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おはようございます、やすです。今日もお聞きいただきありがとうございます。このチャンネルは旅好きのやすが、人生楽しく生きるをテーマに、旅のことや日常の試行錯誤、現在進行形でお話ししているチャンネルです。
今日はですね、私が朝参加しているゼロトレ部に、女性のお坊さんが来てくださって、仏教についてのミニ講座をしてくださる日だったんですね。
本日のテーマが、諸法無我というテーマでした。この諸法無我について考えてみたいと思います。
諸法無我っていう言葉、皆さんはお聞きになったことありますか?正直ですね、私は耳なじみがありませんでした。
諸行無常というテーマを前回やったんですが、諸行無常についてはある程度イメージあったんですが、
諸法無我って聞いてもですね、ん?っていう感じでピンときませんでした。
この諸法無我っていうのがね、どういうお話かっていうことなんですが、このすべての存在が互いに関連しあって成立しているっていう、
それ自体に恒常的な自我っていうものは存在しないという考え方なそうです。
ちょっと関連的な世界の話ですよね。私は作っていただいたスライドの中に、私とはっていうのがあって、
私には両親がいて、両親にはその両親、私にとってのおじいちゃんおばあちゃん、
そのおじいちゃんおばあちゃんにもまた両親がいて、非おじいちゃん非おばあちゃん、こういうふうに連なっているっていうね、
経図みたいなものがあったんですけれども、日頃から早々、日々日々意識しているわけではないけれども、
私っていう存在は、そういう脈々とつながる両親、おじいちゃんおばあちゃん、そのまた非おじいちゃんおばあちゃん、そのまたそのまたっていうね、
そういう人から受け継いだところで誕生していて、それで言ってみればね、どこかが欠けたらいなかったっていうね、奇跡的な存在としてね、たぶん生まれてきているわけですよね。
その奇跡的な自分が、同じように奇跡的な確率で生まれた人たちと、実は日々日々交流しているし、
その交流するっていうのも、何かがなかったらそこの場にいないっていう、すごい確率的にはめちゃくちゃありえないね、天文学的な確率で実はそこに存在していて、
そこで集っているっていうね、この奇跡の確率みたいなものを今日はすごい考えたんですよね。
なんかもう当たり前すぎて、その場にいることで、そこにいる人たちといつもいつも顔を合わせていてとかね、声を聞いていてっていうことはあるけれども、
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何かがなかったらそこにはいないわけで、その何かに行き着くまでは、いろんな実は可能性があるわけですよね。
誰かに何かがあって、それでそのきっかけで何かを始めて、そこでたまたまこれをしていて、それをまた誰かが聞いてくださったり、一緒になったりっていう、
その誰かも同じようにそこに行き着くまでには、奇跡的な確率を経て実はそこにいるっていう。
そう考えてみると、ものすごくですね、私たちの存在っていうのは常に関連しあって確かに存在して、それでそこが成立しているわけで、
そこにね、普遍のものっていうのは実はなくて、常に動きがあるというかですね、何かが変わればその出てくるものっていうのも変わっていくっていう。
今日はすごいね、観念的な話なんですが、改めてですね、日常って思っていることも、ものすごく奇跡の確率なんだなっていうことを、
私は改めてね、ちょっとその、私とはっていうね、スライドで見せていただいた自分のね、かけ図みたいなものを見ている中で、
自分自身も奇跡的な確率で生まれてきたし、そして私が今つながっていただいている皆さんも奇跡的な確率で生まれてきて、
そして奇跡的な確率で交流し合っているっていうね、その貴重な瞬間っていうものを改めて思いを馳せるそんな時間になりました。
最後までお聞きいただきありがとうございました。ヤシでした。