的な建築物だったらどうでしょうか。
現実のコンクリートはアニメみたいには簡単に描き直せませんよね。
まさにここからが形あるものをどう残すかという非常に現実的で困難なテーマへの移行になります。
現在東京の吉島にある国立近現代建築資料館で、ドコモモジャパン300選定記念モダンマーブメントと建築の現在という展覧会が開催されています。展覧会ですね。
2027年2月23日までの長期開催なんですけれども。
このドコモモっていうのは1920年代以降のモダンムーブメントに関わる建築や街並みの記録とか保存を目的とする国際組織ですよね。
そうです。
日本の近現代建築の選定件数が300件を突破したことを記念して、図面とか模型など約100作品が展示されている。
そうなんですが、この展示が突きつけている最も重要な事実がまさに冒頭でお話しした数字なんです。
歴史的価値があると認められて、ドコモモに選定された300件の名建築のうち、60件以上が文化財として包山される一方で、すでに40件余りが取り壊されて失われているんですよ。
確かにもったいない気がしますよね。
皆さんの経済的な事情があるのはわかりますよ。
でも、名画みたいに国が保護してそのままの形で保存することはできないんでしょうか?
その問いにはですね、建築というものが抱える宿命的なジレンマが隠されているんです。
ジレンマですか?
建築って美術館の空調管理されたガラスケースに飾っておける絵画や彫刻とは根本的に違うんですよ。
建築は使われてこそ意味がある実用品であり、社会のインフラの一部なんです。
人が住んだり働いたり集まったりする器としての役割ってことですか?
その通りです。
時代が変われば社会のOSがアップデートされますよね。
求められる耐震基準とか空調設備、エネルギー効率、そして人々のライフスタイル自体も変わる。
これらが変わった時、巨大なハードウェアである建築物はそのままの姿では生き残れないんです。
だから、時代に合わせて用途を変えたり、改修を加えたりするディユースの道を探らなければならない。
ちょっと待ってください。
でも、現代のニーズに合わせて内部をくり抜いたりとか、ガラス張りに改修したりしてしまったら、
それはもう巨匠がデザインしたオリジナルの作品とは呼べないんじゃないですか?
うーん、どこまで手を加えたらその建築の魂は失われちゃうんでしょうね。
それこそが、世界中の建築家とか保存運動家が日々議論化している最大の対立点なんですよ。
そうなんですか。
原型を一切変えずに留める凍結保存が正しいのか、それとも形を変えてでも人々に使われ続けることで、
普通、これだけの人間を動員しようと思ったら、莫大な処方を通じてテレビCMを売ったり、有名なインフルエンサーを起用したりしますよね。
でもデザフェスは、そういう巨大なメガホンに頼っていない。審査もない、広告もない。それなのになぜこれほどの熱狂が生まれるんですか。
そこに、現代の情熱の電波におけるパラダイムシフトが現れているんです。
パラダイムシフト。
過去のブーカーっていうのは、美術館の楽芸員とか、巨大スタジオのプロデューサーといったゲートキーパーが何を残すかを決めていましたよね。
しかし、現代は情報のインフラが完全に分散化しているんです。
出展者自身が、XなどのSNSで特定のハッシュタグを使って、自分のブース番号と作品のストーリーを直接発信するんですよ。
ハッシュタグって単なる検索用のラベルじゃなくて、今やコミュニティを形成する。
保存タブなんですよね。非人格。
誰かの熱量がそのままフォロワーに引用リポストされて、アルゴリズムに乗って広がっていくっていう。
莫大な資本とか、経緯ある審査員がいなくても、個人の表現したい、残したいという純粋な情熱が、アルゴリズムと人々の共鳴という新しいイキュレーションシステムを通って、ダイレクトに社会が継承されていく。
なるほど。
これこそが、現代における最も新しく力強い文化の広め方と言えるんです。
間に誰も挟まないからこそ、熱が冷めずに直接届くわけですね。
これって、私たちが作っている言語交換アプリのモシリンの仕組みとも完全にリンクレートしていますよね。
確かにそうですね。
モシリンも世界中のネイティブスピーカーとつながれるアプリですけど、言語学習だけじゃなくて、写真投稿とかブログ機能がすごく面白い使われ方をしていて。
そうなんですよ。
ザフェスの出展者がSNSを使ってファンと直接つながるみたいに、モシリンのブログ機能を使えば、自分の手作り作品とか地元の日常の風景、個人的な情熱をですね、22以上の言語のネイティブスピーカーに向けて直接
発信できるんですよ。
前に翻訳者とかメディアを挟まずに、あなた自身が文化の発信局になれるっていう。
言葉の壁を越えて、自分の情熱が地球の裏側にいる誰かの心にダイレクトに継承されていく感覚は、今の時代ならではの素晴らしい使い方ですよね。
本当にそうですね。
過去の巨匠たちが映画スタジオや巨大なコンクリートを通して残したかった個人の思いと、現代のクリエイターたちがデジタルネットワークを通して届けている思い。
ツールや規模が違うだけで、根底による自分の内面にある真実を形にして誰かに手渡したいという普遍的な欲求は全く同じだということなんです。
ここをしっくり紐解いてきましたが、見事な一本の線に繋がりましたね。
アニメーションという手法で主観的な真実を再構築したマルセル&ムッシュ・パニュール。
形を残すために機能を変えるという決断を迫られるドコモモの近現代建築。
そして、巨大四方を通さずに個人の熱量を直接世界へ手渡すデザインフェスタ。