あと来る方は絶対に遅刻しないでほしい。
あーね。
5時半から始まるんで、ぜひ最初から来てほしいですね。
なぜならもう最初がピークなので。
いやもう最初から最後目が離せないとかならない。
最初がピークなので。
全ての盛り上がりを最初に。
そんな先行逃げ切りみたいな。
先行逃げ切り。
それだけ1点に欠けてるってことですね。
欠けてますね。
成立はもうおそらくするんだけど、
もう最後の最後まで粘ってる状態です。
そこの成果っていうのが当日見られるはず。
そういうことですね。
私もそれこそ去年、今年の頭から同じ会場でやって、
会場自体もトリス文化センターホールでいい場所なんで。
そうですね。
そういうのを踏みで体験として。
私とかちょっと特殊な例だと思うんですけど、
普通に生活してて多分そういうホールにあんまり足伸ばさない人もいると思います。
ましてやTYCみたいな、普段バンドとしてライブハウスとかでやってる人を追ってるような人だったら
なおさらあんまりなじみがない場所だと思う。
そういうところでも体験として見ていっていただけると良さそうですよね。
いや、プロモーションについてるからやっぱ。
ありがたいんですけど。
ハッシュタグPRで。
ありがとうございます。本当にそうなんで。
メールとしてこういったのが来てましたけど、他にもいろいろメール来てるんで。
ほぼ同じ内容で多分、5時修正ぐらいのやつが2通届いてるんで。
後から来た方だけ読みますね。
メテラ字ネーム、よしこじえんどう。
間じえんどうみたいに言うな。
えんどうが苗字のえんどうです。
かっこあき天皇賞743着。
文心表の血液型に宮間桑型。
十二星座にオペラ座と書いたのに誰もつかまれることなく人間ドッグをクリアして悲しみにくれる静岡さん。
してねーわそんなこと。
履歴書の賞罰欄に外観誘致罪、視線呼び罪、視線陰謀罪。
グラミー賞過去予定と書いて転職先に動揺を馳せらせるのがマイブームのめでたいさん。
寒すぎてサミュエルエルエルジャクソンではないですか。
最近めでたいさんは雪袋駅前でAINAGNU過去キングヌの大ヒットナンバー目白をアカペラで熱唱したそうですね。
白日だろ。
自白、白目、日の目、百目、しらじら、百日などのキングヌ視力検査8部作に数えられる名曲です。
視力検査やってんだ。
たまにどれがドラマの曲かわからなくなるんですけどどれなんでしょうか。
前回の神父ができたから共有しようぜ、神父がアーメンの方の神父。
作ってないです。
ビバ、クリスチャンの回。
静岡さんが神とあがめるナンバさんの久々の登場。
カタリマクリングでコレニアニスランもほっこりでしたね。
M3は医療転職サイトですが女ゲイメントに運営しているとびっくりにっこりです。
神父と書いて神父。
リコレクションがいい学校の教科書に乗る気も近いですね。
めでたいさんは次回まで水を汲んで炊き出しをしてください。リスナーとの約束です。
どこ触れていいかわかんないですけど。
聞いてはいるんだよな。
めでぞうくんの思い出したんですけど。
これラジオで話してないと思うんですけど、最近腹に据えかねてることがありまして。
俺あなたと連絡取りすぎかもしれない。
許せないことがあって。
大衆許せない話するぞ。
あの大企業がこんなことがあって許されるのかってことがあるんですよ。
何でしたっけ?
ダイソー産業さん。何をやられてる会社なのかわからないですけど。
100円ショップの。
100円ダイソーとかで運営されてるらしいんですけど。
マスコットキャラクターが今年の8月、9月に誕生したと。
そのニュース聞いて、ダイソーもそういうキャラクター路線行くんだと思って見て。
そこで腰抜かしちゃって。
足は?
足って言うな。
いわく大象。
こんなことは許される。
ダイソーキャラクター大象。
モクシュアルキャラクター大象。
ゾウのキャラクター。ピンクの線が入ってる。
大象。
これもう許せないよ。
過去、いろんなゾウのキャラクターを見つけたわ。
あなたイチャモをつけに。
昔だとドムドムハンバーガーのドムゾウくんもね。
ただドムゾウくんは向こうの方が先だから強く言えないけど。
今回に関しては今年だから。
名前大象なのに、えごさしてると大象くんとかっておっしゃってる人たちも多くいらっしゃる。
どっかちょっと寝回しとかしてもらってもよかったのかなと思うんですけど。
過去最高に似てるよね。
ちょうどそれ発表された日に百均行く用事があって行ったら大象くん発表記念ステッカープレゼント中とか言って。
朝から配り始めて昼くらいに行ったら残り2,3枚しかなくて。
消しからんと思って。もう1枚ちょっともらって帰ったけど。
大鉄も行ってもらってんじゃねーか。
この前、2,3日前大象行ったら大象ぬいぐるみ入荷中って言ってバーッと並んでて。
結構おっきめの大象しかまだないらしくて。
例えば神奈川だと神奈川全体で8店舗くらいしか入荷してないみたいな。
品薄処方やってんじゃないよと思いながら。
1個買って帰って。
買ってんじゃねーか。
ミニぬいぐるみTチェーンみたいなのあったからその子買って。
めっちゃ買ってんじゃん。
もう許せないよ本当に。
どっちかな?
今後もこういう消しからんやつが出てこないこのメディライザー日々チェックしていきたいんですけど。
気がする。
ファイナルアンサー。
これヤバいかも、これ。
答え。
バッハかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
え?何それ?
ひそやかさんが曖昧だというのは想定じゃなかったんですけど。
トッカータとフーガって、あの曲。
あれ、バッハじゃないかもしれない説があるらしい。
え?
しかも、ここ最近の話じゃなくて、結構長年の研究でバッハとは言えないなみたいになってるらしい。
さらに言うと、そもそもバッハって結構願作だったり偽作、二世の作品って書いて偽作がめちゃくちゃ多いらしい。
これはバッハの曲だとされてるけど、実はそうでない曲がめっちゃあるってこと?
そうそうそう。
えー。
あとで他の曲も紹介するけど、バッハ自体がもともと教会音楽家、本当に宗教家に近いような人で。
だから、別に自分の作った曲は宗教のために使ってくださいだったから、出版の意思があんまりなかったらしいんです。
だから広くやられることよりも、もう本当に使うためのやつだった。
そうそうそうそう。
例えば弟子が代わりにこの楽譜を書いて留めておいたりしてたらしいんだけど、
年代が過ぎて、バッハめっちゃいい曲やん、これみんな出版したらなってなって、出版社が楽譜を出版するときに、
弟子が残した楽譜と弟子の作品を取り違えちゃったりとか、
全く関係ない人の曲をバッハだと思っちゃったりとか。
バッハがあんまり権利を主張する人じゃなかったんだ。
というか、バッハが生きている当時って、教会音楽みたいなところだけ重鎮だったけど、今は大衆音楽じゃなかったから、別にみんなが知るような感じじゃなかったらしい。
ただその後、バッハの時代ってバロックと古典のちょうど中間ぐらいだと思うから、その後年代が過ぎて。
初めて知ったのが、ブラームスがめっちゃバッハを信奉してたっていうか、バッハの研究とかをしてたらしくて。
そのあたりのロマン派ぐらいに入ったぐらいの世代の人たちが、バッハ、もっと世に知らしめたらなってなって、そこで大衆も知るところになったらしい。
調べきれてないちょっと諸説あるかもだけど。
そのぐらいの時に、じゃあ楽譜出版しようって思ったら、そんな感じで、結構曖昧なまま出版しちゃったりして、バッハじゃない曲もバッハだって出ちゃったみたいな。
ということで、今回はそういう、いわゆる願作とか偽作って呼ばれるものについてちょっと喋っていこうかなと。
バッハ以外もそういうの聴けるんですか?
そうですね、実際そういうのが出回ってるのは結構古典以前がやっぱり多い。そういう展示関係曖昧だったりする時代が多いんで。
あんまり幅広くはないけど、そこはいくつかピックアップして話したらなと思います。
今回一応、本の出展もありまして、まさにそのままずっぱり、クラシック偽作大全。偽作は偽の作品と疑わしい作品の偽作大全。
それだけでもう本が出版されてるんだ。
そう、っていう本を元に一部他でネットで調べたりして台本作ってます。
この本自体、そういう偽作とか調べるのもあれだけど、結構ベースがおそらく書かれてる人がもういわゆる聞く側のクラオタっぽい人だから結構音源の話とか多かったりするんだけど。
ただそれでも、そういう情報とかも結構調べられて書かれてるみたいで。
もし興味がある人はこれも読んでみるといいと思うんですけど。
じゃあ、最初のトッカタとフーガーの話に戻ると。
そもそも自分も言われるまで全然何も考えてなかった。そんな気にしてなかったんだけど。
他のオルガン曲とバッハのとは作風が明らかに違うらしい。
なるほど、だからバッハの他のオルガン曲の作風からしたら何これって感じなんだ。
そう、だし、トッカタとフーガー。トッカタって前奏みたいな感じ。
その後フーガーに繋がっていくって感じなんだけど、フーガーの方の作りが結構甘いらしい。
例えば、バッハの他のオルガン曲だと小フーガー二単調だっけ。
あれとかも結構厳格なフーガーで書かれててこれぞバッハって感じらしいんだけど。
それとかと比べると結構そこの作りが甘かったり、これ本当にバッハかっていう感じらしい。
結構そういう作風の時点で疑わしいところがちらほらあるらしい。
じゃあ実際誰が作ったか。
誰が作ったか。
最初にも言ったけどこれバッハかもしれないしそうじゃないかもしれない。何も確定してない。
それも憶測だもんね。バッハにしては作りが甘いんじゃないかも。
そう、憶測というか実際音楽考古学みたいな研究でガッチリやられてるらしいんだけど結論が出てないみたいな感じで。
一番有力なのはケルナっていう同年代の作曲家。
弟子って言えるような関係だったかは定かではないっぽいんだけどただ実際バッハの曲のシャフを行って残してたりとか実際バッハの曲演奏したりして当時バッハを責任広げてた人らしい。
確か、ちょっとメモってなかったんで適当に言ってたら申し訳ないですけど、
このトカタとフガに関してはバッハ実質の譜面というのは残ってなくて唯一残ってるのがケルナが映した譜面だけだったと。
別にそこにも誰の曲みたいなのをわざわざ書いてもないから、ケルナが映してたってことはバッハの曲だろうと思って最初やってたけど、実際ケルナ本人が書いた曲じゃないかみたいな話があるらしい。
ただそこも確定じゃなくて、あとは他の弟子のドレッツェルっていう作曲家だったりとか、
あとバッハの次男、CPEバッハ。
彼も作曲家で何曲か有名な絵を残してるんだけど、そっちの作曲家じゃないかみたいな説もあるらしい。
だから譜面は残ってるけど、これ本当にバッハの曲かみたいなの結構いっぱいいるらしい。
だからこいつっぽいぞっていうのがやっぱり何人かいるわけだ。
でもその中でもケルナっていうのが結構有力じゃないかみたいな。
ケルナ本人ともちょっと作風が微妙に違うらしくて、そこも断定しきれない要素らしいけど。
ただそれはそれとして、バッハで間違いないっていう勢力というか、そっちを支持する人たちもいるらしい。
バッハじゃない言うとりますけども、バッハやろっていう人たちもいるんだ。
で、その人たち曰く風画の書き方がオルガンとしてはちょっと…ん?と思うけど、風画がバイオリンの曲に似てるらしい。
だからもともとバイオリン向けの楽曲として書いたものをオルガン向けに作り直したんでは?っていう。
でも実際にそれ聞いてから、この解き方と風画って、バイオリン風が残ってたわけではないんだけど、
バイオリンの演奏をしてる音源でもいくつかあって、YouTubeとかでもバイオリンでこれ弾いてる演奏とかも上がってたりして、
それ見たのも確かに、バイオリンで弾いてても全然違和感がない曲というか。
どっちの方がしっくりくるかどこまでちょっと分かんないけど、ただバイオリンの曲だって言われても、あ、そっかってなるぐらいの違和感の無さ。
だからまあ、もともと…で、あと書き方、何だっけな、技法としては、めちゃくちゃ若い時期の、まだ甘い部分があるような書き方だけど、
曲の傾向とかは結構晩年の作り方みたいなことを言っている人たちもいて、だから、だから、なんか違和感になってるみたいな。
はい、だからもう、作ってる時期の問題で人が変わってるわけじゃないと。
そう、だから初期の頃にバイオリン向けに書いたやつを後期にオルガン向けに作り直したんじゃないかみたいな話とか。
なんかそういう話もあったりして、そこも結論は出てないんだけど、そういう感じで、バッカかもしんないし、ケルナーかもしんないし、はたまた別な人かもしんないっていう感じで。
全然定まってないらしい。
でまあ、ここまで特化とオルガンを例にいろいろ紹介してきたんだけど、
実際なんか、まあ、そうやって取り違いがあるとかっていう話もあったけど、そうやって疑惑付きの曲が生まれる要因っていうのも、まあ、いろいろ考察は進んでて。
やっぱりその、本人が書いてたら間違いないです、その楽譜を。
私が作りましたって、ちゃんと生産者表示してくれてれば。
はいはいはい。
ただまあ、そういうのが残ってなかったり、まして、当時なんか演奏記録も残ってなかったりするから、そこが確定できなかったりするっていうのがまず、その確定できない要因の一つ。
で、あとは楽譜取り違えたり、あと、弟子が作ったやつを間違えまって、その師匠である人のやつだと思ったみたいな、いわゆるヒューマンエラーって言っていいかもしれないけど。
なんかそういうことが起きてしまったとか。
あと、これがなんか特にモーツァルトとかで意外と多いのが、他の人の作品を編曲したやつとか。
別に本当の作曲家がいて、そこで楽器入れ替えた、アレンジとかを加えたやつを残してたのが、
じゃあモーツァルトがこれ書いてんだったら、モーツァルトの作品だと思ってカウントしちゃったみたいなパターン。
これも結構あるらしい。
へー。
実際ここまではあれだけど、誰も悪くないって感じだけど。
やっぱあるのは、自分で作った作品とか、第三線のやつ、わざとこの人が作りましたって感じで出版公開してるやつ。
あー、やっぱりあるんだね。
いや、これもめちゃくちゃある。
へー。
で、さっきも言ったけど、時期としてはやっぱり、バロックから古典ぐらいの時期に多い。
時代が時代だから資料が少ないっていうことに加えて、
音楽、楽曲に対する著作権法が当時まだなかったっぽくて、
もう無法地帯化してたらしい。
うーん、そっかそっか。
だから、守るルールとかがないから。
その辺、ベートベンが結構整備したらしいんだけど、音楽家の権利みたいなのは。
へー。
ベートベン以降は、結構その辺は減ってきてるというか、もう激減してるっぽいけど。
へー、面白い。そんな昔からやっぱり、作曲家の権利は守られて侵害されないべきだみたいな。
っていうよりは、ベートベン以前の、例えばモーツァルトはちょっとあれだけど、
ハイドンとかモーツァルトは、いわゆる宮殿音楽みたいな感じで、
貴族みたいな人がいて、その人に使えて曲を提供するみたいな感じだったから。
そっか、だから作家として広く名前を知られるというよりは、本当に月野みたいな。
そうそう、パトロンみたいな人がいて、その人に支援をもらいながら作曲するとか、その人のために曲を下ろすみたいな、そういうパターンが多かったりとか。
あとバハみたいに、宗教家としての強くて、あくまでその楽曲を作るとか、そういうのはある意味、結果としてそういうことをしてたっていうような感じ。
だから、いわゆる職業音楽家って呼べるような感じじゃない人が多かったっぽいけど、
ベートベンぐらいからはもう明確に音楽で飯食ってるみたいな。
ベートベンとかは実際そういう宮廷とかにも仕えてないし、本当に自分で曲を下ろして、自分でコンサートをやってみたいな感じだったから。
やっぱりそういうふうに転換していく上で、自分の曲を自分で守るみたいなのはあったんじゃないかなと思うけど。
どっちにしても、その辺りからは割としっかりしてるパターンが多い。
っていうところで。
時代としては昔に寄っちゃうけど、いくつか他の曲も紹介していこうと思うんですけど。
ミサキ君も丸ごと1個バッハじゃなかったみたいなの結構あるっぽいんだけど、その辺はそもそも有名じゃなかったりするから省略するとして。
1個玉げたのは、メヌエット。ピアノ曲の。
あれ、いまだにバッハ作曲として紹介されているのもするんだけど、そもそも一番最初の初期段階からバッハの作品じゃないっていう見解だったらしい。
いわゆるバッハ研究の間では。
作曲家の作品って、作品番号を割り当てられるじゃないですか。
オーパス番号、OPとかは自分で当て込んでたりもするけど、それまでの、例えばバッハだとBWVだっけ、あの番号みたいなの。
割り当てられてるんだけど、このメヌエット、そもそもバッハか疑わしいぞっていうその専用の番号がANHみたいな番号を割り当てられてたらしくて。
あ、これバッハじゃないかもしれないナンバー何みたいなのあるんだ。
そうそうそう。
えーおもろ!
だからバッハの曲ってなってるけど、これバッハじゃないよなって曲も一応番号は付けないといけないから、そういう疑惑ある、疑惑付きの曲用の番号帯みたいなのがあって、それを割り当てて。
別にナンバリングされてるんだ。えー。
初期段階はバッハじゃないけど、じゃあ誰だっていうところは分かってなかったらしいんだけど、それも20世紀になって、クリスティアン・ベツオールトっていう作曲家の作品だってことが分かったと。
違うって確定したのもあるんだ。
あ、そう、これはもう本当に違う。確定自体はしてたけど作曲者不明だったところが、このベツオールトっていう作曲家ってことで、確かなんかこの作曲家が自分で書いた楽曲家なんか出てきたのかな。
はい。
確定したっていう。じゃあなんでそんな初期からバッハじゃないってなってたのに、いまだにこの曲バッハとして楽曲とかも出てたりするんですよ。
うーん。
なんか販売とかもされてんだけど。じゃあなんでそんなことになってるかっていうと、
そのバッハじゃないけど誰か分からんっていう期間に、研究所は作曲者不明っていう扱いだったんだけど、出版社は楽譜は売らなきゃならないわけじゃん。売らなきゃならないってわけじゃないけど、楽譜売りたいじゃん。
まあそうだね。
その時に、誰が書いたか分かりまんねんだと売れない。
じゃあバッハって売るかって言って売られ続けてたらしい。
そういうパターンもあるんだ。
だから商業的理由で。
でも同じことがちょっと時代遡く、ヴィバルディでも全く同じことが結構起きてて。
ヴィバルディは有名な曲家ってわけじゃないけど、ヴィバルディの当時の。
ヴィバルディは、四季とか長和の霊観とかその辺書いてる作曲家だけど。
当時ヴィバルディめちゃくちゃ有名だったらしいの、その当時から。
バック売れ作曲家。
そう、売れ線のバック売れ作曲家だったらしいから。
他の人が書いた曲、これあえてヴィバルディって名前で売ったろっていうのがめちゃくちゃ横行してたらしい。
とんでもねえ話だな。
それが出版社がそうやってやったとかじゃなくて、作った本人が自分の名前で出しても売れないからヴィバルディとして売ったろみたいなのが結構あったらしい。
すげえな。
でましては、どの曲だったかな。
結構編成が特殊な曲とかがそうなってるパターンもあって。
そういうときにはなんでヴィバルディしたかっていうと、編成が特殊なときの特殊楽器。
何かどう忘れしたから今調べながらだけど、新しく作った楽器で、
ただあんまりまだ世に出てないからこれを広めたいと。
ただ自分で曲を書いても広められないから、ヴィバルディが書いた曲で採用されてたってなったら広まるぞってなって。
うわ、すご!
忠実な羊飼いっていう曲。
これがNHKFMのバロック音楽の楽しみっていう1960年代にやってたFMの番組のオープニングが使われてたらしい。
そこでヴィバルディとして紹介されてたけど、その後で実は違いましたってことがわかったらしいんだけど。
ミゼット。この曲にミゼットっていう楽器が使われてるんだけど、それが当時珍しい楽器だったからこれを広めたくて、ヴィバルディとして売ってたみたいな。
うーん。
なんかそういう、これもたぶん断定ではなくて研究で聞けばそうだろうみたいな話らしいんだけど、そういう感じで結構きな臭い話があるらしい。
だって今だとしたら、俺の曲広めたいから田中康太賀として出すみたいなことですよ。
あ、中田康太賀だ。
中田康太賀として出すとか。ましてや、例えば、ギターとベース一緒にしたい楽器的な楽器作ったぜ、でも、この楽器使ってるの俺しかいないからもっと広めたいから、この曲使った曲キングヌーとして出すかみたいな。
まあそういう感じや。
いやすげー話だなぁ。
これちょっとまた別の特殊パターンだけど、アルビノーニって作曲家がいて、アルビノーニって言うとアルビノーニアダージョっていう曲があって、
正直アルビノーニってアダージョしか知らないんだけど、それが奇作だったらしい。だったらしいけど、これはもう断確定で。
それがもう理由が悲しくて、レモジャソットっていう20世紀、1900年代前半の研究者がアルビノーニが大好きでめちゃくちゃ研究してたらしいんだけど、
ただもうアルビノーニって全然有名じゃないし、だからもうアルビノーニ、地位向上のために自分でアルビノーニっぽい曲を書いて出して、アルビノーニこんな良い曲あるんですよっていう。
確か厳密にはアルビノーニそういう書きかけの作品家なんかが出てきたから、私が編曲をしてアダージョとして出しました。これを元ネタというかアルビノーニですよって感じで出したんだけど、
結果それが全部もうフルスクラッチで自分で作ってたっていう。でも結果として本人作曲家の曲だけ有名になっちゃったっていう。アルビノーニ。皮肉なもんで。
地位向上、アルビノーニもっと知ってほしい、こんな良い曲あるんだ知ってほしいと思って自分で全部書いて出したらそれしか有名にならなかったっていう。
本来のアルビノーニの曲が有名にならずに。そうそうそう。
結構その技作とか調べてると、人間模様、さっきの商業的なキタクサスとかも、そういう人だなーみたいな話もあるから。
ちょっと時代が若くなって、ちょっとって言ってもあれだけど、モーツァルト。
モーツァルトこれ知ってるかな。眠れよい子よって子守唄があるんですよ。
なんか聞いたことある。なんだっけ? 眠れよい子よみたいな。
なんかあるよね。俺なんか聞いたことある。
あれモーツァルトじゃないらしいけど。
あれモーツァルトじゃないかい。
ないらしいというか、モーツァルトじゃないこと確定で、ただ本当作曲家がちょっと揺れてるっていう。
なんかフリースっていうアマチュアの作曲家っていう説とか、フライシュマンっていう別の作曲家説とか。
あったり。
これ本当に意味がわかんないんだけど、トリビアの泉でモーツァルトの曲として、
トリビアの泉って十数年前の番組だけど、ヘイボタンっていうボタンがあって。
そこまで言わないでいいです。
モーツァルトの俺の尻を舐めろっていう曲があるみたいな。
あるあるある。
それこそトリビアの泉見えたわ。
俺の尻を舐めろ自体はモーツァルトが作った。それは間違いない。
間違いなくあるだよ。間違いであってくれよ。
なんだけど、俺の尻を舐めろ綺麗に綺麗にねっていう別の曲があって、そっちが偽物らしいの。
俺の尻を舐めろは本物で、その曲とは別に、俺の尻を舐めろ綺麗に綺麗にねっていう曲があってそっちは偽物らしい。
面白い。
モーツァルトの時々汚いことを言う曲みたいなのを作ってた時期があったらしいんだけど、
そのシリーズに重ねる感じで偽物のやつもチラホラあって。
当時の学者か何かやってた人がアマチュアで作ってた曲が混ざっちゃってたみたいな感じで。
学者もこんな曲作んねえやと思ったけど。
モーツァルトより清潔感あるんだ。
そこか。
あと、高級曲。
モーツァルト。
モーツァルトは高級曲41番まであるんですよ。
41番ジュピターまであるんだけど。
普通に考えれば1番から41番まであるんだけど、そもそも2番と3番が偽物らしい。
早っ!
11番も相当怪しい。
しかも、自分知らなかったんだけど、この41番まで振った後に見つかったやつが後から重ねられてて、
42番から56番までもあるらしいんだけど、
ややこしい。
めちゃくちゃやもん。
若かれし頃の書工みたいなのが出てきた、でもこれ似たものでしたみたいな。
マーラーでも同じような序曲みたいなのが出てきたってなったけど、違う人じゃないみたいな。
結構割と後年はそういうパターンが多い。
発表の序曲みたいなのが出てきたって思ったら、それがほんとに他の人の書いたやつをメモしてただけだったとか。
だから、そこから先はそういうのが多いし、あんまり面白くもないし、数も少ないから。
ほんとにこのぐらいの時代からどんどん減っていったのかなっていう感じではあるけど。
ここまで紹介してきて、個人的な話はなるけど、今紹介した中で何曲か演奏したことあるんですよ、私。
まさにその今直前に差し込んだハイドンセレナーデとか。
高校の時、もうハイドンだって言われてやってるし。
あと、バッハのメヌエットもコントラバス教本に載ってて、普通にバッハのメヌエットとして載ってた。
何も疑うこともなくて、そんなに疑ってたらキリがないから、普通に疑わないと思うんだけど。
まあ疑わないよな。
この曲、米津玄師じゃないかもなとか思いながらやんないもんな。
そうそうそう。
っていう感じで、結構その辺も時代とともに進んでるところもある、進んでないところもあるんだなって感じで、ざっと進んできたんですけど。
高校学なんだなっていうのをあらためて実感するね。
最後に、自分の所感というか、話は変わるんだけど、最初ちょっと一瞬関係ない話するけど、
よく議論になる、音楽に罪はないのにアーティストの不調時で販売自粛するなみたいな論争あるじゃないですか。
例えば薬か何かやって捕まったら販売とか配信取りやめて、音楽に罪はないのになんでそんなことするんだみたいな、あるじゃないですか。
ある。
ただまあ、さっきの偽作の話に戻ると、音楽自体に罪はないはずなのに、
罪というか音楽自体のクオリティーは変わってないはずなのに、偽作だって発覚したとか疑惑が出てきたっていう曲は演奏回数とか音源化が激減するらしいんやっぱ。
へー。
だからそれまでは1960年代まではバッハのこの曲めちゃくちゃ演出コンサートとかでも聴かれてて、CDとかも鳴ってたね。
CDというかLPとかになってたけど、そのぐらいの時期に怪しいってことになったら、もうそういう回数が激減してCD化は今んとこされてないみたいな曲とかめちゃくちゃあるらしい。
はあはあはあ。
なんか関係ない話のように思えて、音楽自体と作曲家の関連性観点から見ると、なんかどうなんだって思うところがあった。
ただまあ、あえて今回の収録では今まで触れなかったけど、日本でもあったじゃないですか、偽作、乱作。
あ、記憶に新しい、そういえば。
言われてみれば。
サムラゴーチマモルの公曲第一の広島。
はい。
そろそろ当時2010年代前半とか結構、ゴーストライターみたいな話題になる前から結構話題、こういう作曲家がいてみたいな、NHKでも取り上げられたり、あと書籍とも出てるくらい話題にはなってたはずなのに。
今誰が聴いてて誰が演奏してるんだっていう感じで。
あとその、楽譜の取り違いで謝ってましたみたいな、誰も悪意を持ってなかった場合でも結果的にその曲のロスが減ってしまってるっていう実情。
とか、さっきのサムラゴーチマモルの話もそうだけど、実際新の作曲家みたいなのが出てきて、そっちの人は活躍はしてるけど、じゃあそれまでの曲はどうしてるんだって言ったら誰も聴いてないみたいな。
楽譜の出版が始まったぐらいの時期、バロックぐらいの時期から、商業的に成功させるために有名な作曲家を語るみたいな声はあって、それは400年くらい経っても構造は変わってない。
し、結局そこの作曲家が違ったってなったら一気に。
音楽とアーティストっていうのが切り離せるものであればそこは関係ないはずなのに、結果的にそこが結びついちゃってるっていう時点で構造は変わってない。
結局、作品にとって作家とかアーティストの名前っていうのは、一生ついて回る十字架みたいなものなのかもなって思った。
音楽に罪はないのかもしれないし、誰が作ったとしてもいい曲なのかもしれないけど、結局それは互いに手枷足枷をつけてるような状態。
だからどっちかが落ちればどっちも落ちちゃうっていう関係性なのかもなって思った次第ですね。
まあ、現代のポピュラーミュージックにおいてもそれは特に顕著だし、ただそのいわゆる芸術側に振り切ってる音楽だとしても、やっぱりそういうことを完全に切り離すのは難しいのかなっていう。
そうですね。逆に本当に最新の話でいくと、TikTokとかショートとかで、誰が作ったかわからない曲が永遠に流れてて、そこでバズったりもするから。
そっちはそっちで、逆に一周回って健全になってるのかもしれない。
楽曲のクオリティだけで評価されるという意味では。
クオリティも本当に冒頭10秒とかだけど、とはいえ誰が作ったかとか言っても聞き映えみたいな感じでバズったりしてるっていう方がまだこの結びつきっていうのを見られてないのかもしれない。
うーん、なるほどね。
どっちがいいかっていうのは置いといて。
うーん。
これからは自分の曲は自分の名義で作っていくのか?
ぜひそうしていきましょう。
まあ、これあれだけど、別にあの、めでたい名義じゃない名義でちょろっと放流してる曲もあったりなかったりするけど。
まあ名義をいっぱい持つのと誰かを語るのはまた別だから。
別の話なんで。
はい、面白い話でした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
音楽ラジオなんで。
本文を思い出したね。
このラジオの感想は、Xのハッシュタグみぜラジでぜひつめいてください。
めでかひながらラジオの片倉です。
ご意見ご感想はメールでも募集しております。
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あとYouTubeへのコメントもぜひお願いいたします。
めでたい質問や質問はそれぞれの活動もよろしくお願いいたします。
ひつやがTYC3rdシングル梅手豊洲大枝野菜物語が各種サブスクリプションサービスなどで配信中。
さらに梅手豊洲はYouTubeで未熟ビデオを公開しているのでぜひご覧ください。
そして来たる2025年11月29日、TYCホールでのワンマンライブ梅手豊洲が豊洲シビックセンターホールによって行われます。
またチケットを買うことができます。
まだ買ってない方はぜひ買ってください。
当日誰も経験したことないような素晴らしい体験一日になればいいなと思っております。
ぜひよろしくお願いします。
めでたいの方、最近曲の作文することが多くて。
今回の台本もそうだけど。
これは絶対言えないけど、会社で作文したやつが近々世に出るっぽいから。
そういう感じで、私は作家かっていうぐらい文章を書いたり書かされたりしてるんで。
曲とか動画はあんまり手につけてなくてあれなんですけど。
ここにできるものが出るタイミングになったらまたお伝えできればと思います。
はい。
曲。